白川氏の接待術
外回りの仕事を終えて会社に戻ると事務員の女の子が
「白川さん。社長がお呼びです。」
というので社長室に行った。
社長室に入ると社長は白川氏にソファーに座るように勧め
「白川君、今度取引先のころりんホテルの山内社長と渡辺常務のゴルフ接待をしてくれないかね。」という。
「社長、やれと言われればやりますが、どちらかといえば私は現場で身体を動かすのが性にあってますし、それにゴルフはあまりやったことがありませんよ。ゴルフのクラブよりは大ハンマーの方が手にしっくりなじみますし、スーツより作業服が似合うとよく言われます。」
「君は身体が頑丈だが、何時までも身体が動く訳じゃないんだよ。後進を育てることも君にしかできない仕事なんじゃないのかい?
将来のことを考えれば接待の経験をしておくのも悪くはないと思うんだがね。」
「社長、お言葉ですが現場で働く人間は単に機械の修理をしているだけでなく、同時に営業もしているんですよ。現場がお客の信頼を得るから次の仕事が来るんじゃありませんか。」
社長は頭を掻きながら「確かにそれはそうなんだが、会社を動かしている人たちと顔見知りになっておくことは大切なことなんだよ。君がゴルフが得意でないというのなら、何か別の趣向でやってみたらどうかね。聞けば君はなかなか多彩な趣味を持ってるらしいじゃないか。君に任せるから好きなようにやってみたまえ。」
社長の言葉を聞いたとたん白川氏の顔がぱっと明るく輝いた。
「私の趣向でやって良いんですか。私も常々接待ゴルフと言う物に疑問を持っていたのです。世の中に楽しい遊びはいくらでもあるのに何故ゴルフでなければならないのかと。
分かりました。任してください。きっと喜んでもらえると思います。」
社長はちょっと不安げな顔をしたが「とにかく頼むよ。」と言うと机の書類にはんこをつき始めた。
社長室を出て白川氏は色々なアイディアが次々と浮かんで来てわくわくするので「これは面白いことになった。」と独りごち、にやにや笑った。
接待の当日、待ち合わせの場所に白川氏は山のような荷物を引きずりながらやってきた。
「ああ、白川君。いつも家の機械の面倒見てくれて助かってるよ。所で今日は変わった趣向を用意してるんだって?私もいつもいつもゴルフばっかりでうんざりしていたんだ。楽しみにしてるよ。」
そういって山内社長はにこにこ笑った。
「山内社長。こちらこそお世話になってます。どうも私はゴルフが苦手なんで、今回は別の遊びを考えてきました。まずはこれをかぶってください。」
そういって白川氏は赤と青のヘルメットを荷物の中から取りだした。
「何だねこれは。」
渡辺常務が聞いた。
「見ての通りヘルメットです。そしてこれがハーネスと靴。カラビナにハンマー。」
と次から次へと道具を取り出してくる。
「おいおい、君これは何のことかね?これじゃまるでロッククライミングでもするみたいじゃないか。」
山内社長はあきれて言った。
「みたいじゃなくてするんです。ほらあそこに岩壁があるでしょう?あそこを登るんです。」
白川氏の指し示す方向を見ると岩だらけの絶壁がそびえ立っていた。
「おいおい君、私も社長も岩昇りなんかやったことがないよ。」
渡辺常務が言った。
「大丈夫です。私がリードしますから安全です。」
そういって白川氏は社長達に有無をも言わせずハーネスを固定し、カラビナやらエイト環をぶら下げた。
ザイルを肩にかけ
「さあ、行きましょう。頂上で美味しいコーヒーでも飲みましょう。」
そういうとすたすたと絶壁に向かって歩き始めた。
仕方なく二人は後についていった。
岩山の下につくと白川氏は二人にザイルの結び方と岩昇りの姿勢を教え、さっさと岩に取っつき始めた。手慣れたものですぐにピレーポイントに到着し
「よろしいですよ。登ってきてください。私がしっかり確保しますから。」と叫んだ。
まず山内社長が昇り始めた。
何せ岩昇りなどは初めてのことで、おまけに毎日の接待で不摂生をしているからすぐに息が上がってしまう。
おまけによじ登るにつれ下を見ると恐怖がわき起こってきて、思わず岩に張り付いてしまう。
