2014年四国九州への旅
9月30日(火) 自宅〜大間
| 2014年9月30日am5:45 自宅出発。 高速道で一路函館へ。 時間はたっぷりあるので白老で高速を降り、一般道を走る。 色々心配事もあり、いつものように解放された気分になれない。 フェリー乗り場にはpm1:00に着いてしまい乗船まで3時間も待つ。 pm4:30に出港、18:00に大間着。 風が強かったが写真を撮る。 函館の町の上に北斗七星が横たわっている。 ペルセウスや昴も綺麗に見えていた。 |

10月1日(水) 大間〜岩手県西根

2014年10月2日(木) 西根〜栃木県那須高原
| 高速道路の移動というのは目的地までの距離を稼ぐ目的なので、あまり珍しい出来事も無く単調である。 今日の事を語れば 朝、岩手の西根を出発し、東北自動車道を南下して那須ICで降り、今「那須高原友愛の森」という道の駅にいる。 でおしまい。 何故なら助手席の窓は何故か直っており、直ってしまったら原因は分からないから、修理工場に行っても無駄なのだ。 そうだ、途中白石市で降りて燃料を入れた。 高速のGSは152円で高かったからだ。 取り立てて見るべき所も無い、よくある田舎町にすぎなかった。 まあ自分が育った札幌の白石区の名前の由来は、白石藩からの入植者が多かったからなので、とりあえず見ることが出来た事は良かった。 それで今那須にいるのだが、この周辺はこ洒落たレストランや輸入雑貨品のお店が多く、町の看板は赤茶色の地に白い文字で統一されている。 ここで降りた理由は「那須オルゴール美術館」に行きたかったからだ。 この一帯はアートの町で、様々な工芸品のお店や美術館でいっぱいだ。 「那須オルゴール美術館」もそのひとつで少し外れた所にある。 小樽のオルゴール館をもっと大きく、本格的にしたような所だった。 予想外に面白そうな場所で、ちょっと寄り道した方が良さそうだ。 |

10月3日(金) 那須〜神奈川県中井
10月3日(金)am7:40 朝靄の那須の道の駅を出発。
途中面白い建物があったので写真を撮る。
高速道を走ると何も見ない事になるので普通の道を走る。
国道4号線を南下しさくら市、宇都宮市を通り、下野(しもつけ)市の道の駅に寄る。
下野の道の駅ではインディアンの羽根飾りをかぶった人が笛を吹いたり歌ったりしていたが、どうやら南米の音楽の様であった。
漬け物を売っていたので純子は茄子浸けを買ったのだが、旅の車中で食べるには多すぎるので
「半分くらいで良いんだけどねえ」
と言うと店員の30代の女性が
「もしかして旅行中?」
と聞くのでそうだと答えると
「キャンピングカーで?」
と言うのでうなずくと
「いいなあ、私なんか一生旅なんか出来ないなあ」
と、しきりとうらやましがる。
札幌から来たと言うと、彼女は奈井江町の出身だった。
純子が「したら、、」とか北海道弁を使うと
「ああ、やっぱり北海道だあ」
と、やたら明るい人だったらしい。
栃木県を走っていて驚いたのは、どの家も敷地が200坪とか300坪くらいあって、その広い敷地を塀でびっしり囲っていることだ。
全くどの家も「お寺かい?」というくらい広い。
売家や廃屋の敷地も同じように無駄に広い。
そういった主を失った家が目立つところを見ると、若い人たちは栃木から離れているのかもしれない。
板東太郎の利根川を渡ると、ずっと道路の拡幅作業中で酷く渋滞している。
東京は30度越えとの予報で、昼頃にはエアコンが必要な程の暑さだった。
草加から東京都内に入ると札幌では考えられない渋滞。
首都高速に逃げたら周囲の車が殺気立っていて、マグロの群れの中に飛び込んだ小魚の様な心境だった。
全く訳わかんない。
目的の方向に行こうにも車線を二つ移動せねばならず、結局訳わかんないままに行きたくも無い道に追い出され、何の為に高速に乗ったのか分からない。
二度と東京を車で走る事は無いだろう。
茅ヶ崎、藤沢辺りで道に迷い、ラッシュアワーの時間で渋滞し、ぴぴは眠くて騒ぎまくるし、泣き出したくなるも、なんとか海老名のICにたどり着き、汗でどろどろの状態で東名の中井というPAにたどり着いた。
今回は地図の経由点が多すぎて上手くルートが示せ無いので無しです。
このPAは長距離トラックでいっぱいだ。
運転手達は道の混む時間帯を避けているのか、夕方にPAで眠り夜中に出立するらしい。

