2014年四国九州への旅 2


2014年10月6日(月)愛知弥富〜滋賀県栗東


台風18号は名古屋では9時頃が台風のピークのようだ。
だんだん雨風が強くなってきている。
大型トラックも停泊している数が多くなってきた。
やはり避難して来ているのだろうか。

AM7:00 風が強くなってきて車が揺れる。
どんどん酷くなってくる。
道の駅の従業員がなにやら話しているのだけれど、やっぱりみゃーみゃー言っていて良く分からん。

大型台風とはいえ道の駅に停泊していれば車がひっくり返ることもなく安全で、じっと台風が過ぎ去るのを待っていたら9時頃には青空が見えてきて風も収まってきた。
ピークは7時頃で、そのまま台風は静岡の方に時速40キロで去っていった。

台風というのは迷惑ではあるが、赤道付近の暖かい水蒸気を日本に運んで来てくれている訳であり、台風が無ければ日本は水が不足したり、気温が低くなったりするのだろう。
台風や海流は地球の熱の大循環だ。

南フランスなんか札幌と同じ緯度なのに、メキシコ湾流のおかげで温暖な気候なんだからずるいよなあ。

我々も台風と反対方向に走ることにしたが、今度は吹き返しの風が吹き始めて来た。
「なばなの里」を見ようと走っているうちにコインランドリーを見つけ、たまっていた洗濯物を洗う。

洗い終えて「なばなの里」に行き花を見る。
「なばなの里」の入場料は1600円でちと高い。
10月24日からイルミネーションをやるらしいが、それ以外の時に入っても仕方ないと思い入るのをやめた。

台風の去った後の空は新鮮な青い空に白いちぎれ雲が吹き飛んでいたり、不穏な黒雲やらが広がったりと混沌としている。
しかし間違いなく天気は良くなって行くわけで、何となく気分が良い。

桑名、四日市、鈴鹿、亀山を通り、国道1号線を行けば甲賀に行き、国道25号線を選べば伊賀に行く分かれ道を伊賀に向かって走った。

何川だか知らないが台風の水を集めた濁流を左手に眺めて山道をさかのぼって行くが、道も狭く車も見かけない。
先日の「つくで手作り村」の悲惨な山道の事を思い出し、だんだん不安になってくる。

確かにこの道を行けば奈良県明日香村に行く近道ではあるが、ここは時間の短縮よりも安全を選ぶべきと考え、引き返して1号線を甲賀方向に向かう。

この国道1号線というのは昔の東海道であり、通ってきた街々は「東海道五十三次」に描かれている宿場町なのだ。
鈴鹿峠を越え、道の駅「あいの土山(つちやま)」で一休みするが、ここも49番目の宿場町である。

この辺りはどの家もお茶を栽培しているようだ。
ちょっとした空き地にさえもお茶の木が植わっている。
道の駅にも「お茶羊羹」というものが売っていた。

甲賀からさらに走って琵琶湖に向かう。
栗東(りっとう)市の「アグリの里栗東」という道の駅が途中にあったので寄ってみたのだが、目的地はもっと先の「草津」という道の駅だ。

「草津」というからには温泉宿がたくさんあって温泉の湯気がもうもうと立ちのぼっているのかと思ったら、温泉など影も形も無い閑散とした道の駅で、おまけに道の駅自体も月曜日は休みで、夜になったら狐に化かされるかも知れないので引き戻して「アグリの里栗東」を今晩の宿泊地とした。

