腰が痛
2016年12月25日07:52


我が家は一階をワンフロアーにしてから、傍をトラックが通ると二階が異様に揺れるようになった。
梁を補強してはあるんだけど、冬場雪が降り積もっている時に地震が来たら危ないような気がする。

ちなみに札幌には3つの断層があり、その中でも月寒背斜に関連する断層(月寒断層)はごく最近でも動いて、震度こそ小さいものの直下型地震を起こしている。

幸いなことに、この断層により起こる地震の、手稲での建物への被害予想は0らしい。

http://www.city.sapporo.jp/kikikanri/higoro/iza/kigyo_bosai/kigyo_bosai_01.html

そうはいっても冬場屋根に雪が溜った状態で、札幌以外で発生した大きな地震があったらやばいかも、、という事で屋根の雪下ろしをする。

屋根の天辺には70センチくらい雪が積もっていて、それを隣家の納屋の屋根に落ちないように放り投げるのに苦労する。
腰が痛くなるので時々休む。
大雪後の快晴の朝、札幌周辺の白い山並みが見渡せて気持ちが良い。

雪を全部降ろし終えてシャワーを浴びる。
純子に

「雪下ろし終わったら温泉に行くんじゃなかったの?」

と言われたが、汗だくだからとりあえずシャワー浴びるしかない。
温泉はゆっくり浸かって腰の痛みを癒すためだけに入るのだ。

朝里川温泉に向かう。
連休であるから道路が混雑している。
あえて近場の温泉に行かないのは混んでいそうだからだ。

その点、朝里川温泉の「かんぽの湯」は何時も空いていてのんびりできるのだ。
だからどんどん閉館しちゃってるのだが、朝里川温泉の「かんぽの湯」は宿泊施設の一部を老人介護施設に改装しちゃったらしく、なんとか存続している。

案の定、我が家で貸切状態であった。
あんまり客が居ないのも他人事ながら心配になってしまう。

風呂から出て純子を待つ間、暇なのでマッサージチェアを使ってみる。
マッサージって痛いから、やってる間「うぎゃー!」だの「いてぇ~!」だの喚きつづける事になるので、人目のあるところではやらないのだが、幸いに他に誰も居ない。

100円を入れてスイッチを押すと、ふくらはぎをワシワシと揉まれる。
結構な力で握力80kgくらいあるプロレスラーにつかまれている感じだ。

足元に純子から預かった財布入りのバックを置いてあるが、これを突然現れた置き引きに持って行かれたら握力80kgのプロレスラーの指から足を引っぺがして追いかけられるだろうか?などと考える。

マッサージチェアを引きずりながらつんのめり、マッサージチェアに覆いかぶさられながらも匍匐前進で追いかける俺、足を掴んで離そうとしないマッサージチェア。
マッサージチェアと置き引きは実はグルだったのだ。

帰りの道も混雑していてなかなか家にたどり着かない。
幹線道路は路面がそろばん状態でのろのろ運転。
いらいらしながら家にたどり着いたら、疲れ果ててしまって昼寝をする。

目が覚めて喉が渇いたので冷蔵庫から牛乳を取り出し飲む。
純子が鏡を見ながら

「私たち齢取ったねえ。」

としみじみ言う。

俺は精神衛生上良くないから鏡などと言うものは出来るだけ見ないようにしているので、そんな実感は無い。
うなずく事も、否定することも無く無視を決め込むと

「あんたぁ、まさか私だけが齢とっていて、自分は若いまんまだとか思っていないよねえ?!」

と顔を怒涛のズームアップで近づけてくるので思わず

「なんで気が付いた?!」

と驚き、あたふたして咳き込み、鼻から牛乳状態になってしまった。
真に女の感は怖い。

大分県が「おおわけけん」で無い訳
2016年06月04日10:53
九州と四国の各県のご当地ステッカーだけは作ろうと思って作ったはずだったのだが、大分県だとばかり思っていた柳川が、実は福岡県なのだった。

考えてみたら大分県は西の端をかすめたぐらいで、湯布院にも別府にも行っていない。
ほとんど山の中を走り、唯一都市らしいのは日田市くらいで、まあここいら辺りをテーマにステッカーを作ろうと思ってイラストレーターを半年ぶりくらいに使ってみたら、使い方をすっかり忘れてしまっていて円すら描くのに苦労をする。

まあ、ぼちぼちとやるつもりなのだが、ふと不思議に思った。
大分って何の疑問を持たず「おおいた」と読んでいるが、普通に読めば「おおわけ」じゃないのか?
なんで「おおいた」と読むんだろうと思って調べてみた。

すると奈良時代初期に編纂された「豊後(ぶんご)の国風土記」や、「日本書紀」の中の「景行紀」の中で景行天皇がこの場所を初めて訪れた時の記録があり

「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきた)と名づくべし」

と言ったのだという。

ここから説が微妙に違うのだが、大分平野は広大とは言い難く、狭い土地にたくさんの田んぼがあったので「多き田」→「おおいた」となったと地元では思われているらしい。

また大分の「大」はそのままの意味なのだが、「きだ」とは古語辞典で調べると
『(段)助数詞(上代語)切り分けた物を数えることば。布地の長さの単位。田畑の面積の単位。段、たん。』
の意味で、「きだ」に「分」の漢字も当てられていたので「大きい田んぼ」で「大分」となったという人もいる。

「多き田」の県名の由来により、大分県には「多田」の苗字が多く、「多田」というと大分県の出身であることが多いらしい。
学者って変
2016年04月18日15:52
熊本の地震の報道番組で地震学者に辛坊治郎が

「この地震はいつ頃まで続きますかねえ。」

と聞いたら地震学者が

「50年続きます。」

と、きっぱり言うので、辛坊治郎が「えぇっ?!」という顔をして話が続かなかった。
辛坊治郎の気持ちはよーく分かる。

「だからぁ、学問的にはそうなんだろうけれども、これ以上被害が出ない程度に回復して、家の片付けなんかが出来る位までにどれくらいかかりそうか聞いてるんだけどぉ、、、。」

と言いたかったのだろう。

なんか得意げに50年と言ってたよ。
こういうのを専門馬鹿という。
昔NHKの科学番組でネメシス仮説を取り上げていた。

地球の生命大絶滅には2600万年の周期性があることを発見。
それを説明するために作られた仮説がネメシス仮説だ。
ネメシスとはギリシャ神話の女神で、神に働く人間の無礼に対する神の憤りと罪の擬人化とのこと。

この場合のネメシスとは地球と太陽の距離の5倍から10倍の距離にあると仮定する太陽の伴星の褐色矮星、又は赤色矮星の事で、その周期的運動が太陽系の外側を球殻状に取り巻いているオールトの雲という彗星の巣を攪乱してしまう。

かき乱されたオールトの雲から飛び出した彗星が、太陽の重力に引っ張られて落ちてゆく。
結果、たまたま途中にあった地球に彗星が落下して生命の大絶滅を起こすという仮説だ。
最近ではこの仮説も矛盾が出始めているらしいが、その当時は新しかったのだ。

それでネメシス理論を語っていた提唱者が最後に、何時か人類は絶滅することになるかも知れませんと、とっても嬉しそうに笑って締めくくっていたのだが、学者にとっては生命絶滅よりも自分の理論が正しいと証明される方が嬉しいのだと思った。


これはオランダのアーティストであるテオ・ヤンセンさんという「動く彫刻」を作ることで知られている人の作品だそうだ。

ネットのコメントでは「ハウルの動く城だ。」というのがありました。

<iframe width="1016" height="572" src="https://www.youtube.com/embed/MYGJ9jrbpvg" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>



風の力だけでこんな風に動くなんて凄い。

こんなんで良いの?
2016年04月12日21:39
ロシアのキオスクみたいなところに貼られている、今、金が無いから後で持ってくると言ってそのままトンズラこいた犯人の似顔絵を、売り子の彼女が描いて貼っているらしい。

ちゃんと警察にも届けたらしいのだが、如何せん彼女は絵心が無い。
彼女の絵で犯人が捕まるとは、警察もあてにしていないと思う。

これを見て

「犯人らしき人を見ました!」

なんて通報してくる勇気ある市民が居るだろうか。

上から二段目右から二つ目なんて、ビルマの仏像にこんなの無かったっけ?
右端一番下はチンパンジーにしか思えないし、左下隅はタヌキだと思う。

さらにその上は哺乳類ですらない。
これは鳥類でしょう。

でも彼女は得意げなんだよな。


風の谷は本当に戦場だった
2016年03月07日14:38

ナウシカの世界と中東の地図を逆さまにして比較した写真は、ネットで「ガセだ!宮崎駿の描いたナウシカの世界図では無い!」とあったので調べてみる。

確かにこれは現実の地図にナウシカの世界の地名をあてはめたものだ。
物語の地図では、特に黒海の東湖畔が北に延びすぎていて、中国の東シナ海に面した海岸線に似た曲線になっている。

多分一番最初に類似性を指摘した人は、現実の地図を逆さまにして見せて

「似てませんか?」

と示唆しただけで、だますつもりは無かったんだろうと思う。

風の谷の辺りは現実の世界ではトルコとシリアの国境線で、10月に入りシリア北部のアフリン渓谷に秋の空気が強まると,シリア・トルコ国境検閲所の山あい(バーブ・エル・ハワ「風の門」という)を 通って冷たい風が流れ込んでくる。
ここが風の谷のヒントになった可能性は高いと思う。

今シリア難民がトルコに入ろうとしているのがこの国境線で、開かれているのは2か所の検問所だけらしい。
北東のキリスの検問所はその一つで難民が押し寄せているが、風の門の検閲所も開かれているのかわからない。

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150126/frn1501260844001-n1.htm

宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は「堤中納言物語」の中の「虫愛ずる姫君」と、ホメーロスの「オデュッセイア」の中のオデュッセウスがトロイア戦争の帰途立ち寄ったケルキラ島(コルフ島)の姫君ナウシカアとのエピソードをヒントに作り上げたものだ。

そのケルキラ島というのはこのあたりにあったのか?と調べたら、地中海の西、靴のような形のイタリア半島のヒールに挟まっていた小石が、ギリシャの方に落っこちて出来た様な小さな島であった。

宮崎駿のアニメはあちらこちらの場所をイメージして作られているが、「ここだ」と言える場所は無い。

トトロにしても狭山丘陵と云われているが、あの当時の日本にはあちこちに普通にあった光景で、日本人が持っている原風景であるから「懐かしい」と感ずる。

もののけ姫は屋久島や島根、ラピュタの鉱山の町はウェールズ、魔女の宅急便の町はスウェーデンを参考にしてはいるがそのままではない。

風の谷に似ている風景というのもあちこちにある。

http://wondertrip.jp/zekkei/1718.html

トルコのカッパドキアの岩を穿って作った住居なんかは、アニメのナウシカのオープニングでユパがそんな景色の中を通っている。
風車はオランダみたいだし、風の谷の地形はパキスタンの「フンザ」に似ていると言えなくもない。

すべては宮崎駿の頭の中でジグソーパズルみたいに再構成された世界なのだ。
やめてけれ
2016年03月05日13:13

「風の谷のナウシカ」の世界は、中東あたりの地図を南北逆さまにしたものだ。
トルメキアはトルコ、土鬼(ドルク)諸侯国連合はロシア南部やウクライナ、内海は黒海、塩の海は地中海、腐海はグルジア、アルメニア、イスラエル、シリア、イラクにあたる。

しかしイメージとしてはトルメキアはアメリカ、土鬼(ドルク)諸侯国連合は中国なんだろう。

北京の空気がすごいことになっているが、昔日本は中国に公害防止関連技術を移転しようとしたんだよ。
だけど経済効率だけ考えている中国は見向きもしなかった。
その結果が今の様だ。

日本も昔は公害がすごくて東京湾はヘドロが溜り、水俣病とかイタイイタイ病とか経験してきたから、いずれ中国が公害でひどいことになるだろうことは予想していた。
だから公害防止技術を移転しようとしたんだが、まあ、人命が一番安い国には言っても無駄だった。

一昨年の旅で東京に行ったとき、東京の空の綺麗さに驚いた。
10月3日だったけど、30度を超えていて真っ青な真夏の空だった。
東京湾でもアナゴが採れるようになっているらしいし、本当に公害防止対策の成果だよ。

「東京には空が無い 本当の空が見たい」と高村知恵子は言ったが、今は福島の阿多多羅山(安達太良山)の空も東京の空も変わらないんじゃないのかな。

中国の大気汚染、水質汚染は酷いが、所詮被害を蒙るのは自分らなんだから勝手にやってろと思うのだが、事、放射能汚染となると他人事と言っていられない。

日本の原発技術者が、中国の原発を運転している連中のど素人ぶりに呆れたという。
そんなど素人が運転しているのだから、いずれ間違いなく中国の原発事故は起きるだろう。

中国は広いからあちこちに腐海が出来ても気にしないんだろうが、東シナ海に面しても原発が沢山建てられているんで、事故を起こしたら日本にも影響はあるだろう。


ブラン
2016年02月25日20:27

苫小牧市科学センターのミール展示館にある宇宙船ミールの予備機を見ると

「旧ソ連の技術力恐るべし。」

と実感する。

コアモジュールのミールと、実験棟のクバントというモジュールがドッキングされた状態で展示されていて、その巨大さに

「よくもまあこんな大きなものを、、、。」

と圧倒される。
まあ今地球を周回している国際宇宙ステーションに比べれば小さいのだろうが。

その国際宇宙ステーションに人員や資材を運んでいたのはスペースシャトルだったが、ソ連にもソ連版スペースシャトルのブランという宇宙往還機があった。

ソ連版スペースシャトルというとロシア人は

「こっちの方が先だ。」

と怒るらしい。

何故かと言えば、ガガーリンが有人宇宙飛行をしたころにはすでに宇宙往還機の構想があったからだ。

元々は第二次大戦中のドイツでオイゲン・ゼンガーが考えたゼンガー計画の計画書を、戦後アメリカとソ連が持って行ったものだから両方とも形は似ている。
しかし細かく見てみると中身はかなり違っている。

アメリカのスペースシャトルは燃料タンクに取り付けられた固体燃料ブースターと、スペースシャトル自身の液体燃料ロケットエンジンで飛ぶ。
シャトルが貼りついている物は燃料タンクだ。

一方ブランが貼りついているのは、エネルギアという液体水素、液体酸素を推進剤にするロケットだ。
推進力を増すためにケロシン、液体酸素を推進剤にする補助ロケットを4基付けている。

ブラン自体はスペースシャトルの様なメインエンジンを持たない。
後部に付いているのは逆噴射用の小さな推力のロケットだ。 

その利点は重量が軽くなるので荷物を多く積める。
再突入時の速度が遅くなるので安全性が高い。
メインロケットに異常が起きた時にはオービターを分離し、姿勢制御エンジンを使い着陸出来る。

又、3号機からは搭乗員全員の射出座席が用意されていた。
チャレンジャー爆発の時は爆発後も数人の生存は確認されていたから、射出座席があれば助かっていたかもしれない。
ブランの方が安全性は上だったのかも。

1988年11月15日、ブランはカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、無人で地球軌道を周回したのち帰還した。

1992年には有人宇宙飛行をする予定だったが、1991年12月のソ連崩壊で無くなった。
2、3号機も設計製作中だったのが中止となる。

1号機はバイコヌール宇宙基地に保管されていたが、2002年に格納庫の屋根が積もった雪の重みで崩落、ブランも破損した。
この時作業員8名も亡くなったらしい。

ブランの試験機は現在ドイツのシュバイアー技術博物館に展示されている。
ブラン2号機はバイコヌール宇宙基地に保管中。

ブランのスペックは
・ 全幅:23.92m
・ 全長:36.37m
・ 全高:16.35m
・ 最大積載量:30t
・ 最大離陸重量:105t
・ ペイロードベイの長さ:18.55m
・ ペイロードベイ直径:4.65m
・ 搭乗最大数:10人
一方スペースシャトルオービターは

・ 全長: 37.24 m
・ 全高: 17.25 m(着陸時)
・ 翼幅: 23.79 m
・ 空虚重量: 約78トン(SSME搭載時)68,585 kg
・ 離陸時重量: 109,000 kg
・ 最大着陸時重量: 104,000 kg
・ 主エンジン: ロケットダイン製ブロック2-ASSME3基
・ 推力: 1基あたり178 ton(SSME, 真空中)1.75MN(海面高度)
・ 燃料 / 酸化剤: 液体水素(LH2) / 液体酸素(LO2)
・ 最大積載量: 25,060 kg
・ 貨物室寸法: 4.6m x 18.3 m
・ 運用高度: 190から960 km
・ 速度: 7,743 m/秒, 27,875 km/h, 17,321 m.p.h.
・ 航続距離: 2,010 km
・ 乗員: 6から8人 最少2人
・ 乗員空間: 65.8 m3(内部エアロックを含む)または74.3 m3(貨物室内の外部エアロックを含む)
大きさは同じようなものだが、積載重量は5トン程ブランが大きい。