2014年10月4日(金) 中井〜愛知県つくで
10月4日(土)朝起きてまわりを見ると長距離トラックは殆ど居なかった。
昨晩、トラックの運転手達が集団を作ってトイレの前で話をしていた。
同じ職業の者同士、共通の話題に盛り上がるのだろう。
中井PA出発。
走り出しは運転の感覚が狂っていて、思うようにスピードを上げられない。
反対車線は長距離トラックが列を作って走っている。
高速を走ると、ただただ走っているだけで何も見たり聞いたり出来ない。
つまらないので出来るだけ一般道を走りたい。
沼津で降りる。
降りた所に「万葉の湯」という風呂があった。
昨夜は30度の北国から来た者には真夏日で、風呂にも入れなかったので体がどろどろだ。
朝風呂に入って生き返る。
風呂から出てコインランドリーを捜す。
何となく沼津市内を走っていたら、でかいキャンピングカーでも駐車出来るコインランドリーを見つけた。
なんか今朝はすべてが上手く行く。
純子が洗濯の様子を見、コインランドリーから出て来る。
車の運転席で出発の準備をしていたら、80代のいかにも呆けた爺さんが散歩をしていて、純子を口をぽかんと開けながら眺めている。
確かに病気をしてから太ったとはいえ、純子は胸はせりだし、おしりは上がっていてなかなか魅力的なスタイルをしている。
きっと「なんていい女なんだあ」と見ほれているんだなあと思った。
後で純子に言ったら
「きっと今頃は葬式あげてるね。家族が『爺さんなにか良い物見て、この世に思い残す事無く満足して死んだんだねえ。こんなにうれしそうな顔して』と言ってるね。」
と言う。
沼津から浜松まではバイパスを走った。
昨年は新東名を走ったのだが、バイパスは信号も殆ど無く、元々高速でも80キロ以上では走らないようにしているので高速を走るのと変わらない。
浜名湖の河口を見て名古屋に向かって走るが4時を過ぎ、交通ラッシュに遭遇するのが嫌なので今晩の宿泊先を捜す。
昨年宿泊した「藤川宿」は近いのだが良い印象が無い。
工場の建ち並ぶ中の道の駅みたいで、もっと静かな場所に宿泊したいと思った。
それで地図を調べ「つくで手作り村」という道の駅を見つけ、車のナビに打ち込み走り出す。
道の駅の看板もなく、こんな山の中に本当に道の駅なんてあるの?と半信半疑ながら曲がりくねった細い山道を延々と走り続ける。
とんでもない山の中でも何かの工事をしていて、ガードマンが交通整理をしているのがほっとする。
曲がりくねった山道でのナビが言う「あと何キロです」と言うのは全く当てにならない。
行けども行けども辿り着かない山道を登り、降りているうちに里に着く。
道の駅は高度500メートルを越しているはずなのにおかしい。
発見した第一村人に聞いてみた。
すると確かに道の駅は存在しているようだ。
細い細い曲がりくねった山道を登り続け、ようやく道の駅に辿り着いたら立派に舗装された道路に面した場所だった。
我々は普通は通らないであろう、とんでもない裏道を走って来たらしい。
着いた時にはライダーがたむろしていた。
この舗装された立派な道はライダーが好むワインディングロードなのかもしれない。
しかし、夜になるとみんな帰ってしまい、ここには我が家以外熊や狸以外いない。
「ここに移住しようかな。駐車場のアスファルトを掘り起こし畑を作って『今度ここに引っ越して来ました』と明日、道の駅の人が来たら言おうかね」
と言う。

10月5日(日) つくで〜愛知弥富
| 10月5日(日) 愛知県の道の駅「つくで手作り村」には結局我が家を含めて三台しか宿泊していなかった。 来るときの山道が大変だったので、今度は別の道を選んだがさらに酷い山道で、車が一台通るのがやっとだった。 そんな細い道から広い道に出るとほっとする。 あの道の駅はオートバイ以外行けないだろう。 岡崎から名古屋に入る。 名古屋というとしゃちほこと、ひつまぶし、みそかつ、パチンコだ。 名古屋はパチンコ発祥の地であるから、パチンコの玉で買い物が出来る。 みんな布袋さんの様にパチンコ玉の入った袋を財布代わりに担いでいるので、毎日が筋トレ生活だ。 従って女の人でも二の腕に力こぶが出来ている。 今日の夜中から月曜の昼頃まで東海地方に台風18号が上陸するため、あまり移動せずに早めに名古屋市内の道の駅に停泊することにした。 冬の綺麗なイルミネーションで有名な「なばなの里」近くの「立田ふれあいの里」という道の駅を下見し、木曽川に近いが氾濫することは無いだろうからここに泊まることにして、「なばなの里」の「長島温泉」に風呂を浴びに行く。 この「なばなの里」は木曽川と長良川との間の中州の様な地形にあるが、非常に広くて畑やお店が普通に建っているので中州という感じがしない。 伊勢湾台風の時に家屋が流されている映像を見たが、あれはこの辺りではないだろか。 とりあえず今のところ風も吹いていないし、雨もやんでいる。 |