なんかここで買った豆腐と油揚げが異常に旨いんだけど。
それを酒のつまみにして飲んでいる。





2014年10月7日(火) 奈良県とうま〜滋賀県栗東


10月7日(火) 「アグリの里栗東」を出発。
奈良県高市郡明日香村に出発。
大津から宇治、城陽、奈良、橿原を経て明日香村に到着。

明日香村は大好きな場所で、娘の名前もここにちなんで名付けた。
日本人が心の奥に持っている、日本の田舎の原風景が明日香村だ。

甘樫丘(あまかしのおか)をぴぴを連れてゆっくり登ってゆく。
純子は運動不足で遅れがちになる。
ダイエットにはちょうど良い。

前方を年寄り集団が杖を持って歩いているが、彼らの方が歩くのが速い。
全く年寄りは健康に気を遣って運動するから、ますます健康になってしまうではないか。

ぴぴが鳴き出す。
老人達がやってきて籠の中身を聞くのでオカメインコだと答える。
今日はいろいろな人にずいぶんと同じ事を聞かれた。
関西の人は人なつこくて、気軽に他人に話しかけることができる性格なのはうらやましい。

甘樫丘の頂上に着き、斑鳩(いかるが)を見渡す。
左手に生駒山(いこまやま)二上山(ふたかみやま)があり、畝傍山(うねびやま)、天香具山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)という可愛らしい大和三山がスライムやスライムベスのように置かれている。

万葉集(まんにょうしゅう)の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の歌に「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」

というのがあって、香具山の男神と耳成の男神が畝傍の女神を取り合ったという。

この甘樫丘には蘇我入鹿の大邸宅があったという。
丘の上から家々を眺めては、自分の権力を確かめて満悦していたのかもしれない。

この丘に最後に来てからもう40年ほど経つが、何も変わっていないようにみえる。
中大兄皇子や蘇我入鹿が現代にタイムスリップしても、山々の姿は殆ど変わらないだろう。

台風が通り過ぎたため気温が上がり、空は澄み切り、白い雲が浮かんでいて、明日香村全体が緑の葉が輝いていてとても美しく気持ちが良い。

明日香村を巡るには自転車が一番良い乗り物だ。
レンタルサイクルの店が何軒かあり、車をお店の駐車場に置いて自転車で移動することも出来る。

我々は一日駐めても100円の駐車場を見つけてそこに駐めた。
この駐車場は1ヶ月契約で駐めると1500円なのだが、どこでも駐め放題みたいな田舎で借りる人はいるのだろうか。

高松塚古墳や石舞台、鬼のまな板、雪隠などを見て純子も満足したので今夜の宿泊地に向かう。
最初吉野の方向の道の駅に向かったのだが、明日は淡路島に渡る予定なので出来るだけ近いところをと、葛城市の「ふたかみパーク 當麻」という二上山の裾野の道の駅に向かったが、ナビのいうとおりの道を行くと車がすれ違えないような道に誘われるので、完全無視して広い道に出てから指示を聞くことにした。

誠に本州の道は走りづらい。
明日は何とか四国の土を踏みたいと思う。






2014年10月8日(水) 奈良県とうま〜徳島県


昨日は天理市の辺りで朝の通勤ラッシュに遭遇した。
こちらは通勤にバイクを使っている人が多い。
左側をバイクが通過しているな、と注意していると右側からもバイクが追い抜いてゆく。
狭い道を自転車が横断し、人が歩いている。

まるでモグラたたきのようだ。
何時、何処に、何が突然現れるか分からない。
従って運転は慎重になり、周囲に注意を払いながらとなるので、結果として重大事故は起こりづらいのかも知れない。

しかし時間の制約が無い旅とはいえ

「わあ!凄い渋滞だあ!楽しいなあ!」

とはならない。

四国に渡るのに淡路島に行かなければならない。
そのためには奈良からだと大阪、神戸などの大都市を通過せねばならず、ラッシュアワーなどに巻き込まれたら何時着くか分からない。

