スリラー
ある日の大学病院の一室、何故かどんぐり村の村民が楽器を抱えて集合していた。
医学部長
本日はお忙しいところわざわざお集まりいただきまして、誠に恐縮至極でございます。
今回どんぐり村の皆さんにお集まりいただいたのは、人間の老化に対する音楽治療の可能性を探るためなのです。ご存知の通り団塊の世代がそろそろ退職を迎え、病院にしても、介護福祉施設にしても、ボケ老人で一杯になることが予想されるのです。植物に音楽を聴かせると成長が良くなるという研究がある。また、乳牛の小屋にクラシック音楽を流しておくとミルクの出が良くなるという話もございます。植物や家畜でもそうなのだから、ましてや人間ともなれば必ずや何らかの良い影響を与えるに違いないと私は考えているのです。
そこで今回皆さんに様々な音楽を痴呆症の老人たちに聴かせていただいて、どのような効果があるのかを調べたいと思うので、是非ともご協力を戴きたいと思い集まっていただいたわけでございます。
村長
成る程、ご趣旨はわかりました。
実は私も、我が家に今年90になるボケた婆さんを抱えておりますので、ボケが治らないものかと常々考えておりました。知り合いのスナックのママの家でも同じような悩みを抱えていて、ここの婆さんは食欲に対する執着が強く、旦那がテレビを見ながら料理の皿に箸を伸ばすと「カツン」とテーブルを叩いてしまう。あれ、と思って振り返ると婆さんが自分はとうに食ってしまったのにもかかわらず、蟻がはいずるような速さで皿を自分のほうに引き寄せている。
「婆さんはもう食ったんだろ?何で俺の皿を持ってくんだ。」と怒るとしぶしぶ戻すんだけれど、目を放すと、又いつの間にか皿がそろそろと移動していると、食卓が弱肉強食のアフリカのサバンナと化しているらしいのです。
そのような有意義な研究には是非協力させていただきたいと思います。
医学部長
ありがとうございます。それでは早速で申し訳ないのですが、もう準備は出来ておりますので一緒においでください。
医学部長の案内で村民たちは大学病院内の待合室に案内された。
ガラス張りのアトリウムで、暖かい春の日差しが辺りを満たしていた。
すでに患者の老人たちが集められていた。半数くらいは寝たきり老人らしく、ベッドのまま運ばれてきており、傍らには点滴の台やら、酸素ボンベやら、心電図をとる機械が置かれていて、あちこちホースやら電気配線だらけで、音楽機材を運ぶのも大変だった。
老人たちのほとんどは無表情にそれを眺めているだけだったが、一人、一番前に居る車椅子のお婆ちゃんだけは片手に金髪のお人形さんを抱いて、大きな目をくるくる回して村人たちの作業を興味深そうに見ていた。
「トヨちゃん。面白そうだね。何が始まるのかねぇ。」傍らの看護婦が声をかけると、
「盆踊りでも始まるのかね。あたしの村でも盆踊りがあってさ、あたしは村一番の器量よしだったから、よく若い衆に祭りの最中に森に誘われて、そのうちこの娘が生まれて仕方なく死んだ爺さんの嫁になったんだよ。」といとおしげにお人形の髪をなでていた。
そのうち、祭りの準備も整い、いつものごとくTAKEちゃんの演奏が始まった。
お年寄りばかりということを意識したのか、まずは「会津磐梯山」からだった。
演奏が進むにつれ脳波計をつけられた1256号室の寝たきり老人の高村の爺さんの脳波計のモニターに異変が見られた。
医学部長
ふーむ、ちょっと波形が乱れてきていますね。普段この患者は痛いとか、苦しいとか言う時以外はあまり感情を出さないんですが。
演奏は更に進み「ラ・マラゲーニァ」になった。だんだんいつもは生気のない
高村のじいさんの頬に赤みが差してきた。
医学部長
おお、これは見事に脳波と音楽の高低、強弱がシンクロしている。五線譜をモニターにかぶせればそのまま楽譜になってしまう。
村長
ってことは、音楽は医学的にも何らかの影響をぼけ老人に与えうるということですね?
