雑文

有史以来、人が掘った金の量は10万トン、代々木の競泳用50メートルプール2杯分だそうだ。

たったそれだけ?

と思うか

そんなに掘ったのか

と思うかは人それぞれかな。

金はピカピカ光っている。
小学生の時、クレパスの箱の中の金色と銀色は特別な存在だった。
短くなって行くのが勿体なく、ちびちびと使った。

金は柔らかくて加工しやすく、叩いて引き伸ばして紙より薄くできる。
だから指輪にしたり、金箔を張り付けて装飾したりする。
おまけに安定した金属だから、紀元前1300年も前のツタンカーメンの仮面も作られた時のままの輝きを放っている。

金は珍しいから価値がある。
何故珍しいのかというと、宇宙の始まりには水素とヘリウムなどの軽い物質しか存在せず、それ以上重たい物質は恒星の核融合反応によって星の中で生まれたのだ。
そして恒星の中で出来る最終物質は鉄で、それ以上重たい元素は星の最後、超新星爆発の超高温、超高圧の瞬間に作られたのだ。

恒星の最後が必ずしも超新星爆発を起こす訳ではない。
その質量によって死に方も異なる。
例えば太陽のような星は、最後は白色矮星という燃えがらになってしまう。
従って宇宙空間に存在する金も、鉄に比べれば430万分の1になる。
金より重い鉛は鉄に対し23万分の1の比率で存在しているが、これはもっと重たい物質が放射性崩壊を起こして軽い鉛になって安定するから多いのだ。

しかも金というのは重たいから、地球がどろどろに溶けていた頃、地中の深部に沈んでいった。
地殻に存在する金は鉄に比べ4535万分の1、鉛は1万5千分の1になる。
火山活動によって、地下の深部から岩石の割れ目を伝って熱水が上昇してくる。
その熱水には金が溶けているが、アルミニウムを含んだ岩石に引きつけられて行く。
そして金の密度の高い金鉱脈が出来る。

砂金なんかは川の流れが金脈を削り取り、金は重たいから川の砂の下に砂金となって埋もれる。
時には、川の淀みに砂金だまりを作る。
新田次郎の「アラスカ物語」でフランク安田が発見した砂金も、こういう風にして出来た物だろう。

しかし砂金などというのは自然が金を集積してくれただけの偶然で、人類が掘り出した多くの金は金鉱山から掘りだした物だ。
金に対する人の執着はすさまじく、中には一つの火山を削り尽くして真っ平らにしてしまったところもある。

採算の取れる1トンの鉱石から取れる金の量は5グラムにすぎない。
まず採石した鉱石を砕いて選別し、金を含んだ鉱石を粉末にする。
金は水銀に溶けるので、粉末を水銀に溶かし合金を作る。
その合金を熱して水銀を蒸発させると金が出来る。
水銀は有毒で水俣病の原因だ。
普通は蒸発した水銀は回収するが、アフリカの鉱山などでは大気中に放出したりするため、水銀中毒になる人達も居るらしい。
日本では今は硫化水銀を使わないシアン化法という精錬手法をとっている。

日本の最大の金鉱山は鹿児島の菱刈鉱山だ。
恐山にも金脈が埋もれているらしい。
手稲金山もかつては東洋一の産出量を誇った時がある。
星置川では砂金が採れたから、手稲山の何処かに金鉱脈があるのだろうとは予測されていた。
明治の始めに星置に住む鳥谷部弥平治という人が金鉱を発見した。
そう言や高校の同級生で鳥谷部という奴がいたな。
バイクの事故で死んじゃったけど、子孫だったのかも知れないな。
しかし木の生い茂る山で金鉱を掘るのは大変で、結果も思わしくなかったらしく、その後手稲山の金を掘ろうという人は現れなかった。

ところが大正時代になって山火事が発生し、山が丸裸になってしまった。
この時に広瀬正三郎という人が新たな金鉱脈を発見する。
昭和10年になると、三菱鉱業株式会社が広瀬さんから権利を買って手稲鉱山を開く。
太平洋戦争の前、金の必要性から昼夜を分かたず掘り続けた結果、当初40年分あるとされた鉱石を戦争が終わるまでの8年間で掘り尽くしてしまった。
今でも手稲山の山肌に選別場の廃墟が貼り付いているのが見える。
金山の最盛期には手稲も人が沢山居て、学校も出来、軽川駅(今の手稲駅)と鉱山の間に鉱石を運ぶリフトがあって、子供達は学校から帰るときにはリフトに荷物を載せて手ぶらで帰ったみたいだよ。

紀元前1700年から紀元前1000年の間、中国に殷という国があった。
日本では殷と呼んでいるが中国では商と言う。
中国ではその王朝の始祖が始めに封じた土地の名を王朝の名前にする。
殷の最初の王が封じた土地が商だったのだ。
殷が周に滅ぼされ土地を追われた住民達は、耕す土地が無くなったものだから物を売買して生計を立てた。
その人達を商の人、商人と呼んだ。

今家で働いているバイトの兄ちゃんは我が家のバイトだけでは食えないので、本業である内装の仕事もしている。
何度も断ったのだがどうしても、と頼まれて内装の仕事をしたのだが、この会社の社長というのがまだ32歳で、金は出さないが口は出すという社長らしい。
ほとんど利益の出ない仕事をさせ、自分だけはしっかりとマージンを取っている。

「そんな仕事やめろよ」

と言っているのだが、兄ちゃんは次の仕事の話を鼻面にちらつかされて引き受けた。
その結果我が家の仕事を3日つぶした。
こういう会社はいずれつぶれると思う。

トルコだかの商人が日本人客について、日本人は駄目だと言った。
何故かと尋ねると

「日本人は値引き交渉をせずに言い値で物を買う。
商いというのは客はこれだけ値をさげさせて買ったと喜んで、売る側はこれだけの値引きで売ってやったと喜ぶと、双方が幸せな気持ちになれなければいけない。」

と言う。

会社というのはそこに関わる人や、社会を幸福にして行く機構でなければならない。
下請けを絞るだけ絞って自分だけ利益を得ようだとか、社会を不幸にしてしまうような会社は存在価値が無いし、存在すべきでも無い。

見えざる手

「神の手を持つ男」と言われる福島孝徳さん、テレビで良く取り上げられている脳外科医だ。
この人の本を読んで、やはりこの人は見えざる力に導かれて今の仕事をしているのではないかと思った。

福島さんの爺さんは葛飾区新小岩に大農場を持っていた豪農だった。
そして同時にテキ屋の元締めだった。
厳密に言えば当時はヤクザとテキ屋は微妙に違うんだけど、まあ一般の感覚からすれば区別の付かない、真っ当な職業では無かったんだろうな。
その後ろめたさから爺さんは三人の息子を社会の為になる職業に就かせた。
坊主、神主、医者だ。

福島さんのお父さんは、明治神宮の神主だった。
戦後GHQが明治神宮を取り壊して公園にしようとした時、お父さんは元々東京外語大出身で英語が出来るからGHQに赴き

「あなた方は日本という国を占領することは出来るが、日本人の心までは占領出来ない。」

と言い、明治神宮は生き残った。

生き残ったは良いが、40万坪もの土地を管理できる費用が無いし、焼け落ちた社殿を再建する金もない。
それで明治記念館を結婚式場にしたり、レストランを作ったり外苑にテニスクラブを作ったりして運営費用を作り出した。
明治神宮の運営に没頭した。

福島さんの爺さんが亡くなり、新小岩の広大な土地の全相続権がお父さんにあったわけだが、お父さんは

「遺産は人をダメにするから」

と言って放棄した。
福島さんが

「父さん、子供達のために、ちょっとだけでも貰ったら?」

と言うと、お父さんは怒って

「お前達には借金も遺産も残さない。そんな物は当てにしないで自分でやりなさい。」

と言った。

そういう立派なお父さんの息子ではあったが、若い頃の福島さんは余り出来の良い息子では無かった様だ。
今で言えばヤンキー?
兄貴は早稲田に行っていたが、親に勘当され、学生ヤクザの様な生活を送っていた。
血なんだろうな。
でも二人ともアウトローの世界に進まなかったのも、これ又血なんだと思う。

福島さんには叔父さんが居た。
例の医者にされた叔父さんだ。
この叔父さんが新小岩の赤ひげ先生と言われるような、自分の事はさしおいても患者の事を考えて居た人で、福島さんはこの叔父さんを尊敬していた。
自分も医者になろうと思っては居たが、何せヤンキー、受けた医大は悉く落ちた。
それで一年間叔父さんの家に居候し、みっちり勉強漬けの日々を送る。
それで美事東大に合格した。

しかし相変わらず品行よろしからぬ生活を夜の繁華街で送って居たらしい。
学校とは別に築地の国立ガンセンターに入り浸る事になる。
そこで学校では勉強できないことを体験したんだろうな。
他人の為に生きようという決意を固める。
それからは医療にすべてを捧げる様な生活を続けてきた。
手術の前には必ず神に

「どうか力を授けてください。」

と祈る。
明治神宮に祭られている神様にだ。

きっと若い頃のヤンキー生活も、今の福島さんを作るための布石だったんだろう。
学生ヤクザだったお兄さんも無事卒業し、真っ当な社会人になったらしいよ。
今は年間600も手術をしているらしい。
自分の時間なんか無いよね。

それだけ働いて居ればそれなりの収入もあるわけだ。
彼は今はアメリカに住んでいるが、あちらでは医療保険金は病院と医者個人に支払われる。
日本の医者では考えられないぐらいの収入があるはずだが、借金も十年分あるという。
何故かと言えば、設備の整って居ない外国で手術をする時は、自費で機材を買って、手術が終わった後は寄贈してくるという。
だって手術に使う顕微鏡だって2000万位するんだよ。
さらに自分の技術を後輩に伝えなければならない。
教えを乞うてくる若い医者の生活費も見てやっている。
そら、何ぼ金あったって足りないよな。

でも彼にとって金なんてのはただの紙であってさ、本当に大切な物は何かという哲学があるんだわ。
それは福島家が代々引き継いだ血がなせる技なんだと思うな。

コラーゲン

肌にはコラーゲンが良いらしい。
コラーゲンって人間を人間たらしめてる物らしい。

そもそも地球が全球凍結といって赤道地帯を含め陸地は厚さ3000メートル、海で1000メートルの氷に被われた時期があって、多分その時期を生命は地殻の深い所とか、深海の熱水鉱床の辺りで暮らしていたらしいのだが、火山の噴出する二酸化炭素による温室効果で、ある時氷が溶け出した。

蒸発した水は雲を産み大量の雨を降らす。
中心気圧が300ヘクトパスカルなんていう、今では考えられない超巨大ハリケーンを作り出す。
巨大なハリケーンは高さが100メートルの波を作る。
フロリダ半島を端から端まで洗い尽くす波だ。

こんな想像を絶する嵐ともなると深海まで攪乱する。
全球凍結の間、深海の熱水鉱床の周りに作られたコロニーの周辺に蓄えられていた栄養素がかき混ぜられて海表にまで届く。
すると、葉緑素を持った生き物たちも「待ってました」とばかりに海面で光合成を行う。
それで酸素濃度が現在の地球の21パーセント近くになる。

地球凍結以前まではずっと酸素濃度が薄かったんだよ。
コラーゲンってのは酸素が豊富に無いと出来ないんだよね。
そしてコラーゲンというのは細胞の培地で、細胞同士をくっつける土壌みたいなものらしいんだよね。
だから全球凍結が終わって酸素が過剰なほど生み出された時、多細胞生物が爆発的に現れた。
それが6億年前、カンブリア期なんだわ。

地球を一個の人として見ると、苦難の時期というのはあるし、必要なのかも知れない。
ただひたすらに耐えて、発条に思いを貯め込んで次の飛躍の時を待ち続ける時期がさ。
全球凍結ってのは地球君にとってはそんな、ただひたすら堪え忍ばなければならなかった時期なんだろうな。

そして氷が溶けた春に、一斉に思いのたけをぶつけるように生命は芽吹き、様々な可能性を模索し、今では子孫の欠片もない様々な生命を試作した。
そしてつぶれて行くものはつぶれていった。
今生き残っている我々は、偶々環境に適して居ただけなんだろう。

俺、夢想するんだけど、進化というのは単細胞生物の頃に周囲の環境の変化があって、それに自分を対応させて変わらなきゃならないという時から始まったんだと思うのさ。
その時に意識という物も生まれた。
きっと欠片みたいな物だったんだろうけどさ。

俺とお前は違う存在だぜ

っていう意識はどの頃生まれたんだろうね。
細胞膜が出来た遙か昔の頃からあったんだろうか。

侍のハロゥインパーティ

今月はハロウィンで子供達が色々な仮装をしたりする。
しかし日本にも仮装パーティはあったのだ。
それもものすごい豪華メンバーだ。
どういうメンバーかというと、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家といった戦国時代を生き残った英雄豪傑達だ。

1593年6月28日(文禄2年)、秀吉の朝鮮出兵の本陣が肥前名護屋城(佐賀県唐津市)に置かれていた。
しかし戦は長引き(というか、全く戦をする意味があったのか?)朝鮮半島で行われている戦であるから戦況に応じて矢継ぎ早に指示を出すことも出来ず、本陣の侍達の士気も下がる。
退屈で仕方がない。

秀吉ってのは遊びの天才で、もしかすると天下盗りも彼にとっては遊び
だったのかも知れない。
晩節を汚したとはいえ、天下を盗る迄の秀吉は出来るだけ血を流さず国を盗ろうとする壮大なゲームをしていたのかもしれない。

そんな訳で秀吉は退屈を紛らわすため、仮装パーティをすることを思いついた。
参加するのは自分をはじめ諸大名、旗本、大奥女中達である。

会場は名護屋城から海に迄続く瓜畑、幔幕が張られその中に急ごしらえの街が作られる。
まあ、学祭の会場みたいな物だったんだろうね。
そこに旅籠、茶店なんかを作った。
舞台のセットみたいなもんだったんだろう。

当日は無礼講。
秀吉自ら道端の瓜売りに扮して商品である瓜の山を前に座り込み、通りかかる人に声をかけて瓜を売りつける。
きっと秀吉は何日も前から準備していたんだろうな。
瓜売りの衣装も用意してさ。
家康はどんな格好で来るだろう、とか、その光景を夜眠る前に想像しながら楽しんでいたんだろうな。
秀吉のこういう遊び心、何か面白いことが無いかと常に考えている心の動き具合っていうのは、今で言えばイベントのプロデューサーに適した性格なのかな。

それで当日の様子はどうだったのかと言うと、秀吉は藁の腰蓑を着けた瓜売り、家康はざるを売るあじか売り、前田利家は汚ねえ旅の坊主、奉行の前田玄以なんかは年老いて太った尼の格好でやってきたらしいよ。
そしてこの昔のハロウィンパーティは、ただ格好だけでなく、扮装の当人に成りきって芝居をしたみたいで、みんな大爆笑だったらしいよ。

こういう自由な発想は家康には無かったな。

砂に消えた楼蘭王国

手稲の辺りを走っていたらローラン美容室という店があった。
多分このローランと云うのは、現在暴動が起こっている新疆ウイグル自治区にかつてあった、楼蘭王国から取った物だと思う。
楼蘭はタクラマカン砂漠にある。
そしてタクラマカン砂漠はヒマラヤ山脈の北のタリム盆地に広がっている。

海溝から大陸の下に潜り込んだ海洋プレートはそのまま地球のコアまで落ちて行くのでは無く、地下670キロメートルの所にスラブとなって貯まって行く。
http://www.geocities.jp/acorn10jp/plate.html

そして4億年に一度、バラバラになって地下2900キロメートルの外部コアとマントルの境目まで落下して行く。
その時地上も引きずられて陥没することになる。
タリム盆地やアフリカのザイール盆地などは、今から2億年前にそうやって出来た物らしい。
2億年前というと中生代の三畳紀とジュラ紀の間頃になる。
恐竜が居た時代だね。

それから延々と時が経ち、シルクロードの通過地として、少なくとも紀元前2世紀にはロプノールと云う塩湖のほとりに、楼蘭王国が栄えていたと中国の文献には書かれてあった。
今のウイグル族の顔を見てもアラブ風の顔が多いから、色々な顔かたちの人が歩いているような、人種のるつぼの様な街だったんだろうね。

ところが大きな湖であるはずなのに、ロプノールを見たと言う人が居ない。
それでロシアのプルジェワルスキーが1876年から一年かけてタリム盆地の東側を探検し、二つの湖を見付け、これがロプノールだと発表したのだが、
古地図の位置と合わないし、淡水湖であることからロプノールでは無いのではないかと云う議論が起こった。

そこで1900年のヘディンの探検で、砂漠の中に古代の湖底の後を発見する。
そして偶々の偶然で、楼蘭の街の砂に削られた住居跡やら仏塔を見付け出す。
そして木簡や紙文書を多数発見して持ち帰った。
そして楼蘭とはクロラインナ(王都)という現地名を音読みした物だと判明する。


この時の測量で砂漠は起伏が少なく、容易に高低差を変えることが解り、現在ある二つの湖はいずれ元の位置に戻るだろうとヘディンは予想した。
「さまよえる湖ロプノール」説である。

1921年頃からタリム側は川筋を変え、かつてのロプノールの在った位置に戻り始めた。
そしてへディンは1934年、34年前に砂の上に残した自分の足跡の上を、今度はカヌーで辿ったのだ。

しかし上の衛星写真を見ても解ると思うが、既にロプノールは枯れ果ててしまっている。
10年くらい前にNHKの番組で、椎名誠がかつてのロプノールの湖底を歩いていたが、既に一滴の水もなく、乾いた湖底が延々と続いていた。

そして1964年から1996年の間に46回の核実験が中国によって行われている。
ソ連の核実験も入れると、シルクロードで行われた核実験の回数は505回に及ぶ。

アイスマン

今から5300年も前の人間なんて文字も無いし、獣の皮を着て、木の実や野生動物の肉を食らう原始人の様に思ってしまうのだが、実は豊かな生活をし、知的な事を考える、現代の人間と大差が無い人達だったのかも知れない。

1991年チロルの山の氷の中からミイラ化した遺体が見つかった。
当初それは遭難者の死体だろうと思われたが、所持品から判断するに、もっとずっと古い死体であることが解ってきた。
放射性炭素年代測定方で測定してみると、何と5300年前、日本で言えば縄文中期、エジプトのピラミッドは出来ておらず、メソポタミア文明が起こり始めた頃の死体だった。

恐竜やマンモスの化石化していない死骸も見つかるくらいだから、遺体が腐敗もせず残っていた事自体は、さほど驚くことではない。
しかし着衣や携行物を見てみると「2001年宇宙の旅」の最初のシーンに出てくる、骨を振り回して吼えている原始人のイメージとは全く違うのだと解る。

考えてみれば千年以上前の文学が残っており、4600年も前のトロイア文明の遺跡が残っているんだから、5300年前というのは人類の歴史の中ではそんなに昔の事では無いのだろう。

このアイスマンはどんな生活をして、どんなことを思い、どうしてこんな氷河の山の中に登り、何を思いながら死んでいったんだろうね。

http://wiredvision.jp/news/200812/2008120322.html

伊藤若冲

「美の巨人達」で伊藤若冲をやっていた。

若冲といえば鶏をスーパーリアリズムで描いた画家としか思っていなかったけれど、「象鯨図屏風」とか、布袋さんを描いた絵なんか、現代アートや、女子中学生が

きゃー、可愛い~!何これ~!

と言ってもおかしくないキティちゃん風の、ポーチに貼り付けて歩いても良いような絵なのだ。
これが200年も前の絵なんだぜ。
ああ、人の心なんて200年前も4000年前も変わらねえんだなと、何故か安心する。

「象鯨図屏風」なんてぶっ飛んでるよ。
偶々どっかの旧家で見つかった物で、若冲が描いたという証拠もないんだけど、こんな物若冲以外に描けねえだろうということで若冲の絵と断定されたんだけどさ、鯨の方は鯨の背中だけが見えていて、かろうじて背中から潮吹いてるから鯨だと思う。

象の方はもっと面妖だよ。
一体これは象なのかい、ダリの「記憶の残像」のしなびてへなっとした象?
こいつはどうも座っているらしいんだけど、折りたたんだ前足らしき部分は乳房の丸みの様に思えるし、後ろ足なんか尻尾の陰にして誤魔化してるよ。
目なんか三日月で笑ってるよ。

なんか良く解らないけど鯨は男性的な猛々しさを現し、象は女性的なふくよかさを現しているんじゃないかと思うんだけど、絵の向こうに見えるのは若冲のお茶目な心なんだな。


伊藤若冲は世捨て人だ。
狩野派の絵を一旦は学んだが、後は自己流だ。
家業の八百屋も性に合わず絵だけを描き続けた。
なんだか、つげ義春を連想するんだな、俺は。
でも生きることを楽しんでいた事は分かるなあ。

良く時代劇で越後屋が切り餅を悪代官に差し出して

なにとぞよしなに

と言うと、如何にも悪そうな顔の代官が

越後屋お主も悪よのう

とニタリと笑いながら袂に入れるシーンを見かける。

若い頃深夜のバイトをしていて、休憩時間に

おい、昔は餅が金だったんだぜ。悪代官に越後屋が出してるだろ?

それを聞いていた別の男が

何言ってんだ?馬鹿か?あれは小判を重ねて紙に包んでるんだぞ。形が餅みたいだから切り餅小判っていってるだけで。

こういう勘違いって良くある。
自衛隊に居た頃上官が

昔の火縄銃って、火縄が燃え尽きて火薬に点火するんだから打つの大変だろうな。

と言うから呆れて

あれは火縄が撃鉄に挟まれていて、引き金を引くと受け皿に火縄の先が当たる。
受け皿には火薬が置いてあって、その火薬が銃身の火薬まで通路で繋がっている。
だから引き金を引くと弾が出るんだよ。

と教えてやった。
火縄が燃え尽きるまでじっと狙いを定め続けるなんて不便な銃がある訳がない。

それはともかく金の話だ。
昔は貝が通貨だった時代があった。
殷王朝(紀元前1600年~1046年)の時代だ。
味噌汁に入ってるシジミとかアサリとかいった貝ではない。
そうだとしたら毎日石狩浜に採りに行くよ。

子安貝という沖縄やベトナム、モルジブ辺りでしか採れない貝だ。
中国では採れない貴重品だから貨幣として通用した。
だから今だに金にまつわる漢字には貝という字が含まれている。
財、貯、販、貨、貿、買、貸、費、貴、貧等々。

貨幣と云うのは持ち運びが便利だ。
様々な貨幣がある。
金属、紙幣、布、貝、羽毛、鼈甲、石なんてのもある。
ギャートルズなんかに大きな石貨が出てくるけれど、あんな物持ち歩けないだろう。
実際何かを買うために転がして行ったなんてことは無かったようだね。
上り坂にさしかかったら逆に転がってきて轢かれてしまうではないか。


日本で最初の貨幣は708年に鋳造された和同開珎である。
元明天皇の頃、埼玉県秩父で銅が算出したので、年号を和銅とした。
昔は一人の天皇の在位期間に関係なく、ころころと年号を変えていたんだよ。
それを記念して鋳造したのだ。
それ以前は唐から輸入していた。
尤も最近では和同開珎以前にも富本銭とか、無文銀銭なんてのが使われていたんじゃないかと云う説もある。
でも貨幣の絶対量が圧倒的に少ないので、室町頃まで中国から輸入してたんだわ。

しかし貨幣を作ったは良いけど、一般に普及するには随分と時間がかかったんだよ。
だってただの金属じゃん。
こんな物が物に変えられるなんて思わないじゃない。
価値も統一されていないし。
だから絹が貨幣の代わりをしていた。
軽くて持ち運びが容易で、美しく実用的だからね。
貨幣が本格的に普及したのは貨幣制度が統一された江戸時代からだ。

でも侍は俸禄を米で貰っていた。
現金も必要だから金に換える必要がある。
それが札差しという商売だった。
出来た頃は米を現金に換える仕事だったのが、そのうちサラ金みたいになっていって、随分儲けていたみたいだよ。
江戸時代と云うのは米が中心の米本位制だと思うな。
米一俵を金に換えると幾らになるかという。
米は努力すれば収穫が増える。

でも金なんて自然に転がってる物じゃない。
産出国は豊かでも、金が出ない国は貧乏になってしまうじゃない。
石油なんかも同じさ。
アラブの大金持ちなんて、偶々地下に油田があると云うだけで湯水のように金が入ってくる訳だ。
努力もしないで金を得られると人間は怠け者になる。
日本人が勤勉だと云うのは米本位制の所為かもなあ。

カラシニコフ

宇宙エレベーターの実験をテレビでやっていた。
エレベーターで宇宙まで上ってゆくという空想科学の中の発明品なのだが、軽くて強度のあるカーボンナノチューブの発明で、少し現実味を帯びてきたという。
気球で空中にぶら下げられたベルトに昇降機を噛み込ませ、150メートルの高さ迄登る時間を競い合うという。
大学生の実験であるから予算はあまりない。
ミュンヘン工科大学が54秒でダントツに早く登り切った。

その中で軽く精密に作られた機械が意外と苦戦していた。
それを見て思いだしたのがカラシニコフという銃のことだ。
AK47という此のロシア製の自動小銃は世界を変えた。
安い、壊れない、手入れが要らない、ジャミング(弾づまり)を起こさない、簡単に分解組み立てが出来る。

設計者のカラシニコフは元々機関車の整備をしていた。
奇妙な縁でソ連軍武器アカデミーの自動小銃開発チームに入ることになる。
メンバーは10人、皆大卒で中卒はカラシニコフだけだった。
それぞれが独自に設計をして試作品を作って競争をする。
自動小銃のジャミングの原因は弾を発射した後に薬室に残るカスだ。
空になった薬莢がカスのためにはじき飛ばされず、薬室に次の弾が入ってゆかない。

開発を指導したトカレフはゴミが入らないように精密に作るよう指導した。
しかしカラシニコフは逆な発想をしたのだ。
動く部分に遊びを作った。
擦れる部分をスカスカにすることにより、多少ゴミや火薬の燃えかすが残っていてもジャミングを起こさないように設計したのだ。
さらに無学な兵士でも簡単に分解、組み立てが出来るよう8個のパーツに組み上げた。

足で踏みつけられてバナナのように曲がってしまった弾丸でも、AK47は銃身が破裂することもなく発射できる。
戦場の環境は多様だ。
泥濘の中であったり、水中だったり、氷原であったり、砂漠であったりする。
そういう場所で、手入れも碌に出来ない状況の中でも銃としての機能を果たさなければならない。
AK47はそういうタフな自動小銃だった。

世界中の戦場や紛争地帯で使われ、中国製のコピー品も大量に出回っている。
人類史上最も人を殺した兵器といわれている。
9.11のテロでテロリストが使っていた銃もAK47だった。

あなたの作った自動小銃が世界各地で混乱と悲劇を起こしていることをどう思うか

と聞かれ

そういう話は私も聞いている。悲しいことだ。だがそれは銃を管理する者の問題ではないか。米国のM16やベルギーのFALが流出することだってある。
私はナチスドイツから祖国を守るため、より優れた銃を作ろうとしただけだ。

と答えた。

野口シカ

野口英世記念館に行くと英世の母シカが異国にある息子に宛てた手紙が展示されている。
その内容はこのような物だ。

おまイの。しせ(出世)には。みなたまけ(驚き)ました。
 わたくしもよろこんでをりまする。
 
 なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。 
 よこもり(夜籠り)を。いたしました。

 べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
 いぼし(烏帽子:近所の地名)。ほわ(には)こまりをりますか。
 おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。

 はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いて(行って)しまいます。
 わたしも。こころぼそくありまする。
 ドカ(どうか)はやく。きてくだされ。

 かねを。もろた。こトたれにもきかせません。
 それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。

 はやくきてくたされ。

 はやくきてくたされ

 はやくきてくたされ。

 はやくきてくたされ。

 いしよの(一生の)たのみて。ありまする

 にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。
 ひかし(東)さむいてわおかみ。しております。

 きた(北)さむいてわおかみおります。
 みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。

 ついたち(一日)にわしをたち(塩絶ち)をしております。
 ゐ少さま(栄晶様:修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわ
 おかんてもろておりまする。

 なにおわすれても。これわすれません。

 さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。(神様に捧げるように頂く) 
 
 はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
 これのへんちち(返事を)まちてをりまする。
 
 ねてもねむられません

シカは無学で字が書けなかった。
でも息子に会いたい一心で囲炉裏の灰を指でなぞって字を書く練習をしたのだ。
たどたどしい文章ではあるが、思いは痛いほど伝わってくる。
絵画にしても、音楽にしても、文章にしても、絵を描く技術、楽器を奏でる技術より、伝えたい物があるのかどうかということが問題なので、がらんどうの心からは何も伝わってこない。

ECOって本当にECOなのかい

昼飯を食うために「吉野家」に入った。
牛丼並を注文して卓上を見ると、箸入れに割り箸ではなく普通の箸が入っていて「ECOのために割り箸を使っていません」
と書いてある。

割り箸を使うのはエコの為に良いのに。
本来割り箸は森が健康に育つために間伐した木材やら、建築用木材のはしきれを使っているのだ。
割り箸を使うことにより、山を手入れする費用の足しになっている。
それを中国が割り箸を作るためだけに木材を伐採し、安い値段で日本に輸出するものだから、日本の割り箸が売れなくなる。
間伐する費用が出ず山が荒れる。
成長した木は酸素を消費し二酸化炭素を放出する。
だから環境のためには適度に成長した木を伐採して、苗を植えるべきなのだ。

一方中国では伐採した後植林をしないものだから環境破壊が起きる。
しかも中国産の割り箸は船で運ぶため防黴剤を含ませているから健康に良くない、と悪いことばかりとなってしまう。

こういう事をマスコミは報道しない。
躁病のようにエコだと騒いでいる。
でもECOをやると金もかかるし、資源も無駄遣いすることになるのだ。

ぽっぽ鳩山君がCO2の排出量を25%削減すると世界に向かって宣言した。
早速

「あーそれは素晴らしい!大歓迎だ!日本がリーダーシップを取ってやってくれ。」

と外国からおだてられている。

まったく外交音痴が政権を取るとこうなるという見本だ。

25%削減の根拠は?と尋ねると

「マスキー法が決まった時にビッグ3が絶対不可能だと言ったが、日本のメーカーがクリアしたじゃないか。」

と云うのが根拠らしい。

京都議定書の6%の削減もクリアできずに、発展途上国から排出権を買っている日本が、25パーセントの削減が出来るわけがない。
途方もない数字だよ。

元々日本はオイルショックの後CO2の排出量を削減し、アメリカ人一人当たりの排出量の半分しか排出していない。
何故外国がこのようにぽっぽ君の発言を歓迎するのかというと、彼らは元々CO2の排出量が多いから25%の削減は簡単に出来るのだ。
所が日本の場合は削減を重ねた結果が今の状態なのだ。

彼らが30%削減したとすると5%の排出権は日本が買ってくれる訳だ。
諸手を挙げて歓迎し、おだてまくるのも自国の利益になるからだ。
マスキー法の時には本田宗一郎がCVCCエンジンを開発した。
しかしあの頃とは違うんだよ。

まったく財源問題と同様何の裏付けも無い。

外交なんて戦争だよ。
ただ武器を使わないだけで。
環境保護なんて本気で考えて外交してる国なんて無いよ。
すべて自国の利益のため。

そこに暢気な鳩が迷い込んできた。
それもネギと鍋と薪まで背負って。
他国は笑いをこらえながら褒め称えてるんだろうな。

もしかすると中国あたりに合法的に金を流すために意図してやってるのかもしれない。
そうだとするとシナリオ書いてる奴は相当くせ者だろうな。

一体日本丸は何処に漂流してゆくのかね。
ロシア?中国?北朝鮮かも。

「今さら聞けない環境問題のウソ・ホント」イースト・プレス刊

を読むとリサイクルとかエコと云う物が、如何にエネルギーを使って資源を無駄遣いしてるか書かれているよ。
この本の中で知ったのだが、アルミ缶のプルタブを集めると車椅子と交換できるじゃない。
でもこれは最初は誰かが広めた都市伝説らしい。

そもそもアルミ缶のてっぺんのプルタブのついている部分、あそこはプルタブが外れやすいようにアルミにマグネシウムを混ぜているらしい。
だから回収しても、融かしてアルミを取り出すには沢山のコストとエネルギーが必要になる。
確かにその後その都市伝説を利用して、プルタブと車椅子を交換してくれる企業が現れたが、日本全国から集まったプルタブ、どうなったんだろうね。


海はいいべ

息子が久しぶりに帰ってきた。
もうお互い対等な関係だと思っている。
だからべたべた付き合うつもりは無い。

昔あんな事があったよな

と、共通の思い出を話すのに、気恥ずかしさを感じる。
従って男親と息子の再会はぶっきらぼうな物になる。

ああ

とか

うん

とか、単語が少ない。

別に喋らなくとも良いんだけど、とりあえず人間だから言葉でコミュニケーションしておいた方が良いんじゃねえのかな、と思って言葉を発する。

東京は人ばっかりだから、自然のあるところに行きたいというんで海に行った。

空は晴れていたけれど、風が強い。
強い風に浜に打ち寄せる浪のてっぺんが風に砕けて、いくつもの白い筋になって押し寄せる。
風は砂を吹き飛ばし、砂浜に風紋を作る。

だ~れがかーぜを見たで~しょお~♪

風は普通目に見ることは出来無いが、風が作用した結果は見ることが出来る。
障害物のある風の通り道の後ろには、彗星の尾のような模様が出来る。
そんな砂の風紋を見ながら無言で歩く。
奴が子供の頃にそうやって歩いた場所だ。

夏の海は喧噪に満ちている。
だから秋の静かな海が好きだ。
地べたと水たまりのはざかいの静かな場所に居ると、自然と自分を振り返ることになる。
奴は奴で自分を振り返り、俺は俺で振り返る。
それぞれの人生がある。

だから手を振って笑顔で別れました。

釣りバカの歴史

以前江戸の物価の事を書いたけれど、あの物の値段は三分の二だった。
納豆の価格4文は60円ではなく40円ということになる。
何故こうなったかというと、大工の給料を30万と計算していたためで、実際は195000円(3両)だった。
100文が現代の物価にすると1000円になる。
でもなかなか近い線いってたんでないかい。

釣りバカ日誌の映画も終わるらしい。
釣りとは糸の片方に魚が居て、もう片方にバカが居る状態をいうらしい。

日本で趣味としての釣りが始まったのは江戸時代だ。
これには4つの理由があるそうだ。
平和な時代背景、江戸湾の地形、仏教思想からの解放、
テグスの伝来。

平和でなければ釣りなどやってる暇はない。
現在の皇居の東京湾側はすぐ遠浅の海だった。
江戸になってから僧侶の力が弱くなってきて、殺生云々の事がやかましくなくなってきた。
そしてテグス。
テグスってもともとは中国広東地方に生息するテグスサンというヤママユガ科の蛾の幼虫の背中を裂き、絹糸腺を取り出し、酢に漬けたものをほぐしたものだ。
そも日本には薬の袋を縛るための紐として入ってきた。
それが何から出来ているのかずっと分からなかったのだが、それに目をつけてハリスとして使えると考えたのが日本の漁師で、中国の川は濁っているからハリスなんか透明でなくとも良かったのだ。
テグスを使うようになって釣果は革新的に上がったのだ。

釣りは江戸時代に武士の趣味として始まったらしい。
いや、趣味というよりは武道に通ずる釣り道として始まった。
でもそれは言い訳でただ単に面白いからやってただけで、理屈と膏薬はどこにでもつくのだ。
伊達政宗が道楽としての釣りを始めた人らしい。
死ぬ前年には庭に堀を作って釣りを楽しもうとしていたらしいが、かなわぬ夢になってしまった。

日本最古の遊びの釣りの記録として残っているのは、松平大和守直矩(まつだいらやまとのかみなおのり)で万治二年(1659年)9月23日、江戸湾で18歳の直矩が家臣を連れて船釣りを楽しんでいる記録が残っている。
18歳の殿様の道楽に家臣が付き合ったのかも知れないのだが、それなりに楽しかったんじゃないかな。
その様子は釣りバカ日誌と似たようなもんだね。
昔から浜ちゃん、すーさんみたいな人達は居たんだわ。

日本で最初の釣りの解説書を書いたのは津軽采女という人だ。
采女なんていうと女かと思うが立派な旗本だ。
津軽 政兕(つがるまさたけ)といい、津軽弘前藩分家黒石領4000石の三代当主なのだ。
この人日本で初めての釣りの指南書 「何羨録」(かせんろく)を書いている。
弘前藩の分家の三代目で本家にも幕府にも無用の存在で、でも家禄だけはあるから暇を持て余していたらしい。
それで趣味の釣りに没頭してしまったらしい。
でも一時は時の将軍、綱吉に気に入られて小姓に迄なったんだけどね。
綱吉といえば生類哀れみの令を作った馬鹿殿だけどね、釣りだけはなかなか禁止されなかったのは采女の影響だったのかも知れない。
元々釣りの道具は武具を作る技術を流用して作られたものだ。
釣り竿は弓矢を作る技術の応用であり、竿に塗る漆は刀の鞘に塗る漆の技法の流用だ。
錘は鉄砲の弾の鉛を溶かせば作ることが出来る。
武道に共通する物があるから大目に見られたのかも知れない。

でもおふれに平然と違反して島流しにあった釣り馬鹿達も沢山居たんだよ。
能の小鼓方筆頭、観世新九朗だとか絵師の英一蝶(はなぶさいっちょう)とか。
心の底では生類哀れみの令なんて馬鹿にしてたんだろうね。
それは綱吉の周囲も同様だったらしく、綱吉が死ぬとすぐに廃令されてしまったことを見てもみんな「馬鹿な事やってるなあ。」とは思っていたんだろう。

野菜は文化大使だ

低温で曇りがちな日が続いていたけれど、ようやくピカッと明るい季節になったね。
我が家の畑の野菜も心なしか元気が出てきたような気がする。
キュウリも実を付けている。
育ってくる野菜を眺めているのは楽しい。

野菜って元々は野草だった物を、人間が選択して改良してきたんだろう。
日本古来の野菜って、せり、ナズナといった春や秋の七草と大根くらいだったらしい。
今普通に食べている野菜で日本原産の物は、
大根、ジュンサイ、蕗、らっきょう、ニラ、ミョウガ、山椒、わさび、ウド、アサツキ、わらび、ぜんまい、くらいかな。
後は渡来物なんだわ。

奈良時代前後にはきゅうり、茄子、これは遣隋使だとか遣唐使が持ち込んだんだろう。
平安時代にはささげ、室町から江戸時代には急に種類が増える。

ほうれん草、かぼちゃ、インゲン豆、枝豆、空豆、ニンジン、パセリ、サツマイモ、トウモロコシ、唐辛子、ジャガイモ、スイカ、ニガウリ、これらはきっと南蛮渡来の物なんだろう。

江戸後期には

イチゴ、トマト、春菊、孟宗竹、アスパラガス、長いも

アスパラガスなんて江戸時代からあったんだね。
孟宗竹の渡来もそんなに最近だったのか。
昔から孟宗竹の竹林ってあったもんだと思っていた。
あの竹林はタケノコを採るために植えられたのかもしれない。

明治になるとタマネギ、白菜、ピーマン、オクラと現在食べている野菜はほとんど揃う。

稲も渡来物だから今食卓に並んでいる野菜で、日本原産の野菜ってのはほとんど無いんだね。
日本は高温で雨が多いから酸性土壌であり、本来農業に適していないのかも知れない。
だから石灰撒いて中性にしてやらないと作物が育たないものね。

主な野菜の原産地を見てみると、キュウリはヒマラヤ山麓からシルクロードを通って中国、日本とやってきた。
カボチャはアメリカ、白菜は地中海、ネギ、タマネギは中央アジア、ニンジンはアフガニスタン、ジャガイモ、サツマイモはペルー、スイカはアフリカのサバンナや砂漠地帯、だから海岸の傍の砂地で作ってるんだね。

トマトはメキシコからコルテスが持ち帰った。
トマトがアメリカに伝わった時、輸入果物には関税がかからないが、輸入野菜には関税がかかるというので、輸入業者はトマトは果物だと主張したのだが裁判に負け、結局野菜扱いされることになった。
実際野菜なんだけどさ、一見すると果物と言っても通じそうな気がするから、輸入業者の強弁も解るなあ。

トマトといえばイタリアだけど、最初は毒のある果物だと思われていたんだわ。
似たような毒のある果物があってね。
でも貧乏人が食いはじめて、今やイタリア料理と言えばトマトだもんなあ。
我が家の畑の主役で、面積を占めているのはやっぱりトマトだよ。

野菜は文化の交流の象徴だな。
種として持ち運べば良いんだから楽だもんなあ。




第六感

太平洋戦争時の日本海軍のエースパイロット坂井三郎は、視力が2.5以上あったという。

だから他の人が見付けられない遙か彼方の敵機も、敵よりも味方よりもいち早く発見でき、優位な位置に持って行けた。
だけどそれ以上の勘の様な物が働いたと言うんだね。

何故か解らないが遙か彼方の空が気にかかる。
目にはっきり見えるわけではないが、敵がいる気配を感じる。
するとだんだん、ごま粒の様に敵の編隊が見えてくる。
そんなことが数限りなくあったという。

だけどこれは第六感とか言うものではなく、実は目に見えてるんじゃないかなと思う。
だけど脳の中で不確かな情報として、留め置かれて居るのではないだろうか。

眼球の中心には神経が繋がっている部分があって盲点となっている。
だから少し目をそらしたら見えるのだが、じっと目をこらして、盲点に映像を結んでしまうと見えなくなってしまう。

戦闘機のパイロットなんてあらゆる方向を常に監視していなければならないから、目も首も動かしている。
その一瞬視界の隅を横切った点が知覚されるが、脳の中では確信は出来ないが怪しいとインプットされる。
それが「目には見えないが気配を感じる」状態なのだと思う。
視覚で捕らえては居るが、確度のある情報とは言えないから、一旦意識下にストックされて居るんだと思うんだわ。

その点が認識される頻度が高まるにつれ、

「これは確度のある情報」

として意識下から浮かび上がって来て

「絶対何か居るぞ。」

と思わせる。

最後に視覚として連続的に捕らえられれば、これは

「敵機発見!」

となるのだと思うのだ。

戦闘機にレーダーの無い時代、知覚を研ぎ澄ますことは、とても大切な事だったと思う。
坂井三郎も視力を鍛えるため昼に星を見る訓練をしたという。
初めは何も見えなかった。
でも訓練を重ねるにつれ、明るい星のある筈の所から一瞬目をそらした時に星が見えた。
でもじっと凝視すると、見えていた筈の星が見えなくなってしまう。

第六感という物は五感を極限まで鍛え上げた物の事だと思うな。
超能力とかいう類の物では無いと思う。
凝視しちゃいけない。
捕らわれないようにしないといけない。
半眼で周囲全体を見ていなければならない。

常日頃心がけなければならないこと

良くテレビの刑事物の番組で刑事が取調室で容疑者に向かって

「三年前の殺人事件の起こったあの時間、お前は何処にいた?!」

と尋問している場面を見かけるが、昨日の事も覚えていない俺のような男が取り調べを受けたら

「おぼえてません」

と言うしか無く、たちまちアリバイが無いということで逮捕されてしまいそうだ。
しかしドラマでは

「ああ、あの日ね、よーく覚えてますよ。雨の降ってる日でね、巨人阪神戦の中継が中止になったので、近くのスナックで飲んでましたよ。ママが知ってるはずだよ。」

等と平気で答えたりしているが、こんなこたあ有り得ないだろう!
よっぽど日記をまめにつけている人間だとすれば別だが、仮に日記を付けていたとしても、日記を紐解いて記憶を辿らなければ答えられないだろう。

大分以前、手稲でタクシー運転手殺害事件が起きた。
純子の店に刑事がやってきて

「これこれの男がこの日、おたくの店で飲んでたと言うんだけど確かですか?」

と聞きに来た。
純子の店の客だったらしい。
純子も興味も無い客の事なんか覚えているはずもなく、あっさり

「さあ、来ませんでしたよ。」

と答えたらしい。
後日その客が飲みに来て

「ママの所為で酷い目に会ったよ。」

と愚痴を言いに来たらしい。
後で調べたら確かにその客は来ていたらしい。

こうしてみると、要らぬ容疑をかけられないためには常日頃から、何時何分起床、何時に食事、と日記を付け、出来るだけ公共の場所で目立つ行動をしておかなければならない。

飯を食べに入った食堂ではわざと転んでみせ鼻血を出してみたり、街中は出来るだけ奇抜な衣装を着て、時々立ち止まって空を指さし「UFOだ!」と叫んだりして周囲に印象付けるのが良いと思う。
すると誤認逮捕されたとしても「精神に異常有り」と云うことで無罪放免となり、一石二鳥だ。

何でも有りだな

色んな刑事(デカ)が居る。
富豪刑事はまだまともだ。
刑事の親が偶々大富豪だっただけで、現実には親が裕福な刑事もいるかも知れない。
金に物をいわせて事件を解決する云々は別としてもね。

でもスチュワーデス刑事だとか、芸者刑事だとか、ガキ刑事もいる。
ガキデカは小学生だからともかく、スチュワーデスなんて本業の他にそんなバイトやってたら就業規則に違反してないかい?
会社にばれたらまずいだろう。
そんな趣味みたいな事を仕事の時間中にやってたら。

中には弁護士やりながら刑事をやってる奴までいる。
これはヒジョーにまずいんじゃないか?
これを認めれば「ドロボー刑事」もありじゃないの?ということにならないかい。
泥棒の特技を生かして事件を解決してゆく刑事。
でも、実は自分自身も指名手配されている。
警察の眼を避けつつも難事件を解決してゆく「ドロボー刑事」
ちょっと面白くないかい。

すると便乗して「振り込め詐欺刑事」とか「押し込み強盗刑事」とかも出て来ないかい。
そんなら俺も「駐車場メンテナンス刑事」になっちゃうよ。

プシケ

ヒッチコックの「サイコ」って映画があったよね。
PSYCOって書くのかな。
心理学の事をPSYCOLOGYという。
サイコロジーだね。

「何でPが無くなっちゃうんだよ、プシコロジーだろ?」

って思うよね。
英語って我が儘な言語だよな。

元々はギリシャ語の「魂」とか「精神」という意味の「プシケ」から来てるんだわ。
そしてその由来はギリシャ神話のプシケという王女の名前なんだよね。
ギリシャ神話とローマ神話では同じ神様の名前が違っていて、さらに英語読みが加わるからややこしいことこの上ない。
たとえば美の神ビーナスは英語読みで、ギリシャではアフロディテ、ローマではウェヌスという。
PSYCHEも英語ではサイキと発音するのかな。

