旅の記録 4 


「白樺の里やまがた」〜「「やたて峠」
 8月20日(火)


8月20日(火)だんだん出発が遅くなってきて今日は8時を過ぎた。
ずーっと雨に遭わなかったのだが、昨日から雨に降られる様になった。

「白樺の里やまがた」を出発し281号線を岩手町に向かって走る。
道の駅「くずまき高原」を越え岩手銀河鉄道にぶつかり、左折して道の駅「石神の丘」で休む。

純子が無洗米を買いたいというので近くのスーパーに行くが、10キロの袋しか無い。
持ってきた物は2キロで、せいぜいあと2キロもあれば十分なのだ。
またイオンでもあるだろうと石川啄木記念館に向かう。

石川啄木記念館の手前にショッピングモール街がありイオンもあったが、ここでも無洗米は5キロの物しか無かった。
仕方なくそれを買う。

実際に旅をしてみなければ分からないことは多い。
無洗米の2キロ詰めなど当たり前にあると思っていたがそうではない。
他にもWAFI等は使えないと分かった。
殆ど繋がらない。
ネットに繋げる方法を考えなければならない。

石川啄木は26歳で亡くなったらしい。
最愛の妻も後を追うように亡くなった。
妻以外の女性との恋愛感情を歌にしているが、どうも創作の起爆剤として無意識か意識的にか分からないが恋愛をしていたような気がする。

ずいぶん若くして亡くなったように思うが、こういう人たちはこの世で成すべき事を成し終えたので還っていったのだと思う。

東北自動車道滝沢ICから大館に向かう。
標高が低くて暑さから逃げる場所のない秋田を、猛暑も少しは収まったので見てみようと思ったのだ。

札幌を出発してから5000キロ近くになり、エンジンオイルの交換時間に達した。
ちょうど大館辺りになるだろうと思っていたら、大館のENEOSに着いた途端ぴったり5000キロになった。

エンジンオイルを交換し、燃料を補給し、向かいたい方向ではないが少しでも涼しいところをという純子の希望に沿って弘前に向かい道の駅「やたて峠」で停泊。
ここはホテルに隣接しており温泉に入れる。
入浴料は300円だ。

入浴券を買う時に純子は一人600円と勘違いして1200円を入れ、出てきた券をフロントに持って行ったら次に券を買った人がおつりを取り忘れていると言う。
純子はおつりをお礼を言いながら受け取ったが怪訝な顔をしている。
確かに300円じゃ銭湯より安い。

風呂は鉄分を含んだ水で、汲み上げた当初は無色透明だが空気に触れると鉄が酸化してさび色になるらしく、赤く濁って浴槽の底が見えない。
入る時にはつま先で探りながら入る必要がある。

風呂から出て車の外にテーブルと椅子を出し食事をする。
今晩の宿泊者は軽トラックの荷台に居住スペースを積んで犬と共に旅しているらしい男と、日産キャラバンと、後からやってきた秋田ナンバーのキャンピングトレーラーらしい。

軽トラは着いた時にはすでにいて、中型犬は車の下の地べたが冷えていて気持ちが良いらしく寝そべっていた。
性格の良い犬だなと思う。
犬だろうが何だろうがどんな奴かは分かる。

そのうちキャラバンの男がやってきた。
おしゃべり好きらしい。
大阪から妻と孫を連れて初めて道東を巡り本州に戻ってきた所らしい。
道東の涼しさに慣れてしまって、青森は24度くらいだったのだが暑く感じたらしい。

逆に我々は37度とか39度とか「猛烈な」と現地の放送が話す暑さを経験したから、涼しく感じる。
目的が無ければ真夏の本州なんか行くもんじゃない。

外にいて体が冷えてきたのでもう一度風呂に入った。
なにせ300円だから。








「やたて峠」〜「十三湖高原」 8月21日(水)



8月21日(水)「やたて峠」から一旦大館に引き返す。
大館から道の駅「たかのす」「ふたつい」と寄って、秋田県の能代市に着く。
能代市の郊外型ショッピングモールのコインランドリーで洗濯を終えたのが10時すぎ。
空は夏の雲と秋のすじ雲が混じった不思議な青空だ。

JR五能線は青森の内陸五所川原と、秋田の能代をつなぐ鉄道で、その行程の大部分を日本海の海岸線を走っている。
その五能線に併走する国道101号線を北上する。

道の駅で言うと「みねはま」「はちもり」を通過する。
八森の海岸線のおむすびみたいな形をした小さな山には「八」の模様が浮き出ている。
そこだけ芝生を植えているのだろうか。