それはすばらしいことだ。
お〜い!みんなじゃんじゃんやってくれ。
純平おじさん
それじゃあ次は俺たちにやらせてね。
トプクリの演奏が始まった。
長渕剛の曲をメドレーにして歌い出す。
哀愁漂う純平おじさんのハーモニカが奏でられ、やがてギターとともに歌が始まる。
「好っきです、好きです、心から〜♪」巡恋歌だ。
看護婦長
先生!1250号室の山本よねさん、出身青森県北津軽郡市浦村字相内、好物里芋の煮っ転がし95歳がもごもごと口を動かし始めました。
なにか、音楽に合わせて体を揺らしています。
いつも看護婦がご飯を口のそばに持って行って「は〜ぃ、よねさんご飯食べましょうね。」と言っても無表情に空を見上げているのに。
医学部長
うーむ、筋電図に微細なパルスが発生している。だんだん振幅も大きくなってきているし波長も短くなっているな。
村長
先生、それはどういうことなのか素人にも解るように説明してください。
医学部長
つまりですな、電気マッサージ機があるじゃありませんか。微弱な電流を筋肉に周期的に流すと、元々筋肉というのは電気信号で収縮する物ですから筋肉は収縮と弛緩を繰り返すわけです。それによって硬直した筋肉がもみほぐされてゆく。
今この患者の体内では音の振動によって何かが起こり、筋肉にマッサージ作用をする電流が流れている。
それが何故起こっているのかは解りません。
生命は海から生まれた。血液の組成は海水に似ている。生理的食塩水なんてのは海水みたいな物なのです。だから一時的には血液の代わりになる。いわば人間の身体は生命が生まれた頃の原始の地球の海を内包しているのです。細胞の中の原始の海水が音波によって振動し、化学反応を起し電流を発生させているのかもしれません。あくまでも仮説ですがね。
村長
成る程、要はよねさんは今マッサージを受けていると、、、こう云う訳ですね。
だんだん顔に赤みが差してきたし、うっとりとした表情にも見えますなあ。
こりゃ良いわ!よっしゃ、それじゃあ純子、例の奴をやろうか。
エロスこそ人間の活力源だ。
純子
あんた、又あれかい?最近歌うの飽きてきたんだよね。皆んなも聴き飽きてるだろう?
一同
そうだ。そうだ。
村長
何を言ってるんだ君たちは。医学の発展のために献体をする方々もいらっしゃるんだぞ。将来の医学の発展の為に我々が恥を晒すくらいが何だって言うんだ。
一同
あんたが恥を晒すのは勝手だが、こっちも同類と思われるのが迷惑なんだ。
村長
だぁまらっしゃい!
そう言うと村長は純子を促し無理矢理「ピエールとカトリーヌ」を歌わさせた。
純子のハスキーで色っぽい歌声がアトリウムを満たした。
純子
あら、ピエールったら〜♪こんなところで〜♪そんな〜物を〜丸出し〜にして〜♪う〜っふん。
村長
ただなんと〜なく〜♪まるだしにしたくって〜♪
純子
それにしても良い色ねえ〜♪あっは〜ん。
どんぐり村の面々は何度も聴かされているから、うんざりした顔で聴いていたが高村の爺さんはそうでは無かった。
看護婦長
先生見てください。パジャマの一部が盛り上がってきました。
医学部長
おお、性的欲望が目覚めたようだ。これはホルモンの分泌が活性化してきているようだ。
うーん、最近私もホルモンの分泌が悪くて女房に責められて困っているのだ。
これは是非詳しく研究しなければなるまい。
純子
ツバメガエシ
村長
ゴショグルマ
純子
キクイチモンジ
村長
マツバクズシ
看護婦長
先生!高村さんがベットの上でのたうち回っています。早く取り押さえなければ。
医学部長
うーん、婦長、確か君は独身だったね。これは様々な体位を摸して居るんだよ。それにしてもこの患者はいろんな体位を知っているものだ。しかし筋力に著しい改善が見られるなあ。腰の動きが目にも止まらないではないか。元々この患者は警察官で柔道をやっていたらしいから、年老いたとしても筋力は元々あるだろうから、この一例だけを見て判断するのは早急だろう。
ピエールとカトリーヌを熱唱して疲れ果てた村長は「YUKKI!後のことは頼んだぞ。」と言い終わると、箱根駅伝で襷を次走者に託したランナーのようにばったりと床に倒れてしまった。どちらが病人だかわかったものではない。
参照:ピエールとカトリーヌ
YUKKIは「まかしとけ。」と言い放つとバックの演奏の「WON`T BE LONG」のイントロに合わせて踊り始めた。
