はしご酒大会
先日、手稲本町飲食店組合が主催する「はしご酒大会」に行ってきた。
1時間半で5つの店を回り、チケットにスタンプを押してもらうと景品が当たるというもので、当たれば今年は20万円もらえるとのことだ。
手稲の駅を降りるとすでに黒山の人だかりで、待ち合わせたナベちゃん夫婦やMasakiさんを捜すのも大変だった。
飲食店巡りのコースが10通りくらいあって、とりあえず8コースを選んだ。
路上で振る舞い酒を飲んでいると、それぞれ知り合いに出会う。
鮮やかな青い地に白の模様の紫陽花のように涼やかな浴衣の女性が居て、夏に浴衣は良いもんだなあと思い、見てみれば、エルの千秋ママだった。
訊けばお客さんと参加するという。コースを訊けば同じ8コースであった。
効率的に回れる店の順番の情報を仕入れる。
おきまりの手稲区長やらの退屈な挨拶が終わると抽選が始まる。
三桁の数字が、持っている券の番号と一致すれば三万円もらえるのだ。
末尾の一桁を発表し終えたら、ため息の混じったどよめきとともに外れた人たちが一斉に去ってゆく。
私たちの中でも誰も当たっている人が居なかったので、目的の店に向かった。
店はクラブで、その向かいのスナックには良く飲みに行っていたが、ここに入るのは初めてだった。開かれた店の扉の両側に分かれて立ち、開始のピストルをハイジャックされた飛行機に突入する合図を待つSWATのように、中をうかがいながら今か今かと待っていた。
やがて7時になりピストルの音が手稲本町に鳴り響いた。
私たちはお互い目配せをして大きくうなずき、店内になだれ込んだ。
右手にチケットを高々と掲げながら
「スタンプくださ〜い。」
と店に走り込んだ瞬間つまずいてばったりと倒れ込んだすがを踏みつけながら、みんなが我先にスタンプを押してもらっていた。
背中に無数の靴跡をつけながら、すがはよろよろと起き上がり、力なく「シュタンプちょうだい。」と、おねえちゃんに押してもらっていた。
席に着き「あんたら、仲間なのになんで助けてくれないんだ。」と涙目で抗議すると、ナベちゃんが
「すがさん。20万、20万円だよ。20万あれば毎日梅干しを見ながらよだれが出てくるのを待って、米と味噌汁だけで食事をしている我が家で、生卵の一つも添えられるじゃないのさ。」
それにしては夫婦共々栄養が十分すぎるほど行き渡っているんじゃないか?と思ったが、気の弱いすがは口に出せなかった。
「すがちゃん。20万あれば俺も新しいギターを買えるんだよ。悪いけどこれからはお互い敵同士だよ。」
とMasakiさんがめがねをキラリと光らせて言い放った。
「私だって洋服の一つも買いたいよ。結婚してから買ってもらったのは迷彩色のつなぎと
仕事用のダンロップの長靴だけじゃないの。パンツだって1枚80円だよ。」純子が口をとがらせて言った。
「お前な、あの長靴はゴム長界のロールスロイスともいえる一品で、そんじょそこらのホームセンターで一山いくらで売ってるものとは訳が違うんだ。」
「そんなこと云ったって長靴は長靴じゃないの。あたしゃ絶対20万手に入れるよ。」
とりあえずそれぞれの飲み物を頼んで1、2杯飲んだ辺りで、目を血走らせて津波のように次から次へとお客さんが入ってくる。もっとゆっくりと飲みたかったのだが、次の店に向かうことにした。
エレベーターを降りて外に出ると、そこは戦場だった。
全速力で走り回る者、店の名前を叫びながら誰彼かまわず場所を聞き回っている者、道ばたに倒れて居る者、酔いつぶれて嘔吐をしている者達を尻目に、我々は次の目標、焼き肉店「白頭山」に向かった。
白頭山はすぐに見つかった。店の中は焼き肉の煙が立ちこめ、人が一杯で座ることも出来なかった。我々は人をかき分けとりあえずスタンプを確保した。缶酎ハイと紙皿に乗った数きれの肉を渡された。しかしコンロの数は限られているし、周りは黒山の人だかりで肉の焼きようがない。
「どうやって肉を焼けばいいってんだい。」とナベちゃんが女店主に訊くと、「何処でもスペースがあったら焼かせてもらってください。」と言う。
「私に任せて。こう見えても子供の頃輪投げのチャンピオンだったんだから。」とナベちゃんの奥さんのエリちゃんが言うと肉をつまみ、5メートルも先の焼き網の空いているスペースめがけ輪投げの要領で投げ入れた。肉は見事に空きスペースに収まり、周囲から拍手喝采を受けていた。肉をほおばり缶酎ハイを飲み干して店を出た。
3件目はフィリッピンパブ「ブーゲンビリア」だった。
若い娘が片言の日本語で喋るのが可愛い。