ソ連が崩壊しなければ国際宇宙ステーションの連絡には、ソユーズではなくブランが使われていたかもしれない。


浅草寺の大提灯
2016年02月21日14:04

外人が観光で浅草寺を訪れる動画を見たが、雷門(正式には風神雷神門)の大提灯が映っている。
この大提灯というのは歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれているものなのだが、紙で出来ているのだろうから風雨に曝されて傷んで行くだろう。

一体大提灯は何年くらいで交換するんだろうかと調べたら、10年ごとに取り換えているのだそうだ。

雷門にかかっている大提灯は京都の高橋提燈という会社で作られている。
この会社のホームページを見ると、浅草寺には4つの大提灯が納められているが、最大の物が雷門の大提灯で、平成15年に製作寄進されたものらしい。

折りたたんでトラックで運ぶのだが、直径が大きすぎて高速道路が使えず、一般道を夜間に走って2泊3日で浅草寺まで運んだのだという。

http://www.chochin-daisuki.jp/recommend/sensouji/

直径3.3米、高さ3.9米、重量700キロ

門を三社祭の神輿が通る時や台風の時には折りたたむとの事だが、重量があるから折りたたむのも大変な作業だろう。

この雷門は慶応元年(1865年)の火事で焼失していたが、松下幸之助の寄進により昭和35年(1960年)に再建された。
ゆえに大提灯には「松下電器」の社名が書かれている。

歌川広重の「浅草金竜山」の浮世絵が描かれたのは雷門が焼失する9年前の安政3年(1856年)で、大提灯を見ると「雷門」ではなく「志ん橋」と書かれている。
新橋に住んでいた人たちからの寄進だったのだろうが、元々は今と同じく「雷門」と書かれていたらしい。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige180/

そして「志ん橋」の大提灯は現在は本堂にかかっている。

浅草寺のHPを見ると幼稚園や病院まで経営しているようだ。


http://www.senso-ji.jp/guide/

病院から墓場までまかなっている。
王蟲だってあって良い
2016年02月08日14:25

初めて目を持った生物はカンブリア紀(約5億4200万年前から約4億8830万年前)に出てきた三葉虫なのだが、それよりずっと後の中世代ジュラ紀に出てきたドロカリス・インゲンという奴は体のほとんどが眼で、複眼二つがくっついて一つになっているのか、それとも最初から一つ目小僧なのか、実にけったいな姿をしている。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52210039.html

最近の研究ではカンブリア紀の生命の大爆発というのは、たまたま化石が多く見つかっているだけで、実はそれよりも3億年以前に多様な生物が生まれたらしい。

しかしカンブリア紀の化石から見つかった奇妙な生物たちを見ていると、なんでもありだなあと思う。
創造主には生命創作のタブーは無いらしい。



とりあえずなんでもかんでも作ってしまって、あとは繁栄するなり滅びるなり勝手にするが良いと言っている。

たまたま今生物の頂点に立っているのが人類だというだけで、恐竜が進化して人間の位置に居たって創造主としては何等構わないのだ。

鬼太郎の親父みたいなドロカリス・インゲンも、目が五つもあるオパビニアも、腐海に住む眼球だらけの王蟲だって有りなのだ。

考えてみれば人間だって元々2対の目を持っている。
通常の一対と、頭の上を見るための一対で水中生活していたころの名残だ。
胚が成長するにつれ頭頂の目は消えてなくなる。

片割れが脳の中の松果体として残っていて、昼夜のリズムが崩れても強い光を浴びることによってリセットされる。

http://matome.naver.jp/odai/2134225448625644801

このサイトに載っているハルキゲニアは両端がしっぽになってる変な生き物だけど、最近頭のついている化石が見つかって描き直されている。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52195068.html

恋のバカンス
2016年01月17日14:12
稚内の高台から北の海を見晴るかすと、サハリンが見える。
あの辺をラジオを聴きながら走っていると日本の放送を聴いていたはずが、電波が風に吹き散らかされてきたか、何時の間にかロシア語の歌が流れていたりする。

YOUTUBEを見ていたら、辺見マリの「経験」をロシアの歌手がロシア語で歌っていたが、旧ソ連の窮屈な体制でも稚内から飛んでくる電波は防ぎようもないから、日本の歌はそれなりに知られていたのだろう。

ロシアではザ・ピーナッツの「恋のバカンス」は映画の主題歌になってヒットしたりして、あまりにも一般化され過ぎて原曲が日本の歌だとは知られていないらしい。

「恋のバカンス」の場合は日本に駐在していた国営放送の職員が気に入って本国で放送したところ反応が良かったので、自分でロシア語の歌詞をつけたのだそうだ。

題名も、「Каникулы любви(恋のバカンス)」とそのままの意味で、冬季オリンピックが行われたリゾート地のソチをイメージさせる歌詞らしい。
こういったことは当時は鉄のカーテンの向こうの事とて、日本では知られていなかった。
今だったら著作権の問題が生じるだろう。


阿修羅像
2016年01月12日13:05

浅田真央がフィギュアスケートで激しいスピンをしている瞬間を捕えた一瞬の写真が、興福寺の阿修羅像に似ていた。
顔がゆがむくらい力が入って、髪をふり散らかしている。

阿修羅像は少年とも少女とも、どちらにも取れる中性的な顔をしているが、これは当時の「美しい顔」の1パターンだったのかもしれない。

まあ現代の美的感覚からいえばちょっと違うのかも知れないが、こういう顔は長い年月、日本人の血に脈々と受け継がれて来て、いまだに似た顔が散見される。

この阿修羅像ファンが集う、こんな会もある。

http://www.kohfukuji.com/fanclub/

そういえば我が息子も阿修羅像のファンであった。

海洋堂でフィギュアも出ている。

http://www.kaiyodo.co.jp/asyura/

実物と比べ、ちょっとふっくらしすぎてるような気もするが。

阿修羅像の作者は仏師将軍万福(ぶっししょうぐんまんぷく)、阿修羅像のモデルになった女性は、聖武天皇と光明皇后の娘、当時16才の阿部内親王(後に2度、女帝となった孝謙天皇と称徳天皇)との事。

こんな顔の子がクラスにいても違和感無いだろなあ。

ロシアでの暴漢対処法
2016年01月10日09:12
1、周りにあるものを利用する。

例)そこらを歩いている鹿を振り回す。とび蹴りができる猫を投げつけたり、マンホールの蓋をはがして投げつけるというのもありました。

2、山ダニに襲われた時。

相手が攻撃してくる両手をつかんで巴投げ。頭を打って気絶。

3、ボルシチ鍋に襲われた場合も同様 ボルシチがこぼれて死亡。一歩間違えると自分が熱いボルシチを浴びてやけどをする危険あり。
新十津川警部
2016年01月08日12:56

純子がサスペンス物が好きなので、別に観たくは無いのだが「西村京太郎サスペンス十津川警部シリーズ」を一緒に観る。

当然殺人事件が起こるのだが、自分の亭主が事件にかかわっていて命を狙われているのではないかと疑っていた妻が、警察の捜査で互いに接点が見いだされなかった被害者と容疑者と亭主が揃って写っている古い写真を本の間に挟んで何げなく警部に渡す。

しかし捜査は佳境に差し掛かっていて、ほぼ犯人の目星は付いている。

犯人が逮捕されてから妻が

「十津川警部だったら、きっと写真の意味に気づいてくれると信じていました」

と言うから

「そんなもん十津川警部でなくとも、俺でも解るわい。」

と言ったら純子が

「さすがすがちゃんだね。これからあんたのことを新十津川警部と呼ぶことにするよ。新十津川警部う!」

「なんだ!何か分かったか!」

と二人で小芝居をする。

奈良県吉野郡十津川村は奈良県南端の山間の小さな村で、十津川郷士という下級武士たちが農業などをやりながら暮らしていたのだが、明治22年(1889年)に大雨のため山が崩れ168人が死亡、村は壊滅状態となり2500人が北海道に移住することになった。

明治23年(1890年)にトック原野に入植し開墾したのが現在の新十津川町である。
従って村章、町章が同じ菱十字であり、さかのぼれば幕末に御所警備をすることになった時に頂いた旗印が元になっている。

元々が武士であるから新十津川町は剣道が盛んらしく、新十津川町から十津川村の教師になった人が剣道部の顧問になっているドキュメントを見た。

九州の選挙のポスターで候補者が剣道の防具を着けて写っているのがあったが、あちらでは剣道をやっているというのは好感度アップなのだろうか。

正月明けの4日に子供たち一同+三好ちゃんが来たのだが、みんな孫にお年玉をくれた。

「どうもありがとうございました。」

と、ちゃんとお礼を言っていたが、帰るときになったら

「あけましておめでとうございます。良いお年を。」

と言うので笑った。
らどん
2015年12月31日11:10
西野にうどん屋さんがあるのだが、その看板が「うどん」と毛筆で書いたようなフォントになっているためいつも「らどん」と読んでしまう。

空の大怪獣ラドンは翼竜のプテラノドンをベースに作った東宝の怪獣映画だが、よくラドン温泉という看板を見ると、ラドンが露天風呂に気持良さげに入っている姿を思い浮かべてしまうのは俺だけか?
コップのフチ子
2015年12月27日13:32

コップのフチ子さんはお土産店や道の駅で見かけて存在を知ったのだが、コップのフチに掛けるだけの飾りという設定もさることながら、地方の信用金庫の銀行員のようなじみーさが妙に興味をそそる。

学生時代はクラスの中でも目立たぬ存在で、OLになっても派手な化粧や服装をして遊びまくるわけでもない。
どこにでも居そうな普通さが良い。

このコップのフチ子さんは奇譚クラブという会社が、カプセルトイとして2012年に売り出したのだが、一年で300万体売り上げた大ヒットとなったらしい。
ガチャポンなんか幼児の物と思っていたので全然知らなかった。

様々なバリエーションのフチ子が発売され、ふなっしーとの共演やら、ディズニーキャラのコスプレをしたフチ子もある。
どんな人が手掛けたのだろうと調べてみると、タナカカツキ(田中克己)というマンガ家で映像作家の人だった。

キタンクラブのHPを覗いてみたら、グッズの紹介があって当におもちゃ箱をひっくり返したような面白さ。
遊び心満載だ。

http://kitan.jp/products

「あたらしいみかんのむきかたソフトストラップ」なんて発想、どこから出てくるんだ?
なんかギャグ漫画のノリだ。
http://kitan.jp/products/%e3%81%82%e3%81%9f%e3%82%89%e3%81%97%e3%81%84%e3%81%bf%e3%81%8b%e3%82%93%e3%81%ae%e3%82%80%e3%81%8d%e3%81%8b%e3%81%9f-%e3%82%bd%e3%83%95%e3%83%88%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%83%e3%83%97

「公園に半分埋まっているタイヤ」なんて物をグッズにしようなんて発想は、俺には絶対思いつかない。

http://kitan.jp/products/tire

「ねえ、今度の商品なんだけど、寿司ネタをネコにしたら面白くね?」

「おっ!それいいねえ ネギトロネコいっちょう!」

http://kitan.jp/products/nekozushi_figure

てな、ものすごい軽いノリで作っているとしか思えない。
そういうテキトーさ、軽さが発想の源なんだろなあ。
これらの商品開発にもタナカカツキさんがかかわっているのだろうか。
元々赤塚不二夫に影響を受けてマンガ家になった人なのだ。


しかしここの商品には純子が欲しがっているオカメインコやふなっしーもあって、また買ってしまいそうだ。
佐野厄除大師御札
2015年11月27日12:25
栃木県佐野市の天台宗惣宗寺(そうしゅうじ)は佐野厄除大師と呼ばれ、関東三大師のひとつだ。
その佐野厄除大師のお札が、この子供の悪戯書きのような奇天烈な代物だ。

ちょっとユーモラスでもある。
頭にアンテナを立てている宇宙人の様にも見える。

古代マヤ文明の「パレンケの石棺」に描かれた、「ムー」の愛読者ならロケットを操縦している宇宙人と信じて疑わない人物を連想してしまった。

しかしこうやって並べて佐野のお札と比べると、劇画と、しりあがり寿くらいの差がある。
なんなんだろうね、、この脱力するような絵は。

こんなの部屋に貼っておいて、寝てる時にお札から抜け出てきてへらへら笑いながら覆いかぶさってきたらどうするのよ。
悪霊よりこいつの方が怖いよ。

一昨年の旅で大畑の道路わきの電柱に貼ってあった「熊出没注意」の張り紙の方がイメージは似ているかも。
小学生が描いたとしか思えないへなちょこ絵で、貧相な熊が両手を挙げて襲いかかってるのさ。

でもこの佐野の厄除けのように口がへらへら笑ってるのさ。
あれを大人が描いたのだとしたら、逆にものすごい才能だと思う。

山岡鉄舟
2015年06月17日13:23

ここひと月ふた月ほど身体がだるくて肩が凝って、そのままだらだらしてしまうと自然治癒力が呼び覚まされないと、自分でも根拠のよく分からない理由から無理矢理身体を動かすと、とりあえず昼頃にはすこしだるさが無くなるというか、気がそらされるというか、あまり気にならなくなるという状態が続いていた。

しかし先日はどうにもだるさが酷くなり、これは物言わぬ臓器が悲鳴をあげてるなと判断し酒を控えた。
酒を控えると眠れないものだから寝返りばかりして布団を吹っ飛ばし、天候不順が続いた時期だったので風邪らしき症状を呈してきた。

すると気も弱っているものだから

「これはMERSでは無かろうか。」

とか

「肝臓がんで手遅れかも知れない。」

等と考え始める。

とりあえず肝臓に良いと言われるオルニチンを摂るために「しじみ70個分のちから」というインスタント味噌汁の元と、商品テストのために試しに生協の片隅の棚に置いてみました風、KIRINの「ウコンとしじみ900個分のオルニチン」という栄養ドリンクを買い飲み始めた。

しじみ70個と900個の差があるなら当然ドリンクを買うのだが、残念なことにもう無くなってしまった。
というか、全部俺が買ったのだけど、後からの補充が無い。

値段も先行品と比べて安かったから、とりあえず安くして使って貰い、これは売れると判断したら本格販売するのかも知れない。

先日ふなっしーのデザインのボトルのナシのジュースが試供品みたいに置かれていて、ボトルが欲しいので一本買ってみたらなんと中身も美味しく、ナシのジュースを飲まない孫が美味しいと飲んでいたので又買いに行ったらもう売っていなかった。

そうやって酒を飲まず、味噌汁と栄養ドリンクを飲んで二、三日経ったらすっかりだるさが消えてしまった。
ウコンとオルニチン恐るべし。

しかしこの年齢になると一日に一度は死について考える。
俺なんかはじたばたしながら死ぬだろうが、世の中には誠に平常心を保ったまま死に向かう人たちがいる。

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)は勝海舟と共に、幕末の江戸城無血開城の功労者だが晩年胃がんを煩う。
もう先が長くないということで勝海舟がお見舞いというか、お別れというか、様子見に行った時の事を記している。

「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。明治二十一年七月十九日のこととて、非常に暑かった。
 おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が見えたから「おやじはどうか」というと、直記が「いま死ぬるというております」と答えるから、おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。
 おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、
「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。
 それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。
 少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に「山岡さんが死になさったとのご報知でござる」と言うので、「はあ、そうか」と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
 その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。
 なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ。

しかしこの二人の会話かいつまむと

「よっ!どうだい死にそうかい?」

「良いところに来てくれたねえ。もうちょっとで死ねそうなのさ。」

「そうかい、まあせいぜい頑張って死んでくんねい。 じゃあな。」

という事なんで、海舟自身も鉄舟同様、死なんて隣の部屋に移動する位に思っているんだろう。

そうそう、山岡鉄舟って身長188cm体重105キロもあったらしい。
写真を見ても精悍で筋肉質だ。

剣術の達人で、書家としても有名で、「開運!なんでも鑑定団」なんかでは借金のカタで手に入れた鉄舟の書が出てくると

「またつかまされたな」

と誰もが哀れみの表情のにやにや笑いを浮かべるという程、偽物が多いらしい。
つまりそれだけ人気があるということなのだろう。


幕末の絵師
2015年06月14日07:29
大好きな幕末の絵師、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)と弟子のジョサイア・コンドルの展覧会が催される。

http://mimt.jp/kyosai/

北斎や広重ほど国内では知られていないが、海外では河鍋暁斎は有名なのだ。

7歳で歌川国芳の画塾に入門。
10歳で狩野派の前村洞和愛徳(まえむらとうわあいとく)、11歳で駿河台狩野派 洞白陳信(とうはくのりのぶ)に師事する。

明治になり幕府お抱えの狩野派の絵師達は仕事が無くなって困窮するが、暁斎だけは様々な仕事を引き受けて人気絵師となる。

弟子には鹿鳴館やニコライ堂を設計したコンドルがいる。
鹿鳴館を設計した時、コンドルは和洋折衷の建物を図面に起こした。

しかし依頼者の外務卿、井上馨(いのうえかおる)がこれを撥ね付ける。
江戸時代に結ばれた不平等条約を改正するための外交の場として、純西洋風の社交場を必要としていたからだ。

