旅の記録 2


藤川宿〜菰野(こもの)へ
 8月10日(土)


イプシロンの発射が8月27日に延期になった。
純子は用があり8月中には帰らなければならない。
九州からの距離を考えると発射見学はあきらめなければならない。

今日は朝から伊勢志摩方面に行こうとして高速に乗ったら事故のため渋滞していて降りるに降りられず、最初のICで降りるには降りたが今度は下の道も大渋滞。
名古屋辺りから渋滞し始め一向に進まず、工場地帯のさび付いた景色やら、都会の無味乾燥な建物を延々と眺めることになった。

気温は37度を越え、窓を開けると熱風が窓の形の固まりになって、もわーっと押し寄せてくる。
暑さはともかく渋滞はどうしようもなく、おそらく渋滞が収まるのは14、15日くらいでその前後はこんな状態だろう。

ロケット発射の見学が出来ないのならこれ以上南に行っても精神的に良くないだけという結論になり、ゆっくりと裏日本側を見ながら帰ることにした。
それで四日市のそばの菰野(こもの)という所の「湯の山温泉」のホテルで汗を流し、現在道の駅で停泊中。

本州の工業地帯を走ってみてつくづく思ったのは「北海道は良い」ということ。
ひとつの町を通り過ぎると田舎の風景が続き又次の町に入る。
めりはりがあって飽きない。

例えば名古屋から桑名、四日市と走っても、いったい何処から桑名で四日市なんだ?と判然としない。
名古屋の人間は金のしゃちほこを両肩に載せ、桑名の人間は焼きハマグリを咥えていてもらわなければ困る。
すると四日市は?というと、とりあえず石油コンビナートのタンクを頭に載せ、喘息で咳き込んでいてもらおうか。

名古屋を走っての発見は名古屋には鯉の養殖業者が多いということ。
とってもかわいらしい金魚のイラストの看板があって、あのイラストを描いた人は相当の画力と見た。
写真撮っておけば良かったが、こういう時に限って車が流れるんだよ。






菰野〜白川郷
 8月11日(日)


8月11日(日)AM3:20 菰野を出発。
渋滞に懲り、早い時間に走り出して裏日本に逃げようという計算だ。
さすがにこの時間だと車は殆ど走っていない。

関ヶ原に向かう。
5時頃に関ヶ原に到着し、スタンドで携行缶にガソリンを給油。
本当は自分では入れてはいけないのだが、店員が居ないセルフなので仕方がない。

給油後、空が明るくなってきた。
関ヶ原町歴史民族資料館は開いていないにしても、せめて戦場の場所だけでも写真に納めておきたかった。
資料館の写真と辺りの景色を撮影する。

資料館も見て置きたかったが、今は渋滞からひたすら逃げなければならない。
関ヶ原ICから名神、北陸と高速を走り「琵琶瀬周航の歌」の歌詞に出てくる琵琶湖のほとりの町、長浜を走り抜け敦賀で高速を降りたのが6時頃。

こんな時間でも高速には車が多かった。
途中のPAも泊まっていた人たちの車でいっぱいで駐車スペースが無く、そのまま通過せざるをえなかった。

敦賀の町をちょっと走って見たが特に見るべきものも無く、海岸線を北に走る。
さすがにここまで逃げると渋滞も追ってこない。
福井の道の駅「河野」に寄り炊飯器で飯を炊き、残り物のおかずで朝食。
ぴぴのケージの掃除をしてやり、車の中を掃除。

この道の駅は敦賀湾を見下ろす高台にあるものだから、湾に浮かぶ船や敦賀原発の建物も見ることが出来る。

そこを出発しそのまま海岸線を走るのも単調なので山に向かう事にした。
鯖江から福井に走ったのは8時半頃だったので車は多かったが、渋滞する程の事はない。
高速を見てもスムーズに流れている。
 
福井市から大野市に入ると小高い山の上にお城が見えた。
9時半くらいだったので資料館も開いているはずだ。
資料館に着いたら駐車場が無く、道を挟んだ市役所の駐車場に停めるらしい。

誘導しているおじさんに聞くと車を誘導してくれた。
ぴぴが鳴いたものだから「鳥かい?」と訛った口調で聞かれる。
この辺りは何弁になるのだろう。
東北の言葉は聞き慣れているからわかるが、越前の訛りは半分くらいわからない。
どうも「あんまり騒ぐと焼き鳥にしてしまうぞ。」と言っているらしい。