男達はすっかり鼻の下を伸ばしMasakiさんは「もうここにずっといていいや。」等と言い始める始末で、女達はこめかみに血管を浮かばせ、男どもを引きずって店を出た。
店を出ると千秋ママに出会った。
これから中華料理の「楼蘭」に行くというと、
「私たちも今行ってきたところなの。今ならすいてるよ。」と云うので、急いで楼蘭に向かった。
楼蘭では紹興酒を飲みシュウマイを食べた。店主の王湯麺さんに、これから最後の店のスナック恐山に行くと話すと「あそこは気をつけた方が良いある。さっきも恐山に向かったお客さんが訳のわからないことを口走りながら、うつろな目で家の店の前をよろよろ歩いていたある。」と言う。
スナック恐山は木造の三階建ての建物の3階にある。
長くて急な階段を上がろうとすると一人の老人が階段に倒れていた。右腕を上に伸ばし右足はくの字に曲げられていた。
まるでアイガー北壁をよじ上っている途中で力尽きた登山家のような格好で、手には「はしご酒」のチケットがしっかりと握りしめられていた。
「ナベちゃん。なんか大変なことになってるみたいだよ。上の階段でも5,6人年寄りが倒れてるよ。」
すがは2階の踊り場から、老人を抱き起こして介抱しているナベちゃんに向かって叫んだ。
「おじいさん、だいじょうぶけ?何があったんだ?」
ナベちゃんが爺さんに問いかけると、
「恐ろしい、、、、。大きな赤い岩が上から、、、、、。」
とかすかな声で謎の言葉をつぶやいたかと思うと、がくっと首をうなだれた。
「これは何か恐ろしいことが上で起こっているね。」
純子が言うとエリちゃんが
「そうみたいだよね、これは女同士協力して、ひとまず男どもを前に出して生き残りを図らないと。」
その頃スナック恐山では、ドアの隙間から外をうかがっていたピン子ママが、パートで手伝ってくれているちえみちゃんを手下にして陣頭指揮をしていた。
「ちえみちゃん!又スタンプ狙いの客が来たようだよ!店の奥に例の物がもう一つあるはずだからもっといで。うちの旦那がはしご酒に参加して賞金を狙っているというのに、一人でもゴールに行かせてなるもんか。ちえみちゃんの旦那のかっちゃんも参加して居るんだろ。一歩たりとも店に入れちゃだめだよ。」
「あいよ、ママ。まかしといて。」
そういってちえみちゃんは店の奥から直径1メートルはある白い玉を転がしてきた。
「でもさママ、何でこんな物が店にあるの?これって運動会で使う玉転がし競争の玉じゃないの?」
「今年の飲食店組合の運動会で使ったものさ。来年まで預かっておいてくれと頼まれて置いておいたんだけど、こんな時に役立つとは思いもしなかったよ。でもこの大玉は最終兵器だからね、敵が集団で押し寄せてきたとき以外、使っちゃいけないよ。手始めにこれを使って。」
とライン引きの道具を持ってきた。
「すがちゃん。ちょっと様子を見てきてくれよ。」
とMasakiさんに背中を押されて、渋々すがが階段をおっかなびっくり上がってゆくと、突然階段の踊り場に人影が現れたかと思うと、瞬間周りが真っ白な煙に包まれ、思わず階段を踏み外し、ごろごろとみんなの所に転がってきた。
「あんた!しっかりして!」
純子が叫んだ。
菅沼村長、スナック恐山の戦にて戦死。行年55。
「どうやらやっつけたようだね。私の店でスタンプ押してもらおうなんざ、1万年早いわ。」
とピン子ママがカンラ、カンラ高笑いをした。
「ボス。ライン引きの石灰を目つぶしに使うとは流石でございますねぇ。」
「しかし同じ手は2度は使えないだろう。今度はあれを持っといで。」
階下では石灰で全身真っ白になって泡を吹いているすがをほったらかしにして、腕を組み、思慮を巡らせながらナベちゃんがつぶやいた。
「この城を落とすのは一筋縄ではいかないぜ。敵は武器を色々持っているらしい。おまけに階段が狭いから駆け上るにしてもせいぜい二人だ。しかもあちこちに人が倒れているから足元が悪い。」
とまるで、七人の侍の島田勘兵衛のように、しばらく深謀遠慮していたが、急に何かを思いついたらしくおもむろに言い放った。
「よーし、これしかない!」
「あんた、どんな作戦だい。」
「君子危うきに近寄らず。無事是名馬。犬も歩けば棒にあたる。地獄の沙汰も金次第。みんな!帰ろう!」
「あんた!何、訳わからないこと言ってるのさ。20万円はどうなるのさ。つべこべ言ってないでとっとといきな。」
エリちゃんに尻を叩かれてナベちゃんは泣く泣く階段を上がっていった。
「ピン子ママ〜!渡辺暖房のナベでーす。いつもお世話になってま〜す。ストーブの調子はいかがでしょうか?」