結局井上馨の意に添って設計し直され、鹿鳴館が造られる。
毎晩の様に舞踏会が開かれた。
日本は西洋に負けない文明国であると背伸びをして見せたのだろうが、猿が西洋の衣装を着て、西洋風の社交場で、西洋風のダンスを踊っていると笑われていた。

コンドルは子供の頃から日本美術に興味を持ち、お雇い外国人建築家として日本に来てから河鍋暁斎に弟子入りして日本画を習う他、華道、落語等も楽しみ、日本の衣装、庭園の研究をし、日本舞踊の師匠くめと結婚した。

日本文化の良き理解者だったから、日本建築の良さも生かした和洋折衷の建物にしたかったのだと思う。

暁斎は長年絵日記をつけており、その中にコンドルとの交友の様子も描かれているが、二人は絵の師弟関係というだけでなく、仲の良い遊び友達であり、尊敬し合っている関係だったと思われる。

コンドルが西欧に暁斎を紹介してくれたおかげで暁斎は北斎、広重同様に知られる存在となった。

建築をやっている人は建物の写生をするから絵は書き慣れている。
コンドルは水彩画も描いていたから日本画もみるみる上達していって、英国の暁斎の意の「暁英」の雅号を授けられ、他の弟子達とともに第二回内国絵画共進会に出品するまでになる。

暁斎は晩年胃がんを煩い、1889年に59歳で亡くなるのだが、コンドルは病床の暁斎の最後を看取っている。

今回展覧会が開かれる丸の内の三菱1号館はジョサイア・コンドルが設計したもので、当時の建物は解体されたがレプリカが2009年に再建された。

河鍋暁斎のひ孫にあたる河鍋楠美(かわなべくすみ)さんが埼玉県蕨市にある「河鍋暁斎記念美術館」の館長をされている。

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

楠美さんのお婆さんの「河鍋とよ」は暁斎の弟子でもあり、暁翠(きょうすい)という雅号の日本画家だ。
この人も才能豊かな人で色々な展覧会で賞をもらい、東京女子美術学校(現・女子美術大学)で初の女性教授になった人だ。

しかしこんな人でも父親の画業を超えることは絶体に不可能と思い知り、楠美さんの母親に「絵描きにはなるな」と言明し、そのため楠美さんも家訓を守って絵描きにはならず医者になる。

しかし血というものは怖ろしいもので、子供の頃から白い壁や紙を見ると自然に腕が動き出しそうになるという。
お顔を拝見するに、あごや口元が暁斎にそっくりだ。

https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B2%B3%E9%8D%8B%E6%9A%81%E6%96%8E+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB&biw=1920&bih=923&tbm=isch&imgil=h1ErphA9H62iZM%253A%253BQqgDGCQzFX5x_M%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fblog.goo.ne.jp%25252Fteinengoseikatukyoto%25252Fe%25252Fc96f13da35d378ef59911daf0eba8038&source=iu&pf=m&fir=h1ErphA9H62iZM%253A%252CQqgDGCQzFX5x_M%252C_&usg=__3W-JRDSEZvoNA0ZqwDWrqlnzkYc%3D&ved=0CEwQyjdqFQoTCPf53trMi8YCFQtQvAodSfwAmg&ei=L5J7VbemCIug8QXJ-IPQCQ#imgrc=_

暁斎は人を描くときに骨格や裸体を描いてから肉や衣装を纏わせる。
完成した絵は売れて手元を離れてゆくが、下絵が残る。
その下絵や画稿が河鍋家には3000点余残されていたらしい。
それらが「河鍋暁斎記念美術館」には所蔵されているらしく、いつか機会があれば行ってみたい。

その暁斎の最初の師匠の歌川国芳に関してこんな記事があった。

http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65669753.html

本当にスカイツリーが時空を越えて見えたで良いんでない?

誰かののSFで、太陽が燃え尽きて巨大化し、地球の海が干上がってしまう遥か未来、人類が余所の星に移住する。
その人類の生き残りが宇宙船に乗って、地球の上空から海が干上がって火星のように荒廃した地上を覗き込む。

まだ地球に海があった頃の浜辺で、男が太陽がぎらつく空を見上げる。
遥か上空に見たことも無い形の船が船底を見せながら通ってゆく。
そしてその船から誰かがこちらを見つめているのを感じる。

女が傍らにやってきて

「何か見えるの?」

と聞く。

男は

「いや、何も。」

と答え、あれは幻だったのだと思う。

という様なショートショートがあったように思うが、国芳にもそんな事があって今の東京が一瞬見えたのかも、、、。


金魚
2015年06月12日21:52

先週の日曜日「ナメコのシール」を買いに、娘と孫の三人で小樽に行く。
小樽の通りを歩いていると寿司屋の前に池が作ってあって金魚が泳いでいる。
色々な種類の金魚が居て、生き物好きな陸は立ち止まってじっと眺めている。
お腹が膨らんだ金魚や、青っぽい色をした金魚も居た。

日本の三大金魚の生産地は奈良県大和郡山市、東京都江戸川区、愛知県弥富市なのだそうだ。
弥富は一昨年の旅でも傍の木曽川、長良揖斐川に架かる長大な橋が強く印象に残っているし、昨年の旅でも台風をやり過ごすために弥富の道の駅で一泊した。

一昨年の旅で名古屋から桑名に向かって走っていると、やたらと金魚の養殖場の看板が立っていて、きっと家康の昔からこの辺りでは金魚の養殖が盛んだったのだろうと考えていたが、弥富で金魚の養殖を始めたのは幕末の1860年頃かららしい。

大和郡山市の金魚商人が熱田宿に向かう道中の弥富で、金魚を休ませる為に池を掘り水を張って泳がせていたら寺小屋の権十郎がこの金魚に興味を持ち、購入して飼育を始めたのが弥富の金魚養殖の始まりなのだそうだ。

そして弥富の金魚養殖のきっかけとなった大和郡山市の金魚は、享保9年(1724年)甲斐の国(山梨県)の柳沢吉里が大和郡山の藩主に国替えしたときに持ち込まれたものだ。

東京江戸川区の金魚養殖は明治になってからだが、江戸の中期にはもっと江戸の中心部で飼育されていたらしい。
中心部の開発が進んで水の良い江戸川区に移動してきたとの事。

延享5年(1748年)に出版された金魚の飼育書である安達喜之『金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)』が飼育熱を生んだといわれている。

庶民はガラスの金魚鉢を軒先に吊して楽しんでいたらしく、歌川国芳の浮世絵にも擬人化された金魚が描かれている。

しかし最近は金魚の養殖池がどんどん無くなって宅地になっているらしい。
金魚養殖が金にならないらしい。

好事家の間で高値で取引される金魚もあれば、くずとして売られてゆく金魚もあり、そういうのが夜店の金魚すくいの金魚となる。

ホームセンターなどで売られている金魚はみんなこういう金魚であり、高値が付く金魚は何年も飼育されているので大きいが、こういうところで売られているものは生まれてすぐに篩い落とされたものであるから若く小さい。


深淵から見つめる者
2015年05月31日07:51

ニーチェの言葉


「怪物と闘う者は、その過程で自らが 怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを 見返すのだ」

この言葉はどういう意味かと考えてみるに、人は自分の中に欲望の闇を持っている。
それは動物的本能から生まれた物で、本当は生きる為にとても必要な事なのだ。

でも人は社会的動物であるから、そういう闇の奥に潜む欲望を表面に出してしまうと外の世界とうまく付き合えない。
それで人は原始的欲望を無意識の中に押し込めている。

自分の中の深淵を深く見続けていると、その押さえつけた欲望を見つめる事になる。
それでその欲望を解放させてやりたくなってしまう。

黒澤明の「野良犬」の主人公の刑事は戦争から復員して刑事になり、列車の中で拳銃を盗まれる。
そして拳銃を盗んだ男はその拳銃を使って強盗殺人を起こす。

捜査を進めてゆくとこの男も主人公の刑事と同じように復員の列車の中で荷物を盗まれる経験をしていて、この男と刑事は瓜二つなのだ。

片方は刑事になり、片方は殺人者となる。
刑事だって、もしかすると殺人者になっていたかも知れない。
二人の立場を分けたのはほんの少しのきっかけと、欲望をほんの少し押さえつけられる能力の違いだったかも知れない。

深淵を覗くと、深淵も又自分を見つめている。
たぶん深淵の向こうから見つめているのは、無意識に押し込められたもう一人の自分なのだと思う。

お鍋洗わなきゃ
2015年05月17日11:17


子供の頃テレビでやっていたアニメーションはアメリカ製ばかりだった。
ディズニーを初めとして、ポパイ、ベティブーブ、トムとジェリー、猫のフィリックス等はシリーズになっていたが、単発物を集めて纏めた物もあった。

その中で未だに気にかかっている話がある。
もうあまり覚えていないのだが、モンロー風のウエストのくびれた若い美人主婦(という設定なのだと思う。何せ子供向けにデフォルムされた絵柄だからよく分からない。)に様々な危機が次から次へと襲いかかってくる。

しかしいつも間一髪でかわし続け、本人は全く頓着せずそのたびに

「お鍋洗わなきゃ」

と言いながら家路に急ぐ、家事ばかり気にしている奥さんなのだ。

このアニメーションを思い出して感じるのは、少なくとも当時のアメリカでは主婦は家庭に居て家事をやっているのが当然、というのが一般アメリカ人の大勢を占める考えだったのでは無いかということだ。

あのアニメーションが作られたのは公民権運動が始まった頃、ウーマンリブはまだ始まっていなかったと思う。
黒人差別撤廃を訴えた公民権運動はともかく、ウーマンリブというのにはずっと違和感を感じていた。

だって当時アメリカでは日本に比べて女性の社会進出は進んでいた。
いつも「お鍋を洗わなきゃ」と思っている家庭に居るのが好きな女性もいれば、社会で働くことに生き甲斐を持っている女性達もいて、好きな方を選べる社会なのだと考えていた。


アーロン・ルッソというアメリカの映画プロデューサー、映画監督、政治運動家が居たのだが、彼の友人にニコラス・ロックフェラーという、石油王ロックフェラー 一族 の男が居た。
ある時彼の家のパーティに呼ばれ、彼が笑いながら
「ウーマン・リブは何だったと思う?」

とルッソに訊いてきた。
そのときルッソは型にはまった考え方で

「女性は働いて男性と同等の給料を得る権利があると思うし、丁度女性たちが投票権を勝ち取ったのと同じさ」

と言ったら笑い出して

「お前はバカだな」

と言う。

「どうしてバカさ?」

と聞いたら

「あれが何だったのか教えてやろう。俺たちロックフェラーが資金を出したんだよ。俺たちがウーマン・リブを後押ししたんだ。俺たちロックフェラー財団が全部の新聞やTVで取り上げたんだ。
どうしてか知りたいか? 主な理由はふたつ。

ひとつは、ウーマン・リブ以前は人口の半分に課税できなかった。
ふたつ目は、(母親が仕事に行くので)今や子供たちは早くから学校に通う。
だから子供たちの考え方を好きなように出来る。

彼らを家族から引き離して州が、(公立の)州の職員(教師)が彼らの家族になる。
親が教える代わりに学校が家族になる。
子供たちにとって教師が家族になるんだ。
それらがウーマン・リブの主要な目的だった」。

「それまで僕の考え方では(ウーマン・リブは)とても高潔なことだった。
でもその裏にある意図を知ったとき、どういう背景か、何でやったのかが見えたとき、僕が高潔だと思ったことのうしろに邪悪を見ましたよ。」

とルッソは語っていた。
教育とマスコミを牛耳る、、、同じ手法を日本の左翼も使っている。
ネットの発達で破綻しかかっているが。

男女平等というのが女にとって良いことなのかと考えると、必ずしも良いことだけではないと考える。
なぜなら女は出産をしなければならない。

自然界では雌の妊娠、出産、育児の期間は身を守るのが大変だ。
従って雄が狩りをして餌を運び、雌は子育てに専念するというのが合理的だ。

男が外で働き、女が家庭を守るというのは、それが一番効率が良いからそうなったので、差別でも何でもないと思う。
差別ではなく区別、適材適所の役割分担だ。

アメリカの様に男女差別撤廃を進めた結果、戦場に行き戦死する女兵士も出てくる。
妊娠、出産に一年近くかかる女が戦争に行き、下手すりゃ戦死するよりは、365日種付けが出来、代わりはいくらでもいる男が戦争に行った方が国の人口は減らない。



V-22 オスプレイ
2015年05月11日15:50

昨日は石狩の方に行ったので、東埠頭の朝市に行く。
今カレイとシャコの取れる季節らしい。
500円で50枚近い砂がれいを買う。

家に帰って純子は捌いて煮付けにした。
いつもは綺麗に食べなさいと言うのに、今回は雑で良いから沢山食べてねと言う。
やはり時々朝市はチェックしておかなければ。
以前、鰯も取れたての物が馬鹿みたいに安く売られていた。

防衛省はV-22オスプレイを17機購入だそうだ。
シナの息のかかった政党やマスコミや市民団体が反対しているということは、彼らにとって非常に都合が悪いのだろう。
あの連中が嫌がることなら、日本にとっては良いことなのだ。

オスプレイって事故率が高くて危険だというのが彼らの言い分なのだが、確かに初期にはトラブルもあった。
それは機械的な事故だったり、マニュアル通りに使わなかったりが原因だ。
どんな機械だって初期故障という物はある。

それが改善されたから運用されているわけで、実際海兵隊に導入されてからの事故率は回転翼機の中で一番低いし海兵隊員からの評判も良い。

日本の回転翼機はエンジンが故障した場合ローターをエンジンから切り離し、竹トンボの様にゆっくり着陸するオートローテーションが出来なければならないらしい。

初期のV-22はオートローテーション機能を持たせたのだが、実際に回転翼をヘリコプターの様にして上昇下降している高度では、オートローテーション機能を持っていても地面に激突は避けられないらしく現在は取り外して居るらしい。

まあそれが国会で野党の批判のネタにされているのだが、軍用機と民間機を一緒に考えるのがおかしいんじゃないのか?と俺は思うけどね。
それなら法律の方を変えるべきだ。

V-22は翼の中に軸が貫通していて、左右のエンジンが繋がっている。
片方のエンジンが止まったとしてもローターは回り続ける。

ローターが飛行機のプロペラの様な角度で飛んでいる時に両方のエンジンが止まったとしたら、そのまま不時着となりローターは地面に接触するが、バラバラに飛び散るのではなくカニカマの様な構造になっているローターが箒のようにばらけて飛び散るのを防ぐ。

オスプレイのエンジンってターボプロップなのか?メーカーは?と調べてみたらロールスロイス製のターボシャフトエンジンとのこと。

ターボプロップと違って圧縮機、タービン軸と繋がっていないフリータービンを排気の噴出力で回すことにより安定した軸出力が得られるらしい。

基本的にオスプレイというのは人員輸送用ヘリなのだが、ティルトローターにより航続距離と巡航速度が桁違いになっている。
しかも空中給油も可能だ。

大型ヘリのCH-47Fと比較してみると

MV-22B: 最大速度 565km/h 巡航速度 446km/h 航続距離 3690km

CH-47F: 最大速度 315km/h 巡航速度 240km/h 航続距離 2252km

となっている。

滑走路が無くとも離発着出来るから、離島防衛の他に災害救助にも役に立つと思うよ。
現に今回のネパールの地震では日本の米軍基地から飛んで行ってるからね。


<iframe width="1016" height="572" src="https://www.youtube.com/embed/-KSjAuWXWRM" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>


ドローン
2015年05月11日08:14
誰かの落語だったと思うが

熊: よお八 もしもスーパーマンになれたら おめえ何をする?

八: そうさなあ 俺だったらX線の目で服を透視して女の裸を見るなあ

熊: おめえは情けねえ野郎だなあ 男はもっと志を高く持たなきゃいけねえ ああ、、全く情けねえ

八: それじゃ おめえならどうすんでい?

熊: 俺か? 俺だったらまず空を飛ぶだろ?

