2014年四国九州への旅 3
2014年10月11日(土) 愛媛みかわ〜香川
10月11日(土) 旅も長くなってくるとだんだん出発の時刻は遅くなり、停泊場所には早めに着くようになる。今日も他の車がみんな出発してからゆっくりと出発する。
田舎だからラッシュアワーは無かろうが、車の列の先頭になって後ろにぞろぞろ付かれるのが嫌なのだ。
そんなわけで愛媛山中標高380メートルの道の駅「みかわ」を出発したのが8:30頃。
しばらく走行して久万高原町にさしかかると道の駅の看板が。
ナビも何も言わないし、地図にも無いので、おそらくごく最近道の駅が出来たのだろうと行ってみたら「天空の郷 さんさん」という道の駅が今年の春に出来たらしい。
道の駅の外に苔玉に小さな紅葉が植わってある物があり、見ているうちに欲しくなった。
久万高原町に住む、高崎若菜さんという人が作った物らしい。
もう一つ同じ人が作った苔玉もとても気に入って、トイレから帰ってきた純子に教えたら純子も気に入って二つとも買うことにした。
二つ合わせて1050円なり。
愛媛は野菜が安い。
ミカンも早稲ミカンではあるが、300円で中玉くらいの物が5個入っている。
何でも笑っちゃうくらい安くて、旅行中で無ければ買いあさるところだ。
松山市に入る。
松山城を見ようと思ったら、連休ともあって何かの催し物があり周辺が混雑していてあきらめる。
そのまま新居浜の方へ向かう。
四国は何処に行っても「うどん命!」であるかのようにうどん屋があって、回転寿司の看板なんか滅多に見あたらない。
きっと朝から晩までうどんを食しているのだろうが、「美容院 うどん」という看板を見つけた。
これは「うどん」という名前の美容院であるのか、美容院でありながらうどん屋も経営しているのか分からないのだが、いずれにしても不思議な看板である。
美容院というのはやってもらうのに大層時間がかかるものらしく聞き及んでいるが、途中おなかが空いたときにはうどんを頼むと、うどんのどんぶり抱えて、うどんをすすりながらやってもらえるのだろうか。
「小松オアシス」という道の駅で風呂に入ろうとナビの案内頼りに坂を登っていったら、車がすれ違いもUターンも出来ない道に入ってしまった。
ナビ上では先に道の駅があるようだが、先日の「つくで手作り村」の事を思い出しやめて引き返すことにしたが、引き返すにも転回が出来ないからとりあえず進むしかない。
すると老人ホームがあり、その駐車場で転回して元来た道を引き返したが、交差点で「小松オアシス」の看板を見つける。
分岐道を間違えたらしい。
「小松ハイウェイオアシス」は高速道路からも進入できる。
従って駐車場は別になっている。
ここにはお風呂があるのでお風呂に入る。
入浴料400円也。
石鎚山という山が近くにあり、その山をテーマにして写真家が撮った写真が展示されていた。
だんじりの山車が飾られている。
だんじりというと岸和田というイメージがあるが、四国の東伊や岡山県でも催されて居るらしい。
ハイウェイオアシスからは瀬戸内海の島々が望めるのだが、あいにく曇っていてあまりすっきりとは見えない。
新居浜を越え「とよはま」という道の駅で泊まろうと思ったら凄く狭くて、そのまま本州に渡る瀬戸大橋に近い「ふれあいパークみの」という道の駅まで行って停泊中。
2014年10月12日(日) 香川〜山口下松
10月12日(日) 昨夜泊まった「ふれあいパークみの」では室蘭ナンバーの老夫婦が、我が家の前のハイエースの様に後部をベットにして泊まっていた。
向こうも「あれ札幌ナンバーの車がある」と言っていた。
何故かこの道の駅に来る途中、他の室蘭ナンバーのバンも前を走っていた。
坂出から瀬戸中央自動車道に乗り四国からまた本州に渡る。
倉敷から二号線に乗り西を目指す。
福山、尾道を通り、竹原市を通ったら簡保の宿の看板を見つける。
簡保の宿は結構好きなので引き返す。
北海道の簡保の宿は朝里以外もう無くなったと思う。
朝里は老人ホームも兼ねているから続いて居るのだろうと思うのだが、この竹原もやはり老人ホームを兼ねて居る。
純子が風呂の用意をしている間、隣のホテルの幟を見ると竹鶴政孝の故郷と書かれている。
期せずして朝の連ドラの主人公の町に来てしまった。
簡保の宿にも竹鶴という名前の日本酒が売られていた。
風呂を出て走っていたらスタンドを見つけて入った。