その時間を避けて走ろうと思い、昨日の道の駅に行く前に燃料を満タンにしておいた。
予定としては早朝に出発する予定だったが、早く眠ったら11時過ぎに眼が覚めた。

何をすることもなく退屈なので、いっその事出発してしまおうと準備をする。
純子は眠らせておこうと思ったら、起きて一緒に走ると言う。

11時半頃に出発したら、奈良の田舎道にも結構車が走っている。
さらに大阪に入ると

「あんたら睡眠不要なの?」

と首を傾げるくらいバイクや自転車や自家用車が走っており、洋服屋の灯りさえ煌煌と点いている。

長い距離ではあったが約3時間20分で明石海峡大橋を渡り、淡路島の「あわじ」という道の駅に2時50分ごろ到着。

純子はそのまま寝入ってしまったが、俺は運転の興奮が続いているので酒を飲み、興奮を静めて4時半頃に眠る。

眼が覚めたら6時半頃で、トイレに行くと洗面所に「ここで魚をさばかないでください」と張り紙がしてある。
淡路島の人はワイルドだなあと思い海岸に出てみると、ワイルドな釣り人達が糸を垂れている。

この人達がワイルドな人たちかあと思い写真を撮る。
釣り人の隣には鷺が二羽、釣った魚のおこぼれを貰おうとしている。
釣り人だけでなく鷺も大胆である。

淡路島はとても暖かかった。
「東浦ターミナルパーク」という道の駅の傍の海水浴場には、背の高いシュロの木が何本も立っている。
北海道でいえば夏の陽気で、運転していても腕の皮膚がじりじり焼けてゆく感覚がある。

淡路島というとNHKの朝ドラの「ごちそうさん」に出ていたキムラ緑子さんの出身地だが、普段、淡路島が周辺で話題に上がることも無いので、何となく寂れた漁村しか無いようなイメージだったが、実際に行ってみるとちょっと南国気分を味わえる、漁業と農業と酪農を主産業とする良くある日本の田舎だった。

当然のごとく「しまむら」もあり、純子は靴が駄目になったため買いに行ったが、こんなに暑くても、もう秋物の服しか置いて居なかった。
まあ来たり来る季節に備えるのだろうから当然のことではあるが、今、半袖が必要な旅人にはちょっと困ることではある。

東浦には中浜稔という淡路島出身の猫を描く画家の美術館がある。

http://www.nekobijyutsukan.com/

そのため、あちらこちらに猫のキャラクターが描かれている。

淡路島にも高速道路が走っていて、本州と四国の通り道になっているが、高速道路を通っていたら淡路島はただ通り過ぎる場所にすぎず、淡路島の事は何も分からない。
寄り道と、成り行き任せの旅の方がずっと面白い。

淡路島から四国に渡る。
瀬戸内の浜辺を歩く。
暖かいなあ。
帰ったらストーブを焚かなければならないほど寒いんだろう。

道を間違って、曲がりくねった坂道の突き当たりのお土産やがある駐車場に迷い込む。
仕方なく420円を払い、辺りを歩く。

するとここには「うずの丘大鳴門橋記念館」という建物が建っていて、そこに行くには今し方通ってきた大鳴門橋に架橋された橋を渡る事になり、その橋の上から鳴門の渦潮が見えることが分かった。
大鳴門橋の橋脚の辺りが渦巻いていて、そこに観光船がたむろしている。

さきほど淡路島側の福良(ふくら)の港で出航してゆくのを見送った、咸臨丸を模した観光船もやって来た。
鳴門の渦潮は満潮の時間に出来るらしく、それにあわせて観光船が出るらしい。

香川県は昔は讃岐の国と言い、やたらあちこちにうどん屋がある。
しかし我々は腹が減っても、丸亀うどんではなく吉野家の牛丼を食ったのだ。

伊予の国愛媛は夏目漱石の「ぼっちゃん」の舞台になったり、日露戦争の秋山兄弟の出身地である。
また、土佐の高知は坂本龍馬や清流四万十川で有名だが、香川はあんまり有名なものが思い浮かばない。

小さな県であり、ちょっと南下すると徳島に入ってしまった。
もう二日間風呂に入る事が出来なかったので風呂を捜すが、なかなかたどり着かない。
風呂はあきらめて「公家の郷なかがわ」という道の駅で宿泊しようとしたら、近くに温泉付きの「鷲の里」という道の駅があるのを見つけた。