「山内社長、もっと身体を垂直にして岩を突き放すような感じで登らないと疲れてしまうし反って危ないですよ。」
白川氏にそうは言われるのだが、身体が動かない。
そこに容赦のない白川氏の叱咤の声がかかる。
「ほらほら三点確保が基本ですよ!あと少しだから頑張って!」
ようようのことで昇り終えると息も絶え絶えで山内社長はへたり込んでしまった。
次は渡辺常務の番だ。
渡辺常務は昔電気屋のアルバイトの経験があって、電柱に登っていたせいかあまり恐怖感もなさそうに登ってきた。
「渡辺常務。なかなか素質がありますぜ。その調子で行きましょう。」
そういうと白川氏はさらに崖の上を目指し昇り始めた。
「おーい。白川君。私はもう駄目だ。もう降りようじゃないか。」
と山内社長が声をかけると「何を言っているんですか。登るより降りる方が大変なんです。頂上の向こうはなだらかですから、登る方が安全です。」と白川氏が言う。
「それじゃ私のことは構わないから私を置いて君たちだけで行ってくれたまえ。」
と山内社長が涙声で懇願したが白川氏は
「何を言っているんですか。そこで一生暮らすんですか。一人じゃ降りられませんよ。」
とにべもなく言い放つ。
渡辺常務も
「社長、ここまで来てしまったらもう登る以外ありませんよ。私、子供の頃田舎で育ったからこういうのはわりと好きですね。少し休んだら筋力も回復するでしょうからもう少し頑張りましょう。二人で会社を興した頃の苦労を思い出してください。
資金繰りがつかなくて何度首を吊ろうと考えたことか。
それに比べればどうってことありませんよ。」
そういわれると山内社長も昔の辛い時代を思い出したのか、歯を食いしばりながら立ち上がった。
頭の中でアリスの「チャンピオン」のメロディが鳴り響いていた。
「つかみかけた〜あ〜つ〜い〜腕を〜♪ふりほどいて〜君は出て行く〜♪」
しかし岩を掴む握力も無くなってくるから何度も滑落し、そのたびに白川氏の怒声が浴びせかけられる。
「社長!そんなに岩にへばりついたら駄目だ!一体何度言ったら解るんだ!」
死ぬる思いで頂上にたどり着きしばらく仰向けに倒れていると息もようやく静まってきて、流れる風がしたたり落ちる汗を冷やし、達成感に身体が満たされた。
見れば青い空を流れてゆく雲も爽やかで気持ちが良いでは無いか。
久々に味わった幸福感であった。
思えば365日仕事のことを考えない時は無かった。
それがこの瞬間だけは全てを忘れていた。
しかしその幸福な時間は長くは続かなかった。
「此処を降りたところにカヌーに最適の川があるんですよ。さあ行きましょうか。」
白川氏の言葉に山内社長も渡辺常務も我が耳を疑った。
「えーっ。君!まだあるのかい?!」
河原に到着すると白川氏は早速三人乗りの折りたたみ式カヤックを組み立て始めた。
川面を見れば激しい水流が岩にぶつかり渦を巻いている。
「白川君、何か随分と川の流れが速いようだが、、。」と山内社長が心配そうに訊ねると、
「そうですね昨日台風が通り過ぎましたから増水してますね。でも水量が多い方が船底を岩がこすらないから船体布が破れなくて都合が良いんですわ。はい、これ。」
と言ってヘルメットとライフジャケットとパドルを渡す。
簡単にパドルの使い方を教えると、組み上がったカヤックを引きずって川に浮かべた。
増水した川はカヤックを木の葉のように翻弄した。
「ほら!前方に岩!右のパドルを強く漕いで!水の流れ以上に早く漕がないと船をコントロール出来ないぞ!ほれ!もっと早く!」
山内社長と渡辺常務は必死の思いでパドルを扇風機のように回した。
最初の岩を避けるとすぐ次の岩が現れた。
「沈して岩の後ろに巻いている縦方向の渦に引き込まれるとライフジャケットをつけていても一生出てこれないからね。」
白川氏の言葉を待つまでもなく、岩の裏側の渦は白濁した凶暴な様相を呈していて二人は本能的に恐怖を感じていた。
何とかやり過ごすと今度は大きな落ち込みが現れた。
「良いか!落ちるときは身体を垂直に保つように。万歳をするようにパドルを頭の上に持ち上げろ。一旦水の中に沈むが船にはフロートが仕込んであるから必ず浮かび上がる!パニックにならないように!よーし!行くぞっ!」
