2014年四国九州への旅 5



2014年10月21日(火) 鹿児島垂水〜熊本宇城市

10月21日(火)垂水の道の駅には桜島の絵を描いて売っている老人がいた。
見ていると、どうもこの道の駅に居着いているようで、トイレに一番近い所に車を置いている。

軽のバンに生活用具を満載に乗せ、車体の周りに絵を飾り、掲げられた張り紙には
「原発やめますか?人間やめますか?」
と書かれている。

流れ者の様な生活を誰でもが出来るわけではない。
一カ所に定住し、家を持ち、まっとうに働いて家族を養い、税金を払い、電気を買って生活している人々が大部分だから彼らも絵を買って貰って生きてゆけるわけで、自分に関係ないからと勝手なことを言われてもなあ。

「たるみず」を出発し霧島へ向かう。
霧島の道の駅に向かう途中に霧島神宮があったので寄ってみる。
観光案内所の前に足湯があり、ちょうど清掃を終えて湯舟にお湯を張っている所だった。

日本初のハネムーン旅行で高千穂峰に登った坂本龍馬とお龍が、天の逆鉾を一緒に引き抜いて喜んだなどという事を姉の乙女宛に絵の解説入りで送った文もガラスケースの中に展示されていた。
もちろん本物では無いと思うので案内所の人に確認してみたら、やはりレプリカであった。

霧島神宮への階段は高くて、膝の悪い純子が登るのが大変なので下から写真だけを撮った。
霧島神水峡なる看板を見つけ、矢印の通り行ってみると、ここにもミニ高千穂渓谷があった。

車に戻ると父さんが居て、札幌から来たのかと話しかけられる。
彼は車で1時間半かけてこの足湯に入る為にやってきたらしい。
昔北海道旅行に行った事があると言うので何月かと訊いたら7月とのことで、それはちょうど良い季節に行ったねと言う。

父さんによればここから小林に抜ける山道が観光名所になっているという。
父さんは足湯に入ってゆかないかと言うが、それは断って山に向かう。

この霧島には高千穂峰(1574米)韓国岳(1700米)その他諸々の群峰が集合しているが、霧島神宮側から登ってゆくと、あちらこちらから盛大に硫黄泉の湯気が立ちのぼっている。
ホテルが並び、観光バスが曲がりくねった細い道路を走っている。

急峻な曲がりくねった道を走ってゆくと、川のせせらぎと共に湯気が上がっている場所があり、大きなタンクが設置されていて、塩ビの太いパイプが川岸に張り巡らされていた。
ここが源泉なのかも知れない。

硫黄泉は湯冷めがしにくく好きなのだが昨日風呂に入っており、今日は風呂に入る予定は無かった。
帰りに八甲田山の酸ヶ湯に入るのを楽しみに、そのまま通過する。

それからの登りも下りも死ぬ思いだった。
父さんは韓国岳の八合目まで道は登り続けると言っていたような気がするが、すると1500米くらいは登ったのだろうか。

韓国岳とは道の駅の地図によると韓国岳(霧島岳)と記されているが、そもそも韓国などという国は第二次大戦後に作られた国だ。
この山から韓国が見えるわけでも無し、いろいろな名前で呼ばれていた山を、何故国土地理院は「韓国岳」と呼称したのだろう。

山から下りる道がこれまた曲がりくねった上に凄い坂で、ギアを2速に落としても速度が落ちないからブレーキを使う。
ライニングが焼ける臭いがする。
ポンピングブレーキを使いながら降りてゆくが、いつまで経っても里にたどり着かない。
平坦な里にたどり着いた時はほっとしたよ。

熊本県のえびの市に着く。
えびの市から人吉市を通り、球磨川と併走する道を走る。
球磨川ではカヌーやゴムボートで川下りをしていて、下流側からゴムボートを屋根の上に何艘も乗せて走って来る車とすれ違う。

途中「名水百選」の看板を見つけ純子に話したら

「何で止まらないのさ。」

という言われ、その先のスタンドに給油ついでに立ち寄る。

ここいら辺りのスタンドはパートのおばちゃんに手伝って貰っているらしく、おぼつかない手つきで給油してくれたが、名水の情報を仕入れて引き返す。
名水は神社の中にあるらしいが、案内の矢印を見ると他人の家の敷地内を通る事になるらしくためらっていた。

