夏休みの始まり

帯広へ 2011年07月29日


我が家の終業式も終わったので、本日から夏休みに入ることにしました。
夏休みは森の中で虫を観察したり、魚を捕ったり、川の淵に潜ったりして遊ばないとちゃんとした大人になれないと思います。

それで僕も海や山に遊びに行くことにしました。
休み明けには真っ黒に日焼けして帰ってくると思います。

という訳で知人に紹介された十勝清水の山の中のキャンプ場「遊び小屋 コニファー」へ行く。
此処は個人で経営しているキャンプ場で、根性のあることに真冬でも開いている。
オーナーの加藤さんの話によれば、わざわざ本州から雪中キャンプをやるためだけに飛行機に乗ってやってくる荒くれ達が居るそうなのだ。

キャンプ場の中には小川が流れており、せせらぎの音を聞きながらたき火をすることができる。
バンガローが一棟あり宿泊できる。
今回は新得に大雨注意報が出たのでバンガローを借りた。

行った時にはオーナーは居らず、ちょうどログハウスを建設中だったので中にいた大工さんに聞くと仕事に出かけているという。
事前に知人に聞いた所によると、加藤さんは元自衛隊員で、自衛隊にいた頃から此処で遊んでいたのだが、やめた後本格的にキャンプ場の建設を始めたのだそうだ。

キャンプ場の様々な建物は仲間達が手伝ってくれて建てた物らしい。
大工さんだと思っていた人も(田中さんというらしい)仲間の一人らしい。
その田中さんが連絡してくれて、仕事を終えたら帰るので30分程待っていて欲しいと言う。

加藤さんを待つ間、コニファーの敷地を散策する。
小屋が幾棟もある。
パンを焼く窯、みんなで食事のできるテーブル、洗面台。
小屋の外壁には薪が積み上げられている。
建設中のログハウスの地べたに水洗便所の便器一式が転がっている。
おそらくどこかで不用になった物を貰ってきて流用しようというのだろう。

そのうち軽トラックがやってきた。
オーナーかと思ったら、白人の男とダックスフンドだった。
男は(スコットというらしい)ログハウスに入って行き、ダックスはそこいら辺を散策し始めた。
そのうちに純子の側にやってきたので、動物が怖い純子が大騒ぎして足で追い払おうとするので、あわてて犬を捕まえ、その間に純子は車に避難する。
見ると老犬で情けなさそうに見上げている。
可愛そうなので撫でてあげると、又短い足でとことこうろつき始めた。


スコットは丸鋸で木を切断し始めた。
薪を作っているのだろう。
たき火用の薪は500円で販売されている。

そのうちに加藤さんが帰ってきた。
自衛隊の退職金もキャンプ場建設に使い果たし、生活費稼ぎに幼稚園の送迎バスの運転手のバイトをやってるという。
他の仕事の手伝いもしているので、その仕事の依頼が来たときに一度は断ったらしい。
しかし奥さんに

「何故断ったの?!もう一度頼みなさい。」

と叱られ、

「まだ仕事ありますか?」

とおそるおそる尋ねたら、二つ返事で受け入れられたのだそうだ。
そうして園児の送迎を始めてみたら、子供達が可愛くて仕方が無くなったらしい。

小川のほとりで酒を飲みながらダッジオーブンで食事を作る。
見上げると薄暗くなった空に、広葉樹の葉が黒いシルエットになって居る。
この森の木を見るとまだ若い木ばかりだ。
この土地は一度は人の手が入って、畑になったことがあるに違いない。

そうやって居ると加藤さんがやってきてパンを焼いてあげるという。
見に行くと盛大なたき火があり、傍らにダッジオーブンと、型に入れて発酵中のパン生地が置かれている。
少人数の時はたき火で、大人数の時にはパン釜で作るのだそうだ。

食事を終えた頃、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
それで小屋の中のテーブルで飲むことにした。
加藤さんが小屋の中を案内してくれる。
洗面台が二つ、もらい物だ。
流し台があり水道の蛇口とガス湯沸かし器。
水道は山のわき水ですばらしく旨いらしい。
でも、もう酔っぱらっていたので良く分からない。
此処にある物は殆ど捨てられた、或いは捨てるのを貰い受けた物らしい。
「北の国から」の黒板五郎の「拾ってきた家」みたいだ。