土佐のガソリンの馬鹿高さにはあきれかえったが、土佐を出るとガソリンは20円、軽油は15円下がっていた。
このスタンドも田舎であるから少し高めではあるが、自由競争がされているから土佐の様には馬鹿高くは無い。
水の補給を頼んだら快く補給してくれた。
普通は何か特別の理由が無い限り、断られた事など無い。
土佐の一件以来、山のわき水を補給したりして過ごしてきたが、これからは普通に補給できそうだ。
スタンドのお兄ちゃんは北海道旅行を6月にして、羊蹄山の頂上が雪に覆われていたと言っていた。
こちらは6月なんていったら、北海道の夏なんだろうな。
広島市の原爆ドームを見に行ったのだが、三連休の中日とあってもの凄く混雑していて、ドームをちらっと見て走り去ることしか出来なかった。
台風が近づいているので安全な場所に移動したいのだが、2号線沿いには全く道の駅がない。
徳山西のIC傍に「ソレーネ周南」という道の駅が、今年の5月オープン予定と地図には書かれているが、徳山西まで一般道を通って行ったら何時たどり着くか分からないということで、不本意ながら高速道に乗る。
途中下松のPAがあり、ここでも良いかと、今日は停泊することにした。
おそらく山口県では今日の明け方から風が強くなり、午後には台風が過ぎ去るだろう。
一眠りして起きて今は13日の0:32。
風は強いが雨はぱらぱら程度。ここいら辺りはAM3:00頃に中心が通る予定。
2014年10月13日(月) 山口下松〜山口周南
昨夜から風と雨が時折酷くなったりしていたが、まだ本格的な風雨ではない。 昨日は山陽自動車道の下松PAで過ごしたが、天気予報では中国地方は昼頃から明日朝にかけて風雨が激しくなるとの事なので、午前中に出発して徳山西ICで降りてすぐの「ソレーネ周南」という、今年の5月に出来たばかりの道の駅まで行くことにする。 風がどうかなと思ったが走り出してみると、時々強風にあおられる事はあるがなんとか走れそうだ。 それにトンネルが多く、トンネルを出てまたすぐトンネルの連続なのも助かった。 徳山西で降り、道の駅の場所を聞くためもありスタンドに入る。 聞いてみたらすぐ隣だと言う。 良く見たら道の駅の看板が立っていた。 やはり札幌ナンバーは珍しがられ、色々聞かれる。 土佐では 「旅の者ですが、お水を少々恵んでいただきたいのですが」 と言うと 「そんなサービスはしていない」 とにべもなく断られ 「お代官様、本当に少しだけで良いんでございます」 と言うと 「仕方ない、ほんの少しだけだぞ」 と勿体をつけられ、やっと少しばかりのお水を分けて頂きました。 それに比べれば広島や山口のサービスの良いこと。 まあ、それが当たり前なんだけどね。 「ソレーネ周南」は新しいだけあって、トイレも綺麗だし、道の駅の中にコンビニや総菜売り場、肉屋もある。 ここにいれば何も不自由しない。 店員は若い人はおらず中年のおばさん達だ。 おそらく地元の主婦達を使っているのだろう。 こういう新しいタイプの道の駅が増えてくれると、旅をする人間にはうれしい。 この先下関に近い所に他の道の駅もあるが、今日はここで過ごすことにして早速飲み始めた。 |
2014年10月14日(火) 山口周南〜福岡宗像
10月14日(火) 台風の風が収まったので8:30頃「徳山西」を出発。 道の駅「あいお」の手前で朝の通勤ラッシュにはまる。 交差点まで我慢して交差点を左折して「あいお」に向かう。 「あいお」は道の駅とは名ばかりの小さな所だった。 ちょっと休んでその先の「きららあじす」を目指す。 ここは逆に広大な敷地で、近くにドームみたいのが二つ建っている。 こちらの道の駅で不思議に思うのは、金魚やメダカを売っている事だ。 宇部とか小野田とかセメントの町を通る。 近くに見える山は明らかに石灰岩で出来た山だ。 秋吉台も近い。 この辺りは昔赤道地帯にあった珊瑚礁の島だったのだろう。 下関に着く。 下関から北九州に渡るのには高速道路の橋を渡るか、海底トンネルを通るかだが、今回は景色の良い橋を通った方が良いというので、関門大橋を渡る。 関門海峡は1キロくらいしか幅が無いように思える。 でも240円取られた。 門司から最初の道の駅までの間が長い。 佐賀の方に向かうとしたら最初が「むなかた」で、大分の方向だと「豊前おこしかけ」になるが、どちらも同じような距離で60キロくらいある。 なりゆきで「むなかた」に向かう。 小倉から芦屋に向かう。 ナビで見ると海岸側に滑走路が写っている。 そういえば「あしやからの飛行」というユル・ブリンナー主演の映画があった。 芦屋は朝鮮戦争の時の米軍の前線基地だったのだ。 芦屋から山道を延々と走り、ようやく1時半に「むなかた」に着いたが、これ以上運転するのが嫌になり、本日はここで泊まり、明日早く佐賀県の吉野が里に向かう予定。 |