丁度車がやってきて、お兄ちゃんが降りてきたので聞いてみた。
お兄ちゃんも初めてだったらしいが、やはりその道が正しいらしい。
通って見るとこの通路は隣家とはなにげ無く遮られているようだ。

階段があり降りてみると小さなほこらがあり、下を綺麗な水が流れている。
鍾乳洞から流れ出した水だ。
水深はあるのでペットボトルを沈めて水を汲む。
お兄ちゃんは「ここは龍神を奉っていますね。」という。

無信心な俺でも何となく龍神は水の神様だと知ってはいたが、どうもこの若者は神社巡りを趣味としているらしい。
我々が水を汲み終わって帰ろうとしている時に、神社の坂道を登って行った。

トイレや食器を洗う水はスタンドで補給できるが飲用の水は買わなければならず、これが結構どこそこの名水とか言って高いのだ。
だから龍神様には4Lペットボトル4本、計16Lのお水を頂き感謝しつつ神社を後にする。

そこからはただひたすらに走り、八代(やつしろ)市を通り、宇城(うき)の道の駅に今泊まっている。
先ほどまでは猛烈な雨だった。

パソコンがウィルスにやられて勝手に文字を打ち続けたり、デスクトップのアイコンの列が円を描きながら勝手に点滅を繰り返していたりして、もうこの旅日記を書くことは無理だなとあきらめていたが、入れてあったSPY&BOTを駄目元で使ってみたら見事駆除してくれました。








2014年10月22日(水) 熊本宇城市〜福岡うきは市

10月22日(水)熊本県宇城市を出発。
もう5000キロ走行まであと250キロくらいなので、オイル交換をする必要があった。

ガソリンスタンドを探しに熊本市内に行こうと、とりあえず熊本城をナビに打ち込んだ。
値段が高いとか、小さくてオイル交換してもらえないだろうとかで結局熊本市内に入ってしまった。
こうなったら熊本城を見学することにした。

熊本城は西南戦争の西郷軍の総攻撃2日前に原因不明の火事を起こし焼け落ちてしまい、現在昔のまま残っているのは土台の石垣だけで、昭和35年に一般からの寄付を募って建て直されている。

その広さと城の高さに驚く。
ただでさえ高台にあるのに城も高いから、天守閣からは熊本の町を見下ろす形になる。
ついでに寄ったのだが、寄ってみて良かった。

熊本のおみやげ物屋にはクマモングッズがいっぱいだ。
クマモンはほっぺの赤が顔からはみ出しているのが可愛い。
あれは「おてもやん」なのだろう。

九州で唯一行っていない県は大分県だ。
大分県で有名な物といったら湯布院、別府の温泉くらいしか思い浮かばない。

でも行かなかった県があると九州を制覇したことにならないので、なんとか湯布院まで行こうと思って、とりあえず山道はこりごりだからと、比較的山の少なそうな日田(ひた)を目指す。

途中71000キロになった時に大きなENEOSを見つけ、オイル交換をしてもらえるかと聞くと、大丈夫だというのでやってもらうことにした。

給油とオイル交換をしてほっとする。
それから菊池渓谷に沿って日田に向かったが、やはりここも昨日とは比べものにならないが山だった。

落石注意の看板だらけの所を通って日田に到着。
日田はムツゴロウこと、畑正憲が高校まで過ごした町だ。
山からわき出た美味しい水豊富にある。
純子がコンビニで買い物をしている間、辺りをふらふらしているとコンビニの横に水道の蛇口が三つある。
その上に看板が掲げられていて、「日田名水源流水」と書かれている。

御前、釈迦岳連峰のブナ、シオジの原生林が天然のダムとなって、あふれ出た水が大山川、筑後川から有明海に流れている。
その地下300メートルからくみ出した水がこの蛇口の水らしい。

これだけの自然林が残っているのは、日田が天領だった所為なのだろうか。
全くここのところ飲み水には不自由していない。

日田は大分県なのだが、そこから11キロほど離れた今晩の宿泊地のうきは市はもう福岡県になる。
一応これで九州全県制覇したことになったので湯布院行きはやめることにした。

このうきは市では水は月1000円で使い放題らしい。
本当にこの辺りは水と温泉と、コインランドリーには不自由しない。

道の駅で駐車していたら窓から声をかける人が居て、自分もキャンピングカーを持っていて、良く我が家にキャンピングカーに乗った旅行者が泊まってゆくから来ないか?と誘われるが、勝手気ままにしていたいので丁重に断る。

