老人介護施設入所顛末記


婆さんの惚けが酷くなり、会話は通じずウンコも垂れ流すようになり、あわてて特別養護老人ホームや介護老人保健施設の入所の手続きをした。
特養は何時入れるとも知れず、老健ですら数年待ちの状態で、すぐに入れることが出来たのは奇跡に近い。ほとんど宝くじに当たった様なものだろう。
それで婆さんを連れて入所に行った。
新しい女性のケアマネージャーの人が面談室みたいな所に案内してくれて、

「今施設長を呼んで参ります。」と言って部屋を出て行った。

婆さんはきょとんとした顔で、小さな身体を椅子に乗せて足をぶらぶらさせている。
我が母親ながらチンパンジーのモモちゃんはもとより、遊びに来る近所の飼い猫のチョコより知能は低くなっていると思う。
やがて白衣を着、聴診器を首からぶら下げた老人が現れた。
年の頃なら七十五、六と言ったところか。

「こんにちは。私が院長の○×です。」と言う。

○×の部分は声が小さくて良く聞き取れなかったのだ。開口一番

「私は脳神経外科が専門でもう50年医者をやって来ました。元は○○病院や××病院の院長をやりまして、もう引退してのんびり暮らそうと思っていたのですが、こちらの施設の院長を是非やって欲しいとのお話がありまして、今こうしておるわけです。」と自己紹介をする。
その後婆さんのかかりつけの病院から持ってきた書類に目を通し、婆さんの顔を見ながら

「よし子さんですね。うーんこの目はしっかりしてるなあ。ここに認知症と書いてあるが何処が認知症なんだい。私くらい経験を積むと、認知症かそうでないか一目でわかるんですよ。一体、この医者は何をもって認知症と判断したんだ。」と一人で怒っている。そして我々夫婦に向き直って

「ここには認知症の老人はほとんど居ないんだよ。みんなまともな人たちばかりなんだ。」と言う。

「そんなにまともな人たちばかりなら、施設に置いとか無いでも良かろうに。それならさっき休憩室みたいなところで、車椅子に乗って口をぽかんと開けて虚空を見つめて吠えていた爺や、ストローでとっくに空っぽになったジュースを何時までも飲み続けていた婆は何なのだ。」と思ったが、お年寄りの医者の言うことだから、年寄りの肩を持つのも仕方の無いことなのかも知れない。

「何々?薬は血圧の薬しか飲んでないって?歳は89歳。今まで病気は?」と聞くので、

「生まれてこの方入院したことが一度も無いんです。そうそう、若い頃結核をやった事があるらしいんですが、自分で直しちゃったんです。」と言うと

「昔は結核が多かったからなあ。私もやってるが、お婆さんの若い頃には抗生物質も無かったから亡くなることが多かったんだよ。最近また結核が流行ってきているんだよ。以前より強力な奴が。」

その話は私も聞いたことがある。結核菌を完全に殺すまで抗生物質を飲み続けなければならないのに途中でやめるもんだから、抗生物質に耐性を持った結核菌が生まれ、今までの薬が効かなくなっているという話だ。

「はーあ、大したもんだ。89歳で血圧の薬しか飲んでいない!少し貧血気味くらいで肝機能の数値も血中コレステロールも正常値だ。はーあ!」と大層感心している。それで婆さんの方に向き直ると

「お婆ちゃん、今日は長崎に原爆の落ちた日だね。知ってるかい?」と婆さんに向かって聞く。
婆がそんなことわかるわけが無いと思って聞いていると、婆は何にも理解出来なくとも相手に話を合わせるのが上手いから、感心したように「あぁ、そうですねえ。」と今思い出したかのように答える。
すると医者は「ほーう、長崎の原爆がわかる。いやー、これは大したもんだ。全くしっかりしているじゃないか。どこが認知症なのだ。」とあっさり婆にだまされている。

「息子さんは戦争に行ったんですか?」と婆に医者が聞くと、婆は「へへ。」と笑って「ああ、そうですよね。」とどうとも取れるような返事をする。これも婆の得意技なのだ。

「おい、おい、息子って俺かよ。戦後60年経ってるんだぜ。婆より10歳くらい上の人間なら息子が出陣したかもしれんが、俺は戦争終わって6年も経ってから生まれたんだぜ。親父と間違ってるんじゃないのか?」と思ったが黙って聞いていた。すると医者が俺に向かって