小さな滝はみるみる眼前に迫る。激しい水音、一瞬水面が視界から消える。次の瞬間激しい水しぶきに包まれたかと思うと何もかも消えて静寂がおそった。
泡だらけの水の中で遠くの方に水の雪崩落ちる音が聞こえる。
やがて上昇流に押し上げられるピンポン球のように浮き上がってゆく。
次の瞬間光に包まれる。激しい水しぶきが降りかかる。
船体は何度か沈しそうな上下動を繰り返していたがやがて安定した。
「何をしてるんだ!早く漕がないと岩にぶつかるぞ!」
白川氏の罵声が飛んでくる。
二人は我に返りあわててパドルを漕ぐ。
何度か沈したが白川氏が力任せのエスキモーロールで立て直した。
やがて川幅が広くなると共に水の流れも緩やかになった。
「いやーさっきは危なかったなあ。滝壺に落ちたときはもう駄目かと思ったよ。」
山内社長が言うと渡辺常務も
「私も船から投げ出された時は女房や子供の顔が浮かびましたよ。」と笑った。
しかし白川氏の次の言葉を聞いて二人の顔は青ざめた。
「さあそれじゃあこれから海に行きましょう。海の波は川とは波長が違いますからこれはこれで又面白いですよ。
数ヶ月後白川氏の会社では社長が昼飯を食べながら事務の女の子に
「君、最近白川君の顔が見えないがどうしたんだい?」と聞いていた。
「白川さんはころりんホテルの山内社長と渡辺常務の接待をしていると伺っておりますが。」
「ああそうだった。それにしても6ヶ月も接待してるとは長すぎないかね。」
「それもそうですわね。あらっ?社長!あれ白川さんところりんホテルの社長と常務じゃありませんこと?」
とテレビを指さした。
それはアメリカのCNNニュースで、髭ぼうぼうの3人の男達が桟橋で真っ黒い顔に白い歯を見せて両手にVサインで笑っていた。
翻訳字幕を見れば
「太平洋をカヤックで初横断した三人の日本人がサンフランシスコの港に到着しました。
ヨットでさえ大変なのに、このような小さな船で荒波の太平洋を横断すると云うのはなんたる勇気、何という不屈の闘志でしょうか。その侍魂には驚嘆せざるを得ません。」と書かれていて周囲のアメリカ人の喝采を受けていた。
やがて美人のレポーターがインタビューを始めた。
「何故、このような危険な冒険を始めたのでしょうか。」
「業務命令です。日本には接待という独特の慣行がありますが、大抵の場合ゴルフなんかをすることが多いのです。でも私はあんまりゴルフは好きでないのでもっと面白い遊びを知っていただきたいと思ったのです。」と白川氏は得意そうに胸を張った。
「すると、こちらの方々は接待の相手ということですか?このような接待を受けてどのように感じましたか?」とレポーターは髭だらけでぼろぼろの服を着た山内社長にマイクを向けた。
山内社長は仙人のように伸びた白髪をかき分けながら
「そうですねえ、最初はそりゃあ驚きましたよ。これは何かの嫌がらせかと思いましたね。
太平洋のど真ん中で鯨の群に取り囲まれたときはピノキオみたいに飲み込まれてしまうのかと思いましたね。ハリケーンの夜、波のてっぺんから暗い波底を見たときはこれが地獄の釜の入り口かと思いましたね。
しかし白川君はなかなか知恵者でね、魚を釣る技術や海水から水を作る技術に長けていたから食べ物や飲み水には不自由しなかったね。
おかげでこんなに痩せて大層身体の調子も良くなってしまって、、、。」と腹筋の浮き出た腹をさすった。
「私も中々楽しかったと思いますよ。元々私は田舎育ちで自然が大好きですからね。」
渡辺常務も朗らかに笑った。
「これからもこういったセッタイというのをおやりになるのでしょうか?」
「そうですね、三大北壁の冬期登頂というのも面白そうだしね、南極大陸犬ぞり横断なんてのも良いかもなあ。」
と白川氏が言うと
「白川君、その時は又是非とも誘ってくれたまえ。」
と山内社長が言い3人は堅く握手をし、フラッシュが一斉に焚かれた。
それを見ていた白川氏の会社の社長は
「うーん、白川君でかした。山内社長も渡辺常務もお喜びのご様子ではないか。
これは、特別手当を考慮せねばなるまいな。」
と日の丸の扇子を両手に広げ「あっぱれ。あっぱれ。」と何時までも踊っていた。