2014年四国九州への旅 4


2014年10月16日(木) 佐賀西海〜佐賀太良

本日は何が何でも風呂に入るつもりで、早く出発しても風呂が開いていなかったら意味が無いのでゆっくりと支度をしていた。
ベースカーのキャンターガッツには停止している時にボタンを押すとオイル量が足りているか示すランプが付いており、足りないとオイル差しのマークが赤く点灯する。

何気なく押してみたら赤くなっており、シートをあげてエンジンオイル量を調べると下限ぎりぎりだった。
暖まるとオイルが膨張するので、元々少なめにはしていたのだ。
運転中警告灯は点かなかったから問題は無いと思うが、オイルを足す事にした。

作業をしていると、地元の訛りで日焼けした女の人が純子に話しかけて来た。
日本の端から端まで長々と旅をしてきたんだねえという話から始まり、彼女は農業をやっていて、息子が先に亡くなり茫然自失となり、更年期障害になって掃除も洗濯もやる気が起こらないのだが、独身の娘達は家事をやりたがらないと嘆いていた。

純子も卵巣摘出手術をしてから更年期障害が酷くなった時期があったので、その気持ちは良く分かると言う。
必ず良くなって行くと言って別れる。
子供に先立たれたらどんなにつらいだろう。

島原に向かって走り始める。
途中「いいもり月の丘温泉」という看板を見つけ、温泉に入る。
温泉を出て、「みずなし本陣ふかえ」という道の駅を目指して走る。
グリーンロードという農道で無駄に起伏が激しい。

「みずなし本陣ふかえ」は雲仙普賢岳の火砕流が海に流れ出した末端にあり、火砕流に飲み込まれた建物がそのままの状態で残っている。

島原から佐賀県の太良というところを目指そうかと思ったが、時刻が2時を過ぎていて、そこまでの距離を考えたら、ここで泊まった方が良いかもと考える。
でも無理して走ってみるかとナビに打ち込んでルートを見たら海の上を走ってショートカットしている。

何?このルートと思い地図を見たら、意味の分からない線が諫早湾に描かれて居る。
とりあえず行って見たら、有明海の中に堤防があって、そこに道路があった。
いろいろ問題になっている諫早湾の干拓の為の水門が作られた堤防だった。
半信半疑ながらナビの言うとおりに走ったら、確かに右も左も海の中を道路が走っていた。

水門の設置による益不益はわからないけれど、少なくとも大幅なショートカットが出来、今晩宿泊する予定の「太良」の道の駅まで大幅な時間の短縮となった。
太良は「月の引力が見える町」らしい。
有明海は浅瀬ゆえ、潮の干満が目立つ。

夜バッテリー充電回路に問題が出て、解決しようと奮励努力したが駄目で、あきらめてやけ酒を飲んでいたら外が騒がしい。
地元の消防団が訓練を始めたらしい。

こういう祭りみたいな事が好きな純子は喜んで見ていた。







2014年10月17日(金 佐賀太良〜熊本山鹿


10月17日(金) 昨日は佐賀県の太良という所で泊まったのだが、朝起きてみたら道の駅の裏が干潟だった。
ガタリンピックなるものも開催されて居るらしい。

おそらくムツゴロウがとれるらしく、ムツゴロウを焼いたのを売っていたが、黒くて食欲を誘われる姿形のものではない。
昨日からサブバッテリーが走行充電はされるのだが、発電機で充電ができなくなってしまった。

パソコンなどを使うとバッテリー残量がみるみる下がってゆく。
バッテリー自体が悪いのか、それともチャージャーが悪いのか、そうなるとちょっとお金がかかりそうだ。

色々調べたがテスターを持ってこなかったので調べられない。
昨年の旅では準備万端テスターも積んでいたが、旅慣れてしまったせいかつい油断してしまった。

すると今朝はテレビを繋いでいるインバーターの電源が落ちている。
とにかくホームセンターでテスターを買おうと出発する。
途中、南佐賀に「ナフコ」というホームセンターを見つけてテスターを買う。
1500円くらいだ。

早速ナフコの駐車場で座席を引っぺがし電気関係を調べ始める。
バッテリーチャージャーからは正常な電圧が来ている。
発電機の電圧も正常。

インバーターの給電電圧を調べると来ていない。
図面上ではこのテレビ用のインバーターの給電線は10アンペアのヒューズに行ってるはずが、線の太さが全然違う。

線を辿っていったらサブバッテリーに直接入っている。
サブバッテリーのマイナス側には6つくらいの丸端子が無理矢理取り付けられている。
バッテリー側ではちゃんと電圧が出ている。