ちょうど近くで「とんちゃん祭り」というのをやっているらしく、余所から人が集まってきて駐車場がごった返すので整理をやっているとの事。
田舎の人は話し好きで人なつっこい。

とんちゃん祭りと云うのはとんちゃん焼きというホルモン焼き(豚?)を食べ、キリンビール(協賛?)を飲みながら騒ぐ祭りらしい。

http://tonchaaan.com/

大野藩というのは石高4万石の小大名で、天保の飢饉の時に財政が逼迫したのを、北海道との交易で立て直したらしい。

大野から九頭竜ダムに向かう。
さすがにこの時間になると車が多い。レジャーに向かう車なのか、帰省するのか分からないが、九頭竜ダムへ通ずる道に曲がると殆ど居なくなった。

九頭竜川が併走して流れているが、あゆ目当ての釣り人があちらでもこちらでも川に浸かって釣り糸を垂れている。
九頭竜のふもとの温度計は10時ちょっと過ぎに30度を指していた。
これからもっと気温が上がるだろうが、昨日ほどでは無いだろう。

九頭竜ダムは岩を積み上げて水をせき止めたロックフィルダムだった。
水量はとても多かった。

そこから油坂峠道路を下り白鳥、大日岳の道の駅に立ち寄りながら世界遺産「白川郷」に行ったのだが、白鳥から大日岳の間の山道は急峻で、途中の空き地で1トンベース車のキャンピングカーが休んでいるのを見て

「あの車ではきついよなあ」

と話していて水温計を見るとレッドゾーンに近づいている。

あわてて車のこない木陰に駐めてエンジンを冷やす。
他の車もオーバーヒートしかかっているらしく後ろに停まる。
なかなか温度計の針が下がらない。
しかたなくエアコンを切るとみるみる針が下がっていった。

適温になったところで出発。
それ以後はエアコンを切り窓を全開で走ったが、走っている分にはさほど暑さは感じない。
午後2時頃白川郷に着いたが暑さはピークを迎えていた。

白川郷の観光客は日本人を除くと台湾人のツアー客が多かったが、みんな汗だくだ。
川に架かった吊り橋を渡って郷に行くのだが、上流の温泉街から流れてくる川は川幅も水量も結構ある。

川に入って足を浸し涼んでいる大人や子供がいる。
気持ち良さそう。
郷のあちらこちらで打ち水をしている。
中には屋根全体に水を流して冷やしている建物もある。

手当たり次第に写真を撮っていたら、たまたまそこに居たイタリア人らしき兄ちゃんが「僕の事撮ってるのかい? えっ?お前じゃないって。」とおどけて言うので笑ってしまった。
イタリア語は分からないが言っていることは何となく分かる。
白川郷は一度は行ってみる価値のある所でした。

それで今は白川郷の道の駅に停泊しているのだけれど、外に出て空を見上げたら星の大きい事。
にじんでいる。
天の川も見えます。
傍を走る高速道路も車が少なくなってきて、これからもっとすばらしい星空が見えそうです。

今日は三重県〜愛知〜滋賀〜福井〜岐阜と、5つの県を走って来ました。








白川郷〜新潟県糸魚川〜姫川〜長野県「道の駅小谷」 8月12日(月)


もう渋滞に巻き込まれることも無かろうとゆっくりとして、AM7:30ころ「道の駅白川郷」を出発。
東海北陸自動車道に乗り、山を下りながら8:30に金沢市に入る。

すでに暑い。
白川郷では涼しかったが、下界のこの暑さはどうだ。
ずっと道を下り続けてきたから白川郷というのは海抜1000メーターくらいあったのかと調べてみたら、わずか470メートルだったのだがどういうわけかずっと涼しかった。

金沢では食料を調達し、コインランドリーで洗濯をし、100円ショップで必要なものを調達しようと思っていた。
ついでに車のスペアキーも作る予定だ。

何故なら純子と二人鍵を持たず外に出てキャビンのドアを閉めたら、閉めたときの衝撃の所為かドアの鍵がかかってしまった。
そのときはドアの窓が少し開いていたので、内側の網戸の網を壊しても良いと無理矢理腕をこじ入れてロックを外したが、窓が開いていなければやばかった。

それでスペアキーをウインカーのカバーを外して中に入れて置けば、最悪ウインカーのカバーを壊すだけで運転席から中に入る事が出来るわけだ。

金沢は城下町だから道が狭い。
優先度の高い洗濯のためにコインランドリーをタウンページで捜し、ナビに住所を打ち込み誘導してもらったら、とてもじゃないがモス2世号が入る事の出来ないような道に誘導される。