何はともあれプシケは、とある王の三人娘の一人で、姉妹それぞれ美しい娘だったんだけど、とりわけ末娘のプシケの美しさは美の神アフロディテも嫉妬するぐらいだったわけなのさ。

「人間の小娘のくせに生意気な!」

と、アフロディテは息子のアモール(クピド又はエロス又はキューピッド)を使ってプシケを不幸にしてやろうとするのだけれど、誤って恋の矢で自らを傷付けてしまいプシケに恋をしてしまう。
プシケには不幸が襲ってくる。
父親である王は神託のままに、彼女を怪物に嫁がせるために山に置き去りにする。

以下面倒くさいから引用

西風が泣き寝入りの彼女を深い谷間の美しい宮殿へと運ぶ。
声だけの召使いにかしずかれ、夜になると姿の見えない男がきてやさしく彼女をいたわり、夫婦の契りを結ぶ。
夫は夜しかこないので姿を見ることができないが、彼女は幸福な日々を送る。
やがて彼女の願いどおり、2人の姉が宮殿へ招かれてやってくるが、妹の幸福をねたんだ姉たちは、灯火で夫の姿を見てみるようプシケを唆(そそのか)す。
疑念の抑えがたいプシケが灯火をかざしてみると、寝台には美しい青年エロスが眠っていた。
灯火の熱い滴りが肩に落ちてエロスは目覚め、たちまち消え去ってしまう。
こうして夫を尋ねて彼女の苦難の遍歴が始まるが、最後に夫エロスの母ウェヌスのもとへくると、ウェヌスからさまざまの難題を強いられていじめられる。
しかしその都度蟻(あり)や葦(あし)や鷲(わし)に助けられた。
そして冥界(めいかい)の女王ペルセフォネから美を入れた小箱をもらってくるよう命じられるが、その帰路、好奇心からその小箱を開いてしまう。
そこには深い眠りが入っていたので、プシケはたちまち昏睡(こんすい)に陥った。
そこへエロスがやってきて彼女を捜し出し、天界へ連れていってゼウスの許しを得、さらにウェヌスとの和解もなって2人は神々に祝福され、婚礼の宴を開く。

ま、そんな物語なのだけれど、アモールというのは肉欲に近い愛であり、そこにプシケという精神が加わって一緒になることにより恋愛というグレーゾーンが出来ると思うんだわ。
生殖本能だけとも言えない、神の愛と言うには肉欲が強い、そんなグレーゾーンが恋愛と言う事象だと思うわけです。

衝動に駆られること

大通公園で信号待ちをしていて脇を見ると、芝生の所を鳩が二匹首を前後に動かしながら歩いている。
以前から疑問に思っていたのだが、鳩はああして首をピストンのように前後に動かさなければ歩けないのだろうか。
一度とっつかまえて、首にむち打ち症の時に使うような首かせを付けてみたい衝動に駆られる。
もしかして足がもつれて、前につんのめってしまうのではないだろうか。

数年前の冬、姉から電話がかかってきて、末の妹が連絡が取れないという。
見に行って欲しいと言われてインターフォンを押しても出ない。
警察まで呼ぶ騒ぎになって、何とかドアを開けたら体重26キロにやせ細っていて死ぬ寸前だった。
そのひと月後同じ姉から電話があって、今度は一番上の姉が音信不通だという。

「あいつは死なねえよ。」

と、純子と話しながら行ってみると確かに返事がない。
鍵は預かっていたから開けてみた。
誰もいない。
部屋はきちんとしていて犯罪に巻き込まれた様子でもない。

純子が

「お風呂を見ておいで。」

と言うので風呂の中で死んでたら嫌だなあと思いながら風呂場に向かおうとしたら純子が

「今、テーブルの下で何か動いた。」

と言う。
何だろうと思ってのぞき込んだら、鳩が一羽首を動かしながら歩いている。
窓も開いていないのにどこから入ったんだろう、と首を傾げているところに姉が帰ってきた。
ただ電話線が外れていただけだったのだ。
そしてその鳩は姉が拾ってきて飼っているのだという。
今時鳩なんて飼ってるのは新沼謙治くらいだと思っていたが、意外な身近にいたもんだ。
純子は

「きっと腹が減ったら食うつもりだよ。」

と言っていたが、俺もそう思う。

圧力

液体燃料ロケットの燃料や酸化剤は金属を腐食させるので長時間ロケットに詰めておくことが出来ない。
そのために発射延期となると一旦燃料を抜き取る。

すると原子力潜水艦に搭載されているミサイルの燃料は何かと調べてみるとやはり固体燃料だった。
アメリカの固体燃料ロケットを作っているのはサイオコールという会社で、スペースシャトルのブースターロケットもこの会社の製品だ。

ソ連は固体ロケットの技術が遅れていたため原潜のミサイルに液体燃料ロケットを使っていた。
腐食しにくくする添加剤を混ぜて使っていたのだが、それでも燃料洩れを起こし、有毒ガスで死亡事故やら火災を起こしている。
アメリカのミサイルも当初は液体燃料ロケットを使っていたのだが、タイタンⅡのサイロの中で落とした工具が燃料タンクを突き破り燃料が洩れ爆発し、核弾頭が空中に舞い上がる事故を起こしたりして固体燃料に変わっていった。

日本のロケット開発はペンシルロケットの頃から固体ロケットを使用しており積載量も大きくなり、軍事用に転用可能だということでアメリカ政府の圧力で、アメリカの古い液体ロケットエンジンの技術供与と引き換えに中止させられてしまった。

今航空自衛隊の次期戦闘機を何にするかと検討しているわけだが、日本はF22を求めるだろう。
F22はステルス性能が高くレーダーに引っかかりづらい。
相手の射程外でミサイルを撃つことが出来る。
F22一機でF15戦闘機5機を同時に相手に出来る。
見えない所からミサイルを撃ち込んでくるのだから防ぎようがない。
ハリアーほどではないが、20度まで角度を変えられる推力偏向ノズルを持っているからドッグファイトにも強いし(実際そんなことになる前に相手を打ち落としていると思うが)、離発着距離も短い。

こういう高性能な機体を同盟国とはいえ軍事機密保護があやふやな日本に売るのは危ないと思っていると思う。
だからアメリカはF35を売りつけようとしている。

F22は高性能ではあっても価格がものすごく高く(F15の5倍)製造中止も囁かれている。
製造メーカーは日本に売ることによってF22の製造を続けたいと思っているだろうけれど、クリントンが反対していたから無理だと思う。

それなら固体ロケットエンジンの様に独自開発してしまえば良いのだが、又アメリカ政府の圧力がかかるのだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=mdRVbr1OfKc&feature=player_embedded

武士道の時代

今日は日露戦争の最後の決戦である日本海海戦の日だ。
明治38年5月27日未明、朝鮮海峡を航行中のロシアバルチック艦隊を信濃丸が発見、無電を打つ。
バルチック艦隊が対馬沖を通るか、あるいは太平洋を通り津軽海峡、又は宗谷海峡を通ってウラジオストックに向かうのかという判断は賭けであった。
此の賭けに負ければ日本は滅びる。
現代の様に哨戒機や監視衛星のある時代ではない。
一旦洋上に出てしまえば、敵艦隊が何処に居るのか杳として分からなくなってしまう。
しかし東郷平八郎は必ず対馬海峡を通ることを確信し、連合艦隊を朝鮮半島の鎮海湾に待機させ、連日の猛訓練を行っていた。

東郷長官の第一艦隊と上村中将の第二艦隊は午前5時5分直ちに鎮海湾を出撃し大本営に

「敵艦ミユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動シ之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

という作戦参謀 秋山真之が作成した電信を送る。

午後1時39分、連合艦隊は壱岐沖を航行するバルチック艦隊を発見、Z旗を揚げる。

「皇国ノ荒廃此ノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」

という意味を表している。

午後2時5分、バルチック艦隊に8000メートルに迫った時、艦橋に立った東郷の右手が左に半円を描く。
有名な敵前大回頭の合図だ。
160度のターンをして敵艦隊と丁の字を形作る。
すると味方の砲撃は敵の先頭の艦に集中することが出来る。

しかし敵の前でターンするということはその間攻撃が出来ないし、敵からすれば静止して居るような物だから標的状態となり、危険きわまり無い一世一代の大博打と言える。
ロシア側も砲撃を始め、東郷の乗る旗艦三笠は敵の集中砲火を浴びるが、回頭を終えて反撃を始める。後に続く艦も次々と回頭を終え砲撃を始める。

勝敗は30分でほぼ決まってしまった。
連合艦隊の使用していた砲弾には爆発力の強い下瀬火薬が使われており、信頼性の高い伊集院信管が埋め込まれていた。

伊集院信管の構造というのが面白い。
撃針にネジが刻んであり偏芯したところに穴が開いてネジが切ってあるナットで固定されているのだが、発射されると砲弾は回転を始める。
すると偏芯したナットが逆方向に回り始め撃針のネジから外れる。
着弾したときのショックで撃針が雷管を突き破り伝爆薬を爆発させる。
それで下瀬火薬に点火するわけだ。
日清戦争当時に下瀬火薬は発明されては居たのだが、信頼できる信管が無かったため危なくて使えなかったのだ。
この下瀬火薬と伊集院信管の組み合わせの砲弾は強烈で、海面に落ちただけでも炸裂し、周囲に弾丸の破片をまき散らし猛烈な火災を引き起こす。

ロシアの艦隊はたちまち猛火に包まれ旗艦「スワロフ」のロジェストウェンスキー中将も負傷して指揮系統が破綻し、各戦艦がちりぢりになってウラジオストックを目指す事になる。

連合艦隊の旗艦「三笠」も無傷では居られなかったが、東郷平八郎は砲弾の破片の飛び散る艦橋に身じろぎもせず立ち続けたという。

戦況の大勢は初めの30分で決まり、ロシア艦は敗走するのみであったが、翌28日まで戦闘は続く。
結果日本側の損害は水雷艇三隻のみ、対してロシア側は38隻の内、撃沈、捕獲から免れた物、巡洋艦5隻、駆逐艦3隻、特務艦3隻だけだった。
人的被害は日本側戦死者116名、負傷者538名、一方ロシア側は死者約5000名、捕虜6100名、圧倒的な勝利であった。

戦争を始める前、極東の小さな新興国が大国ロシアの海軍相手にこのような圧倒的な勝利を収めるとは世界中の誰も考えていなかったろう。
当時の白人が支配する世界に風穴をあけた出来事だった。
世界のあちこちでトーゴーと名付けられた赤ん坊が生まれた。
デユーク東郷なんてのもその中の一人かもね。
ゴルゴ13なんだけどさ。
宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長なんかも東郷長官がモデルかもね。

しかし今日になって改めてバルチック艦隊の敗北原因を考えてみると、負けるべくして負けたのだと思う。
バルト海から喜望峰を回り地球を半周してくれば士気も低下するし、船体もボロボロになってしまう。
しかも日本の同盟国であったイギリスから色々な妨害を受ける。
港には寄れない、石炭を売って貰えない、長い航海で船体に貝が付着し船足は遅くなる。
毎日のように発狂者が出る。
かたや日本は旅順艦隊を全滅させ、船の修理も終え、射撃訓練も積んで満を持して待ちかまえている。
浪の荒い外洋では使えない水雷艇も使用できる。
機雷も敷設出来る。
優秀な電信機もある。
勝てる条件は揃っていた。

でも、そういう状況にまで持っていったのは明治の日本人の知恵なんだわ。
負けないためのあらゆる努力をしていた。
ロシア国内に内乱を起こさせようと企て、明石大二郎大佐をイギリスに送り込み暗躍させたり、アメリカ世論を味方に付けるために、ルーズベルト大統領とハーバード大学からの友人である金子賢太郎を送ったり、軍費調達の為に高橋是清にイギリスで日本の公債を買って貰う活動をさせたり。
この頃の日本というのは戊辰戦争を体験した人達だから、負けないために何をするべきか良く分かっている。
簡単に大和魂だとか一億玉砕だとか言い出さない。
頭でっかちの実経験の無い人達じゃないんだわ。
そういう準備を重ねて戦争を続けてきたが、最後には運と、何が何でも国を守ろうという気概が勝敗の決め手だったのだと思う。

開戦前、海軍大臣の山本権兵衛の所に帝国大学の7博士、というのがやってきて開戦を迫った。
権兵衛は戦を知っているから勝てない戦争は避けようとしていた。
適当にあしらって帰したあと、

「今日は馬鹿が7人来た。」

と言う。
戦場で戦争の実態を知っている山本権兵衛にしてみれば、大学で頭の中だけで理屈をこねている教授達が馬鹿にしか見えなかったのだろう。

しかし戦争の武器は移り変わって行き、航空機が重要な役割を果たすようになり、今最も怖ろしい兵器は核ミサイルを積んだ原子力潜水艦になった。
今も世界のどこかの海に、いくつもの都市に向けて同時に発射できる核ミサイルを積んだ原子力潜水艦が潜んでいる。
そして近くの半島の独裁者も核爆弾やミサイルを作って遊んでいる。
日露戦争は軍人達だけが殺し合う戦争であったが、近代戦は非戦闘員まで犠牲になる。
日露戦争は武士と騎士の戦いであった。
だから乃木とステッセルの水師営の会談後の、試合を終えた後のスポーツ選手の記念写真のような写真も残っている。
乃木は敗軍の将に、後生迄恥を残すような写真を撮らせることは武士道が許さないと言って帯剣を許した。

武士道が残っていた明治は遙か昔の事になってしまった。

熊ん蜂ハッチ

網戸を開けた隙にアブが入ってきた。
間接照明の入っている天井の箱の中に入ってしまった。
純子が椅子を持ってきて殺虫剤をその辺りに吹き付ける。
苦しいらしくブーンブーンと羽根を羽ばたいている音がする。
ちらっと見かけたけれど全長3センチ程で、やっぱり猛々しいトゲを持っていた。

昔、田舎に住んでいた友人の家の軒先に蜂の巣があって、友人は蜂を掃除機で吸い取っていた。
こうすれば攻撃されないという、彼なりの思いつきだったのでしょう。
俺もそのようにすれば良かったなと後から思う。
小さい蜂でも針は持ってるからね。

「ミツバチハッチ」なんてのはミツバチだから「母を訪ねて三千里」みたいな物語になるのだが、これが「熊ん蜂ハッチ」だったらどうだい?

「おいおい!わざわざ三千里も尋ねてくるんじゃないよ。迷惑なんだよ。まとわりつくんじゃねえ!あっち行けって言ってるだろ!
よーし、殺虫剤でやっつけてやる!」

って心境にもなるじゃないの。

あっちに行け行けハァッチ~♪熊ん蜂ハッチ~♪飛ぶんじゃねえぞじっとしてろハッチ~♪熊ん蜂ハッチ~♪ここはおめえの来る所じゃないんだよ~♪熊ん蜂ハッチ~♪

と、アニメで言えば目のつり上がった悪役キャラクターになってしまうだろうな。
まあそういうわけで、熊ん蜂ハッチは息の根を止めてやりました。
もう羽ばたきのブーンと云う音も聞こえません。

目やに哀歌


昨日衝撃の事実が判明した。
我が家のベランダに座ってこちらを眺めて居て、目が会うと身体に似合わぬ可愛らしい小さな声で

「にゃー」

と鳴く目やにネコ。
純子がさっとカーテンを引くとさっさと居なくなり、ちゃっかり隣の家のベランダで同じ事をしている。
我が家では「目やに」とか「カオナシ」とか呼んでいるブスの雄ネコ、そいつが近所のお婆さんのネコの前1.5メートルの所に座り込んでいる。

こいつは以前近所の爺さんに名前を呼ばれていたから、てっきり飼い猫だと思っていたのだが、お婆さんの話によると何と野良猫だということが分かった。
しかも以前は飼い猫だったらしい。
どういう事情で捨てられたのかは分からない。

「お父さん、今日引越だというのに目やにの奴帰ってこないよ。もう引越の業者さんも来てるっていうのにさ。どうしようかね。」

「目やにか?あのうすらトンカチは何処ほっつき歩いてるんだ。目やには垂れてるし顔は不細工だし、もういい。放っておこう。我が家は器量よしのタマだけで沢山だ。」

というような事になったのだろうか。
それでふらふら遊び歩いて居た目やにが暢気に我が家に帰ってみると家はもぬけの空、飼い主も居ない。
しかし顔は不細工だが、生まれつき愛嬌だけはネコ一倍の目やには近所の家のベランダに座り込み、可愛い声で鳴くと餌が貰える事を覚えた。
生来の楽天家なのか家が無くなっても意に介さず、暢気に路上で寝そべっている。
すると通りかかった人達がそれぞれ勝手な名前で声をかける。
頭を撫でるとごろごろ喉を鳴らし、すりすりする。
愛嬌一杯だから餌を与える。

近所のカラスとも友達らしく、寝そべっている側にカラスがやってきてもびくとも動かない。
遠くから見ているとネコの死骸をカラスが狙っているように見える。
そんな暢気者の目やには愛嬌だけを武器に、夏をごろごろと路上に転がりながら過ごし、飼い猫の頃よりも丸々と太ってしまった。
しかし夏が去り、秋が来て雪が降り始める頃になると、流石の目やにも生命の危機を感じ始めた。
路上に転がっていたらカチンカチンに凍ってしまう。

ある吹雪の日、寒さとひもじさに耐えかねて、一番良く餌をくれていた家のベランダに座り込み鳴いて訴えた。
すると可哀想に思った家人が、車庫のシャッターを少しだけ開けてくれた。
車庫の中にはそれなりに身体を温めてくれる毛布や、餌も置かれてあった。
目やにはそうやって冬を乗り越えた。

そして春になり雌ネコを追いかけ回し、夏になり道路の真ん中で寝そべり、あちらこちらの家のベランダで入れて欲しいと訴える。
そんな生活を多分7年以上は続けてきたらしい。
そう思うと純子は

「目やにがそんな過去を持っていたとは、邪険に扱って悪かったねえ。」

と泣く、、、振りをする。

本当の話だよ

ログにお茶飲みがてら、打ち合わせに行く。
帰り純平おじさんの家って何処なんだろうね、と、純平おじさん家探索ツアーに出かける。
色んな話を聞くとこの辺りでないかい、と車を走らせて行くと坂道の途中に表札が。

「ふむふむ、なーるほど、こんな処に生息していたんだ。裏が空き地で景色が開けていて良いんじゃない。」

と二人で値踏みをする。
no8君の所も近いらしいんだけど、本名ありふれてるからわからんだろうと諦める。

良くさ、とんでもない山の中腹に家が建ってるの見かけるけど、どうやって会社に通ってるんだろうね。

ベランダを開けて

「今日は山肌を登ってくる風の案配が良いよ。いつもより早く着くかも知れないね。
じゃあ行ってきまーす。」

とスーツに鞄を抱えてパラグライダーでベランダから飛び出す。
上昇気流に乗ってぐんぐんと上空に飛び去って行く姿を見上げながら

「あなた、行ってらっしゃい。お弁当は傾けないようにしてね。」

と手を振りながら妻が亭主を送り出す。
そんな光景が毎朝繰り返されているのだろうか。

すると海のすぐ傍に住んでいる人は

「おっかあ、行ってくるぜ。朝飯は途中で捕って食うからよ。
波の谷間~に命の花が~♪」

と旦那が漁船に乗って出勤して行くのだろうか。

だけど本当にこんな人いたんだよ。
朝、漁を終えてから会社に出勤してくる人ってのがさ。

鮫あれこれ

夜中に目が覚めて、やることもないからテレビを見ていると、あちらでもこちらでもTVショッピングをやっている。
すると

成る程、これは良い!

と頭に血が上り、朝になったらすぐに注文しようと思うのだが、夜がしらじらと明けると共に血が下がるドラキュラ状態になる。

さっき見ていたら深海鮫の肝油から作ったサプリメントの宣伝をしていた。

子供の頃の給食には肝油ドロップが一粒だったか二粒だったか付いていた。
確か学校を通して買ったりしていた。
今から思えば身体に良い物を食べていたわけだ。
時々は家で鮫肉も食べていたな。
新しい物は尿臭くなくて、みりんで味付けしてあってそれなりに旨い物だった。

鮫は300メートルから1000メートルほどの海の中を泳いでいる。
大型のアブラ鮫の肝臓からはドラム缶一つほどの肝油が取れるらしい。
そしてこの肝油中に含まれるスクアレンは、マイナス75度でも液体のままだという。
だから極地で使うカメラや、人工衛星の部品の潤滑油にも使用されている。
植村直己が北極点を犬ぞりで目指した時にカメラは、ニコンが特別に極点用に改造した物で、可動部分が凍らないように潤滑油を変えていたというが、おそらく鮫油から作った潤滑剤を使用していたのではないだろうか。

太平洋戦争中の日本軍も12000メートルの上空を飛行するB29を迎撃するために、温度が下がっても流動性を失わないオイルが必要で、鮫の捕獲を漁師に命じていた。
尤もとても必要量は賄えなかったらしいけどね

このスクアレンという物質は肌を滑らかにするという美容効果の他に、ガンの抑制効果、組織に酸素を補給して新陳代謝を促進し傷んだ組織の再生を速めたり、殺菌効果などがあるらしい。

鮫って4億年前の古生代デボン紀から、ずっと形を変えず生きているんだよね。
最初から完成された形だったんだろうな。
見るからに凶悪な姿だけどね。

C・W・ニコルさんだったかな、海の中で調査をしている時に鮫に襲われたんだけど、丁度手頃な距離にそいつの鼻面があったんで力任せにパンチを食らわせてやったんだと。
するとその鮫はそんな反撃は食らったことがないから、驚いて一目散に逃げていったらしい。
それで村に戻って現地の人に話したんだとさ。
鮫にはパンチが良いと。
それで次の年に行ってみたら、腕のない住民が沢山いたんだって。

因果応報

体重というのは普通に生活していても上下はあると思うのだけれど、ちょっと気を緩めると運動量が足りない親父ともなるとすぐに増えてしまう。

風呂でしゃがんだ時に

「ん?」

と思う。
何か腹がつかえる。
立ち上がって我が腹を覗くと膨らんでいる。

ポーニョポーニョポニョ魚の子♪

と思わず手振り付きで歌い出す。
緊急事態を察知して裸のまま風呂場を出て体重計に乗る。

!!!!!嘘だろ?!

と一旦降り目盛りが狂ってないか確かめる。
そしてもう一度乗ってみる。
愕然とする。

体重70キロになっちゃったよ!

と純子に言うと

だってあんた食べてたもん。

と、素っ気なく言われる。

そうだ、昨日もツリチャでチャームを食った後日本酒を飲んで、さらに寿司屋に行って寿司を食ったんだ!

と思い出す。

すべては私の不徳の致すところです。
かくなる上は拙者腹かっさばいて、かっさばいたついでに脂肪も掃除機で吸い取って、せっかく脂肪が無くなっちまったんだから丁寧に縫いつけましょう。

などと思う。

腹の前に脂肪が付くくらいならまだ何とかなる。
これが脇腹にまでやってくると痩せるのは意志の力と困難を伴う。
これくらいで気づいて良かったわい。
やっぱり体重と血圧は毎日計ります。
そしてタバコもやめます。

人柱に最適任の男

スチームモップなるものを通販で買った。
テレビショッピングで外人が宣伝している奴だ。
今までのモップはこんなに手が汚れたりして不便なのに、スチームモップは蒸気の力で頑固な汚れもほ~らこの通り、とやっている。
それを見てついムラムラといつもの悪い癖が出て注文をする。
全く今までさんざん失敗してきたのに、俺も懲りない男だと我ながら思う。
新しい物をおだてて買わせ、人柱として試させるのに最適な男だ。
そんでそれが昨日配達された訳なのだ。

まず梱包を見るとMAID IN CHINAの文字。
これで俺の高揚していた期待感が30ポイントダウンした。
中国製品のいい加減さは仕事でも良く知っている。
しかし安く物を作ろうとすれば中国製となってしまうのだろう。
いずれはベトナムやインドに移って行くだろうけれど。
あんないい加減な国が核爆弾作ったり、月ロケット打ち上げてるのが信じられない。
どうせスパイを送り込んで設計図ごと盗んできてるのだろう。

でも設計は中国じゃないだろうと気を取り直し箱を開ける。
それで一応組み上げて、水タンクのMAXの目盛りまで蛇口から水を注ぎ込む。
タンクを本体に取り付ける。
モップを先端の器具に取り付けるのだが、パンツで言えば半ケツのブリーフみたいな代物で、布地を極度に減らしてあるものだからかろうじて引っかかる程度だ。

コンセントにプラグを差し込み、しばらくするとLEDが緑に変わる。
準備完了と言うことなのだ。
取っ手の所にあるスイッチを引くと先端から蒸気が湧いてくる。
蒸気が安定したところで使うようにと説明書には書いてある。
それで蒸気がシューシュー噴き出してから使ってみた。

床を滑らせてみると重い、重たすぎる。
本体自体に水タンクが付いているせいだろうか。
モップの摩擦が大きいのかスムーズに動かない。
少し先端を持ち上げながら動かす。
すこぶる腰に悪い。
ヘルニアが再発しそうだ。
掃除をすることがエキササイズだ。
ビリーズ・ブート・キャンプじゃ無いんだからよ。
そういえばあれも余りに激しいエキササイズで、常日頃運動している人でもきつすぎるらしく、あっけなくブームも去ったらしいね。
自衛隊に居た頃は自衛隊体操というのがあって毎朝やらされていたんだけど、普通のラジオ体操の動きをものすごく大きくしたみたいなもので、運動していない人ならこれだけでへたばってしまうような体操だったわ。
それでスチームモップに話を戻すと、この時点でポイントは70程雪崩のごとく音を立てて急落、以後はマイナスポイントとなる。

スチームモップの謳い文句は

「高温の蒸気で汚れを浮かび上がらせ拭き取ってしまう。蒸気はすぐに蒸発してしまうので床を痛めない。」

と言うふれこみだったのだが、やってみると床はベショベショ。
仕方ないからカラフルモップを持ち出して吸い取る始末。
これなら初めからカラフルモップで拭けば良いじゃん、という有様。
この時点でマイナス30ポイント。

「絨毯の汚れもほーらこの通り」

なんて一撫でするだけで綺麗になってしまうようにテレビではやってたが、実際はな~んにも変わらず、シミは残ったまま。
そんなわけでさらに20ポイント減点され、総合評価はマイナス50ポイントとなってしまった。

そうやって人柱としてスチームモップを試して居る所に、純子が「えくぼ」から酔っぱらって帰ってきた。

「何これ、べちゃべちゃじゃない。高温の蒸気だからすぐ乾いて床を痛めないって言ってたじゃない。」

「おまけにものすごく抵抗があって、テレビみたいに軽々と動かないんだよ。」

そういえばテレビでは大理石の床みたいなすべすべの所を掃除していた。
そのうちに蒸気の勢いが無くなって、湯飲みの湯気程度しか出なくなってしまった。
水タンクにはまだ水がある。
おかしい。
訴訟社会のアメリカ人なら

「コレハモウナオリマシェーン。ソンガイバイショウヲセイキュウシマース。」

となるところだ。
確かに碌に説明書も見なかったから、どこか使い方を間違えてしまったのだろうか。
たとえ自分の過失で壊したとしてもベドウィンの民なら

「この機械は今日壊れる運命にあった。すべてはアラーの神の思し召しである。」

と偉そうに言い、これまた賠償を求めるだろうが、日本人である俺は泣き寝入りという日本人特有の美徳を所有しているから、JAROに訴えようともせず、騙された自分が悪いのだとあっさり諦めてしまう。

しかし俺も技術屋であるから、何が原因で蒸気が出なくなったのか確かめずには居られない。
それで分解してみるとノズルの周辺がべたべたしている。
どうも錆止めのコーティングがされていて、それが融けてノズルに詰まったらしい。
それで針を穴に通してつっついて再度試してみると、あらま、あっさり直っちゃったじゃないの。
一応技術屋の面目も立ったという物だ。

「オーノー!ジョン~!貴方が宣伝してたスチームモップ、全然使えないじゃないの。高温の蒸気だからあっという間に乾くって言ってたのに、床べちゃべちゃじゃない。」

純子の酔っぱらった時に始まるイッセー尾形もどきの大げさな身振り手振り混じりの一人芝居が始まる。
どうもテレビでモップの宣伝をしている男はジョンという名前らしい。

「ゴメーンゴメーン、ジョアンナあれは失敗作だったよ。でも、僕も家のローンを抱えているし、駄目な製品だと解っていても宣伝しなけりゃならかったんだよ。」

女のアシスタントみたいな方はジョアンナと言う名前になったらしい。

「だけどジョアンナ、僕も前の製品の欠点を徹底的に研究し直したんだよ。それで出来たのがこのスチームモップ2さ。
以前の製品では顔は笑顔を作っていたが、実は歯を食いしばりながらモップを押していたんだよ。
おかげで腰痛も酷くてさ。
でも、このスチームモップ2だとほら、床もピカピカツルツルでスピードスケートの選手の真似をしながらでも拭けるんだよ。」

そう言いながら純子はスケーターのように上半身をかがめ、片手を腰の後ろに当て足を滑らせてモップをかける振りをする。

「オー!ジョン。なんて素晴らしいの。スチームモップ1とは比べものにならないわね。おまけにこんなに軽くなって、、なんて持ち上げて見せたりするんだけど二の腕に力こぶが出来ていたりしてさ、それですっかり騙されてあんた又買うんだろうね。」

鉛の棺に封じ込められたもう一人の俺

この絵はダリが描いたパンの絵なのだが、ダリといえばシュールリアリズムの画家なのだが、一見何の変哲もないこの絵を見ていると奇妙な違和感を覚える。
ダリの敬愛するフェルメールの様に緻密、精細に描かれたこの静物画は人間の眼で見た映像ではない。
人間の眼は中央部の解像度は高く、色彩も鮮やかだが、周辺部に至るとぼんやりしていて色彩も判別できなくなる。
たとえ近くの物を見ていても、この絵のようにパンの手前も奥もくっきりと見えはしない。
パンの手前に目の焦点を合わせると、奥の部分は多少なりともぼけて見えるはずなのだ。
だからこの絵は現実にはあり得ない絵で、一種のだまし絵といえる。
左奥に広がる暗闇の空間が一層怪しさを醸し出す。

そもそも絵という物は一見どんなに写実的に描かれているように見えても、描いている人間の脳で変節されて出力されている物だ。
同じ瞬間に同じ物を見ていたとしても、俺が見た映像は他人が見た映像とは微妙に違うのではないだろうか。
少なくとも見た瞬間は同じ映像が脳に送られているとしても、時間が経つに連れ自分なりの都合の良い解釈をされた映像が記録されてゆくのではないかと思うのだ。
それは、その人の持って生まれた性質や、経験や学習、あるいは精神の発達が未熟で、どのようにもなれる可能性のあるフニャフニャな時期に染まった思想にゆがめられた映像なのでは無いのだろうか。

俺は無神論者である。
全託という言葉がある。
凄く便利な言葉だ。
今ある不幸はすべて創造主の思し召しで貴方の責任ではない。
だから貴方自身は苦しむ事はない。
すべて創造主に託しなさい、ということなのだと俺は解釈している。
鰯の頭だろうが、ほうれん草の切れっ端だろうが、困ったときには俺は何でも頼りにする。
そういう弱い存在が人間という物だと思う。
でも全託ということは苦しみも無くなる代わりに、自分という物も無くなる麻薬みたいなもんだと俺は思うんだな。
自分という物を無くして創造主にすべてゆだねることにより心の平安を得る。
心の平安の代わりに自分が自分で無くなる。
一種の麻薬さ。
思考放棄することで心の平安を得る。
それは俺は嫌なんだわ。
たとえのたうち回っても、苦しみを味わって死ぬべきなんじゃないかと思うんだわ。

そもそも自分なんていう概念は曖昧模糊とした霞のようにぼんやりした物でさ、自分の中には自分になれなかった自分が沢山いてさ、多重人格なんていうのはそういう無意識の中に押し込められて、意識の力で鉛の棺に封じ込められて深い海の底に沈められたもう一人の自分が、何らか肉体的欠陥で意識の上に浮上してくる病気だと思うんだな。
でも眠りこけたり、酒を飲みすぎたりするとすると意識のコントロールが利かなくなり、無意識下に押し込められた俺になれなかった俺が出てくるんだわ。

俺にも鉛の棺に押し込めて海の底に沈めた何人かの自分が居るのさ。
そいつらの叫び声が夢の中に聞こえる。
そういう時否応なしに眼を覚まされるのだが、タバコを一服吸い、又そいつらを封じ込めた棺を足で蹴飛ばして海の底深くに沈めてやるんだわ。

人の中の弾み車

人の身体の中には目に見えない弾み車がある。大きな弾み車はゆっくり回り、小さな弾み車は回転が速い。
それぞれ色んなサイズの弾み車を抱えている。
でも一生の間に弾み車が生み出すエネルギーは大同小異。

何が理由なのか逆方向に回っている弾み車もある。
負のエネルギーを生み出している弾み車だ。
すると弾み車で動かされている機械が空回りするばかりで、一部が壊れ連鎖して次から次へと連結する部分が壊れてゆく。

しかし、大きな衝撃を加えると突然正しい方向に回り始めることもある。
人生ではそれが結婚であったり、恩師との出会いであったりするわけだ。

我が人生を顧みれば、純子との結婚は真に大ハンマーの一撃だったと思う。
弾み車は慣性を持っているから、それからは少しの力を加え続けるだけでどんどん早く回ってゆく。

逆方向に回転する弾み車を抱えて空回りをしている人に、ちょっとしたハンマーの一撃を加えて良い方向に回り始める手助けが出来れば良いのだが。

一重まぶたは肩が凝る

テレビで一重まぶたの人は肩がこるというのをやっていた。
一重の人はまぶたの脂肪が厚く、目を開いたときに皮膚が二重の人のように筋の内側に引き込まれないために、まぶたを明ける筋肉に負担がかかる。
そしてその筋肉は頭の上から後頭部を通り、肩に繋がっている。
だから肩の筋肉がこるのだそうだ。

それでまぶたをテープで引き上げて、テープの端をおでこに貼り付けると

「あーら不思議!あんなに酷かった肩こりが嘘のように、、、。」

と芸人がやっていたが、これはあんまり信用ならない。

それで純子も肩こりに悩まされているから手近にあったテープをまぶたに貼り付けてやった。

「あっ!本当だ急に肩こりが無くなった、、、、んな訳は無いだろう!」

なんてやってたが、急にそんなに良くなるはずはない。
しばらくは続けないと、となだめ、改めてみてみるとどうもその白いテープを付けているとその部分だけ眉毛が無くて変だ。
それでマジックインキでその空白部分に眉毛を描いてやった。

「ほーら。誰もテープ張ってるなんて気がつかないよ。」

とおだてると鏡を見に行って

「ほんとだね。誰も気がつかないね。これで私の肩こりも解消。嬉しいわ、、、、何言ってんだい!誰でも気づくだろ!」

記念に写真を一枚撮ってmixiにあげてやろうと企んでいたら

「あんた!そんな写真ホームページにあげたら、パソコン壊して家出するからね!」

と釘を刺され残念ながら皆様にお見せすることが出来なくなってしまった。
親父はマネキン人形の販売修理をやっていて、良くマネキンの眉を筆で描いていたが、その血を受け継いでいるためか、我ながら上手く描けたと思ったのだが残念なことだ。

料理は愛

この歳になると食い物は量よりも味だ。
美味い物を少量食い、その記憶が刻まれれば良い。
今日はススキノでJUN君のライブがあったので、定番の「めんよう亭」へ行く。

美味い!本当に美味い!
焼き肉はラムが一番美味いと思う。
決して小綺麗な店とは言えないんだけどね、この店のラム肉ジンギスカンは美味いなあ。

肉厚な切り身になっていて、表面が焼けたくらいで中は半生が美味い。美味しい物を食うと、人に対しても優しい気持ちになれる。
心がすさんでいる人は美味しい物を食べてこなかったんじゃないかな。

小学校の同級生で一番仲の良かった友達、そいつは父親と二人暮らしで、中学生の時にそいつの家に遊びに行った。
殺風景な家で、整頓はされていたが家の中に女性が居ると何となく感じる暖かさが無かった。
奴は自分で冷や飯でチャーハンを作り、一人で食べていた。
我が家は両親の仲は悪かったが、こんな孤独な食事をしてはいなかった。
奴はその後やくざになってしまった。
今は消息も知れない。

美味しい物、それは何も高級なお高い料理と云うことではなくてさ、その人のその時の心を満たし、幸せに感じさせることの出来た料理と云うことでさ、若い頃は成長にエネルギーを消費するし、スポーツなんかで普通の量を食べていたなら痩せてゆくばかり、だから質よりも量、とにかく大量に食べれば幸せを感じるという時期がある。

味にしても、量にしても、食うと云うことは生存に欠かせないことで、その時に美味しいと思える物を食べると云うことは、人の心を豊かにして、他人のことまで思いやれる人格を作るんじゃないかな。

そもそも料理なんて自分だけが食うんだったら、てきとーに腹が満たされれば良いだけの話なんだが、これを、たとえば愛する人達に食べさせるとなると、その人達に喜んで貰いたいと思う。
だから丁寧に作る。
料理と云うのは他人に対する愛があったからこそ、こうやって色んな美味しい物が出来てきたんじゃないのかな。

街のレストランの店主も、ホテルのコックも、学校の給食室で働く人達も、家庭の主婦も、みんなそれぞれ食べる人達への愛があるんじゃないのかな。
食べる人達の喜ぶ顔が見たいと思うから、作るのにもう一手間がかけられるんじゃないかと思う。
その、もう一手間って云うのが愛情なんだな。

ペティナイフを作った

新品の出刃包丁の切れ味に感動し、変な角度で研いでしまって鉈のような使い方しかできなくなった古い出刃を修正してやろうと思った。
それでグラインダーまで買い込んで角度を修正しては研ぎ、気に入らないとなって又グラインダーにかけ、幾度も幾度もやり直し、まずまずこんなもんでないべか、と最後に砥石で研いで純子に渡した。

「見たことのない包丁だね。ペティ・ナイフかい?」

ペティ・ナイフが何物か知らないが、確かに元の大きさの半分くらいにはなってしまった。
職人が包丁を毎日研ぐ内に小刀になってしまうのはそれだけ道具を大切にし、仕事に打ち込んできた証と言えるだろうが、俺の場合わずか二日で半分のサイズになってしまい、資源の無駄遣いとしか言えない。

我が家はストーカーに覗かれている

昨日、厨房機器を業者が搬入し終えて道路で一服していると、道路の向かいでじっと座って様子を見ていた目やにが、のっそのっそと斜め横断をしてやってきた。
その様子は

「何してんだい?なんか買ったのかい?」

と近所のおっさんが物見高く覗きに来たような雰囲気で、立ち話をしていた業者も笑っていた。
全く目やには面白い。

目やにの奴、かなりな年寄りを装ってはいるが、実はそれほどの歳では無いのではないかと疑っている。
普段は道ばたで転がって居たりして居て、カラスが周りをうろちょろ歩き回ったりするものだから「死体か?」等と勘違いするくらいなのだ。
動作も遅い。
しかしチョコを追いかけ回す時や、叱られて逃げる時など鞠のように転げ回っている。

どうも最近我が家に興味を持っているらしく、我が家の動向を観察されているような気がする。
目やにも俺にすればなかなか愛嬌があって可愛いのだが、チョコと喧嘩をするので家に入れてやるわけにはいかない。
目やにに追い回されてチョコが家に駆け込んでくると、急いで窓を閉めるのだが、すると目やには窓の外で

「俺も入れてくれよ。」

と言うように鳴く。

時々夜、窓の外に目やにが座り込んで居て、台所仕事をしていた純子が振り返り様、目と目が合うことがある。
すると純子は

「気がつかなかったことにしよう。」

と言ってカーテンを閉めてしまう。
ちょっと目やにが不憫に思える。

瓦職人

ある日本人のジャズプレーヤーが「日本人には黒人の魂が分からないから、本物のジャズは演奏できない。」と言う。

それを聞いて非常におかしな言葉だなあと思った。
黒人の魂を持たなければジャズを演奏しちゃいけないのだろうか。
日本人の魂で演奏してはいけないのだろうか。
それをジャズと呼べないのなら別の名前を付ければ良いだけの話で、実際音楽なんてそうやって色々なジャンルが出来上がってきたのだと思うのだ。
その人がどういう意味でそういうことを言ったのか真意は分からない。
自虐の意味で言ったのかも知れない。

でも、言語と同じで変化してゆくのは使われているからこそで、変化しない音楽というのもラテン語みたいな死んだ音楽なのだと思うのだが。
黒人ジャズプレーヤーが演奏するのと一寸違わず演奏しなければならないという思いこみがあるのだとしたら、それは瓦職人が粘土を型にはめて延々と作り続けるのと同じ作業で、創造的な仕事ではない。
従ってこの人はテクニックを磨いて均一な瓦を作る職人ではあっても、想像力を駆使して物を作り上げる人ではない。
きっとそれは楽しみの少ない仕事だと思う。
きっとこの人の音楽を聴いても楽しいとは思わないんじゃないかな。

昨日の祭りはとても人が少なかった。
プレーヤーがトプクリとえっちゃんだけだった。
えっちゃんのギターを聴くのは久しぶりだった。
でもとても上手くなっていたので驚いた。
でも感心したのはテクニックの面ではなく、伝えたいという気持ちだった。
テクニックだけ上手くても気持ちを伝えようという意思がなければ、人の気持ちを動かすことは出来ないんじゃ無かろうか。

頭でっかち

日本という国は資源がない。
そんな国が世界第二位の経済大国になれたのは知恵があったからだ。
明治維新から日露戦争までの日本というのは本当に知恵のある国家だったと思う。

明治時代の国家主導者というのは戊辰戦争を体験した人達だ。
戦争に勝つために、あるいは負けないためにどうすれば良いのか良く解っていたと思う。
だから日露戦争なんてのはありとあらゆる手段を使って負けないための戦争をしたわけだ。

武力というのは外交の一手段で、本来行使しないことが一番良いのだ。
しかし自己防衛のためには戦わなければならないことがある。
日露戦争というのはそういう戦争だった。
太平洋戦争なんていうのは戦を知らない素人が頭だけで始めた戦争だと思う。

頭だけで生きている人間というのは非常に奇妙な世界の住人だ。
学校に長く居る人間にこういう世界の住人が多い。
どう考えたっておかしいだろうと云う事を、色々な言葉で飾り立てて虚構の建築物を組み立てる。
そんな虚構の言葉に騙される人間にも問題はあるんだけどさ。

日露戦争というのは実際の世界の仕組みを体験した人達の戦争で、太平洋戦争は頭でっかちの人間が起こした戦争だと思う。
思想に関係なく頭でっかちの人間はいかん。
ところがそんな頭でっかちの輩が偉そうに自分の意見を申し立て押しつけて居るんだよな。

バイエルンの青い空

BMWと言えば車やバイクのメーカーだ。
サイドカーなんかでは水平対向エンジンの重心の低さが功を奏して、良くレースで勝っていた。
でも元々は飛行機のエンジンを作っていた会社だ。
BMWのエンブレムは○の中に十字が切られていて青と白が交互に置かれている。
これはドイツのバイエルンの青い空と白い雲を現していて、十字の部分は十字のプロペラを表現している。
ミュンヘンのある州だね。
青い空に白い雲、良いねえ。

若い頃はバイクが好きだった。
車とぶつかって空を飛んでから乗るのはやめた。
でも、郊外の森の中の曲がりくねった路を走りたいと時々思う。

昔HONDAのCMで

「君に分かる~筈がな~い~♪行ったことがなけりゃ♪
あの青い空に~♪あの緑~の森に~♪行ったことがなけりゃ♪白い羽根~♪白い羽根~♪風が雲が教えてくれた~♪後略」

というCMソングがTVで流れていて、

「そうだよな。乗ったことがなきゃ、あの気持ちは分からないよな。」

と思っていた。

本田宗一郎は基本的には自由に空を飛びたいと思っていたのだと思う。
地上にあって、もっとも空を自由に飛び回る感覚を味わえるのがオートバイだ。
HONDAは四輪に進出し、1965年メキシコF1で初めての優勝をしたが、その時の監督は戦時中航空機のエンジンを創っていた、中村良夫だった。

メキシコは高所ということで、シリンダーに吹き込む酸素とガソリンの混合比に微妙なさじ加減が必要だった。
中村にしてみればこんな事は、もっと高い高度で能力限界ぎりぎりで回転している航空機エンジンを扱っていたのだから簡単な事だったろう。
それもあってメキシコF1グランプリで初めて勝つことが出来た。

宗一郎自身は職人魂と負けず嫌いでバイクや車の開発をやっていたが、本当は飛行機をやりたかったのでは無いだろうか。
確か中村良夫が本田技研に面接に行ったとき宗一郎に

「HONDAは将来飛行機をやるつもりはあるのか?」

と尋ねたら宗一郎は「やる。」と答えたらしい。
宗一郎はその後飛行機操縦の免許を取り、自家用セスナを買い、不時着事故を起こしている。

宗一郎の意思を継いでかHONDAは小型自家用ジェット機を開発し、当然エンジンも自家製で注文が殺到しているという。
ジェットエンジンというのはノウハウの固まりだ。
日本でジェットエンジンを造っているのはIHIと三菱とHONDAだけじゃないのかな。
模型のジェットエンジンは別にして。
元々日本のジェットエンジンの研究の基礎は、戦時中のガスタービンエンジンだった。
この頃のタービンブレードは熔接で固定されていた。
戦時中日本もジェットエンジンを開発研究していたが、そのタービンブレードの根本に亀裂が入って折れてしまう。

しかしアメリカのタービンブレードははめ込み式だった。
そのわずかな遊びが熱応力を逃がし、タービンブレードの折損を防ぎ、致命的なエンジンの損壊を防いでいる。
こういう細かいノウハウが積み重ねられて創られたのがジェットエンジンだ。
最初はターボエンジンだったが今はジェット噴流で後部のタービンを回し、回転軸で繋がった前方のファンを回すターボファンエンジンだ。
ジェット噴流の推力よりファンの押し出す空気の推力の方が大きいんじゃないかな。
ジェット噴流の周りを、ファンで作った空気の流れで囲むことにより騒音が少なくなるという利点もある。

航空機の開発には莫大な金がかかる。
国の協力が無ければ出来ないものだ。
航空機は軍事には欠かせない物だから、その開発費を国の予算で捻出できてきた。
今の民間機なんてほとんど軍用機として開発され、駄目つぶしをされてから民間機になったものだ。ジャンボだって米空軍の軍用機として開発されたのだが、ロッキードのC5Aギャラクシーと価格争いで負けて仕方なく民間機になったのだ。