「息子さんは戦争行ったんですか?」と聞くから

「息子って俺のことですか?先生、俺、昭和26年生まれですよ。行こうと思ったって行けませんよ。」と答える。

「ほう、お母さんは耳はちゃんと聞こえるのかな?」と医者が尋ねるから

「片っ方の鼓膜が破れて居るんであんまり聞こえないと思いますが。」と答える。

婆は若い頃から気が強く、口喧嘩では親父はかなわないから良く手をあげていた。
それで片方の鼓膜が破れてしまったのだ。
しかし考えてみればこの年になれば鼓膜が破れていようが、正常であろうが耳が遠くなるのは仕方がない。
我ながら無意味な事を言ってしまった。

すると医者は古びた革製の往診鞄らしき物をテーブルに載せ、中から音叉の様な物を取りだした。
そして反対の手で音叉を叩いて婆さんの耳元に近づけ

「どんな音がしますかあ。」と大きな声で聞いた。

我が婆はきょとんとした顔で

「ああ、そうですねえ。」と頓珍漢な答えをする

医者は

「音がするでしょうー?!。どんな音だーい?!キーンかブーンか?!」

婆は相も変わらず

「ああ、うーん。そうですねえ。」と得意技を使ってごまかす。

医者が婆の耳元で

「どっちなんだい?!ブーンかい?!」と怒鳴るように聞くと、婆は首をひねりながら

「うーん、ブーンかなあ。」と答える。

とりあえず何でも良いから答えておこうと言うのが見え見えだ。
医者は又片手で音叉を叩き、今度は婆の額に音叉の柄の根本を当てて

「どっちから音が聞こえる!?」と聞くと、婆はしばらく頭をひねっていたが

「そっちから聞こえる。」と医者を指さして答える。

音叉の音のことを尋ねているのに、声の方向を答えているらしい。
年寄りの医者は「うーん。」と考え込みながら音叉を婆の頭のあちこちにたてながら同じ質問を繰り返す。その婆の姿は「ロボット三等兵」という漫画の主人公に似ている。
がらくたを寄せ集めてでっち上げたロボット兵なのだが、こいつが何をやらせてもドジで間抜けな役立たずなのだ。
このロボットの頭にも三つ叉の音叉のようなアンテナが乗っかっているのだ。

婆の頭のあちこちにアンテナを立ててみたが、良い電波は入ってこなかったらしく、あさっての方向ばかり指さすので、医者は「うーん。」と考え込んでしまった。

「先生。それを頭に載せて何かわかるんですかね。」と尋ねてみると、

「骨伝導というのがあって鼓膜が破れていても骨を伝わって音の振動が感じられる筈なんだが。」と言う。

「家の婆は聴覚云々というより、言語理解能力の欠落の問題だと思う。」と密かに思った。医者は気を取り直し、婆に

「あなたの小指はどれですか?!」と聞くと、婆は随分考えたあげく親指を指す。

「ええっ?それが小指かい?それじゃ親指はどれなんだい?」と尋ねると、やはり首を傾げながら人差し指を指す。

「それは親指じゃないじゃないか!じゃあ人差し指はどれなんだい?!」と尋ねると今度は薬指を指す。

医者は「こりゃ駄目だ。」とつぶやき匙を投げた。

そこに先ほど部屋に案内してくれたケアマネージャーが入ってきて、入るなり

「院長、ここで何してるんですか?あら!無い無いと捜していた菅沼さんの書類を勝手に持ち出して!」と医者に向かって怒り始めた。医者は

「君は何と失敬な口の利き方をするのかね。いやしくも私がこの施設の責任者なんだよ。全く無礼千万!」と頭から湯気を出して怒り始めた。ケアマネージャーは意に介さず

「はいはい、院長先生、他にも看て欲しいという患者さんが待ってますからね、そちらに行きましょうね。」と言って医者の腕をつかんで部屋を出て行った。

何のことかわからず呆然としていると、白い口ひげを蓄えてはいるが、さっきの医者より若めの白衣の爺さんが代わりに部屋に入ってきて

「私がここの施設長のSです。」と言い名刺を差し出した。

「するとさっきの院長って言ってた人は誰なんですか?」と驚いて聞いてみると、

「あの人は昔医者をやっていて、あちこちの病院で院長もしていたんですけど、歳を取っていわゆるまだら呆けになってしまってるんです。
それでこの施設に入所することになったのですが、自分がここの院長だと思い込んでいて職員が院長と呼ばないと怒り出すので、仕方なくみんな院長とよんでいるのですが、時々昔の商売道具を持ち出してきては、新しい入所者を看ようとして私も困っているのです。
昔は名医だったんですがねえ。」と言う。

驚いて「でも何か専門的な事を言ってましたよ。」と言うと

「それがまだら呆けなのです。ある時は少しまともになるのですが、時には全くの認知症の症状を呈するんですねえ。
今日はだいぶまともだったようですね。」

帰りの車の中で

「婆さんも良い話し相手が居て、楽しく毎日暮らせるかも知れないね。」と純子と話しながら帰ってきた。