函館への旅 2011年10月18日〜19日
函館へ行く。
「なとわ、えさん」の道の駅で車中泊。
夜の8時頃に到着したが、すでにキャンピングカーが居た。
フルコン2台、200系ハイエースのバンコン1台、その他にも様々な車が車中で宿泊するために駐車していた。
殆どが年金生活と覚しき老夫婦だ。
俺なんかもう年金を貰っているから良いが、受給年齢を68に引き上げようとしている。
「年金貰わず早く死ね!」ということなのだろう。
民主党が政権を取ったら世の中良くなると言ってた挙げ句がこの様だ。
前回の経験から車の寝台を改造した。
大層使い勝手が良くなって、後席で食事を出来るようになった。
乗り降りも大層楽ちんだ。
今回は布団を持ち込んだ。
やっぱり寝袋よりちゃんとした寝具の方が寒さも感じないし、トイレに行ったりするのも楽だ。
後席で酒を飲み、布団に入る。。
今度は窓を防寒と遮光の為に断熱シートで覆う事にしよう。
周りの車もみんなそうしている。
ムーンルーフから星が見える。
この道の駅は隣が海だ。
津波が来たら逃げようも無いなと思いながら眠りにつく。
朝起きてトイレに行くと、車中泊をしていた人たちが洗顔したり歯磨きをしていた。
天気が良い。
浜辺で釣り人が竿を立てている。
鮭釣りなのだろう。
函館に寄り立待岬に行く。
天気は良いが風が強い。
高田屋嘉兵衛記念館を見たかったのだが、純子が出発したいと言うのでやめた。
昔一度見ているから「まっ良いか」と諦めた。
函館から延々と海を左手に見ながら走り続ける。
津軽半島が見える。
一番右端が竜飛岬なのだろう。
彼方に島が見える。
小島だ。
津軽海峡には他に大島もあり、知人が昔モーターボートでどちらかの島に行き魚釣りをした。
STVで放送していた釣〜りんぐ北海道(つーりんぐほっかいどう)のささげ敏夫さん(故人)は薄野で居酒屋を経営していたが、偶々一緒に行ったその店で、その時釣った魚の写真をささげさんに見せていた。
何の魚だか分からんが、とにかくでかい。
そんなサイズがうようよ居るらしい。
ささげさんが
「これ、糸は何?」
と関西訛りで聞いていたが、ナイロン糸ではなく金属ワイヤーを使ったらしい。
島周辺は函館や青森の漁師の良い漁場らしい。
途中サラキ岬という所があり、咸臨丸の模型が飾られている。
咸臨丸と言えば勝海舟が艦長で木村摂津守、福沢諭吉、ジョン万次郎等が乗船しアメリカに初めて渡った船だ。
1871年にサラキ岬の沖で暴風に遭い沈没している。
福島町にあっきーの実家があってお父さんが住んでいたのだが病院に入ってしまったので空き家になっている。
以前あっきーが撮ってきたビデオに家の様子が写っていた。
あっきーに住所とおおよその地理を聞いておいた。
なんだか、国道を登って降りて右にゆっくりカーブしてゆく所だという。
住所に字なんとかと付く田舎だから、ナビに入力も出来ない。
そんなので分かるんだろうかと思っていたが
「住所から行くとこの辺りだな。坂を登って降りてゆっくり右にカーブしてゆく。あれじゃないか?」
と、何となく見覚えのある家が建っていた。
停車して確認すると、ビデオの中であっきーが修理していたVHFアンテナが屋根に立っている。
すぐに地デジ化で不用になるのに、なんであんなに時間をかけて治していたんだろう。
それにしても分かりやすい。
だって家なんか4軒くらいしか無いんだからすぐ分かるわ。
福島町は千代の山と千代の富士の故郷で、道の駅の隣に立派な「横綱記念館」が建っている。
それに反して道の駅のしょぼいこと。
「道の駅」というのは市町村と道路管理者(国土交通省?)が共同で運営しているらしいのだが、横綱記念館に予算を取られてしまったのだろうか。
松前に着き燃料を補給、まずは松前城を見る。
とりあえず入り口だけを見る。
中は広くて、限られた時間で見るのは無理だと思ったからだ。
天守閣らしき物を撮影する。
松前町のメインストリートに面した建物は皆、昔の建物風だ。
銀行までがそんな作りになっているのが面白い。
櫻の咲く季節ならこの通りも人で一杯なのだろう。
松前藩は1万石と言うことになっているが、そもそも蝦夷地で米は採れない。
鰯、鮭、昆布といった海産物、それに毛皮のたぐいを津軽藩に売って米を手に入れていた。
だから1万石というのも、米に換算したらおおよそこのくらいだろうという値段なのだ。
松前藩は内地の商人に仕事を委託し、内地の商人はアイヌを使って海産物を採らせた。
そこでトラブルがありアイヌの反乱が起こる。
さらに海岸線を北上し江差町にやってきた。
随分手前から帆船の様な物が見えていた。
近づくにつれ、明らかに帆船だとわかる。
何だろうと思ったら、幕末に江差沖で沈没した幕府軍の開陽だ。
船体を引き揚げたのだろうかと思ったら、船体はのこっていた設計図から復元した物だそうだ。
調べると開陽は木造艦だったが、復元された船は鉄製だ。
