東川町 2012年7月6日〜7月7日
先週は増毛に水を汲みに行った。
片道2時間くらいかかるのだが「暑寒別の伏流水」は絶対京極の水より旨いと思う。
まろやかで、普段は麦茶を飲むのだが、この水があるときはそのまま飲んでいる。
水割りでも旨い。
増毛からパイプラインを引きたい。
この日は車中泊をするつもりだったのが、何となく走っているうちに札幌に着いてしまい結局我が家に帰ることになった。
ぴぴを車に慣れさせるという意味もあったからこれはこれで良い。
ケージは重いし、中で羽ばたくと羽根がもげる危険があるので、犬を運ぶ為の布で出来たかまぼこ型のケースを買い、中に止まり木やベッドスペースを作ってやった。
一度トンネルの中で大型バイクに追い抜かれ、その爆音に驚いて羽ばたいたがテント生地なので翼を痛めることも無かった。
今は車にも慣れ、多少の振動や騒音でもオカメパニックを起こすこともなくなり、平然と餌を食べている。慣れの問題なのだと思う。
今日は純子が夜勤明けなので早めに仕事に行って終わらせ、そのまま純子を迎えに行って何泊かの小旅行に出かける予定なのだが、何処に行くかまだ決めていない。
もう道内は殆ど回ってしまい、ラジオなんかで田舎の話題が出てくるとその場所の風景を思い浮かべることが出来る。
所々穴の開いたように行ってない箇所があって、大雪山の旭日岳ロープウェーにも乗っていないので、姉の住む東神楽町の近くでもあるから、姉のところに寄りがてら行ってみようかと思う。
何せ姉の家の居間からは大雪山連峰から十勝岳連峰に連なる山々が見渡せるのだ。
それから無料の高速を使ってオホーツク海側に行くのも良い。
来週からは燃料価格が上がるらしいし。
とりあえず旭岳を目指し旅に出る。ぴっぴも一緒だ。
5日前に増毛から無料の自動車専用道で沼田ジャンクションで下り、北竜町、浦臼町を通って札幌に帰ってきた国道275を今度は逆に走る。
ずっと晴れていたのだが深川辺りから遠くを望むと、旭川から帯広方面にかけて積乱雲がかかっていた。
これでは旭岳に行っても何も見えず無駄かなと思うが、途中の東神楽の姉のところに寄るつもりだったからそのまま行くことにする。
姉に電話をしたが出ない。
畑仕事をしているのだろう。
着いてみたらやはり外で作業をしていた。
義兄はというとビニールハウスで春菊を摘んでいた。
野菜は米に比べて儲かるらしいが、消費者のクレームが多く検品に目を酷使するらしい。
杖をつきながら農作業をしている状態なのだから、引退したらいいんでないかい?と思うのだが、人にはそれぞれ事情があるのだろう。
そんな姉夫婦に、またしても野菜をたんまり貰う。
キャベツ、大根、かぶ、レタス、キュウリ等。
ぴっぴの餌に水菜をあげていると言うと水菜を採ってきてくれた。
我が家の水菜と比べると5倍くらい大きい。
義兄にピッピを見せてあげると、ぴっぴは止まり木に留まって直立不動、気をつけの姿勢。
「オカメなんていません」と羽根をぺったんこに、首を伸ばして身体を出来るだけスリムにして居ない振りを装っている。
知らない人の視線に緊張しているらしい。
大量の収穫を得て旭岳方向へ。
時間が遅かったのでその日のうちに旭岳に登るのは中止し、姉に聞いた隣町の東川町にある宿泊地を下見する。
東川町の道の駅「道草館」だ。
あまり大きな道の駅ではない。
東川町は「写真の町」を謳っているらしく、館内には寄贈されたフイルムカメラや8ミリ、16ミリ撮影機が飾られていた。
俺の使っていた8ミリはあるかと探したが、当然無かった。
道の駅の建物の隣にはアウトドア商品を売っている店があって、その駐車場にロータスRV販売で作っているキャンピングカーの「マンボウ」があり、本州のナンバープレートが付いていた。
店の中には色々な登山、アウトドアグッズが並べられていたが、モンベルの製品が多かった。
純子が天人峡温泉に行きたいと言うので走り始めたが道を失う。
東川町内を彷徨っていると立派な公園を見つけた。
広場があって銅像が5体立っている。
その中心に青い玉がゆっくりと回っていて底から水がわき出している。
この直径110センチ、重量2トン近い御影石の球体は、下から湧き出す水の水圧と表面張力の力で回転しているという。
「こんな重い物が水の力だけで本当に浮いているのかい。」
と思い球体を手で回してみると確かに回転方向が変わるから水の上に浮いているらしい。
青い御影石には縞状の模様があり海王星に似ている。
これはフローティング クーゲルという、ドイツで作られたオブジェらしい。
公園の隣には立派な学校や、高級マンションと見まごう公営住宅らしき建物群があり、道も広く、並んでいる店もこ洒落ていて、きっと裕福な町なんだなあと感じた。
町内をうろうろして天人峡温泉への道を見つけ走り出す。
周りは全て田んぼだ。
走っているうちに左手に公園を見つける。
大雪遊水公園というところで、公園内に農業用水を引き込み、滝や池を作り水車を回したりしている。
