旅の記録 3
裏磐梯〜山形県「いいで」 8月15日(木)
8月15日(木)裏磐梯の道の駅を出発し喜多方へ。
喜多方への道の方が傾斜が緩やかなのだ。
喜多方から会津若松へ行き、会津城や飯盛山を見ようと思ったのだ。
喜多方といえばラーメンだが、ラーメンほど個人の好みによって評価が左右される食べ物はない。
悪いが俺の舌には、行列してまで喰いたい食べ物ではない。
もっとも食べ物に限らず行列という物が一番嫌いなのだが。
もう洗濯をしなければならなかったのでコインランドリーをナビで検索するとすぐにヒットした。
こういう田舎町の方がコインランドリーを捜しやすく、しかも駐車場が広くて都合が良い。
洗濯を終え会津城や飯森山へ向かうがお盆である上に「八重の桜」の所為か、人も車もいっぱいだ。
あきらめて米沢に行く為に又喜多方に戻る。
「喜多の郷」「田沢」の道の駅に寄りながら山形県米沢市に到着。
上杉博物館を見る。
やはり人は多かったが、こちらは駐車場も広く車を隅の方に駐め、発電機を回しエアコンを効かせた状態でぴぴを車内に残し出かける。
とにかく暑い。
後で聞いたら36度を超えていて、山形の今年の最高気温だったそうだ。
いつも暑さの最前線にいる。
博物館を出てグーグルアースで最も標高の高い道の駅を今晩の宿泊地にしようと探す。
どれも似たり寄ったりだが、一番高い飯豊町(いいでちょう)の「いいで」に向かう。
途中「いいで添川温泉しらさぎ荘」で汗を流す。
http://www.iide-shirasagi.com/
道の駅「いいで」はかなり大きな道の駅で、駐車場も広かったが一番端の所に駐めて停泊する事にする。
隣は墓地だ。
その所為もあってか、あまり車が駐まっていない。
何故かエアコンが送風しか働いていない。
おまけにWIFIが繋がらない。
昨日もそうで、結局ネットに繋げられなかった。
さっきぴぴが寝ぼけたのか暴れ出して眼が覚めてネットを試してみたらこうして繋がった。
今日も山形は昨日と同じくらいの暑さなのだそうで、また何処か涼しいところを捜して旅をしよう。
飯豊(いいで)〜鳴子 8月16日(金)
8月16日(金)山形は昨日に続き36度超えの予想。
飯豊(いいで)町を出発し山形県上山(かみのやま)市の斎藤茂吉記念館へ。
開館は9時なのだが7時前に着いてしまった。
1時間ほど建物の外を散策する。
http://www.mokichi.or.jp/
茂吉はもちろん、輝子さん、茂太さん、北杜夫(宗吉)、、みんな亡くなってしまっている。
館内のポスターを見たら北杜夫の娘さんの斉藤由香さんが講演をやるとのことで写真が載っていた。
初めて顔を見たがお父さんそっくりだ。
そしてその顔はお婆さんの輝子さんに似ている。
血というものは連綿と受け継がれてゆくものだ。
茂吉は晩年「永井ふさこ」と恋愛をするわけだが、そのふさこの写真も初めて見たが、たまたまうまく撮れた写真を使ったというので無ければ、老いらくの恋もむべなるかなという美人だわ。
死に近き 母に添寝のしんしんと 遠田のかはづ 天に聞こゆる
の生家は、この記念館のすぐ傍にあったらしい。