木製だから海中で朽ち果ててしまったのだろう。
ただ内部に展示してある胞や弾丸、軍服、サーベル、日本刀などは引き揚げられた物らしい。
舷側にはクルップ砲という砲身の内部にライフルリングを刻み、砲弾を回転させて命中精度を高めた砲を18門備え付けており、日本の当時の軍艦では最強だっただろう。
榎本武揚がオランダ留学中にデンマーク戦争を観戦し、施条砲の威力を目の当たりにして採用したらしい。
榎本武揚という人は英才である。
幼少の頃から昌平坂学問所で儒学、漢学を学び、さらにはジョン万次郎の私塾で英語を学んでいる。
幕府軍の軍艦が壊滅したときに降伏したが、オランダ留学時代から肌身離さず携えていたオルトラン著「万国海律全書」は今後の日本国に必要な財産であるとし、戦災から回避するため、敵将である黒田清隆に送った。黒田は榎本の非凡な才に感服し、新政府に必要な才として断然助命しようと各方面に説諭、その熱心な助命嘆願活動により一命をとりとめた。
黒田は助命嘆願のため髪を剃り上げた。
その時の写真が残っている。
新政府でも重要ポストを歴任し、様々な業績を挙げている。
ちなみに郵便番号の〒のマーク、あれも榎本の発案らしい。
開陽の甲板に登る。
船底から甲板を貫き、およそ30メートルの高さまでマストが3本屹立している。
マストというのは船の進行方向と反対に少し傾いている。
風を帆で受けた場合の強度上の問題なのか。
(調べたらやはり強度上の問題で、傾きは均等ではなく船尾の方が傾きが大きいらしい)
近くに浮かんでいる帆船ではない船のマストやアンテナも、何故か後方に傾いているのは帆船のマストの名残なのだろうか。
いずれにしてもマストが傾くことにより、シルエットが美しくなるのは確かだ。
温泉に入りたいと思った。
温泉なんか何処にでもあると思っていたが、行けども行けども温泉が見つからない。
結局見つからないまま岩内に着く。
ずーっと日本海を左に見ながら走ってきた。
風が強く、波が高い。
しぶきが車体に吹き付ける。
しかし、なんて綺麗な海なのだろう。
砕け散る白い波頭の底は陽の光が透過してエメラルドグリーンだ。
面白い形をした岩が次々と現れる。
ゴジラのような形の岩がある。
「ゴジラ漁港に出現!」
とゴジラのテーマを口ずさむ。
知床にもゴジラ岩ってのがあったなあと思いつつ撮影。
島松町の手前で日没。
夕陽を撮影するため路肩に停車。
すると近くで三脚を立て、望遠レンズで夕陽を撮影している人が居た。
夕陽撮影愛好家というのが居るのだ。
そういえば先日偶々入ったすぐ裏が海岸のそば屋、店内には店の二階当たりから撮影した夕陽の写真が何枚も飾られていた。
押し寄せる波が岩に砕け、激しく飛沫が飛び散る向こうに夕陽が沈んでゆく光景を撮影したかったのだが、もっと焦点距離の長い望遠レンズを使わないと上手く撮れない。
結局温泉は見つからず岩内の道の駅で2泊目。
やはり車中泊の車が何台かやってくる。
車内で飲み眠る。
翌朝も天気が良かった。
道の駅は漁港の脇にあるのだが、漁船の白い船体が朝焼けでオレンジ色に染まっている。
岩内から札幌への道は何度も通っている。ただ帰るだけの道でつまらない。
地図を見ると岩内から京極に通ずる道がある。
先週喜茂別や京極に行ったばかりだが、京極のわき水を汲みたいと思い、京極に向かう。
京極で水を汲み千歳へ向かう。
千歳の道の駅で前回買ったネギが大層立派で、又手に入れたいと思っていたのだ。
途中の分かれ道で新湯沢の第二名水亭に寄り温泉に入る。
丁度風呂掃除の時間で、落ち着いて入れない。
もっとも俺は何時も烏の行水なんだけど。
北湯沢に三段の滝公園というのがある。
あまり聞いたこともないので人も居なかろうと思っていたら、大層人が居た。
老人ホームの旅行らしい。
室蘭ナンバーが多い。
室蘭では有名な観光地なのかも。
三段の滝自体はどうと言うこともない小さな滝だった。
改めて千歳に向かう。
途中のサイクリングロードに自衛隊員が椅子に座っている。
貼り紙を見ると千歳の第二航空団のマラソン大会の給水所らしい。
俺が二空団に居た40年近く前には基地の外でこんな行事をすることはなかった。
隊員のジャンバーも紺色ではなく、モスグリーンになっている。
40年も経てば色々変わるだろう。
千歳の道の駅は「サーモンパーク千歳」と言って、インディアン水車のある千歳川の畔にある。
インディアン水車の辺りには鮭を捕っている作業員が居たが、水車の回転で揚げられる鮭はほとんど無く、梁に網を入れてすくい上げている。
受精させて稚魚を育て川に返しているのだろう。
橋の上から覗き込むと梁や水車から逃れた鮭が泳いでいるのが見える。
もっともっと旅を続けたかったのだが、やらなければならないこともあり、仕方なく帰ってきた。
でも来週用事を終えたら道北から道東を巡る旅に出るつもりだ。