距離にして25キロくらいのところで、40分もあればたどり着く。
疲れていたがもうひとがんばりして走ることにした。
山道の途中道の駅を見つけて、「ずいぶん近いなあ」と思ったら別の「わじき」という駅だった。

ナビの案内のとおり走ったが道の駅が見つからない。
近くのコンビニで聞くと道の駅として作られたものではなく、四国お遍路の霊山のロープウェイの乗り場や、宿泊施設を道の駅として申請したものらしく、地元の人もあまり知らないようだった。

しかしそこは駐車場も広大で、「そわか」というお遍路の為の宿泊施設の風呂も350円でありながらシャンプー、ボディソープ完備で綺麗な風呂があり素敵な所だった。
ロープウェイの駅の建物にはお遍路の格好をした人たちがたくさん居た。

小さな庭園があり、鯉が飼われていて鯉の餌が100円で売られていた。
しかし我々はぴぴが食べ残して固くなってしまったパンを与えた。
たくさんの鯉が争ってパンくずを食べている。

夜になって外に出たら月が見えたが、なにか赤く見える。
おかしいなと良く見たら月食だった。
そうかあ、満月だったものなあ。








2014年10月9日(木) 徳島〜高知

10月9日(木) 8:40 「鷲の里」の道の駅を出発し、山道を登ったり下ったりしながら海岸まで出る。
日和佐の道の駅に着くと愛媛ナンバーのキャンピングカーが駐まっていたので、近くに駐める。

俺は調べ事があったので車中に残り、終わってから出たら純子が米を買っていた。
娘にあげるのだという。
おまけにいつの間にか足湯にまで浸かっていた。抜け目のない女だ。

道の駅の入り口のマンホールを5個ほど蓋を開け作業をしている。
何の作業をしているのだろうとのぞき込む。
下の方で温泉水が流れていて硫黄臭がする。
泥みたいな物が貯まっている槽もある。
なにをやってるのか良くわからん。

車に戻って来たら隣のキャンピングカーの人に話しかけられた。
彼も毎年北海道に旅行に行っていて、今年も6月から7月にかけて東北、北海道を40日間旅してきたという。

その彼に近くにサンラインという、海の眺望がすばらしい道路があると教えて貰う。
その峠道を行ったら高い橋脚の橋があり

「火野正平なら絶対渡れないね」

と話す。

橋を登り切った所に第一展望台があった。
雨がぱらついていたが沖の島も、そびえ立つ断崖絶壁も見ることが出来た。
車が一台やってきたら、猫が走ってきて車の前をうろうろしている。
どうも餌をほしがっているようだ。

車はすぐに行ってしまって猫だけが取り残された。
何か餌はないかと純子に聞くと鰹節があるという。
鰹節を餌にを誘うと、やってきて食べている。

するとどこからかもう一匹の猫もやってきて一緒に食べ出した。
さらにまだ何処かで猫の鳴き声がすると思ったら、次々と猫たちが現れて結局6匹もいたことが判明した。

毛並みも良いし人慣れもしていて、おそらくそこにあるお店の人が餌をあげているのだと思う。
今日はお店の定休日で餌がもらえず、おなかを空かせていたのかも知れない。

それにしても晴れていればこの展望台からの景色は素晴らしいはずで、誰かに撮してもらいたい。

「こころ旅宛に『私の心の風景は、高知県日和佐のサンロード第一展望台から見た風景です。正平さん是非行ってみてください。』と手紙を出してやろうかね。あの高い橋をへっぴり腰で走る姿が見てみたい。」