八森の岩館海岸は北海道でいうと「神恵内」の海岸に似た岩場の連なった海岸である。
もう40年以上前に、この道をバイクで反対方向から大館に向かって旅をしたことがある。

白神山地を右に見ながら北上する。
これまたその時の旅で一泊した十二湖に寄ってみる
その時の旅は全くの思いつきで、友人を乗せ途中で材料を買い十二湖のキャンプ場で飯ごう飯と豚汁を作って食べた。

その時たまたま買った材料にサツマイモがあったので豚汁に入れたら甘みが出てとても美味しかったので、我が家の豚汁にはサツマイモが入るようになった。
おそらく一緒に行った友人の家の豚汁にもサツマイモが入るようになったと思う。

その友人は家庭教師のバイトで教え子に手を出したり、学校の生協で家電製品を万引きする様な悪い奴だったが無事卒業し公務員となり、スキー好きの美人と結婚し一緒にバイクツーリングをし始めたのはその時の旅の影響だと思う。

その時の旅ではダンプに轢かれそうになったり、八甲田の山の中で雨に凍えながら走ったり凄く刺激的な思い出が残っている。

「ふかうら」の道の駅で食事をする。
純子は醤油ラーメンを、俺はカレーライスを注文する。
いずれも安い。
しかし量は我々にしてみれば多い。
でも味は悪くない。

道の駅の裏は海水浴場みたいになっていて親子連れが水遊びをしている。
サンダルを履いたまま海に入る。
水が生温かい。

ひなたぼっこにしては暑すぎると思うのだがお婆さんが二人、敷物を敷いて日傘を差しながら座って海を眺めている。

深浦から洗濯板が連なったような岩場の続く千畳敷の海岸を通り、津軽半島の根元で温泉を見つける。
「海のしずく」という名前の、今年の6月10日にオープンしたばかりの温泉だ。
隣にグループホームの建物があるから同じ経営者なのかも知れない。
入浴料は350円だったから銭湯並なのだろう。

風呂から上がり海風を受けているのが心地よい。
積乱雲がもくもくと沸き立っているのは岩木山の上空で、山の斜面を駆け上った気流が断熱膨張して飽和水蒸気を作り、雲となって岩木山の山塊を包み込む。

一面の青空の中に立ち上がった積乱雲の頂が夏の光を受けて明るく輝いている。
しかし地上を見ればススキの穂が草むらに混じり、かすかな秋の気配も感じられる。

交差点を左折し十三湖に向かい北上する。
途中遮光式土器の出土した「亀が岡遺跡」を通る。
遮光土器の像が建っている。
良く見ると可愛らしい。
この辺りには縄文時代の末期には人が住んでいたのだ。

平坦な水田地帯を走り、十三湖の畔の道の駅「十三湖高原」に着いたのが16時。
ぴぴが眠るための食事を始める時間だ。
ぴぴの為16時までには宿泊地に着く様にしている。

お盆も過ぎてこんな本州の盲腸の様な半島の先に停泊する観光客も居らず、我が家で月灯りに照らされた駐車場を独占している。
なんて贅沢なんだい?

  






十三湖〜大間  8月22日(木


8月22日(木)十三湖高原出発。
この十三湖の道の駅は黒べこを模していて、換気口でこさえた目玉がしょぼしょぼしていて可愛い。

十三湖は市浦村に属していて、今はリンゴ農家をやっている田中が教師として最初に赴任したのが市浦村の相内だった。
その当時はあまり牛の事は聞かなかったが、40年も経てば村の主産業も変わるのだろう。

市浦村を出発し小泊、竜飛岬と津軽半島の北端を目指す。
小泊の権現岬は徒歩で急な坂を登らなければならず、膝の悪い純子では無理だろうということで竜飛岬を目指す。

小泊の海岸線を走りながら、昔田中と来た寿司屋は何処だろうと探す。
すぐ裏が海で、潮騒を聞きながら酒を飲んだ記憶がある。
でももうどこだか分からない。

「スナック純」という新しめの看板を見つける。
こちらの純子さんは新装開店したのだろうか。
小泊に泊まるのなら絶対飲むところだが。

道の駅「こどまり」に寄るが、ここにもゴミ箱がない。
北海道の道の駅や世界遺産の白川郷、そして東北の道の駅にはゴミ箱が無く、各自持ち帰ってくださいという。

自動販売機で物を売っておいて、そのゴミを持って帰れというのはおかしいと思う。
世界遺産になったからゴミ箱からあふれるゴミを外国人観光客に見せたくないというのならおかしな話だ。

白川郷の水なんか1本150円も取ってるんだぜ。
ぼりすぎだと思わないかい?
その金で余所の観光地の何倍もこまめに掃除をして綺麗にすれば、もっと客が来るんじゃないのかい?