道路が外れたという警告を無視し続け大きな道に出て、郊外のコインランドリーにたどり着く。
純子が洗濯を終わるまで発電機を回し、エアコンをガンガン利かせながらぴぴと遊ぶ。

ぴぴは本当にお利口な鳥で、自分が今知らない土地に来ていることを知って居るらしく、外の景色を首を伸ばして覗いている。
自宅からちょっとした旅をして札幌に戻ってきて我が家の傍500メートル程に入ると今まで静かにしていたのが突然鳴き出すから、景色や、我々には分からない臭いとかを感じているのだと思う。

洗濯を終え近くのイオンで買い物をしようと思ったが10時前で開いていない。
先にブラックタンクの処理のために近くのトイレをナビで捜す。
1キロほど離れた公園のトイレで処理をしてイオンに行く。

イオンでは無くなってしまったぴぴ用のキャベツを買う。
二、三日の人間様の食料も買う。
モス2世号にははじめから冷蔵庫が付いていて、「こんなもの要らないよなあ。」と思っていたのだが、実際に使ってみるとこんな便利なものはない。
旅の形が変わってしまう。

俺の定義では旅と旅行は違う。
旅というのは移動しつつ日々の自分の生活をしてゆくもので、旅行というのはトイレや洗濯、眠る場所の心配をすることなく移動することなのだと思っている。
潤沢なお金があるならば長い旅行も出来るだろうが、俺はそうではない。
金を気にしながらあちらこちらを移動する。

生きるというのは物を喰ってウンコをする間に子供を作る事だ。
余裕があったときに自分がどこから来て、何処に行こうとしているのか考える。

旅をしているとウンコの始末が重要な事になってくる。
喰ったら出さなければならない。
この流れが滞るのは不自然な状態で、必ずしわ寄せが何処かに出てくる。

今回の旅のはじめに

「何時如何なる時にも、どんな汚い便所の挑戦でも受ける」

と心の中で決意して以来、便秘とは無縁だ。

やさしい純子は俺の健康を思い、何処でウンコをしたかを地図に道の駅のスタンプラリーのごとくウンコマークで印して来たが、このままでは日本列島が俺のウンコで覆い尽くされてしまうことを知りあきらめてしまった。

金沢では兼六園を見ようと思ったが観光客がいっぱいで駐車場があるか分からなかったし、何より気温が高すぎて純子が歩きたくないというので高速に乗り新潟県の糸魚沢で降り糸魚川をさかのぼる。

姫川の温泉を抜け小谷(なんと『おたり』と呼ぶんだと)の道の駅で停泊中。

狭い道なんだが真夜中でも長距離トラックが走っている。
このまま行くと松本市に戻るわけだが、涼しい所を行きながら行くには良いだろう。
実際富山、新潟の海岸線は単調だし、見たいと思う物も無いし、何より暑くて耐えられない。

ここは今、朝の二時半だが、寒いくらいだよ。






小谷〜黒姫 8月13日(火)

8月13日(火)小谷を出発して白馬村に向かう。
昔、中央本線の各駅停車で松本まで行った時に見えた白馬岳の姿はとても美しかった。
しかしこの猛暑の所為か山はいつもガスっていて高い山は殆ど見えない。
今日もあきらめていたのだが白馬村に着いたら、手前の八方尾根の向こうに白馬岳の頂上が一瞬見えてすぐに雲に隠れてしまった。

青木湖、木崎湖を通り大町の交差点を直進すると松本に行くのだが、左折して長野に向かう。小川村におやきの専門店があり、ここいら辺りの人は甘党が多いのだと思って道の駅に寄ってみたら「おやき」なる物が置いてあって、今川焼きだと思っていたら、野菜を刻んで小麦粉やそば粉を練って薄くのばした皮で包んで焼いた物だった。

http://www.irohado.com/

道の駅「おがわ」を出て純子が煙草に火をつけて2口程吸ったら、次の道の駅「中条」に着いてしまった。
調べるとたった2キロしか離れていない。
なんでこんなに近いところに道の駅があるのだろう。

驚いたことにさらにその先3キロほどの所にも「信州新町」という道の駅がある。

「隣の村で道の駅っつー物をこさえるらしいっぺ。噂じゃたいそう人が集まってぼろもうけらしい。おらが村も負けちゃなんね。」

と競うように建てられたのかも知れない。

補足しておくと小川村はとても素敵な田舎で、ここに泊まろうかと思ったほどだ。
ここには60センチの口径の反射望遠鏡を納めた天文台とプラネタリウムが山の上にあるらしい。