ベースの機体を駄目つぶしをして、改良に改良を繰り返すことによって安全性を向上させている。
だからベースになった機体が40年くらい前の設計だ、というのがざらにあるんだよね。

ドラクエなんかで船に乗り込んであちこち調べたりすると樽が置いてあるじゃない。
それで樽を調べると、お金が出てきたり、薬草なんかが出てくるじゃない。
樽って物を運搬するのにとっても便利な物で、液体、固体にかかわらず格納して運搬できるんだわ。
木製の樽っつうもんが使われるようになったのはローマ時代からで、それまでは液体を運ぶには陶器が使われてたんだわ。
しかし陶器は割れやすいから、運搬には不便だよね。
だから乱暴に扱っても中身がこぼれない樽って、運搬に適していて、ワインやオリーブオイルといった液体以外にもコインなんかを詰め込んで運ぶコンテナとして利用されたんだよね。
古代ローマ時代の沈没船から引き上げられた樽の、固まったオリーブオイルの中からコインが出たりしている。

基本的に樽と言う物は天板と底板が有り、それを短冊状の板で囲み、たがで押さえつけて居る。
この基本構造は世界中変わらない。
でも洋樽は中央部にふくらみが有り、たがは鉄で出来ている。
この利点は何かというと、地面に接触しているのが点であるから摩擦抵抗が少なく、方向転換しやすい。
重たい樽であっても人が転がして運ぶことが出来る。

一方日本の樽はふくらみがない。
円錐の中間部を切り取ったような形をしていて、たがも竹製だ。
これは横にして転がすことは出来ても、方向転換は難しそうだ。
日本に樽が出現したのは鎌倉時代らしい。
樽もでっけー物があって、廃棄された醤油樽を改造して居室にしたりしているのを見た。
ほんのり醤油の香りがするらしい。

ウィスキーの樽はウィスキーを詰める前にシェリー酒の樽として使うらしい。
そうすることによって香りがウィスキーに移って良い味になるらしいのだが、とにかくアルコールであれば何でも良い俺にとって、余り意味を持たない。
日本酒なんかも杉の樽の木の香が、、、とか言うけれども、とりあえずアルコールでさえあれば素性なんかどうでも良い。

現代の樽と言えばドラム缶だろう。
こいつは石油を運搬するために使われた。
うろ覚えの記憶によれば石油王ロックフェラーは、このドラム缶の天板と底板を側板と接続するためのハンダをけちることで、さらに収益を上げたらしい。

しかしそんなに金持ってもあの世じゃ使えないよと思うんだよな。
それは死んだ金であってさ世の中のためになるもんじゃない。
ビル・ゲイツがさ、世界の貧困を救うために活動し始めたと、今日ニュースで見たんだけど、彼もビジネスとして随分えげつないことやってきたんだけど、そういう心境になってきたのかな

匂いを嗅ぐと沸き上がる感情

ある匂いを嗅ぐと、突然ある昔の一瞬の光景やその時の感情が呼び起こされることがある。
きっと、その瞬間に嗅いだことのある匂いなのかも知れない。五感というが、視覚や聴覚、触覚や味覚ではあんまりこのように突然ある種の感情を呼び起こされることはないように思う。
何か原始的な反応のような気がする。

恐竜たちが跋扈していた時代、小さく弱々しいほ乳類の先祖は夜行性だった。
彼らはそのために嗅覚を発達させた。
彼らの脳は身体の体積比でいうとティラノサウルスの5倍の大きさの脳を持っていた。

何故ほ乳類はこんなに脳を発達させなければならなかったのだろう。
恐竜の脳なんていう物はシーケンスプログラムを組み込まれた機械制御装置のようなもので、あるスイッチが入るとプログラムに沿って行動を起こさせる。
彼らのように巨大で強力な身体を持った昼歩ける生物にはそれで十分だったのだ。

しかし弱々しいほ乳類は自分を守るために嗅覚を発達させ敵や獲物が近くにいるか判断したり、目で見た森の木の形を記憶しそこが安全な場所であるか判断しなければならなかった。
そうでなければ何時もびくびくして気の休まる暇もない。

実は大脳皮質というのは、原始のほ乳類の嗅覚脳を包む薄い灰白質の膜が、1億年という歳月をかけて厚く、さらに皺を作って表面積を大きくして出来上がった物なのだ。
だから五感の中で嗅覚信号だけが直接大脳皮質に送られており、他の感覚器官の信号は一旦視床に送られて処理をされる。

視床はメモリーみたいな物で何度もアクセスされて

「これは大事な情報だ。」

となるとハードディスクである側頭葉に送られ非揮発性の情報となる。
年寄りが昔のことは覚えていても最近のことを忘れてしまうのは、この視床の働きが歳と共に悪くなってくるからなんだね。

そんなわけで、嗅覚の発達がほ乳類を生き延びさせた力なのであり、嗅覚で得た情報を分析するために大脳皮質が大きくなって知恵が生まれてきたわけだ。

匂いを嗅ぐと脈絡もなく突然ある感情がわき起こってくるというのは、きっと大脳皮質に直接信号が入ってくるからなんだろうな。

南方熊楠

今日の朝刊に南方熊楠の脳の写真が載っていた。
残してあったんだね。
あの偉大な脳が。

南方熊楠と言えばその博覧強記振りで

「エンサイクロペディア・ブリタニカに手足が生えて歩き始めたようだ。」

と言われていた菌類学者だ。

7歳の頃に同級生の医者の息子の家に遊びに行き、他の子達は庭で遊び回っているのに、熊楠だけはその家の蔵書を読みふけっていた。
「和漢三才図会」等という、現代で言えば百科事典に当たる百八巻もある本を読み、家に帰って記憶を呼び戻しそれを紙に移してゆき、9才の頃には全部を読み終え、熊楠の手元には背の高さより高い「和漢三才図会」の写しが残った。

東京に出て大学予備門(今の東京大学教養学部)に入った。
同期には正岡子規、秋山真之、山田美妙等が居た。
しかし熊楠は興味のある物には異常なほどのめり込むが、そうでない物には全く興味を持てず落第してしまう。
それで植物学を一生の仕事と決心しアメリカの田舎大学に留学するが、人種差別の激しい当時のアメリカのこと故、寄宿舎を襲撃された。
乱暴者の熊楠は同級生の日本人三人とアメリカ人の同級生相手に乱闘騒ぎを起こしたりする。
こういうところはアメリカ人の良いところだと思うが、大勢を相手に勇敢に戦った熊楠達はアメリカ人の同級生から賞賛を浴び、襲った相手の中にも友達になるものも現れた。
その彼らと寄宿舎で酒を飲み乱痴気騒ぎを起こして学校をやめる。
それから親切な中国人の肉屋の居候になったり、サーカス団の象使いの助手になったりして世界を回りつつも菌類の採集を続けた。

熊楠は13カ国語で文章を書け、18カ国語を話せたという。
サーカス団が新しい国に行くと、熊楠はたちまちそこの言葉を覚えてしまったという。
それで団員のラブレターの代筆をしてやったりして、一番下っ端の仕事なのに威張っていたらしい。
しかし菌類の研究採集は続けていたから、やがて学問の世界で少しづつ注目を浴び始める。

イギリスに渡り大英博物館の館長が熊楠の学識の深さに驚き、好きなように利用するように言ってくれる。
それから熊楠は大英博物館に入り浸るのだが、「ネィチャー」の天文学の論文募集の公告を見て「東洋の星座」という論文を送り、それが一位になって南方熊楠の名前が世界中に知れ渡る。
本来天文学は熊楠の専門では無いのだが、とにかく百科事典が喋っているような男だから、どの分野でも語らせれば語ることが出来、しかも深いのだろう。

しかし、生活は悲惨な物だった。
金がないから馬小屋に住んでいた。
拾ってきた猫と食べ物を分け合って居た。
猫もこんな貧乏な男が飼い主では苦労したことだろう。

しかし学問的な名声は上がって行き、立派な身なりをした紳士がこの馬小屋を毎日のように尋ねてくる。
熊楠は裸で迎え入れ、階下では馬が小便をしてその匂いが立ちこめる。
イギリス人からは馬小屋博士と呼ばれていた。
やがて大英博物館の館員に日本を侮辱される事があり、乱暴者で、日本国を代表していると思っている熊楠は、辛抱堪らず喧嘩騒ぎを起こして日本に帰ってくる。

故郷の和歌山でも熊楠は浴衣に帯代わりの荒縄で山野を歩き回り、菌類の採集を続けた。

やがて嫁を貰うことになった。

「嫁なんか学問の邪魔だ。」

と言っていたのにこっそり相手を覗いてみたら気に入ってしまって

「みんなが言うんだったら仕方がない。嫁を貰うことにする。」

ということになった。

それで結婚生活を始めたは良いが、あまりの熊楠の変人振りに嫁が実家に帰ってしまった。
すると熊楠は実家の塀の前で生来の大きな声で、睦み事の有様を実況中継するかのごとく話し始めるので(何せ熊楠の記憶力はすごいからね)嫁は堪らず戻らざるを得なかった。
その後家庭は円満だったみたいだよ。
ただ息子の熊弥はその後発狂してしまったんだけどね。
異常な才能を生む血筋って危ないんだと思うな。

熊楠って学閥を重視する日本ではずっと無視されていたんだけど、余りにも業績がすごいので無視を決め込むわけには行かない存在になってしまった。
それで生物学をやっていた昭和天皇に田辺湾の沖の神島で講義をすることになった。
神島を歩き回った後講義を始めたのだが、熊楠の持ってきた標本を入れてきた物はキャラメルの箱だった。
昭和天皇は熊楠との神島の事を回想して

「普通私が貰う物は立派な桐の箱に入っているんだけど、熊楠のくれた物には箱に何とかキャラメルとか書いてあったよ。私はその時、この男こそ本物の学者なんだと思ったよ。」

と言っていたそうです。
その後昭和天皇は本格的に粘菌の研究を始めたそうだ。

戦後、昭和天皇は和歌山白浜に泊まり、そこから見える神島を眺め

「雨に煙る神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思う」

という和歌を残している。

粘菌と言えば「風の谷のナウシカ」を思い出すのだけれど、宮崎駿も学習院出身なんだけど、学習院って菌類にこだわりあるのかね。

電気溶接機を買う。
俺に電溶とガス切断機を持たせれば、鉄の物なら自由自在に加工できる。
鉄は柔らかい。

鉄は太陽の核融合反応で最終的に出来る物質だ。
太陽のようなサイズの恒星だと超新星爆発で華々しい最後を飾るのでは無く、ぶすぶすとくすぶって冷えてゆき、核融合反応の爆発による膨張する力よりも、自重でつぶれてゆく力の方が大きくなって、だんだんつぶれて白色矮星という中心部が鉄の小さな冷めた星になってゆく。

従って鉄は地球上にあまねく存在している。
地球の芯コの外部コアも溶けた鉄で出来ている。
鉄は化学記号で書けばFeであるが、この純鉄というのは自然環境では存在しにくい。
鉄が何故錆びてしまうのかというと、より安定した状態になろうとして酸素と結びついてしまうからだ。
だから俺は屋根のトタンにペンキを塗らなきゃいけないわけだ。

原始の地球には酸素はほとんど無かった。
今、地球上の大気組成はおおまか酸素21%、窒素79%で出来ているが、この酸素を作ったのはシアノバクテリアという葉緑素を持った微生物だ。
こいつが海の中で光合成を行い、廃棄物として酸素を放出し海を酸素で満たし、あふれ出た酸素は大気中に放出された。
それによって海に溶け込んでいた鉄は酸化第二鉄となって沈殿し赤い鉄鉱床を作っていった。
我々はこの鉄を掘り出し、加工して機械を作ったり、ビルを立てたりしているわけだ。

鉄は有用な鉱物である。
今からおよそ3700年前、トルコの辺りにヒッタイトという国があって、初めて鉄製の武器が出来たと云われている。
それまでは青銅器で出来た武器だったんだよね。
鉄の加工というのは当時の技術では難しかったんだわ。

人類の歴史にはエポックメイキングな事件があって、その後の歴史をがらっと変えるんだけれど、鉄製の武器の発明もその一つなんだろうな。
戦なんてのは革新的な技術と、斬新な戦略、戦費の調達をどうするかが大切なんで、太平洋戦争を起こした軍部はやはり知恵が足らなかったなあと思う。



明治の人達

柴 五郎という人が居た。
明治の人には武士の魂を持っていた人達が居た。
日本海海戦の作戦を練った秋山真之と同様、戊辰戦争の賊軍の子供の悲哀を味わった人だ。
出身は会津、官軍が攻めてきて祖母も、母も、妹も自害している。
偶々彼は栗拾いに行っていたために死なずに済んだ。
その後、陸軍に入るまでの人生も苦労の連続だったが、最終的には陸軍大将になった。
その彼が世界的に賞賛を浴び、日本人というのは他の有色人種とは違うぞと白人達に気づかせたのが、北清事変だった。

以下引用

十九世紀の末年、明治三十三(1900)年六月、北清事変(義和団の乱)に
揺れる清国の首都北京でのことである。

 当時西徳二郎公使(昭和二十年三月硫黄島で戦死した西竹一中佐:バロン西の父)のもとで
駐清公使館付武官をつとめていた柴五郎陸軍砲兵中佐は、血が流れ硝煙漂いはじめた混乱の
北京において、日本人はもちろん列強各国の居留民や清国のキリスト教徒たちを暴徒の攻撃から
守り抜くため、北京篭城”連合”軍の一角をになう事になった。


 元軍人で、イギリス貴族の出である外交官クラウド・マックスウェル・マクドナルド駐清英国公使が
その格・実戦経験から総指揮官に選任され、人員・武器・弾薬はもちろん食糧にも事欠くなか困難な
篭城戦が始まった。

戦いが始まって数日、柴中佐の水際立った指揮、彼が率いる僅かな日本兵と日本人義勇兵
(後の外相石井菊次郎や後の東京帝大教授で中国哲学の泰斗服部宇之吉らが参加していた)の
厳正な規律と勇気、瞠目するような敢闘ぶりは、篭城戦をともに戦う列国の兵士、居留民たちすべてを
驚かさずにはおかなかった。


 そしてその驚きは、時を経ずして厚い信頼へと変わり、柴は篭城軍の実質的な野戦指揮官として、
各国の軍人、居留民から仰ぎ見られるようになっていく。


 柴中佐と日本軍人、義勇兵たちをすぐ側で見ていた
イギリス人青年ウィールの手記を引用する。

「・・・日本人の勇敢さは、このころになると伝説以上のものとなっていた。
 しかも彼らは深傷(ふかで)を負っても、呻き声ひとつ立てない。
 あるイギリスの義勇兵は、隣りの銃眼に立っている日本兵の頭部を、銃弾が掠めたのを見た。
 真っ赤な血が飛び散った。

 しかし彼は、後ろに下がるでもなく、軍医を呼ぶでもなかった。
 ”くそっ!”と叫んだ彼は、手拭いを腰から取り出すとやおら鉢巻の包帯をして、そのまま何でもなかったように、あいかわらず敵の監視を続けていた。
 ヨーロッパ人の眼には、それは異様な出来事に映った。

 人間業とは、とうていおもえなかった。

 また、戦線で負傷し、麻酔もなく手術を受ける日本の兵士は、ヨーロッパの兵士のように泣き叫んだり、大きなうめき声を出したりはしなかった。
 彼は、口の中に帽子を突っ込んで、それを噛みしめ、少々唸りはしたが、そうして手術のメスの痛みに耐えた。
 病院に運ばれた日本兵士たちも、物静かな点ではまったく変わらなかった。
 しかも、彼らは沈鬱な表情ひとつ見せず、むしろ陽気におどけて他人を笑わせようとした。

 イギリス公使館の、すっかり汚れた野戦病院に運び込まれた負傷兵たちは、おおむね同国人たちが近くのベッドに並んで横たわっている。

 日本兵の負傷者たちのところには、日本の婦人たちがついて、この上なくまめまめしく看護にあたっていた。
 その一角は、いつも和やかで、ときに笑い声さえ聞こえた。
 ながい篭城の危険と辛苦は、文明に馴れた欧米人、とくに婦人たちの心を狭窄衣のように締めつけ、雰囲気はとかく陰惨になりがちだった。

 なかには明らかに発狂の症状を示す者もいた。

 だから彼女たちは、日本の負傷兵たちのまるで日常と変わることのない明るい所作に接すると、心からほっとした。
 看護にあたる欧米の婦人たちは、男らしい日本将兵のファンになった。・・・」

 八月、ようやく駆けつけてきた日本を含む八カ国合同の救援軍(英・米・露・仏・独・墺・伊)により北京は占領され、秩序は戻るかに見えたが、列国の救援軍はロシア軍を筆頭に略奪者と化した。

 ただ日本軍のみを例外として。

 日本軍に非行がなく、日本軍が占領した区域の治安のよさは、北京市民だけでなく連合軍の間でも評判となり、柴中佐のもとへ教えを請うため視察に来る外国の指揮官もいた。

 八月十四日午後、北京入城後最初の列国指揮官会議がロシア公使館において開催され、日本からは福島安正少将、柴中佐らが参加した。
 席上、篭城軍の総指揮官をつとめたマクドナルド英国公使が篭城の経過について報告した。

 そしてその報告の最後に、彼はこう付け加えたのである。

「北京篭城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである。」

 柴中佐と、彼が率いた日本兵、日本人義勇兵達は、幾多の犠牲に苦しみながらも、見事に危機を克服し、大任を果たしたのだ。
 柴五郎の名は、”リュウトナンコロネル・シバ(柴中佐)”として世界に轟き、大きな賞賛の的となり、世界各国から続々と勲章が授与された。

 しかし柴にとっては、それらの賞賛・名誉は義勇兵を含む日本兵すべてに与えられたものなのである。
 柴は、そして戦いに参加した日本兵、日本人義勇兵達すべては、欧米人に伍して戦い日本人の誇りを汚さなかったことが世界に認められ、感涙に咽び、心から喜びあった。





北京の55日


■1.唐突な日英同盟締結の背景■

 ちょうど100年前の1902(明治35)年1月30日、日英
同盟が成立した。同盟締結を推進したのは、駐日公使マグドナ
ルドであった。マグドナルドは前年夏の賜暇休暇にロンドンに
帰るとソールズベリー首相と何度も会見し、7月15日には日
本公使館に林菫公使を訪ねて、日英同盟の構想を述べ、日本側
の意向を打診した。マグドナルドは翌日も林公使を訪問して、
イギリス側の熱意を示した。それからわずか半年後には異例の
スピードで同盟締結の運びとなった。

 イギリスが日本と結んだのは、ロシアの極東進出を防ぐとい
う点で利害が一致したからである。しかし、当時の超大国イギ
リスがその長年の伝統である「光栄ある孤立」政策をわずか半
年で一大転換し、なおかつその相手がアジアの非白人小国・日
本であるとは、いかにも思い切った決断である。その背景には
マグドナルド公使自身が一年前に経験した一大事件があった。


■2.義和団の地鳴り■

 1885(明治28)年、日清戦争に敗北して、清国が「眠れる
獅子」ではなく「眠れる豚」であることを露呈するや否や、列
強は飢えた狼のようにその肉に食らいついていった。三国干渉
により日本に遼東半島を返還させると、それをロシアがとりあ
げ、同時にドイツは膠州湾と青島、フランスは広州湾をむしり
とる。イギリスは日本が日清戦争後にまだ保障占領していた威
海衛を受け取り、さらにフランスとの均衡のためと主張して香
港島対岸の九龍をとった。

 こうした情況に民衆の不満は高まり、義和団と称する拳法の
結社があらわれた。呪文を念じて拳を行えば、刀槍によっても
傷つくことはない、と信じ、「扶清滅洋(清国を助け、西洋を
滅ぼせ)」をスローガンとして、外国人やシナ人キリスト教徒
を襲うようになっていった。

 1900(明治33)年5月28日、義和団の暴徒が北京南西8キ
ロにある張辛店駅を襲って、火を放ち、電信設備を破壊した。
北京在住の列強外交団は、清国政府に暴徒鎮圧の要求を出す一
方、天津の外港に停泊する列国の軍艦から、混成の海軍陸戦隊
400名あまりを北京に呼び寄せた。日本も軍艦愛宕からの
25名の将兵が参加した。今風に言えば多国籍軍である。

 6月4日、北京-天津間の鉄道が、義和団によって破壊され
た。北京の外交団は万一の場合の脱出路を奪われた形となった。
すぐに2千の第2次混成部隊が出発したが、鉄道の修復に時間
がかかり、いつ北京にたどり着けるか、分からない状態だった。


■3.籠城計画■

 北京の公使館地域は東西約9百メートル、南北約8百メート
ルの方形であり、ここに欧米10カ国と日本の公使館があった。
6月7日、各国の公使館付き武官と陸戦隊の指揮官がイギリス
公使館に集まって、具体的な防衛計画が話し合われた。

 日本の代表は、この4月に赴任したばかりの柴五郎中佐であ
った。柴は英仏語に堪能で、また地域の詳細な防御計画も持参
していたが、始めのうちは各国代表の議論を黙って聴いていた。
日本の兵力が少ないこともあったが、まずは各国の人物、能力
を見極めようという腹だった。さらに東洋人がいきなり議論を
リードしては欧米人の反発を招くということも十分に心得てい
た。

 柴は会議の流れを掴むと、目立たない形で、自分の計画に合
う意見については「セ・シ・ボン(結構ですな)」と賛意を示
し、また防御計画の要については、ちょっとヒントを与えると、
別の列席者がさも自分の発案であるかのように提案する、とい
う形で、巧みに議論を誘導して、自分の案に近い結論に持って
いった。


■4.義和団の来襲■

 6月11日、日本公使館の杉山書記生が惨殺された。救援部
隊が来ないかと北京城外に出て、戻ろうとした所を清国の警備
部隊に捕まり、心臓を抉り抜かれ、その心臓は部隊長に献上さ
れた。外交団は治安維持の頼みとしていた清国官憲までも外国
人襲撃に加わったことに衝撃を受けた。

 13日、公使館区域に4,5百人の義和団が襲いかかった。
おおぜいたむろしている清国官兵は、見て見ぬふりをしている。
しかし刀や槍を振り回す暴徒は、列国将兵の銃撃に撃退された。
14日、怒った暴徒は、公使館区域に隣接するシナ人キリスト
教民の地域を襲った。凄まじい男たちの怒号と、女子どもの悲
鳴が公使館区域まで聞こえてきた。一晩で惨殺された教民は千
人を数えた。

 15日、タイムズの特派員G・モリソンはイギリス公使マグ
ドナルドを説き、20名の英兵を率いて5百人余りの教民を救
出してきた。しかし、それだけの人数を収容する場所がない。
困ったモリソンが、シナ事情に詳しそうな柴中佐に相談すると、
柴は即座に公使館地域の中央北側にある5千坪もの粛親王府を
提案した。粛親王は開明派で、日本の近代化政策を評価してい
た。柴が事情を話してかけあうと、教民収容を快諾した。

 この王府は小高くなっており、ここを奪われれば、公使館地
域全体を見下ろす形で制圧されてしまう。この事に気づいてい
た柴は教民たちを動員して保塁を築き始めた。欧米人と違って、
日本人の多くはシナ語を話せたため、彼らは日本兵によくなつ
き、熱心に協力した。また30名ほどの義勇兵も出て、日本軍
と共に自衛に立ち上がった。


■6.清国軍も攻撃開始■

 6月19日、シナ政府から24時間以内に外国人全員の北京
退去を命ずる通牒があった。抗議に赴いたドイツ大使は清国兵
にいきなり銃撃され、即死した。

 20日午後からは、地域の警備についていた清国軍が公然と
攻撃を始めた。暴徒とは異なり近代装備を持つ清国軍は大砲ま
で持ち出して、公使館区域を砲撃した。

 最初の2日間の戦いで区域の東北端に位置するオーストリー
とベルギーの公使館が火を放たれて、焼かれた。西正面と北正
面を受け持っていたイギリス兵は、イギリス公使館が西から攻
撃を受けると、そちらに移動してしまった。

 北正面ががらあきとなり、清国軍が侵入するには絶好の隙間
が生じてしまった。少数の日本将兵と教民たちがたてこもる北
辺の粛親王府が破られれば、そこから清国軍は区域全体を見下
ろし、砲撃することができる。清国軍は激しい攻撃を加えてき
た。

 区域全体の総指揮官に推されたイギリス公使マグドナルドは、
粛親王府の守備を固めるために、イタリア、フランス、オース
トリー、ドイツの兵に柴中佐の指揮下に入るよう命じたが、兵
達は土地は広く、建物は迷路のように錯綜する王府を見ると、
「とてもじゃないが守りきれない」とそれぞれ自国の公使団保
護に帰ってしまった。


■7.日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ■

 王府防衛の有様を柴中佐の指揮下に留まっていたイギリス人
義勇兵の一人B・シンプソンは次のように日記に記した。

 数十人の義勇兵を補佐として持っただけの小勢の日本軍
は、王府の高い壁の守備にあたっていた。その壁はどこま
でも延々とつづき、それを守るには少なくとも5百名の兵
を必要とした。しかし、日本軍は素晴らしい指揮官に恵ま
れていた。公使館付き武官のリュウトナン・コロネル・シ
バ(柴中佐)である。・・・

 この小男は、いつの間にか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下たちを組織し、さらに大勢の教民たちを召集して、
前線を強化していた。実のところ、彼はなすべきことをす
べてやっていた。ぼくは、自分がすでにこの小男に傾倒し
ていることを感じる。[1,pp481]

 この後、王府を守る柴中佐以下の奮戦は、8月13日に天津
からの救援軍が北京に着くまで、2ヶ月余り続く。睡眠時間は
3,4時間。大砲で壁に穴をあけて侵入してくる敵兵を撃退す
るという戦いが繰り返し行われた。総指揮官マグドナルド公使
は、最激戦地で戦う柴への信頼を日ごとに増していった。イタ
リア大使館が焼け落ちた後のイタリア将兵27名や、イギリス
人義勇兵を柴の指揮下につけるなど迅速的確な支援を行った。

 6月27日には、夜明けと共に王府に対する熾烈な一斉攻撃
が行われた。多勢の清国兵は惜しみなく弾丸を撃ちかけてくる。
弾薬に乏しい籠城軍は、一発必中で応戦しなければならない。
午後3時頃、ついに大砲で壁に穴を明けて、敵兵が喊声を上げ
ながら北の霊殿に突入してきた。柴は敵兵が充満するのを待っ
てから、内壁にあけておいた銃眼から一斉射撃をした。敵は2
0余の死体を遺棄したまま、入ってきた穴から逃げていった。
この戦果は籠城者の間にたちまち知れ渡って、全軍の志気を大
いに鼓舞した。
 イギリス公使館の書記生ランスロット・ジャイルズは、次の
ように記している。

 王府への攻撃があまりにも激しいので、夜明け前から援
軍が送られた。王府で指揮をとっているのは、日本の柴中
佐である。・・・

 日本兵が最も優秀であることは確かだし、ここにいる士
官の中では柴中佐が最優秀と見なされている。日本兵の勇
気と大胆さは驚くべきものだ。わがイギリス水兵がこれに
つづく。しかし日本兵がずば抜けて一番だと思う。


■8.安藤大尉の奮戦■

 王府を守りながらも、柴中佐と日本の将兵は他の戦線でも頼
りにされるようになっていった。アメリカが守っている保塁が
激しい砲撃を受けた時、応援にかけつけたドイツ、イギリス兵
との間で、いっそ突撃して大砲を奪ってはどうか、という作戦
が提案され、激しい議論になった。そこで柴中佐の意見を聞こ
うということになり、呼び出された柴が、成功の公算はあるが、
今は我が方の犠牲を最小にすべき時と判断を下すと、もめてい
た軍議はすぐにまとまった。

 イギリス公使館の正面の壁に穴があけられ、数百の清国兵が
乱入した時は、柴中佐は安藤大尉以下8名を救援に向かわせた。
最も広壮なイギリス公使館には各国の婦女子や負傷者が収容さ
れていたのである。

 安藤大尉は、サーベルを振りかざして清国兵に斬りかかり、
たちまち数名を切り伏せた。つづく日本兵も次々に敵兵を突き
刺すと、清国兵は浮き足立ち、われさきにと壁の外に逃げ出し
た。館内の敵を一掃すると、今度はイギリス兵が出撃して、3
0余名の敵を倒した。安藤大尉らの奮戦は、イギリス公使館に
避難していた人々の目の前で行われたため、日本兵の勇敢さは
讃歎の的となり、のちのちまで一同の語りぐさとなった。

 後に体験者の日記を発掘して「北京籠城」という本をまとめ
上げたピーター・フレミングは本の中でこう記述している。

 戦略上の最重要地点である王府では、日本兵が守備のバ
ックボーンであり、頭脳であった。・・・ 日本軍を指揮
した柴中佐は、籠城中のどの士官よりも勇敢で経験もあっ
たばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。

 当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、
この籠城をつうじてそれが変わった。日本人の姿が模範生
として、みなの目に映るようになった。

 日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の
賞賛の的となった。籠城に関する数多い記録の中で、直接
的にも間接的にも、一言の非難も浴びていないのは、日本
人だけである。[1,p500]


■9.コロネル・シバ■

 救援の連合軍が、清国軍や義和団と戦いながら、ついに北京
にたどりついたのは、8月13日のことだった。総勢1万6千
の半ばを日本から駆けつけた第5師団が占めていた。その他、
ロシア3千、英米が各2千、フランス8百などである。籠城し
ていた柴中佐以下は、ほとんど弾薬も尽きた状態だった。


 14日、西太后の一行は西安に向けて脱出した。その午後、
北京入城後最初の列国指揮官会議が開かれた。冒頭マグドナル
ド公使が、籠城の経過について報告した。武器、食糧の窮迫、
守兵の不足、将兵の勇敢さと不屈の意志、不眠不休の戦い、そ
して公使は最後にこう付け加えた。


 北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰す
べきものである。

 柴中佐が日本軍将兵と日本人義勇兵にこの言葉を伝えると、
嗚咽の声が漏れた。誰もが祖国の名誉を守り、欧米の人々から
も認められた誇らしい感情を味わっていた。


 柴中佐はその後も日本軍占領地域では連合軍兵士による略奪
を一切許さず、その治安の良さは市民の間のみならず、連合軍
の間でも評判となった。

 柴中佐には欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、またタイムズ
の記者モリソンの報道もあいまってコロネル・シバは欧米で広
く知られる最初の日本人となった。その後、総指揮官を務めた
マグドナルドは駐日大使に転じ、日英同盟の締結を強力に押し
進めていくことになる。柴中佐と日本将兵の見せた奮戦ぶりか
ら、日本こそは大英帝国が頼みにするに足る国と確信したので
あろう。

恐竜の記憶

恐竜が6500万年前に絶滅したというのが通説なのだが、本当にそうなのか疑問に思っている。中国の古代の絵で竜は恐竜のように四つ足で描かれているし、1945年メキシコのアカンパロという田舎町から発見された土偶は、ワニのような顔に象のような胴体、太くて長い尻尾を持ち、どう見ても恐竜にしか思えない。
こういう土偶が大量に見つかり、1969年アメリカの「ペンシルバニア大学」で熱ルミネッセンス法という無機物の年代測定が出来る新技術で測定したところ、どれもが紀元前2500年前(プラスマイナス5から10%)という数値が出た。
ペルーで出土した彫刻が施された石にも恐竜の姿が描かれている。
先史時代のインディアンが描いた物と考えられているアメリカユタ州の洞窟壁画にも恐竜が描かれている。
人類が生まれたのが100万年前。
人類が恐竜と同時期に暮らしていたことがあるのではないかと思っている。
2005年アメリカの「ノースカロライナ州立大学」でテラノザウルスの大腿部の化石の中から化石化していない筋肉組織や血液を採集した。
ゲノム解析をすれば本当にジュラシックパークのようにTレックスを作り出すことが出来るかも知れない。
こういう生の組織が残っているということは、ごく近年まで恐竜は生きていたのではないのだろうか。
人類の記憶に残るくらいの最近まで。

平和という言葉の重さ

俺は平和と言う言葉を重たい物だと思っているから、安易に口にすべきではないと思っている。
反戦という言葉、学生の頃沢山聞いたわ。
まるで流行のようにみんな反戦、反戦と叫んでいた。
「戦争を知らない子供達」なんてフォークソングが流行っていて、反戦、反体制がファッションのように、まるでどこそこの店のケーキが旨いとか言うレベルで気軽に語られていた。
しかし、自分も含めて戦争という物がどういう物か知らなかったんだよな。
この歌を作った人間にしてもさ。

戦争って言ったって色んな戦争があるんだわ。
日露戦争と太平洋戦争は意味合いが違う。
日露戦争は奴隷になるかならないかの戦いで、太平洋戦争はちょっと自分も奴隷を持ってみようかなという戦争だったと思う。
日本は植民地支配をしたが、欧米のそれとは明らかに違う。
日本がやってきたのは同化政策で、白人のやってきたことは有色人種を家畜としてこき使う事だった。
大体植民地に学校を作って教育などすると、反乱分子を作るだけじゃないの。
日本はそういうことをやってきた。
台湾の年寄りなんかにゃ、未だに心は日本人だという人達が居る。

当時は白人以外は猿扱いされていた時代なのさ。
そういった当時の歴史背景があって、その当時の戦争がある。
歴史を知らずして「戦争」という言葉でひとくくりにして、「反戦」と言う言葉を語るのは俺は違うと思うな。

我々が学生時代に周りで語られていた反戦という言葉なんて、軽くて軽くてちょっと風が吹いたら飛んでいっちまいそうな軽い言葉だった。
あの当時の反戦というのはベトナム戦争の事なんだけど、ベトナムの戦場を経験したこともないイギリス人のジョンレノンが語って良かったのか?

そら戦争は悲惨さ。
だから出来るだけ避けなければならない。
しかし自分や家族が今、殺されそうにだっていうのに、何も行動を起こさないような奴は人間じゃない。

理想論を語るのは簡単さ。
パック詰めにされた肉を買ってきて料理するのは俺でも出来る。
しかし生き物を殺して肉にするのはちょっとね、と躊躇する。

しかし自分が殺されそうになったら自分の肉を差し出しなさい、とおっしゃる政治家もいる。
多分そういうことが現実に起こったら、その方達は逃げ回ると思う。

仮面劇

人は皆人生で仮面劇を演じている。
一人の人格という物はこれ、といって決まっている物ではなく、一人の人間の中に潜んでいる色々な人格の中から選択されて今の自分という物が出来上がっているのだと思う。
若い頃には自分の中に元々潜んでいる色々な人格を選ぶ事が出来るが、歳をとるともう替えることが出来なくなってしまい

「おいおい、本当の俺はこんな筈じゃ無かったのによ。」

等と思ってしまう。

若い内はとっかえひっかえ色んな仮面を付け替えて見るのだが、椅子取りゲームみたいに、ホイッスルが鳴ったときに付けていた仮面を一生付ける羽目になってしまう。

「本当は別の仮面を付けたかったのに。」

と思っても、すでにゲームオーバー。
ずっと、その仮面を付け続けなければならない。
でも、自分で自分の仮面を見ることが出来ないから他人の仮面ばかりが良いように見える。
他人から見るとその仮面が羨ましくて仕方が無いのにもかかわらず。
俺?
俺はこの仮面でずっと生きてきたからもう肉面化しちゃっていて、良いこともあったし、悪いこともあったし、今更わざわざ引っぺがして別の仮面を付けるのもしんどいし、とりあえずこのままで良いわ。

塗り壁婆

今日婆さんの介護度が二つ上がって要介護4になった。
介護度は5までなので、通信簿でいえば

「良くできました。」

兵隊の位でいえば大将まで後少しというところか。

長谷川スケールが測定不能ということだから、もう自分の名前も解らないのだろう。
まだ寝たきりになっていないから5になっていないのだ。
昨年の万灯会のお手伝いを純子がしている時に、入所したばかりの施設のケアマネージャーから電話が入り

「お母さんは介護2ではありませんね。良く我慢してきましたね。もう一度審査を受けてみませんか?」

というので

「よろしくお願いします。」

と言ったのだが、その後の審査でも介護度が変わらなかった。
その時は純子と

「あの『この施設に惚けている年寄りはいないんです。』と断言していた施設長の所為だね。」

と話していたのだ。
この施設長は「惚けた婆さんと良い勝負だ。」と思っていたのだが、介護度が上がるとそれに連れお金もかかるので都合が良いと言えば良い。
しかし実際はもっと手のかかる婆なのに、職員の人達に申し訳ない気持ちを持っていた。

それが今回目出度く二階級特進したと云うことは、もしかして施設長いよいよ自分も入所しちゃって、新しい施設長が来た?

長生きする年寄りは飯を良く食う。
そして良く歩く。
ある時風呂場のマットが黴けて捨てた。
どうせほとんどシャワーを使うので、必要なかったから買わなかった。
するとある日シャワーを浴びようと浴室に入ったら新しいマットが置いてある。
純子が買ってきたのかと思い訊いてみると、違うという。

「婆さんが買ってきたんじゃないの?生協では風呂のマット置いてないから、売ってるとしたらホクレンショップなんだよね。」

ホクレンショップまでは1キロ近くある。
歩ける距離ではあるが、マットを抱えて歩くのは大変だ。

「婆さんあんな大きな物抱えて家まで歩いてきたんだろうか?」

婆は小柄だ。
同年代の女性に較べても小さい。
さらに歳のせいで背中が丸まっている。
ある時病院に連れて行ったら身長を測ることになり、婆は丸まってるから身長計では計れない。
それで婦長さんが婆の前に立ち、手を婆の頭の高さに合わせて自分の腹に当て

「ちょっと計ってきますね。」

と手をそのままの位置で別室に行き戻ってきて

「先生、125センチでした。」

と言うのでみんな爆笑した事があった。

そんなに小さい婆がホクレンショップから浴室マットを抱えて、良く歩いてきたものだと不思議で仕様がない。
車で通りすぎる人達は「塗り壁」が歩いていると、仰天したのでは無いだろうか。

年寄りをなめちゃいかん

今日はサリーちゃんと純子は専修寺のパークゴルフ大会に手伝いを頼まれて出かけている。
覗きに行ったら丁度お昼時で、お年寄りの檀家さんがジンギスカンを食べていた。
家の婆なんかも口癖は

「私なんか仏さんのご飯くらいの量しか食べないから。」

と言うので、てっきりそうなんだなと思って、一緒になる時その通りに純子に言った。
ところが婆は仏さんのご飯どころか、生協に出かけて食料を調達し、独りでこっそり食っていたのだ。

「あんたの婆、ただもんじゃないよ。何が仏さんのご飯さ。食ってる~。こないだ『いくら何でもこれは食えないだろ。』って、日本昔話に出てくるような山盛りの丼飯出したら、一粒も残さず食っちまったよ。」

確かに年寄りの言うことをまともに受け取ってはいけない。
彼らは見かけ、年寄りのように振る舞ってはいるが、実は我々よりも健康なのだ。
健康でない年寄りはすでに淘汰されているから、生き残っているのは選りすぐりの健康な年寄りなのだ。
ただ惚けているだけで、肉体はきわめて頑健なのだ。

住職の話では初めてパークゴルフ大会を開いた時、昼食がジンギスカンだと聞いて年寄り達は

「あたしゃ歳だから、肉みたいな脂っこい物は食えないよ。」

なんて文句言ってた筈が、肉はおかわりするわ、用意してきた日本酒は飲み干して足りなくなってしまうわ、実は年寄りの皮をかぶった壮健な大食漢であることが判明したそうだ。

まあ、何はともあれ年寄りが元気な国である日本は豊かだわ。

牛乳瓶

純子は寝相が大変良い。
一緒に暮らすようになった頃は、夜中じゅうくるくる回って、俺は布団からはじき出されていた。
でも、朝起きると元の位置に戻っているから本人は寝相が良いと思っている。
俺は時計と一緒になったのか?と思ったものだ。
寝言もすごかった。
まるで起きているかのように夜中に喋ってみたり、怒鳴ってみたり、こりゃ鳩時計だわいと思ったのだが、最近は針のように回転しないし、寝言もほとんど言わなくなった。
あれはどういう加減だったのだろう。

そんな寝相の良い純子が朝起きて、冷蔵庫から牛乳瓶を取り出す。
昔の学校給食に出てきた紙の蓋の付いた奴だ。

「どんな風に蓋開ける?」

と尋ねると

「こうでしょ。」

と言ってツメで蓋の端をめくる。

「あんた、どうやんのさ?あーあ、分かった、指で押して開けるんでしょ。そして牛乳が周りに飛び散って、男子って野蛮よねえ。あーやだよねえ。」

確かに当たっていた。
純子の起きる前にそうやって開けて飲んでいたのだ。
以前娘が来たときにビンのまま出したら、しばらく手に取って眺めすかして居たが

「どうやって開けるんですか?」

と純子に訊ねていた。
確かに初めてだと分からないかも知れない。
今はペットボトルになってしまって口もねじ込みキャップになっている。

昔は王冠を使っていて栓抜きなんてもんが必要だったが、今王冠使ってるビンなんかあるのかな。
現場仕事をやってると栓抜きなんて物は携行していないから、それぞれのやり方で栓を外していた。

電気屋はペンチで、左官屋は左官のコテをビンの首に沿って走らせ一瞬で栓を吹き飛ばす。
時々ビンの首が欠けガラスが沈殿するのを待ち、おそるおそる口を付ける。
大工辺りは釘で開けていたかな。

しかし子供の頃風呂上がりに良くコーヒー牛乳を飲んでいたが、必ず片手を腰に当てて飲んでしまうのは何故なんだろう。
先日も家族風呂に行って風呂上がりにコーヒー牛乳を立ちながら飲んでいたら、やはり片方の手を腰に当てていた。
純子は

「きっとそれがバランスが良い姿勢なんだよ。」

と言うのだが、昔のCMなんかで良く親子が並んで腰に手を当てて牛乳を飲んでるのを見ていたような気がする。
リポビタンのCMなんかでもそんな風に飲んでいなかったっけ?
きっと潜在意識にビンをつかんで立ち飲みするときはこうしなければならないと刷り込まれているのかも知れない。



愛子のやぶさん

俺はズボンのポケットに入れた紙切れを、ポケットに入れた手の指先で丸める癖がある。
駐車券をポケットに入れておいて、いざ車を出そうとポケットに手を入れると駐車券が無い。そんな筈は無いとポケットをひっくり返してみると丸い玉が出てきた。
何だろうと広げてみると、くしゃくしゃになった駐車券で、インクも擦れ落ちてよく見えない。
そんなことがあって以来、駐車券は必ず純子が預かることになった。

先日の万灯会でビールの早飲み会があったのだが惜しくも敗退し、残念賞としてビール券1枚を貰った。
それで純子が

「ビール買うから券出して」

というので探してみると何処にも見当たらない。
それで昨日万灯会のビデオを見ていたら、ビール券を貰ってそのままズボンの左ポケットに入れている。
それで左ポケットをまさぐってみるとありましたね、もう使えないビール券が丸まって。

それで思い出したのがやぶさんの曲だ。
やぶさんって空気嫁の「愛子」の曲を作った親父だけどね。
やぶさん、やぶさんと云っているから藪という苗字なのだと思っていたのだが、ある時届け物があって近所のやぶさんの家に行ったら、「竹藪」と云うまんまな表札が架かっていて笑っちゃったな。

やぶさんの友人が入院しているので見舞いに行った。
その友人というのは高田渡の事らしいのだが、病室に行ってみると友人はベットに横たわり、ベッドの脇には酸素ボンベが置かれており、床を這ったホースが友人の口に装着された酸素マスクに繋がっている。
友人は声を出すのも苦しげで、目でやぶさんに何かを訴えていた。
やぶさんは

「何か言いたい事があるのか?しっかりしろ!これに書け!」

とメモ紙とペンを渡した。
友人は最後の力を振り絞り何事かを書き、やぶさんの手を取りメモを渡すとそこで息絶えた。
やぶさんは友人を失い深い悲しみにメモを握りつぶした。
やがて葬儀も終わり、焼き場の煙突から上る友人を焼く煙を見上げ、思い出に浸っていた。
きびすを返しポケットに手を入れ背中を丸めて歩き始めた時、ポケットの指先に何かが触れた。
取り出してみたら友人が最後に苦しみながらも力を振り絞って渡してくれたメモだった。
最後に友人は何を伝えたかったのだろうとやぶさんは思い紙を広げてみた。
そこにはこんな言葉が書かれて居た。

「俺の酸素ホースを踏むな!」

やぶー!あんただったのか!高田渡を殺したのは。

水は宝だ

蘭引きという物がある。
元々はアラビア語のアランビックが訛った物で蒸留をする装置だ。
江戸時代の船には蘭引きが積まれていて、海水から真水を作り出していた。
1832年11月鳥羽から米と陶器を積んだ宝順丸が江戸に向かって出帆した。
乗組員は14名、その中に見習い船員の音吉が居た。
船は難所として名高い遠州灘を通らなければならない。
音吉らを乗せた船は江戸には着かず消息を絶ってしまった。
故郷の人々は遭難して死んだのだと思い葬式をあげた。
しかし船は太平洋を漂流し続けていたのだ。
積み荷は米であるし、蘭引きで海水から水を作ることが出来たので食べることは出来た。
しかし新鮮な野菜がないため壊血病で一人死に、二人死に、音吉、久吉、岩吉の三人だけとなってしまった。
14ヶ月後にアメリカ太平洋岸のワシントン州ケープ・アラバ付近に漂着しインデイアンのマカ族に助けられた。
この後音吉らは数奇な運命をたどるのだが、それはともかくとして江戸時代にすでに海水から真水を作る道具があったということに興味を惹かれる。
水さえあればかなりの間生き残ることが出来る。
「米軍サバイバルマニュアル」によれば、食料を少なくしても水を多く携行するようにとかかれている。
この光文社文庫の本はもう発売されていないかも知れない。
戦場というのは環境条件が様々だ。
熱帯から寒帯まで、海や山、砂漠、そういった場所で生き残る知識と知恵を書いていて、なかなか感心させられる。
もっとも実際に何度も訓練しておかなければいざと云うときには使えないとは思うが、知識として知っておいても損はない。
都会だって地震災害などが起きれば、戦場と同じような極限状況となる。
やはりこの本の中で水の確保については事細かに書かれていて、たとえば砂漠での水の確保の仕方は次のような物だ。
穴を掘ってそこにカンバスを敷く。地表から30センチくらいまでその中に小石を詰める。
すると露が小石に付きカンバスに貯まる。
あるいは直径1メートル深さ50センチのすり鉢状の穴をあけ、底にヘルメットを置く。
穴の表面を透明プラスチックシートで覆い端を砂を盛って押さえつける。
小石をシートの真ん中に一つ置き、シートが35から40センチ沈むようにする。すると土の中の水が蒸発しシートに水滴となって付き、シートを伝ってヘルメットに落ちる。
災害の事を思い水だけは身近なところに確保しとくのが良さそうだ。

新聞は大した役に立つ

世間ではオリンピックで騒いでいるようだが、我が家では全く話題になっていない。
どだいテレビ自体ほとんど見ない。
新聞は取っているけれど、これもあんまり見ない。
来たままの状態で広げもせずに居るうちに次の新聞が来たりして居ることが良くある。

しかし新聞は便利な物だ。
昔「シャボン玉ホリディ」という番組があって、その中で谷啓扮するサラリーマンがベンチで新聞を読んでいる。
そのうち眠くなって新聞を毛布代わりに身体に掛けて寝てしまう。
目が覚めて寒くなってきたのでたき付けにして暖を取る。
身体に巻いて防寒する。
鼻水が出てきて新聞紙で鼻をかむと鼻がインクで真っ黒になってしまう。

「何で印刷なんかするんだよ。ばかやろ。」

という落ちなのだが、我が家の新聞の扱いもこの程度の物だ。

新聞は便利な物である。
焚き付けにはなるし、敷物にはなるし、プリンターのインクを詰め替えるときなどには下に敷いて大層重宝しているし、ポリタンクの石油を溢れさせて玄関のタイルが濡れてしまったときには吸い込ませるのに使っているし、物を梱包するときにはおおざっぱに丸めてクッション材として使える。

だから情報の収集源としては当てにならないし、記者の個人的主観、思想、捏造も多いが一応取っては居る。

恐ろしいことになった

我が家が大変なことになっている。
仕事から疲れて帰ってくると我が家の前の通りの角に、目やに猫が道の真ん中に堂々と座っている。
ここいら辺の猫は平気で道の真ん中で寝そべっているのだ。

轢いたらいけないので車を大きく迂回して家の前に着くとチョコが玄関の階段で寝そべっていて、我々が車から降りるとにゃーにゃー言いながら転がって喜んでいる。
それで家の玄関を開けて入れてやると、今度は目やにがのそのそこちらに向かって歩いてくる。
これはいかんと思い急いでドアを閉め居間の窓を開け網戸を閉めるとやってきましたね、目やにが。

網戸に張り付いて可愛らしい小さな声で鳴く。
しかしチョコが怖がるといけないので知らんぷりをしていた。
するとそのうち居なくなったので外に様子を見に行ったら、隣の家のベランダに座り同じように鳴いている。
どうもこいつはこの近所の家を一軒一軒廻って同じような事をしているらしい。
猫にして置くには勿体ない奴だ。
スーツを着せて訪問販売をさせれば大層顧客を獲得できるかも知れない。
断られても断られてもめげる物ではない。

それはともかく昨日の焼き肉の時にもチョコが二階で寝ている時に、網戸の向こうから顔を出し、みんなに撫でられて幸せそうに寝そべっていたらしいから、こりゃ毎日現れるなあ。

そのうち二匹で網戸の外で並んでにゃーにゃー言ってたらどうしようかと思う。
猫屋敷になってしまうではないか。


ヒーロー

「特撮ヒーロー」なんてもんが出てきたのは「仮面ライダー」以後の事だろうな。
それも随分後のことで。

昔さ、たぶん槍ヶ岳の頂上だと思うんだけど、特撮ヒーローがポーズを取っているところをヘリで撮影してたな。
あんな衣装着て、ヘルメット付けて山道を延々と歩いて頂上にたどり着いた訳は無いんで、きっと衣装を背負って首にタオル巻いて、スタッフも重い機材背負いながら汗だくで山道を歩いて、その頃は携帯も無かったから無線でヘリと連絡取りながら苦労して撮影したんだろうな。

たぶんヒーローの中身はバイトの兄ちゃんだな。
それも体育会系のノリの良い兄ちゃんを面接で選んで撮影したんだと思うよ。

槍ヶ岳って良く知らないんだけど、あんな狭い頂上でヒーローの服に着替えることは無いと思うんで、きっと少し下の方で変身して頂上まで登ったんだと思うんだ。
そうすると登山者から

「あら、ご苦労様。こんな所にまで悪者を成敗しに来てらしたんですか?」

なんて言われて、バイトの兄ちゃんも体育会系だからノリが良くて

「悪のあるところ、私達は何処にでも現れるんです。」

なんて、さんざん息を切らせていたくせに、その時だけは突然胸を張って言い放ったりする。
そんな光景が目に浮かぶんですわ。


僕の将来の夢

亡くなった俳優のレオナルド熊さんは、スナックというお酒を飲んでちょっとしたお料理を食べるお店をやっていました。
でも出す料理が余りにも不味くお客さんが来ませんでした。
あんまりお料理が不味いのでお客さんが「俺に作らせろ。」と言って料理を作り始めました。
するととっても美味かったので他のお客さんがとっても喜びました。
そこで熊さんは、はっと気づいたんです。

「客に作らせりゃ良いんだ。世の中には料理の自慢をしたい客も居るはずだ。」

それで料理自慢のお客さんに勝手に作らせてみると、店が大層繁盛し始めたそうです。

それで僕も考えました。
僕は死ぬまで働こうと思ってはいますが、もし仕事をやめたら居酒屋を始めようと。
僕はとってもお酒が好きなので手の届くところにお酒があると、米倉の中のネズミ、
蜜壺の中の蟻の様になってしまってお酒を飲んでしまうと思います。

するとすぐ眠くなって寝てしまうと思います。
世の中には居酒屋の親父をやってみたい客も居ると思うので

「親父、仕様がねえなあ。」

と代わりに店をやってくれるんではないかと思うんです。
いつの間にか客と店主の役割が入れ替わっている、という風になるんじゃないかなと思います。
それが僕の将来の夢です。

三年一組 すが


純平おじさんは見た!