と純子が言うが、受信料を払っていない我々の手紙は採用されないと思う。


日和佐から海岸線を通って道の駅「宍喰温泉」着いた。
この海陽町は昔は宍喰と言ったらしい。
徳島と土佐の県境で、この道の駅から少しで土佐となる。

この町の出身者と言えば、ゴルフの尾崎三兄弟らしいが、ゴルフに興味が何も無い我々にとっては意味がない。

むしろ野菜販売所で見かけた「吉田テフ子(よしだちょうこ)」を取り上げた新聞の切り抜きに興味をそそられた。










2014年10月10日(金) 高知〜愛媛


10月10(金) 朝起きたら、昨夜隣に泊まっていた車に犬が繋がれていた。
あれは柴犬なのかな、おとなしい犬で可愛らしいから撫でていたら飼い主が顔を出す。

おとなしすぎてちっとも番犬にならないのだという。
川崎ナンバーのトラックの荷台に、自分で作ったらしいシェルを積んで泊まれるようにしている。


車には(有)○○工務店と書いてあるので聞いてみたら大工さんをやっていたのだという。
引退した今でも時々仕事の依頼の電話がかかってきて、その都度今旅行中なのでと断っているらしい。

大工さんならこういう物を作るのは簡単な事だろう。
奥さんと犬と三人で旅をしているらしい。
昔独身の頃北海道旅行はした事はあるらしいが、奥さんと一緒に行ったことは無いらしい。
北海道旅行は何月が良いか聞かれたので、6月から9月の間が良いと答える。

坂本龍馬記念館は9時からなので時間はあるのだが、交通混雑を考えて6時前に出発する。
朝走って見ると、昨日は暗くて分からなかったが、あちらこちらに車中泊が出来そうな場所があった。

高知の町の中に入ったのは6:10頃だったのだが、すでに電車を待つ学生がいるし、バス停にはサラリーマンがスーツを着て並んでいる。

大阪の町を真夜中に通った時は

「お前ら早く寝ろよ」

と思ったが、高知では

「もっと寝てろよ」

と思った。

こんな時間に出勤や通学しようとしているのなら、高知は普通よりも早いサマータイムを採用していて、7時出勤、通学と決まっているのかも知れない。
高知市の中心に向かうとどの道を通っても「はりまや橋」に向かうように標識にはなっているが、どの道を通っても「はりまや橋」に行き着いた事が無い。

おそらく「はりまや橋」というのは口裂け女の様な都市伝説で、ありもしない橋をあるように見せかけて観光客を誘っているのか、土佐では「はりまや橋」とは橋の総称の事なのかも知れない。

あれも「はりまや橋」 これも「はりまや橋」 たぶん「はりまや橋」 きっと「はりまや橋」なのに違いない。

早く着きすぎたので空き地で食事や洗面をして待っているうちに時間になった。
坂本龍馬記念館で興味深かったのは、龍馬が近江屋で暗殺された時に飛び散った血が付いたふすまや掛け軸だ。

記念館から出て桂浜を見下ろす龍馬像を見に行こうとすると、老人が仰向けに倒れていて起き上がろうとしても起き上がれないでいた。
事情を聞くと歩道に少し段差があって転んだのだという。

骨が折れたりしてないかと思ったが大丈夫の様だった。
起こしてあげて事情を聞くと、大学の同級生達と毎年旅行をしているのだそうだ。
みんな年老いて本人も84歳になり、今回で旅行もおしまいだろうと言う。

仲間達は先に龍馬像の方に行ってしまったというので、そこまで支えて連れて行ってあげた。仲間が居なかったらどうしようと心配したが無事引き渡すことが出来た。

龍馬像は台座を含めると12メートルくらいはあろうか。
桂浜を見下ろしているが、その桂浜の波の荒いこと。
ここいら辺りなら波も来ないだろうとしゃがんで写真を撮っていたら、見事に尻が濡れてしまった。

龍馬記念館を見たら燃料が高く、スタンドの人間がケチな土佐には用が無くなったのですたこらさっさと山を越え愛媛に抜け、「みかわ」という道の駅に到着。
台風が来るから、明日からは松山市近辺を歩き回ることにする。