八: おうよ

熊: そして銭湯の天窓から女湯を覗く

という小噺があった。

先日首相官邸の屋上にドローンが着陸していた。
ドローンというのは男心をそそる。
女湯を覗くのはともかく、カメラを載せてあちらこちらを上空から見てみたい。
ドローンは軍事用の物もあって、米軍のドローンがアルカイダの幹部の潜伏先を攻撃し殺害したりしている。
軍用のものは車くらいの大きさがあって、機関銃やミサイルも積めるようだ。


> 今年の1月7日に起きたシャルリー・エブド襲撃事件を引き起こした首謀者のアラビア半島の
アルカイダAQAP幹部、ナッセル・ビン・アリ・アル=アンジがイエメンで米軍のドローン攻撃により
死亡したことが7日、SITE Intelligence Groupが入手したAQAPのビデオ声明により明らかとなった。

SITEが入手したAQAPのビデオ声明によると、Ansiは今年の4月、イエメンのムカラに潜伏しているところを
米軍に捕捉され、彼の息子および6名の仲間と共々、米軍のドローンの攻撃を受けて死亡した模様だ。

AnsiはCharlie Hebdo襲撃事件後にソーシャルメディアを通じて発表したビデオを通じて襲撃事件の
犯行声明を行っていた。<

首相官邸を攻撃したドローンなんかおもちゃに過ぎないが、高性能なものはこんな変態的飛行が出来る。
こんな物に追われたら逃げられない。

<iframe width="1016" height="572" src="https://www.youtube.com/embed/8p5uDf9i_Yc" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>



ドローン規制というのは、やはりしなければならない。
「高原列車は行く」の謎
2015年04月26日15:41

旅の番組を見てたら山梨県小渕沢駅と長野県小諸駅を結ぶ小海線に乗っていた。
二両編成の列車が八ヶ岳をバックにのんびりと走っていた。
一昨年の旅では小淵沢駅の傍の「信州蔦木宿」という道の駅に泊まったが、本当に山の中だった。

小海線は「八ヶ岳高原線」と呼ばれ、「高原列車は行く」という歌の路線であると思っている人も居るだろうが、作詞者の丘灯至夫(おか としお)は故郷福島県の磐梯湖畔の川桁駅から沼尻駅を結ぶ磐梯急行電鉄をイメージして作詞したらしい。

しかしそんな田舎の鉱石を運ぶついでに旅客も運んでいた鉱山鉄道よりは、日本アルプスを背景に走る旅客列車の方が明るく、華やかなイメージで歌詞の内容にふさわしいんじゃないかと思う。
もう既に磐梯急行電鉄は無くなっているし。


歌っている岡本敦朗さんは一昨年12月28日88歳で亡くなった。
この人は小樽出身で武蔵野音楽大学卒業。
デビュー曲は「朝はどこから」


【作詞】丘 灯至夫
【作曲】古関 裕而
1.汽車の窓から ハンケチ振れば
  牧場の乙女が 花束なげる
  明るい青空 白樺林
  山越え谷越え はるばると
  ララ・・ ララ・・・・・・・
  高原列車は ララ・・・ 行くよ

2.みどりの谷間に 山百合ゆれて
  歌声ひびくよ 観光バスよ
  君らの泊まりも いで湯の宿か
  山越え谷越え はるばると
  ララ・・ ララ・・・・・・・
  高原列車は ララ・・・ 行くよ

3.峠を越えれば 夢みるような
  五色のみずうみ とび交う小鳥
  汽笛も二人の 幸せうたう
  山越え谷越え はるばると
  ララ・・ ララ・・・・・・・
  高原列車は ララ・・・ 行くよ


この歌詞には謎がある。
まずハンケチを振っているのは誰なんだろう。
男なのか女なのか?
その後で「牧場の乙女が」とあえて言っているところを見ると、どうも男と考えるのが自然なようだ。

しかし60余年も生きてきて、青函連絡船や列車の窓から身を乗り出して、ハンケチを握りしめた手をちぎれんばかりに勢いよく振って、別れを惜しんでいる光景を見た事がない。

そもそもこのハンケチは何の理由で手に持っていたのだろう。
涙をぬぐった?
そうだとしたら他人の前で涙を見せないことを是と教えられて育った、日本の男としてあるまじき軟弱者ではないか。

軟弱男と牧場の乙女とは一体どういう間柄なのか。
列車の窓からたまたま見かけた見知らぬ女に挨拶する程度のことで、危険を顧みず身体を乗り出してハンケチを振るであろうか?
やはり男と牧場の乙女とは以前からの知り合い、それもかなり親密な関係であったと推察される。

牧場の乙女は何故花束を投げたのだろう。
そもそも花束というものは花を束ねた物であるから、花屋で買うなり、そこいら辺りに咲いている花を摘んで束にする必要があり、手品のネタの様に突然掌から出てくる物ではない。

ということは、乙女はあらかじめ男の乗った列車がその時間に通過することを知っていて、用意していた花束を投げたのだ。
しかも走っている列車に花束を投げて渡そうというのだから、何という豪腕、何というコントロールの良さだろう。

花束だけではふわふわとしか飛んでゆかないから、おそらく芯に石ころを包んでいたのだろう。
受け損なって顔面血だるまになる軟弱男、という光景は思い浮かばなかったのだろうか?

いや、もしかするとはなっから軟弱男に石をぶつけるのが目的だったのかも知れない。
何時までものらりくらりと結婚してくれない軟弱男。

「もういい!別れましょ!」

ということになり、一人列車に乗る男。
その列車の通過時刻を綿密に計算して待ち伏せる乙女。

そして列車がやってきて、わざわざ見送りに来てくれたと言うことは仲直りをしてくれるんだと思い込み、窓から上半身を乗り出し思いっきり手を振る間抜け男。
その間抜け面めがけ、渾身の一球が直撃。
額から血を吹き出しながらスローモーションの様に転倒してゆく男。

そんなシーンが思い浮かぶ。
そもそも牧場の乙女というから牧場で働く娘と思ってしまっていたが、本当にそうだったのだろうか?

本当は牧場さんという人が坂本龍馬のファンで、娘が生まれた時に龍馬の姉の乙女のような女偉丈夫になって貰いたいと娘の名前を付けたという可能性は有りはしまいか。

その甲斐あって娘は身長180センチ、体重90キロの巨漢に成長し、中学、高校とソフトボール部のピッチャーとして活躍し、村の相撲大会では毎年優勝していて、賞品の米俵1俵がエンゲル係数の高い牧場家の家計の助けになったというような事が想像される。

それはともかく、この歌詞の中の「五色のみずうみ」は五色沼の事で、「いで湯の宿」はこういう旅館らしい。

http://eyado.travelinfo.jp/list/shisetsu/12965.html

http://travelinfo.jp/yado/eyado.cgi?mode=2&a=b&p=07&t_kankouti=中ノ沢


核融合炉できる?
2015年04月16日15:10
昨年の10月のニュースだが、アメリカのロッキード・マーチン社が10年以内にトラックに載せられるほどの大きさの小型核融合炉を作る予定という記事があった。
そして日本でも核融合の実験炉の建設が始まり2019年から実験を始めるらしい。

http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPKCN0I509K20141016
http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/39106518.html

本当にそんな夢みたいな物が実現するのかねえ。
思えば鉄腕アトムで人工太陽球というのが出てきた。
球体のまわりに沢山のうねったパイプが出ていたが、日本が開発したヘリカル型プラズマ装置のプラズマを閉じこめるパイプはまさにそっくりじゃないの。

何か市民団体が建設に反対をしているようだが、どうも核融合と核分裂を混同しているのではないか?
無知から来る反対なのか、それとも日本の足を引っ張るのが目的なのか、なんだか反原発やってる団体が核融合炉実験施設にも反対しているらしい。

核融合炉は基本的に重水素(D=デユーテリウム)と三重水素(T=トリチウム)のプラズマを閉じこめておくのが難しいのであって、なにか故障が起これば自然に止まるのだ。

危険な要素として考えられるのは

1 トリチウムが放射性物質である。

2 アルファー線(ヘリウム4の原子核)が飛ぶ。

3 中性子線が出る。

4 中性子を受け止めるブランケットやダイバーターというプラズマに面している器機が放射能を帯びてゆく。

トリチウムは放射性崩壊でβ線を出してヘリウム3になる。
β線は非常に弱く、皮膚を貫通できないので外部被爆が無い。
トリチウムを大量に扱う製造業の技術者で内部被爆して死んだ例が2例あるらしいが、発電所の外の人達が被爆することは無い。

トリチウムは水の中に殆ど無いので、運転開始するとリチウム6とかリチウム7を含むブランケットを被せて中性子を減速吸収させて作る。
発電所の外から運んで来る訳でも無い。

アルファー線は紙すら貫通できないから出てくることは無い。

中性子線は先ほどいったブランケットで吸収される。
コンクリートを貫通できない。

ブランケットなどが放射能を帯びるようになるので定期的に交換しなければならないが、原子力発電所の様に高レベル放射性廃棄物が継続的に出ない。
炉壁に低放射化材料を使用する研究中。

D-T核融合の条件は「発電炉内でプラズマ温度1億℃以上、密度100兆個/cm3とし、さらに1秒間以上閉じ込めること」なのだが、既に日本では実現されている。
これからは発電炉として実用化する為の研究らしい。

しかしロッキード・マーチンのわずか10年後に、しかもトラックに乗るくらい小型の核融合炉なんて本当に実現可能なんだろうか。

<iframe width="1000" height="750" src="https://www.youtube.com/embed/kZWk00efJKk" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>


<iframe width="1016" height="572" src="https://www.youtube.com/embed/l3zJkfvImW8" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
動物を飼うべきじゃない人もいる。
2015年04月14日12:36


ロシアの虐待されていた猫の話

Массандра.
マッサンドラ


知り合いが猫を持ってきた。スコティッシュフォールド。
「自分じゃかわいそうだから安楽死しさせてくれ」と。
「猫が野生すぎて人を攻撃する。そろそろ子供が生まれるから迷惑。上の子供に逃げたと言っておいた。」
と頼まれ、注射代と手間賃と猫の餌の缶詰1つを残された。
俺はその知り合いの家に行ったことあるから、その猫に対する態度を見たことがある。
しばしば殴られて、ソファの下で暮らしていて、夜中に食事をして、ワードローブの後ろでトイレしていた。
ものすごく痩せていて毛がグチャグチャ。わりと元気な動物なのに。
予防注射もしてあるし、両親とかはっきりしてある。ただいじめられてきただけ。

オレは今まで2匹の猫を飼ったことあるし、きっとこの子も手懐ける。
もらったお金でダーチャ(※郊外の別荘)に3日間飲みに行った。猫に水をたくさん残して餌は一切残さなかった。
モスクワに戻ったら、猫にそばの実と人参とレバーのおかゆを作った。お皿に入れないで手から食べさせた。
この手は餌を与えてくれて殴ったりしない手だと分からせるため。
猫は3日間食べなかったからどこから食べようとどうでも良かった。
結構食べて、ミルクを飲んで、半日間眠った。
それから一週間くらい手で餌を与えて、そのあとお皿を買った。
因みに、猫は偉い子で、猫の専用トイレをいつも使っていた。最初の頃1回だけ違うところを使ったけど。

名前は深く考えずにマッサンドラにした。これはワインの名前。オレはマッサンドラが好きだから。
最初のころ、ソファの中に住んでいた。俺はまったく反応しなかった。猫に気づかないふり。
一週間後に猫が日の当たるアイロン台の上で寝るようになった。
2週間後に朝起きたら、猫がベッドの中にいた。(俺は窓を開けるのが好きだから家の中は結構寒い)。
猫も起きて、間違えてベッドで寝ちゃったって顔をしてアイロン台に逃げた。
最初の3週間はだいたい食って寝て食って寝ての繰り返しだった。トイレは決まった場所でしていた。そしてついに!3週間後、俺の座っていたソファに来て、オレの手に顔をなすりつけてきた。そしてまたアイロン台に逃げた。
全部で2ヶ月間かかった。
野生っぽい猫の骸骨から、きれいで、毛が輝いていて優しくて元気で喉を鳴らせるような猫に変わった。

食べ物は、やったものを全部食べてた。
一週間で魚は生とゆでたもの、赤みと白身。
牛肉(生とゆでたもの)、チキン、卵(生とゆでたもの)、牛乳、ケフィア、サワークリム。
それらをそばの実とかオートミール、丸粒状に製した大麦、人参などと混ぜた。
じゃがいもをそのまま好んで食べていた。あと、オート麦のスプラウトを作ってやった。
ちなみに、ソーセージのひと切れを床からなかなか取れないような猫じゃなかった。
レバーを猫の頭のサイズくらいやっていたし、魚ならまるごとかこぶしくらいの大きさ。
卵は生でもゆでたのでも殻のままやっていた。猫は殻も食べていた。じゃがいもも皮のままで。
酒を飲んで餌を作る元気がなかった日は冷凍のメンタイを猫にやっていた。
30分後骨だけになっていた。
夜中に突然ベッドに来て胸に登って足でもんだり喉を鳴らしたりするようになった。

ある日、元の飼い主がノートパソコンを修理に持ってきたら、猫が怒って俺を守ろうとした。
もう一つ。女の友達の家にネズミが出てきて、貸してくれと言われた。猫の匂いでネズミ逃げるかもしれないって。
猫とワインのマッサンドラを持って彼女の家に行った。そして泊まった。
猫は昔の習慣にしたがってソファの下で隠れて俺らの行動を見ていた。
夜中の3時に台所で大変な音。バイソンの群れが走り回っているような。
それは猫がネズミを狩っていた音だった。
朝になったら、ソファの上の足のところにネズミの頭が6個置いてあった。
あとは食べたみたい。台所がぐちゃぐちゃ。
ネズミの尻尾は家のあっちこっちにあった。
一週間でネズミを全部なくした。
俺も最高だった。一週間、ご飯もエッチももらっていた。

そのあと、北の方、家から7千キロも離れたところで働くことになった。
猫をその彼女に上げた。
彼女と猫は仲良かったし俺の匂いもその家に残っていた。
猫は俺の服の上に寝ていたからTシャツをあげた。
彼女はずっと家にいられなくて、猫を親戚に渡した。
その親戚は別荘をもっていて、しかも同じようなスコティッシュフォールドの雄がいた。
猫はいまだそこで幸せに暮らしている。

皆さん!猫の世話をするひまがなかったり、世話をしたくなかったりしたらそもそも最初から飼わないで!
いじめないで。
サボテンでも育ててください。サボテンは飲む相手としていいよ。
俺は猫を飼いたいけど、家にあまりいないから無理だ。
だから地下室に住んでいる野良猫に時々餌をやる。お返しに時々ネズミを捕まえてくれる。


ウィルスの起源
2015年04月13日14:45


ウィルスの正体とは何なのだろう。
生物なのか無生物なのか。

生物の定義は代謝と自己複製が出来ることだが、ウィルスは代謝が出来ない。
自己複製も他の生物の細胞の中でしか出来ない。
結晶の様でもある。

構造はタンパク質の殻の中に、DNAやRNAなどの核酸が入っている。
他の生物の細胞の中に侵入してタンパク質の殻をバラバラに割って核酸をばらまく。

そして寄生先の細胞の工場の材料や工具を使って、核酸と殻のタンパク質を大量に造って行く。
設計図だけを持って余所の工場に勝手に侵入し、沢山自分の複製を作ってしまう泥棒みたいな奴だ。

おまけに作りすぎて材料が無くなって、工場がつぶれることもある。
するとその工場を捨てて他に工場を探しに行く。

見つからないときは何時までも、何時までも待ち続ける。
そんな人生で本当に良いのか?としばし問い詰めたい。

ウイルスがそもそも何だったのだろうかと調べてみると、どうも元々はDNAの塩基配列の一部分だったらしい。

LTRレトロウイルスというウィルスは構造タンパク質のコード、アミノ酸やタンパク質のペプチド結合を加水分解する酵素のコード、逆転写酵素のコード、ウイルスの殻を覆う膜のタンパク質コードが、同じ塩基の長い繰り返し(LTR=long terminal repeat)に挟まれて書かれている。

その構造はDNAの中のレトロトランスポゾン(転移因子)と共通している。
どうもウイルスってのはDNAの転移因子が、タンパク質の殻を被って細胞の外に飛び出した物らしい。

http://www.fais.or.jp/okada/okada-past/about_us/group/mechanism/mechanism_11.html

片方は大人しく親の店を継いで地道に生活してるんだが、もう一人は風来坊になってあちこち泥棒しながら生きている双子の兄弟みたいな物か。
完全犯罪は金がかかる
2015年04月08日16:13
完全犯罪をやるなら重水だなと思っていたのだが、映画の「ケルベロスの肖像」の中で殺す相手を地下室に閉じこめ、大量のペットボトルの中に重水を詰め完全犯罪を成し遂げようとしていた。