人が来ればゴミが出るのは当たり前だ。
人が来ることによって潤っているのに、人の出すゴミの始末はしませんというのは、観光客は食べ物を食べて金を落としてくれれば良いんで、ウンコなんか余所でやってくれと言わんばかりだ。

世界遺産だから云々ときれい事を言ってるが、実際はゴミ処理に金をかけたく無いんだろ?
こんな事やってたらいずれは自分の首を絞めることになると思うな。

北海道は特に、観光客なんか黙っていたって来るんだというおごりと、甘えがあると思う。
そんな中、当麻町の道の駅だけはゴミ箱を備えていて偉いと思う。
あれは明らかにポリシーとしてゴミを片付けて居ると思う。

竜飛岬への山道は急ではあったが、コトコトと車は登ってゆく。
頂上に到着するとほっとする。
そこには展望台があって、崖の上にある竜飛岬さえ遙かに見下ろす山の上に位置する。
標高は500メートルくらいなのだが、一気に登るので非力な車には辛い。

鉄筋コンクリートで作られた展望台に登ると、北海道の福島町から恵山にいたる山並みから、下北半島、八甲田の山々も見える。
海には数知れぬ漁船が浮かび、貨物船も津軽海峡を横断中だ。

展望台からは下り坂だ。
一気に竜飛岬の灯台の所まで降りる。
おきまりの「津軽海峡冬景色」を歌う。

竜飛から三厩、今別、外ヶ浜を通り陸奥湾の海岸線を走る。
この辺りの道は狭い上に曲がりくねっていて、速度をあげられない。
ずっと我慢して蓬田町を越え青森市街に入る。

10時過ぎだったが青森はすでに30度近かった。
そのまま野辺地に向かう。
野辺地の郊外型ショッピングモールで「かっぱ寿司」を見つけ昼食を摂る。
「かっぱ寿司」の「トロサーモン」もこれが食べ納めだ。

野辺地から本州に入った時とは別の道を、、という事で下北半島の付け根を横断し太平洋岸に出る。
そこは六ヶ所村で、使用済み核燃料の再処理施設がある。
日本原燃の再処理施設の他にあるのは沼と、牧場と、水田と畑だけという田舎だ。

長期的な観点で言えば原子力発電はやめてゆくべきだと思っている。
一旦事故が起これば子々孫々までに影響を及ぼすような物は使わない方が良いとは思う。
しかし今すぐやめるわけにはいかない。
代替えエネルギーが実用化されるまでは原発も使ってゆかざるを得ない。

太平洋岸を北上し東通村で半島を又横断しむつ市に着く。
むつ市の看板をずっと見てきたが、どうもおむつを想像してしまう。
ちゃんと陸奥と書いた方が良いんじゃないだろうか。

むつ市に着くと下北半島縦貫道路の起点の看板が掲げられていた。
野辺地に野辺地ハーフというところがあって、高速の入り口のような看板が掛かっていたのでもしかしたら、とは思っていたのだが、下北半島を野辺地とむつ市を結ぶバイパスが出来ていたらしい。
地図では六ヶ所村辺りでとぎれているから、まだ建設途中で完全には繋がっていないのかも知れない。

むつ市のスタンドで燃料と水を補給する。
そこから斧の様な形をした下北半島の先端部分に向かう。
途中の道で熊が出たらしく、地域の人が描いたらしき「熊出没注意」の立て看板が道路脇にかかげられていた。

へたうま絵というのがあって、一見子供が描いたような絵なのだが味があるという絵なのだが、この熊の絵はへたへた絵とでも言うべき本当に子供が描いたんじゃないのかと思うような絵で、しかも熊が可愛らしく笑っていて、こんなへたれ熊怖くも何とも無いぞと、むしろ出会ってみたくなるような絵で純子と大笑いしてしまった。

大畑の通りの両側には延々と桜の木が植えられており、桜の花の咲く季節には桜のトンネルを走り抜けるという状況が想像された。
一度桜の季節に来てみたいものだ。

大畑から本州に渡った最初の地、大間に着く。
23日の函館行きのフェリーを予約したからだ。
停泊地の大間岬の駐車場に行く前に温泉に入る。

温泉で服を脱ぎタオルを捜したらパンツ×2で、どうも純子がパンツをタオルと間違って入れたらしい。
服を着直して車にタオルを取りに行ったさ。
風呂から上がったときには余分なパンツを頭からかぶって出てきたよ。

そんな訳で今日は北海道に渡るのだが、午後の便なので午前中はゆっくりとしていられる。
やっぱり走るのは疲れるからね。

 

 






大間〜函館
 8月23日(金)