YUKKI
オリオリオリウォ♪
一同
イェリイェリイェリイェィ♪
YUKKI
THE UP―TOWN TOKIO SLAMIN` NIGHT♪♪〜
恥もかいてきた〜♪たどり着く為に〜♪でもそばにはお前が居る♪何も怖くない〜♪
オリオリオリウォ♪
参照 WON`T Be LONG http://www.youtube.com/watch?v=chjwlxroTKM
その時突然トヨちゃんが抱えていた人形を床に投げ出したかと思うと車椅子から立ち上がった。
両手を頭上に挙げゆらゆらと動かしながら一歩一歩と歩き始めた。
何か口をもごもご動かしているので良く聴いてみると、イェリイェリイェリイェィ♪と合の手を入れているようだ。
医学部長
なんということだ。もう歩けないと思っていた患者が歩き始めた。
しかもどうも本人は踊っているつもりらしい。動きは盆踊りだが。
看護婦長
先生!高村さんがベットから飛び起きました。頭で逆立ちしてコマのようにクルクル回っています。
医学部長
おお!こちらは動きが激しいぞ。本格的なブレイクダンスだ。
向こうではヨネさんも踊っている。なんと云うことだ!音楽がこのように肉体に影響を与えるとは!
その頃にはほとんどの患者が立ち上がり踊り出していた。
歌はマイケルジャクソンの「スリラー」に変わった。
その時突然高村の爺さんが胸を掻きむしったと思ったらバタリと床に倒れた。
慌てて医学部長が駆け寄り心電図を見上げると、すでに心拍はむなしく直線を描き続けるばかりだった。電気ショックで何度か蘇生を図ったが心臓は動かない。
医学部長
12時26分死亡確認。君、ご家族に連絡してくれたまえ。このような実験で死亡したとなるとこれから色々面倒なことになりそうだわい。
その間も狂乱の演奏は続いている。
It's
close to midnight♪
something evil's lurkin' from the
dark♪
YUKKIを先頭に全ての患者がスリラーの振りで踊って居る。
医学部長
おお!トヨ婆さんのあの動きはいったい何だ!前に歩いているのに後ろに進んでいるでは無いか!
そこに復活した村長が後ろから言った。
村長
先生も物事を知らないねえ。あれはムーンウォークといってマイケルジャクソンの得意技なんすよ。
参照:ムーンウォーク
医学部長
そうさ。研究者なんてものは専門馬鹿なのさ。でもね馬鹿にも二種類居るんだよ。
自分が馬鹿だと知っている馬鹿と知らない馬鹿さ。研究者は自覚している馬鹿で無ければならないのだよ。自分が何でも知っているんだったら研究する必要も無いさ。学者を動かしている物は純粋な好奇心であるべきで、名誉や金のことなんか考えてると去年韓国で起こった世紀の捏造事件のファン・ウソクみたいなことになる。
村長
成る程、先生の高邁な思想には私、心より感服いたしました。
As
horror looks you right between the eyes♪
You're
paralyzed♪
その時運ばれていこうとしていた高村の爺さんがむっくり身体を起こしたかと思うと、身体中につけられたチューブを引きずりながら歩き始めた。
村長
先生、爺さん死んだはずじゃなかったんですか?!
医学部長は慌てて心電図を見たり聴診器を当てたりしていたが、訳がわからぬという風に首を振りながら
「呼吸も停止しているし心臓も動いていない。医学的には立派な死人です。でも、何故か動いている。音楽の振動が直接細胞に働きかけて電気信号を筋肉に送っているとしか思えない。」
村長
そうするとこれはゾンビと云うことですか。まさにスリラーだ!
やがてゾンビと化した高村の爺さんも踊りに加わり切れの良い踊りを踊り始めた。
'Cause
this is thriller♪
Thriller night♪
There ain't no second chance♪
Against
the thing with the forty eyes, girl♪
Thriller♪
Thriller
night♪
ダンスはさらに熱狂を呼び、他の患者も次々と加わり挙げ句の果てには病院のスタッフまでが踊り出し病院全体が狂乱の渦の中に巻き込まれていった。
参照 http://www.youtube.com/watch?v=vGoWXOma1jY&eurl=