そうして仲間達が集まって、遊び場を作るようにこのキャンプ場を作ってきた。
全く男というのはいくつになっても子供だ。
みんなそれぞれ仕事は持っているのだろうが、秘密基地を作る為に集まってくる。
今作っているログハウスは、加藤さんの帯広の自宅を引き払って移り住む為の物らしい。
こういう旦那の道楽を奥さんはどう思ってるのかと思い

「奥さんも此処に住むんですか?」

と尋ねると、そうだという事で、どうやら奥さんも森の生活はまんざらでもなさそうなのだ。
そんな山の中の生活なんか考えられない、という人だったらついて来ないだろう。
しかし弟夫婦は一度も泊まりに来たことが無く、弟の奥さんには

「優雅な暮らしね。」

と嫌みを言われるらしい。

しかし金が尽きようとも、加藤さんの情熱は尽きない。
そういう加藤さんを手伝ってくれる人たちが現れる。
いろいろな人たちが泊まりに来る。
中には台湾在住のアメリカ人会社経営者が、近所の土地を別荘に買おうかと言うので見学がてら泊まりに来る。
それで加藤さんが色々面倒を見てやったりしていると、前述のスコットが

「アノ ガイジンハ アヤシーデース。ネットデ ソノカイシャサガシタケド ミツカリマセンデシター。」

と、自らも十分怪しいのに加藤さんに忠告する。
結局ネットで探せなかっただけで、会社は実在したらしいのだが。

それでその会社経営のアメリカ人がスコットに案内役を頼んだのだ。

「幾ら払えば良い?」

と聞かれて、要らないと言ってしまったらしい。

「お前、それは貰えば良かったんでないかい。」

と言ったのだが後で

「アレハ シッパイデシター。」

と言っていたらしい。
どうもいつの間にか日本人的思考に染まってしまったらしい。

加藤さんも酒が好きで、飲み出すと話が止まらない。
伝わってくるのは今の生活が好きで、他人が何を言おうが、金に困ろうがやり続けるという情熱。
金については、もうしばらく辛抱すれば年金が貰えるだろう。
国家公務員共済も付くから、生活には困らなくなる。
やりたいことをやらずに死ぬのは悔いが残る。
そんな人生は送りたくないと云うのが、俺と純子と加藤さんの結論だ。

「どんぐり村祭り」の事を話す。
此処なら幾ら音を出しても大丈夫らしい。
ちょっと遠いが、キャンプがてらやりに行く人居ない?
熱い男と話すのは気持ちが良い。
又来ることを約束し就寝。


様似へ 2011年7月30日

朝3時半に目が覚めた。
結局大雨にはならなかった。
今日は様似にチーボーに会いに行くのだ。
身支度を整え、加藤さんにお礼の置き手紙をして4時に出発。
十勝川温泉で風呂に入ろうと思う。

「かんぽの湯」に行ったら日帰り入浴は11時からだと云う。
これは予想済み、でも「大平原」がある。
前の会社にいた頃、帯広での徹夜仕事の朝は「大平原」で一風呂浴び、仮眠をしてから帰ったものだ。
でも「大平原」に着いたら様子がおかしい。
以前は浴場があった所にホテルが建っている。
建て直されてホテルになってしまったのだ。
あきらめて池田町のワイン城に行く。
朝の6時頃だから当然開いていない。
城を眺め写真を撮り様似に向かうことにした。

帯広から様似なんて近いように勝手に思いこんでいたが、加藤さんの話では札幌と帯広くらいの距離があると言っていた。
まあ、のんびりと行くことにする。
海岸沿いのなだらかな丘陵地帯を道路は延々と走っている。
ナビを見るとこの道は「ナウマンロード」と言うらしい。
ナウマン象と言えば忠類だが、このあたりだったのかと思っていたら確かに忠類の道路標示がある。

この辺りは沼が沢山ある。
その中の一つの沼に至る脇道がある。
キャンプ場にもなっているようだ。
時間はたっぷりある。
寄り道をすることにする。

突き当たると海に出た。
海岸一面に釣り竿が刺さっている。
見る限り鮭ねらいだが、こんな時期に鮭なんか釣れるのだろうかと思い、如何にも引退して年金生活送ってます風の釣り人に尋ねると、やはり、鮭釣りなのだそうだ。
波打ち際に沿って遥か彼方にまで竿が並んでいる。
泊まり込みながら釣っているのだろう、掘っ立て小屋やテントが建っている。
聞いてみると場所取り争いが熾烈で、ちょこっと来て竿を立てる場所など無いらしい。
今年はまだ一匹も釣れてないが、去年は今時期から釣れ始めて、約2ヶ月半釣り時期が続いたらしい。