8月23日(金) 本日は北海道に戻る日だ。大間からのフェリーは日に2便しか無く午後の2時10分発を予約していたので午前中はゆっくりと出来る。
ゆっくりと出来すぎで10時頃にはいつでも出発出来る状況になり時間を持てあまし、自転車に乗って大間の町を散策したり、大間岬を散歩したりする。

大間岬の数百メートル先には灯台のある弁天島が見える。
この弁天島が石川啄木の

「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる」

の東海の小島だという説があり、大間岬に建てられた歌碑にもそのいわれが刻まれている。

ここは東海なのか?という疑問はあるが、石川啄木記念館を見てからこの弁天島を見るとひと味違う印象を受ける。

大間の町は自転車で散策しても1時間もあれば見る物も無くなってしまうような小さな町だ。
退屈して大間温泉で風呂を浴びる。
それでも時間はたっぷりあるので、洗濯をするためにコインランドリーを捜すが、今まで何となく見つかっていたものがいくら捜しても無い。

仕方なくフェリー乗り場に行ってペット同乗の書類を貰ったりするが、一向に時間はつぶれない。
スーパーマーケットがあったのでお土産を買ったり、フェリーで食事をしたりしているうちにようやく乗船手続きの時間になる。

この頃には雷雨を伴った雨が酷く降ってきた。
でも風が無いからぴぴも大丈夫だろう。
1時間半の船旅で海峡を渡れるのはありがたい。
どんなに酷く時化てもなんとか我慢できそうな時間だ。

函館に着いてフェリーを下りたのが16時に近く、もうぴぴは眠る時間だ。
函館駅の傍の駐車場に泊まれないかと行ってみたら、夜9時から翌朝7時までが500円だという。
9時まで何をすれば良いんだい?ということで、とりあえず知内の道の駅を目指す。

知内の道の駅に着いたのが5時ちょっと過ぎ。
ぴぴを寝かせ、食事をし、テレビを見ようとするが山間で電波が受信できない。
仕方なく美善ちゃんがくれた赤穂浪士のビデオを見る。

片岡知恵蔵、大川橋蔵、東千代之介、月形竜之介、中村錦之介、大友柳太郎といった大物俳優達が出ている。
昔の役者は目力で演技をする。

突然携帯が鳴った。
知内町近辺の豪雨警報で道路が閉鎖されたという。
でもそこが何処なのか分からない。
結局たいしたことは無かったらしく警報は解除された。


 

 





函館〜島牧 8月24日(土)


8月24日(土)知内を出発し日本海側の道の駅をたどりながら道の駅「よってけ島牧」で停泊したわけだが、この日本海側の道の駅のやる気のなさは困ったものだ。

島牧の道の駅で2時過ぎに遅い食事を摂ろうとしたら、レストランはすでに閉店。
もっとも交通量が少なすぎてほとんど客なんか来ないのだから仕方がないのかも知れない。
土曜日でこの調子だから平日は押して知るべし。

仕方がないので近くの喫茶店で食事をする。
この喫茶店の脇の道が「賀老の滝」という高さ70メートル幅35メートルもある、日本の滝100選に選ばれた千走川の名瀑の入り口らしく、店内に観光ポスターが貼られていたがかなり大きな滝のようだ。
魚も釣れるらしく夢枕獏が釣り上げた魚を見せて笑っている写真があった。

北海道に戻ってきたとたん夜の寒さに車のFFストーブを焚いてしまった。
あまりの気温差に体がついてゆかない。

北海道に戻ってきて江差町のスタンドで給油のついでにコインランドリーの場所を聞いたらあっさりと「ありません」との返事。
やっぱり北海道と本州では過疎の度合いが違う。

島牧の道の駅で停泊。






島牧〜自宅 8月25日(日)

25日に共和町から余市、小樽と通って帰ってきたのだが、共和町の山の中にバイオトイレなる物があって、ブラックタンクの処理に寄ったのだが、細菌の働きによって汚水を完全に浄化して又トイレの洗浄にリサイクルして使っていると言うのだが、水の色がまさにウンコ色でこれはいただけない。

そういえば昔のJRのトイレでブルーだったか色の付いた水が流れていたが、あれも汚水をリサイクルして使っていたらしい。
今もあるのだろうか。

旅が終わって家に居てもしばらくは自分の家の様な気がしなかった。
実際一旦帰って洗濯したら又出かけようかと思っていたくらいだ。

水はスタンドで補給し、発電機でエアコンや電子レンジ、炊飯器を使え、本州ではゴミの処理も比較的問題なく、洗濯もコインランドリーが簡単に見つかったので車の生活もあまり不便は感じなかった。

でも、夏に本州の旅にゆくのはやめた方が良い。