「その声はナベちゃんだね。こんなに暑いのにストーブなんか焚く馬鹿が何処に居るんだい。スタンプが欲しかったら力ずくで店まで上がってきな。店まで来れたら仕方ないからスタンプ押してあげるわ。」
「今後ともよろしくお願いしま〜す。」と言っておめおめとナベちゃんが戻ってくると、エリちゃんの怒りが爆発した。
「あんた!子供の使いじゃないだろ!恐山は去年のストーブの修理代も半分溜まって居るんだよ。スタンプと一緒に取り戻しておいで!」
「おお、そうだった。おのれ〜!ピン子!借金返せ〜。」
と叫んで階段を走り上がってゆくと、上からリレー競争で使うバトンが雪崩のように転がってきて、ナベちゃんはバトンの上で水上丸太乗りみたいにしばらく「おっとっと」とやっていたが踏み外し、スカイダイビングをしているような格好で階下まで落ちてきた。
「あんた〜!大丈夫かい?!」
渡辺暖房社長 スナック恐山の戦にて戦死 行年44 奇しくもこの日が誕生日であった。
「全く情けない男ばっかりだね。Masakiさん。次はあんただよ。」
と純子が言うと
「俺、ギターあきらめるわ。どうも皆さん失礼します。」
と帰ろうとするので、羽交い締めにして無理矢理階段を上らせていったら、上から玉入れで使う紅白の玉が雨あられと降ってきてMasakiさんの眼鏡に命中、「あー!」と叫んだその口に赤玉がすっぽり嵌り込みもがいていたが、ぐったりとなってしまった。
Masaki スナック恐山の戦いにて戦死 行年不詳
「ちえみちゃん。あんた中々コントロールが良いねえ。」
とママが誉めると、
「そうでしょ。私、運動会の玉入れ得意だったもの。」
と鼻高々だった。
「しかし敵は次には総力戦で来ると思うよ。いよいよあれを出さなきゃいけないね。」
階段下では残った女二人で作戦会議が行われていた。
「こうなったら万歳攻撃で突入するしかないね。エリちゃん。あんた先頭に立ちな。」
「純子さん。こういうものは経験の差が物をいうと思うんです。私なんか若輩者でとてもとても。」
「あっ、私急にめまいが。」
そういって純子はわざとらしくよろめいてみせた。
仕方なくエリちゃんが先頭に立ち、その陰に隠れるように純子が続いておそるおそる階段を上がってゆくと、ゴロンゴロンと地響きを立てながら大きな白い玉が勢いをつけて突進してきて、逃げる間もなくエリちゃんの頭に激突した。しかしエリちゃんの体重が勝っていたせいか、エリちゃんの固い頭が玉を突き破り、玉はそのままエリちゃんの体を包み込みながら階段下にゴロゴロ転がっていった。純子は咄嗟に玉と壁の隙間に身をかわして無事だったが、エリちゃんを飲み込んだ玉を追いかけて階下に駆け下りた。
玉はしばらく道路を転がっていて、人々が遠巻きに周囲を取り囲んで眺めていた。
「エリちゃん、こんな姿になってしまって。お〜い。お〜い。」
と玉にすがって純子が泣いていると、玉がごそごそうごめいていたかと思うと、破裂音とともに玉の一部に穴が開き、そこからエリちゃんの金太郎さんのように丸々とした右腕が飛び出した。続いて左腕、右足、左足、と飛び出し最後に頭が飛び出してすっくと立ち上がった。その姿はまるで雪だるまに手足が生えたみたいだった。周囲は一斉に歓声と拍手の渦だった。
「エリちゃ〜ん。その格好とっても似合うよ。前と比べてもあんまり違和感ないし。」
と純子が誉めるとエリちゃんは
「そうかな〜。また父ちゃんに惚れ直されるね。しかしにっくきはスナック恐山。この恨みはらさでおくべきか。」
と言うと、大魔神の様にのっしのっしと道路を横切り、雪だるまは階段を一歩一歩上がっていった。純子や野次馬もその後に続いた。
「ママ、大変!変な雪だるまが階段を上がってくるよ。私、こわーい。」
そういってちえみちゃんは店の奥でうずくまってしまった。
ピン子ママも雪だるまを一目見て腰を抜かしてしまった。
やがて雪だるまのエリちゃんは、腰を抜かして座り込んでいるピン子ママの前に仁王立ちになり「スタンプ!」と言ってチケットを差し出した。ピン子ママは震える手でスタンプを押し、後に続いた人たちも次から次へとスタンプを押してもらった。
こうしてスナック恐山の攻防は終わりを告げた。
しかし当然のごとく、こんなに苦労して手に入れたスタンプもその役割を果たすことなく終わってしまった。
唯一の収穫はエリちゃんもナベちゃんも雪だるまの衣装がすっかり気に入ってしまって、時々雪だるまプレーと称し、家の中で雪だるまのコスプレをして楽しんでいることぐらいか。
ああ、それと言っておくけど、当然ここに出てきた店は手稲本町には存在しないので、そこんとこよろしく。