教えて貰った筑後川温泉の「つるき荘」という温泉宿で日帰り入浴をする。
500円也。

明日は九州ともさよならして、山口か島根に居ることだろう。








2014年10月23日(木) 福岡うきは市〜山口県美祢市


10月23日(木)うきは市を出発。
今日は本州に戻る予定。
途中小石原という所を通る。小さな山の中の村なのに、何故か陶器の窯元が44もある。
小石原焼というのがあるらしい。

「うすい」「いとだ」「香春」という道の駅に寄り、小倉、門司を通り下関へ渡る橋を通って本州へ渡る。
帰りはトンネルを通ろうと思っていたのだが、丁度工事中で通れなかった。
我々が九州に渡った次の日から工事のために閉鎖になったのだ。

結局九州には10日間居た事になる。
印象深かったのは鹿児島の内之浦宇宙空間研究所と、岸良(きしら)の美しい浜辺だった。

裏日本に抜けるため秋吉台国定公園の美祢(みね)市に行く。
この辺りは石灰岩が産出するため「宇部興産」のセメント工場があって、高い煙突が二本立っている。

秋芳洞(あきよしどう)の鍾乳洞を見に行く。
何ともまあ巨大な地下空間で、灯りがあちこちにあるから良いものの、これが真っ暗だったら間違いなく発狂して死ぬ。

洞窟内には水が流れているが、流れ出した水が滝となって外に流れ出した淵にヤマメが泳いでいた。
さすがにヤマメは洞窟内には居ないが、コウモリが住み着いて居て、糞で岩が黒く変色している所もあった。

秋芳洞は昔は700メートルの長さで、そこから引き返したのだが、今はその先300メートルの所にもう一つ出入り口があって、そこは山の上の方なので鍾乳洞を下りながら下の出入り口に向かうことになる。

途中の岩を掘ってどちらからでも入れる様にしたのだそうだが、そこには観光協会の意図が隠されて居るように思う。

我々は下の入り口から登って行ったのだが、純子は途中の登りでへたってしまい、あと300米だからと励ましながら上の出入り口にたどり着いた。

洞窟を出て歩いて帰ろうと思ったら、とんでもない山道で向かう方向も分からない。
我々より先に洞窟を出た女性二人組みも引き返して来て、タクシーに乗って降りていった。
我々もタクシーに乗って元居た場所に帰って行ったが、それが正解だった。

曲がりくねった急坂をタクシーは5分ほど走ってようやく着いたが、料金は約1000円だった。
あんな知らない土地の、何時目的地に着くか分からない山道を歩いて降り、陽が陰ってカラスが巣に帰る為に飛んでいったら泣いちゃうよ。

きっと観光協会の頭の良い人が居て、ここのちょっとの間を掘って繋げたら山の上に出て、なんにも分からない観光客は元来た所に戻ろうと山道を歩いているうちに不安になってタクシーを利用するに違いない。

ちょっとタクシー会社さんもその掘削費用を出してくれないか?
当座は出費だけれど必ず回収できるから、と言って掘削費用を負担して貰ったのでは無かろうか。

そうは言っても秋芳洞は1200円×2プラス1000円のタクシー代を払っても、冥土のみやげと思えば見る価値のある場所で、純子はとても喜んでいた。

九州から脱出するだけで疲れたので、今日は秋芳洞近くの「みとう」の道の駅で宿泊。







2014年10月24日(金) 山口県美祢市〜島根県浜田市


10月24日(金)AM8:30 山口県「みとう」の道の駅を出発。
朝犬を散歩させて居る人に話しかけられる。
犬と旅をしているらしい。
本当は奥さんも一緒に連れてきたらしかったが、奥さんが嫌だというので犬を連れて旅をしているらしい。

犬の背中が濡れていてどうしたのかなと思っていたが、帰るときに道の駅の建物の裏手を見たらビオパークとかいう自然界の生き物が住みやすいように設計された川が流れていて、その中で犬がざっぱざっぱ水浴びをしていた。

今日は津和野から益田市に抜ける予定なので国道9号線を北上する。
「長門峡」「願成就温泉」と道の駅を辿り、島根県に入る。
「願成就温泉」のちょっと先が県境なので、その2キロくらい先には島根県津和野市の道の駅「津和野温泉 なごみの里」がある。