解剖をしても分からない。
水なんだから。

水分子は2つの水素原子とひとつの酸素から出来ている。
普通水素原子核はひとつの陽子で出来ている。
しかし中には陽子ひとつと中性子をひとつか2つ持っているのがある。

それが重水素、三重水素なのだが、重水素、三重水素と酸素が結合してわずかに重たい水が出来る。
それが重水なのだが、普通重水というと重水素と酸素が結合した物をいう。

身体の水分の40%が重水に置き換わると死ぬ。
成人の身体の水分を60%として65キロの人は39キロの水分がある。
それの40%というと15.6キロ。

約16リットルの重水を飲ませなければならない。
一日に人が補給しなければならない水の量は体重1キロ当たり成人で50mlなので、3250mlは取っている。

死ぬまで1週間位かかりそうだが、重水は海水と同じで飲めば飲むほど喉が渇くらしい。
意外と早く死ぬかも知れない。

映画の中では10人を殺す計画をしていたのだが、被害者の平均体重を65キロとすると最低160リットルの重水が必要だ。
ネットで買ったという設定になっているので俺も調べてみた。

http://www.siyaku.com/uh/Shs.do?dspCode=W01W0104-2684

100gで17500円! Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
10人殺すには2730万円も金がかかるじゃないの。
まあ大量買いすりゃ安くはなるんだろうけど。

尿になって出て行く物もあるだろうから、もっと金がかかるかも。
犯人金持ちだなあ。

中央構造線
2015年04月05日14:00


昨年の旅で四日市、亀山を通り、伊賀経由で明日香村に行こうと思ったのだが、道は狭いし、道路脇の川は台風の雨水を集めて濁流と化していて、段々不安になってきて引き返し、遠回りだが甲賀、京都経由で行った。

あの狭い国道25号線は中央構造線を走っている。
ちょうど辰砂(硫化水銀)の事を調べていたので、中央構造線を走って見たかったのだ。

中央構造線に沿って水銀鉱床群が存在する。
それを最初は遺体に振りかける為に丹生(にう)氏が、後には金の精錬や鍍金のために秦(はた)氏が中央構造線に沿って捜していた。

従ってこの辺りには丹生の地名や神社が多い。
橿原市を走っている時に秦の苗字も見た。

この中央構造線は本州、四国、九州を1000キロに渡って横断している。
その正体は付加体の接合面だ。

海洋プレートが大陸プレートの下に斜めに潜り込んでゆくのだが、海洋プレートの上には海山とか堆積物がある。
潜り込むときに破砕され、それらが大陸プレートに押しつけられてしまう。
それが付加体だ。

中央構造線より北側はユーラシア大陸の東側に押しつけられた付加体で、1億8000万年前に完成。
南側は今はユーラシア大陸の下に潜り込んで消失してしまったイザナギプレートが南の方から運んで来た付加体だ。

札幌や道南もそうやって運ばれてきた。
これが7000万年前。

http://www.nishida-s.com/main/categ3/mtl-nagano/

この頃にイザナギプレートと太平洋プレートを分けていた中央海嶺が海溝に沈んだらしい。
それからは太平洋プレートが海溝に沈み込み始める。

日本が大陸から割れ日本海が出来、西半分は時計回りに、東は反時計回りに回転することで弓形に折れ曲がる。

中央部が陥没し海になり堆積物が積もる。
フォッサマグナの西端、糸魚川-静岡構造線は北アメリカプレートとユーラシアプレートのはざかいで、又プレートが移動して陸が近づき海が隆起して陸になる。

だから海洋堆積物に覆われてしまっているが、中央構造線は糸魚川-静岡構造線を横切って関東平野から茨城の方向に迄走って居るらしい。

その中央構造線と糸魚川-静岡構造線の交叉した場所が諏訪湖で、諏訪湖は断層が動いた事で出来た湖で、中央構造線は諏訪湖で北に11キロ動いているらしい。

一昨年の旅で諏訪湖PAで休み湖を眺めた。
穏やかな湖だったが、大昔にそんな出来事があった事を知っていたら別の感慨を抱いたろう。


しょこたんの家系図
2015年04月02日14:06


昨年10月に輪島に行ったとき、駅前に朝ドラの「まれ」の宣伝看板がかかっていた。
出だしはなんか面白そうだ。

戸田恵子のナレーションって声だけ聴いていたら戸田恵子とは気付かない。
脇を随分個性的な役者で固めているという印象だ。

中川翔子ちゃんって、あんまりドラマに出てた記憶が無いんだが。
翔子ちゃんの家系ってそうそうたる顔ぶれなのだ。
ややこしいので家系図を作ってみた。



伊藤一隆(いとうかずたか): 翔子ちゃんのお婆さんである小笠原栄子のお爺さん。
クラーク博士の教え子、札幌農学校第一期卒業生。北海道庁の初代水産課長で千歳にサケマス孵化場設置。

その関係で千歳のインディアン水車の傍の「サケのふるさと館」に翔子ちゃんが飼育していた亀やスッポンを展示する「中川水族館」が出来た。

大島正健(おおしままさたけ) :伊藤一隆と同様に札幌農学校一期生。教育者、宗教家。

野尻抱影 (のじりほうえい) :英文学者、天文関係の随筆「星三百六十五夜」の作者。SF作家の野尻抱介とは無関係。野尻抱介はペンネームで、おそらく野尻抱影の愛読者だったんじゃないか?

大佛次郎(おさらぎじろう)(野尻清彦):抱影の実弟、「鞍馬天狗」「日蓮」「赤穂浪士」「水戸黄門」の作家。

松本恵子(まつもとけいこ):翻訳家

松本泰(まつもとたい):推理小説作家

小笠原好彦(おがさわらよしひこ):小説家、編集者、国士舘大学教授

中川勝彦(なかがわかつひこ):ミュージッシャン、歌手、俳優。翔子の父親、翔子が9歳の時32歳の若さで亡くなる。

ヒーラ細胞
2015年03月26日20:00
本日は胃の内視鏡検査。
1センチ大のポリープが幽門近くに見つかり、組織検査の為採集。
一見したところでは良性のように見えるとの事だが、悪性であったとしても切除すれば死にはしないだろう。

嫌だけど毎年胃の内視鏡検査をやっているのは、親父が胃がんで死んでいるからだ。
俺はピロリ菌除去を一回目失敗し、2回目で除去出来た。
それ以来胃の痛みはあまり感じなくなった。

たぶん親父もピロリ菌を持っていたのだと思う。
親父の生きていた時には、ピロリ菌が胃がんの原因と知られていなかった。
マメに医者に行ってバリウム検査をやっていれば早期発見できたのかも知れない。

定期的検査で早期に見つかって助かるがんは、大腸がん、乳がん、子宮頸がんらしい。
俺の大腸がんも、なんかごろごろした物があるなあ、便に血が混じるなあと気付いていたが随分ほったらかしていたけど、進行が遅くてステージ2に留まっていた。

数日後に俺の誕生日なのだが、俺の誕生日のふた月前、1951年1月28日にアメリカメリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンス病院に、ヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks)という5人の子供を持つ31歳の黒人女性が検査に来ていた。

下着に血液が付いていたので異常を感じたのだ。
検査の結果は子宮頸ガンだった。

治療開始前に彼女のがん細胞はサンプルが採られ、同病院のジョージ・ゲイとマーガレット・ゲイの研究室に送られていた。

彼らは人間の細胞を試験管内で「飼育」出来れば、がんの治療法が見つかるかも知れないと考えていた。
今だと普通の人の正常な細胞でも培養できる技術が確立されているらしいが当時は無かった。

そしてヘンリエッタの腫瘍細胞によってそれが実現した。
その腫瘍細胞は彼らがそれまでに培養したどんな細胞よりも活発に増殖した。

ヘンリエッタは放射線治療を受けていたが、彼女の体の中でもがん細胞は試験管内と同様に活発に増殖して体全体に拡がり、1951年10月4日に彼女は亡くなってしまう。

同じ日ジョージ・ゲイが全国放送のテレビに登場し、彼女の名前にちなんで名付けた「HeLa」ヒーラ細胞の入った試験管を示して、癌治療は近いと語る。

DNAの末端には大事な遺伝情報を保護するためのキャップが付いている。
人の場合だとTTAGGG(T=チミン A=アデニン G=グアニン)という一見無意味な塩基の繰り返しが続いている。

これをテロメアと呼ぶのだが、DNAポリメラーゼという酵素が端にとっついてDNAを複製してゆく時にテロメアの末端が複製出来ず、分裂を繰り返すたびにテロメアが短くなって行き、最後はコピーが出来なくなってしまう。

それが細胞の死なのだが、癌細胞ではテロメナーゼという酵素を使って短くなった部分を修復してしまう。
したがって、癌細胞は無限に増殖できるのだ。

ヒーラ細胞も癌細胞だから無限に増殖が出来る。
しかも増殖速度が速いと言うことで生物医学の安定した基盤となり、例えばポリオウイルスに感染させて産生手段として用いられ、ポリオワクチンが開発された。

ヒーラ細胞の株は世界中で培養され、その量は5000tになるという。
これは日本が一年間に輸入する食料と同じ量だそうだ。

ヘンリエッタ・ラックス自身はヴァージニアとメリーラウンドの他には行った事がないが、彼女の細胞はスペースシャトルに乗って宇宙にまで行っている。

ヒーラ細胞のサンプルを採集するに当たって、今のように本人や家族の了解を得ていた訳ではない。
当時のアメリカでは黒人は公然と差別されていたから、言う必要も感じなかったのかもしれない。
まあ、白人であったとしても今のように了解を得ていたかは分からないが。

ヒーラ細胞は医薬品販売会社などに莫大な利益をもたらしたらしいが、ヘンリエッタの遺族達には何の利益ももたらさなかった。

ただ64年も前に若くして亡くなってしまった貧しい家庭の一主婦の細胞が、未だに生き、世界中に広がり増え続け、人々の役に立っていることがすごいと思う。




キンチョーの夏
2015年03月23日14:40

屋外で夜焚き火をする時には、周りにいくつもの蚊取り線香を置いて結界を作り蚊を追い払う。
あの渦巻き型の日本の蚊取り線香は世界中で使われているらしい。

蚊取り線香の写真を見せて何だ?と訊くと
曰く

●palos01
”Katol”とか”モスキートコイル”と呼ばれてて、主に東南アジアで使われてるよ。

●sk0941
↑いやいや、スウェーデンでも使いまくってるって。

●holmyshit
デンマークでもな!

●hozz
アルゼンチンもだ!

●hakizar
何処で一番使われてるとか、分かりようがないだろ。

●phillipstimothy
カリブ諸島全域でも使ってるから。

●beetatas
いやいや、一番使ってるのはオーストラリアだね。

●lazarstojkovic
とにかくあらゆる所で使ってる。

●smashit
イラクでもな。

●perseus25
火星もだ。

●bittenzombie
別の平行世界でもな。

●cutemalaysian
フマキラー最高!

●phenylephrine
間違いだ。
これは花火の火をつけるのに使うものなんだよ。

●carfreak
↑ジョークなのか無知なのか。

●bloodg0d
↑いや、大真面目だろ。
実際1回1回マッチやライターを擦るよりも全然良いからな。

●dildomyass69
↑自分も花火の着火に使ってる。
こっちの方が簡単だよな。

●phcrouch145
花火の着火にも蚊避けにも使えるって事で。

●benjaminijs
Raidolitosだ。

●monnikona
↑メキシコ人か?

●majorasic
付け方を間違ってるぞ。
上下逆だ。

●disasian
↑燃えて灰になるんだし、どっちでもいいだろ(笑)

●fijiblue
蚊避けに効果あるな。
アメリカでも売られてるけど、南部以外だとあまり見かけない。

●msk08
↑カナダのコテージだと一般的に使われてるぞ。

●ariana_propana
蚊は煙を嫌うからね。
南アジアだと木の屑を燃やして蚊避けにする人達もいる。

●jjj_ddd
↑これは只の煙じゃない。
この渦には哺乳類には毒性の低いピレスロイド系殺虫剤が含まれてるんだ。
(訳注:ピレスロイドは除虫菊に含まれている殺虫成分)

●Anonymous
フィリピンだと”Katol”と呼ばれてるね。
これに火をつけたらその煙で蚊が死ぬんだけど、蚊取り線香で中毒を起こしてしまう人もいる。。
だからどうしようもない馬鹿げた事を指す”Katol pa more!”という言葉もあるんだ。

●rsm40
ラテンアメリカだと”Killer”と呼ばれてる。

●uyfyhfgdgfsdgf
↑アルゼンチンだと”espiral(スパイラル)”と呼んでるよ。

●jd0611
フィンランドでも使ってるよ。
フィンランド人じゃない人のために言っておくと、”Hyttyskarkotin(蚊避け)”と呼ばれてる。

●happydachshund
子供の頃食べた事がある。

●Anonymous
つまり、これは世界を制覇してるという訳か。
クール。

●iqbalwahyu10
インドネシアだと”Obat nyamuk”と呼んでる。

●skman84
インドだと”Tortoise musquito coil”という名前で売れまくってるね。

●kostis
ギリシャの湿った夏に滅茶苦茶活躍してる。

●vinnien
ドリキャスだろ。

●Anonymous
フランスのレユニオン島だとこれ無しはあり得ない!

●kenosape
ゲームの『L.A.ノワール』で放火に使ってたな。

●wulf2g
アフリカでも使ってる。

●robbiehill7622
イギリスだと”シトロネラ”って呼んでるな。

●cybertank543
ドイツにも売ってるよ。
燃やしたらちゃんと蚊避けの効果があるんだ。
バーベキューで使った事ある。

●thatsmelly
オランダだと”Muskieten kaars(モスキートキャンドル)”って呼んでる。

●Anonymous
メキシコで使いまくってるよ。

●xatzipetrouele
ギリシャだと”小さな蛇”って呼んでるね。
蚊避けに使うんだ。

●bobbyyveltal23
カナダに住んでるけどこれの広告をよく見かける。

●darthorso
イタリアでは”Zampirone”と呼んでる。

●Lalalalicia16
ワリオが火種に使ってるのをみて知った。

●little_speznaz
ロシアでもな。
ロシアを忘れるな。

●mascardomiguel
でもお金が掛かるんだよなあ…
乾いた椰子の皮を見つけて燻しても蚊避けになるしお金もかからないぞ。

●bebebl
カナダのケベックじゃ夏の必需品だ。

●bet0x
これは世界的な製品だよな。

●futrbrkr
ジャマイカだと”デストロイヤー”って呼んでるよ(笑)
蚊を殺すから。

●smsukhera
パキスタンだと”Jalaibee”だ。

●padilla1025
ウズマキ。

●evil_parsnip
これは俺の知る限り最高の発明だと思う。

●silentpartner
写真を見ただけで臭いを感じる位だ。

●theafrican
南アフリカで特に重要なサバイバルツールだね。

●demoniojp
日本だと蚊取り線香だ。

●panajota8252
ヨーロッパだとギリシャ、スペイン、ポルトガル、南イタリアみたいに蚊の多い国で使ってるね。

●sarahjane6
スコットランドのキャンプシーズンでは必需品だ。

●cbeasley907
アラスカじゃこれはもう宗教だよ。

●gangsargnrs
ある種のピザみたいなものだな。
(世界中に普及してるという意味で)

●filosofem93
蚊にとっては死の罠だ。
聖なる渦に万歳!
子供の頃は悪魔から身を護る聖水みたいなものだったね。
(ベネズエラに住んでたから)

●bbseesyou1984
世界中の人間の95%が知ってるだろ。

●kerra101
スカンジナビア半島全土で春から秋にかけて使ってるよ。


という状況らしい。

湿地帯なんか蚊が大量に湧いて、野田知佑がアラスカのユーコン川をカヤックで下る旅をしていて、川岸で休んでいるとモワモワした黒い物体が近づいてきた。
近くに来てみると蚊が人の周りにまつわりついて人型になっていたという。
だからアラスカでは蚊帳みたいな物が垂れている帽子を被って防いでいる。

KINCHO大日本除虫菊株式会社の発明したこの渦巻き型蚊取り線香はインスタントラーメン、ショーユに並ぶ日本発の大発明品ではないだろうか?
マラリアの罹患率を減らしているということから考えると、最も有用な発明品かも知れない。

あのコイルを二重に巻いているのもすごいアイディアだと思う。
ああすれば嵩が半分になるし折れづらい。
あれは「陰陽」の印から思いついたのだろうか。

どじょうがでてきて


何時も純子が孫の陸に物語りを読んであげているので、今度は陸ちゃんが純子さんに物語を読んでと頼んだら、陸は

「むかしむかしあるところにお爺さんとお婆さんがいました。」

と言い始めた。
そこまでは良かったのだが

「ある日戸をを叩く人が居たので出てみると、それはそれは綺麗な女の人が立っていました。」

うん、これも鶴の恩返し的で良いんじゃない?