ゲートボール場もある。
広い駐車場の傍に大きなトイレもある。
道の駅よりこちらの方がよっぽど車中泊に適している。
純子の意見も同じで、ここで泊まることにする。
早速車中泊の準備をし、酒盛りを始める。
隣には横浜ナンバーの車が停まっており、やはり車中泊をするようだ。
仕事を引退して一人で旅をしているらしい。
トイレの前にベンチがあったのでぴっぴの籠を置き、夕陽が沈んでゆくのを眺める。
ビルなど無いから空が広い。
本州から来ると、如何にも北海道だと思うだろう。
翌7日起きてみると重苦しい雲がたれ込めていて、大雪山の姿も見えない。
これでは旭岳に登っても無駄なのでサロマ湖に向かう。
途中当麻(とうま)の道の駅で洗面をすることにする。
道の駅は様々な車が車中泊をしていた。
その中に200係ハイエースのポップアップルーフのバンコンがあった。
大宮ナンバーの車で洗面所で一緒になったので聞いてみると、オホーツク海に出てから道東を廻ると言う。
無料区間の自動車専用道路があることを知らなかったので教えてあげる。
何時まで無料であるか分からないが、道央から一気にオホーツク側に抜けるのには本当に便利な道だ。
当麻の道の駅を出て愛別のジャンクションで高速に乗る。
ぴっぴを時々休ませるため、途中のPAに寄り道しつつ遠軽(えんがる)に向かう。
丸瀬布(まるせっぷ)のジャンクションが最終地点だが、将来は紋別(もんべつ)まで伸びるようだ。
ジャンクションの名前は丸瀬布になっているが、丸瀬布町は2005年に遠軽町と合併したので現在は存在しない。
オホーツク側も曇っていた。
サロマ湖に向かうが途中燃料を補給しなければならない。
しかしこの辺りのスタンドは価格を表示していない。
おそらく田舎の独占価格で高いのだろうと思ったのでとりあえず20リッター入れて貰った。
軽油でリッター130円。
札幌で105円で入れたので500円の損。
田舎で燃料を入れるときは細かく継ぎ足していった方が良さそうだ。
網走に行くか迷ったが、去年行った事だしとりあえずサロマ湖を見て戻ることにする。
オホーツク側は寒かった。
一週間くらい前には気温が10度も行っていなかった。
漁港でサロマ湖を見るが取り立てて言うことも無し。
道の駅サロマ湖はまだ開店していなかった。九時かららしい。
でも開店を待っている人達が店の前をうろうろしていた。
色々な場所のナンバープレートの車が停まっている。
昨晩はここで車中泊をしたのだと思う。
Kyohey君によく似た中年の男がテーブルに座っている。
黒い皮の上着を着ている。
Kyohey君があと10年経ってちょっと中年太りになったら、こんな感じだろうなと思う。
九時五分前に店員がドアを開ける。
すると普通、開店と思うじゃない。
店の品物を物色していると「あーた〜らし〜いあーさがきた きーぼぉーのあさーだ♪」とラジオ体操の音楽が始まった。
すると店員さん全員でラジオ体操を始めた。
俺は道の駅で売っている地図買いたかったのだが、、、。
「ラジオ体操なんて開店前にやれば良いんじゃない?」と思ったが、車中泊などで凝り固まった身体を、体操でほぐして貰いたいという思いやりだったのかも知れない。
一緒に体操をしているお客もちらほら居た。
体操が終わるのを待っていると中年Kyohey君が「ちょっとすいません。」と言って、俺の身体の陰にあるスタンプラリーの台に取り付いて、勢いよくスタンプを押している。
俺は地図を買ったので出発する。
次の道の駅愛ランド湧別に向かう途中バイクが追い越していった。
その後ろ姿を見るとKyohey シニアだ。
「ははぁ、、次の道の駅でスタンプ押すつもりだな。」
と思っていたら、愛ランド湧別を通過するときに駐車場に停車したバイクから降りてヘルメットを脱ぐKyoheyシニアが居た。
我々は昨年ここに寄って、特に見る物も無いのを知っているので通過。
道の駅上湧別チューリップの湯に向かう途中、またしてもKyoheyシニアに先を越された。
そこから我々は丸瀬布ジャンクションに向かい高速に乗り昼過ぎに旭川に到着。
実は姉の家に行く途中、20年程前偶々入ってものすごく美味しいと思ったラーメン屋
が同じ場所でやっているのを見つけ、「帰りに寄ろうね。」と話していたのだ。
何回か純子と旭川には来ていて、そのたびに探していたのだが見つからなかった。
それがちょっといつもの道と違う道を走っていたら見かけたのだ。
昼下がりの旭川は天気が良くなっちゃって暑いくらいだったので、ぴっぴの為にムーンルーフを開けっぱなしにして店に入る。
店のレイアウトは昔のままだ。
俺は醤油の大盛りを頼み、純子は普通を頼む。
普段大盛りなどという言葉と無縁の俺があえて大盛りを頼んだと云うことで、如何にこのラーメンを切望していたかを知っていただきたい。
それでラーメンがやってきたのだが一口食べて「ん?」となる。
二口食べて「んん?」となる。
くどい! 油でぎとぎと、、、こんな味だったっけ?俺の味の好みが変わった?