その当時はそんな静かな田舎だったかも知れないが、今では道路に沿ってラーメン屋があったり、コンクリート作りの学校があったりする、無数に通り過ぎてきた田舎の風景のひとつに過ぎない。
茂吉記念館のある「かみのやま」から山形市街を抜け天童市に向かう。
この辺りは盆地だから11時半頃には34度になっていた。
道の駅「天童温泉」もお盆休みの事とて、車と人でごった返していた。
何とか車を駐め用を足して帰ると、道を挟んだ隣に「かっぱ寿司」を発見。
北海道では「かっぱ寿司」を見かけた事が無いから、帰るまでに一度入ってみようねと話していたので入ってみた。
正直あんまり期待していなかったんだよ。
たぶん各自のカウンターの上に設えられたモニターをタッチして注文するのだろうが、よく分からないので流れて来る物を適当につまんでいたのだがどれも旨く、中でもとろサーモンは絶品だった。
鮭のハラスなのだろうが、北海道の寿司屋で食べた事が無い。
ハラスとかカマとかは本当に旨い。
最後はもちろんカッパ巻きで締めたよ。
カッパのすし職人に叱られるからね。
ところが「かっぱ寿司」をうたっている割に、カッパ巻きがなかなか回ってこないんだよ。
天童から尾花沢、鳴子温泉に行き案内の標識のままに温泉街に入ってしまったら身動きが出来ないくらいの道の狭さ。
何とか来た道を引き返しスタンドで燃料の補給。
スタンドの人に駐車場が広くて駐めやすい温泉を紹介して貰ったのだが、これがちっとも。
絶対すれ違うことが出来ない道を通り、フロントの案内係が誘導するために飛び出して来るような狭い駐車スペースに誘導される。
この辺りの人のゆったり感覚は北海道人とはかなり違うらしい。
おまけに帰る時に気づいたのだがすぐそばの斜面に東北電力の発電所があり、発電に利用した水を川にはき出すためのパイプが駐車した地面の下に埋まっていて、2トンを超える車両の駐車を禁止する看板が掲げられていた。
モス2世号は3トンを超しているのだ。
温泉を出て今晩の宿泊地の道の駅「あ・ら・伊達な道の駅」に到着。
こちらも混みまくっていて臨時駐車場になんとか駐車する。
しかしここを選んだのは大失敗。
海抜がわずか80メートルしか無い。
昔仙台に居た時にも鳴子は来た事が無かったから、こんなに低いとは知らなかった。
何となく秘境のイメージがあって、標高の高い所を想像していたが里だった。
結果、零時半で車内は29度。
鳴子〜雫石 8月17日(土)
鳴子は夜も暑くてエアコンを回しっぱなしで寝た。
やはり睡眠不足だ。
8月17日(土)AM7:00 鳴子を出発し平泉の中尊寺へ。
中尊寺に着いたのは8時45分頃だったが、もう結構な数の車が駐車している。
途中の高速もかなり車が走っていた。
お盆の為だけではなく週末の所為もあるだろう。
中尊寺は俺は30年近く前に一度来ているが、純子は初めてだ。
駐車場から境内まで800メートルの距離の坂道を歩くのが大変だ。
中尊寺から花巻の宮沢賢治記念館へ。
入り口から駐車場までの坂が急で車が登らない。
おかしいと思い見たら、やはりエアコンが入っている。
エアコンを切った途端スムーズに登り始める。
たいして冷えないのに、こんなにエンジンに負荷がかかるのはおかしいんじゃないか?