ということは端子の接触不良。
こいつはバッテリープロテクターが付いていて、バッテリー電圧が低下すると警報が鳴る。
そういえば数日前の朝方、警報音で起こされた。
つまりインバーターも、発電機での充電が出来ないことも、警報音が鳴ったのもすべてバッテリーのマイナス側の端子の接触不良が原因だった。

それで端子を磨いて締め直して復旧となった。
お金がかからなくて良かった。

柳川市の掘割を見てみたかったので寄って見る。
確かに市内に掘割があるが、水はあまり綺麗ではない。
みやま市、大牟田市を通り山鹿市に入ったら橋の欄干に擬宝珠代わりに奇妙な形の物が飾ってある。道路脇にも同じ形の石が置かれていてなんだろうと思ったらここは灯籠が有名らしい。

仮名手本忠臣蔵の討ち入りの時に鳴らす山鹿流陣太鼓というのはここが発祥なのだろうかと思ったらこれは創作で、実際には山鹿流陣太鼓という物は存在しないらしい。

この辺りは温泉だらけでこれから向かうのも、昨日話しかけられたキャンピングカーに乗った老人に教えられた温泉なのだ。
山鹿の町の中に「さくら湯」という銭湯があって、この銭湯の佇まいがただ事ではない。


370年の歴史を持つそうだが、建物自体は伝統工法で建て直されたもので、さほど古い物では無いらしい。
料金は大人300円で非常に安い。

我々が入った風呂は山鹿市の「水辺プラザかもと」という温泉で、この温泉も又料金300円でシャンプー、リンスも備わっている。

熊本県では温泉とコインランドリーには不自由しないで済みそうだ。
おまけにガソリンも安い。

「水辺プラザかもと」の駐車場でも車中泊は出来るみたいで、色々なキャンピングカーが駐まって居たが、我々は1.5キロほど先の「七城メロンドーム」という道の駅に泊まることにした。

阿蘇山が見える。
あと67キロだそうだ。
明日は阿蘇の外輪山にある「阿蘇」か、高千穂渓谷の「高千穂」という道の駅に泊まろうか。






2014年10月18日(土) 熊本山鹿〜宮崎高千穂



10月18日(土)「山鹿市の七城メロンドーム」を出発。
旭志(きょくし)、大津の道の駅を経て阿蘇山に向かう。
ナビに道の駅「阿蘇」を打ち込む。

この道の駅は標高が520米ある。
非力な車で大丈夫かと心配になるが、今までもっと標高の高いところも登ってきたので、何とかなるだろうと走る。

町の中をずーっと走っているうちに、ナビの目的地までの距離が6kmくらいになってしまった。
おかしい。
ずーっと普通の道を走っていたのに6キロとは、これから急激に登ってゆくのだろうか。

そう考えているうちに「しまむら」だとか「ベスト電器」がある道を通っているのに目的地の表示が2キロメートルになってしまう。
さすがにこれは、今までなだらかな上り坂を登り続けて来た事に気づく。

道の駅のジオパークで阿蘇山の説明をしていた。
阿蘇山のカルデラって何処だか分かりますか?と聞いていた。
実は今居るこの場所が阿蘇山のカルデラの中なんですと説明していて、そういえば周り中を低い山に囲まれているが、あれは外輪山なのかと気づく。

高い山が連なっているが、あれは中央火口丘であったのだ。
何となくあの山が阿蘇山だと思っていたが、とっくの昔に阿蘇山に居たのだった。
連なる山が人が寝ている姿に見えると説明していたが「ライフオブパイ」の人食い島を思い出す。

たとえ火山のカルデラの中であっても、広大な土地を利用しない手はなく、すっかり普通の町や牧場が作られていた。

さすがに熊本県だけあって、お土産はクマモングッズがいっぱいだ。
しかし我々が捜している、熊本県に行って来たんだなと他人に分かってもらえる車のシールは無かった。

阿蘇から高千穂渓谷に向かう。
外輪山を越えなければならない。
急な曲がりくねった坂道が続くが、何とか乗り越えた。
むしろこの景色の方が我々が考えていた阿蘇山のイメージに近い。
牧場やゴルフ場がある。

ナビの通りに走ったら、だんだん山の中に向かって行き、遂に路地の様な細い道に入ってしまった。
本州の道はこれが怖い。

しかしバス停の看板が立っている。
こんな所でバスと鉢合わせしたらアウツだ。
そんな道をひやひやしながら何キロか走り、ようやくすれ違える道に出る。

ナビの示す距離は直線距離らしく、曲がりくねった山道などいくら走っても距離が縮まらない。
でもようやく直線が続く道になり、距離が少なくなって行く。

高千穂渓谷にようやく到着。
高千穂は古事記や日本書紀に書かれている天照大神が弟の素戔嗚尊の乱暴狼藉に怒り、天の岩戸に隠れてしまい地上が暗闇になってしまったという神話の場所だ。