2014年10月15日(水) 福岡宗像〜佐賀
10月15日(水) 昨日の通勤ラッシュの事もあり、今朝は4:30頃に「むなかた」を出発する。フィリッピン人と思われるグループが軽自動車に乗って朝方、道の駅にやってきた。
ダンサーズが巡業旅をしているのだろうか。
福岡のESSOで給油する。
129円毎Lだった。
福岡からダム湖のそばを通って「吉野ケ里」の道の駅で休む。
そのうち朝日が昇ってきて里が見渡せる様になってきた。
素晴らしい快晴で遠くに雲仙普賢岳も望める。
里に下り吉野ケ里遺跡を見ようと思ったら8時ちょっと過ぎで、早すぎて開いていなかった。
それで佐賀方面に向かう。
神崎市、小城市、武雄市を通って有田焼きで有名な有田市を通る。
昔NHKで放映された「景徳鎮は伊万里で作れ」というドキュメントがあった。
古伊万里とは東インド会社が有田で作らせた磁器を、伊万里の港から運んだので有田では無く伊万里の名前で呼ばれて居る。
元々磁器は中国江西省景徳鎮で1000年間作り続けられて来た。
秀吉が朝鮮に出兵したときに朝鮮の陶工を連れて帰り、有田の山に磁器制作に
適した岩が見つかったので磁器を作らせることにした。
明の時代に景徳鎮の輸出がストップされたため、代わりに有田が磁器を輸出するようになった。技術が進歩し藍だけでなく、柿右衛門の朱を使った赤絵も生まれてきた。
何代目か知らないが柿右衛門窯の看板も見た。
有田の町はどこもかしこも焼き物だらけで、「なんでも鑑定団」の中島誠之助さんなら幾日居ても見飽きることが無いのだろうが、我々のように猫の茶碗と、国宝の茶碗の区別も付かない人間には退屈きわまりない。
それに何時もガラス細工の店や瀬戸物屋などに行くと、よろめいて棚の商品を雪崩のごとく床にぶちまけてしまいはせぬかという恐怖感に襲われて、はなはだ精神的によろしくない。
そういうわけで有田はただ通過したのみ。
有田から佐世保に入る。
ハウステンボスの看板が現れた。
ハウステンボスのある辺りはハウステンボス町というらしい。
こういう所もあまり興味が無いし、とってもお金がかかりそうで、遠くから建物のとんがった屋根を眺めただけで通過。
佐世保の辺りにばかでかい煙突の様なものが三本建っていて、その巨大さに圧倒された。
一体なんなのだろうと調べたらこれは針尾電信所といって大日本帝国海軍が大正6年から大正11年にかけて3基たてた鉄筋コンクリート製の電信塔で高さ約135メートル、基部の直径は12.12メートルで、三本が正三角形に配置されて居るらしい。
大正6年といえば、亡くなった婆さんが生まれた年じゃないか。
この電波塔単体では無いらしいが、「ニイタカヤマノボレ208」や「トラトラトラ」の電信も受けたらしい。
今は佐世保海上保安部の管轄だそうだ。
大村湾と佐世保湾を右、左に見る西海橋の出口に公園があって、そこからの見晴らしがとても良い。
近くに土産物屋や温泉があって、入ろうと行ってみたら宿泊者しか入れないということで、この先温泉は無いので今日も風呂に入れない。
もう3日間入っていないので非常にばっちい。
西海市に入り海岸沿いの道を走る。
海がきらきら輝いている、
この海は地元では外海(そとめ)と呼ばれて居るらしく、海に面した丘の上に夕日の名所の「夕陽が丘そとめ」という道の駅があり、今晩はここに泊まる。
綺麗な夕日や夜景が撮れれば良いなあ。
佐世保の西海橋の傍のおみやげ屋さんに入ったら上海在住の写真家、陳瑞元(チェン・ルイ・ユァン)という人の写真が展示してあって「凄い!」と思う。
上海の貧しい子供達の生活は、我々の世代の日本全体が貧しかった時代を彷彿とさせる。
でも子供達はとても生き生きと明るい表情で、生活の豊かさと生きることの満足とは違うんだと思わせる。
この人の写真には生のエネルギーが満ちあふれている。
http://www.ruiyuanc.com/photos/