今回の旅は猛烈な暑さの中エアコンを効かさず、窓からの風だけで走っている。
宮沢賢治記念館を出て東北自動車道を引き返し、北上ジャンクションから秋田自動車道へ。
大曲で降りる。
田んぼの中を走る道ですでに34度。
先日の山形でのニュースで、秋田県は海が近いから何度か涼しいなどと言っていたが、その言葉を間に受けてやってきた俺が馬鹿だった。
所々に花火大会の道案内の立て看板があり、河原では人々が駐車場のスペースを区切るラインを引いていた。
スタンドに寄った時にお姉ちゃんに聞いたら24日が花火大会だという。
大曲の花火大会と言えば全国的に有名だ。
一週間も前から準備を始めているらしい。
秋田美人と言うがそのお姉ちゃんも肌の色が白く、虹彩の色が薄く青っぽい。
秋田人にはコーカソイドの血が混じっているらしい。
肌が白くて顔立ちのはっきりした美人は秋田では良く見かける。
他に給油に来る客もいないし、お姉ちゃんも話し好きなので先日の集中豪雨の事を聞く。
ここは集中豪雨のあった仙北市の隣なのだ。
峠を越えた向こうは宮城県の雫石で、そこに道の駅があって、あの日スタンドに寄った客が行けるか聞いてきたので閉鎖されていますと伝えたという。
地震の事とか給油そっちのけで話してすっかり時間を取ってしまったが、こういう情報はあとあと為になる。
角館に向かう。
ついに36度を超えた。
行くとこ行くとこ猛暑が付いてまわる。
途中の道の駅「なかせん」に寄る。
ここは元大工さんが作った「どんぱん節」の発祥の地らしい。
うーちの 親父は禿あたまー 隣の親父も禿あたまー
はーげとはげとがけんかーしーてー どちらも怪我ねで(毛が無くて)よーかあったねー ♪
という部分しか覚えていないが、様々な歌詞があるようだ。
角館の武家屋敷は初めて来たのだが、時代劇の中でしか見たことのないような町の風景が新鮮だった。
一軒ぐらいは中を見てみようと入場料を払い青柳家の建物の内部を見たが、武士の生活というのは質素なものだ。
角館から涼しく眠れそうな所を目指し田沢湖方面に向かったが当ては無い。
そこでガソリンスタンドの姉ちゃんと話した「雫石あねっこ」の道の駅を思い出す。
ここは道の駅の地図によれば標高290メーターある。
少しは涼しそうだ。
今日は晴れていて雨も降りそうに無いから大丈夫そうだ。
そこをナビに入れると一度角館方面に引き返し、農道を走って46号線に出て仙北市に出た。峠を越えると盛岡県の雫石になる。
下るにつれ先日猛烈な集中豪雨で被害が出た地区に入る。
土嚢を積んで道路を修復中だった。
土砂崩れでガイドレールがねじ曲げられていたり木が流されて来ていたりしていた。
道の駅の少し上の辺りまで被害は及んでいたが、道の駅自体は被害が無かったようだ。
この道の駅には風呂があるので風呂に入って酒を飲みながらネットに繋げようとしたが繋がらない。どうもWIFIというのは不安定で、山の中ではどういう訳か繋がらない。
あきらめて眠ろうとするが気温が下がらない。
道の脇に温度表示があるのだが、明け方になってようやく21度まで下がった。
雫石〜奥入瀬 8月18日(日)
岩手県雫石の道の駅「雫石あねっこ」を出発し、昨日来た道を峠に向かって行く。
改めて集中豪雨の被害を見てみると、やはりすごい。
峠のトンネルを抜けると秋田の仙北市に入り下り坂となる。
分岐点の田沢湖駅の傍にコインランドリーの看板を見つけ行ってみると、工事現場で使うプレハブ小屋に洗濯機や乾燥機を置いた物が道路脇の空き地に置いてある。
すでに先客のおばさんがいたが、こうやって見てみるとどんな小さな田舎町にもコインランドリーはあるし、必要とされている物なのだと思う。
たとえば布団の洗濯や乾燥は家庭の洗濯機では無理だし、梅雨の季節などは多量の洗濯物を早く乾燥させる必要があり、コインランドリーを利用するだろう。
ナビではなかなかヒットしないが、捜しているうちに自然と見つかってしまうのが不思議だ。
洗濯をしている間田沢湖駅に行ってみる。
この駅は秋田新幹線の停車駅になっているらしく、駅前にはこじんまりとしているが土産物店が並んでいた。
洗濯を終え車内に吊して田沢湖に向かう。
田沢湖は日本で一番深い湖だそうで(423.4m)二位が支笏湖(363m)三位が十和田湖(327m)になるらしい。
本州の湖には何処でもスワンボートが浮かんでいるのは何故か。
なるほど湖だなあと思うが、それ以上の感慨は無いので引き返す。
途中辰子姫の像があった。
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Rally/4569/tatukohime_densetsu.htm
田沢湖から玉川ダムに向かう。
玉川ダムは自重で川の水をせき止めるコンクリート式重力ダムだ。
入り口の看板を見ると、事務所に頼めば内部を見学出来るらしい。
ダムの内部には監査廊、または通廊(つうろう)という、ダム点検用の廊下があるらしく、一度見てみたいと思っているのだが、ダムによっては見ることが出来るようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=MAjZOgjo9TU
玉川ダムを越えてゆくとカーブの所に一軒の家があり、クロネコヤマトの配送のトラックが駐まっていた。
運転手が車の陰から出てきたから車に乗るのだなと思った。
すると又車の陰に戻ったので忘れ物でもしたのかと思いすれ違いざまに見たら、その配送先の年の頃なら70前後、眼鏡をかけ日焼けしたやせ形の農家の親父に呼び止められていたとわかった。
「いつもいつもこんな山の中に、配達に来て貰ってすまないねえ。あんたカボチャ喰うかい?今ちょっと取ってくるから持って行きなさい。と言われていたね。間違いない!