その天照大神を誘い出すためにアメノウズメがストリップをして、みんなが大騒ぎをしているのが気になって岩戸を少し開けた所を、手力雄命(たじからおのみこと)が力任せに押し開いて、地上に光を取り戻したというのだが、道の駅にはアメノウズメやタジカラオノミコトの像や岩戸に顔を掘った物が置いてある。

高千穂峡は確かに風光明媚な場所ではある。
今日はここに宿泊する。









2014年10月19日(日) 宮崎高千穂〜鹿児島大崎町


  10月19日(日)朝6時に突然の花火の音で起こされる。
近くの小学校で運動会が行われるのだ。
こちらは9月はまだ残暑が厳しいので、10月に行われるようだ。
走っているとあちらこちらで運動会の音楽や歓声が聞こえる。

バッテリーチャージャーが壊れた。
充放電の回数が効くディープサイクルバッテリー用の充電器なので、普通の充電器よりも充電電圧が高いし、バッテリーも2個並列なので、どの会社の充電器を買えば良いのか分からない。

このバッテリーチャージャーはアメリカ製らしく、調べてみたら同じように壊れた人がどの製品を代替え品にしたらよいか聞いていた。
しかしそんな物は日本で手に入らないだろうし、ここは素直に買った所に頼むしか無いのだろうか。

ディーゼルエンジンであるから走行充電は何とか出来るし、発電機も積んでいるからトイレや給水のポンプと冷蔵庫さえバッテリーで駆動できれば良い。
交換するにしても札幌に帰ってからだ。
旅の間はこの方式で何とか乗り切ろう。

何処の道の駅にも餌を貰って居着いている野良猫がいるようで、阿蘇の道の駅でも高千穂でもベンチに座って食べている人の前に座っておねだりをしている。
4匹の猫たちがいて、鰹節を与えた。

中には山の中に一缶のキャットフードと水だけを置いてあって、どう考えても飼えなくなって山に捨てられたとしか思えない猫もいた。
まあ九州なら北海道とは違って雪も積もらないから、何とか生き抜いて行けるのではなかろうか。

9時に高千穂を出発し、今日はとても長い距離を走った。
宮崎の高千穂渓谷から延岡、日向、宮崎市に入る。
宮崎市の町の道路の中央にワシントニアパームという、とんでもなく背の高い椰子の木の様な並木が立っている。

ワシントニアパームは和名ワシントン椰子という名前で、樹高が25米にも達する。
原産はアメリカ西部の乾燥地帯だそうだ。
こんな背の高い木が台風で倒れたら被害が大きそうだが、倒れたりしないのだろうか。

宮崎市内から日南海岸の道の駅「フェニックス」に行く。
フェニックスはバナナの木に似ていて、ワシントニアパームよりは遙かに背丈が低く、3米か4米くらいだ。
宮崎県の「県の木」らしい。

その木が日南海岸を見下ろす道の駅の展望台に植わっていて、フェニックスと海を背景に記念写真を撮れば、いかにも南国に来たといった記念写真が撮れる。

日南市、串間市、志布志市を通って大崎町の道の駅「くにの松原おおさき」に到着したのが15時15分。
ここには風呂や足湯もある。
とりあえず風呂に入った。

何故ここまで来たのかというと、昨年果たせなかった内之浦でのロケット発射見学のリベンジなのだ。
内之浦までは20キロほどだから、30分くらいで着くだろう。









2014年10月20日(月) 鹿児島大崎町〜鹿児島垂水

10月20日(月)鹿児島県大崎町の道の駅「くにの松原おおさき」で朝の支度をしていると、髪の毛は灰色でぼさぼさ、よれよれの上着と大きな鞄を肩から提げたやせた老婆がうろうろしていた。

一目見てホームレスだなと思ったが、純子に言うと「車から出てきたよ。」と言う。
しかしどうもそこいら辺りの農家の婆さんとは違う、ホームレス独特の雰囲気を醸し出している。

乗っている車を見るとおよそ40年ほど前の車で、八王子のナンバーこそ付いているもののさびが酷くて、おそらく車検もなく、この車の中で寝泊まりしているのだと思われた。
この道の駅には無料の足湯もあるから、なんとか体を拭く事ぐらいは出来るだろう。