男鹿和雄展を見るために芸術の森に行く支度を調えて、ベランダのドアを閉めようとしたら、庭のテーブルの上にこんもりした物があった。
よく見るとチョコが座っていた。
テーブルと同じ色だから気がつかなかったのだ。
ぱらぱら雨が降っているのに、ずっと待っていたのだ。
目が合うと網戸の前にやってきて大きな鳴き声で入れてくれと催促する。
「これは大変」と思って入れてやった。
早速テーブルの下の餌の入った皿の方に歩いてゆく。
餌を食べるのを見てると首輪が新しくなっていたのに気がついた。
ピンクのきらきらした反射物がついた首輪で、飼い主が夜、交通事故に遭わないように付けてくれたのだろう。
小さなキティちゃんと覚しき飾りと鈴がついている。
目も口も描いていないところが味噌で、商標権で訴えられないようにしているのだろう。
おそらく中国製のもどきなのだと思う。
餌を食べ終えると早速二階へ行こうと誘う。
雨も酷くなってきたので帰すのは忍びないと思い一緒に二階に行く。
それでひとしきり甘えて寝てしまった。
まだ寝ている。
これは出かけるのは諦めるしかないかも。

昨日はこれからやる祭りの打ち合わせでサリーちゃんや、純平おじさんとツリチャで飲む。
このところ体調が悪かったが、一日飲まなかったら復活した。
純平おじさんが来るまで純平おじさんの話題で盛り上がる。

「最近純平おじさん、おばさん化してるよね。何かあれこれ詮索して『うーん、これですべて辻褄は合った。』なんて、『家政婦は見た!』の市原悦子状態に成ってない?」

と純子が言うとサリーちゃんが

「う~ん。純平おばさんは見た!状態だよね」

そこに悦子ママが

「純平おじさんこの間wiki wikiの前通ったらNさんが居たとか言ってたよ。覗いて見てるんだね。
家の店の前を通りかかると、まずカーテンの隙間から誰が居るかなって覗くんだって。そこが一カ所だけ透けて見えるカーテンにしているのは純平おじさんが覗けるようにと思って付けてるんです。」

「純平おじさん駅から降りたら、パチンコ玉みたいにあっちに引っかかり、こっちに引っかかりながら店の中を覗いて家に帰ってく訳だ。何か犬が縄張りにおしっこかけてマーキングしてるみたいだな。」

「今度あの番組終わるんだってね。新しいシリーズはレトリバーを飼ったおじさんが主役みたいだよ。」

と悦子ママ。

飼い主も飼い犬に似てくるのだと思った。

仁太坊

何気なく観たアニメに感動してしまったしょ。
題名は「仁太坊」というのかな。
盲目の三味線弾きの少年の話なんだけど,
太棹を使って叩き付けるように弾く津軽三味線を作った人らしいんだね。
太棹の三味線がうまく弾けなくて悩む主人公に、坊主が「守破離」
という言葉を教える。
つまり芸事には教えて貰ったことを忠実に真似をする「守」の
時期があり、
その後子供が自立するための反抗期の様な「破」があり、習ったことを打ち壊してゆく、
さらにそこから自分の世界を作り上げてゆく「離」の時期があるというのさ。
真にその通りだと思うな。
でも「守」でしかないのに自分がうまくなったと満足し、うぬぼれている人、本当によく見かけるな
あ。

タバコで思う

1609年と言えば関ヶ原の戦から9年後だが、京都には荊組と革袴組というならず者集団が居た。
荊組というのは荊のように人を傷つける、革袴組は皮の袴を穿いていたらしい。
彼らは元々はタバコ愛好家の集団で、腰に侍が刀を差すように長いキセルを差したり、下っ端に持たせたりしたらしい。
乱暴狼藉を働く輩であるから、いざというときはその長キセルを武器に戦ったのだと想像する。
まあ、今で言えばヤンキー、あるいは暴走族の兄ちゃんだったんだろうね。
しかし幕府に目を付けられタバコそのものが禁止になった。
でも喫煙は少なくとも寛永・正保(1624-1648)の頃まで、一般的な風習となって残存したようである。

思えば不良とタバコはつきものだ。
学ランを着てウンコ座りでタバコをスパスパ吸っていなければ一人前の不良とは言えない。

「いや、僕、母からタバコは健康に良くないって聞いてますんで。」

なんて断ったりしたなら、たこ殴りに合うくらい不良として失格なのだ。
喫煙は不良の登竜門、成人儀式としてのバンジージャンプ、割礼の儀式なのだろうと思う。
すなわち精神的な親からの自立、自己の確立の象徴なのである、、、、と、とりあえず言ってみる。

しかし、昨今の喫煙者に対する迫害というのは如何なもんであろう。
タバコが1000円にもなったら不良が存在出来ぬではないか。
子供の精神的自立の象徴は、、、、。

まあ、俺は1000円になったらやめるけどね。
だって精神的に自立してるもん。

地球温暖化

地球温暖化で温室効果ガスが大気中に放出され、それが原因で地球の気温が上がり南極の氷が溶け出し、海水面が
上昇し平地が水没するという意見に異議を唱える学者が居る。
全人類が一年間で放出したエネルギーが2兆9000万ジュールの一億倍、一方太陽から降り注ぐエネルギーが2兆6000万ジュールの1兆培。
屁にもならないような量だという。
京都議定書では1990年の大気中の二酸化炭素の排出量を5%削減するという計画は、285キロある小錦が1.5グラム痩せるみたいなものだという。
現在逆に南極の氷の厚みは厚くなっており、グリーンランドは現状維持だそうだ。
うーん、ただなあ、化石エネルギーの熱量がそうであっても、温室効果によって大気中に太陽のエネルギーが閉じこめられるんじゃないかな、と思ったらこれも違うという。
何故なら海水温が上がると海水が蒸発し今より雲が多くなり、太陽光の反射が多くなり逆に温度が下がるという。
北極の氷なんかは大部分が海中に沈んでいるので、融けたとしても海水面が上昇するわけではないし、そもそも蒸発した海水がマイナス30°の極地に雪を降らせるから逆に氷が厚くなると言う。
確かにこの数百年を見ても人間に被害を与える気候変動はあった。
てテームズ川が凍った事もあった。
むしろ今の地球は寒すぎるくらいだと言う。
まあ、いろんな意見があって、素人としては何を信じて良い物やら。

退屈で死ぬのは本当だ

「良く退屈で死にそうだ。」なんて言うけれど、これ本当らしいね。
人間の脳の情報処理能力は人によって容量が決まっていて、入ってくる信号が少ないと逆に
刺激を求めて身体に信号を送り病気を作ったりする。
逆に信号が多すぎるとレム睡眠という、寝ている間に眼球が動いているような深い睡眠が起こる。
子供が倒れ込むような睡眠に入ってしまうのは、入ってくる情報量が多すぎて脳
が処理できないからそれを振り落とすためらしい。
子供時代が長く感じるのは情報処理回路が未発達で、処理しきれない情報に満ちているからだという。
でも大人になって学習すると意識しなくとも、脳が勝手に情報を処理してくれる回路が出来てくるので、
過剰な情報を振り落とす必要が無くなるので睡眠が浅くなる。

魚や蛙は眠らない。
睡眠という行動が現れるのは爬虫類からだ。
レム睡眠が現れるのは鳥類から。それも雛の内だけ。
原始的なほ乳類のハリモグラにもレム睡眠は無い。
情報処理能力の高い高等生物だけに見られる現象だ。
面白いことにラットの研究でレム睡眠を与えないでおくと、普通より多くのえさ
を与えても体重は減少してきて死んでしまうという。

良く大学教授や会社の重役が引退するとぼけてしまったり、病気になってあれよ
あれよという間に死んでしまうのは、彼らは情報処理能力が高いので情報が脳に
入ってこないと、脳が身体に刺激を与えて病気を作ってしまうんだね。

臨床心理士の心理を分析する

イタリアの聖堂に落書きした大学生の話題をテレビでやっていて、大学生にもなって随分子供だなあと思ったのだが、その心理なるものを臨床心理学者が分析していた。
その人物が生え際もくっきり鮮やかなズラで、思わず

「ワンズラ ツーズラ スリーズラインディアン」

と歌っていたら庭仕事をしていた純子が

「何馬鹿な歌歌ってるのさ?」と言うから

「ほら、見てごらん。誰が見たってクリアーなズラだろ。」と純子に言うと

「ほんとだね。誰が見たってズラだと解るのになんで帽子なんかかぶるんだろうね。周りが迷惑するでしょ。ハゲの方がよっぽど笑いをこらえる苦労しなくて済むのに。」

と言う。
俺もこの臨床心理士の心理を分析すると

「ハゲはかっこわるい。老けて見える。女にもてない。よし!ズラをかぶろう。ほ~ら、こんなに若くなってしまったじゃないか。誰もズラなんて気づかないはずだ。これでおいらももってもて。」

といったところなのではないかと推察する。
俺も眉毛が薄いのが悩みだが、ジャイアンのような眉毛を描こうとは思わない。
ただ眉毛が薄いと、さる方面の方々と間違われてしまうという実害があるので、眉毛ズラが発売されたら買ってしまうかも知れない。
ハゲが一種の障害、病気であると社会的に認知されればハゲの方々も堂々と頭部をさらして歩けるのではないかと思う。

「私、実は頭髪に障害を持っておりまして。」

「うすうす私もそうではないかと思ってました。実は私も眉毛が病気なんです。ほら
こんなに毛が細くてまばらでしょ。」

「うすうすという言葉は禁句ですぞ。お互い病気に負けず頑張りましょう。お大事にしてください。」

「あなたもお大事に。」

というような会話が普通に出来る社会でありたいものだ。


死と性

「ミトコンドリアが進化を決めた」という本と格闘している。
著者のニック・レーンも素人にもわかりやすく書こうと思ったが、どうしても専門的になって解りづらいところがあると認めている。

原題は「POWER、SEX、SUICIDE、Mitochondoria and the Meaning of Life」

パワー、性、自殺、ミトコンドリアと生命の意味

非常に専門用語が出てきて難しいのだが、その中で興味を惹かれる部分があった。
多細胞生物はDNAや細胞に異常をきたすと細胞が自殺するというのだ。
その細胞の自殺を促すのがミトコンドリアである。
ミトコンドリアは元々太古の海の中で泳いでいた細菌であるから、猛毒である酸素から身を守るために固い外膜を持っている。
そして外膜の内側に薄い内膜が有り、その膜の内側と外側の水素イオン濃度の勾配差を利用してATP合成酵素という発電機を回し、生命のエネルギーであるATP(アデノシン三リン酸)を作っている。

ところが細胞が損傷したり、分裂が出来なくなりATPを消費できないとこの水素イオン勾配(プロトン勾配ともいう。プロトンとは水素原子の原子核でプラスの電荷を帯びている。)が少なくなってしまいATPを作れなくなる。しかしミトコンドリアの中にはATPのストックが沢山ある。そういう状態になるとミトコンドリアはストレスが貯まるのか活性酸素を放出する。
すると外膜に穴が空き、ミトコンドリアの中でATPを作るのに一役買っていたシトクロムcというタンパク質が細胞質に放出される。こいつが細胞を破壊してゆくのだ。
ところがボルボックスという初期の多細胞生物である藻なんかでは活性酸素が増えると生殖細胞が増殖するという。
つまり死を促す活性酸素が同時に生殖をも促すというわけだ。

それで思いだしたのが「風の谷のナウシカ」の原作漫画で、死を予感した虫たちが大量に卵を産み付けるシーンだ。
そうやって種を残してゆこうとする。
こういう事は動物でも、あるいは人間でもあるのではないかという気がする。
死と性というのは実は密接に結びついているのでは無いだろうか。

ちょっと思う

ある時、ミュージッシャンは反体制でなければならないという言葉を聞いた。
その根拠は良く解らない。
良く解らないがとりあえずへんてこな男だったから、まあ世の中いろんな人間が居るから
そういう考えもありかなと思った。
しかしよく考えてみると今の体制というのは先人達が苦労して作ってきた物だ。
今の色々な問題は役人という既得権益を得てきた人間が作り出している問題で、政権が変わったからといって一朝一夕に解決される問題ではない。
今の体制を破壊するのは築き上げることより遙かにエネルギーが要らない。
ゴルバチョフがソ連を崩壊させたが、プーチンは新たな独裁国家を作ろうとしている。
人間の欲望は果てしない。
「革命」なんて我々の青年時代軽々と言葉にしてきたが、革命等という物は明日食う物が無い国民がやるものだ。
そこそこ食えている国で革命なぞ起こりえない。
日本は世界第二位の経済大国で、中国みたいに金持ちと貧乏人の格差が天と地ほどある国とは訳が違う。
しかし未だに若かりし頃の幻影に引きずられている人間が居るんだよなあ。
ちゃんとこいつら食えている、、、と言うか、社会的には金持ちの部類に入るんだけど趣味みたいに権利とか人権とかわめき立てている。
自分たちは絶対安全なところに居るんだけどさ。
若い頃にすり込まれた思想はなかなか変わらない。
そいでこいつらお勉強だけは出来てテストで点数だけは取れる馬鹿だから余り苦労もしていないんだわ。
だから社会の中で苦労して得た知恵を持っていない。
自分の言葉で語れないんだわ。
未だに学生時代の頭の中の理想論を語る。
中身は薄っぺらでぺらぺらなんだわ。
でも口だけは立つし、一応大学の講師とか弁護士という肩書きだけは持ってるから、テレビなんかでコメンテーターなんかするんだわ。
騙される連中も又思考放棄してると思うんだな。
今まで自分が社会の中で生きてきた経験でマスコミが言い立てて居ることに?と感じたこと無いかい?
そいつはお前だけの意見だろう。お前の考えに俺の人生が左右されるいわれは無いぜと思うことが多々あるんだよな

検証!40年の歳月は人をどう変えるのか?!

40年前の植物園のバラ園に行ってわざわざビデオ撮って来たべさ。
全く俺も暇人だよなあ。
変わったところも有り、全然変わらないところもある。
肉体は変わったが、心はこの頃と余り変わっていないな。
この頃よりは遙かに今が幸せだし。

https://www.youtube.com/watch?v=eFUCcI006u8


恥ずかしい体験

純子と付き合う前の事だが一人で小樽を散策して、腹が減ったので何か食べようと思ったら運河のそばにレストランがあった。
札幌軟石の倉庫を改造した趣のある建物である。
入り口を入るとなんて言うんですか?中世の貴族の館の執事みたいな格好をした店員が「ようこそ○○の王国へ。」と言って手足を奇妙にくねらせてお辞儀をする。

「変なところに来ちゃったな。」

と思ったが帰るわけにも行かず、仕方なく案内されるままに席に着いた。

席について周りを眺めればほとんどが観光客の家族連れやアベックの様だった。
店の中央にはビールの真鍮製の大きな仕込み釜が据え付けられている。
ここでビールを造っている様子もないから単なる飾りなんだろうが、ずいぶんと無駄に空間を使っている飾り物だ。
店のあちこちの壁に仮面舞踏会でかぶるような西洋のお面が飾られている。

そのうち店員が大層大げさな高さ1メートルはある額縁入りのメニューを引きずってきた。
何もかもが演出過多なのだ。

「何にいたしましょう?」

と言うからとりあえずビールと簡単な食事を注文した。
待つことしばし、先ほどの店員がビールを持ってやってきて、あろうことか俺のテーブルの周囲のお客に向かって

「さあ、それでは皆さんで乾杯いたしましょう。コップを持ってください。」

等とかけ声をかけるから、みんな一斉にこちらを見てにやにや笑っている。
恥ずかしいことこの上ない。
おそらく彼らも同じ事をされたのだろう。

「おら、ただ飯を食いたかっただけなんだよ。おらが何したっつうんだよ。何でこんなこっ恥ずかしい目に遭わなきゃなんないんだよ。」

と思いながら力なく乾杯をした。

純子と一緒になってから、一度純子にもあの恥ずかしさを体験させてやろうと思い同じ店に入ってみた。
やはり同じようなセレモニーが有り、食事を終えて店を出ると

「あんた、一人でこの店に入ったの?そりゃ恥ずかしいわ。」

と言う。

環境CD

100円ショップに行ったら「環境CD」を売っていた。
曰く「やすらぎのネイチャーサウンドシリーズ3湧水 泉のささやき」
と「7渓流 早瀬の響き」だ。

さあ安らがせてもらおうとCDを覆っているビニールを剥がそうとしたが、最近の梱包はとりずらくなっているからなかなかビニールが剥がれない。
万引き予防の為なのだろうか。
安らぐどころか返っていらいらしてきたので純子にやってもらった。

「湧水 泉のささやき」 は「月山山麓湧水群など日本有数の水源地や清水にて収録」

と銘打たれている。
それで聴いてみると確かに泉が湧き出ているような音がしている。
しかしトイレのタンクのボール栓の案配が悪くて水が漏れていてもこんな音がしそうだ。

それで今度は「渓流 早瀬の響き」をかける。
「只見川水系、信濃川水系など国内有数の渓流にて収録」と書かれている。
確かに早瀬の音が聞こえる。
しかしそれが只見川なのか、信濃川なのか、近所の中の川なのか確認するすべはない。
そんな訳で一度聴いただけで放ったらかしにしているが、何かの役に立つことがあるだろうか。

名女優の引退

純子なんかもスナックのママをやっていたが、店に来る客というのはママや女の子やそこに集まってくる客が醸し出す空間が居心地が良くて来るのであって、決して器である店が良くて来るわけではない。
中には

「北緯43度03分46.24秒、東経141度21分08.06秒に置かれたこの椅子でないと地磁気の影響で俺は悪酔いするんだ!」

といった自縛霊のような客や

「この床の傾き具合や柱のゆがみ、天井の垂れ下がり具合が酔いを促進し安上がりで済むんだから、この店が無くなったら俺は飲むのを止める。」

とか言う客も中には居るのだろうが、大概の客はママが他の店舗に移ったら金魚の糞のようにぞろぞろそちらについて行く。
ママが引退することになったから誰かが2代目ママを襲名いたしました。以後よろしくお見知り置きをと、歌舞伎役者の様な訳にはゆかない。
一からやり直しで新らしい客を見つけ出さなければならない。
純子も長い間チーママをやっていて、自分で店を出した時に純子目当ての客も来てくれたからスムーズなスタートが出来た。
しかしこれが電車で行かなきゃならないような場所であれば、客もそうそうは行けない。
水商売やるにも、客が付くまで耐えられる資金力が無ければ難しいだろう。
純子は良く酔っぱらうとしなを作って「あたしは女優よ。」と言うが、店は舞台でありママは女優なのだ。
名女優が引退した場合、他の誰かが同じ店を同じ名前で引き継いだとしても、それはもう別の空間なのだ。
引き継ぎが上手く行くケースは母と娘が二人で経営している場合だろう。

ゴールデンウィークはこう過ごす!

今日も家族風呂に行く。
今日の家族風呂は浴槽が広くて足を伸ばせるし、二人で入っても余裕の広さだ。
今年もゴールデンウィークは何処へも行く予定もないし、行けないのでちょっと計画していることがある。
張碓のビートたけしの元別荘の隣の、海に面した高台に「Perry Goule」というモーテルがあるのだが、ここの風呂が最高なのだ。
ジャグジーで浴槽が広いし、窓からは海が見える。
風呂上がりにタオルのガウンを着て、ベランダに置かれた椅子に座り海を見ながらビールを飲めば

「WIND IS BLOWING FROM THE AEGEAN♪」

と、地中海気分を味わえる、、、様な気がする。
夜景も石狩港辺りの灯りが見えるし、部屋も綺麗だし、食い物、飲み物も色々あるし、観光地の温泉に泊まることを思えば遙かに安い。
部屋は色々あるがあまり景色の良くない部屋もあるから、多少高くてもいい部屋を選ぶつもりだ。
「何でそんなこと知ってんだよ。」とおっしゃるあなた、何を隠そう、私は日本モーテル研究会の会員なのです。
日本全国のモーテルをまわってミシュランの様に星を与えている。
そんなの聞いたこと無いって?そりゃそうでしょう。俺も初めて知ったくらいだから。

純子前方後円墳化する

ある日純子が前方後円墳になっているのに気がついた。
仁徳天皇陵などを見ると前方と後円の繋がる両脇に小さなふくらみがある。
純子もジーパンの腹の部分に左右にふくらみがはみ出ている。
それを純子に言うと

「な~に言ってんの。これは愛嬌。完璧な女ってつまんないしょ?美人で、スタイルが良くて、料理が上手くて、こんな嫁いないよ。それともあんた何か文句があるのかい!?」

と言うので

「ございません。」

と言うしかない。

純子は顔が小さいから太ってもあまり目立たない。
足も綺麗でお尻も上がっているからジーンズが似合う。
ユニクロでジーンズを買って家の中でモデル歩きをするので

「似合うねえ、そろそろユニクロからモデルの依頼は来ないのかい?」

と言うと

「そうねえ、そろそろ声がかかると思うんだけど、ほら、私もスケジュールが詰まっているから。」

と言う。

「そうだよな、寅壱のニッカボッカーのモデルもしなきゃなんないしな。」

「寅壱」というのは作業服のメーカーで、鳶の間ではここのカラフルなニッカーボッカーがおしゃれなブランド品なのだ。

http://www.1up-uniform.com/kantotobi-4/pages/00-2.html

「おうっ!そうよ!なんせあたしゃ親方だよ。」

新しく来たバイトの子は純子を親方と呼んでいるのだ。

仕事柄温泉にも行けないので、家族風呂なら温泉気分を味わえると思い家族風呂に行った。
久方ぶりに純子の身体を離れた距離から眺めてみるとずいぶんと厚みを増した。
最近身体のラインが隠れるような服を着ていたから、中身がこんなになっているとは思いもしなかった。

「純ちゃん、そろそろミシュランからもモデルの依頼が来るかも知れないね。
タイヤの人形の方のさ。」

「あんた、死にたいのかい!」

といった会話が有り、純子もそれなりに太り始めたことを気にしているらしい。
一緒になった頃はすごく痩せていたのだ。

それである日ツリーチャイムに行ったら、悦子ママが夏の野外ライブまでに痩せようと企てていることを聞きつけた。
それを聞いた純子はめらめらと対抗心を燃やし始めた。

「私だけ置いてきぼりにされるのは嫌!」

と早速ダイエットを始めた。
本屋に行ってカロリーが低く、量は普通の料理の本を買ってきた。
それを一緒に食べている。
俺も又、少し危ない体重になりかけている。
ルビコン川を渡りかけており、これを越えると一気に行ってしまうのは経験上知っている。
4年前暑い夏が続き庭のトマトが豊作だった時は、食事は3食トマトだった。
これで一と月あまりで5キロ体重を落とした。
体調はとても良かった。
「トマトが赤くなると医者が青くなる。」という諺通りトマトは健康に良いようだ。

それで純子の体重がどうなったかというと、さっき量ったら1キロ痩せていた。
3日で1キロなら良い方では無かろうか。

ベアリング

戦争が起こった時、一番最初に攻撃目標になるのはベアリング工場だそうだ。
ベアリングは航空機にも船舶にも自動車にも、ありとあらゆる機械に使われており、これがなければ動かない。
ベアリングはBEARINGと書く。
BEARとは支えるという意味で同時に耐えるという意味もある。
荷重に耐え、錆に耐え、埃に耐え、寒さや熱にも耐えながらベアリングは回転軸を支えているわけだ。
ベアリングの基本構造は15世紀のレオナルド・ダビンチのスケッチに描かれており、それを再現した模型もある。
大凡は現在のボールベアリングに近い。
ボールベアリングの構造は外輪と内輪、その間に嵌っている何個かの鋼球と、鋼球の位置が動かないようにする保持器で出来ている。
あと内部にゴミや水が入らないように金属やゴムのシールで蓋をしたりしている。
ボールベアリングの他に、球の代わりにコロを使ったロールベアリングやニードルベアリング等様々な軸受けが用途によって使い分けられている。
歯医者で使うエアを使って歯を削る道具にもミニチュアベアリングが使われている。この軸は一分間に40万回という超高回転で回り、それを支えるミニュチュアベアリングは軸ぶれを1ミクロン以内に抑えている。それによって治療の痛みを軽減している。
日本のベアリング製作技術は非常に優れていて、アメリカのロケットやミサイルの姿勢制御をするジャイロに使われているミニチュアベアリングよりも、日本製のビデオデッキの回転ヘッドを支えるベアリングの方が遙かに精密で軸ぶれが少ない。
おそらく北朝鮮のミサイルにも使用されているのだろう。
自然界に回転軸を持つ物はほとんど無い。
しかし鞭毛モーターの軸部にはベアリング構造があるらしい。
もっと小さな、ミトコンドリアの中でATPを作っているATP合成酵素も回転軸を持っているからベアリングがあるのかも知れない。

戒名

えくぼに行ったらママが孫のR太の事を

「ねえ、すがちゃん。R太だらほんっとに変な子なんだよ。」

と言う。

何でも家族で100円ショップに行ったら

「ちょっと欲しい物があるから。」

と言って一人離れて行ったのだが、買ってきた物がお経のCDで、帰りの車の中で早速そのお経のCDを聴いていたのだと言う。

「あれは絶対爺ちゃんの影響だね。」

と言う。

小さい頃何時も爺ちゃんがひい爺ちゃんの仏壇に向かってお経を唱えている脇で一緒に訳もわからず唱えていたのだという。
それで帰ってきたら早速延長コードでカセットデッキを仏壇の前に持ってきてお経のCDを鳴らし、それに合わせて一緒に拝んでいたという。

「将来は坊さんだね。そしたら家の婆さんが目出度く大往生した暁にはR太にお経を唱えて貰って、ついでに戒名もつけて貰おうと思うから伝えておいて。一応婆さんの性格を言うと『悪たれ』だから。」

とママに言っておいたらR太は

「ちょっと考えておく。」

と言ってそれ以来いろんな戒名をこねくり回しているようだ。

R太。時間はたっぷりある。
我が家の婆が死ぬ頃にはR太は高校生か大学生になっているかも知れない。
もしかするとプロの坊さんに、、、嫌、それはまずい。
その時には是非とも格安にお願いね。

頭でっかち

土浦って千葉だっけ、茨城だっけ。
無差別殺傷事件が起きたけれど、こういう事はまま、起こるのだけれど、精神鑑定で無罪になってしまうことが多くて腹立たしいんだわ。

気が狂った振りをして気にくわない人間を殺したら無罪なんだろうか。
覚醒剤やって人を殺して無罪になって、堂々と社会復帰したヤクザもいた。

この国は国民の生命と財産を守るつもりが無いのだろうか。
我々が税金を払っているのは国民と国家の間の契約で、国は国民の生命と財産を守る、代わりに国民は国家を維持するために金も、時には生命も投げだそうという事なのだと解釈しているのだが。
国に対する権利と義務、その権利ばかりが主張され、義務に関して何も言われない今の状況というのはおかしい。
又人を殺しかねない人間を野放しにしている今の状況というのはおかしい。

犯人にも心の闇があってそれを解明しないとこういう犯罪は無くならない、なんて、田嶋陽子がどこかの新聞やテレビで言ってたような事を吐き散らすが、犯罪者の心の闇なんかどうでも良いんだよ。
それより自分の命を守ることが大事なんだよ。
そしたらおめえ刃物持って襲いかかろうとしている相手に向かって「あなたの心の闇を伺いましょう。」なんて言うのかよ。

偽善者、頭でっかち。
この手の頭でっかちの人間が多すぎる。
どこかの新聞やテレビで言っていた事をそのまま自分の意見の様に言う奴がさ。
それが誰かの言葉をそのまま言っていることにも気づいていない。

リンドバーグの証言

我々は現在の価値観で歴史を見てしまいがちであるが、太平洋戦争当時、白人にとって有色人種は劣った生き物としか思われていなかった。
アフリカもアジアも欧米諸国の植民地にされてきた。
日本も欧米露の侵略に怯えていた。弱肉強食の時代だったのだ。
日本が独立を保てたのは江戸時代からの教育の高さだと思う。
現在の視点で過去を振り返るのは歴史を見誤ることになる。

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm

愛の定義

昨日アンテレでライブがあったのだが、純平おじさんが「カタカナの歌を歌います。」と言うから何かと思ったら、アメージング グレィスだったのさ。
ついこの間まで夕方「白い巨塔」をテレビでやっていて、そのテーマソングになってたんであのドラマのことを考えてしまった。

医者とて人間。
野望もあれば、ミスもする。
人に「完璧」を求めるのは土台、無理なんだと思う。
「完璧」などというのは神だけがなし得ることだ。

最近「神」という物と「宇宙意志」という物は違う物だと気がついた。
「神」というのは人間の心の「こういう人間であったら」あるいは「こういう存在が居たら」という願望が生み出した幻に過ぎない。
それは高度に発達した大脳皮質が生み出した幻影だ。

一方宇宙意志はそんな人間の願望とは関係なく「生命よ。宇宙に満ちろ。」という意思を示しているように思えてならない。
だから時には生命に対して容赦がない。
生き残る事が出来ない弱い生命はどんどん淘汰されてゆく。
今の国際情勢を見ても力が弱い物は強い物に食べられていっている。

人間の欲望というのは突き詰めれば自分が生き残りたいという生存本能、次に来るのが自分の生きた証を残したいという生殖本能だと思う。
この本能にいろんな欲望が派生して、苦悩したり葛藤したりして四苦八苦という状況が生まれてくるのだと思う。
この生存本能と生殖本能というのは宇宙の「生きなさい」という意志から来ている物だと思う。

しかし「神の愛」といった形のない幻想は大脳皮質が生み出した物だ。
恋愛と言うが、俺の定義では「恋」は動物の交尾に近く、愛は「神の愛」に近い物だと思うんだわ。
「恋」と「神の愛」の入り交じったグレーゾーンが恋愛という現象なのでは無いのかと。

はっきり言って俺はチョコに(近所の猫ね)愛されてます。
この間も何ヶ月ぶりかで遊びに来たんだけど、可愛がって貰いたいと、言葉では言えないから全身で表現してました。
そのけなげさが愛おしくて、ずっと撫でてあげてたんだけどね。
考えて見ればこの間動物には愛という概念が無いと言い切ってしまったけれど、訂正します。
動物には「神の愛」は無いけれど、グレーゾーンの愛という物はあるのだと。
そして一般的に言われている「愛」という物は、このグレーゾーンで発生している出来事なのだと。

愛の概念

愛と云うのは「神の愛」とか云われるが、太陽の光のようにただ降り注ぐだけだ。
こういう「愛」というのは肉体を持った人間が他人に惜しみなく与えるのは難しいのでは無かろうか。
母親が子供に注ぐ愛が、一番それに近いかも知れない。
愛は無償の物であり、与えるだけの一方通行で、恋愛は見返りを求める。相手にも愛を与えてくれることを求める。
そこで起こる様々な葛藤が恋愛と呼ばれる事象であり、芸術作品のテーマになるわけだ。
生存本能に続く激しい感情だ。

愛という概念は大脳皮質の産物だ。
人間だけが愛という形のない概念を生み出した。
動物は恋はしても、愛する事は出来ない。
飢えている他の動物の為に自分の肉を差し出すことが愛というものだと思う。
しかしそれで生き残った動物が又飢えた時に、又運良く自分を差し出す動物がいるだろうか。いや、むしろ他の動物の死をもって自分が生き残るとしたら、むしろ餓死するのが愛というものだろう。
しかしそんなことを続けていたらその種は滅びてしまうだろうし、生命は地球上に存在しなかっただろう。

自然界の掟は弱肉強食であるからこそ今まで生命が生き延びてこられたのだ。
人間の脳は地層のように大昔の生き物の脳に増築を重ねて出来ている.
そして一番上に大脳皮質という物があり、こいつが形のない概念を生み出している。

「こんな事は人としてやってはいけない。」

と言う規律や道徳を作り、脳の深部からわき出してくる動物としての衝動を抑えつけている。
愛に似た行為をした記録を、昔の事を書いた書物や映像で見ることはあるが、それを愛と言えるのかどうか俺は疑問に思うんだな。

ジョン・レノンが良くLOVE&PEACEって歌ってたけど、それって本当に愛だったのかと思う。
自分の肉を差し出す覚悟はあったのか?と訊きたい。
今この歳になると愛とか平和という言葉がとっても重たくなってきて、軽々しく口には出せないと思う。

「君たちの言ってる愛って恋愛のことじゃないのかい?」

ミトコンドリア LOVE!

細胞というのは増殖もするが自殺もする。
傷ついたり染色体に異常を起こした細胞は自らを破壊して周囲の細胞の栄養となる。
細胞に自殺するメカニズムが組まれているから、ガン細胞が生まれても増殖して癌になったりしないのだ。
個体発生は系統発生を繰り返す。
胎児の頃人間の手には両生類のようなひれがある。
指の間の細胞が自殺することによって指が出来る。
ドラえもんの手の様なところから指が生えてくるのでは無いのだ。
海中生活をしていた動物が陸に上がった時に、何世代もかけてひれの細胞が死滅していって指になった事を
子宮の中で短時間で再体験しているのだろう。
この細胞の自殺に関してはミトコンドリアが鍵を握っている。
地球の生命は古細菌、細菌、原核生物の三種類に分別されていて、
この他にウイルスなどと云う生命とも言いがたいものもいるが、こいつは意外と後になって出てきたものらしい。

ミトコンドリアというのは元々古代の海中に泳いでいた細菌だった。
それが古細菌であるメタン生成菌に食われたか、あるいは食おうとして逆に取り込まれ、そのうちそれが居心地が良かったのかメタン生成菌の中で共生をし始めた。
いつでも寄生主で有るメタン生成菌を殺すメカニズムは持っていたのだろうが、それをしなかったのはお互いに利益が有ったのだろう。
古細菌は食物を取り入れミトコンドリアに供給することにより、ミトコンドリアが酸素を利用して作るATP(アデノシン三リン酸)を得、ミトコンドリアはメタン生成菌の中で食料を自分で取り入れる面倒もなく手に入れることが出来るようになった。
ヤクザなひもみたいな奴なんだな。
ところが女の方もしたたかで

「あんた、生活の面倒はみてあげるからATPだけよこしな。」

と言ってDNAの大部分を自分のDNAに取り込んでしまって自活する能力を奪ってしまった。
残ったのは酸素を利用してエネルギー源であるATPを作るDNAだけで、自己複製能力を持たない宦官みたいな存在に仕立ててしまった。
しかしひもであるミトコンドリアも姐さんの言うことに従いながらも、いつでも姐さんを殺す能力は残している。
そのうち姐さんは会社を起こして繁盛し多細胞生物となってゆくのだが、
ヤクザなミトコンドリアも番頭さんに仕立て上げられて責任有る立場になると、会社にとって害になるものは排除しなければならない。
そこでヤクザだった頃の非情さが役だったんだな。

「お前は死んで良いよ。いや死になさい。」

と言って配下のミトコンドリアに死の指令を出す。
すると奴は細胞自滅のプログラムを実施して母細胞諸共自殺してゆく。
ミトコンドリアって中間管理職の悲哀を感じさせる奴なんだな。

受精の長い困難な旅

昔放映されたNHKスペシャル「人体・生命誕生」を見る。
一度に放出される精子の数は3億、その中のたった一個だけが受精できる。
精子が卵子に向かってゆく様子は、鮭が産卵のために群れをなして河を遡ってゆく様子にそっくりだ。
精子の卵子への旅にはいくつもの関門が待っている。
まずは子宮の入り口にある粘液に通路を作らなければならない。
先端にある酵素を使って粘液を壊してゆく。
それだけでなく鞭毛をむち打たせながら頭を振り、ねじ込むようにして侵入してゆく。
力尽きて死んでゆく奴がいる。
粘液にいくつもの精子の筋が出来てゆく。

これは3億の精子の共同作業で、この様子を見れば精子の数が少なければ受精出来ないことは一目でわかる。
スコップひとつ持って人海作業で山にトンネルを掘るような物だ。
粘液を越えて子宮に達したときは精子の数は3000万程になってしまう。
死屍累々だ。中には要領が良くて、誰かが路を造ってくれたところをちゃっかり通ってゆく奴もいるのだろうか。
子宮を遡り卵管の出口の粘液を越え卵子に達した時には、たった100個ほどになってしまう。
卵管の中で精子が来るのを待っている卵子は神々しい。
このたった一個の卵子も又数百万個もある卵細胞の中から選ばれて成熟細胞になったミスユニバースなのだ。

100個ほどの精子が卵子の膜を破って中に入ろうともがいている。
一個の精子が膜を破って頭をつっこんだ途端受精膜が周辺から広がって行き、他の精子はもう中に侵入できない。
精子は鞭毛を用なしになったロケットブースターを切り離すように捨てて、先端のDNAを包んだカプセルだけになってしまう。
鞭毛基部には酸素を使ってエネルギーを作るミトコンドリアがあり、ミトコンドリアDNAを含んでいるが、
ここで切り離されてしまうから男のミトコンドリアDNAは子供には伝わらない。
そして卵核の中にDNAを放出して精子の長い旅は終わる。
精子と卵子それぞれのDNAは互いに絡み合うように接触し一部分を交換する。
それで子供はどちらの親の形質をも少しづつ受け継ぐことになる。
そういう生命誕生の神秘なビデオを純子と見ていると

「あんたの精子は駄目だね。びっこひいてるし、お互いに『お先にどうぞ。いえあなたこそお先に。』って譲り合うと思うよ。」

と言うので「うーん、確かにそうかもな。」と思う自分が寂しい。

我が家のパンドラの箱

実は私CDを作ったことがあるんです。
そうプレス機でプラスチックをドーナツ型に打ち抜いて安い手間賃で一日千枚ほど。
内職が終わると屋台でおでんを肴に焼酎をコップに一杯ほど飲み干すのが唯一の楽しみで、後は泥のように眠り込む毎日で、、、って、

そうじゃなくって、なんと歌を吹き込んだんですね。

そう、どろどろに溶けたガラスを筒の先につけて、るつぼの中でくるくる回し、歌いながら息を吹き込むとだんだん膨らんで風船のようになり、へらを先端に差し込んでくるくる回すと風船が破れて、封じ込められた歌が流れ出す。
そして綺麗な形のグラスができあがっている、という事では無いんで、オリジナルCDをレコーディングしたことがあるのです。

お前の歌った歌なんていったい誰が聴くんだい?
騒音をまき散らしてるだけじゃないのかい?と言う諸氏、おっしゃることはごもっともでございます。
しかし、しかしでございます、
もしかすると公園でフリスビーの様に投げれば愛犬が大喜びで走って行き、空中で咥えて走り帰り、しっぽがちぎれんばかりに尾を振って得意げに主人の顔を見上げるかも知れない。
あるいは鍋の下敷きに利用できるやも知れぬ。
ベランダに吊したらカラスよけになるかも知れない。
宴会で頭の上に針金で浮かせて

「迷える子羊たち、汝らの悩みを打ち明けよ。」

と身の上相談をしたら女子社員に受けるかも知れない。
こんな物でもそれなりに役に立つことがあるかも知れないではないか。

そもそも事の発端は三好ちゃんが

「俺が曲を作るから、すがちゃんCD作ってみないかい。」

ということだった。
まあ話の種に作ってみるのも良いかと思って承諾したのだが、その頃或るお馬鹿な男が主催するイベントに、騙されて参加することになって、寝る暇もない忙しい日々を送っていたから、それが終わってからねということでとりあえずその話は忘れていた。
するとある日三好ちゃんが曲が出来たからと言ってギターを抱えてやってきた。
そして我が家で歌ってくれたのだがどうもメロディが良くわからない。
その時は歌詞カードとCDかなんかを置いてゆき
「練習しといて。」と言って帰って行った。
それで何度か歌ってみたのだが、どうも抑揚のない曲調なのでさっぱり覚えられない。
次第に念仏を唱えているような気分になってくる。
それですぐに諦めてほったらかしにしていたら、後日三好ちゃんがやってきた。
それで「覚えた?」と聞くから、丁度純子が買い物に出かけていたので

「なんか念仏唱えてるみたいだって純子が言ってました。俺はなかなか良いと思うんだけどさ。」と言ったら

「そっか、それじゃやめようか。」

ということになって、やれやれと胸をなで下ろしたのだった。

しかし事はそれでは終わらなかった。
レコーディングスタジオを経営している三好ちゃんの友達の古川さんが作曲をしてくれたという。古川さんはプロの作曲家で有名なCMソングも作っている人なのだ。
それで又三好ちゃんが古川さんが吹き込んだ三好作詞、古川作曲のCDを持ってきたのだ。
それで「こんなにお膳立てされたらやらずばなるまい。」とは思ったのだが、何せその頃
イベントの準備に追われていたから、それが終わってからね、ということで先延ばしにしていた。

そしてイベントもいい加減な主催者の馬鹿男の勝手な振る舞いにより美事失敗に終わり、本格的な夏が来た。
そして古川さんからも

「何時やりますか?○○日なら空いていますけど。」と催促が来たので

「いよいよ腰を据えてやらざるを得ないか。」と思い、その日から車での移動中にCDをかけながら練習をしていた。しかしどうもキーが合わない。1オクターブ高くすると高音が出ないしそのまま歌うと低すぎてつまらない歌になる。
それで古川さんにその旨伝えると

「大丈夫です。気合いで声が出ます。」という。

どうもキーを直すのが大変らしい。

それで仕方なくそのキーのまま録音当日となった。
酒を飲まないと声が出ないからとビールを録音室に持ち込み、喉を潤してからレコーディングを始めた。
何小節か歌うと古川さんの駄目出しが入る。

「そこはフラットで歌ってください。」とか言われて

「ふらっとって何だったっけ。昔音楽の時間に聞いたような、、、、。」

とか考えている内に

「さあ、それじゃやりましょう。」と音楽が鳴り始め、あわてて歌い始めると又駄目出しが入り、歌う場所はガラスで仕切られた密室であるため冷房が効いているはずなのに汗が流れ始め、まるで己の姿を見て脂汗を流す蝦蟇状態であった。
最後は古川さんもあまりに出来の悪い歌い手に諦めたのか

「それじゃあ一小節づつ歌ってください。後でつなぎますから。」

と言ってくれて何とか録音し終えた。

その後CDが出来たというので聴いてみると、我ながら穴があったら入り込んでマントルまで潜り込んでしまいたいくらいの出来であった。

「これはいかん。こんな物を他人に聴かれたら末代までの恥。」

と銀行の貸金庫に封印し、

「我が家のパンドラの箱で、開けると災いをもたらすから決して開けるべからず。」

と遺言状をしたためた。

しかし純子は

「あんたが死んだらみんなに香典返しとして配るからね。」と言う。

そしたら

「それは聴きたいなあ。早く死んでくれないかなあ。」と言う人もちらほら。

なんなんだか

生命って何なのだろうと最近よく考える。
肉体なんて弱い物だ。
肉体を壊すことなんか簡単にできる。
病気であったり事故であったり自殺であったり。
呼吸を止めればすぐ死ぬ。
パソコンを大ハンマーで叩けば機能しなくすることは簡単にできる。
時々フリーズしたりはするが大体は正常に機能を果たしている。
それと同じように肉体も宇宙の意志が上手く機能するように作り上げてくれていて、こうやって物を考えたりしているのだと思う。

しかし何故宇宙に生命が生まれてくる必要があったのだろう。
ビッグバンで生まれた宇宙には当初水素とヘリウムとせいぜいリチウムくらいの軽い元素しかなかった。
鉄までの元素は恒星の核融合反応で恒星の中で作られた物だ。それ以上重い元素は太陽より重い恒星の死の瞬間、超新星爆発の超高温、超高圧の瞬間に生まれた物で、現在地球にウランなどの鉄より重い物質が存在するということは、地球や太陽を作った物質は超新星爆発のゴミから再生されたということだ。

我々の身体を流れる血液には鉄が含まれている。
これは太陽の材料になった昔の太陽のかけらだ.
従って我々は宇宙の子供で、我々の肉体は宇宙を内包しているということになる。

宇宙意志はビッグバンの後水素を集めて恒星を作り、核融合反応で肉体を作る材料を黙々と作っていった。
生命活動の一切無い世界でだ。
そして恒星の死によって現在の地球上にあるすべての原子を作った。
いくつものドラマを経て宇宙意志は人類を作った。
そして我々は創造主の意図に思いを巡らす。

何故宇宙意志は、人間にとって気の遠くなるような時間を使って、生命を生まなければならなかったのか。
一切生命の存在しなかった第一次の宇宙を何故せっせと作り続けたのか。
第二次以降の生命の存在する宇宙の為の基礎作りだったのか。
そんな、再来年の収穫のために今年はせっせと土作りをしよう等ということを宇宙意志は思っているのだろうか。

もしかして本当にそうなのかも知れない。
この宇宙の年齢、137億年というのは宇宙意志にとっては一瞬の出来事なのかも知れない。
ましてや我々個々人の生なんて我々が細菌の生活に思いを馳せるようなものかも知れない。

細胞には自殺プログラムが組み込まれている。
致命的なダメージを受けた細胞は、他の仲間達のために自殺するのだ。
そのプログラムの壊れたものが癌で、仕舞いには宿主自身を滅ぼしてしまう。

我々のはかない命は壮大な宇宙意志のプロジェクトの捨てコマなのかも知れない。
決して宇宙意志にとって我々人類が最終製品では無いんじゃないかなと思う。


ハゲからの生還 育毛・発毛大作戦!