」
と言うと純子が
家に帰ったら「あんた、たまには野菜じゃなくてお金を貰っておいで。」って言われてるよ。
すれ違う1秒間でこれだけの事を推察する我々はシャーロックホームズ
やエルキュール・ポアロ以上の名探偵になれるかも知れない。
玉川温泉へ向かう坂道は「モス2世号」には辛いものだった。
玉川温泉との分岐点を越えても坂は続き、一体何時下り坂になるのだろうと不安になる。
今から40年以上前、玉川温泉の湯治場に親父を迎えに行ったことがあった。
親父は前々から胃痛持ちで胃腸薬を飲んでいたが、ある日どうにも我慢できなくなって近所の病院に行ったところX写真と紹介状を持たされ、札幌国立病院に行くように言われた。
病院が嫌いな親父が珍しく行った病院でそんなことを言われたものだから驚いて、封をした写真の封を開け灯りに透かして見たが何も分からず、とりあえず病院ではなく玉川温泉に逃亡してしまったのだ。
半信半疑ながらも胃がんじゃないかと思ったのだろう。
母親から連れ戻して病院に行くよう説得してくれと言われ迎えに行ったのだ。
説得して連れ戻したのだがもう末期のがんで、すぐに亡くなってしまった。
そんな事を思い出しながら麓に戻る道を走った。
親父は車で来ていたのだが体力が落ちていて俺が運転したのだが、こんな狭い曲がりくねった道を運転したことが無く、結局親父が運転して帰って行った。
たぶん親父もピロリ菌を持っていたのだろう。
俺も持っていたが除去に一度失敗して、二度目に薬を代えて退治できた。
それ以来胃痛は無いが、そうでなければ胃がんになっていたかも知れない。
ようやく峠を越え麓の方にやってきたら、足湯を出来る場所があった。
道を挟んだ向かいの不動産屋が提供しているらしい。
足湯を出て十和田湖に向かう。
十和田湖にもおきまりのスワンボートがあったが、風が強く三角波が湖面には立っていて誰も乗っている人はいない。
十和田湖の湖面には秋田と青森の県境があるのだが、すぱっと一直線に切ってあるのではなく奇妙にカクっと曲がっている。
奥入瀬渓流へ。
十和田湖に向かう山道で後方から何度も覆面パトカーや、普通のパトカーがサイレンを鳴らして追い抜いていったが、十和田湖外輪山の発荷峠の展望台の案内係の婆さんが麓に電話をかけて、7台もパトカーが走って行ったけど、一体何事が起こったのかと聞いていた。
軽トラックがどうかしたらしい事だけ盗み聞きした。
奥入瀬へ向かう途中で警察官が交通整理をしていて、見ると軽トラックが中央分離帯に突っ込み左前タイヤがバーストして横になっていた。
様子から見て札幌だったらごく普通に見る風景だが、田舎では大事件らしく
「すわ!一大事!」この機会を逃したら一生パトカーのサイレンを鳴らして走ることはないぞと、何でもかんでも出動させたらしい。
奥入瀬渓流は秋の景色がすばらしいが、この季節もそれなりに美しい。
初めて見る純子は感激していた。
奥入瀬から弘前に行くか十和田に向かうか迷ったが結局十和田を選び、現在青森県の道の駅「奥入瀬」で停泊中。
道の駅「奥入瀬」〜十和田市 8月19日(月)
8月19日(月)AM6:00道の駅「奥入瀬」を出発。
今日は三沢の航空博物館に行く予定だ。
十和田市に向かう途中に名水百選に選ばれた「沼袋の水」という看板を見つけその道を行くが、住宅街みたいな場所になってしまい結局何処にあるのか分からなかった。
それで本来ナビが指定した道ではないところを通り、十和田市の官庁街を走る広い通りに出る。