それらの道の駅をひとつひとつ巡りながら長野に着く。
道なりに進むと善光寺を通り過ぎるが、牛に引かれないと上れないような所は純子の膝が許さないと通過したが、この諺はそういう事では無いらしい。

http://www.zenkoji.jp/houwa/index1.html

小布施ICから高速に乗り豊田飯山で降り、信濃川に沿って小千谷に向かおうと思って近くの道の駅「ふるさと豊田」に寄るが、特に珍しい物は無い。
暑さの所為か目眩がし始めたので、1時頃ではあったが近くで泊まろうと思った。

黒姫へ行こうと思い高速に乗る。
高速は上り坂でエンジンは唸りまくるが全く速度が上がらない。
水温計の針はどんどんレッドゾーンに近づく。
ようやく頂上に登り切った時にエアコンを入れていたことに気がつく。

エアコンを入れるとパワーダウンするから切って窓を開けて走っていたはずが、いつの間にか入れてしまっていたらしい。
エアコンを切ったら針はすぐに下がってきて、その後は快調に走るようになった。
急な坂道は要注意だ。

黒姫高原に行く前に野尻湖に寄る。
野尻湖はナウマン象の化石が見つかった場所で、その資料館がある。
しかし象なんか見ても仕方が無いので湖だけ眺めて黒姫高原に向かう。
わずか4キロほどの所だ。

黒姫と言えばC・Wニコルさんの住んでいる所だ。
ニコルさんは黒姫に家を持ちながらスペインに別荘を持っている。
こここそ別荘みたいなものだが。

黒姫高原では愛知工業大学の運動部の学生達が合宿しているらしく、真っ黒に日焼けしたがたいの良い兄ちゃんが集団でうろつきまわっていた。
やはり合宿は涼しいところでないと。

そもそも白川郷にしても、小谷にしても、この黒姫高原にしても猛烈な暑さから逃れるために選んだのだ。
黒姫高原のスキー場に向かう坂の途中には別荘やら、しゃれたレストランなどが立ち並び、近くには「モモ」のミヒャエル・エンデの資料を集めた童話館もある。

高原を見てまわり元来た道を降り、道の駅「しなの」で停泊中。
目眩は車で休んでいるうちに直った。
今真ん前に黒姫山が見える。
ガスっぽいが全体が見えている。

夜にはガスが消えると思うから星も見えるかも知れない。
うまくすればペルセウス座流星群が見えるかも知れない。


 

黒姫高原〜裏磐梯へ 8月14日(水)

8月14日(水)AM7:00黒姫高原出発。
昨夜は夜中寒くて眼が覚め布団を取り出して眠った。
上信越自動車道の豊田飯山のIC入り口まで降り、高速に乗らず千曲川に併走する117号線を新潟に向かって走る。

高速にあえて乗らなかったのは千曲川を見たかったからだ。
長野県を流れている時は千曲川で、新潟県に入ると信濃川と名前が変わる。
「花の駅千曲川」「信越さかえ」と道の駅に寄り道しながら行く。

栄の辺りでは電柱に張り渡した仮設の電線に電球とスピーカーがつけられ300メートル程連なっていたが、夜に花火大会でもやるのかも知れない。
津南町(つなん町)を通り、十日市の道の駅「クロス10十日市」に寄る。

この辺りは小千谷ちぢみ等が有名な織物の町だ。
道の駅も着物などを展示した建物に隣接して作られていて、美術館のある建物の中庭は浅いプールになっていて布を使った近代アートが飾られていた。

売店の壁に眼鏡をかけて笑っている男の写真が飾られていて、何処かで見たことがあると思ったら立正佼成会の創始者である庭野日敬だった。
新潟県中魚沼郡十日町大字菅沼(現・新潟県十日町市菅沼)が出身で、我が家の親父方の先祖もこの町の出身だと思う。

自衛隊にいた時、俺と同じぺーぺーの二士だったのにすでに結婚していて子供がいて、営外から通勤している男がいた。
歳も同じくらいだったが妙に老成した男で、煙草ではなくパイプを吹かしていた。

その男が立正校正会の信者だったのだが、彼が宗教に導かれていったのは部落出身だというのが原因だったと思う。
部落出身というのは彼の精神形成に負の影響を与えていたらしく、それが原因で電車の中でウンコを漏らしてしまった事があると言っていた。