津和野は「山陰の小京都」と呼ばれているが、実際は「ミニミニ京都」といった方が良い。
同じく「みちのくの小京都」といわれる角館の方が遙かに大きい。
道の脇に堀があり綺麗な水が流れていて、大きな鯉が人が近づくと餌を欲しそうに見上げる。
ここは鯉の多い町で、市内を流れる川にも鯉が群れを成している。

カトリック系の保育園があって、そこの子供達が河川敷で遊んでいる。
交通事故の心配をしなくて済む良い遊び場所だ。
澄み切った青空を背景に銀杏の葉の黄色がまぶしい。

津和野は森鴎外(森林太郎)が幼少期を過ごした場所で、森鴎外記念館がある。
森鴎外の遺書には一人の石見人 森林太郎として死にたいので 墓には森林太郎の文字以外一切書かないでくれと書かれていたが、帝国陸軍軍医でもあったわけだから、そういう訳にもいかなかったのではなかろうか。

日露戦争では銃や大砲で死んだ兵隊より、脚気で死んだ兵隊の方が多かった。
これは陸軍軍医の森が白米を推奨したからである。

一方海軍軍医の高木兼寛はイギリス留学の経験から、欧米人に脚気が見られないのは食事が関係していると考え、パン食や麦飯を採用したため脚気になる兵隊が現れなかった。
ビタミンB1が見つかる以前の話だ。

津和野を出て益田市に向かう。
益田は昔、石見(いわみ)の国と呼ばれ、その沖合にかつてあって地震と津波で水没したとされる鴨島で柿本人麻呂が亡くなっている。

万葉公園という所があって、柿本人麻呂の歌を刻んだ歌碑が並んでいる。
手入れのとても行き届いた美しい公園で、行ったときにも整備作業中であった。

作業員のおばちゃんが地元の訛りでしゃべっているのだが、漁師もやってるのかと思うほど大きな声で、しかも言っていることがさっぱり分からない。
さらにそのおばちゃんが一番威張っているようである。

かなり広く起伏のある公園で、地元の年寄りのちょうど良い散歩コースになっているようだ。
園内には水が流れる水路が造ってあり、今は枯れているが夏は水を流して子供達が水遊びが出来るようにしてあるのだろう。

益田市は女子プロレスラーの豊田真奈美の故郷でもある。
山陰は田舎ではあるが、あまり起伏が無くて車は走りやすいし、静かな所でゆっくりと過ごせる。

今は隣の浜田市の「ゆうひパーク浜田」という道の駅で夕日を見ながら酒を飲んでいたが、つい先頃海に浮かぶ赤い帽子の様に見えていた太陽のてっぺんが水平線に消えてなくなった。








2014年10月25日(土) 島根県浜田市〜島根県松江市


10月25日(土)「ゆうひパーク浜田」を出発。
二日間風呂に入っていなかったので温泉を目指す。
江津(ごうつ)の先に温泉津温泉(ゆのつおんせん)という温泉街があり、そこに370円の元湯温泉というのがあると、道の駅の案内に書いてあった。

たまたま前日に話しかけてきた地元の人に聞くと、「しばらく行っていないんだが、駐車場が少ないけど今は広くしたのかなあ。」と言っていた。
まあとりあえず向かってみることにした。

行ってみると観光案内所の駐車場があり、そこは駐めても良いようだった。
地元のおばちゃんがにこにこ顔で寄ってきて札幌から来たのかと聞くので、そうだと答えると、

「ようもまあ遠くから温泉津温泉まできんしゃった。」

と感激した面持ちで握手まで求められちゃったよ。

風呂の準備をして温泉街に入ってみたら実に趣のある風情で、つげ義春の旅行記に出てきそうな味のある佇まいで実に良い。
津和野は明るい観光地だが、ここはひなび具合が実に良い風情を醸し出している。

感激して写真を撮りまくっていたら「元湯温泉」を見つけた。
これは田舎の銭湯だ。
入ってみると番台に誰もいない。
男湯を開けると脱衣場に人が居たので聞いてみると、入り口の引き戸を開けて

「おーい、お客さんだよ。」

と声をかけると、女湯の方から女将さんが出てきた。
風呂賃を払うと女将さんが風呂に入る手順を教えてくれた。

浴槽が三つあって、まず真ん中の湯で湯浴みをして、さっと入ってさっと出る。
それを三度繰り返してから肩まで浸かること。
決して一番右の熱いお湯から入ってはいけないということ。