なんていう題名のメールが来て迷惑メールとして削除しようと思ったのだが
「たかが禿で生還は無いだろう。大げさだな。」と思いリンク先に行ってみた。
意外とまじめなHPで、読んでみると本人も若禿に悩み色々試したのだがどうも上手く行かず、結局自分なりに編み出した方法で毛が生えてきたという。
それでそのノウハウを本にして28000円くらいで売っているらしい。
まあこれくらいの値段であれば禿に悩む人は試すのも良いかもしれない。
我が家は禿の家系ではない。
叔父などは未だに白髪が無くふさふさしている。
体毛は男性ホルモンが多いと毛深くなるし、髪の毛は女性ホルモンが多いと良く生える。
俺が体毛が薄いのは男性ホルモンの不足だと思う。
これは母親の血を受け継いだからだろう。
天然パーマのところもそっくりで、髪が伸びてくるとあっちへ飛び出し、こっちで飛び出し、おまけにぐりぐりが二つある物だから頭のてっぺんの毛が立って妖怪アンテナ状態になる。
眉毛の薄いのも困りものだが、頭部が希薄なのも悩む気持ちはわからないでもない。
しかし側頭部に残ったわずかな頭髪を、伸ばしに伸ばして頭頂部で渦を巻かせているようなのは潔くないのではないか?
ユルブリンナーははげていたのではなく、わざと剃っていたらしいが、実に格好の良い頭であった。
ああいう風になればファッションみたいな物で、中途半端なズラよりもずっと良い。
明らかなズラは視線のやり場に困ることがある。
以前我が家に来たセールスマンはコントで使うような明白なズラだった。
それで視線を頭に向けず顔を見ると眉毛も焼き海苔をはったように塗っていて、さらに目のやり場に困ってしまい、口元だけを見つめて耐えていた。

語り足らず

「えくぼ」のママが良く孫のR太の事を「あの子ほんとにジジ臭いんだよ。」と言っていた。
何かをしてあげようとすると

「あ~~いゃいゃいゃ、、そんなことをしてもらっては、、、。」

と手を顔の前でひらひらさせながらいうのだそうだ。
まるで喫茶店でおばさん達が

「あーら奥さんそんなことまでしてもらっては、、、ここは私が払いますから。」

「いえいえ奥さん、私が誘ったんですから、、。」

と勘定をどちらが持つかと取り合っている様な口調で物をいうのだそうだ。

R太の興味は次々と移り、今は鉱石に興味を持っていて付録に鉱石が付いてくる雑誌を買っているという。
それで手稲鉱山から出てくる手稲石が見たいと言っていると言う。

「手稲石なら『地図と鉱石の山の手博物館』に展示してあったよ。よーし明日でも連れて行って上げる。」とママに言ったら、

「へぇー、そんなとこあるの?それは喜ぶわ。」

ということになりR太に話してみると言う。

約束の日純子の携帯が鳴った。出てみるとちょっとたどたどしく、

「すがぬま?俺R太だけど、、。」とR太だった。

「おいおい、呼び捨てかよ。」と純子は思ったが、滅多に大人に電話することも無いだろうから話し方がわからないのだろう。
学校から帰ってきたと言うのでこれから家まで迎えに行って上げると言うと、

「あ~~いゃいゃいゃ、、それは悪いよ。」

と遠慮する。
丁度お母さんのひろのちゃんも帰って来たところらしく「家まで連れて行きますから。」
と言うが、こちらも家に帰る途中だったので途中で拾って行くことにした。
R太を車に乗せるとひろのちゃんが入館料を払おうとするから、安いからいらないと断った。
事実大人が200円、子供は100円なのだ。

他人様の子供を預かっているわけだから、万が一にも怪我をさせることは出来ないと緊張しながら
運転し博物館に着く。
入り口のドアの周辺にも珍しい石があってまずそこで引っかかってしまっていて、入館料を払い終わって
入ってくるのを待っていても一向に入ってこない。
呼びに行ったらすでに目を輝かせて石を見つめて「はぁー、すごいねえ。」とか言っている。
そこからのR太は砂糖壺の中に入った蟻、チーズ蔵のネズミ状態だった。
あんまり喜んで居るので館内で売っているお土産用のアンモナイトの化石や、きらきら光る石を買って上げると純子が言うと

「あ~~いゃいゃいゃ、、連れてきてもらっただけでも悪いのに、お金まで使わせてそれは悪いから。」

と手を顔の前でひらひらさせて言う。

本当にママの言うとおりだなと思って館員の女性に

「この子おばさんみたいでしょ。」

と言うと彼女は苦笑して

「これは石が好きな人にあげて欲しいと寄贈された物ですから好きな物を持って行ってください。」

とペットボトルに入った瑪瑙をカウンターに広げて見せた。
R太はこれまた申し訳なさそうにひとつだけ選んだ。

何でそんなに遠慮するのかなあ。
自分たちが子供の頃、大人が何か買ってくれると言うんだったら喜んで甘えたよなあと二人で話す。
きっとそう出来ない事情があって、R太のとっちゃん坊やの性格が作られたんだろうなと思う。
R太が幼い時にひろのちゃんは前の亭主と離婚した。
R太はお父さんも好きだったからその後もお父さんに会いたがった。
でもお父さんはもう新しい家庭を持っていてR太に会うことは出来ないという。
R太はずっと泣き続けたが、子供なりに考えたんだと思うんだよな。
出した結論が

「大人に頼っちゃいけない。大人は信用できない。」

でもひろのちゃんも、婆さんも愛情を目一杯注いでくれる。
ここが運命の分かれどころで、下手をすると破壊的衝動に駆られてゆく場合もあると思うんだよな。俺は。
でもR太は目一杯愛情をもらった。だからR太は、

「信用できない、でも裏切っちゃいけない。」

と思ったんじゃないかなと思うのさ。
勿論本人も意識しない所でさ。

そんなわけでR太はただでもらった瑪瑙だけを持って帰ってきたのだが、後でママが言うことには

「婆ちゃんね、石を売りつける女の人がいたよ。」とか、

「すがちゃんのおばさんお金持ちなんだって。」とか言っていたらしい。

これはR太があまりに遠慮するので純子が「おばちゃんねお金持ちなんだよ。」と言った為らしい。
金持ちって言ったって高々千円くらいの物を買うには金持ちだと言うことなのだが、子供にとっては千円は大金なのだろう。
お正月に遊びに来たらお年玉上げようと思っていたのに来なかったから、せめてと思ったんだけどね。

それでもそこに行けた事は嬉しかったらしく、その後又すぐに家族で行ったらしい。
貯金の中から千円を握りしめて行き、買ってあげようとした例の石を買ったらしい。
やっぱり本当は欲しかったんだ。
でもああいう子だから遠慮したんだろうな。
純子が

「今度あの子に何かあげようとするときは言葉を考えなきゃいけないね。上手く遠慮しないで済むように言ってあげないとね。」

と言う。

テラへ

増設したハードディスクが一杯になってまたもや増設する。ヨドバシに行ったら外付けのハードディスクが安かったので、内蔵はやめて外付けにした。カメラを買ったときのポイントが貯まってたのでわずかの追加料金で済んだ。
ポイントがあったなんてすっかり忘れていたよ。
流さないで良かった。
これで我が家のパソコンもテラバイトに突入した。
「地球(テラ)へ」なんていう漫画なかったっけ。
響きが何となくうれしくて「ようこそテラへ、クッククック~♪」等と歌い出しそうになる。
ギガなんて柔道やってるいがぐり坊主みたいな響きで、それに比べてテラなんて如何にも温厚な禿頭の爺みたいじゃないの。
「いやーなにね、何せ我が家はテラなもんで。」と自慢しそうになる。
「ああ、お寺さんだったんですか。ばあさんの葬式のときは戒名をぜひ格安で。」などと頼まれそうだ。
それにしても動画を貯めとくとあっという間に一杯になってしまうなあ。少し整理しなけりゃいかんなあとは思うのだが、中々捨てられない。ゴミでも何でも貯め込んでおいて捨てることの出来ない整理下手の主婦のようだ。
純子がパソコンの事に詳しいのなら
「あんた、足りなくなったって言ってすぐ増設しようって言って、捨てるって考え思いつかないのかい?」と呵られるのだろうが、不案内で良かったわい。
4.3ギガしか記録できないDVDは家庭用ビデオでもハイビジョンで記録できる現在では時代遅れだ。
ブルーレイが今後の記録メディアになりそうな気配だけれど、早く安くなって欲しい。
技術開発ってのは進んでるんだけど、それが一般家庭に広がるまでって時間がかかるんだよね。
今NHKで開発しているスーパーハイビジョンって奴はハイビジョンの16倍の画素数を持っていて、ここまで行くと70ミリ映画も真っ青の臨場感を味わえるらしい。
20年後くらいには我が家にもやってくるかな。
その頃には自分が居ないかもなあ。

頂点

何故か山口百恵のCDを買う。

「何で今頃?」と問われれば「良い物は良い。」と答える。
百恵のファンだというわけではなく、いくつかの曲が聴きたいと思ったのだ。
そのほとんどは阿木、宇崎の作詞と作曲だ。
中でも好きなのが「横須賀ストーリー」

「急な、坂道駆け上った~ら~♪今も海が見えるでしょ~~うか♪」

このフレーズが想像力をかき立てる。

阿木燿子の感性って良いんだよなあ。

百恵にとって阿木、宇崎に巡り会えたのは幸福な事だったと思う。
上手くアイドル歌手から大人の実力派にステップアップ出来たからね。
最後の頃は「山口百恵は菩薩である。」なんて本も出ていたなあ。
自衛隊の中の居酒屋で飲んでる時百恵の歌が流れてきて「この人は死んでしまうのでは無いだろうか。」と感じたことがある。
すごい高みにまでいってしまっていて、「ここから先どうするの?」と思った。
その後引退してしまって二度と歌うことは無くなってしまったけれど、もう歌い尽くしたんだろうな。

横尾忠則がダンテの「神曲」をモチーフにした絵を描いて居た頃に、柴田練三郎が何かの挨拶で横尾忠則の紹介をして「この人はもうすぐいなくなる人です。」と言ったらしいが、あの「千年王国シリーズ」を描いていた頃の横尾忠則ってのは自分の中の頂点に立っていたと思う。
その後すぐに柴田練三郎は亡くなって、横尾忠則はエッセイの中で

「もしかしたら自分の死期を感じてそういう言葉が出たのかも知れない。」と書いていたが、そうでは無いと思う。
あの時期の横尾の作品は「これ以上何処行っちゃうの?精神だけになっちゃうじゃないの。」と思えるようなもので、その後油絵に転向したけれどあまり話題にはなっていない。
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居るよなあ、そういう奴

純子が一人で飲みに行くとラーメン屋の親父が居た。
元気が無いので訊いてみると奥さんの具合が悪くて脚がしびれているらしい。
症状から思うにヘルニアの様だ。
親父も俺が手術をした後で椎間板ヘルニアの手術をしていて、ヘルニア仲間なのだ。
親父は小柄でごろんとしていて、60は過ぎているのに今でもボクシングのトレーニングをしているくらいだから、頑丈そうな身体をしている。
色の黒いジャガイモを彷彿させる。
奥さんはとても綺麗で上品な人で、親父はこの奥さんが大好きなのだ。
何時も二人で飲みに来ているのだが、たまに一人で飲んでいる時がある。
そういうときは機嫌が悪い。
「もう離婚だ。」と子供の様に怒っている姿を何度か見た。
なーに、誘ったのに来なかったのでむくれているだけの話なのだ。

奥さんは何故か俺がカラオケで歌うのを聴くのが好きで、何時も褒めてくれる。
たまに昼時店に食べに行くと繁盛している大きな店だし、親父は厨房で仕事をしているのにもかかわらず、
何処で見ているのか帰る時に裏口からわざわざ夫婦で出てきて挨拶してくれる。

昔は夫婦二人だけで小さな店から始めたのだと思う。
奥さんがいなければ今の店の繁盛ぶりは無かったろう。
口では「もう離婚だ!」などと言っているが、奥さんが居なかったら夜も日も明けないのだ。
そんな奥さんが具合が悪いと言うので、親父は心配で仕方がないらしくしんみりと飲んでいた。

そこに男が飲みに来てカウンターに座った。
見るからにすさんだ雰囲気を漂わせている。
純子に色々話しかけてきて純子は煩わしいなとは思ったが、そこは昔取った杵柄で適当に話を合わせていた。
そのうち

「俺は網走刑務所に8年間居たんだ。」と言う。

すると親父はカウンターの隅から

「あんたね、そんなことは自慢気に話すような事じゃないんだよ。」

とたしなめる。

親父は若い頃テキ屋をやっていたのだ。
親父はテキ屋を博徒と混同されることに抵抗があるらしく、昔の事を聞かれるたび

「いや、博徒じゃなくテキ屋だったんだ。」と言う。

まあ、「フーテンの寅」もテキ屋だけれど

「どーせおいらはヤクザな兄貴♪わかぁっちゃいるんだ、いもーとよ♪」

という歌詞のようにテキ屋もヤクザではある。

しかしテキ屋と博徒というのは生い立ちからして別な物だ。
元々博徒というのは時の政府の公共事業を請け負って土方を仕切って働かさせていたのだが、払った賃金を回収するために賭場を開いたらしい。
そしてその金の一部を時の政府に還元するという事をやっていたらしい。
そしてテキ屋の始祖は紀元前2000年頃の中国の神農で、元々は薬売りだったのではないかと云う説がある。
神農というのは「野山を歩き、百草を舐め、薬草を探し、医薬を知り路傍に市を開き、交易を教えた。」といわれている。
しかし路上で物を売ったり、大道芸を見せて金を稼ぐ仕事なんて古今東西、世界中何処にでも昔からあった仕事だから、後からハクをつけるためにこじつけたものだろう。
要はテキ屋あるいは香具師と言われる人たちは、フーテンの寅のようにあちらこちらを旅して露天商を営んでいる。
テキ屋と博徒は同じ場所を仕切っていても、それぞれ仕事の中身が違うから争うこともなく住み分けていた。
しかし最近はテキ屋が組織暴力団の傘下になったりしているらしい。

その後も親父は男が純子に話しかけるたびに気を遣ってくれて、なんやかや口を挟んでくれていたようだ。

男が「孫の写真なんだ。20歳なんだけどな。」と純子に写真を見せる。
随分と綺麗な娘が写っている。

男は58歳だと言っていたのに20歳の孫とはおかしいと思って聞いてみると、男もその子供も随分若い頃に子供が出来ていて、
ラーメン屋の親父が指折り数えてみて

「ああ、計算合ってるわ。」

と言う。

純子は男を前にも店で見かけたらしいが、その時も眼帯をしていたという。
俺の小学校の頃の友達もヤクザになって、喧嘩で片眼をつぶしたが、「もしかしてそいつでは?」等という考えが浮かぶ。
今は何処にいるのか、生きているのかもわからない。

しかし下っ端のヤクザの末路は惨めなものだと思うね。
小樽の病院に入院していた時、チンピラやってた親父が入院してたのさ。
酔っぱらって喧嘩して相手の頭を鉈でかち割ったと、若き日の武勇伝みたいに話していた。
幸い相手は死ななかったらしいんだけど、懲役は食らったらしい。
消灯時間が過ぎてみんな喫煙所でタバコ吸ってたんだけどさ、俺が大腸ポリープの検査結果がガンだったと話すと、

「それは駄目だな。死ぬわ。」

とあっさり言う。

普通だったら気休めくらい言うのだろうが、そういう気遣いが出来ないのがヤクザのヤクザたる所以なのだろう。
一方自分の将来の事は気になっているらしく、

「病気も治る見込みも立たないし、金は無いし、いざとなったら国にすがるさ。」

等と言う。
他人に厳しく自分に甘く、いざとなったらどこかに頼ろうとする。
そんな人間、ヤクザでなくとも見かけるなあ。

しりとり

R太が婆ちゃんと妹のKちゃんとしりとりをした。
婆ちゃんが「お茶」と言ってKちゃんの番になった。
Kちゃんはなかなか言葉が思いつかずR太が助け船を出した。

「うーん、Kちゃんには難しいから替わりに僕が答えてあげよう。Kちゃんには解らないと思うけど。」と勿体をつけて言った言葉が

「ちゃばくら」

どうもR太は大人びたことを言うのだが、何処か子供らしい抜け方をしている。
そんなR太が学級新聞を作ることになった。
地球温暖化について記事を書くという。
それで誰に聞いたら良いだろうと家族に相談したところ「すがちゃんが良いんでないの?」ということになったらしい。
R太が来る前に急いで調べておかなければ。

カラオケで「白い骨」などを歌うとバックに日本軍が戦場で戦っている映像が映る。
戦争は嫌な物だ。
そこに写っている兵士達も召集令状一枚でかり出された兵士達がほとんどで、志願兵はごくわずかだったのだろう。
元は洗濯屋だったり八百屋だったり、ごく普通の家庭を持ってごく普通の生活を送っていた人たちだろう。
そういう人たちが戦場で銃を持ち、人を殺さざるを得ない状況というのは不幸なことである。
だから戦争というのは出来るだけ避けるべきである。
しかし国としての誇りも失い、真綿で首を絞められるような緩慢な死を選ぶのか、戦って死ぬのかと二つにひとつを選べと言われたら後者を選ぶだろう。
あの当時、有色人種は白人から見れば奴隷の様な物だった。
アジアもアフリカも白人達の植民地だった。

日本だけが元々明治維新以前からの教育の高さもあって、いち早く近代化をすることが出来、日露戦争に勝利し有色人種でも白人達に負けない国を作ることが出来るのだという希望をアジア、アフリカの人々に与えた。
大東亜共栄圏という構想が生まれてくるのは当時のロシアの脅威、アジアの欧米の植民地化という状況から見て自然の成り行きだ。
インドネシアでは日本の敗戦が決まった後も旧日本兵の一部が故郷に帰らずインドネシアの独立の為に、戻ってきたオランダ軍と戦った。

我々は今の感覚でもって歴史を見てしまうが、その頃の白人は有色人種など劣った人種としか思っていなかった。
アメリカも今でこそ少なくとも表面的には人種差別が無いかの様に振る舞っているが、キング牧師が殺された40年くらい前には立派な白人至上主義の国家だった。

勝てば官軍、日本は戦争に負け、東京裁判で多くの日本人が死刑になった。
我々の世代は日本がすべて悪かったのだと教育されて来て、日教組なんか共産党員ばかりだが、本当にあの時代に生きて、あの時代の空気を吸っていたら、彼らの何割が同じ考えを保っていられるのだろうか。
アメリカなんて先住民を大量虐殺して作った国だぜ。
そんな国がいう正義っていったい何なんだい。

アンテレ名物男Tちゃん

アンテレの木管楽器の演奏を聴きに行く。
クラシックの演奏だからそんなに人は来ていないだろうと思ったら、入り口の階段の所にすでに高校生達が列を作っている。
それでも何とかはいることが出来た。どうも演奏者が元教師でその教え子達らしかった。
やがて演奏が始まる。ハイドンの曲をオーボエとフルートとファゴットで演奏する。
木管楽器の柔らかい音が丸太小屋を満たす。
混雑した店の中を一部の人たちの間で名物のTっちゃんが忙しそうに歩き回っている。
Tっちゃんはお店が忙しいときには手伝いに来ている。
2曲ばかり続いた演奏が終わり、元教師で○響でずっと演奏していたという人がMCを始めた。

「私は以前から不思議に思っていることがあるんです。」

という出だしで話し始めたのだが、出版物や映画では18歳未満お断りとか出版禁止という事があるが、音楽ではそういうことは必要なのだろうか。
実際に一部の音楽が国によって許されなかった歴史がある。ポールマッカトニーが来日したとき大麻不法所持で入国できなかった。
その時ポールは

「音楽の世界では薬物を使って想像力を鼓舞するのはごく当たり前の事だ。」と語った。

しかしそういうことが許されることなのだろうか?云々ということを長々と語っているのだが、全体的に何を言いたいのか良くわからない。
挙げ句の果てに側にいた後輩の音楽教師に

「あなたはどう思いますか?」

と聞くのだが元々言ってることが良くわからないから、尋ねられた教師もしどろもどろにこれまた良くわからない返答をしていた。
不思議に思うんだったら勝手に一人で考えてれば良いんじゃないの、と密かに思った。

良くわからないMCがようやく終わり次の曲の準備を始めた。
三重奏であるから出だしはお互いぴったり息を合わせなければならない。
しばらくの静寂が有り、相撲の立ち会いのように「今だ!」と息を吹き込もうとした瞬間、


「ガガガガガガ!」

というインパクトドライバーを使うような音がした。

「すわっ!何か事故か?」

と驚いて一斉に音の方を振り返った。

純子も

「マスターだな。何でこんな時に大工仕事始めたのさ。」

と立ち見の高校生の隙間からカウンターをのぞき込むと、そこには我関せずと悠然とコーヒー豆を挽いているTっちゃんの姿があった。

みんな思わず爆笑してしまったが、Tっちゃんは

「俺は珈琲の注文受けたから仕事してるだけだもんね。演奏なんか俺の知ったこっちゃないもんね。」

と何事も無かったように平然と豆を挽き終えた。

演奏している方も苦笑いして、Tっちゃんの仕事が終わったのを見計らって演奏し始めた。
全く下手なコントより絶妙なタイミングでやらかしてくれる。
そのうちTっちゃんがやってきて純子に「何か飲みますか?」と聞くので純子はコーヒーを飲みたかったらしいのだが、狭いし、こぼしたら困るのでコーラを二つ注文した。
ここのシステムはライブの時は現金と引き替えだ。
それで千円を渡したらおつりを持ってきたのだが、どうも一人分の金しか取っていないようだ。おかしいなあと思ったが毎度の事なので、そのうち又来るだろうと思っていたら案の定やってきて釣り銭を間違えていたという。
最近はこちらも学習して、彼には二つ以上の物を注文してはいけない、お金は小銭できっちり渡さなければならないと思っていたのだが、あいにく小銭が無かったのだ。
そのうちコーヒーカップが足りなくなったらしく、テーブル席に空になったカップを取りに来た。すると別の客がついでに空になったカップを持って行って貰おうと差し出すと

「それじゃなくそっちの大きい方のカップ。」

と言って、差し出されたカップは無視して大きい方のカップだけを受け取ってカウンターに戻っていってしまった。
Tっちゃんに見捨てられたあわれなカップは我々が帰るまでテーブルの上にぽつんと置かれたままだった。
片手は開いてるんだからついでに持って行けば良いのにと思うのだが、それがTっちゃんなのだ。
そのうちマスターに「お前注文とってこい。」と言われたのだろう、座っている幼顔の高校生に「何か飲みますか?」と聞いて回っていたが、喫茶店であるから何を頼んでも高校生にとっては値段が高い。従って注文が取れるわけもなく、あっさり断られていた。
全く演奏を聴いているよりTっちゃんの行動を観察している方がよっぽど面白い。

非情でもある宇宙意志

俺は無神論者である。
でも宗教というものの意義は否定しない。
人というものは弱い者である。
困ったときには神にも、仏にも、鰯の頭だろうがすがりつくかも知れない。
生き物としての二大イベントとして生と死がある。
生まれることについては自分ではどうにもならない。
でも死については自分なりの選択が出来る。
宗教って納得して死ぬための方便なのだと思う。

たとえば幼い子供が不慮の事故で死ぬ。

「何でこんな罪のない子が。」と悲しむ親に「この子は現世での修行を終えて、魂の世界でより一層高い世界に行ったのですよ。」

と言ってあげることは、残された親には幾ばくかの慰めにはなる。

宗教って、生きてゆく中で起こってくる様々な理不尽とも思える苦痛を、それが起こる所以を納得させるための方便でしかないと思う。

猫が神棚に向かって柏手を打っているところを見たことがない。
神やら仏というものは高度に発達した大脳皮質の発明で、我が家に遊びに来るチョコの様子を見ていても、ちょっとした物音にびくっとするが本能的なもので、まあ、あまりたいしたことは考えていないと思う。

意識の芽生え

三島由紀夫は母親の胎内にいたときの事を覚えていると言っていた。
幼い子供達に聞いてもお母さんのお腹の中にいたときの記憶を持っている者は多いが、成長するにつれ忘れてゆくらしい。
個体発生は系統発生を繰り返すのだが、個体の「意識」というものの芽生えというのは受精卵のどの段階から芽生えてくるのだろうか。

勝手に確信しているのだが、原始的な生命が生まれて、その置かれた環境に適応出来ずに苦悩した時初めて「意識」という物が芽生えたのでは無いのかと思っている。
その時に自分を変えざるを得なくなり、進化せざるをえなくなったのではないのかと思う。
悩みというのは生きてゆくのに何処までもつきまとう。
生きてゆくことは健康に良くない。
しかし生きている以上あえて死ぬ選択をする必要もない。
生き物は保守的で常に現状維持を求めている。
どうしても今の状態では生き残れないと悟ったとき、苦悩し、やがて自分を変えるしかないのだと気づき進化という道を選択する。

生まれることは苦痛だ。
母親の胎内で意識が芽生え、やがて狭い産道を通り広い世界に出なければならない。
これは個体の生にとって命をかけた一大イベントだ。
死への恐怖はすでに始まっている。

死ぬことも又苦痛だ。
それは未知の世界だからだ。
だけど生まれる前も未知の世界にいたんだよなあ。
本当は死ぬって事は元いた所に戻るだけの話なんだけど、その元居た場所の記憶が失われているから死ぬって事が不安なんだと思う。
だけど「ああ、あそこに又帰るんだ。」と思ってしまったら、自殺してしまうかも知れないから、宇宙意志は過去の記憶を消し去っているのかも知れないね。

お歯黒

忠臣蔵の季節になった。
純子と三好ちゃんは忠臣蔵愛好会のメンバーだ。と言って、他に誰もいないのだが。
二人とも忠臣蔵の事になると熱く語る。
純子なんかは身振り手振りを交えて、浪曲師の様に語る。
忠臣蔵は年末になると良くテレビで見ていたが、その後見ることはなかった。

しかしこの間三好ちゃんが、むかーしの忠臣蔵(片岡知恵蔵主演だったかな)のDVDを持ってきて、みんなで見たのだが、面白くて三回も続けてみてしまった。
この頃の時代劇って出ている人たちも歌舞伎役者だし、台詞回しも画面の構図も歌舞伎なんだよな。
出ている役者も重厚さがあって、最近の忠臣蔵なんて侍の衣装を着て現代劇をやってるみたいな物だ。

そういや最近の映画でお歯黒をしているのを見たことがない。
昔の映画は時代考証がしっかりしていたから、たとえば椿三十朗のお気楽な大名の奥方もきっちりお歯黒をしている。
まあ、お歯黒自体あまり気持ちの良い物ではないけどね。
お歯黒は酢酸第一鉄とタンニン酸が成分で、古墳時代からあった。
平安時代になると貴族の女子の成人の儀式となり、平安末期には武士にも広がった。
「堤中納言物語」の中に「虫愛ずる姫君」という話が載っていて、この姫様は当時成人すると眉毛を抜き、お歯黒をして宮中でひっそりと暮らすのが普通だったのに、眉毛も抜かずお歯黒も染めず、毛虫が可愛いと言って手のひらに載せて愛で、野山を歩き回って虫を観察し、色は真っ黒けに真っ白い歯。
当時としては宮中にガングロヤマンバがいるようなものだった。
それで父親がたしなめると

「全然、気にしないわ。この世の森羅万象は初めから終わりまでを見て初めて理解できます。毛虫を見ないで蝶しか見ないというのは子供のやることです。毛虫が蝶になるのをご存じないの。」
と理路整然と反論する。物事の表層だけを見ず、その奥の真理こそが重要なのだという知的な女性だったのだ。
この虫愛ずる姫君とホーマーのオデッセイァに出てくるナウシカをヒントに宮崎 駿が作ったのが「風の谷のナウシカ」の主人公なのだ。

江戸の頃は既婚女性はお歯黒をする習慣だったが、これは現代でいえばフッ素コーティングをするような物で、虫歯予防になったらしい。
しかしお歯黒もやがて剥がれるので、定期的に塗り直さなければならなかったらしい。
しかし絵的にはお歯黒なんてのは不気味な物で、暗いところで口を開けて笑われて、口の中が真っ黒だったらちょっと背筋がざわつくだろう。

自然が作った原子炉

1972年にアフリカのガボン共和国のオクロのウラン鉱床を分析しているときに奇妙な事が見つかった。ウランには核分裂反応を起こしやすいウラン235の他に起こしにくいウラン234とウラン238があるのだが、ウラン235が放射性崩壊を起こして重量が半分になるのが約7億年、
一方ウラン238の場合は約45億年である。
従ってウラン鉱床に含まれるウラン235とウラン238の比率は地球上の何処のウラン鉱床でも同じ筈なのだ。
何故なら元々恒星の中では鉄より重い元素は作られず、それより重い元素は恒星の最後、超新星爆発の超高温、超高圧の瞬間に作り出された物で、その破片が再生された太陽系の惑星に含まれる鉄より重い元素は皆同じ時に生まれたからだ。
所がこの鉱山から掘り出されたウランにはウラン235の比率が少なかった。
そこで考えられたのが、この鉱床は天然の原子炉だったのではないかということだ。

太古には自然が作った原子炉があったはずだという説は、1956年にアメリカの大学の助教授だった黒田和男という人が唱えていた。
何故ならウラン235の半減期が7億年ということは、今から7億年前には今の倍、14億年前には4倍のウラン235が濃縮されていたことになる。
天然ウランはウラン235の濃縮度が低いため、原子炉の燃料としては濃縮しないと使えない。しかし太古の昔には原子炉燃料として使えるくらい濃縮されたウラン235があったのだ。
地下水を減速材にしてこのオクロの天然原子炉は今から20億年前に稼働し始め、60万年間周囲に熱を出し続け、やがて燃料の濃度が低くなり自然に停止した。
今から20億年前といえば藍藻類が海から地上に出てきた頃で、地上は何もない荒涼とした世界だったろう。そんな風景の地下深くで天然の原子炉は静かに燃え続けていたわけだ。

自然が作ったモーター

自然界には人間が作った構造に良く似ていて、同じ機能を果たしているものがある。
たとえば鳥の翼は飛行機の翼に似ている。カモノハシのような新幹線の先端部はトンネルに入ったときの空気の衝撃を抑えている。
工事現場で見かける土を掬うバケットは腕と手に似ている。
しかし自然界に車輪に似たものは無い。
車輪で移動する動物は居ない。

車輪の回転も軽やかに道を歩いていると、何処よりか声が聞こえる。
「もし、そこのお方。」
辺りをきょろきょろ見回すが声の主が見当たらない。
「ここです、ここです道路の下。」
のぞき込むと一人の男が仰向けに転がって4つの車輪をからから空回りさせている。
「いやね、綺麗なお姉さんに見とれていたら、つい道を踏み外しましてね。牽引ロープか何か持ってませんかねえ。」

と、いうような事は生命の進化には起こらなかった。

しかし自然界にもモーターはある。
べん毛モーターという奴だ。
精子なんかが卵子に向かって突撃するときに鞭毛を震わせて動いている顕微鏡の映像を見かける。
しかしこれは鞭毛を鞭のようにしならせて振っているだけだ。
しかし海洋性ビブリオ菌のべん毛の基部にはモーターが仕組まれている。
http://133.6.129.9/bunshi4/photo/flamove2.html

それは全く電気モーターと同じ構造を持っていて、固定子、回転子、回転軸,軸受け,自在継ぎ手に相当する構造を持つ。細胞の内と外のイオン濃度の差によって生じるイオンの流れでモーターを回転させている。
イオンというのは電荷を帯びた原子で、たとえば水素の原子核はプラスの電荷を帯びた陽子で構成されているので水素の原子核はプラスの電荷を帯びている。水素の原子核の周囲をマイナスの電荷を帯びた電子が1個まわっており、プラスとマイナスが打ち消しあって結果として水素原子は電荷を持たない。
ところが何かの原因で原子核の周囲を回っている電子がはじき飛ばされたりすると、水素原子はプラスの電荷を帯びそれをイオンと呼ぶ。
つまり電荷を帯びた原子をイオンと呼ぶのだが、たとえば生物の体にはナトリウムイオンなどがある。そのイオン濃度の差が落差の様な物で、流れる水で水車を回しているような事なのだ。

最大回転数は毎分15000回転、回転方向も変えられる。大きさは30nm、20個のタンパク質で出来ている。
http://www.s-graphics.co.jp/tankentai/news/molecularmotor1.htm

「いやー大したもんだ、それでこのべん毛モーターが俺らの生活に何かの役に立つのかい?」と問われれば、大腸菌を遺伝子操作をして無害な物にして、そのべん毛を微少な薬品投与装置に付けられた管の中に押し込めて、薬品を患部まで運んでしまおうという研究がされているらしい。
まあ、基礎研究なんてやってる学者は面白くてやってるだけで、あんまり金儲けだとか考えないんだろうな。

若い友人

とっても若い友達のR太が遊びに来る。
R太は最近星に興味を持っているので星の話をする。
婆ちゃんであるえくぼのママの話によれば、R太一家が家族でどこかに遊びに行こうとなったときR太が

「うーん、それも良いんだけど、すがちゃんの所にも行きたいんだよなあ。」と言うのを説き伏せて遊びに行ったらしい。

思えばR太と同じ年頃のころ、住んでいた家の大家さんの息子さんが大好きで、良く部屋に行くと勉強の手を休めて一緒に遊んでくれた。あの頃息子さんは高校生だったのだと思う。
色々な珍しい物を見せてくれる不思議な人だった。
R太にとって俺が今そういう存在なのかも知れない。

R太は本当に今時珍しいくらい礼儀正しい子供だ。
きちんと挨拶が出来る。
R太が星に興味があるのならと、1回だけ使ってそのまま納屋に放り込んであるリサイクルショップで2980円で買った天体望遠鏡をあげようとしたら

「お父さんに聞いて良いって言ったら貰うから。」と言う。

おじさん一本取られちゃったな。
確かにむやみに子供に物を与えるのは良くない。
でも、心境としては孫なんだよな。
それに興味の対象が子供の頃の自分に似ていて、昔の自分を見ているみたいな部分もある。
R太ほど性格は良くなかったんだけどね。
そのうちお母さんのひろのちゃんが迎えに来たので、ほとんど無理矢理天体望遠鏡を押しつけて持って行ってもらったんだけど、又一緒に土星の輪とか月のクレーターの事を語り合いたいと思う。


照明

照明という物は不思議な物だ。大都会のコンクリートと鉄で出来た重厚な建物も、夜になって灯りが点くと窓が煌めき重量感が失われ、繊細なガラス細工の世界に変身する。
昼間は太陽の反射光を見ているわけで、夏はじりじりと皮膚を焼け焦がすし、冬は雲の堆積に遮られて鈍い鉛色の風景を作り出したりする。
人間の五感の中でも視覚という物は脳に大きな影響を与えるのではないかと思う。
鉛色の風景の中では何となく、心も鉛色になってしまうような気がする。
そこで部屋という自分の心を拡張した世界では、せめて自分の心地よい世界を演出したいと思う。
昼はあまりにも太陽が支配していて、その力にあらがって自分を演出することなどかなうことでは無い。
太陽が沈んで初めて、人工の照明を使って自分の心の中の空間を皮膚の外側に展開できるのだ。
なんて尤もらしいことを言ってみたが、早い話、カウンターを作ってバーらしき空間を作ってみたら、だんだんエスカレートしてきて、それらしい照明を捜してみようということになり、色々照明機材を取り寄せては置いてみたと云うことなのだ。


割れ鍋に閉じ蓋

昨日えくぼのママが風邪を引いたという電話があって、純子が気にして今日電話をかけたらまだ具合が良くないという。
そしたら純子が代わりに店を開けてあげると言っていた。
元々自分も店をやっていたからそんなことはたやすい事だとは言っても、「純子っていい人だなあ。」と思う。
純子は妻ではあるが、人として尊敬している。
仕事の時は怒ったりしているが、家に帰ったら純子が断然威張っている。
夫婦ってそれぞれの夫婦で色々な形があって、だから「割れ鍋に綴じ蓋」なんてことわざがあるんだろうけど、お互いにスポイルしあう夫婦関係もあると思う。
まあ、それは以前の自分の事なんだけどさ。
その頃は1+1が2にならず逆にマイナスだった。
良いところもあったのだろうが、互いの目には見えず結局駄目になってしまった。
その間の人生って最悪だった。
お互いに相手の事に関心がないから、相手が何をしようが「勝手にどうぞ。」状態で、ただ家庭という殻をやどかりの様に被っているだけだった。
今から思えばもっと早く離婚するのがお互いに良かったと思うが、初めてのことは何事に付け臆病で億劫なのでずるずると続けていた。
多分あのまま行ったら熟年離婚と云うことになっていただろう。
いびつな割れ鍋にも、それにあったゆがんだ蓋がこの世にはきっとあるのだ。
大まか形が合っていれば、使っている内にすり減ったりしてぴったり合ってゆくのだろう。
そうすると10倍くらいの値段で売れることもあるのさ。


アンジェリアの街


仕事で小樽から帰ってくる道の途中に草ぼうぼうの空き地があって、「アンジェリアの街」という看板が掲げられていて、宅地を分譲する予定らしい。

「あのー、看板見たんですけど、アンジェリアの街ってどんな街なんでしょう?」と分譲している会社に電話をかけて聞いてみたい衝動に駆られる。

何時もその看板を見るたび思うのは、ここに家を買って他人に「どこに住んでるの?」と聞かれて「アンジェリアの街だよ。」などと答えるのは非情に恥ずかしいと思う。
不肖わたくし、アンジェリアなどというメルヘンチックな横文字の似合う男では無いのだ。

「えっ、あんた日本人だとばっかり思ってたらアフリカ人なの?どうりで色黒いと思った。」と言われて、思わず「カスバの女」を 歌い出しそうになって「それはアルジェリアだろ!」とつっこみを入れそうな気がする。

元々カスバというのは16世紀オスマン帝国の城塞の事を指していたらしいのだが、アルジェリアの城塞周辺に広がった旧市街の事をカスバと呼ぶようになったらしい。

「カスバの女」

大高ひさお作詞・久我山明作曲/昭和30年

涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬(ほほ) 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け

唄ってあげましょ 女(わたし)でよけりゃ
セイヌのたそがれ 瞼(まぶた)の都
花はマロニエ シャンゼリゼ
赤い風車の 踊り子の
今更(いまさら)かえらぬ 身の上を

貴方も女(わたし)も 買われた命
恋してみたとて 一夜の火花明日はチュニスか モロッコか
泣いて手をふる うしろ影
外人部隊の 白い服

アルジェの独立戦争に投入されたフランスの外人部隊に同行して行った飲み屋の女の歌なのだろう。



蜘蛛って空を飛ぶんだよね。
以前NHKの番組でやってたんだけど、蜘蛛が秋になると移動の為に尻を空に向けて風を待っている。やがて良い風が来ると糸を空中に噴出して凧のように風に乗って飛んでゆくのだ。
東北地方ではよく知られていて「雪迎え」とかいう名前がついているらしい。
インドネシアの海の真ん中に、海底火山の噴火により新しい島が出来たとき、一番初めに島にやってきた生物は蜘蛛だったそうだ。
上昇気流に上手く乗れば相当遠くまで飛べるのだろう。
どのくらい遠くまで飛べるのか知りたいものだ。
登山家の加藤保男はチョモランマを登山中に、山頂の遙か上空をV字編隊を組んで飛んでゆく鶴の群れを見た。
モンスーンの前後に二度、天候の安定した日に鶴の大群がヒマラヤを越えて行くらしい。
ほとんどジェット旅客機の飛行高度だ。
鳥というのはこんな高度で寒さも感じず、酸欠にもならないのだろうか。
しかしこの山越えというのは鳥にとっても生死をかける冒険らしい。
上手く上昇気流に乗れれば成功するが、そうでなければ成功するまで何度も挑戦するらしい。越えられなければ死ぬだけなのだ。

純平おじさん作詞作曲「鳥」
http://jp.youtube.com/watch?v=Cc80bJvXaIQ

寒空を一羽で飛ぶ、はぐれ渡り鳥よ。
仲間が欲しかろ、親が恋しかろ。
力の限り翼を広げ、命の限り風に乗れ
太陽が沈まぬうちに、希望がしぼまぬうちに。

羽ばたく鳥には未来がある。
傷つき飛べない鳥さえいる。
勇気を無くしたまま、夢を持てないまま。
飛び立つ群れを虚ろに見上げ、水辺にじっとうずくまり。
わずか残された、命の灯を、見つめるだけの鳥もいる。

寒空をただひたすら飛ぶ、はぐれ渡り鳥よ。
迷うことなど何もない
ただ自分を信じろ
気負うことなく、力むことなく、くじけることなく羽ばたけ。
目指す物から目を離さずに、一心不乱に翔てゆけ。

仲間が呼ぶ声が聞こえる。
遙か彼方に希望が見える。
胸の鼓動が高くなる。
急げ、急げ、強く羽ばたけ
小さな点がだんだん大きくなる

仲間が呼ぶ声が聞こえる
遙か彼方に希望が見える
胸の鼓動が高くなる
急げ、急げ、強く羽ばたけ
小さな点がだんだん大きくなる


大和魂


この間専修寺の住職さんと話していたら、最近は除夜の鐘が五月蠅いと文句を言いに来る人がいるそうだ。
「こちらはもう何百年もやってるんで、、、。」と釈明するのだそうだが、日本人が日本の文化に親しみを持てないようになってきているのかね。
戦後の教育で日本的な物は駄目な物と教えられて育ってきたからなあ。
大和魂等という言葉を使うと右翼だ、軍国主義者だと周りから非難されて我々の世代は育ってきた。
台湾の日本の教育を受けた世代では「大和魂」と言うのは美しいものと受け取られているんだけど。
当時日本の教育を受けた台湾のお婆さんの書いた本によれば、日本の統治時代は家の鍵を閉めなくとも泥棒が入ることもない平和な時代だったらしい。
教師は子供のことを我が子のように厳しさと愛情を持って接してくれていたそうだ。
踊りが上手い子はそれを褒め、歌が上手い子には歌を褒め、その子の持って生まれた才能を伸ばしてやるような教育をしてくれた。
だから家族も教師を信頼し子供達も教師を尊敬していた。
実に平和な時代であったらしい。
当時台湾人は日本人であったから、日本が戦争で負けたとたんに自分たちが日本人ではなく、中国人になってしまったことに台湾の子供達は衝撃を受けた。
蒋介石の国民党軍がやってきて行進しているのを見ると、規律は取れていないし、汚らしいし、鍋釜を引きずりながら歩いているのを見てみんな唖然としてしまった。
今まで軍律の厳しい日本の兵隊をみてきたからだ。
その後の国民党の支配の下で彼ら、心は日本人の台湾の人たちは辛い時代を生きてきた。
李登輝が総統になるまで彼らは日本への思慕を語ることは出来なかった。
今も彼らは日本の事を思い、日本の人々に「大和魂」を忘れてはいけないと言い続けている。