猫が婆さんの前に二匹並んで見上げていたから餌でも与えているのだろう。
ボンネットを開けて中を覗いているが、そんな所を見て何か食い物が出てくるのだろうか。

昔八王子辺りで酒場を経営していたが、借金に借金を重ね、どうにもならなくなって夜逃げをして鹿児島まで流れてきたのだろうか。
年老いて身寄りも住むところも無いというのは悲しいことだ。
でもいざとなれば保護も受けられるのだから日本は良い国だ。

こんなこと言って、実は婆さん車も何十年も乗って、風呂賃もけちるような生活を続けて大金持ちになっているのかも知れない。

前の母ちゃんが銀行の窓口に勤めていた頃、毎日浮浪者がお金を預けに来ていたが、ある日その浮浪者が行き倒れて亡くなったのを知った。
でも預金通帳には何千万かの残高があったという。

前日来る途中の道で名水百選に選ばれた水の湧く所があるという看板を見つけた。
それで水を汲みに走った。
最初は矢印の看板があったのだ。

そのうち二股に別れる道があり、矢印の看板が無いためにどちらに行ったら良いか分からない。
道路工事のガードマンに聞いても、こういう人たちは地元の人では無いから分からない。
とりあえず山道を選んだが、結局分からずじまいだった。

昨年の十和田市でも同じ事があった。
あれは地元で水を独占したいが為、あえて看板を掲げないのではなかろうか。

ナビに内之浦を打ち込んだら、もの凄い山道に誘導された。
曲がりくねっているから総距離は長く、素直に海岸の平らな道を走った方が早かったかも知れない。

内之浦宇宙空間観測所は山の上にあって、非力な車で登坂車線を延々と登ってゆくと巨大なパラボラアンテナが空を見上げて並んでいた。
入り口で入場許可証をもらい、車のフロントガラスから見えるように置き、車のまま中に入る。

歩いて行けないのか聞いてみたら、笑われた。
中はかなり広い上に坂も急で、これは歩いて行ったら見きれないと思う。

まず山の上の方にある衛星追跡センターから、34メートルと20メートルの直径のパラボラアンテナを見る。
さすがに近くで見ると巨大だ。

続いて観測ロケット発射場に行く。
ここにでは移動式ロケットランチャーを使って小型のロケットを打ち上げる。
ちょうど我々が行った時もランチャードームの中でロケットを積んで作業をしていた。
屋外にはL−3Hと、M−3Sという固体ロケットの模型が展示してあった。

それからM(ミュー)センターという大型ロケット発射場へ移動。
ここは坂を下りた海の断崖の上にある。
昨年打ち上げたイプシロンもここで打ち上げられた。
昨年来ることの出来なかった場所にようやく立つことが出来た。

M−V型ロケットという全長31米、直径2.5米、全重量140トンのロケットが飾られていたが、これは模型ではなく本物で地上試験用のものだ。

ロケット整備塔が立っているが、ロケットはこの中で発射装置に固定され直立している。
打ち上げ時には整備塔の扉がぱかっと開き、ランチャーを乗せているターンテーブルが回転し(軸心が整備塔の外に位置している)ロケットを外部に出す。
発射角度までロケットを倒し発射する、とまあこんな手順を踏むのだ。
内之浦のロケット発射場の空は青く澄み渡っていて、飛行機雲が何本も白い筋を描いている。
最後に宇宙科学資料館で日本のロケットの歴史を見るが、無料でこんな物を見れるとはと感激する。


岸良(きしら)海岸

内之浦に行ったついでに沖縄のビーチまで足を伸ばしました。
沖縄は行ったこと無いけど、こんな海なんだろう。

コバルトブルーの海、打ち寄せる波は太陽の光を透かしてエメラルドグリーン。
砂浜はこの辺りのちょっと黄色がかった岩を波が削った、白に近い黄土色。

内之浦の少し南に位置する岸良海岸の海は美しかった。


垂水(垂水)

結構毛だらけ猫灰だらけと寅は言うが、鹿児島の猫は本当に灰だらけの事だろう。
家の屋根も、車も灰をかぶっていて、これでは洗車なぞ意味を持たない。

桜島の半島の付け根を通ってこの道の駅「垂水」に着いたが、この付け根はそもそも大正時代までは無く、桜島は本当に島だったのだ。
大正時代の噴火で桜島は大隅半島と地続きになったのだ。

静寂をずーっと保って内部にマグマをため込み、ある日突然破壊的な爆発を起こす火山よりは、しょっちゅう爆発したり噴煙を上げている山の方が安全なのかも知れない。
まあ鹿児島の人は洗濯物を外に干せないとか文句を言いながらも、この山とつきあって生きてゆくしかない。