「するとワニが大きなお口で女の人をパクッと食べてしまいました。純子さんもパクッと食べられてしまいました。」

「あらら、純子さんワニに食べられちゃったの?そしたらぴぴちゃんは?」

と純子が聞くと

「ぴぴちゃんもパクッと食べられました。じいじもパクッと食べられました。」

「そしたら陸ちゃんもワニに食べられたの?」

と聞くと

「ちがーう」

と言う。

「陸ちゃんはドジョウに食べられました。ママもパパもドジョウに食べられました。」

ワニの歯は尖っていて食べられたら如何にも痛そうだが、ドジョウなら痛くないと思ったらしい。

日本海軍とクエン酸
2015年03月16日19:18


純子が疲れた表情でいるので、何を食べさせたら疲労が回復するかを考える。
日本海軍では味噌にクエン酸を入れていた。

どうもこれは潜水艦で味噌を貯蔵しているとカビが生えるので、カビ防止のために入れ始めたらしいのだが、その味噌汁を飲むと不思議なことに疲労感を感じなくなった。

人間の細胞は嫌気性の古細菌の中に、好気性の細菌だったミトコンドリアが取り込まれ共生した物だ。

元は古細菌である細胞質の中で解糖系(嫌気呼吸)という1分子のグルコースがピルビン酸になって行く過程で、生命の共通エネルギー通貨であるATP(アデノシン3リン酸)が2分子出来る。

ピルビン酸からアセチルCoAとなって、元は好気性細菌であったミトコンドリアの中でクエン酸回路に取り込まれると36分子という解糖系より遥かに多いATPが出来る。

結果1分子のグルコースから38個のATPが出来、それを使って筋肉を動かしたり、代謝をしたり、思考したりしているわけだ。

全力疾走の様な酸素の供給が追い付かない様な状況では酸素を使うクエン酸回路が働かず、筋肉細胞にピルビン酸がどんどん溜まってゆくので、それを乳酸にして細胞外に排出し血液に乗せて肝臓まで運ぶ。

肝臓では乳酸をグルコースに戻し血液中に放出し、筋肉細胞に運び、又エネルギー源にするわけで、乳酸はとても必要なものなのだ。

昨日ラジオで女のアナウンサーが

「疲れると乳酸菌が溜まって、、」



「お前は明治ブルガリアヨーグルトか?」

とつっこみを入れたくなる言い間違いをしていたが、疲れると確かに血液中の乳酸は多くなるのだが、疲労感は乳酸が増えることにより血液が酸性に傾く為に起こるらしい。

クエン酸回路がうまく働いていればピルビン酸は乳酸になることなく、ATPを作る貴重な材料として利用されてゆくのだ。

細胞の中のクエン酸回路というものが知られていなかった戦時中でも、経験的に日本海軍はクエン酸が疲労回復効果があると気付いていたわけだ。

オレンジやレモンが酸っぱいのはクエン酸の所為なのだが、純子は果物を食べない。
それで何か無いかと考え、梅干しを弁当に入れさせるようにしようと思う。

今日はボルシチを作った。
しかしどのボルシチのメニューを見ても必ず入っているビーツと云う物が手に入らない。
缶詰で売っているらしいのだが一体何処で売っているのか。

そもそもビーツってどんな物なんだ?と調べてみると、どうもこれは甜菜(ビート)一族らしく、テーブルビートとかレッドビートとか呼ばれ、日本には江戸時代にすでに入っていたらしい。
ニンジンやスイートコーンよりも甘いらしいが、甜菜に比べると半分くらいの糖度の様だ。


さらに最後にかけるサワークリームなる物も売っていない。
ロシア料理ではよく使っているが、ネットでも「手に入らないので何かで代用できませんか?」という相談を見かける。

「生クリーム200CCにレモン汁大さじ3杯入れて混ぜ合わせると良い」と書いてあったが、生クリームが高いのでこれも無し。

なんだかボルシチもどきの物になった。
しかし味は良かった。




好みは人それぞれ
2015年03月14日12:01
 45歳の英国人男性が、郵便ポストと“性行為”をして逮捕された。16日付の英デーリーメール紙電子版によると、英国北部グレーター・マンチェスター州 ウィガンのショッピングセンターで、ポール・ベネット容疑者はズボンを足首まで下げ、性器を露出。「ワウ」と叫びながら、性器を郵便ポストにこすりつけた という。酒に酔った状態だった。ポストは赤色の円筒形で、高さは約140センチ程度とみられる。

 目撃者が警察に通報。警官が到着した時も、同容疑者は性器を露出したままだったという。警察によると、ショッピングセンターで知人の女性と口論。女性が 立ち去った後、ベンチに横たわり、奇声を発していた。買い物客から注目されながら、郵便ポストに歩み寄り、セックスをするようなしぐさを始めたという。

 公然わいせつや虐待行為などの罪を認め、計260ポンド(約4万8000円)の罰金を支払って釈放された。1年間の社会奉仕活動やアルコール依存症の治療、保護観察が科されている。

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20150117-1422969.html

という記事が1月にスポーツ紙に載ったらしいが、それほどグラマラスなイギリスのポストと云うのはどういうものか?と調べてみた。

なんだい!寸胴じゃないか!まあ予想はされていたことではあるが。
世の中には変わった趣味の人も居るもんだね。

トワイライトエクスプレスが最後の仕事を終えて、純子の仕事場に休んでいるらしい。
解体される様な話だ。
たまねぎ
2015年03月13日21:13
タマネギと云うのは料理には欠かせない。
炒めて良し、煮ても良し、アルミホイルに包んでたき火に放り込んで蒸し焼きも良い。

みじん切りでもよく使うし、乱切りや、輪切りでも使う。
薄切りにしてドレッシングをかけてサラダに使うことも出来る。
本当に利用方法の多い野菜だ。

日本は酸性土壌なので日本原産の野菜はほとんど無い。
葱の類も原産地は中央アジア(カザフスタンの辺り)だ。
ニンニクもネギ属の仲間で、エジプトでは3000年前に食べられていた。

日本に入ってきたのは8世紀で、源氏物語の中にも夏バテの薬草としてニンニクを食べたので臭いから逢えませんがご用はうかがいますと、尋ねて来た人に言づてするシーンがある。

一方タマネギはと云うと江戸時代に長崎に伝わったが、観賞用に留まった。
食用として栽培されるようになったのは明治になってからで、北海道農学校の外国人教官が札幌で試験栽培を始めたのが最初とのことで、スープカレーの美味しい「パークポイント」のマスターが大好きな「札幌黄」という品種も、アメリカから持ち込まれた「イエロー・グローブ・ダンバース」が「札幌黄」と名付けられた。

そうだ、デミグラスソースのストックも作っておきたいから、純子の休みの日にパークポイントにカレーを食べに行こう。マスターが作るオニオンペーストを仕入れねば。

タマネギって形も可愛いよね。
キューピーさんの頭みたいでさ。

橋の欄干の柱に被せられている擬宝珠、、木の腐食防止の為のキャップなんだけど、あれも葱坊主を模したもんだという説もある。
ネギは邪気を払うと思われていたようだ。

ヨーロッパでもニンニクが入り口の所に吊されていて、吸血鬼が入れないで歯がみをして地団駄を踏むのだ。

本日は回鍋肉を作りました。
ストックするための豚の角煮作りがメインだったので、インスタント回鍋肉の元をつかいました。
こういう物を使えば間違いなくそれなりの物ができるので、やはり便利です。

純子暴れる!
2015年02月21日15:20


純子がパートの仕事を辞めた。
意地の悪い人は何処にも居るもので、入って二、三日なのに何ヶ月もいる人と同じような仕事のレベルを要求され、当然出来ないのだが「何で出来ないの?」みたいな事を言われて、これは早いとこ見切りを付けた方がお互いに良いと思ったらしい。

その晩は町内の排雪の日で、真夜中に重機の音が五月蠅かった所為か悪夢を見た。
怪獣が出現し俺は逃げようとするのだが道路がつるつるで走れない。
よちよち歩きのペンギンの様に逃げるのだが、気ばかり焦ってちっとも前に進まない。

そんな悪夢にうなされて殆ど眠れなかったのだが、純子はストレスから解放されたらしく朝までぐっすりと眠っていた。

その日の夜純子は一人で近所のスナックに飲みに行ったのだが、留守番をしていた俺の携帯電話が鳴ったので出てみたら純子が、「ちょっと客と喧嘩をしたので来て欲しい」と言う。

とりあえずは「まあ、まあ」と間を取りなすが、状況によっては加勢してやらねばなるまいと思いつつ行ってみたら、店には純子とパートの女の子二人だけだった。

話を聞いてみると、純子が店に行くと爺さんが飲んでいて、自分は84歳なのだがガンを患っていて治療中だ。しかし金はしこたま持っていると威張っていたのだという。

純子は適当に相づちを打っていたのだが、そのうちに肩を揉んであげるというので、肩こりの純子は揉んで貰い、ちょっとさりげなく胸なんか触られたりもしたのだが、多少触られても肩を揉んで貰うほうが良いと思って触らせてやっていたのだそうだ。

年寄りなのに色気だけはいまだにあるというただのスケベ爺だなと思っていたのだが、そのうちにカラオケを歌い出した。
純子は店の女の子と話をしていたのだが、爺が歌に合わせて踊れという。

純子が断るとそれが面白くなかったらしく不機嫌になり、難癖をつけだした。
それで口論になり、そのうちに爺が「こんな女の居る店は面白くないから帰る!」と言い出す。

純子が

「こんな女ってどんな女さ!」

とさらにエスカレートしてゆく。

そのうち爺が

「俺を誰だと思ってるんだ!」

と言うから純子は

「知らないよ!そしたら私を誰だと思ってるのさ!」

と、爺に飛びかかって襟首を締め上げたら、爺は驚いてすっ飛んで出て行ったのだという。

「誰だと思っている?」ってまあ、ただの主婦なんだが、何時も店で喧嘩を諫める役をしていたのに、自分が喧嘩をして店の客を一人無くさせてしまったのを純子は反省して

「なんであんな爺さん相手に、あんなことしてしまったんだろう、、」

と自己嫌悪に陥っていた。

たぶん仕事の鬱憤が爆発したのだと思う。
そのあとマスターが来たので純子は、申し訳ないことをしてしまったと謝っていた。

マスターがその爺の事を「会長」と呼んでいたので訊いてみたら、爺は会社を三つ経営していて今は引退して会長職なのらしい。

しかし飲み屋に来て関係の無い人間に「俺はえらいんだ!俺は金を持っている!」と喚いたって、詮無かろうに。
金なんて現世でしか意味を持たない道具にすぎない。

もしかすると爺さん、もう先が長くない事を知ってしまい、自分が信じてきた金の価値が意味を無くしてしまったことにアイデンティティが崩壊し、人生のむなしさと孤独を感じているのかも知れない。

そうだとしたら同情はするが、会社の中や下請け業者に威張っていれば良いのであって、無関係な場でわめき散らかされるのは迷惑な話だ。

純子は「私はあんなことするような人間じゃ無いのに、、、」と何度も言っていたが、スナックをやっていた頃はヤクザ相手に喧嘩するくらいだから気は強い。
店と客を守らなくちゃならないという思いがあるから、どうしたって気が強くなる。

「だけどスカッとしたなあ。私カッコ良かったなあ。」

と純子が言うと店の女の子も

「うん、純子さんカッコ良かった!」

と言う。

その後二人で「ピエールとカトリーヌ」を歌って店を後にしたが、家に帰ってもしばらく純子は気持ちを引きずっていた。

それで昨日またJRの列車の清掃の面接に行き、後から合否の連絡が来るのだろうと思っていたらその場で採用という事になり、あれよあれよという間に制服を着て胸にぶら下げる証明書用の写真を撮られ、23日から2日間研修ということになった。

JRの子会社であるから社会保険、雇用保険、労災もあり、6ヶ月過ぎると有給も付くし、年に一度のボーナスもある。
昇級もあるし、正社員登用の道もあるようだ。
なんか、今まで働いて来たところより遥かに待遇が良さそうだ。

純子の話では介護の仕事をしてきたのと(汚物の処理に慣れている)、三年間ベットメイクの仕事(仕事内容が共通する)をしていたのが良かったらしい。
それと背丈が160センチあるので、軌道面から列車に乗るのに楽だというのもあったようだ。

趣味の欄に料理と書いてあったので訊かれ「家庭料理程度です」と答えたが、厨房もあるそうなのでそちらの方の仕事も考えたのかも知れない。
という訳で純子はJR北海道の人になったのだ。

阿蘇カルデラ
2015年02月12日11:41


昨年の旅で阿蘇に行った時、

「さあ、これから阿蘇山に登るぞ!」

と覚悟して走ったのに、普通の平らな道を走っていたら何時のまにか阿蘇のカルデラの中に居て狐につままれた様な気がした。

阿蘇山のカルデラに向かう道路の勾配はわずか3度だという。
これでは坂道を登っていると実感できないのも当たり前だ。

カルデラというのは成層火山が噴火をして内部のマグマを放出し、内部が空洞になって自らの重さを支えきれずに陥没して出来ると思っていたが、最近は何もない所でもカルデラは出来ると考えられているらしい。

阿蘇に向かう3度の斜面を四方八方から中央に向かって何もない空間に延長し収束させていったとしても、焦点の標高は到底富士山の頂の高さには至らない。

阿蘇の場合小さな火山群があって、それらが一斉に噴火を始めて山体を地下深部からじょうご型に破壊して出来たじょうご型カルデラというものらしい。
霧島火山帯の阿蘇・加久藤・小林・姶良・阿多・鬼界は皆このじょうご型カルデラだ。

http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/bunarintokodaisi/minamikiyusilyuA/minamikilyusilyuuA-html.html

阿蘇の町から周りを見回すと外輪山に囲まれているのが分かる。
一見、かつてあった巨大な成層火山の山裾の名残にみえるが、本当は小さな火山群の谷の部分を火砕流の堆積物が埋めて均(なら)し、成層火山が陥没して出来た外輪山の様に見えているだけなのだ。

阿蘇山は30万年前から9万年前まで4回噴火をして火砕流を噴出している。
中でも9万年前のASO4と呼ばれる噴火の火砕流は九州中央部から、山口県まで届く大規模な物だったらしい。

現在阿蘇のカルデラの中には町が出来ているが、昔は湖の底だった。
外輪山の一部が破壊される噴火が起き、水が流れ出してしまった湖底が今の阿蘇の町なのだ。

その流れ出した水の流れに沿って作った道路を走っていったので、外輪山を登る事無く知らないうちに阿蘇のカルデラに着いていたという訳だ。

実際阿蘇の町を出発し、高千穂に向かって外輪山を登っていった坂道は、非力なモス2世号にはかなりきつかった。

7300年前の種子島西方に位置する鬼界カルデラの噴火は海底火山の噴火であったにもかかわらず、当時九州に住んでいた縄文人を滅ぼして居る。

九州は火山だらけで、桜島は火山灰を降りちらかし、阿蘇は噴煙を1000メートルも吹き上げ、霧島も噴火してやろうとマグマを溜め込んでいるらしい。

真に爆弾の上で暮らしているような状態だが、生活の基盤がそこなのだから簡単に逃げ出すわけにも行かない。
自分や子供、孫の世代には何もないだろうと楽観的に生きてゆくしかない。
臥薪嘗胆
2015年02月08日23:36
純子が新しい職場に初出勤して色々な宿題を持ってきて、帰ってきてからも一所懸命やっている。
そのうち

「これ、なんて読むの?」

と聞くから見てみたら

「臥床していました」

と書かれていた。

「臥薪嘗胆」という言葉があるから「がしょうって読むんじゃない?」とは言ったものの、自信がないからネットで調べたら、やはり「がしょう」であった。
すなわち床につく事を意味する。

なんでこんな難しい言葉を使うかね。
「床についてた」で良いんでないのかな。

http://introduce-nursing-scene.com/work/gasyou/

この「臥薪嘗胆」を「臥床薪炭」と間違って使っているのを良く見る。
「臥床薪炭」では意味を成していない。
「臥薪嘗胆」とはWIKIPEDIAによれば

『史記』によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。闔閭は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』には存在せず、『十八史略』で付け加わっている)。
まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。その間、強大化したことに奢った呉王夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣の伍子胥を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件として王への復帰を認めなかったために自殺した。