人体の不思議展

先日はなちゃんやさゆりちゃんと飲んだ時、はなちゃんの本業はパソコンの設定をする仕事なのだが、カイロプラクティックの資格も持っていてちょっとやって貰った。
ちょっとやって貰ったら痛てえのなんの。
純子なんか「思わずグーを握っちゃったよ。」と言っていた。
その時はカイロ用の専用台を持ってこなかったので今度持ってくるからやってあげると言うので、さゆりちゃんも純子も痛いから乗り気でなかったのだが、はなちゃんはやる気満々でやってきた。
純子は自分だけが痛いのは悔しいというのでさゆりちゃんも呼んだ。
さゆりちゃんを純子が迎えに行く間俺がやって貰ったのだが、あまりの痛さに逆に笑いが出てきてしまうくらいだ。
普通のカイロはちっとも痛くなく、時には眠り込んでしまうのに「なんか俺に恨みでもあるのかい。」と思うほど痛い。

そのうち純子がさゆりちゃんを連れて帰ってきたので、これ幸いと純子と交代した。
純子もぎゃーぎゃー吠えまくっていた。
自分が経験した痛みを他人が味わっていると思うと笑い転げてしまう。
最後にさゆりちゃんが同じようにやって貰っているのだが、全く痛がらない。

「ちぇっ、つまんねえな。」と思っていたら最後に足の土踏まずのところを押された時に叫んでいた。
どうもさゆりちゃんは痩せていても健康だから痛くないらしい。
すると痛くて転げ回っていた我々は病気の倉庫なのだろうか。
はなちゃんの説によれば、すぐに治す場合には痛くても仕方ないらしい。

カイロの治療の勉強のために大学病院の解剖実習に14回も立ち会ったという。
骨格の構造や筋肉との関係を知っておくことも大事らしい。
解剖に立ち会うようになってから自分も死んだら献体をして貰おうと思うようになったという。
先日ツリチャでも献体の話になった。
ツリチャのママの両親は死んだ場合献体することになっているらしい。
ママの兄弟はそのことに反対しているらしい。
はなちゃんの場合、献体することによって死んだ後も、魂の抜け殻が誰かの役に立つということは素晴らしいことだと思ったらしい。
それをただ無駄に燃やしてしまうということが勿体ない事極まりないと思うようになったということだ。

歴代の解剖教室の教授は骨格標本になるのが名誉だとも言っていた。
確かに以前大学病院の標本室に行ったとき、教授の生首がホルマリン漬けになっていた。
そしてその脇には教授の生前の写真が飾られていた。
しかしその頭部は脳が外され、眼球は剥き出しになり、頬肉は剥ぎ取られていて生前の姿とは似ても似つかぬ姿であった。
標本自体は結構だが、何も写真まで置くことは無いのでは無かろうか、これは解剖学教室の中だけで通用する倫理なのでは無かろうかと思った。
肉体というのは魂の入れ物にすぎないとは理性では分かっていても、死んだ後標本になって見も知らない人の目にさらされるのはかなわないという気持ちはある。

「人体の不思議展」という催し物がある。これは死体をガスの充満した釜に入れ、プラスチックに置き換えて解剖して展示しているのだが、昔は西洋人の標本が多かった。ところが最近は東洋人の標本が多い。
つまり死体を大量に供給出来る国が東洋にあるということだ。
死体すらビジネスにしてしまう、その人間が生きていた頃何を考え、どうやって生きていたのか、どうやって死んだのか知るすべもない。ただの物体、商品、として医学生でもない、ただの好奇心で見に来る人間の目にさらされて居るというのは、果たして良いことなのだろうか。
俺は献体で医学生に解剖されてバラバラにされてしまうまでは良いけれど「人体の不思議展」でさらされるのは嫌だな。


我が家の葬式

我が家の方針として、まあとりあえず何にも無くてもお互いを褒め称えることにしている。
朝起きて純子が目やにで目が開かないというときは、「なんてつぶらな山葡萄のような瞳なんだい。」と言うことにしている。
すると純子が「あんた、マスカットとか巨峰とか、もっと大きい物があるだろう?何で山葡萄なのさ。」と怒る。
まあこれは朝の準備体操みたいなもんで、軽くジャブをかまして相手の様子をうかがっている状態ですかね。

「私なんか昔店やってたときに変な客が、『ママって黒木瞳に似てるよねって。』感心するように言ったのさ。そしたら周りのお客が一斉に『えぇー?』って言うから『私が黒木瞳に似てるからって誰かに迷惑かけたんかい?いーじゃないのさ。言うのはただなんだからさ。言ったもん勝ちだよ。』とよく言ってたよ。」

と言うから、「ああ今日も体調は良いようだ。」と思う。
それで純子の方は「とうちゃん、いい男だねえ。私心配。外歩いたら女どもが追いかけてくるだろう?」と言うから「押し寄せる女どもを蹴飛ばしながら歩いてるさ。」と答えて、朝の頭の準備体操が終わるわけだ。
純子は昔痩せていて足も細かったのだが、最近は重い物を持っているせいか、たくましく太い足になってきた。そこで「なんというエレファントな足なんだい?」と褒めたりしている。まあ、これも老化防止の頭の体操だ。
先日婆さんを施設に預けたお祝いに、さゆりちゃんを誘ってツリチャに飲みに行った。
ツリチャではよく三人で愚痴を言ったり、婆さんをどうやって殺せば完全犯罪を成し遂げられるか語り合っていたのだ。そのうち純平おじさんもやってきて「良かったね。」ということで乾杯したのだが、無事入所したとなると残りの心配は死んだ時の事だ。
純子は「もうちゃんと考えてます。家は密葬でやります。婆さんの兄弟もほとんど死んで誰もいないし、それで良いしょ。」と言うから俺も「それが良いよ。親父の兄弟ともあんまり付き合いはないしね。」と答える。
「一応婆さんはアイプランに入ってるんだけど、最低限必要な物だけで良いよね?戒名なんかあたしが付けるよ。あんたお経は読めないのかい?」
「うーん、とりあえずピエールとカトリーヌの歌詞をお経風に読めばいいんじゃないかな。」
「うん、それで良いんじゃないかい。誰も分かりゃしないって。」
ということで、婆さんが大往生した暁にはそのような案配で葬儀が執り行われる事になりました。

空から一条の希望の光が射してきた


今日婆さんがデイケアに通っている特別養護老人ホームに行った。ちょうど所内の夏祭りをやっていて爺さん婆さんがはっぴや浴衣を着て踊っている。一人すごく頑強な爺さんが居て、大きな声で合いの手を入れながら踊っている。なんでこんな漁師みたいに日焼けして元気の良い爺さんがこんな処にいるのだろうと思って聞いてみたら、認知症で実は惚けているのだという。面倒を見ているのは息子の嫁だという。旦那の父親の下の世話をしなければならないというのも辛い話だ。我が家はまだ女親だから救われている部分があるのだと思う。その様子を見ながら何時もディケアに婆さんを迎えに来る介護員のお兄さんと色々話していたのだが、初めは純子が婆さんの娘だと思っていたらしい。何せ何時も「家の悪たれ婆が迷惑をかけてるでしょ?」などと言っていたからだ。
後で嫁だとわかって「お嫁さんでこれだけ面倒見ている人は珍しいです。」と言われた。

今回施設に来たのは祭りを見るためではない。
あと、どれくらい待てば入所できるのか尋ねてみたかったのだ。
相談員を待つ間、ちょうど今日からショート・ステイしている婆さんのところに連れられていった。婆さんは廊下の隅の団欒所の椅子に座って脚をぶらぶらさせたり、時々手を打ったりしている。その隣に座っている爺さんは正面を向いたまま化石のようにじっとしている。おおむねここらに来ている人たちは周囲に無関心のようだ。
水を入れた灰皿みたいな物がありタバコが数本沈んでいる。
年寄りがタバコを吸うのかと思っていたら車椅子の爺さんがタバコを吸いにやってきて、介護のお姉さんに「今日何本目?」と言われていた。
相談員を待っている間婆さんを見ていたら、そのうちこちらをちらちらと見ている。婆さん俺の顔なんか分かるんだろうかと思っていると、そのうちよったよったと一直線に歩いてきて、俺の顔を見上げながら「あそこ行ってきたの?」と聞く。

以前純子が婆さんの惚けっぷりをからかって「ばあちゃん。婆ちゃんに息子居たしょ。今何処に居るの?」と聞いたことがあった。その時婆さんは頭をかしがせてしばらく「うーん。」と悩んでいたが「今は外国に居る。」と苦し紛れの大法螺をかましたことがあり、俺は外国に行っていて、家の中で顔をつきあわせて居る俺は誰か知らない人で、たまにぶつかりそうになったりすると顔も見ずに「あっ、すいません。」と言ったりする。それなのに今日は一体どうした加減だ、長い間外国に行っていた息子がようやく帰ってきたとでも思ったのだろうか?
しかし突然謎の言葉を吐かれても返事のしようが無い。

「あそこって何処だ?」と聞いても何か訳のわからないことを喋り続けるだけで会話にならない。
それで純子が「ばあちゃん。ご飯食べたの?これからちょっと行かないとならないの。」と言って手を引いて椅子に座らせたところに相談員がやってきた。

「後何年くらいで入れるんでしょうかね?」と聞いてみた。
結局一人暮らしの老人が優先されるし、介護度2くらいでは入るのが難しそうだった。それで「老人健康施設ならすぐ入れるところもあります。」と言う。「ただし老人健康施設は家庭復帰のためのリハビリをするところですから、半年で出ることになります。そして老人健康施設に入りますと特別養護老人ホームの入所の順番が後回しになります。」と言う。しかし今現在困っているのだから先のことはどうでも良いと思い、その足で老健に行く。ここはケアマネージャーに勧められた3カ所の内の一つだ。
その3カ所の内のもう一つは娘が仕事をしているところだから、娘もやりにくかろうと思い初めから外していたのだ。
最近この場所に引っ越して新たに建てられた建物だから、広いし綺麗だ。
それで、相談員に入所の手続きをするための書類をくださいと言ったら、ここではケアマネージャーと直接話し合って決めるので書類は要らないという。
区役所から貰った介護度の状態を記した書類を持って行ったので、それを提出すると「ちょっとコピーして良いですか?」と言うので「どうぞ。」というと書類を持って部屋を出て行った。待ってる間二人で「なんか、今までの雰囲気と違うね。なんか割と早く入れそうじゃない?」と話し合っていた。

その後説明を聞くと、この施設は特別養護老人ホームの入所待ちの人は半年経ったからと云って無理矢理追い出すことはなく、老人ホームに入れるまでは居られるということで、願ったりかなったりの話だ。それで病院の書類が必要になったのですぐに取りに行き提出した。
するとケアマネージャーの人から連絡があり、その施設の相談員から連絡があったのだけれど、割と早く入れそうですよと言う。何でも来週に一人退所するらしく、その後に婆さんを入れるつもりらしい。
純子の話を聞いて俺も自然と顔がほころびる。そろそろ自分たちの老後の心配をしなけりゃならないのに、全く先が見えず真っ暗闇だったところに一条の光が差し始めたようだ。
婆さんが入所した暁には、すぐ家を改装して自分らの老後の為にバリアフリーにして、と次々と夢がふくらみ、挙げ句の果てには「家のローンも今月で終わったことだし、今度は改装費用を。」と借金の算段までする有様だ。

老人介護は逃げ場が無い


特別養護老人ホームに婆さんの入所の書類を届けに行く。ここは入所待ちが140人だそうだ。施設は70人しか入れない。1日何人死んで、、、等とつい計算してしまう。
入所できるまで数年はかかりそうだ。相談員は、皆さんあちこちに同時に申し込みをなさってますという。暗に他にも当たった方が良いと言っているのだろう。札幌に居住する人間が小樽なんかの施設に申し込めるのか聞いてみると可能だということだ。
140人待ちという人数も実際は他の施設にも申し込んでいる人がいて、そちらの方が早ければ辞退することになるので実際何年待ちなのかはわからない。施設の中を案内して貰う。
ちょっと山にあるから、片側の部屋は海が見え、反対側は山になっていて木が生い茂っている。中々良い環境にある。
こういうところに入れれば良いのだがすぐとはいかない。婆さんは老人性痴呆症でウンコ垂れ流すほか何処も悪いところが無く、血液さらさらで、昨日も病院に行ってレントゲンを撮って医者が肺の写真を指さし、「ここに白い筋みたいな物があるでしょ?これは、結核か何かの痕ですが自然に治ってしまってますね。」と言う。結核菌も婆の超人的な治癒力にはかなわないのか、と純子は暗澹たる思いでとぼとぼ婆さんを車椅子に乗せて帰ってきた。
「こうなったら殺すしかないね。」と色々殺人計画を練った。やるからには完全犯罪を目指さないといけないと云う話になって、純子もさゆりちゃんも西村京太郎が好きだから、「列車を使ってアリバイを作らないと。」とか「血圧が高いんなら食事に塩たっぷり入れろ。」とか馬鹿な話をしていた。
「こんな事言っていて本当に婆さんが変な死に方したら、ああ、あの夫婦なら何時かやると思っていましたなんて、さゆりちゃん!あんたモザイクかけて貰って言うんじゃないだろうね?」と純子が言うと「えっ、どうしてわかったの?前々から酔ったらそう言ってました。人間って酔うと本音が出ると思うんですってね、声も変えてもらってさ。」

他人から見れば不謹慎だと思われるかも知れないが、実際に介護に携わっている人間から言わせて貰えば、せいぜいこんな事を言ってストレスを発散させるしか無いのだ。
家庭での介護には逃げ場が無い。
この間婆さんがショートスティから帰ってきたとたん、純子が具合が悪くなって倒れた。多分原因はストレスだったろう。

死にそうな妹からの電話


死にそうな妹から電話がかかってきた。純子の誕生日のお祝いの電話だ。もう15年前になるか、旦那を心筋梗塞で亡くした。海水浴に朝里に行った時に急に倒れて、病院に運ばれた時にはすでに死んでいた。
とても仲の良い夫婦だったからショックでそれ以来あまり外出もしなくなった。彼女にとって時間はそこで止まってしまったらしく、カーテンは閉ざされ、部屋も15年前と同じ状態だ。
元々明るい性格で、旦那もちょっと太って居る方が好きだったからコロコロした体型だったはずが、7、8年前に遊びに行ったときには歩き方は老婆のようで異常にやつれ果てていた。
子供も居なかったし旦那の保険金があったから、働かずに済んだことが返って災いしたのだろう、昼から酒を飲む生活を続けていた。
それでもここ4、5年は友人と温泉に行ったり、我が家に遊びに来るようになっていたのだが、数年前の暮れに遊びに来て正月を我が家で過ごす様に勧めたのだが、自宅で過ごすと言って帰って行った。
正月があけて仕事が始まり忙しく過ごしていたのだが、1月の末頃に旭川に住むすぐ上の姉から電話があり妹が電話に出ないという。
初め一番上の姉に電話をして見に行って貰ったのだが「元気そうだったよ。」という。しかしその後も電話に出ないから見に行って欲しいということだった。仕事が入っていたがとりあえず住んでいるマンションに行き、インターフォンを押すが何の返答も無い。以前から純子に「死にそうな妹が居る。」と話していたぐらいだから、不吉な思いが脳裏に浮かぶ。しかし鍵がないから入れない。それで鍵の110番に電話をすると警察の立ち会いがないと駄目だとのことで警察にも連絡する。しばらくすると警官がやってきて事情を話すとインターフォンのボタンを押したり、ドアを叩いたりするが何の返事もない。警官はドアの脇の電力計をのぞき込み「一応回ってますねえ。」という。とりあえず鍵屋を待つしかないので警官とドアの前で待っていると、ドアの錠がカチッと回る音がしたような気がした。それで警官がドアを開けてみると玄関の上がり口のところに、なお一層痩せ果ててへたり込んでいる妹がいた。もう人間の顔では無かった。何も食べることが出来なかったらしく水だけを少しづつ喉に流し込んでいたという。
「何でこんなになるまで病院に行かなかったんだ。」と怒ると「大丈夫だから。」と言う。「歩くことも出来ないのに大丈夫な訳が無いだろう。」と叱りつけて病院に連れて行こうとするのだが、頑として行こうとしない。警官もあまりに異常な衰弱状態と痩せ方を見て「とりあえず救急車を呼びますから、病院に行きましょう。」と言ってくれて、仕方なく妹は承諾した。妹が救急車で搬送されるのを見送った後その後を追って病院に行く。医者が妹の顔をつくづく見て「何でこんなになるまで来なかったの。」と言ったと云う。その病院では入院できないと云うことで、とりあえず点滴をしてそのまま別の病院へ搬送された。体重は24キロしかなかった。
こんな状態なのに最初に様子を見に行った一番上の姉は何を見てたんだと純子が「全く役立たずだね。」と怒る。
カーテンが閉められているから暗くて分からなかったと言い訳していたらしいが、後で妹に聞くと妹があげると言った飴の袋を抱えて嬉しそうに帰って行ったという。
その病院で随分長い間検査をしたのだが、結局食道が細くなって居てほとんど食べ物が通らない状況だったらしい。腫瘍の検査もしたが腫瘍は無く、医者も原因が解らないという。いくら酒を飲んでもそんな風にはならないという。それで医者に聞かれたのは妹が何か強い薬を飲んだりはしなかったかということだ。たぶん自殺するために何かを飲んだのではないかと疑っていたらしい。結局妹もそんなことは無いというので真実は分からなかった。結局食道の一部が石灰化したのか繊維状になっていたらしく、その部分と胃の一部を切り取る手術をした。
数ヶ月後に退院したが胃が小さくなっているので、一日6回食べるように言われたそうだ。
しかし未だに痩せているのには代わりがないが、体重は35キロ近くまで戻り血色も良くなっていた。
しかし、一昨日又すぐ上の姉から電話が入り「何か熱があって寒気がして何も食べてないらしいよ。又、前みたいになったら困るから見て行ってくれない?」という。
それで今日行こうと思っていたところに妹の電話があり、電話の向こうで「ハッピーバースディ純ちゃん~♪」と最後まで歌っていたので一安心したというわけだ。


介護施設見学


縁あってブログなる物を創ることになったのだが、どうも誰もいない孤島で海に向かって独り言言ってるみたいな気分になる。
まだ使い方が良く解らないんだけど、これって掲示板とか作れないのかねえ。
登録したらたちまちお誘いのメールが来たのだけれど、行ってみるとどうも出会い系らしい。いろんな技を使うもんだわ。
最近よくさゆりちゃんと飲むことが多く、遅くなると泊まってゆくんだけど、さゆりちゃんも老人介護施設に勤めているから良く介護の話になる。
「こっちでは婆さんが泣いてるし、あっちでは爺さんが怒っているし、、、。」と、言っていた。

それで将来我が家の婆さんがそこに入るかも知れないので、下見がてら施設で催されている夏祭りに出かけた。
はっぴを着たお兄さんやお姉さんが居てよさこいを踊っている。
当然の事だが年寄りがいっぱい居るのだが、驚いたことにその年寄りと同じくらいか、むしろ多いくらいの職員が居る。介護というのに金と人手がかかるというのも頷ける。
我が家の婆さんと同じように人形をあやしている婆さんが居る。
若い友人のすぐ裏にある施設だから誘って、3歳と1歳の子供を一緒に連れて行った。すると婆さんが近くにやってきて子供をいとおしそうに眺めている。
すると後ろの席で婆さんが泣き始めた。向こうでは婆さんが怒っている。さゆりちゃんの言っていたとおりだ。
やはり平均年齢の差か婆さんの方が多い。
我が家の婆さんももう自宅で面倒をみれるような状況ではなくなってしまった。簡易便器を部屋に置いてはあるのだが、ゴミ箱にウンコをする。純子が「こんなところにしたら駄目でしょ!」と言うと「私がしたんじゃありません!」と目を三角にして怒り出す。
「そしたら誰がしたって言うのさ!」と怒ると「はいはい、みんな私が悪いんです。出て行くから。」と可愛げの無い事を言うので純子も頭に血が上り、婆さんの腕をつかんで「さあ、出て行け!」と引っ張ると「ああ、痛い、痛い。」と大げさな仕草をする。
その後しばらく部屋の中で人形相手にぶつくさ言っていた。
今から顧みるに惚けの兆しは随分前からあった。やかんでお湯を沸かしっぱなしにしたり、水道の水を閉め忘れてみたり。ただ、その頃は惚けとは思わず、ただうっかりしたのだろうと思っていた。
しかし、数年前足が痛くなって歩けなくなった事があった。それが引き金で急激に惚け始めた。その時に介護保険の事を調べて認定を受けた。しかし施設に入れる事までは考えていなかった。思えばその時に申し込んでおけば良かったのだ。今から申し込んでも7年待ちだ。
介護度が酷ければ緊急入所と云うのもあって早く入所できることもあるらしいが、あまり当てには出来ない。何処でも年寄りを抱えている家庭は同じ悩みを持っているのだと思う。
特に面倒を見る主婦が大変だ。純子は本当に良くやってくれていると思う。これが純子が考え込む性格だったら鬱病になっているだろう。
将来年寄りの面倒を見なければならない人たちに、我が家のこういった失敗を出来るだけ教えてあげたいと思う。呆けてから介護認定や施設の申し込みをするんでは間に合わないのだ。
我が家だってこれ以上婆さんの惚けが酷くなったら仕事も出来ない。
つくづく思うのはここまで惚けると人間というのはただのウンコ製造機でしか無いと云う事だ。
こういう事を言うと、自分で年寄りの面倒を見たこともない人間が「そんなこと言ったって年寄りにも人間の尊厳というものがあるんだよ。」と、おちょぼ口で言うのだが「それじゃあんたのところはどうなのさ?」と問うと「俺は見ないよ。」と答える。

テクニック


あるスナックで70くらいの爺さんでカラオケを歌わせたら、お世辞にも上手いとは言えないんだけどすごく味のある歌い方をする人がいた。
音楽でも、絵画でも突き詰めれば自分を表現する事なのでは無いかと思う。テクニックというのはただの自己表現の道具でしか無い。
ところが勘違いをしてテクニックが表現そのものだと思っている人たちがいる。テクニックなんてのは学校で習う勉強みたいな物でただの基礎だ。社会に出てからの勉強は又始めなければならない。学校を出なくとも社会に貢献した人たちは沢山いる。逆に立派な学校を優秀な成績で卒業しても社会に害を及ぼしているとしか思えない人間も沢山いる。俺は音楽のことはわからないから、好きか嫌いか、味があるかないかだけで価値を判断している。学校で習ったテクニックの上手い下手なんてどうでも良いのだ。どんな人間でも他人の物真似から始まる。しかし何時までも物真似で終わるんじゃそいつは表現者として才能が無いのだ。
誰かのカバーを歌おうが他の誰でもない自分の空間を周りに作れるならそれはオリジナルなのさ。
演奏という物が自己表現である以上、自分を表現できていない演奏家は駄目なのだ。
上手いとか下手とかそういう技術的な事じゃないのさ。どんなに拙かろうがその人を主張しているのなら良いなあと感じる。逆にテクニックがあっても「ああ、上手いね。」としかいわれないようなら、表現者としては落第なのさ。
所詮テクニックなんてのは言葉と同じようにただの道具にすぎなく、問題は何をどう伝えるかなんで、テクニックを見せることが表現だと思っているのなら、それは某ライブの英語の巻き舌おばさんと同じただの見栄っ張り以上のものでは無いのさ。

見栄っ張り

ツリチャにいったらオッケィおじさんの話題になった。
オッケィおじさんというのは酔っぱらってくるとやたら英語の単語を連発して顰蹙を買っている親父なのだ。結構こういう人は多いらしくて、こないだもあるライブに行ったらおばさんが入ってきて、片言の日本語のような変なしゃべり方をするから外人なのかと思ったが、どう見てもデパートの安売りでこめかみに血管浮かび上がらせてバーゲン品を取り合いしているような日本のおばさんで、きっと脳が当たって言葉が不自由なんだろうと思っていたら、そのうちやたら英単語を連発し始めた。英会話教室に通っているらしくやたら巻き舌で言葉を喋るのだが、簡単な英単語ですら知らないようだった。おまけにMCの最中に「ちょっと待って。今のスペルはどう書くの?」とMCを遮ってはノートに書いている。迷惑きわまりない。英語を習っているということを他人に知らせたくて仕方がないのだろう。ステータスとでも思っているらしい。
「英語の発音を習うより、まずその変な日本語の発音を何とかしろよ。」と心の中でつぶやいた。
英語なんかアメリカじゃ子供でも喋っている。
英語の早期教育が騒がれているが、確かに会話を覚えるのには早いほうが良いと思うが、所詮言語は単なる道具に過ぎない。
別に英語が出来なくとも世界でビジネスをすることは可能だ。
通訳を雇えば良いだけの話だ。
そんなことよりまず母国語をしっかり話せる方が大切だと思う。
頭の中が空っぽな人間が何カ国語話せても尊敬なんかされないだろう。おまけにそのおばさん「ねえ、何処で歌習ったの?私も習ってデビューしようかしら。」だってさ。見え透いた見栄っ張りは滑稽きわまりない。

ホヤ

パークポイントの掲示板を見ていたら純平おじさんがホヤをもらって大喜びしていた。
食べられないわけでは無いが、あえて食べたいとは思わない。でも新鮮なホヤにはちっとも臭みがないのは仙台に居たとき食べて知っている。
仙台はホヤの産地だからホヤの博物館が有る。
ホヤって元々ナメクジウオのような形をしていて、脊索も持って泳いで居たのが、何故か岩に張り付いて魚とは似ても似つかぬパイナップルみたいな形になってしまったのだ。だから幼生の時はオタマジャクシの様な形をしている。何が悲しゅうて進化の道を逆行するように見える事をしたのだろう。しかし考えてみれば鯨も首長竜も一旦陸地に上がった生物が住み辛かったのか、又海に戻っていったのだからこういう事も生物界には良くある話なのかも知れない。ホヤと人間の遺伝子は90何%一致しているという。生物の進化を研究するのに有用な生き物だという。ホヤの事を調べている内に遺伝子の水平伝播と言う言葉を知った。これは通常の母細胞から細胞分裂によって子細胞が生まれるのではなく、別の生物のDNAを取り込んで進化することだ。たとえばO-157の毒素を作るDNAは赤痢菌のDNAから取り込まれたものらしい。
ホヤは動物のくせにセルロースを作ることが出来るというのだ。これは植物のDNAがホヤのDNAに取り込まれたことを示している。母細菌が酸素を利用してエネルギーを作っていたミトコンドリアを取り込んで細胞の原型を作ったようなことがホヤでも起こったのだろう。思うに、海を泳いでいたナメクジウオみたいな奴が植物性プランクトンみたいな物を食べてDNAを細胞に取り込み植物化していったのだろうか。形が植物的なのはそのせいかもしれない。形も不思議だがその進化の過程も不思議な生き物だ。
ホヤを見ると手塚治虫の漫画に出てくるひょうたんつぎを思い出す。

S L

こないだ線路沿いを走っていたら前をSLの形をした幼稚園の送迎バスが走っていた。そのうち向こうから本物のSLが走ってきて幼稚園のバスとすれ違った。子供達はさぞかし喜んだことだろう。
何処と何処の間を走っているのだろう。
どうも最近家にいてもSLの汽笛の音がするから、どこか走ってるのかなと思っていたのだ。
子供の頃東札幌駅に良くSLを見に行った。
SLが好きになったきっかけは今もあると思うけれど「鉄道模型趣味」という雑誌で見かけた1枚の写真だった。
鉱山鉄道の昼下がりとか言う名前のついたジオラマで、山が有り湖が有りそこに鉄橋が架かっていて小さな鉱石を乗せたHOゲージの機関車が走っている。ひなびた小さな駅があって、いかにも山の中ののんびりとした昼下がりの風景だった。
それから「鉄道模型趣味」を読み始めたのだが、真鍮で作られたキットは高くてとうてい手が出ない物で、隣のお兄ちゃんにせがんでは狸小路の中川ライター店に連れて行ってもらって、ぴかぴか光る真鍮の模型に見入っていた。当時でも真鍮の板を切り出して半田を使って自分で作る人がいて、その設計図なども載っていて俺も作れないかなあと思ったりしたが、小学生にはとても無理だった。
その後、星に興味を持ち始めたためにSLのことは興味が薄れてしまった。
昔確か「夜のバラード」というラジオ番組があって、受験勉強をしながら聴いているとオープニングに男の渋い声で「眠れない夜、私は良く夜の停車場に行く。せかせかした奴。のんびりした奴。機関車にもそれぞれ人に似た表情がある。」といったような台詞が流れていた。そうすると自分も何となく気分転換に良いかもと思い、東札幌駅まで夜SLを見に行ったこともあった。

宇宙意志

火星にかつて広大な海があったとカルフォルニア大学バークレー校の研究結果が発表された。
火星には太古の海の海岸線を思わせる地形が多数見られるという。
そこにはきっと原始的な生命も居たと思われる。
南極で見つかった火星起源の隕石からも微生物の化石らしき物が見つかっている。
タンパク質の材料のアミノ酸は暗黒星雲の中でも見つかっている。暗黒星雲というのは恒星を作る材料のガスやちりで、それが集まって高温高圧となり、核融合が起こってエネルギーを放出し光り出す。たとえばオリオンの馬頭星雲の中では現在進行形で新しい星が生まれつつある。
生命の材料は宇宙にあまねく存在しては居るが、それが生命になるためには特殊な環境が必要らしい。
考えられているのは深海の溶岩が噴出しているような所だ。深海の高温高圧の中では化学反応が起こりやすいらしい。原初の生命は硫化水素をエネルギーにしていた。
我々にとって火山性ガスに含まれる硫化水素は猛毒であるが、原初の生命にとっては逆に酸素が猛毒なのである。
人間の細胞は初めから今の様な構造を持っていたのではなく、原始の海の中に生きていた色々な生命が寄せ集まって出来たものだ。
人間の細胞の中で酸素をエネルギーに変えている細胞の中の発電所とも言えるミトコンドリアも、実は太古に別の細菌に食べられて、あるいは取り込まれて共生しているのだ。
クロロフィルを持って光合成を行っていた細菌が別の物に取り込まれたものが植物になっていった。
DNAもRNAも太古の海のどこかにあった、アミノ酸の濃縮スープの中からタンパク質に紡ぎ出されて細胞の中に取り込まれて行ったのだろう。
いわば細胞の中は原始の細菌やタンパク質達の海なのだ。
ミトコンドリアを体内に取り込んだ細菌は、酸素を利用してエネルギーを作ることにより、爆発的な活動能力を持つようになった。生命は地上にあまねく存在している。地上だけでは無く地球の深部にまで存在する。地下深くから汲み出した原油の中にもバクテリアが見つかっている。おそらく地下数キロまで生命活動は行われているのではないかと言われている。かつて全球凍結といって、地球が全面氷に覆われて巨大な氷の玉になった時期があった。地球は火山活動をしているから、海底からは熱水や溶岩が吹き出しているので氷の下には海が存在して居たと思うが、仮に深海の底まで凍り付いてしまったとしても、地中に生き残った細菌によって生命は再生しただろう。やがて氷は溶けカンブリア紀の生命の大爆発が起こる。
太陽系の中で生命の存在が取り沙汰されている惑星や衛星がいくつかある。最近土星の衛星のエンケラダスが宇宙空間に水を噴出しているのが見つかった。これは衛星の地下で火山活動が起こっており、衛星表面は氷で覆われているがその下には海が存在する可能性を示している。
木星の衛星のエウロパも同じように氷の下に海があるらしい。
アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」ではエウロパには知的生命体が居て人類の進化を監視していることになっているが、知的生命体とまではいかなくとも何らかの原始的生命が居る可能性がある。
神と言うか、創造主というか、呼び方はどうでも、宇宙の意志は宇宙に生命があふれるように願っているらしい。

包丁研ぎ

こないだホーマックで刃物研ぎ機を買った。
親父もそうだったが、何故か刃物を研ぐのが好きだ。
包丁とかナイフとか砥石で研いで切れるようになるのは楽しい。
切れない刃物というのは使っていても返って余分な力がいるから危なくて仕方がない。
固いステンレスの、研がなくとも良いようなナイフもあるが、どうも面白くない。
刃物は鈍ってきて、それを手入れするのが楽しい。
砥石は粗砥石から仕上げ砥石まで買うと、カーボランダムを使った人工砥石でも結構な値段になる。
おまけにどうしても不自然なすり減り方になるから、砥石を研ぐための砥石まで必要になる。
ナイフなんかは自己流で研いでいたけれど、日本刀のような長い刃物はどうやって研ぐんだろうと思っていたら、
多少は長いのかも知れないけど普通の砥石なんだよね。
だから刀を斜めにして刃もとから切っ先まで引き下ろすようにして研ぐのだと思う。
日本刀というのは形として美しい。
西洋の剣や青竜刀なんかは突いたり、叩き付けて使う物だろうけれど、日本刀というのは引いて切る物である。
引いて切るためには直剣より日本刀のようにそりのある方が良いのではないかと素人目にも思える。
日本刀のそりというのは焼き入れをしたときに自然とそりが出てしまうのだ。
日本刀は芯に柔らかい鉄を使い、外側を何層にも叩いて折りたたんで不純物を取り除いた鋼でくるんだ物であるから、柔軟性と堅さを兼ね備えている。
以前、拳銃の弾丸が切断できるかという実験をテレビの番組で実験したところ、見事にまっぷたつに弾丸を切断した。
それで今度はマシンガンではどうかと試したところ、初めの何発かは切断したが刀身が揺れて5,6発目あたりでへし折られてしまった。
それでも日本刀の優秀さは示されたと思う。
そもそも戦場では槍や弓、後には鉄砲が主体で、刀は接近戦の為のものであり、
江戸時代ともなれば戦もないから、刀身に装飾を施したりして飾りみたいな刀も作られたようだ。
日本軍の日本刀などは侍魂の象徴みたいなもので、量産された安物だ。
それで、買ってきた研ぎ機で我が家のなまくら包丁をすべて研いだのだが、今度は仕事で使うはさみが必要になり、
純子が捨てようと思っていたという裁ちばさみを出してきた。
昔の家庭には1本はあるだろうというはさみだ。
はさみは研いだことがない。
それで、包丁を研ぐような角度で研いでみると、これが全然切れない。
最初に研がれていた様子を思い出して45度くらいの角度で研いでみたら、これが見事に切れるようになった。
もうちょっと腕を磨いて、失業したときには「包丁研ぎが参りました。」と車で歩いて回ろうか等と思ってしまう

つげ

インターネットオークションにはまりそうだ。
又、衝動買いしてしまいそうだ。
それでも理性は働いているから大きな買い物はしないと思うんだが、、、。
昔の8ミリフイルムがあってそれを映す映写機を探していたのだが、ネットオークションに出てくるような代物ではなく、すでに骨董品に分類されるものらしく、値段を見るとえらく高い。
たかだか数十分のフイルムを見るために使う金ではない。
昔のフイルムをDVDに焼いてくれる所があるみたいだから、それを利用しようかと思う。
映写機を買うよりは安いだろう。
それにしても時代遅れとなった物は。変革の嵐の直後は二束三文に叩き売りされるが、ある程度年月が経ち、数が少なくなると今度は骨董品としての価値が出てきて高値で取引されるようだ。
しかし電化製品というのは、ただ置いていてもコンデンサーの容量抜け等で使えなくなってしまうので、ある程度治せる人でないと、ジャンク品の山の中から掘り出し物を見付けて使えるようにするのは難しいだろう。
そういう事が出来る人であればただ同然で仕入れた物を修理して高値で販売することも可能で、フイルムカメラなんかは故障のほとんどはシャッター部分で、ある程度の知識があれば素人でも治せるらしく、つげ義春なんかは一時期漫画をやめてジャンク品のカメラを修理して通信販売で売って生活しようと思っていたらしい。
つげ義春は最近は何にも描いていないのだろうか。
滅多に作品を出さない漫画家だが、出す物はすべて傑作だと思うんだよな。
「ねじ式」「紅い花」「もっきり屋の少女」「ほんやら洞のべんさん」「海辺の叙景」「ゲンセンカン主人」「石を売る人」
本人は貧乏ったらしい、畳が湿気でふやけたような暗い世界が居心地が良いようだが、描き出すものはどこかユーモラスで、絶望の外側にユーモアの殻をかぶせたような世界を描き出す。
尾崎豊は自殺だかなんだか判らない死に方をしたけれど、粘膜のように傷つきやすい若者の感受性が同世代の若者に共感を得ていたのにもかかわらず、現実は歌も売れて、金も入って、でもそうなると俺の歌は何なんだという自己矛盾に陥ってしまったのでは無いかと思う。
尾崎がもっと後まで歌手として売れていなかったら、あのような死に方をすることも無かったのかと思う。
その点つげ義春は常に自分が居心地が良い貧乏ったらしい世界に回帰しようとしている。
その貧乏ったらしい世界が彼の創作の源なのだ。
つげの作品で「山椒魚」と云うのがあって、どこかのどぶ川でひっそりと生きている山椒魚の独白の物語で、実は自分のてらてらと光る頭がちょっと気に入ってるんだよなあと言うのだけれど、これは、つげ自身の事だなあと思った。

自転車盗難騒動

ある日居間でテレビを見ていたら突然純子が声を上げた。
どうしたのかと思って振り返ると庭を見ている。
「自転車が無い。」と言う。
道路に面して置いていたならともかく、庭に置いておいたのに盗まれるわけは無いだろうと思ったが、家の周囲をあちこち見てみても見当たらない。
純子が「盗まれたんだね。怖いねえ。こんな敷地の中にまで入ってきてあんなぼろ自転車盗んでいくなんて。」と言う。私も自転車を盗まれた事よりも、悪意を持った人間が我が家の敷地に入ったと云うことに憤りを覚えた。

「最近は中国窃盗団なんてのが居るからなあ、鍵をきちんとかけないといけないなあ。」

脳裏には小樽あたりの埠頭で、ペンキのはがれた錆だらけの貨物船の中古自転車の山に無造作に積み上げられた純子の赤いママチャリの姿が思い浮かんだ。
「私、盗難届出してくる。」と言って純子は近くの交番に出かけた。
しばらくして帰ってきたので「どうだった?」と尋ねると「一応調べてくれるって。大した値段じゃないんで出てこなくても仕方無いんですけど、こういうのを見過ごすともっと大きな犯罪に繋がる事もあるでしょうし、小さな犯罪でも届けるのが市民の義務ですからって大見得切って来ちゃったよ。そしたら、『分かりました。何か分かったら連絡しますから。』って言ってたんで、もしかすると電話来るかもね。」と言う。

それでしばしの間「この団地も物騒になったもんだ。」などと話していたのだが、純子が夕食の支度のために生協に行くと言う。
「自転車がないと不便だよねえ。」と言いながら出かける支度をしている内に突然「あっ!」と言って空中を見上げている。
その時、純子の頭の中ではいくつかの言葉の断片が芋ずる式に浮かび上がってきて、それがジグソーパズルのように組み上がり、一つの絵を形造り始めていたのだ。

生協?、、そうだ昨日生協に自転車で行ったよな、、、。焼酎?、、、お酒も買ったよな、、、。何時も4リットルのタンクで買うから重たい。重たい?、、、それで帰りはすがちゃんに車で迎えに来て貰って、、、、。

そのジグソーパズルが完成した時の驚愕の声がさっきの叫びだったのだ。
純子の脳裏には自転車を置いた場所、置かれた自転車の姿までまざまざと映し出された。

「私、行ってくる。」と言って急いで純子は生協に走った。
しばらくして自転車のかごを買い物で一杯にして純子は帰ってきた。
「私、帰りに送って貰ったのすっかり忘れてたよ。あんたも何で気づかないのさ。あんたが悪い!そうでしょ!」

「その通りでございます。」と尻に敷かれている私が謝る。

なんで忘れてしまったのかねえ、等と話している内に電話がかかってきた。純子が出ると
どうも話の様子から見て警察からのようだった。
「いえ、見つかったのでもう良いですから。」と冷や汗を流しながら何度も言っている。
電話を切ると
「あんた!警察からなんだけどさ、お宅の自転車と同じ車体番号の盗難自転車が見つかったって言うんだよ。それも由仁町で見つかったんだってさ。私思わず目の前にある自転車は何なんだと思っちゃったよ。それで見つかりましたから結構です。ありがとうございましたって言ってるのに、『一応お伺いしますか?』としつこく尋ねるから、本当に結構ですからって無理矢理電話切っちゃったしょ。」

「何なんだ由仁町ってのは。昨日の今日で由仁町まで自転車で走るっていったら、相当根性のある泥棒だよな。夜も寝ずに国道を赤いママチャリで走ったってか。同じ車体番号なんてあるのかなあ。不思議だな。」

そんな大騒動があったのが三年前。
未だに赤い純子のママチャリは庭に置かれている。

社会という学校

若い頃は父親なんかを見て、歳をとって楽しいことなんか無いよなと思ったりしたが、今親父の歳になってみると楽しいことばかりだ。
子供は独立して、そこそこ食えるだけ稼げれば良いわけで、身の丈に合わない野望も持たなくて良いし、夫婦共々健康でさえあれば家庭菜園のトマトが大きくなったと言っては喜び、近所の猫が遊びに来たといっては喜び、「これはもしかして幸せって事なのかも、俺って幸せになっちゃったの?」と思ったりする。
こんな事ならもっと早く歳を取れば良かった。無理だけど。
不幸の形は決まっているけれど、幸せの形は千差万別だというような格言があったような気がするけれど、幸福か不幸かは本人がどう感じているかだけのことで、ハワード・ヒューズなんて大金持ちでハンサムで、ハリウッド女優と浮き名を流したりしていて、傍から見れば「不幸をきどってんじゃないよ。」と言いたくなるのだが、本人が不幸と思っていたのだから、彼は不幸だったのだと思う。
金なんてのは生きるのに必要なだけあれば良いので、必要以上にあっても逆に災いをもたらすものだと思う。
カーネギーなんてのは金をいくら持っていても心の空洞は埋まらないことを悟って、社会のために金をつかうことを選択した。
我々の子供の頃はみんな貧乏だった。
でも日本全体が貧乏だったから、特別自分の家が貧乏とも思わなかったので、それなりに幸せだった。
貧乏なことは恥ではない。貧乏なことを恥ずかしいと思う気持ちこそが恥ずかしい。我が経験から言ってこの手の人間は、見栄っ張りな奴、自分さえよければ良いと思っている人間が多い。
あまり付き合いたくない類の人間だ。
島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」をこないだGEOで借りてきて見たんだけど、子供に残すべき財産というのは金じゃなくて、身一つになっても生きて行ける知恵なんだと改めて思った。
よく酒場で世間知らずの教職を引退した人間が、自分はどこそこの大学を出て、どこそこの学校で教頭を務めて等と何気なく他人に伝わるように話したりしていて、純子なんかは「そんなら首からそういう肩書きぶら下げて歩きな。私なんか高校も出てないけど、社会という大学で一所懸命勉強してきたんだい。」と言う。

電気製品の法則

ダビングするために使っていた8ミリビデオが昇天したと思ったらそれに続いてビデオデッキも壊れた。それで娘のところにあげたデッキを借りようと思って持ってきて貰ったらテープを飲み込んだまま出てこないという。蓋を開けてテープは何とか引っ張り出したが、別のテープを入れると絡まってしまってどうしようもない。
不思議なことに電気製品は一つが壊れると次から次へと壊れてゆく。
パソコンなんかは新しいのを買うと古いのが具合が悪くなるのが常だ。
パソコンに花子ちゃんなんて名前をつけたりするから、感情を持ち始めるのか。
こないだ入れ替えたら古い方のパソコンのDVDドライブが早速壊れた。レンズが汚れているのだろうと思ってレンズクリーナーを入れても、そもそも回りもしない。
それで直してやろうと外して蓋を開けてレンズを拭いたのだが、今度はCDを入れるときに苦しそうにうめいている。
大体物が壊れたとき一応は直してやろうと目論むのだが結果はあら不思議、二度と使えない状況になるのが常だ。
大体ばらすとどういうわけだか必ず何本かねじが余る。余らなかった時など嬉しくなってしまうくらいだ。
何処についていたんだろうと目を皿のようにして見てみるのだが、全部ついている、あるいはついているように見えて、「なんだい、こんなねじの1本くらい無くたって良いだろう。」と勝手に解釈して組上げてしまう。
まあ、実際そんな何処についているのか分からないようなものは無くてもまともに作動することが多い。
とりあえずそんなわけで、我が家のテープ式ビデオ再生機は全滅したのだ。
どうせダビングが終わったら使うこともなかろうし、今更高い修理代を出すよりリサイクルショップで安いのを買ってきて使った方が良いと思うんでGEOでも行ってくるか。

病院


病院に行ってこの間の胃の検査の時に見つかった食道下部の白斑の検査結果を聞きに行った。
やはりカンジダという黴の菌で一月ほど薬を飲めば治るという。
黴もさすがに胃の酸では生きられないから食道で繁殖していたのだ。
色々薬を飲んでるせいで菌に対する防御力が落ちているのが原因だろうと美人先生が言う。早い話が食道に水虫が出来たのだ。
「水虫ありますか?」と聞かれたので「ずっと薬塗り続けてだいぶ治ったんですけど、踵の所だけが未だに治んないんです。」と言うと、「足の方もこの薬で治ります。」と言う。
しかし同時に胃の中にピロリ菌も見つかった。
以前ピロリ菌をやっつける薬を1週間程飲んだが死ななかったのだ。
85%くらいの人はその薬で退治できるはずが、出来ない方に入ってしまったのだ。
それでカンジダの治療の後にそれもやるようだ。
2年前の血液検査の記録を持ってきて、肝機能が衰えているし、中性脂肪の数値も高いからその後検査をしていないなら一度血液検査をしてみましょうと言われ採血される。
普段かかっている医者はもう15年くらいにもなるから、数値が高くても急に高くなったわけではないから問題ないと思っているのだと思う。
次から次へと悪いところが出てきて「俺は病気の巣窟だ。病気の一人万国博覧会だ。」とげんなりしてしまうが、普段不摂生をしているから当然の報いかも知れない。