浜にゴミがうち捨てられている。
しかし、ただ漂い流れ着いたゴミにしてはおかしい。
大きすぎるし量も多い。
おかしいと思ってみていたら、それは東北の津波でながされてきた物だと言う。
そういえば新しい電気釜や、錆の少ない冷蔵庫などがある。
古民家の巨大な梁や、漁港で使われていたような巨大な杭もある。
円筒ボイラーを二つ束ねたような巨大な物体も漂流物で、養殖の筏をぶら下げる為の浮子ではないかとのことだ。
こんな巨大な物まで流れ着くのかと驚く。
いずれ何処かへ片付けるために一時置いているらしい。
そういえば釣り人が流れ着いていたひしゃげた鉄板を持って捨てていたが、あれは津波の漂流物だったのか。

 


道路を挟んで沼がある。
湿原のような沼だ。
シジミが採れるという。
寄り道はしてみるものだ。
ひたすら目的地を目指しているだけでは経験できないことだ。

再び様似を目指す。
天馬ロードを通る。
右を見ても左を見ても馬牧場だ。

浦河まで来た。
博物館があったので寄ってみる。
俺は館とか園とか名の付く物が好きなのだ。
浦河の昔は農業と漁業の町だから、木製の脱穀機やら漁具が展示してある。
鋸や鉋といった大工道具、それを作るためのフイゴなどもある。

北海道の開拓には馬が欠かせなかった。
丸太を運び、木の根を引き起こし、プラウを牽き土を耕す。
今の浦河は競争馬の産地だから、馬事資料館も郷土資料館に隣接して建てられている。

そうやって館内を眺めているうちに携帯が鳴った。
チーボーだ。
用事を終えて家に帰ったから、何時来ても良いと言う。
見学を中止してチーボー宅に向かう。

こういう時ナビは便利だねえ。
住所を打ち込むだけで音声案内してくれて、目的の家の前まで案内してくれる。
格安ナビとはいえ、きちんと案内してくれたよ。
電話をかけるとチーボーが降りてきて部屋に案内してくれた。

入ろうとすると犬の鳴き声がする。
またもや純子が動物が怖いと説明し、ケージに入れて貰う。
チーボーは娘さんも結婚して家を出てしまい、今は奥さんと犬と暮らしている。
一部屋は楽器と衣装で埋まっているようだ。

飲まずに帰るつもりだったが、チーボーがビールを出してくれたのでとりあえず一杯だけ飲むことにした。
当然一杯で済む筈は無かったのだが、いざとなれば車中泊すれば済むのだから。

とりあえず乾杯をして改めて見渡せば窓の外は太平洋。
カモメが飛び、潮騒が聞こえる。
何とも贅沢なロケーションだ。
いつでも釣りができる。

防波堤があるが東日本の時はどうだったのか聞いたら、仕事で車を運転中だったそうで、目の前で置いてある車が2台流され、自分も時間がずれていたら危なかったという。
話しているうちに、帰ることなどすっかり忘れてしまった。
 
都会で働いていたチーボーが様似に帰ってきたのは、偶々里帰りしたときに様似でイベントがあり、それを見ている内にこの舞台に立って演奏をしたいと思ったのがきっかけだそうだ。
チーボー・キング・バンドはもう10年以上続いているが、その他にも幾つかバンドを作ってプロデュースしたとのことで、そのビデオを見せて貰った。
それは歌謡曲のメドレーをロック調で歌い演奏するもので、お祭りでやったらきっと受けると思われた。

チーボーは若いバンドを育てたいという思いを強く持っているようだ。
チーボーは何時も熱い。
その熱さに人が惹きつけられる。
8月6日には様似で「アポイの火祭り」が開催される。
チーボー・キング・バンドも参加するので我々も見に行くことにした。
例のごとく眠ってしまって、眼が覚めたら酒も抜けていて帰ることにした。

途中新冠に「レ・コードの湯」という不思議な名前の温泉があったので入ってみた。
露天風呂は牧場の端にあり、緩やかな傾斜で海に下ってゆく。
その先には海が見えるのだが「しゃこたん岬の湯」ほどの、圧倒的な景色ではない。
「レ・コードの湯」とは近くに「レコード博物館」というのがあって、沢山のレコードを展示しているところから命名したらしい。
道の駅の傍云々と教えられて探したが見つからなかった。
どのみち6時過ぎてたから入れなかったと思う。

そういうわけで帰ってきたのが9時少し前。
今週末は泊まることを前提に様似に行く。