風呂場に入ってみると確かに風呂が三つに仕切られていて、一番右の浴槽に源泉が注がれている。
しかしあふれ出た水が「普通の湯」「座り湯」とあふれ出て流れてゆくので、あまり浴槽を分けた意味はない。
女湯の方から子供の泣き騒ぐ声が聞こえる。

とりあえず言われた通り、真ん中の湯を風呂桶で掬って湯浴みをする。
熱い!これでは子供が泣きわめくわけだ。
「熱い湯」に付けられた温度計を見ると48度。
普通43度もあると熱いと感じるだろう。

とりあえず「普通の湯」に入ってみたら熱くて5秒しか我慢できない。
又湯浴みをして風呂に入る。
それを繰り返したが、遂に肩まで浸ることが出来なかった。
後から来た常連さんは普通に首まで浸かっていたのだが。

まあそれでもさっぱりしたし、値段を考えれば満足だ。
俺はいつものごとく烏の行水であったが、純子は珍しく長湯をしている。
どうも女将さんに叱咤激励されて、女将さんに無理矢理肩を捕まれて湯船に沈められ、ゆでだこの様になっているのではないか?と想像する。

珍しく長湯して出てきた純子によれば、やはり小学1年生くらいの子供が親に無理矢理お湯に入れられて大泣きしていたようだ。
純子はずいぶんがんばって風呂に浸かっていたようだった。

温泉津温泉を後にして世界遺産石見銀山に向かう。
石見銀山の無料の資料館を見たら満足して帰ってきた。
バスツアーなんかもあって坑道の中も入れるらしいが、高いんだ。
温泉津温泉も石見で銀を掘っていたから発展した温泉町らしい。

出雲大社に向かう。
出雲大社なんて大して人も来ていないだろう。出雲大社の駐車場に車を置いて、、、等と考えて行ってみたらもの凄い混雑で、駐車場も道も大混雑だった。

純子はとりあえず大鳥居なんかを撮ったのでもう良いよと言うので、ここも退散。
出雲大社恐るべし。
平日なら大丈夫だとは思うのだが。

出雲大社から退散するのに入った細い道でガソリンスタンドと併設する形でコインランドリーがあったので洗濯をする。
セルフのスタンドで、係員に頼んでガソリンの携行缶に給油して貰う。
もう26日間旅を続けているというと、優雅な生き方だねと言われる。

宍道湖の西側の「湯の川」の道の駅から宍道湖の北湖畔に沿って走る道を走り、松江市に入る。

「八雲立つ風土記の丘」にゆく。
この丘周辺が古代出雲の国の中心地だったらしい。

この丘にある岡田山1号墳からは「額田部臣(ぬかたべのおみ)」の文字が刻まれた剣が出土されており、ここの博物館に展示されている。
それらを見ていたら博物館のガイドをしている老人が近づいてきて色々説明をしてくれた。

時間があまり無いと言ったらポイントだけを見るようにと、先ほどの鉄剣と埴輪の説明をしてくれた。
どうもこの場所には埴輪の工房があったらしく、出来の悪かった物が捨てられたらしく、たくさんの埴輪の割れた物が出てきた。

その中に鞍を着けたお馬さんや、この老人一押しの「見返りの鹿」も含まれていたらしい。
この「見返りの鹿」は重要文化財に指定されているらしいが、彼は何とか国宝になって貰いたいと望んでいるらしい。

割れた埴輪の破片の山は他に修復を頼んだのらしいが、その修復を担当した女性から鹿の頭がどうしても前を向かないと連絡が来たので、自然な通りに繋げてくださいと言ったら振り返っている鹿が出来たという。

この鹿、下あごと上あごが横にずれていて、しかも鼻の穴の位置も段違いで、草を噛んで磨りつぶしているときに声をかけられて振り向いたらしく見える。
実物はちゃんと毛並みまで刻まれている。
埴輪ってみんなとても可愛らしく作られているが、お土産で売っている物より遙かに大きい。

http://www.yakumotatu-fudokinooka.jp/muzeumshop.html

この辺りはもっとじっくり見ないとと思うので、もう一日居るかも知れない。
境港の「水木しげるロード」も見たいし。