思えば昔の平均寿命からいうと死んでいてもおかしくない年齢だ。
実際、クラス会で前の年来ていたやつが次の時には来てないから「あいつ来ないのか?」と訊くと、死んだという事がままある。
俺だって何年か前、偶々具合が悪くなって入院しているときに大腸ガンが見つからなかったら、今頃は仏壇に写真飾られて惚けた婆さんに「いったい、この人誰なんだろうねえ。」と首を傾げながら見上げられていただろう。
寿命というのは持って生まれた運命なんだろう。
昔、遠くへ行こうと新幹線の屋根に乗って目的地まで行った男が居て、よく死ななかったものだと感心したが、そのすぐ後で大したことのない事故であっさり死んでしまった。
その時が来ないと死のうと思っても死ねないのかも知れない。
しかし生きている限りは生き延びる努力はするべきだと思うので、たまに別の医者に罹って別の視線で見て貰うのも良いかもしれない。
何よりこの病院は近いし美人先生だからなあ。

蝦蟇の油

ようやく子供の成長記録のビデオはDVDに落とし変えた。
ずっと監視していなければならないので、必然的に最初から最後まで見ることになる。
見ていると、「ああ、あんな所に行ったこともあったなあ。」とか「この子供のお友達はスチュワーデスになりたいって言ってたけど、どうしてるんだろうかなあ。」とか思う。

たまには自分も映っていて「顔は老けたけど声は変わってないね。」とか「何この頭。爆発してるしょ。」等と純子に言われたりする。

世の中で過ごす時間で何が一番苦手かというと、床屋で自分の顔と対面するのが一番嫌なので、その頃は出来るだけ短く切ってもらって、伸ばせるだけ伸ばして、どうにもこうにも気持ちが悪くなって辛抱堪らんというまで、床屋から半径10メートル以内には近寄らなかったのだ。昔、ガロみたいな頭になって、「きっみとよっくこっの店にきったものさ~♪」と歌い出しそうになってどうにも気持ちが悪く、昼休みに床屋に行って思いっきり短くしてもらって帰ったらあまりの変貌ぶりに大爆笑された。
今は安くて15分くらいで終わる床屋があるから、一月に一回は行っている。
しかし一般の床屋のあの過剰サービスというのは「いらねえ物」の代表の様な気がする。
肩も凝らないからマッサージなんていらないし、耳なんか手があるんだから自分で掃除できる。変な油を塗って吸盤みたいな物で皮脂を吸い取るっていったって、もうニキビ花盛りの時代を遙か昔に通り過ぎて干物のお肌になってしまった親父にやって、「何か意味があるんかい?」と言いたい。
何でも美容院なんてのは半日とか、かかるというではないか。
俺だったら発狂していると思う。
昔は娯楽は無いし暇な親父がごろごろしていたから、床屋がうわさ話が飛び交い、将棋をしたりして時間をつぶす憩いの場であったらしい。その名残でやたら過剰サービスで時間をかけているのだろうか。
俺なんか床屋の親父と世間話に花を咲かせたいとも思わないし、世界情勢について語り合いたいとも思わないし、自分の面とにらめっこしている時間が早く終わってくれと、蝦蟇のように脂汗を流しながらひたすら祈っているだけだから、さっさと髪を切って洗髪もせず終わってくれる床屋はありがたい。

ペンキ塗り

連休中は我が社「一応会社なので」で請け負った塗装工事が入っていて、屋外なものだから毎日の天気が気になって仕方がない。一昨日は雨が降り、一応やれるところだけ作業はしたがすぐ終わってしまい、仕事の遅れが気になって仕方がなかった。
昨日は朝、天気が良かったので早くから水を除けるためにモップやら、スクレーパーやら持ってペンキ屋さんが来る前に少しでも出来ることをやっておこうと出かけた。
何せ、素人が手伝いできることはそれくらいで、下手に手伝えば逆に足手まといになってしまう。
口も手も出さず、現場の人間にすべてを任せて休憩の時間のお茶を用意するくらいが監督の役目だ。
おかげで昨日はかなり進んで終わる目処が立ってきた。

しかし、プロの仕事というのは見ていて無駄がないし計画的だ。
去年屋根のペンキを自分で塗ったときは、まず屋根の歩ける部分が気になって塗ってしまって、その後ベランダの手摺の錆が気になって錆落としをしたら、生乾きの屋根に張りついてしまい、足跡やら錆でぼこぼこになってしまった。
やはり足場は一番最後に塗るものなのだ。
でも、自分の家だから見てくれはどうでも良いのだ。
おかげでこの冬は屋根の雪を下ろさなくても自然に全部落ちた。

とりあえずこの、計画も立てずに衝動的に物事を始める性格と云うのは娘も受け継いでいるらしく、以前自分の部屋を模様替えしようと壁やら天井やら塗り始めたは良いが、途中でペンキが足りなくなり天井の半分を塗ったところで無くなってしまい、熱も冷めたのかそのまま放置したため壁もまだら状態で使っていた。
養生などという言葉は彼女の辞書に無いらしく、絨毯もペンキだらけだ。
やはり俺の血を受け継いで居るなあと思った。

仕事が終わり家に帰ると、純子が我が家の台所の塗装工事をやっていて、去年俺が屋根を塗った時に着ていたペンキだらけの作業服と手ぬぐいを頭に巻いて、「どうだい。親方と呼びな!」と腰に手を当ててふんぞり返るから、「明日ペンキ屋に良い腕の職人が居るから、忙しいときに使ってやってくれと紹介してあげるわ。」と言っておいた。
「明日でも手伝いに来るかい?」と訊くと、「明日は壁を塗らなきゃなんねえんだい。今日塗ったところも二度塗りしないといけないしね。やっぱりペンキは二度塗りが基本だからね。」と、職人の様に言う。
我が仕事の方も今日は人手を入れるというから、仕上げ塗りの二回目が終われば良いのだが。
やることはまだまだあるのだ。

子供

昼飯を食べに家に帰ったら純子が「あんた、今日何時頃帰れる?」と聞く。
こういうときは曖昧な答えをしておくのが一番だと思い、「5時頃までには帰れると思うけど、なんかあったのかい?」と聞くと、「この間えくぼに飲みに行ったらさ、ママの孫のR太が、『婆ちゃんの所にパソコンある?』と聞いたんで『ああ、あるよ。』と腹をたたいて言ったんだと。本人は胸を叩いたつもりらしいんだけど、どっちがどっちだかわからないからね。」

R太は純子がえくぼに一人で行ったとき偶々妹さんと二人で居たらしく、帰ってきて「今時珍しい、擦れて無い子供らしい子供だよ。まるで昔の日本の子供みたいなのさ。」
と言っていた。
店で何度か見かけたが挨拶のしっかりできる子で、特に会話はしなかったが躾の出来た子供だなと思っていた。

「それでね、R太が遊びにやってきてインターネットで調べ物をしようとしたら、繋がらないのさ。
だって繋いでないんだからね。
そしたら『今時パソコンあるのにインターネットが無いの?』というので『よーし、婆ちゃんに任せとけ。知り合いの所にあるから。』と言ってしまったので、良かったら使わせてと言うんで、『良いよ。』と言っておいたんだけど、それからすごく楽しみにしていて、『何時行くの?』って毎日聞かれるんで、今日はどうだろうかと言うのさ。」

「ふーん、何を調べたいのかな?」

「なんかね、今、竜巻にすごい興味を持っていているらしいよ。ママに言わせればちょっと変わった子供らしいよ。変なことばかりに興味を持って、百科事典を買ってあげようとしたら『自分で調べて自分用の百科事典を作る。』って断るらしいよ。
ママはああいう豪快な女だから、『子供は外で遊べ。』と言うらしいんだけど、勉強が好きなら、そういうところを伸ばしてやった方が良いと思うんだよね。人それぞれ向き不向きがあるんだから、勉強が好きならやらせてやれば良いと思うんだよね。」

「子供に勉強しろって言う親が多いのに珍しいな。そういや、俺も子供たちに勉強しろって言ったこと無いな。」

「あんたも子供の頃、天体望遠鏡ばかり覗いていて、『火星ちゃん』って言われてたんだろう?
きっと話が合うと思うよ。」

「50も半ばを過ぎた親父が小学生と話が合うと言われてもなあ。」

ところがあにはからんや、摩訶不思議なことに話が合ってしまったのだ。

R太は正しい日本の子供であるから、礼儀正しく「こんにちは。」と言って、えくぼのママと妹さんと一緒に元気よくやってきた。
大きな眼鏡をかけていかにも賢そうだ。
我々の小学生の頃なら「博士」とかあだ名をつけられそうだ。

「R太は竜巻に興味があるのかい?」と聞くと「はい、そうです。」というので早速ネットで調べ始めた。
調べてみると竜巻の生成には積雲や積乱雲が関係しており、よく学校のグラウンドの隅で風が渦を巻いているのとは発生の仕組みが違うようだった。
そして竜巻は陸で発生するものと、海で発生するものと、空中で発生するものがあり、それぞれトルネード、ウォーター・スパウト、ファネル・アロフトと呼ぶらしい。
親雲の中で発生する上昇気流によって雲の中に気圧の低い部分が出来、そこに周辺の空気が引っ張られて流れ込むときに渦が発生して竜巻が出来るというメカニズムだ。
そして、竜巻の強度を表すのに藤田・ピアスンスケールというものを使うが、F0からF5までの6段階あり、F5ともなると風速117-142 m/s、住宅などは跡形もなく吹き飛ばされ、列車なども飛ばされてしまう。
よく世界のミステリーなどという本で空から突然牛が降ってきたなどというのは、竜巻に巻き上げられたのだろう。竜巻に乗って遙か遠くまで空中を飛んでゆく牛の気持ちというのはどんなものなのだろう。

「おら何やってるだ。足がふらふらして体がくるくる回ってなんか落ちつかねえだ。」と思いながら飛んでるのだろうか。

アメリカでは年間700ものトルネードが発生しており、その死者はハリケーンの3倍にもなるという。
そういうことを読んで教えてあげるとR太は食い入るようにモニターを眺めていた。
いい加減読むのに疲れたのでR太にパソコンを預けると、学校で使っているらしく色々自分で調べ始め、自分のノートに一所懸命書き写している。
純子が「印刷してあげたら?」と言うので印刷の仕方を教えたら50枚近くの資料を作り、整理し始めた。
それで純子が「R太は他にはどんなことを調べたいの?」と聞くと、「蚊柱について知りたいです。ユスリカという蚊が集まって飛んで柱みたいに見えるんです。」という。

蚊柱~?!なんてマニアックな子供なんだ。おじさんちょっと感動したぜ、と思いながら調べてみた。
調べてみたら驚くべき事がわかった。

「おい、R太。ユスリカって蚊じゃ無いんだってさ。ハエの仲間だってよ。」

R太は目を丸くして整理していた資料を放ってやってきた。

「本当だ。ユスリカには刺されないのは蚊じゃないからなのか。」と食い入るようにモニターを見つめ、驚いていた。

帰り際に純子が「他には何か調べたいことは無いの?あったら又来て良いからね。」
と言うと「オーロラについて調べたいです。」と言う。
オーロラなら任せとけ、と思い「それは太陽から太陽風と言うのが吹いてきてね、、。」と言いかけたら迎えに来ていたR太のママのひろのちゃんが「こんなに印刷してもらって、ありがとうございます。」と言うので純子が「又お出で。」と言い、R太は正しい日本の子供らしく「はい。又来ます。」と言い、大事そうに資料を抱えて帰っていった。
興味のあることに一心不乱な子供は見ていて気持ちがよい。

進化

ちょっとの間違いでOSを再インストールする羽目になってしまって、又一日かかりっきりだった。それでもオンボードのLANも使えるようになり、ビデオ編集ソフトも外付けのDVDライターを買ってDVDを焼けるようになった。VHSテープをパソコンに取り入れるための機器も正常に働くようになった。
大体そもそもこいつが前のパソコンで動かなかったために、パソコンを買い換える気になったのだ。

昨日ラジオを聴いていたらウォルト・ディズニーは将来医学が発達して蘇生が可能になったときのために遺体を保存しているだか、細胞を保存しているだかしているらしい。
それで、その人の生前の記憶もデータとして取り入れる研究もしているらしいので、そのうち蘇生したら死んだときのままでよみがえることも可能になるだろうとの話だった。

ちょっと信じられない話だが、以前にも話したが生命は環境変化に対する防衛策として、種の多様性を選択し、死ぬことを選んだものがほとんどだ。
一人の人間がずっと生き続けるということは、進化を拒むということなのだろうか。
それとも、このように科学を駆使して変化すること自体が新しい進化なのだろうか。
最近の若者は柔らかいものばかり食べているから、顎が細い。
アニメ絵などを見てもそんな絵ばかりだが、はじめの頃は作者の画風なんだろうと思っていたが、最近はそんな顔が町中でいくらでも歩いている。
ここ、2,30年の変化だろう。
クロマニョン人が仮に、ニューヨークをスーツを着て歩いていても誰も気づかないだろうという。現代人とクロマニョン人は生存時期が重なっていた時期もあったという。
しかしクロマニョン人は滅びて、今は居ない。言語通達能力が無かったのが原因という説もあるが、現代人に融合していったのかもしれない。
自然の進化というのはこのようにゆっくりとしたものであり、仮に新しい種が生まれていたとしても外見は現代人と変わらず、ちょっと変わった奴だなあと思う程度なのかもしれない。
あなたのそばにも変な奴が居ませんか?
もしかすると新人類かも知れませんよ。

空を飛ぶ人

ゴールデンウィークはびっしり仕事だ。
仕事が少なくて困ったこともあったから、むしろ忙しいのは嬉しいことだ。
どうせ仕事柄、暇でもどこにも行けないのだし。
夜はあいているから、お誘いがあればいつでも飲みますよ。

ところで最近高層マンションやら、やたら高いビルが建っているけど、屋上にヘリポートらしき物が作られている物が多いね。
あれは火災になったときの脱出用なのかな。
高層建築というのは、火災になったときの避難をどのように考えて作られているのだろう。
最近の建物は鉄骨にパネルを貼り付けて造っているから、あれよあれよという間にできあがるけれど、ツインタワーの例を見てもああいう建物は熱で鉄の強度が弱くなると一気に崩壊する可能性があると思うんだけど。
高層ビルで地上からの消火活動が出来ない階で火災が発生した場合、上の階の人は上しか逃げ場が無いわけで、ヘリポートが必要になるのだろう。
もし自分がこういう高層マンションに住むとしたら、まずパラグライダーの練習から始めて、いざという場合は窓から脱出しようなどと考えてしまう。

以前、パラグライダーの競技の番組を見たことがあるけれど、面白そうだね。
上昇気流に乗れば高く長く飛べるらしい、
急降下するときは傘をしぼませて一気に落下する。
ハンググライダーというのは凧だから失速して墜落する事故もあったみたいだけど、パラグライダーは落下傘だから安全性は高いようだ。
時々ウルトラライトプレーンてのが低空をゆっくりと飛んでいるのを見かけることがあるけれど、あれは危険らしい。
飛行機は飛んでいるとき様々な方向に揺れながら飛んでいる。
ヨーイングとかローリングとかピッチングという動きだ。
ウルトラライトプレーンのような軽い飛行機はその揺れの周期が短いらしい。
日航機の御巣鷹山の墜落事故の時に話題になったフゴイド運動という、高度が上がったり下がったりする現象が、大きな飛行機の場合は周期がゆっくりなので余裕を持って修正できるのだが、超軽飛行機の場合は周期が短くて、操縦士が反応して修正したときにはすでに遅く、逆にフゴイド運動を増幅するように操縦してしまうらしい。
良く墜落事故を起こしているけれど、小さい飛行機の方が操縦は難しいのだろう。

昔、航空自衛隊に入ったときは、航空自衛隊と言えばなんと言っても戦闘機のパイロットと云うイメージがあるから、パイロットになりたいんですがと言ったのだけれど、年齢で撥ね付けられてしまった。
しかし仮に適性試験を受けたとしても受からなかったと思う。
学科はたいしたことは無いのだけれど、何せ運動能力が問題で、良くNASAの訓練で見かけるような上下左右にぐるんぐるん回る機械で回されて、さあ、白線の上を踏み外さないように歩いてみろ、というような試験らしい。
器械体操なんかやってた人は良いかもしれない。

戦闘機のパイロットは危険な職業で保険にも入れない。
自分が居た三年間で毎年墜落して何人か死亡していた。
特に12月は陸、海、空合同の総合演習というのがあって、寝ていると突然「○時○分、コックド・ピストル発令」という放送があって、それぞれの持ち場でずっと待機しなければならない。
コックド・ピストルというのは安全装置をはずした拳銃のことで、戦闘態勢を意味する。
いい加減うんざりした頃に、どこかで戦闘機が墜落し総合演習が中止になる。
その時には「スノーマン発令」となる。平常体制に戻ったということなのだが、何故それが「雪だるま」なのかはわからない。
高速での機体からの脱出は射出座席を使っても助からない場合が多いようだ。
結局見つかったのは肉片一切れだった。

その頃はF104Jという鉛筆に翼をつけたような戦闘機が多く、ドイツ空軍でも採用されていたがよく墜落事故を起こし、ウィドウ・メーカー(未亡人製造機)とあだ名をつけられていた。
演習場で急降下して地上の標的をバルカン砲で撃って離脱するという訓練で、そのまま失速して墜落したことがあった。
幸いパイロットは脱出したが、原因究明のため墜落現場に機体の破片の回収に行った。
演習地は無人島にあるわけでは無いから、市民団体が抗議のための視察に同行した。
演習地は不発弾などもあるので金属探知機で調べながら細い道を造って、そこ以外は歩けない。
現場に着くと直径10メートルくらいのすり鉢状の穴が開いており、穴の底から噴射ノズルのコーンだけが見えており、先端部は柔らかい土の中にめり込んでいた。
周辺は広い範囲にわたって機体の破片やら20ミリ機関砲の弾丸が散乱しており、土に染みこんだジェット燃料の匂いが充満していた。
我々は回収作業を始め、幹部自衛官が市民団体相手に説明をしている。すると後ろの方でいかにも野次馬で来てみましたという風情の親父がタバコを吸っていて、吸い殻を燃料の染みこんだ地面に捨てている。薬莢がつぶれて火薬も散乱しているというのに
素人は怖い物知らずだ。
基地上空で墜落したことがあって、遺体は回収したのだが胴体だけで頭が何処にも見つからない。それでみんなで捜索していたら滑走路のはずれにヘルメットが落ちていて、拾ってみたら頭付きだったという話も聞いた。

こういった危険な職業ではあるが、所詮公務員であるから戦闘機パイロットのボーナスが民間のパイロットの毎月の給料くらいで、俺は戦闘機を操縦して居るんだという誇りが無ければやっていられない仕事かも知れない。
米軍の戦闘機のパイロットの本によれば、戦闘機と旅客機の差は、フォーミュラ1と乗り合いバスくらいの操縦性の違いがあるらしい。
一年に何人という自衛官から民間パイロットへの枠もあるらしいが、戦闘機に乗っていた人間が旅客機を操縦してもあまり面白くは無いようだ。

引越2

新居に引っ越してみたら、内装こそ派手だが、土台は傾いているわ、水漏れはするわで早くも修理工事になってしまい、又古い家に引っ越す羽目になってしまった。
電源を入れてしばらく放っておくと、画面がざらざらになり何も見えなくなってしまうのだ。どうもグラフィックボードが怪しいのではないかと思う。
Ge-FORCEの7900GSというボードで、でっかいファンが基盤についていてゲームもバリバリ動くというやつなのだが、、、。
SHOPに持って行ったらさっき電話が来てやはり現象が出たという。
買った翌日と云う事もあり、同じ物がないので同等の物と取り替えますというので、スペックを聞いたらもっと上位機種かと思ったのに逆に落ちるやつだったので、修理を待つことにした。
帰ってきたらXPを入くてやろうと思っている。
VISTAなんてのは派手な姉ちゃんみたいなもので、躾けもなっていないし金遣いは荒いし、そこへ行くとXPというのは落ち着いた大人の女で、あれ買ってこれ買ってと言わないし、一緒に生活しても長続きしそうな気がする。

引越1

急に引っ越すことになって慌ただしいこと。
いや、パソコンの引っ越しなんだけどさ。
最近動画を扱うことが多くなって仕事用に買ったパソコンではちょっと処理速度が遅くて何とかしなけりゃと思っていたんだけど、又、例のごとく衝動買いをしてしまったのさ。
まるで俺の人生そのもので、行き当たりばったり、買う前はちっとはああだこうだと考えるんだけど、むらむらと欲しい衝動に駆り立てられて「今すぐ欲しい!」とパソコンショップに走って、現物が無ければ別の店に走る勢いだったんだけど、偶々あったんで買っちまったのさ。
これは性分だろうね。
結婚するときも、仕事を変えるときも同じようなもんだったな。
人生は博打だと思ってるからね。
たとえば結婚なんてどんなに長くつきあって、「この人なら。」と思ったって、実際に一緒に暮らしてみたら「こんな人だったの?」ということがままあって、90%理解していても最後の10%は賭でしかない。
まあ、とりあえず飛んでみるか、駄目だったらやり直せばいいし、という感じでやってきたからね。
まあ、そんな大げさな事でも無いんだけど、それにしても新居は使い勝手が悪い。
どこに何があるかわからないのもあるけど、何よりも不安定でこんな中途半端な製品出すなよ、と思ってしまう。
やはりXPが安定していて一番良い。
出来ればXPのプリインストールされている物をと思ったのだが、どれもVISTAばかりで選びようがない。
増築を重ねた旧家は物が大量にあって、最初はハードディスクをそのまま移設すりゃいいやと思っていたのだがソケットの形が違っていて使えない事が判明した。
規格が変わってしまったのだろう。
VISTAの中に古いパソコンのデータを簡単に新しい方に移せるソフトが入っているのだが、上手く働かないので一つ一つ移動させている。
引っ越し屋に一切合切お願いしていたのに、やってきたのは役立たずの素人だった様な気分だ。
おまけに旧家も、主の引っ越しを感づいたのか「私を捨てて新しい女の所に行くのね。」とすねてしまったようで、HPを更新しようと思ったらあるべき筈のファイルが見あたらない。
それで昨日は動画を上げられなかったと言うわけだ。
「捨てる訳が無いじゃないか。お前にはこれからも二階で静かに暮らして貰って、時々は必要な物を取りに行くから。」となだめて、何とか引っ越しを手伝って貰っているという状況だ。
新しい家に引っ越すとなると家具も新しくしなければならなくなり、大層ものいりだ。
今までXPで動いていた会計ソフトがVISTAで作動しない。
たぶんパッチを当てるだけではすまなく、買い換えなければならないと思う。
全くソフト業界の陰謀としか思えない

スパム

迷惑メールが一日に山ほど来る。
ほとんどがエロ系のメールで他は海賊版ソフトの売り込みだ。
それで何時もざっと見て「編集」「すべて選択」「削除」しているのだが、時には仕事のメールや、大事なメールが混じっていてあわてて「削除済みアイテム」を開けてみても、綺麗さっぱりこの世から消滅している。
それで又相手から送って貰ったりするものだから、「どうもいかん。あのエロサイトを覗いたのが原因かなあ。」などと思いながら、「何とかしなければ。」と、ネットで調べてスパムメール対策のしっかりしたメーラーを探し、いくつかの試用版を試して、結局「shuriken」を使うことにした。
フリーソフトもあったのだが、見た目OUTLOOK EXPRESS に似たデザインでメールアドレスや保存しているメールを簡単に移せるのが楽なので。
全くこのスパムメールはどうやってアドレスを調べているのやら。
スパムってアメリカのホーネルという会社が軍用食料として開発した物で、ランチョンミートとも呼ばれている。
昔、自衛隊にいた頃、同期の奴で沖縄出身の男が居て、彼が帰省して帰ってきたときのおみやげとしてスパムをくれた。
沖縄ではスパムがごく普通に食べられており、ゴーヤチャンプルの具にされたり、味噌汁に入れたり、海苔巻きに使ったりしている。
それで美味しかったという記憶があるものだから、沖縄のスパム工場から箱で買ったりした。
久しぶりに食べてみると豚臭くて油がすごく、あの頃は常に腹が減ってたから旨く感じたのかと思った。
このスパムという軍用食料は、第二次大戦時フランスがドイツ軍に補給路を押さえられ食料が払底したときに、米軍が輸送機で空からスパムを大量にばらまいて危機を脱したという、なかなか歴史の中で重要な役割を果たした食い物なのだ。
しかし軍用の保存食であるから塩分が強く、腐食防止剤も入っているからあえて平和な時に食べるほどの物ではないのじゃないかと思う。
スパムを開発した人が沖縄を訪れて「まだ、こんな物を食べていたのか。」と言ったという。
でも、沖縄の人は長生きだから、余り気にすることも無いのかも知れない。

客室乗務員

スチュワーデス、最近はキャビン・アテンダントって云うのかい?でよく思うのは、今はどうなのか知らないけれど、どうして身長制限があるのかね?
それも何センチ以上ってさ。
背が低い方が狭い機内で機敏に動けると思うのにさ。
体重制限があるってんならわかるんだけどさ.
体重150キロのスチュワーデスが十数人乗っていたらその分荷物やお客を乗せられないだろうしね。
第一狭い通路につかえてしまって身動きできないだろうしさ。
実際外国の航空会社にはそんなのが居るみたいだね。
相撲取りみたいなスチュワーデスが、客の重たい荷物を片手で荷物棚に軽々と放り込んでるみたいだよ。
しかしこれは大きな機体の航空機だから出来るんで、アメリカのローカル線のコミューター機では機体が小さいので、身長何センチ以下という小さいスチュワーデスを採用していることもあるみたいだね。
何でも旅客機が運行され始めた頃は、客に何かあった場合に対応できるように看護婦を乗せていたらしいね。それと男のスチュワード。
でも、飛行機には墜落というイメージがあるから、女性でも安心して乗れる乗り物だとアピールする目的で綺麗な女性を客室乗務員に採用したらしい。
昔はスチュワーデスというのは女性のあこがれの職業で、教養があり、英語が出来て容姿端麗で男は選び放題というイメージだったが、中には面白い名物スチュワーデスも居たらしい。
全日空だと思うが名物スチュワーデスが居て、長旅で客が退屈していると見ると、「さあ、それでは皆さん、歌を歌いましょう。この席からこっち側の皆さんは先ね。こっち側は後からついてきてください。」と言って、自らは指揮者よろしく手を振って指揮をし、静かな湖畔を輪唱させた。「はーい、その列のお客さん声が出てないよ。」なんていいながらさ。又、ある中年の親父が靴を脱いで寝ていたのだがやたらと足が臭く、隣の客から苦情が来た。
そこでこの人は毛布を手に「お客様、お足がくそうございますので毛布を掛けさせていただきます。」と言って毛布を足に掛けたそうだ。
こういう人は面白いからファンもついていたらしい。
中には体育会系のスチュワーデスも居て、初めて飛行機に乗って珍しくて立ち上がってきょろきょろしている客が居ると「そこの親父。座れ!」と命令したと云う話だ。
ロシア辺りの飛行機に乗ったら普通にありそうな気がするな。

環境保護という名の錦の御旗

先日テレビでやってたんだけれど、ゴミの分別収集は意味がないと言っていた。何故なら、結局同じ場所に集められて一緒に焼却されるからだという。
それについては私も以前からそうではないかと思っていた。
一度せっかく分別してあるゴミを収集車が一緒くたにして車に放り込んでいるのを目撃したからだ。
ペットポトルなんかはほとんど焼却されていて、服なんかに再生されるのは極くわずかだそうだ。
そして再生するために燃やすよりも何倍ものエネルギーを浪費している。
これについても以前製紙会社に勤めていた同僚が、再生紙は再生するのにはコストも高いし、環境汚染の原因だと言っていたのでうなずける。
焼却場では高温度で燃やすのでダイオキシンなどは発生しないという。
ダイオキシン自体が自然環境の中に存在する物であり、特殊なダイオキシン以外ほとんど人体に影響を及ぼさないのだと云う。
では、何故こういった環境保護の嘘がまかり通っているかというと、それをビジネスにしている人たちが居るからだ。

割り箸なんかを環境保護のために使わないという人たちが居るがこれも大嘘で、割り箸などは大木を育てるために間引きした間伐材を使用しているのだから、森を保護し育成する資金になるのだ。今、コストの面で割り箸はほとんど中国産だ。これは間伐材を使用していない。
今、中国の砂漠化がすごい勢いで進んでおり、日本の民間団体が植樹をしたりしているが、それらの木が成木に成るには何十年も待たなければ成らないだろう。
中国にも緑化運動があるが、緑色のペンキを土に吹き付けて芝生に見せているだけという、漫画のような話もある。
さすがの中国共産党もこれはやばいと思ったのか、あるいは国内の需要が増えたのか、木材の輸出を禁止するようだ。これからは国産の割り箸が多くなってくるかも知れない。
中国産の割り箸は船の中でかびないようにカビ防止剤が含まれているから健康には良くない。
古代の都市は皆森林伐採によって土砂が海に流れ込み、山も海も荒廃し滅んでいった。
植物を育てるのに適した土というのは、山の土の表層だけだという。
その土は森が何百年もかけて作ってきた物だろう。
その表層の部分が流れ出すだけで山は死んでしまう。
三陸海岸の山の道を車で走っていると、牡蠣を守るために山に木を植えようという看板があちこちに架けられている。実際、漁民が植林をしている。
山が荒廃し土砂が海に流れ込むと養殖している牡蠣が死んでしまうからだ。
地球上の酸素の三分の二は海で作られて居る。
海の中の植物性プランクトンや海草が作っている。
陸上の木は成長段階では酸素を放出するが、大人の木に成るとほとんど放出しなくなると云う。
しかし山が荒れ果てて土砂が海に流れ込めばプランクトンにも影響が出てくるだろう。
環境保護というのは地球規模で考えなければ無ければならないのだと思う。
グリーンピースの言う通りに捕鯨を禁止すれば、これまた別の魚が絶滅するだろう。
環境保護団体などというのは、どこかの勢力の息のかかった団体で、本当に環境の事なんぞ思っているとも思えない怪しげな連中ばかりだ。
環境保護という錦の御旗を振り回せば簡単に金が引き出せるからだろう。

高田純次

純子が風邪で寝込んだ。そうすると自分もこの足だから飯も作れない。
ましてや婆さんの世話なんか出来やしない。
改めて主婦の仕事の大変さに気がつく。
まあ今朝になったら熱も下がり平常に戻ったが。
今日で56歳の誕生日を迎えた。
親父が死んだのが57だったが、親父は随分大人に見えたものだが、それに比べて随分軽薄な大人になってしまったものだ。
肉体は老けたが頭の中は12歳だもんね。
昔の人間が老成するのが早かったのか、実は外面的に大人を取り繕っていたのか、我々の世代が子供っぽいのかよくわからない。いずれも当たっているのかも知れない。
軽薄な大人の代表と言えば高田純次だ。ああいう生き方出来れば楽で良いだろうなと思う。
高田純次の名言を掲げると

「オレが都知事になったら 都民全員でピクニックに行こうと思ってるんだ」
「あなた、写真好きなの?加納典明さんを紹介しようか?会ったことないんだけど」
「(寿司屋にて)とりあえずオレの手を握ってもらおうか?」
「オレはヒトの体に興味がないんだ。頭にオシリを乗せてるっていうんだったら話は別だけど」
「あなた、頭に乗せてるのは下着? あ、『帽子』っていうの」
「オレは『他人の演技手帳』というのをつけてて、ヒトの演技を10点満点で採点してるんだ」
「(カニを食べながら)かにかまよりは全然おいしいよね」
「妻は料理は得意なんだけど 缶詰とかをいっぱい出してくるんだ」
「パリは寒い時に行くとイイよ。行ったことないけど」
「キミ、ディスコに行ったことないの?じゃぁ、ジャスコは?」
「ウチの娘とは歯ブラシを別々にしてるんだ」
「え?4歳のお孫さんがいらっしゃるの?お孫さんは競馬はやらないの?」
「変態も ずっと続けていくと変態じゃなくなっちゃうよね」
「キミ、今度オレの映画に出てくれない?作る予定はないんだけど」
「オレは物忘れがヒドくて トイレに入って『何をしにトイレに来たのか』忘れちゃうんだ」
「オレはトマトが大好きで年に1回しか食べないんだ」

「オレはイタリア語がペラペラなんだけど 意味はわからないんだ」
「オレはもうちょっと技術を身につけて、オシッコしながらでもインタビューできるようになりたいと思ってるんだ」
「僕はB型だったんだけど高校の時に8万円かけてO型に変えたんだ」
「オレは錠剤を飲めば まだまだ布団を持ち上げるぐらいのパワーはあるよ」
「キミ、バストが大きいから肩が凝っちゃうの?おじさん、腰が凝っちゃって大変だよ」
「オレは楽譜は読めないけど、どっちが上か下かだけは分かるよ」
「キミ、目鼻立ちがしっかりしていて、どこが目でどこが鼻かすぐ分かるね」
「15の時に童貞を捨てたんだけど、相手はふすまだったんだ。5枚ぐらいは破ったよ」
「僕の趣味はピアノをひくことだよ。重かったんだけど10センチぐらい」
「オレはサーファーを目指してて、20メートルのロングボードに乗って波打ち際で遊んでたよ」
「オレが持ってる車はハンドルを左に回すと左に曲がるんだ」
「オレ、子供の頃は『しんどう(神童)』って呼ばれてたよ。よく貧乏ゆすりしてたから」

雪が融けてようやく松葉杖で歩けるような道になったのでリハビリのために散歩に出かけた。夏の間散歩していた道を歩いてゆくと大通りの道の向こう角に知り合いの犬がいる。
庭に二本の杭が打ち込まれその間にワイヤーが張られて、そのワイヤーに首輪の鎖が通されている。そのワイヤーの間だけ動き回れる。
飼い主はある程度動き回れるから散歩させる必要は無いと思っているらしく、この犬が散歩しているところを見たことがない。
いつも退屈そうに寝そべっていて、たまに胡乱な人間が通ると低い声で吠えたりしている。
優しい目をした犬で純子が声をかけるとしっぽを振ってやってくる。
何故か必ずその前に足をあげておしっこをする。
純子は動物が怖いので、なでてやるのは私の役目だ。
たまには散歩でもさせてあげれば良いのにと思うのだが、他人の犬だから可哀想に思うだけだ。

以前雑誌で犬にヘルメットをかぶせてバイクに乗せて走っている人が載っていた。ダックスフンドだからお椀のようなヘルメットから耳だけが出ていて、風にはためいている。
飼い主の話では

「犬の生活なんて退屈でしょう?だからこうやってバイクに乗せて色々なところに連れて行ってやるんです。」と言っていた。

この何時もつながれて退屈そうにしている犬は、もう諦観の境地に達しているのか、ただ寝ているだけでたまに餌を入れるボールを咥えて振り回し水を欲しいと訴えているくらいだ。

今日その犬の前を通ったら又寝そべっていた。
声をかけても来ようとしない。松葉杖を警戒しているのかな?と思い歩き出したら変な吠え声がする。
振り返ってみると屋根の上にカラスがいて犬の鳴き声をまねている。
この犬の鳴き声を聞いているうちに鳴き声を覚えたんだなあ、と思って歩いていったら純子が自転車で追いかけてきた。

「今、あの犬の家の軒でカラスがあの犬の鳴き声を真似していたよ。」と言ったら

「私が見た時はあの犬のそばに並んでたよ。」と言う。

どうも、さっきの鳴き声は犬に対するからかいの気配は感じられなかった。
もしかするとあのカラスは、あの犬を友達だと思っているのかも知れない。
だから、犬の鳴き声をまねて関心を誘っていたのかも知れない。
なにかそんなような気がして、そうだったら良いなと思った。

ピエールとカトリーヌ方言版

ピエカト方言版を作りました。
歌を聴きながら歌詞を読むとなおいっそう気分が出ます。

http://www.geocities.jp/acorn10jp/piekato.mp3

土佐弁

カトリーヌ: あらあがなところにピエールがおるわ

ピエール:  おやあがなところにカトリーヌがおるよ

カトリーヌ: まあピエール

ピエール:  やあカトリーヌ

ピエール カトリーヌ: お久しぶり

博多弁


カトリーヌ: あらピエールたらこげんところで そげんモノば丸出しにして~

ピエール:  ただふてえがってぇなく丸出しにしたくて~


カトリーヌ: それにしてもよか色ね~


ピエール:  そうかいな?


津軽弁

カトリーヌ: わんつかばし触っていいかしら?

ピエール:  こったらトコで?

カトリーヌ: それにしても太いわね~

ピエール:  そうだべが?

カトリーヌ: わんつかばし握っていいかしら?

ピエール:  えっ? こったらトコで?

カトリーヌ: それにしても固いわね~

ピエール:  そうだべが?

カトリーヌ: わんつかばしくわえてみてもいいかしら?

ピエール:  こったらトコで?

カトリーヌ: あ~ら、おいしいーわ とってもおいしいわ



ピエール: こぼれまつば

カトリーヌ: はまちどり

ピエール: きくいちもんじ

カトリーヌ: しめこみにしき

ピエール: ごしょぐるま

カトリーヌ: みだれぼたん

ピエール: まんじくずし

カトリーヌ: くるいじし

ピエール: つばめがえし


カトリーヌ: あ~ら、あずましいわ う~ん、とおってもいい気持ち

ピエール:  そうだべが?

カトリーヌ: わんつかばしこのまんま~ 一回転してむこう向きになっても~ いいかしら~?

カトリーヌ: 入れたまんまで~

ピエール カトリーヌ: 入れたまんまで~(二人)


博多弁

カトリーヌ: ちびっと、こんまま~ あたきの両足ば肩の上にのせてよかかしら 入れたまま~

ピエール:  えっ いれたままで?

カトリーヌ: あら 気持ちよかわ う~んばりよか気持ち~

ピエール: そうかいな?

カトリーヌ: ちびっとだけイッてみてもよかかしら~?

ピエール: えっ こげんところで?

カトリーヌ: あ~ん あらイッたわ ううん、あたきイッたわ~

ピエール: そうかいな?

カトリーヌ: たからぶね

ピエール: かげろう

カトリーヌ: ほんちゃうす

ピエール: しめこみちどり


猫語に近い名古屋弁

カトリーヌ: あぁら 気持ちいいにゃ~ う~んとっても いい気持ち

ピエール: そうかにゃ~?

カトリーヌ: ちょぼっとこのまま 3回転して 四つん這いになっても~ いいかにゃ~? いれたままで~

ピエール カトリーヌ: いれたままで~


土佐弁


カトリーヌ: ちっくとこのまま しまいのフィニッシュ あおむけくじゅうても いいかしら いれたまま

ピエール: えっ ほりゃあフツーのやつじゃ

カトリーヌ: そう うーん まっこといい気持ち~

ピエール: そうやろうかあ?

カトリーヌ: 2回目 イッてみてもいいかしら

ピエール: えっ こがなげに

カトリーヌ: あ~ん あらイッたわ う~ん わたしイッたわ

ピエール: そうやろうかあ

カトリーヌ: わたし 今日はこれくらいにしちょくわ

ピエール:そうね

カトリーヌ: ほんならねピエール

ピエール:  またねカトリーヌ

ピエール カトリーヌ: ごーきーげーんーよーう~(二人)

あぁ ピエ~ル ピエ~ル あぁん カトリ~ヌ ピエ~ル ピエ~ル

俺も暇だわ。

第二の人生

弘前の友人から電話があって、定年を数年残して教職を今月で退職するという。
以前から早めに退職して農業をやりたいとは言っていた。

「定年になるまで待った方が退職金も違ってくるんじゃないのか?」と言うと「いんや、定年まで待ってたら体ばこわすっきゃ。」と言っていた。

定年後はリンゴ農家をやるというのが夢だった。
学生時代、実家の職業を尋ねたら「ドンFarmerだ。」と吐き捨てるように言っていたから、当時は農業は嫌だったのだろう。大体親の仕事は子供はやりたいと思わないものだ。長男であったから農家を継ぐはずだったのだろうが、農家は稼ぎにならないからと親も言っていたらしく、結局兄弟も後を継がなかった。
教師になってから親が亡くなり、結局彼がリンゴ園を受け継いだ。
仕事の傍ら農家をやっている内に、農業に興味が湧いてきたらしく農業関係の本を読んだり、リンゴ作りの名人のところに話を聞きに行ったりして、自分なりのリンゴ栽培の方法を編み出したらしい。給料も随分リンゴ園につぎ込んできた。

「菅沼さ、百姓が一生の間に何回米ば作ることが出来る?せいぜい50回だっきゃ。自分で一から始めたら一生かかってもまともな作物さ出来ねけも知れねっきゃ。だばって人さ聞いたり、本ば読んだりすることが大切だはんで。」と言っていて、成る程と思った。

「青森県は所得が少ないって言う奴が居るけど馬鹿だっきゃ。それは、畑ば持っていね奴は貧乏だはんで、自分で野菜さ作ったりしてれば食費だばほとんどかからないっきゃ。そういうことまで考えれば青森は決して貧乏県じゃないっきゃ。」とも言っていた。

実際彼も自宅のりんご園の片隅に畑を持っていて野菜は買うことはない。
健康に気をつけて質素な物ばかり食べているから買うのは米くらいなものだ。

彼の家の脇に30メートルはありそうなタモの木が二、三本立っている。
まるでトトロに出てくる楠の様な巨木だ。
トトロを紹介したとき、彼はビデオを借りて見たらしく電話をしてきた。

「いやー、菅沼、良いもんば教えてくれたっきゃ。我(ワ)、感激して学校で生徒にビデオ見せてるっきゃ。」と言う。

高校生にもなって子供の頃見た「となりのトトロ」を見せられるとは、生徒たちも困惑したろう。
彼がそれほどまでに感激したのは、あのタモの巨木が原因では無いかと思う。
ある朝カッコウがその巨木にとまり大きな声で鳴き始めた。
友人は田舎に住んでいる幸福感に満たされ、この喜びを誰かに伝えたい、いや、伝えなければならないと思った。それで東京に居る弟のところに電話をして、

「今、裏の木さカッコウさ来て鳴いてるっきゃ。奥さんにも聞かせてやれ。」

と受話器をカッコウの木に向けて延々と現場中継をした。
弟は電話口から聞こえるカッコウの鳴き声を仕方なく聞いていたが、本人に代わると

「兄貴さ、まだ5時前だべ。東京だば新聞配達しか起きてねはんで。」と言われた。

その彼のお気に入りのタモの木はとなりの婆さんの目の敵で、ある時婆さんがタモの木の前で焚き火をして木が焦げたことがあったらしい。どうも意図的にやったらしく、それ以来婆さんとは犬猿の仲らしい。
まあ、となりにあんな巨木があったら陽も当たらないし、台風で倒れてきたら、と心配になる気持ちもわからないではない。

「木ってばさ、あれだけの大きさになるのに何百年もかかってるっきゃ。ここいら辺でも随分大木さ、邪魔だばって切ってるっきゃ。我(ワ)に言わせれば馬鹿だっきゃ。
一旦切っちまったら失敗したと思っても百年以上待たなきゃなんねのにさ。」

彼はずっと独身であったし、酒も女遊びもギャンブルもするわけではないから金を貯め込んでいると思われているらしいが、金は無いらしい。
リンゴ園に将来のために投資してきたのも原因だが、それ以上に「知りたい病」が原因なのだ。教師という職業のために休みが多い。若い頃は研修と称して1ヶ月インドを放浪していた。インドというのは聖なる物と俗なる物が混在していて、タージマハールなんかはすばらしく美しいが、町では道ばたで平気でうんこをしている。とにかく強烈な印象を残す国だったという。
友人は英語の教師をしていたのだが、発音はいわゆるジャングリッシュだ。LとRの発音が使い分けられない。しかも津軽訛りも混ざっているかも知れない。
それで現地の人間がたむろって居るところに行くと、彼が日本人だと知って仲間内で日本人の英語の発音は全く駄目だと話し出したらしい。それで友人はしょぼんとしてしまったと云う。

「だって日本は植民地になったことがないから、外国語が下手なのは仕様が無いよ。」といったら友人は膝を叩いて

「そうだっきゃ。そのうち仲間の一人がそれと同じ事ば言ったはんで、今度は向こうがしょぼんとなったはんで、我は逆に鼻高々だったっきゃ。」

外国旅行はその一回だけだったが、色々な本を読んで興味をそそられた場所に一ヶ月とか滞在するものだから、金は貯まらないらしい。
年金が出るまではまだあるが、今までリンゴの苗を植え続けてきたおかげで贅沢は出来ないが、食いつなぐことは出来そうだと言っていた。
今年一年間は農業の勉強のためにあちこちの農家の手伝いをするつもりらしい。
自分のやりたいことが出来るんだから、幸せだろう。

北海道新聞

我が家は親の頃からずっと「北海道新聞」を取っていた。
それをやめたのはイラクの人質事件の「道新」の論調があまりにも的外れだったからだ。
思えば「正義の人」だった高校生の時に、君が代を戦争と結びつけた投稿を「道新」に送ったたところ、すぐに載ったことがあった。
今思えば忘れてしまいたい過去だ。
3月13日の「北海道新聞」に従軍慰安婦についての記事が載ったらしい。
それに対してネットユーザーが突然新聞社に電話をかけた。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1838335

こういうネットユーザーによる、報道機関に対する突然の電話取材と云うのが流行っていて(電凸と言う)、全国紙や放送局に電話で質問した内容がそのままネット上に流される。
マスコミの偏向ぶりをからかっている訳だ。
家の娘もそうだが、新聞を購読していない若者が多い。
ニュースはネットで見ている。
ネット上では個人が意見を発信できるから、マスコミの発言は数多い意見の中の一つでしかない。
そのことにマスコミは気づいていない。
以前のようにニュースを知る手段が新聞や放送しか無い時代では無いのだ。
鳥越俊太朗を編集長にした一般市民が記者として記事を投稿する「OH MY NEWS」という、市民参加型ネット版新聞を作ったが、まあ、ああいう人だから投稿される記事もそういった記事ばかり取り上げられ、2CHの住人たちにつっこまれてすぐに編集長を交代してしまった。
マスコミの人間は勘違いをしている。
「OH MY NEWS」なんて無数にある個人のホームページやブログの中の一つで、同じような考えを持つ人間の仲間内の掲示板に過ぎないのだ。
新聞やテレビは自分の意見を垂れ流すだけで良いが、ネットでは反論される。
しかも証拠を突きつけられてだ。
自分たちの勉強不足や思いこみを指摘されてしまう。
これは自分たちが世論を作って国民を誘導してきたと自負して居るであろう彼らには屈辱だろう。
今のネット世代が社会の中枢を占める位置になれば、日本は変わると思う。