ということなのだ。

なんかいつの間にか全然別の解釈をされているものがあって、たとえば

「小人閑居して不善を為す」

というのは

「しょーもない人間は暇するとろくな事をしない。だから働け!」

と言う意味のように思っている人がいるが、閑居とは暇という事ではなく一人という事なのだ。
精神が立派な人は他人の目が無くとも悪いことはしないが、小人は他人の目が至らないとなると悪いことをしようとするという意味だ。


THE 縄文人!
2015年01月30日17:07




俳優の昭英が北海道の番組に出ていたが、これぞ「THE縄文人!」という濃い顔をしている。
芸能人で他に濃い顔というと、阿部寛、平井堅、宇梶 剛士等がいる。
宇梶は元々アイヌの血を引いているから顔が濃いのは納得だ。

日本人のY染色体(父親から受け継がれる)を調べると、ハプログループD1b『以前はD2と呼ばれていたが2014年に国際学会でD1bに改訂、昔の資料の都合上ここではD2と呼んでおく』(縄文系)とO2b1(弥生系)を主体としている事が分かっている。

ハプログループのD系統はその昔ハプログループDEから派生したらしい。
同じハプログループDEから派生したのがハプログループEで、地中海や中東に住むようになる。

ハプログループD2を多くの割合で持っているのが琉球人とアイヌであり、したがって西欧や中東風の濃い顔になるのだろう。
ハプログループD2を持つ集団は世界に殆どおらず、ベンガル湾のアンダマン諸島(D2しか居ない)くらいらしい。

ハプログループの分析をみると、日本人は緑色のD2の割合が圧倒的に多い。
あと濃いオレンジのO2aと薄いオレンジのO2bだ。
これは華南からやってきた血なのだろう。
ブルーのC3はほとんど無い。

C3は寒さの厳しい北方に住んでいた人達で、寒さと雪の反射から目を守るために一重の細い目と低い鼻を持つことになった。
朝鮮人もC3の比率が大きく、北方から南下してきた人達と漢民族の血が混じったのだろう。

いずれにしてもDNAから見る限り日本人とはルーツが違う。
と言うか、日本人というのは世界的に見ても特殊なY染色体を持っている。
おそらく日本に住み着いた縄文人の祖先は、D1の多いチベットからどういうルートを通ったかは分からないが日本に流れ着いてD2になったのだろう。

地形的に見て日本列島なんて吹きだまりの様な場所だ。
人類発祥の地アフリカから陸伝いに東に広がって行き、ウルム氷河期に大陸と陸続きになった時に日本に渡ってきた狩猟民が縄文人のルーツなのだろう。
それが3万年以前。

その後弥生人が大陸からやってきたのだが、母系のミトコンドリアDNAで調べると、これは朝鮮半島経由ではなく中国の南部、長江付近(上海の辺り)をルーツとしていることが分かっている。( 江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致)
弥生人がもたらした稲のDNA解析からも裏付けられている。

つまり今の日本人は、3万年前に居た旧石器人の子孫の縄文人と、その後やってきた弥生人との混血なのだが、沖縄とか北海道は離れていたので混血が進まなかった。
したがってハプログループD2が多く残り、北と南の果てに濃い顔が残った。
琉球人とアイヌが別れたのは、確か今から1万年前と読んだ記憶が。

オリエント急行殺人事件
2015年01月29日00:00
三谷幸喜の「オリエント急行殺人事件」を録画しているのを見たのだが、一瞬、小樽の「ホテル ヴァイブラント 小樽」が映ったんじゃないかと思って巻き戻してみた。
しかしグーグルストリートビューで拾った画像と比べてみるとどうも微妙に違う。

http://www.vibrant-otaru.jp/vibrantotaru/index.html

「ヴァイブラント 小樽」は元は拓殖銀行の建物で、いまだに金庫室があって、そこにも宿泊出来るらしい。
国会議事堂や「七人の刑事」のオープニングでヘリコプターで俯瞰撮影されていた旧警視庁の建物を設計した大蔵省営繕課の矢橋賢吉の手になるものだ。

http://mist.freespace.jp/layla/yabashi-03.html

三谷幸喜の「オリエント急行殺人事件」の舞台設定は佐世保であるが、調べてみるとロケ地は愛知県の明治村、出雲、熊本などで、北海道での撮影はない。
明治村には北海道の建物も移設されているらしく、「北海道開拓の村で撮った?」と見まごうシーンもある。

エンディングロールには協賛の「ホテル日航」の名前があって、映像のホテルの屋上に「HOTEL N・・・」の看板が掲げられている。
明治村にはこんな建物は無い。

http://www.uraken.net/rail/travel-urabe1.html

矢橋賢吉の作った建物にも見つからない。
ということで、どうもこれは「ヴァイブラント 小樽」の建物に色々乗せたり継ぎ足したり、屋上の看板を付け加えたりしたコンピューターグラフィックで作った建物ではなかろうか。

まあ、もしかすると何処かにこんな建物があるのかも知れないが。

東洲斎 写楽
2014年09月23日12:36
 
今週の「江戸のススメ」は東洲斎 写楽だった。
この番組は庶民の生活をテーマにした回が面白く、他の歴史番組でもやりそうなテーマにはあまり興味が無かったのだが、今回の写楽は面白かった。

謎の浮世絵師写楽は,阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ)らしい。
斎藤十を並び替え、藤十斎→東州斎としたのではないかという。

元々写楽は斎藤十朗兵衛であるとは,、江戸時代の考証家 斎藤 月岑(さいとう げっしん)が写楽と同じ蔦屋重三郎版元の浮世絵師である栄松斎長喜から聞いた話として、写楽は阿波家の能役者 斎藤十朗兵衛で八丁堀の地蔵橋付近(日本橋茅場町郵便局の辺り)に住んでいたと記述していた。

さらに江戸の文化人について記した『諸家人名江戸方角分』の八丁堀の項目に、「写楽斎 地蔵橋」との記録があり、八丁堀地蔵橋に“写楽斎”と称する人物が住んでいたことが記載されている。
そしてその人物が浮世絵師であるという記号が記されている。

ただ本当に斎藤十朗兵衛という人物が存在したのか確認できないので、斎藤十朗兵衛=写楽と断言できなかったのだが、元は築地にあった埼玉県越谷市の「浄土真宗本願寺派今日山法光寺」で平成9年に見つかった過去帳に、斎藤十朗兵衛の名前があり、
「八丁堀地蔵橋 阿州殿御内 斎藤十良(郎)兵衛」が1820年(文政3年)3月7日に58歳で死去し、千住にて火葬されたと書かれていた。

これで写楽=斎藤十朗兵衛が決定的になったらしい。
藩お抱えの能役者が、庶民の娯楽である浮世絵を描いていると知れると色々不都合だろうという事で、正体を隠していたらしい。

http://blog.goo.ne.jp/jiei62/e/9ee98a6e31faebc8a7fd47dc334de9f8


都市が発達して昔の面影が消えてしまっても、よくよく地形をみると昔の道路とか川筋が残っている。
写楽の住んでいた八丁堀地蔵橋付近(茅場町2丁目)辺りも、今はビルで埋め尽くされているが、よくよくみると昔の川筋が道路となって残されている。

八丁堀地蔵橋というと時代劇で良く出てくるらしいのだが、何処にあったのか調べてみると、茅場郵便局から南に50メートルくらい行った辺りにあったらしい。

一枚目、この先50メートル左側に茅場郵便局。
右のオレンジの建物の小路が昔の川筋で、こちらから直角に曲がって自販の置かれている小路に流れてゆく。
たぶんこの辺りに地蔵橋があったのでは無かろうか。

大名屋敷の庭を流れこの辺りを通り、又大名屋敷を通って海に流れていたのだと思う。
元々は人工的な川だから直角に流れたりしてるのだろう。

2枚目の昔の地図に川筋を書き入れてみたが、これはグーグルアースの中に組み込まれているラムゼイ世界地図で、1799年の江戸だから、写楽がいた頃の八丁堀だ。
なんかこの辺りには四角く、大きな水域があるように書かれている。

タモリの番組で今の東京を歩きながら、江戸の名残を捜すような番組があったようだが、確かに昔の地形はビルが乱立した今の東京にも残っていることは、地図や航空写真、グーグルアースを使うと良く分かる。
カレー
2014年09月21日09:33
航空自衛隊の入間基地のカレーは旨い。
あのカレーの味は他では食べたことが無い。
入間基地で新入隊員が来ると必ずカレーが出るのは、やはり看板料理だからだろう。

「イーグルカレー」というらしく、航空祭では野外炊事車で作り、一般の人も食べられるようだ。
いまだに食べてみたいと思うことがある。
隠し味に狭山茶が入っているらしい。

http://www.tabi2ikitai.com/japan/j1120a/a01045.html

今あるか知らないが、狸小路の「ちょん月」のカレーも美味かった。

子供の頃母親が作っていたカレーは、S&Bのカレー粉を使っていた。
それでカレー粉を使った昔ながらのカレーのレシピを調べてみたら、S&Bのホームページに出会った。

なになに?肉は角切りに、、肉なんか細切れ肉しか無かったぞ。

塩、カレー粉、コショーを少々振り、下味をつけておきます。
玉ねぎは繊維に沿って薄切りに、じゃがいも、にんじんは食べやすい大きさに、トマトは3cm角に切ります

タマネギなんか適当に切ってたけど。
トマトなんか絶対入れていない。

鍋にサラダ油を入れ、玉ねぎ、おろしにんにく、おろししょうがを入れて炒めます。玉ねぎがあめ色になるまでよく炒めたら、肉、じゃがいも、にんじんを加えてさらに炒めます

おろしにんにく、おろししょうがも使ってないなあ。

鍋に、トマト、水、コンソメ、ローレルを加えて、アクを取りながらよく煮込みます。

コンソメなんて当時見たことも無かった。
おろしにんにく、おろししょうが、ローレルもみんなS&Bで販売している商品で、自分のところの製品を使わせようとしてるな。

フライパンにバターを熱し、薄力粉を入れて弱火で焦がさないように炒め、カレー粉を加えてカレールウを作ります。

当時バターは高級品だったから使わず、小麦粉をフライパンで黄金色になるまで焦がさないようかき混ぜながら炒めていたと思う。
純子の家では小麦粉を炒めることもなく、水で溶いて最後に入れていたという。

カレールウを少しずつ入れてよく溶かし、砂糖を加えて煮込み、塩、コショーで味を調えます。砂糖の代わりにチャツネを使うと、さらにコクがUP

砂糖は使わなかったなあ。我が家では今でこそデミグラスソースを作るときにチャツネを使っているが、当時はチャツネなんて「なにそれ?茶色い狐?」てなもんだ。
でも我々が知らなかっただけで、明治5年頃にはインドから輸入していたらしい。

こんなに調味料を各種使い、贅沢な角切りの肉を使う昔風のカレーなんて、俺の記憶の中のカレーじゃ無い。

ネットで調べてみたら、昭和30年代風カレーを再現した人が同じような事を言っていた。

http://www.kodawariyasan.com/1club_html/kare-.htm

しかし、これまた我が家のカレーとは微妙に違う。
我が家のカレーは貧乏所帯のカレーで、殆ど何も入っていなかった。
当時はカレー粉だけは共通しているが、各家庭でそれぞれのカレーがあったのだろう。

我々が角切りの肉を食えるようになった頃には、もうすでに今の形の固形のルーが当たり前に売られていたので、カレー粉を使うことは無くなっていた。

大体インドにカレー粉というものは無い。
インドでは各家庭で香辛料を混ぜ合わせて使った料理があるだけで、それをイギリス人が色々な香辛料を粉にして、配分を工夫して売り出したものがカレー粉なのだ。

このようにカレー粉を使ってカレーを作るのには結構手間が掛かっていたので、江崎グリコの板チョコの形を流用した、ブロックに分けられて放り込むだけでカレーが出来るルーが出てきた時は便利だあと思ったものだ。

しかし調べてみると固形のカレールーの歴史は古く、1926年(大正15年)に、ハウス食品がカレー粉、小麦粉、油脂、旨み成分を混ぜて固形化したインスタントカレールーを「ホームカレー粉」という名称で出していたらしい。
日本の食
2014年09月19日13:32
日本に来たことのある外国人が皆言うことには、日本ほど料理が旨くて安い国は無いらしい。
確かに日本では日本料理は勿論のこと、フランス、中華、イタリアと世界各国の料理が食べられる。

日本人は料理に関してそれが何処の国のものであろうが、旨ければ受け入れる。
日本に居て食べられない外国の料理というものは、よほど不味いものなのだろう。
外国の料理だって何事にもこだわる日本人の手にかかれば、工夫をして本場以上の味にしてしまう。

以前テレビで「インド人はどうしてカレーばっかり食べているの?」とインド人に聞いたら、そんなことは無いよと答えたのだが、さらに問い詰めると、朝はカレー味の何とかで、昼はカレー味の何とかでと、結局三食全部カレーじゃんというのを見た。

日本だって昔はそんなものだったのだろう。
江戸の庶民の食事は白米が主食で、あとは漬物と味噌汁程度だった。
白米はものすごく食べていたらしい。
そのため江戸患い(脚気)が流行っていたんだけど。

日本の庶民が本当に世界の料理を当たり前に食べるようになったのは、自分の記憶から言うと昭和30年代の終わりごろからじゃなかろうか。

デフレがずっと続いていた所為か、外で食べる物は値段があまり変わらないか、大型チェーン店なんかが出来て逆に下がっているような気がする。
だから外国人が日本の食べ物が、馬鹿みたいに安いと言うのだろう。

日本で初めての外食産業は奈良時代にまで遡るらしい。
天武天皇の孫にあたる長屋王(ながやのおおきみ)が平城京に出店し、米や酒を販売していたらしい木簡が発掘されている。

表に

「店物 飯九十九笥(け=飯を盛る器)直(あたい)九十九文 別笥一文(一皿1文)」

裏に

「酒五斗直五十文 別升一文(一升一文) 右銭百四十九文」

つまり長屋王食堂では飯99笥と酒5斗が取引され、代金が149文になったということだ。

店物という表現がある上、これは家族で食べるには多すぎる量で、外食店舗を経営していた可能性があるらしい。
長屋王の木簡からは牛乳を飲んだり、カキ氷らしきものを食べていたこともわかっている。


大体もっと以前7世紀の初頭、推古天皇の頃には乳牛を飼い、酪(らく=バター)、酥(そ=チーズ)、醍醐(だいご=酥をもっと発酵させたものではないかといわれている)といった乳製品を作り一部の人たちは食べていた。

意外と江戸時代より以前のほうが現代に近い食生活だったのかも。
江戸時代以前は野生の動物の肉を食べていたようだ。
まあ江戸時代も中期になると「ももんじ屋」という獣肉店があったようだが。
余命あとわずか30年
2014年09月09日03:23
内臓のエコー検査を受けに行く。
先週問診を受けた時に、最近身体がだるいと言ったら肝機能の血液検査とエコー検査をやりましょうと言われたのだ。
血液検査の結果が今日出るので、それに合わせてエコー検査を受けることにした。

三十分くらい息を吸ったり、止めたり、吐いたりしながらあちこちを何往復かしつこいほどやり、結局肝臓も問題になるほど脂肪はないし、他の臓器にも腫瘍等は見つからなかった。

ただ

「以前胆管結石やりましたか?」

とは聞かれた。
昔胆管が肥厚し胆汁が詰まったことがあったのだ。
たぶんいまだに胆汁の通る穴が狭くなっているのだと思う。
まあ、余命あとわずか30年というところか。

家に戻ってきたらテレビでネス湖のネッシーの事をやっていた。
ネッシーの写真なんて悪戯写真だって判明しているだろうと思ったら、何故人は錯視、錯覚をしてしまうのだろうという番組だった。

人は騙されるのではなく、騙されようとしているのだと思う。
人は嘘でも何でも良いから、心地よくなりたいと無意識で思っている。
詐欺師などはそういう気持ちを突いて、耳障りの良い言葉を並べて金を騙し取る。

たいして美人でなくとも「綺麗だ」と言われれば悪い気はしない。
結婚詐欺に引っかかる。
相方を亡くしてしまって一人で孤独に暮らしている老人は悪徳セールスであっても、話し相手になってくれるだけで二束三文の物も大枚をはたいて買ってしまう。

宗教などは自然の摂理があまりにも無慈悲なので発明されたものだ。
宇宙意志は「生命よ宇宙を満たせ、強い物だけが生き残れ」としか言っていない。
細菌から人間まで全ての生き物はこの無慈悲な法則から逃れられない。