ウンコを漏らしてしまった事と、部落出身とどのような関係があったのかそのとき彼は説明したが忘れてしまった。
いずれにしても信仰により劣等感を克服し、奇妙に物静かで、知的で、老成した若者になっていったらしい。

小千谷市の越後川口のICから北陸自動車道に乗る。
長岡市に入ると高速道路のフェンスに錦鯉のイラストが描かれている。
長岡は錦鯉の養殖で有名らしい。

そういえばつげ義春の「ほんやら洞のべんさん」の舞台はここでは無かっただろうかと調べてみたら十日町だった。
べんさんは民宿を経営しているのだが、面白くないことがあって親戚の錦鯉を盗んで食ってしまうのだ。

見附市、金物の三条市を通り新潟へ。
新潟で一度降りて純子に佐渡を見せるつもりだったが、日本列島ゆであがって地面から湯気が沸き立っているので良く見えないだろうということで、そのまま磐越自動車道に入り一気に会津若松へ。

会津若松ではお約束のご当地ソング

「めでためでたーのわかーまーつーさーまーーーよーーー♪」

と歌ったら純子が

「何だ、そっちの方?『会津磐梯山はたかーら−のーやーまーよー♪』かと思った」

と言うのでそれも歌う。

食料も酒も払底してしまったので市内のスーパーで仕入れ、グーグルアースで標高の高い道の駅を調べ桧原湖の畔の「裏磐梯」の道の駅に行くことにした。
ナビに打ち込むと二つのルートが見つかって、迷った末に磐梯山ゴールドラインという有料道路を通ることにした。

麓の「ばんだい」の道の駅に寄ってみると人と車でごった返していた。
いずれにしても山道で大変だろうと覚悟して登り始める。
案の定急な坂道が続き非力な「モス二世号」は汗をかきながら休み休み登ってゆく。

有料道路であるゴールドラインの入り口と分岐してホテルに行く道があって、日帰り入浴が出来ないものかと行ってみたら大層立派なホテルで日帰り入浴なぞやって居ないと言う。

それで引き返しゴールドラインに入るが、何故か開放日ということで無料で入る事が出来た。
急な曲がりくねった坂道を後続の車に道を譲りながら登ってゆく。
途中のパーキングで写真を撮るが相変わらずガスっていて綺麗に見えない。

ようやく頂上に着いて下り坂となったが今度はいくら下っても道の駅にたどり着かない。
道の駅の標高は850メーターほどだから、これだけ下って着かないというのは峠は1000メーターを超えて居たのではないかと後で調べたら、確かに1100メーターくらいあったらしい。
モス二世号、良くやったと褒めてやったよ。

道の駅の場所を確認してから近くのスパへゆく。
駐車場で風呂の準備をしていたら、中年男が車の後ろに積んである発電機の消音ボックスを体を折り曲げて食い入るように眺めて、消音ボックスなのかと聞く。

何でも彼もボックスを何個か自作したのだが、発電機が熱を帯びてだめだったという。
このボックスは強制排気のACファンが4個付いていて運転中に内部が高温になることは無い。
でも停止するとファンも止まるので内部が熱を帯びる。
だから停止後は蓋を開けて冷やすようにしている。

元々ネットで拾った情報を丸写しにして作った物なので、そのHPの検索方法を教えると、もう一度挑戦してみると言っていた。
今回の旅では似た作りだが、強制排気ファンを使わず吸気排気とも自然循環と覚しきボックスを使っている人も二人ほど見て、二人とも全く同じ形だったから何処かにオリジナルが公開されて居るのだろう。

札幌ナンバーのキャンピングカーというのは珍しいらしく、風呂上がりの家族が見ていたり、驚いたりしていた。
旅をしない人は「ずいぶん遠くから、、、」と思うのだろう。

風呂から上がり道の駅に戻って眠る支度をする。
だんだん人が増えてくる。
バンコン、キャブコン、普通の車、、様々な車が泊まりにやってくる。
我々は疲れがあって一度眠ったが、外の音に眼が覚める。

外に出てみたら星がいっぱい。
天の川がくっきりと見える。
星が流れる。
そうだペルセウス座流星群だ。

それを見るために人が集まって居るのかも知れない。
この星空を見ないのは損と、純子を起こす。
椅子を出し空を眺める。

背後の森の中からざわめきが聞こえる。
小川が流れているらしい。
黒い杉林が白い天の川を突き上げている。