この道は「道百選」なる物に選ばれているという看板がある。
官庁街の広い通りの両側には馬の像や蹄鉄を模したオブジェが立っている。
調べると幕末の頃から馬市が開催され、明治になると三本木に陸軍の軍馬の育成所が出来、高い値段で買い取られた為、産馬熱が高まったという。
そんな町のストリート(ストリートという言葉が似つかわしい道だ)を走っていると、純子が
「今凄い派手で巨大な馬がいた!」
という。
何の事かよく分からないが、迂回してもう一度走り直すことにした。
「ここに普通の馬の像があって、その先に、、、ほらあった!凄いでしょ!」
と言うので見ると、成る程、派手で大きくて凄い。
雨が降っていたが興奮して車を降り写真を撮っているうちに、他にもいろいろな像が立っていることに気づき、ますます興奮して写真を撮りまくる。
なんてポップでキュートなアートなんだい。
杉浦茂の世界じゃないか!
たまたま我々が停まったのは十和田市現代美術館の建物の前で、道路を挟んで向かいがアート広場になっていた。
http://towadaartcenter.com/web/museum.html
省庁の再編成により官庁街通りに空き地が出来、そこを利用して通り全体を美術館にしてしまおうという事でこのような空間が作り出されたらしい。
このような大きな展示物が町の一角を占めていると異様に感じる。
凄いインパクトがある。
十和田市、凄いぞ。
青森県立三沢航空科学館
三沢から「あまちゃん」の久慈へ。
純子が見ているから喜ぶかなと思ったのだ。
久慈のホームセンターに寄り、車のスペアキーを作る。
閉じこめられた時に使う非常用だ。
このホームセンターにはどういう訳だか「鶏の餌」なる物が販売されていた。
各家庭で鶏を飼っていて、食べ頃になったらつぶしているのだろうか。
きっとこの辺りの人は何処のホームセンターでもそんな物を売っている物だと思っていて、他の場所に行くと不思議に思うのかも知れない。
久慈の道の駅には昭和のレトログッズを展示しているところがあるらしく、見たかったのだが「あまちゃん」ブームで駐車場がいっぱいで入れず、そのまま山へ向かい道の駅「白樺の里やまがた」に向かう。
何故ここを選んだのかというと、お察しの通り標高が270Mあり涼しそうだったからだ。
久慈渓流に沿って走るが、実に美しい景色だった。
今日は思いもかけず感激する事が多い。
純子はスーパーで食料を揃えたかったらしいが、どんどん山道になってきてスーパーマーケットなどがある景色ではない。
やがて道の駅に着いてみると、なんと隣にスーパーマーケットはあるし、ガソリンスタンドはあるしで何も困らない。
美容室まであり、時間は有り余るほどあるから純子はカットとパーマ、ついでに髪を染めてもらった。
これで風呂があれば最高なのだが、残念ながら近くに温泉は無いようだ。
昨日はここで「ガタゴン祭り」という夏祭りが催されていたらしい。
相撲取りなんかも来て大賑わいだったらしいが、ガタゴン祭りってなんか訳の分からない手のような模様が押された旗が立ってるし何なのだろうと思ったら、地元で足跡だけが見つかったUMA(未確認生物)らしい。
その足跡がガタゴンのシンボルらしいのだ。
今は20日の2時を過ぎた。
もう旅も第三コーナーに入る所だ。
パチンコの玉の様にあちこち引っかかりながら、猛暑が収まった秋田方面に行こうと思う。