途中で投げ出したくなった。
無言で食べ終わり、店を出る時純子が「どうだった?、、、」と聞くので「若かった頃の味の記憶だからその時は美味しいと思ったんだな。」と答える。
「そうでしょ。あんたの好きじゃない、ぎとぎと係だもの。」
だけど良く考えると昔の「A得」のラーメンは魚の出汁を使ったさっぱり係だった。
しかしこのラーメンは豚骨ベースのこってり系だ。
全く別の物だ。
そういえば「A得」はチェーン店で他の店舗の紹介の名刺もレジの脇に置いていたのが無い。
これは「A得」の建物と名前だけを受け継いだ、別の経営者がやっているとしか思えない。
残りの人生で食べられる食事の数が指を折って数えられる程になった人間にとって、不味い物を食べてしまった口惜しさが理解して貰えるだろうか。
ああ! 一食損してしまった!
同じ味を受け継ぐならともかく、全く別の食い物を出すのなら名前も一緒に変えていただきたい。
まあ、これは俺の好みの味では無かったというだけで、味の好みは人それぞれだから他の人には美味しいかも知れない。
旭川を出発し増毛へ。
途中ぴっぴが鳴き続けるが、何を求めているのか分からない。
餌はあるし水もある。
純子が「もしかして暑いのかも。」と霧吹きで水をかけてやると、ぴたっと鳴き止んだ。
純子がエアコンが好きでないし、オカメインコも25度から30度が暮らしやすい温度だというのでエアコンを点けていなかった。
窓は開けていたが、籠の中は暑かったようだ。
言葉がしゃべれたら良いのだが。
増毛で又水を汲む。
海岸沿いを走り望来(もうらい)の展望台に着く。
なだらかな丘陵地帯が海に続いていて、海岸線を辿ると石狩湾迄見渡せる。
この辺りは風が強いらしく、風車が立っている。
別荘用地を分譲しており、別荘が色々建っている。
本格的な物からプレハブ小屋まで様々だ。
知り合いもここに別荘を持っているが、俺は要らないな。
だって別荘は移動できないもの。
何の撮影なのか駐車場で女の子がモデルになって写真を撮っていた。
雑誌か何かか。
そうやって寄り道をしながら我が家に帰って最初にしたことはピッピを解放してあげること。
籠の入り口を開けてやると勢いよく飛び出し、カーテンレールに止まり、前のめりに翼を大きく広げ、大きな声で何度も鳴く。
それから今までの鬱憤を晴らすように部屋の中を3回もぐるぐる飛んだ。
やはりストレスが溜まっていたんだなあ。
ようやく落ち着いた頃チョコがやってきて網戸の向こうで鳴く。
慌ててぴっぴを籠に入れ、カウンターの上に移動させる。
昔のチョコだったら鳥なんか見たらすぐさま飛びかかっただろうが、今では関心を示さない。
カツブシをあげると黙って食べている。
「あんたんところの居候の洗車ブラシ男は元気なのかい? 嫌だよねえ、あんなのと一緒は。」
と純子がチョコに話しかける。
洗車ブラシ男とは引っ越しついでに捨てられた野良猫の目やにの事で、最近はチョコの家に居候しているらしいのだ。
チョコの家は自宅兼会社なのだが、2年前の夏の日、社員らしき人が営業車を洗車しており、それを目やにが座って眺めていた。
するとその人はついでに洗車ブラシで目やにも洗っていた。
薄汚れた毛並みだから、洗車ブラシぐらいが丁度良いのだ。
目やにの奴気持ちよさそうに目をつむっていた。
引っ越しついでに捨てられ、洗車のついでに洗車ブラシで洗われ、何とも哀れなついでばっかりの猫なのだ。
チョコは少し食べて二階にあがったが、昔のように眠ってゆくわけでもなく下りてきて出て行ってしまった。
チョコももう13歳くらいになるだろう。
我が家に初めて来た時は1歳くらいだったろうが、帰しても帰しても我が家の周辺で入れてくれと鳴いていた。
その翌年にはもうそのような駄々をこねなくなったから、大人になったのだろう。
ここ数年はあんまり我が家には来なくなり、昨年は一度だけだった。
今年になってもう2回目。
群ようこの家で餌を与えられていた野良の「トラちゃん」という母猫は死ぬ前にちゃんと挨拶に来たそうだ。
チョコも何時になくこうやって顔を見せると、挨拶に来たのかなあと思ったりしてしまう。
昔に比べて生き生きさが無くなった。
狩猟本能とか、好奇心が薄らいできている。
覚悟はしておかないといけないなあ。