生まれつき障害を持って生まれてきたり、若くして亡くなってしまったり病気になってしまったり、今日の食べ物さえ食べられないような家庭や国に生まれてしまったり、あまりにもこの世は不公平に出来ている。
宇宙意志は人にとってあまりにも無慈悲であるから、人は自分の悲惨な状況を納得して受け入れるために宗教を作った。

宗教なんて詐欺だ。
しかしその詐欺は人が必要とする詐欺だ。
悲惨な自分の状況を受け入れるため、あえて騙されようとする。

悲しい状況は金持ちにも貧乏人にも、知識の高い人にも無知な人にも等しく起こる。
したがって

「何故あんな知性も、教養も、社会的地位もある人があんな詐欺みたいな宗教に引っかかるの?」

ということも当たり前に起こる。
何故なら人は心地よくなりたいからだ。
辰砂(丹=に)
2014年08月24日06:53

「謎解き 江戸のススメ」という番組が面白くて毎週録画しているのだが、江戸時代将軍家の娘を嫁に迎える大名は門を朱塗りにするのがしきたりだったらしい。

東京大学の朱塗りのいわゆる「赤門」は、元加賀藩前田家上屋敷の御守殿門(三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の娘を御守殿と言う)で、文政10年(1827年)将軍徳川家斉の娘「溶姫」が前田家に嫁いだ時に建てられたものなのだが、この朱に塗るということがとてもお金がかかり、映画のセットの様に正面だけ朱に塗って裏はそのままというのも多かったらしい。

何故そんなに高かったのだろう、いったいどんな塗料を使っていたのだろうと調べて見た。朱を作る材料には鉛丹(四酸化三鉛 Pb3O4 )、丹(に)とも言う辰砂(しんしゃ 赤色硫化第二水銀 HgS)、弁柄(べんがら 酸化第二鉄 Fe2O3 )などがあったようだ。

辰砂はとても貴重で高価な物であったから、これを塗ったのでは無かろうか。
水銀(丹=に)は木材防腐効果がある。

あをによし 奈良の京は咲く花の にほうがごとき 今さかりなり

という歌がある。

この「あをによし」は奈良にかかる枕詞なのだが、元々は「青丹よし」で、田舎の太宰府に転勤させられた小野老(おののおゆ)が青(ほとんど緑)と丹(朱)に塗られた建物がある華やかな平城京を懐かしんで歌った歌だ。(寺院や講堂などの建物は柱を朱に、窓のようになっている部分は青緑に塗られている。)

「いや、そうじゃない。なんで青と丹に分けて読むんだ?ここは青丹で良いじゃないか。
青丹とすると丹は土の意味も持っているから、青い土である岩緑青 (いわろくしょう 孔雀石)を馴熟(なら)して顔料にすることから『なら』の枕詞になったんだろう。」

という説もある。

http://www.chuo-paint.co.jp/sougen.html

鉛丹は光明丹ともいわれ、平安時代の建物の朱色はこれを膠に混ぜて塗っている。
古代ローマでもこれを顔料として使っていて、ポンペイの遺跡でも見つかっておりポンペイレッドと呼ばれている。
たしかさび止めのペンキにも鉛丹は使われていたと思う。



弁柄は江戸時代にインドのベンガル地方産の物を輸入していたためベンガラと名付けられた。辰砂の代用品として使われていた。
ベンガラは紫外線による退色が少ない。
レンズや反射鏡を作る時の研磨剤としても使われている。

弁柄自体は縄文時代早期の土器に塗られていた痕跡があるが、その頃なんと呼ばれていたのかは分からない。

辰砂(丹=に)は中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことから、「辰砂」と呼ばれるようになったのだが、「魏志倭人伝」に倭で丹が採れると書かれているから、少なくとも弥生時代から産出していて、古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。

弥生時代から古墳時代にかけては死者を葬るときに亡骸の上に振りまく習慣(施朱)があった。
また辰砂(丹=に)には解熱効果があり、薬としても使われていた。


日本には関東から九州まで東西に中央構造線という断層が走っている。
その中央構造線に沿って硫化水銀が産出している。
おそらく渡来人の技術者なのだろうが、丹を捜して中央構造線を移動していた丹生(にう)氏という集団がいたらしく、その周辺に丹生とか丹の付いた地名や神社が残っている。

丹生氏が活躍したのは2世紀から5世紀の間で(邪馬台国が出来たころ)、呪術や占いが普通に行われており、丹生氏の地位は高かったらしい。
滋賀、奈良、和歌山等に丹羽の名を冠する神社がある。

http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjadistant/mie/niu.htm


施朱の習慣は古墳時代前半で終わるが、5世紀末に秦氏が渡来し辰砂は今度は金の精錬や銅に金メッキをするのに使われるようになる。
従って秦氏も中央構造線に沿って水銀を捜していたのだろう。

辰砂(硫化水銀)を600度以上に加熱すると気体の水銀と亜硫酸ガスが発生する。
それを冷やすと液体の水銀が出来る。

水銀は金や銀を溶かすので、砕いて粉末状にした金や銀鉱石を溶かし込むとアマルガムが出来る。

アマルガムを銅に塗って熱を加えれば水銀は蒸発し、銅の表面に金だけが残る。
これが金メッキで奈良の大仏に使われたのもこの方法だ。
アマルガムをそのまま加熱すれば水銀は蒸発して金だけが残る。

以前「埴生の宿」について触れたのは、この丹(に)について調べている内に、はにゅうの「にゅう」とは「丹生(にう)」の事ではないのかと思ったからだ。
丹は赤土の意味もある。
「はにゅう」の「う」は「生」で産するとか「製」という意味だろう。

すると「は」とは何だろう。
日本国語大辞典によれば、「埴(はに)」とは、「きめが細かくて粘り気のある黄赤色の土」のことらしいが。





スクランブルが激しい
2014年08月21日02:47
体調が良くないので酒を飲まず睡眠導入剤を飲んで寝たら、4時間くらいで薬が切れてしまった。
うつらうつらしていると1時間おきくらいに、空自の戦闘機がスクランブルをかけていて目が覚めてしまった。

北方領土で軍事演習をやってたみたいだから、知床当たりまで飛んでいったか。
それとも中国機が領空侵犯をしたのか。

中国関係の掲示板を見ていたら中国人が

「人民を騙すには、大きな嘘の中に小さな真実を混ぜる、もしくは大きな真実の中に小さな嘘を混ぜるかだ。
今は明らかにやりすぎている。
大きな嘘の中に大きな嘘と小さな嘘が混じっていて計り知れない嘘となってしまっている。」

と書き込みをしていた。
中国人の中にも政府の言ってることは嘘だという事に気づいている人もいるようだ。

しかし大多数の中国人は国家の嘘をそのまま信じているらしい。
尖閣諸島は中国の領土で、武力行使を今すぐすべきという書き込みもある。

日本と戦争となれば中国は経済的に崩壊するし、独立運動が起こって内部崩壊する可能性があるのだが、そこまで考えが及ばないらしい。

中国が戦闘員240万にたいし自衛隊員24万、数字だけを見ると勝ち目がないように見える。
しかも敵は核兵器も持っている。

だからネットでは即日本と戦争となる訳だが、日本に渡ってくるには船か飛行機か潜水艦を使わなければならない。
南朝鮮の朴がシナと米国との二股外交を取っているのは中国が陸続きだからだ。


実際尖閣で戦闘が起こったとして、自衛隊だけで大丈夫かというと圧勝でしょう。
中国の艦船は日本の潜水艦が怖くて港から出られない。
日本の潜水艦は静粛性が際だっていて、発見するのが困難なのだ。

スクリュー音が大きくて銅鑼を鳴らしながらやってくる潜水艦は、静かに潜行する日本の潜水艦の格好の的だ、

ロシアからスクラップとして買った中国空母は実戦では爆弾を積んで飛行機を飛ばすのが難しい。燃料を最小限にすれば飛び立てるかも知れないが空中給油機が必要だ。
これも浮かぶドラム缶で航空機や潜水艦の格好の餌。

制空権だが自衛隊とは練度が違う。
自衛隊が倍の飛行時間を持っている。
負ける要素は無い、
核兵器を使えば別だが、核兵器なぞ使ったら世界から袋だたきにあう。

尖閣で中国が出来る事は武装された「漁民集団」で一時的に島を乗っ取るぐらいだろう。
それより恐ろしいのは原発を破壊されることで、今のように軍隊も警察も警備していない状態では、有事に国内に潜んでいる工作員達に簡単に破壊されてしまう。


植(はに)
2014年08月10日12:47
埴生の宿って歌がある。

埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春のそら
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ たのしとも たのもしや

イギリス人のヘンリー・ビショップという人が作曲し、アメリカ人のジョン・ハワード・ベンが作詞をしている。

里見義という人が原曲に添って訳詞しているのだが、「埴生」の「植=はに」とは「埴輪」のはに
と同じで、黄色っぽい赤土の事なのだ。
つまり

土塊で出来たような粗末な我が家ではあるが、立派なたたずまいの家をうらやましいとは思わない。見上げれば春の空はのどかで、庭には花が咲き乱れ、鳥たちの歌声に囲まれて、なんて楽しくて豊かな我が家なんだろう。

というような意味なんだろう。

イザナミノミコトが火の神を生んだ事で病気になり、七転八倒して苦しんだのだが、吐いたり、小便を漏らしたり、ウンコを漏らしたりしてそれらからそれぞれ神が生まれた。

ウンコからも男と女の神が生まれた。

ハニヤスビコノカミ(波邇夜須毘古神)

ハニヤスビメノカミ(波邇夜須毘売神)

という土の神様だ。

植(はに)はここからきたのか、それとも「はに」という土を表す言葉があってそれを土の神様の名に当てはめたのかはわからない。

それにつけても古事記の国産み神話、俺には体に余っているものがある、私には足らないものがあるわ、それじゃあ俺の余ってるものをおまえの足らないところに入れてみよう、と、天の御柱(あめのみはしら)をそれぞれ逆方向に回り、出会ったところで組んずほぐれつなんて、「ピエールとカトリーヌ」じゃないか。

SEXをして国が生まれたり、ウンコやおしっこから神が生まれたり、日本の神話はずいぶんと生々しい。


純子のクンダリニー覚醒
2014年07月28日17:13

純子が卵巣摘出手術を受ける前の日の夜、手術のために浣腸をした。
すると便意を催しトイレで排泄したのだが、その時尾てい骨のあたりから脊髄をもぞもぞ上ってくるものを感じた。

「なにこれ!エイリアン?!」

とおびえているうちに、そいつは脊髄を上って首のあたりにまでやってきて

「来るぞ!来るぞ!」

と心の中で思って居たらついにそいつは脳にまで入り込んできて、そのとたん頭がガーンとなり猛烈な頭痛に襲われたのだそうだ。
かろうじて看護婦を呼び事情を説明し、翌日の浣腸はしないで手術をすることになった。

手術の当日の朝行ってみるともう頭痛は治まっていた。
そのとき前日の頭痛の事を話してくれたが、こんなに詳しくは言わなかった。
後日詳しく聞いたとき「これはクンダリニーの覚醒だな」と思った。

クンダリニー・ヨーガでは尾てい骨付近にある第一のチャクラであるムーラーダーラにシャクティ女神の化身である蛇が三回り半とぐろを巻いて眠っており、宗教の瞑想や修行により目覚めて脊髄にあるチャクラを次々と目覚めさせて上ってゆき、最終的に頭頂部上方のサハスラーラに鎮座するシヴァ神と結合を果たすと考えられている。
クンダリニーが上昇してサハスラーラを押し開くと解脱に至る。

クンダリニーの覚醒やチャクラが、現代の医学でどういう状態や器官を指すのかはわからない。
たとえば6番目のアジナーチャクラは第三の目と呼ばれていて、覚醒すると超能力が得られるという。
大仏の眉間のイボはイボではなく第三の目だ。
実際の器官としては脳下垂体がそれに当たるというのだが、本当のところは何ともわからない。

サハスラーラは松果体(しょうかたい)と言われているが、元々脊椎動物の祖先は水中で生活していたために頭上を見るために左右の目の他に頭頂にも目を持っていた。
その頃の目は透明な皮膚の中に埋め込まれていたが、左右の目は頭骨の発達とともに露出し、頭頂眼だけが皮膚の中に残された。

頭頂眼の元細胞は間脳から対で伸びて片方は頭頂眼、もう片方が松果体に成長してゆくのだが、三畳紀を境に原因はわからないがほとんどの脊椎動物で頭頂眼は消失し、もう一つの片割れの松果体だけが残された。

松果体が第三の目だとする説もある。
松果体は体内時計の役割をしていて、体内時計が狂ってきたときに目が強い光を浴びると松果体が体内時計をリセットする。

雀などは頭骨が薄いため太陽光が直接松果体に届き、体内時計を管理しているらしい。
松果体が磁力感知の機能を持っている動物がいるとする研究もあるとの事なので、人間でもそういう能力が潜んでいて、何かのきっかけに覚醒するのかもしれない。

空海が四国の海の洞窟で「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修行をしたとき、最後に明けの明星が口に飛び込んできて「虚空蔵求聞持法」を成就したという。
何らかの強い光を体内に感じたのだと思うが、クンダリニー覚醒によってサハスラーラ(松果体)が光を感じたのかもしれない。

いったい純子に起こったクンダリニー覚醒の様な症状は何だったのだろう。
宗教の修行や瞑想以外に薬物でもクンダリニー覚醒は起こるという。
純子の場合は浣腸の薬がムーラダーラとヨーガで呼ばれている組織に刺激を与え、クンダリニーの上昇という現象を起こしたとしか考えられない。

クンダリニーは螺旋を描きながら上昇してくるというが、そんな感覚だったか聞いてみたが、そんなの観察している余裕はなかったと言う。
ただ始まってから3~4分くらいで脳までやってきたという。

しかしクンダリニーが覚醒したからとて、純子に予知能力が出来てロト6が当たったという事もない。
ただ二度と浣腸はしたくないという忌まわしい記憶が刻まれただけだ。
実際、下手にクンダリニーが上昇すると非常に危険らしい。

医者の話ではたまに純子の様な症状を呈する人もいるらしいので、クンダリニーとはいったいなんなのか医学的に解明する必要があると思う。
こども相談室
2014年07月26日03:06
美幌峠の道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」に停泊中。
曇り空で星は見えず。
他に泊まっている車は4~5台程度。

昼間、ラジオの「こども相談室」を聞きながら車を走らせる。

五歳の女の子の質問は「動物にはしっぽがあるのに、どうして人間にはしっぽが無いの?」というものだった。
相談員が子供の質問に答える為に電話口の子供に話しかける。
するとうんともすんとも返事がない。

「○○ちゃん。聞こえるかな?」

と何度もアナウンサーが問いかけるのだが音信不通。

「死んだ」

と俺が言うと

「つまらない答えしかしないから飽きて電話切っちゃったんだよ」

と純子が言う。

確かに子供の質問にわかりやすく答えるのは大変だと思うが、それにしてもこの相談員の回答には首を傾げざるを得ないところがある。

たとえば子供の「キュウリにはひげがあるのに、トマトにはひげがないのはどうしてですか?」という質問にたいして

「○○ちゃんのおうちではキュウリやトマトを育てているの?キュウリは網とか棒にひげを絡ませて上に伸びて行くんだよ。でもトマトは自分で立って伸びて行くことが出来るだろう?、、、」

等と言っている。

「それはウソだろう!棒に紐かけて支えながら育てるだろう!子供にウソを教えたらイカン!自分でトマト育てた事あるのか?!」

と憤る。

そのうち「君はキュウリのように何かに寄りかかって生きて行く生き方と、トマトのように自分一人の力で立って生きて行く生き方と、どちらが良いと思う?」などと話題を逸らすためか子供を煙に巻くような事を聞くから、当然子供も訳が分からず、アナウンサーが「どう?分かったかな?」と尋ねるが「よくわかんない」と子供が答え、我々も「よくわかんない!」と答える。

次の質問は「パンダはどうして白黒の模様があるのですか?」というもので、相談員は

「君は野球を見たことがあるかな?野球選手が眼の下を黒く塗っているだろう?あれはね、光の反射を減らしてボールを見やすくして居るんだよ。パンダの目の周りが黒いのも、物がよく見えるようにするためなんだよ。」

と言うので

「それじゃシロクマは反射の酷い氷の上で何で白いんだい?!」

とつっこむ。

実際は何故パンダがあの模様なのか科学者だってよく分からないだろう。
あの模様が可愛らしくって他の生き物から攻撃を受けずに生き延びてこられたのかも知れないし、ただ単にそんな衣装を纏ってみたかっただけなのかもしれないし。

こうやって文句を言いながら「こども相談室」を聴いてはいるが、こうやってつっこみながら聴いているのが楽しいのでこの番組は好きなのだ。