クラシック音楽

元々音楽は演歌からクラシックまで守備範囲は広かったのだが、セサミでルリちゃん、あっこちゃんの演奏を間近で聴いて、バイオリンの音に魅せられてしまった。
弓で弦をこする楽器は音色の複雑さやゆらぎ、音階の連続性が心地良い。人間の歌声に一番近い楽器では無かろうか?
それでバイオリンを弾けもしないのに買ってしまった。
3980円だったけど。
心が鬱々としているときはクラシックが良い。
昔、小樽の病院に入院していた時に大腸ガンが見つかった頃はバッハばかり聴いていた。
何となく心が落ち着いたからだ。
バロック音楽は音がトゲトゲしておらず、こちらに無理矢理侵入して来ようとしないから、長く聴いていても疲れない。
あっこちゃんもクラシックの演奏の他に、今はボサノバのバンドでバイオリンを弾いて居るみたいだけど、長くクラシックばかりやってると、他の音楽もやってみたくなるのかもしれない。でも、ルリちゃんのピアノの独奏「革命」とか、あっこちゃんの「ツィゴイネルワイゼン」の演奏なんか、もう一度聴きたいものだ。

同盟

日本に対する従軍慰安婦問題と全く同じ経緯で、トルコに対するアルメニア人虐殺非難法案がアメリカの下院で提出されている。民主党のトルコ系アメリカ人が提出しているというのも、日本に対するやり方をそのままトルコに当てはめたものと思われる。
このアメリカの同盟国に喧嘩を売っているとしか思えないやり方は何なのだろう。
トルコは日本と違って猛反発し、アメリカとの安全保障協定を破棄しトルコの米軍基地の使用もさせない勢いだ。
従軍慰安婦問題の背後には中国や南北朝鮮の活動があるようだが、トルコについてはどういった組織が後押ししているのか?
いずれにしてもアメリカは同盟国とはいっても、所詮自国の利益しか考えていない。
フランスは1950年頃から核開発を行い1960年に最初の核実験を行った。
その間アメリカは「核の傘」を提供するから、核開発をやめろと言い続けた。
そこでドゴールはNATOの総司令官である米軍の将軍に

「いったいどのような場合に、アメリカはフランスに対する核攻撃に報復するため、ソ連と核戦争をするのか? このような場合にアメリカはフランス防衛のためにソ連と核戦争をする、という軍事シナリオを具体的に説明してくれ。」
と詰め寄った。

将軍は絶句して何も答えられなかった。
さらにドゴールはケネディにも同じ質問をした。
ケネディは顔面蒼白になって何も答えられなかった。
仮にフランスがソ連から核攻撃を受けたとして、報復のためにソ連にミサイルを撃てば、アメリカがソ連の核攻撃を受ける。
そのような危険を冒してまでアメリカはEUを守る覚悟は持っていなかったのだ。

国際政治は弱肉強食の世界だ。どの国も自国の利益だけを考えて外交を行っている。
利益があれば同盟も組むが、損害の方が大きいとなればいざというとき見捨てられるだろう。
たとえば中国が尖閣諸島や台湾に侵攻してきたとき、アメリカ軍が自衛隊や台湾軍と一緒に軍事行動を起こすのか、はなはだ疑問に思っている。アメリカの次の政権は中国よりの民主党政権だろうからなおさらだ。
最近のアメリカの北朝鮮に対する腰が引けた姿勢や、議会の動きを見ているとますます不信感が湧いてくる。
自国のことは自国で守らなければならないと思う。

合気道

合気道の演武を見ると相手がいとも簡単に投げられてしまう。
インチキじゃないかと思ってしまうのだが、合気道の達人の塩田剛三の身のこなしとスピードを見るとただ者ではないと感じる。
合気道というのは塩田剛三の師である植芝盛平が作った武道ではあるが、そのさらに元になるのは大東流合気柔術だ。
植芝盛平は1883年に和歌山県の田辺で生まれた。田辺と言えば、エンサイクロペディア・ブリタニカに手足が生えて歩き出したようだと云われた博覧強記の、在野ではあるが世界的に有名な菌類学者、南方熊楠が居たところで、実際、神社をまとめて数を少なくしようと云う政府の方針に反対運動を起こした南方熊楠に共感して反対運動もしていたようだ。
その頃熊楠42歳で植芝は25歳ぐらいだろう。
天衣無縫の野人学者とどのような会話があったのだろう。

合気道の誕生には北海道が深く関わっている。
植芝が北海道の遠軽に仲間を引き連れて開拓に来ているときに、当時北海道に住んでいた大東流合気柔術の武田惣角と巡り会い、植芝も柔術をやっていたから、合気柔術の手ほどきを受ける。
元々大東流合気柔術は戦場から生み出された武術では無く、会津藩の殿中で不祥事が起きたときの対処技だったらしい。
城内であるから、投げる場合も小さく投げていたらしい。
武田惣角は会津藩の藩士であったから大東流合気柔術を習っていたわけだ。
植芝は柔術の基礎があるから短期間で習得したらしいが、遠軽で8年間開墾をした後父親の危篤の報を聞き帰郷し、その後京都で道場を開いて自らの武道を「合気武道」と名付けた。

植芝盛平には様々な超人的な伝説が残っている。
「自分は拳銃の弾丸をかわせる。」と言い、かなり遠い距離から自衛隊員数人に拳銃を撃たせたのだが、次の瞬間には発砲した自衛官の脇にいたと言う。
弾丸が飛んでくるのが見えるから、その中で一番遅い弾を撃った自衛官に狙いをつけたのだそうだ。
あるいは夜、弟子が道場で寝ていると突然植芝が二階から走り降りてきて、木刀を取り、神棚の前で振り下ろした。
弟子が「何事か?」と驚いていると、「おまえらはネズミが供物を食べているのに気がつかなかったのか?」と言う。
見てみると神棚には叩き殺されたネズミが横たわっていた。

ある時田舎に行った折、例のごとく「自分には銃の弾は当たらない。」とやったら、地元の猟師の名人が「そったら馬鹿な事ねえずら。おらの弾は必ずあたるずら。」ということになって、相対することになったのだが、猟師が銃を構えて狙いを定めている姿を見て、「わかった、あんたの弾は必ず当たる。」と降参した。
達人が達人を見抜いたのだろう。

植芝盛平という人は老齢になると子供に返ったのか、ある夜、弟子と一緒にタクシーの列
に並んでいたら、いつまで経ってもタクシーが来ないので、地べたに転がって「わしのタクシーが来ない~!」と駄々をこねたと云う。ちょっとお茶目な爺さんなのだ。
武道を極めると超能力みたいな物が身につくのか、ある宗教家が植芝に会いたいと共通の知り合いに頼み、その知り合いの人が植芝のところに行くと、「わしが会いたい人が訪ねてくると一週間前からわかっていたが、誰が使いにやってくるのかと思っていたが、あんただったか。」と言ったそうだ。

弟子の塩田剛三も又達人であった。
道場での練習ばかりで自分がどれくらい強くなったかわからないので、ある時、師の盛平に「自分はどれくらい強くなったんでしょう?」と尋ねてみた。
「あんたは相当強い。わしが十段だからあんたは九段だな。」という。
それでも、合気道が実戦の役に立つのかわからなかったが、中国大陸に居たときに、酒宴をしているところを集団で襲われ、体が自然に動いていて瞬く間に全員をのしていたことがあって、自分の強さを初めて実感したそうだ。

塩田剛三演武

ヤクザの隣人

安倍首相が従軍慰安婦の強制性の証拠はないと発言した。
やっと日本も本当のことを当たり前に発言できる状況になってきた。
事の次第はアメリカの下院でマイケル・ホンダという議員が、日本は第二次大戦中に従軍慰安婦を強制的に動員したという、そもそも証拠がありもしない事を糾弾する法案を提出したからだ。
この法案はもう何度も提出されているがそのたびに廃案になって来た。
何故彼がこのような証拠もない事を取り上げるのかは謎だ。
おそらく朝鮮系、中国系アメリカ人の票を集めたいのではないかと思われる。
そもそも従軍慰安婦の問題は朝日新聞がたきつけた物だ。
それまでは韓国国内でも騒がれることはなかった。朝日お得意の火のないところに火をつけるやり方だ。
従軍慰安婦という者は確かにいた。しかしそれは民間の業者が経営しており、中には朝鮮人の業者もいた。だからそういった業者の中には朝鮮人の娘をだまして連れてきた場合もあったかも知れない。しかし軍が関与した物ではないし、慰安婦問題が騒がれた後調査してもその証拠は無かった。
大体当時の慰安婦の稼ぎはとんでもない高給で、二年も働けば故郷に家を建てられるくらいだったのだ。従って貧しい家庭であれば娘を売ることもあっただろう。
マイケル・ホンダの慰安婦の強制の証拠は河野洋平が韓国に謝罪したのが何よりの証拠だという。そんな物は証拠でも何でもない。
日本の政治家はあまりにも簡単に謝罪しすぎてきた。
又、昔は左翼が多かったから「日本は朝鮮に対して良いこともした。」と発言しただけで韓国が騒ぎ出し、日本の左翼政党が国会で糾弾し大臣の首が飛んだ。
私にいわせれば朝鮮半島に対して「日本は良いことばかりしてきた。」と言いたいところだ。大体日本が朝鮮半島を植民地にしたと思っている人間が多いが、そもそも朝鮮が自ら列強の侵略を恐れて併合を申し出てきたことなのだ。
日本は何もないところに日本の莫大な税金を使ってインフラを整備し、学校を作り教育をした。欧米の植民地政策というのは全くのぶったくりで、ましてや知恵をつけさせる学校など作ったこともない。日本が朝鮮半島や台湾で行ったのは同化政策だ。
未だに台湾が親日的で、今日の台湾の繁栄の基礎は日本時代の教育やインフラがあったればこそだ、と感謝しているのはそういう理由だ。
台湾にも反日はあるがそれは戦後大陸からやってきた外省人が居るからだ。
朝鮮は台湾以上の扱いを受けていたにもかかわらず、日本が負けたとたん手のひらを返して略奪、強姦、殺人などをし日本に帰れなかった人々もたくさんいたし、妊娠してしまった女性を堕胎させる専門の施設すら作られたほどだ。
一方日本に居た朝鮮人たちも同様に狼藉の限りを尽くし、自分たちも日本人として戦争に負けたのにもかかわらず「我々は戦勝国民である。」といい駅前の一等地の住人を脅したり殺したりして土地を不法占拠した。駅前にパチンコ屋が多い理由だ。
警察でさえ手を出せず、山口組などのやくざが戦っていた。
戦後朝鮮半島は南北に分断されたが、韓国の初代大統領イ・スンマン(李 承晩)は昭和27年日本が占領下にあって軍事行動が出来ないことを良いことに、勝手に李 承晩ラインというのを作り竹島と対馬を韓国領土にしようとした。この海域に入った漁船を拿捕し銃撃し船舶を没収した。
昭和40年に日韓漁業協定が成立するまでに3929人の日本漁民が拿捕され44人が殺されている。
さらにイ・スンマンは対馬を占領すべく軍を南下させた。それに激怒したマッカーサーが在韓米軍を引き上げ、
これをチャンスと見た北朝鮮が攻めてきて朝鮮戦争が起きた。
イ・スンマンはその後失脚しアメリカに亡命し生涯を終える。
その後元日本軍の将校であるパク・チョンヒ(朴 正煕)が大統領に就き、日韓基本条約が結ばれ、拿捕された漁民の返還の見返りとして、当時の韓国の国家予算の3倍の金と、技術援助の確約を手に入れる。
いわば金と技術を差し出す代わりに人質を返してもらったのだ。
このとき日本は個人に対して金を支払うと主張したが、韓国政府は国が一括してもらい国民に払うと主張した。おまけに北朝鮮は韓国の一部だと主張し北朝鮮の金まで要求し日本はそれを支払い、さらに多くの技術援助を行った。たとえば韓国最大の製鉄工場であるPOSCOも新日本製鐵がすべて建てた物だ。ところが完成式の会場に新日鐵の人間は入れられず、国民にはすべて韓国人の手で建設したように吹聴した。
日韓基本条約では日本と韓国の間のすべての懸案は、完全かつ永久的に解決したとうたわれているにもかかわらず、国民にはそれを2年前まで内緒にしていた。
国民は知らされていないから補償を日本に要求し続けた。
日本が与えた金は結局国民の手には渡らず、国内の建設資金に回された。それが「漢江の奇跡」と云われた韓国の驚異的な成長の正体だ。
我々の親の世代はそういった歴史を知っているから朝鮮人を嫌っている。
しかし我々の世代になると、学校で日本は戦争を起こした悪い国だと教えられ、マスコミもすべて同じような論調であったから、よくはわからないが日本は加害者で朝鮮人は被害者だと思っていた。
それが、韓国に盧武鉉政権が誕生し、あまりにも言っていること、やっていることがアホなので、いったい韓国とはどういう国なのだろうと興味を持ちだした。
調べてみれば彼らの言うことはすべて嘘、ねつ造、言いがかりであることがわかってきた。そしてその陰には日本の左翼勢力が知恵をつけていることもわかってきた。
何よりもインターネットの発達が大きい。
マスコミは中国、韓国に関して都合の悪いことは書かない。
しかし最近の「週刊新潮」などを見るとそういったタブーも無くなりつつあることを感じる。
大体家賃ただ、医療費ただ、月18万も生活保護費をもらっている在日が、金が少なくて生活できない等と言っているのを聞くと、早く国に帰れと言いたい。
我々だって年金でそんなにもらえない。
在日朝鮮人の20%くらいは生活保護をもらっている。
彼らは日本人に比べ簡単に生活保護を受けられる。
総連が集団で役所に押しかけるから、役所も面倒に関わりたくないので簡単に認めるからだ。
そもそも彼らは「我々は強制的に日本に連れられてきた。」と主張しているが、実際に調べてみると朝鮮の内乱や戦争から逃げてきた者、あるいは一旗あげようと密入国した者がほぼすべてだ。
実際に強制的に連れられて来た者もいたようだが極少人数で、戦後帰国していった。
そういったマスコミは決して報道しないことを、今の若者たちはインターネットを通じて知っている。
たとえば私のホームページにリンクを載せてある「ENJOY KOREA」と言うのは、日本語を韓国語に韓国語を日本語に翻訳してくれるため、一般の韓国人と日本人の意見交流が出来る。
そこに集まる連中はインターネットをするぐらいだから若者がほとんどだ。
一応日韓交流の場となっているが、喧嘩に近い。
日本人側は資料を持って反駁するが、韓国側は感情だけでとにかく日本が悪いとしか言わない。
論理の通じる相手では無いのだ。中にはまともな考え方をする韓国人もいるのだが、そういう意見を吐くと韓国人から集中攻撃を受ける。
韓国の政府のレベルはこの翻訳掲示板のレベルと変わらない。
大体一般家庭でもお隣さんとはあまり仲が良くない。
やくざな隣人がいたらつきあう必要は無いのだ。
もう日本と韓国の仲が修復される事は戦争でも起こらない限り無いであろうし、そもそも修復する必要性もない。
ヨン様などと言っているおばさんは別として、政治的、経済的にも害こそあれ、長期的には益は無い。
南北朝鮮という子供の王国のおもりをする必要はもう無い。ソビエト連邦が崩壊し防共の防波堤としての役割も無くなった韓国に政治上の価値はない。
いつでも南北統一してもらってもかまわない。
今の韓国の政権は韓国を共産党政権に導こうとしているが、好きにしてくれと言いたい。
実際、日本もアメリカも韓国政府を見放している。
昔の李氏朝鮮の歴史を又繰り返し、中国の属国なろうとしているとしか思えない。
おろかな国民はおろかな事を繰り返すだけだ。
一部の目覚めている連中は韓国を見捨てて移民してゆく。
まあ、そこでも問題ばかり起こしているんだけど、自分の国に愛情をもてない人間は惨めだ。
自分の国に愛情をもてない民族が移民して、その国に愛情なんかもてるわけがない。
第二次世界大戦でアメリカの日系移民はアメリカ人として勇猛に戦った。
たぶん葛藤はあったと思うが、アメリカでの日系人の地位を高めるために戦ったのだと思う。
それを私はあっぱれだと思う。
世界中の誰もがそう思うと思う。

その国に移民したなら、その国のために戦うのが当たり前なのだ。
そうでなければ国家という概念自体が成立しない。
たぶん盧武鉉の後の政権をハンナラ党がとるだろうが、今まで反日でおいしい思いをしてきた連中だから、同じような事を言うと思う。
朝鮮人が「恨の国民」として過去を忘れないというなら、私も朝鮮人の悪行を忘れることはない。

写真と絵画

幕末や明治の頃の写真は沢山残っているが、その時代の風俗を知るとか、歴史的資料にはなっても、その空気というか、
写真を撮った人がどういう思いで写真を撮ったのかというのが伝わってこない。
白黒写真で、粒子も荒れているとかいった問題ではなく、そもそも、その頃の写真というのはただ形を忠実に再現する手段以上の物ではなかった。
同じ光景を見ても私が感じる光景と、他人が感じる光景は違う。
それは網膜に焼き付けられた光景が脳の中で処理され取捨選択されるからだと思う。
見たくない、あるいは重要性のない映像は捨てられる。
そして何を感動するかは、その人間個人の生きてきた体験によって異なる。
感動した光景はその感動した部分を増幅し、強調して保存される。
脳の中で感動を反芻し、エキスを抽出し培養した物を形に表すと絵画なり写真になる。
写真なんて、ただシャッターを押すだけだろうと思うかも知れないが、その瞬間を切り取る感性がなければいけない。
あるいは沢山撮った写真の中から、これが俺の欲しかった物だと選択できる感性がなければいけない。
あるいは写真を加工して自分の欲しかった映像を作り出す技術を持っていなければならない。
その当時の写真技術では乾板の感度が低く長時間の露光が必要で、瞬間を切り取るなどという技は出来ない。
フォトショップ等があったわけでもない。
作品というのはその人間を表現することである。
それが他人の心の奥の琴線に触れる時「ああ、いいなあ。」と共感する。
当時の写真は技術的に自分を表現できるほど完成された物ではなかった。
それに較べ絵画というのは原始時代から描かれてきた物であり、様々な技法があり、枯れた技術なのである。

美術館にあげた川瀬巴水の絵を見ていると同じ頃に撮られた風景写真と較べ、夜の静寂や、空気の匂いや、湿度や、温度まで分かるような気がする。
いつか見たような、懐かしさを感じる。それでいて昨日描かれたようにみずみずしく、古さを感じさせない。
ところで、あの版画の中に描かれた風景の中で北海道の風景は、一つはポプラの並木を背景に水を飲んでいる馬が描かれている絵で、これは札幌の中の島の風景、もう一つはアベックが桟橋にたたずんでいる絵で、これは小樽の埠頭を描いている。
明治の小樽の埠頭はあんな風だったんだね。

食の変遷

先日アンコウを探しに中央卸売市場に行ってアンコウ売ってないか訪ねたら「アンコウって何?」と聞き返された。あそこに並んでいる店はもう魚屋ではなく観光客相手の蟹屋なのだと思い知った。
蟹なんて昔大通公園で行商のおばちゃんが売っていて、新聞紙にくるんでもらってよく買ってきた物だ。さんまと同じくらいの値段だったのではなかろうか。ずいぶん食べてきたから今更そんなに食べたいとも思わない。
昔は漁師は網に蟹がかかると取るのが面倒なので、そのまま踏みつぶしていたらしい。
そうすると魚が寄ってくるということだ。
いつから蟹が高級品になってしまったのか?
まあ、需要と供給の関係なのだろう。
昔はベーコンといえば鯨のベーコンしか知らなかった。豚肉のベーコンなんてお目にかかったこともなかった。
毎日毎日食卓に出てきて、仕方がないから食べてただけで、あのぎとぎとした筋混じりの脂肪が嫌いだった。
鯨のベーコンなんて食いたかないから高くなっても一向に構わない。
逆に昔に較べてバナナなんかは随分安くなった。
バナナなんて子供の頃は運動会でしか食べられないもので、運動会の定番メニューは海苔巻、いなり寿司、ゆで卵にバナナであり、滅多に食べられない物のそろい踏みだった。
それが今や、ひからびて黒く変色したバナナがツタンカーメンのミイラのように我が家の冷蔵庫の奥の方から発掘され、そのままゴミ箱行きとなる。夏であればコンポストに放り込んでおけば堆肥として再利用できるから些かも心が痛まない。
カズノコなんてのも昔は黄色いダイヤなんてもてはやされていたんだがなあ。

輪廻転生

娘が1歳にも満たない頃に妹夫婦の家に遊びに行った事があった。
偶々旦那のモデルガンがあって、それを娘に向けたとたん火のついたように泣き出したことがあった。
娘にはテレビなんかあんまり見させないようにしていたから、銃という物が人を殺す道具などと分かるはずがないのだ。
このときの娘は明らかに銃が自分に危害を加える物だと分かっているようで、最初悲しそうに眉を顰め、次に顔をゆがめて泣き出した。
個体の生の記憶は子孫には受け継がれないというが、どうもそうではないという気がする。
宗教ではそれを輪廻転生と言う便利な言葉でかたずけてしまう。

アメリカ陸軍の戦車部隊の将軍パットンは輪廻転生を信じていて、自分はトロイア戦争でも戦い、シーザーと共にも戦ったと信じていたらしい。
あるとき甥がパットンに、「おじさんは本当に生まれ変わりを信じているんですか?」とたずねたところ、彼はこう答えた。

「他の人はどう考えているか知らないが、私は疑問に思ったことはないね。考えた結果そう思うようになったわけじゃない。今の人生では来たことがないのに、以前来たことがある、、、そんな場所があちこちにあるんだ。
例えば、第一次世界大戦で、私が初めて指揮を執ったフランスのラングル高地に着いた時のこと、初めての土地ということで、フランスの若い連絡将校が辺りを案内しようとしてくれた。しかし私はなぜか、『その必要はない。私はこの地を知っている。よく知っているんだ』と、答えていた。まるで誰かが耳元で方向をささやいているかのように私は運転手に行き先を指示していた。私はその若い将校を、古代ローマの円形劇場、練兵場、軍神マルスや太陽神アポロンの公会場や寺院に連れていってやった。それどころか、その昔、シーザーがテントを張ったまさにその場所も見せてやったのだ。そしてその間、まったく間違いを犯さなかったのだ。つまり、私がかつてその地を訪れたことがあるということなんだ。」

部下に言わせれば、実際彼は不思議な第六感によって窮地を脱したことがしばしばあったらしい。それは彼の前世の記憶が役立ったのかも知れない。
彼は自分が、生まれ変わり死に変わり戦士として戦場で勇猛に戦っていたと信じていたらしい。

前世の記憶と云うのはDNAで受け継がれる物ではないと思う。
科学ではまだ知られていない何かだ。
ただみんな前世の記憶は持って生まれてきているのだけれど、それは今生を生きるのに邪魔な事が多いので意識の奥底に埋まって出てこないのだと思う。
だって市中引き回しの上、釜ゆでで死んだ記憶なんて覚えていたら風呂にも入れやしない。
私の前世はホースのようだが、娘はどのような人生をおくっていたのだろう。

アダムの誕生

ウンコのページに貼り付けている絵はミケランジェロの「アダムの誕生」というフレスコ画に誰かがトイレットペーパーを付け加えたものがネットにあったので拝借した物なのだが、この絵を見るたびに不思議に思うことがある。
まず、アダムの体のバランスが不自然なのだ。上半身に比べ首から上が異常に小さい。
一般に西洋人は頭が東洋人に比べ小さいが、それ以上にデフォルメされている。
そしてアダムの顔がまるで女性のようなのだ。長髪のカツラでもかぶせて顔の部分だけを見ると完全に女性だ。腹部についても胸の筋肉から見て腹筋がくっきりと分かれて居なければならないはずが脂肪がつきすぎている。
胸部から腰へのくびれも男にしてはなさ過ぎる。体のひねり方も女性的であり、まるで男と女をつぎはぎにしているようだ。ミケランジェロは男色家だったという話もあるから、それであれば納得ゆくのだが、一方ダビデ像などではきっちりとしたバランスで男の体を刻んでいる。
デッサンを見てもアダムの誕生のようにデフォルメされた人物像を描いているが、ダビデ像との違いは何故なんだろう。
あのアダムはどうしても男には思えないんだよなあ。
ホモの気持ちってのはどうしても理解できないんだけれど、男の中に母性的な物を求めているのかねえ。それだったら初めから女を求めれば良いと思うのだけど、心は女で体は男というのでなければいけないのか、、、、分からない世界だ。

今 東光

小学生の頃塾に通っていた事があった。自宅でやっている塾で先生は絵を描くのを趣味にしていたらしくて油絵が沢山置かれていた。
すぐに辞めてしまったが、その後妹も同じ塾に行っていた。
高校生になったとき、新聞にその先生が教え子の女の子の体を触って親に訴えられ逮捕されたという記事が載り驚いた。妹に聞いてみると「あの先生昔からそういうところあったよ。」と言う。テレビによると、昔海軍にいたときに悲惨な死体を見てからインポになってしまい、大人の女に興味が持てなくなってしまったらしい。
そんなことがあるのだろうかと思ったが、一応本人はそう言っていたらしい。

今東光が生きていた頃「週刊プレイボーイ」に人生相談のコーナーを持っていた。
ある若者が事故か何かでペニスを切断してしまって、これから先どういう風に人生を生きたら良いのかという相談の投書があった。
そのとき今東光は「それはもう男としては生きられないから世俗の生活は苦痛なだけだ。信仰に頼る以外あるめえ。仏教の坊主は駄目だぞ。俗すぎる。俗世間から隔離されたキリスト教の修道士にでもなれ。」と云うような事を言っていて、「なんだ、この生臭坊主!もっと親切に相談に乗ってやれないのか?」と思ったのだが、後々考えてみると、服を着ていれば正常な男に見え性欲も正常な分、車椅子の人以上に苦悩の人生だろう。本当に相談者の事を思えば優しい言葉をかけても何の助けにもならず、厳しい結論だが現実を見つめれば修道士になるのが心の平安を得られる近道だろうと気づき、本当に相手のことを思っているからあのような言葉を言えたのだと思った。

カウボーイ

この間やしきたかじんの「何でも言って委員会」を見ていたら政治評論家の三宅さんが、子供の頃空気銃が欲しくても買ってもらえず、そのせいか通信販売で大昔のテレビシリーズ「拳銃無宿」でスティーブ・マックィーンが演じる主人公、ジョッシュ・ランダルが使っていたライフルの銃身を切って短くしたランダル銃のモデルガンが売られているのを見て、堪らず購入し、ダンボールを的にして撃っていたら壁に穴が開き、奥さんに「いつまでも子供なんだから。」となじられたと言っていた。
いつも政治について鋭い批評をし、時には頭から湯気を出して論争し「三宅島大噴火」などとテロップを書かれたりしているのに、これまた随分お茶目な爺さんの一面を見させてもらった。
昔のテレビではよく西部劇が流れていて、その頃の男の子はみんな腰にガンベルトをちょいと斜めにつけてみたことがあると思う。
ローハイドなんかではいつも幌馬車の前で焚き火を取り囲み、コックの爺さんがポーク&ビーンズをカウボーイたちの皿に取り分けてやって、食後にはコーヒーをマグカップに注いでやったりしていた。
あのポーク&ビーンズという食い物はどういう味なんだろう、一度食べてみたいと思ったが、今思えば牛追いの為に移動し続ける為、腐敗しないよう塩漬けにした豚肉と豆に胡椒をかけたぐらいの簡単な食い物だからさして旨くは無いのだろう。それを毎日毎日食べていればうんざりしてきて、旨いとも言わずただ黙々と食べているああいった光景になるのだろう。
それでやまちゃんと飲んでいて「あれはどこに向かって旅してるんだろうね?」という話になり「さあ、大都市に向かってるんじゃない?」という事で落ち着いたのだが、wikiで調べてみるとカウボーイとは

19世紀後半に入ると、メキシコやテキサスなどを中心に大陸南部から、西部、中西部にかけての原野で野生化していた“牛を駆り集め(round-up)”、それを市場である東部やゴールドラッシュに沸く西部に届けるため、大陸横断鉄道の中継地である中西部や北部の町へ、“馬と幌馬車を連ね何日もかけて移送する業務(Long Cattle Drive)”に従事していた労働者を指す言葉に変化していった。 よって当時は牧場主や牧童、牛飼をカウボーイと呼ぶことは無かった。

ということでした。つまり牛を駆り集めて駅まで移動させる専門の職業なんだね。

コメンテーター

もう20年近く前のことになるか、ある機械式駐車場で事故があった。
機械式駐車場というのは車が正しい位置に納められていて初めて動くようになっている。
だから車のドアが開いている場合は光センサーが働いて機械は動かない。
ところがシートベルトが挟まったりして光センサーを遮るまではいかないが、ドアのラッチが引っかかって居ないと動いてしまう。
そうすると機械が起動したときに完全に開いてしまい、ドアが引っかかったり、機械を壊してしまったりする。
ある時そういう事故があった。
その機械は車を入れるとリフトが下に下がっていってそれから横に移動してゆくタイプの機械だった。
行ってみると見覚えのある車が半ドア事故を起こしていた。
それは半月くらい前にも同じ事故を起こした車で、ドライバーは中年のおばさんだったはずだ。操作室では親父が頭から湯気を出して駐車場の管理人にくってかかっている。

「何でこんな事になったんだ。この駐車場ではこないだも女房の車が壊されてしまったんだぞ。」

事故を起こした女の亭主のようだった。
しかし、その顔に見覚えがある。
夕方の道内番組でコメンテーターというのかい?アナウンサーの隣に座って時々訳がわかったような意見を言う奴、テレビの中では白髪交じりの温厚そうな紳士なんだけど、まあ実際は違ってたね。

「おまえの馬鹿女房がおっちょこちょいだから事故になったんだろ。」

とは思ったが、口には出せないから作業をしながらやりとりを聞いていた。

「こんなに他のお客さんにも迷惑をかけて、いったいどうするんだ。弁償してくれるんだろうな。しないというなら、俺の人脈すべて使って弁償させてやるからな。訴えてやるぞ。」

と、まるで自分が被害者の代表のように息巻いている。
駐車場の管理人には何の権限も無いからただ黙って聞いているだけだった。
その後の経緯は聞いていないが、まあ、あの調子では賠償をして示談にしたのではないだろうか。大体駐車場は保険に入っているから、管理人のミスということにして保険で支払ったのだろう。
それ以来この番組でこの親父が訳知りの紳士のように意見を言ってるのを見るたび、「おまえの正体は知ってるぞ。おっかあは少しはおっちょこちょいが直ったか?」と思ってしまう。まあしばらくしてテレビにも出なくなったけれど、こういう人間が良識派の代表みたいな顔をして偉そうな意見を言ってることが多いのだろう。

津軽の謎

あぶうーで小池の旦那が「赤い鳥」のレコードが聴きたいと竹田の子守唄なんかの入ったLPをかけた。やっぱり赤い鳥はこういう曲が良いよなと話していたのだが、ある曲がすごく気に入って、この歌をツリチャのママに歌ってもらいたいと話していた。何という曲なのかジャケットを見ると「もっこ」という曲だった。何だい「もっこ」ってと思い
歌詞を見ると、子守歌らしいのだが津軽弁の童謡であるため意味がよくわからない。


ねえろじゃ ねろじゃ ねたこ~へ

ねんねば山がら もっこァ来るァね

ねえろじゃ ねんねこへ

たぶん寝ないと山からもっこが来るよと脅しているようなのだが、もっこというのが謎だ。それで見直しているうちに最近見たホームページの事を思い出した。
それは「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)という今となっては完全に偽書として学会からは相手にされていない古文書の研究をしているホームページで、その中で津軽の童謡の中にもっこという言葉が出てくるが、それは蒙古の事であると書かれていた。
そのページの中でも蒙古は海から来るのに何故山から来るんだと疑問を掲げていて、まあ、その理由も書かれていたのだが、忘れてしまった。
ただ津軽半島の十三湊(とさみなと)には鎌倉時代には安東一族という豪族が居て海路を使って日本はもとより中国とも交易していた。当時は堺や博多と並ぶ港町だったらしい。
安東一族が衰退していったのは室町の頃だったと最近の研究ではわかってきているので、蒙古襲来の頃には船を操るのに巧みな安東水軍も蒙古と戦ったのでは無いだろうか。
その記憶が怖い物の象徴として童謡の中に残っているのでは無いだろうか、という物だった。本当かどうかはわからない。

友人が「東日流外三郡誌」の舞台となっている青森県北津軽郡市浦村(今は五所川原市と合併)の学校の教師に赴任したので何度か遊びに行ったことがある。
民謡の「十三(とさ)の砂山」で歌われている十三湖にも行った。吉幾三の「津軽平野」の「じゅうさんみなと」も「とさみなと」も、すべて呼び方は異なるが「じゅうさんこ」の事だ。
友人は鎌倉時代の津波で一夜にして栄えていた町が水没し、安東氏は衰退してしまったが、時には光の加減で水没した町の石畳が見えることがあると云う噂もあると言っていたが、今はともかく、その頃は何もないうすら寂しいところで、雲から漏れる日差しに光る静かな湖面を見ていると、昔そんなに栄えた町があり、交易の船が湖に沢山浮かんで居たとはとても思えなかった。でも、最近の研究では津波が起こったとされる年以降にも栄えていて滅んだのは室町時代らしいことがわかってきた。
まあ、津波云々というのは伝説というやつだろう。
ただ、謎に包まれた安東一族の残した遺跡は徐々に見つかってきている。

山王坊という安東氏が建てたという神仏折衷の寺がある。山の中にあるような寺だ。
友人がいた頃は木が鬱蒼と生えていて昼でも暗い森だった。
ある日教え子の父親が山菜採りに入ったときに、突然鎧を着た落ち武者の亡霊に取り囲まれ、持っていた鉈を振り回して逃げてきたと言う。


「その人は純朴な人で、嘘をつくような人間では無いんだよな。」と言っていたが、津軽には謎がいっぱいだ。

本田宗一郎

某大手マンションやらホテルを経営している女社長がテレビで謝っていた。
まあ、耐震偽装事件の被害者でもあるのだろうが、勝手に「砂かけ婆」にしてしまったこともあり、気の毒に思ってしまった。
ただ事が発覚してからの対応は間違っていないと思う。
すぐにホテルの使用をやめ、予約をしていた客に詫びを入れ、記者会見で説明し謝罪をする。さすがに一代で会社を築き上げただけの事がある。
それに比べてペコちゃんはだめだわ。
雪印の場合は一人の人間の独断で会社をつぶしてしまったけど、ペコちゃんは会社全体が駄目みたいだね。
一回つぶれないと再生は難しいんじゃないのかな。
一族経営というのは三代目あたりで駄目になるという見本だ。
本田宗一郎が自分の息子に会社を継がせるどころか、会社にも入れなかったというのはさすがだと思う。
息子だってその後「無限」という会社を作って社長をやったくらいだから、無能では無かったはずだが、会社は個人の物では無いという哲学があったんだろうな。
だからHONDAという個人の名前を会社につけたことも後に悔やんでいた。

本田だけが偉かったのでは無く藤沢武夫副社長という経営の知恵者も又偉かった。
本田は苦手な経営の分野を藤沢に任せ、自分は子供のように目を輝かせて開発にのめり込んだ。藤沢はやんちゃ坊主の宗一郎のわがままを聞きながら、要所要所で手綱を引いていた。
ある意味確かに藤沢はHONDAの実質的社長であったのかもしれないが、なんといっても宗一郎の長嶋茂雄的、無邪気さをさらけ出したカリスマ性にはかなわないことはわかっていただろうし、本人も二番手でいることが自分の能力を一番発揮出来るポジションであると自覚していたらしく、若手技術者との技術上の諍いで、もう自分のような年寄りの出る幕では無いと悟った宗一郎が、「社長を引退するからあんた代わりにやってくれないか」と頼んだときも「あんたがやめるんだったら俺もやめる。」と一緒にやめてしまった。
本当にこの二人は夫婦のようにお互いが居て初めて一人前だったのだ。

本田宗一郎は坂本龍馬の生まれ変わりだとずっと思っている。
天真爛漫さ、新しい物に対する好奇心、常識に捕らわれない発想の自由さ。
時代は必要に応じてこのような人間を世に生み出してくる。
アメリカのオハイオに初めて現地生産の工場を造ったとき、宗一郎は子供のような満面の笑顔でHONDAの車で工場のアメリカ人の列を進んだらしいが、手を振りながら車から体を乗りだし落ちそうになる宗一郎を奥さんがしっかりとベルトを持って支えていたらしい。
やんちゃ坊主はしっかりした女の支えがないと何も出来ないのだ。

出てきた文

昔のファイルを整理していたら懐かしいのが出てきた。
あの店関係の物は整理したはずだったが改めてみてみれば懐かしいので再掲載。


聖タッチバーナー

ある日いつものようにセサミの階段を上がってゆくと扉の前に釣鐘がぶら下がっていた。

スガ「なんだ?こりゃ?どっかの寺から盗んでんできたのか?」

純子「また、オーさんがどっかから買ってきてマスターにあげたんじゃないの?」

スガ「それにしてもこりゃ200キロはあるぞ。よく天井が持ってるもんだな。

おまけに釣鐘を突く棒までぶら下がってるじゃないか」

純子「あんたちょっと突いてみなよ。私、釣鐘突いてるところなんか見たことが無いから。」

スガ、縄を持って二三回軽く棒を揺らしてから思い切り鐘を突いた。

「グォーーン」

純子、スガあまりの音の大きさにびっくりして階段から転げ落ちる。

「うわー、耳がきーんと鳴ってる。なんだい、マスター、こんなところに釣鐘なんかぶら下げて、

これじゃあ店にはいるにも、体を横にして腹を引っ込めなきゃ入れないじゃないか?デブは入店お断りって事か?」

純子「前々から変わってると思ってたけど、ついに来るときが来たね。」

スガ「まあ、とりあえず入ってみようか」

スガ、体を鐘と扉の間にねじ込んでドアを開けた。

スガ「なんだ?こりゃ?」

店の風景が一変していた。

カウンターの上の棚からはインドのクリシュナー神が横笛を吹いて笑みを浮かべているポスターやら、

横尾忠則の「千年王国」や、曼荼羅のポスターがぶら下がっており、お香の匂いが立ち込めていた。

純子「どうしちゃったの?これ」

「檀家の皆さん、今日はお布施を持って参られたのかな?」

どこかから声がした。

純子「何?今マスターの声がしなかった?」

スガ「そうだよな、確かにマスターの声のような気がしたけど」

すると正面のクリシュナー神のポスターが静かに上がりマスターが現れた。何故か黒い袈裟を着ている。

スガ「何だ、マスターいたのかい。この変わりようはどうしたの?」

マスター「私は今日からマスターでもカズさんでもございません。聖タッチバーナーと呼んでください。

昨夜、神の啓示を受け今までの悪行を反省し、今日からは『宗教法人オープンセサミ』の代表でございます。」

スガ「えー!、何、この店は寺になっちゃたのかい?」

マスター「そのとおりでございます。あなたたちは信徒でございます。

従いまして以後この店で飲み食いした勘定は全てお布施ということになります。」

スガ「ふーん。ご本尊は何なんだい?」

マスター「そこの壁に掛かっております『手稲ライブジャム』のポスターでございます。

私は毎朝それに向ってお祈りしております」

純子「毎朝って、さっき、今日からって言ったじゃない。」

マスター「そんな細かいことはどうでも良いのでございます。ところで信徒スガ、純、今日は何を飲まれますか?」

スガ「俺はビールをもらおうかな。」

純子「私は焼酎の水割り」

マスター「当寺ではお酒は禁止です」

スガ「えー、お酒が飲めないバーなんてあるの?」

マスター「ですからここはもう宗教法人オープンセサミであることをお忘れなく。ウーロン茶ならございます」

スガ「しょうがないな、それじゃあウーロン茶でも頂戴、それと生ハムね。」

マスター「これほど言ってもお解かりにならないか?殺生は禁止でございます。精進料理ならございます。」

純子「まあ、何でもいいんじゃない。それにしても又なんで店を寺にしようなんて考えたのかね?

はーん、税金対策だな。宗教法人は税金がかからないからね。」

マスター「な、なにを根拠にそのようなことを、私は純粋に仏にお仕えしようと、、、」

純子「なにいってんのさ。ポスターはヒンズー教、聖なんたらはキリスト教、おまけに仏と来たもんだ。

よくもまあ、あちこちから寄せ集めてでっち上げたもんだね。マスターの魂胆は私にはお見通しなんだよ。」

スガ「宗教法人でも何でも良いけど、とりあえず外の鐘だけでも片付けた方がいいんでないかい?

あれじゃあ、お客もはいれないしょ。」

マスター「よく考えてみりゃそれもそうだな、とりあえず鐘ははずそう」

純子「よく考えなくったってそうだよ。いったいあんな重いものどうやって運んだものやら。

それにその袈裟はどっから持ってきたのさ。」

マスター「ちょっと友達の坊主から借りてきたんだ、こいつが又、生臭坊主でさ、

毎夜、毎夜薄野に出かけてはキャバクラで遊びまくってるのさ。」

純子「それでこれは良い商売だと思ってこんなことを始めたんだね」

マスター「まあ、そんなとこかな。ところで今日は法要があるんだけど参拝してくかい?」

スガ「法要ってなんなのさ」

マスター「まだ、拙僧が俗界に居ったころはライブと言っていたがな。」

スガ「誰が出るんだい?」

マスター「そこに僧侶の名前が書いた紙があるであろう。」

スガ「なになに、井上 陽水?!本当かい?!俺の大好きな歌手じゃないの!

マスター、やったね。やっぱり俺は前々からただの酔っ払い親父じゃないと思ってたのさ。

いずれは何かでっかいことをやらかすんじゃないかと。」

純子「みんな集めなきゃね」早速携帯を取り出しセサミの常連に連絡を始めた。

陽水が来るという情報はたちまち広がり続々と人が集まり始めた。

阿部先生などは入り口の釣鐘に腹がつっかえ身動き取れなくなっていたのを、みんなで何とか鐘を押して中に引き入れた。

マスター「イエィ!こんなに檀家が集まったのは久しぶりだぜベイベー!

今日はどんどん飲んで頂戴。酒でも焼酎でもビールでも何でもたっぷり用意してあるからね。

つまみはなにがいい?

スープカレーも鳥の脚も生ハムもあるよ。」

スガ「マスター、さっきは酒は無い、食い物は精進料理しかないって言ってたじゃないか。」

マスター「あれは冗談、寺で酒を飲んでいけないって法律がどこにあるんだ。」

スガ「どうも納得いかないが飲めないより飲めたほうがいいか。マスター、ビール頂戴」

酒が入り始めるとひとしきりセサミが寺になった話題で盛り上がり、さらに酒が入ると

マサキさんは「いやー、セサミで陽水のライブが見れる日が来るとはおもわなんだ」と感激の涙を流すし、

ヤブさんは相変わらずスガに向って「あんた色黒いけど、どこの国の人?どこの国の人?」とろれつの回らない口調で聞くし、

オーちゃんは「病気をしてから、俺は生まれ変わったんだ。昔の俺は忘れてくれ。」と意味の良くわからないことをわめくし、

スナコッチは12倍の檄辛カレーを汗も出さずに食い終わって、カウンターの片隅で寝始めるといういつものセサミの風景になった。

宴もたけなわのころ入り口のドアが開いて例のパーマの頭とサングラスで陽水が現れた。

「みなさん、お元気ですかー。」

一同「おー!陽水だ」

マサキさん「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と拝みだす。

陽水「檀家の皆さん、今夜はお集まりいただきありがとう。本日はたっぷりと私の読経をお楽しみください。」

マスター「本日は拙僧がパーカッションをやらせていただきます。」

どこから持ってきたのか木魚を磨きながらマスターが言った。

やがて静かにリバーサイド・ホテルのイントロが始まった。誰も知らない夜明けが明けたとき、、、

純子「ねえ、あんた私音楽の事良く知らないけど陽水ってこんなに下手だった?なんか音程が狂ってるような気がするんだけど」

スガ「そうだよな。なんか俺と大差ないような気がするぞ。」

マスター「これ、そこの方、法要の最中に私語を交わさないように。」ぽっく、ぽっく、ぽっく、一段と木魚の音が大きくなった。

純子「それにさ、確か陽水って大男だったと思ってたけど、あんたより小さいじゃないの。なんか変だね。」

他の人たちもひそひそ声を交わしてざわめきだす。

マスター「あーうるさいな」ぽっく、ぽっく、ぽっく、ぽっく、さらに木魚の音が大きくなった。

ライブが進行してゆくにつれざわめきも大きくなり、それにつれて木魚の音も負けじと大きくなり

しまいには木魚の音で歌が聞こえなくなってしまった。

そんな調子でライブが終わり陽水が帰っていった。

誰も、会話を交わさなかった。みんなの中には一つの疑念が湧いていた。

やがてマサキさんがぽつりと言った。「マスター、あれは陽水かい?」

マスター「なに言ってんだい、陽水に決まってるだろ。」

スガ「あんな音痴が井上 陽水 だったら俺だって歌手になれるわ。」

マスター、うろたえながら「何時、拙僧が井上 陽水が来るなんて言った?そこの紙をよく読んでみろ。」

一同出演者の書かれた紙を覗き込む。

マサキさん「どれどれ、ん?なんか井の中にごみのようなものがついてるな。」

マスター「そうであろう、あの方は どんぶりのうえ ようすい 和尚じゃ。」

純子「言うにことかいて、どんぶりのうえ ようすい なんて名前がどこにあるのさ。」

マスター「だってあるんだからしょうが無いも~ん。」

一同怒りのあまりマスターににじりよる。

マスター「なにをなさる。寺で暴力沙汰はいかん。」

一同「簀巻きにして鐘の中につっこんでしまえ。」

マスターぐるぐるまきにされて上から鐘をかぶされてしまう。

スガ「どれどれ、鐘の鳴り具合はどんなかな?」鐘を突く。

グオ~~ン

マスター「勘弁してくれ、俺が悪かった」

純子「一晩鐘の中で過去の悪行をすべて反省しな。」

一同「そうだ、そうだ、帰ろうぜ。」

マスター「ここからだしてくれよー、俺は閉所恐怖症なんだ。助けてくれよー。」

セサミの照明が消えてもマスターの叫び声は続いていた。

覆面座談会 (司会 スガ)


皆様、。本日は御忙しい中お集まりいただきましてまことにありがとうございます
私、本日の司会を勤めさせていただきますスガと申します。
いろいろマスターのよからぬ噂は伺っておりますが、今日はひとつ本人への普段言えない苦情を、
この際本人がいない間に忌憚なく思う存分おっしゃていただきたいと思います。
情けは人のためならず
厳しいご意見を拝受してひとは成長してゆくものでございます
から。

手稲区役所市民苦情科 役所 守

スガさま ちから強いお言葉ありがとうございます。うっふん。
今日はお集まりいただきましてまことにありがとうございます
第1回目の会議といたしまして手稲北口ライブハウス オープンセサミのマスターにつきまして、
当方にもさまざまな苦情が持ち込まれておりまして、
我我としても単なる一介の民間のライブハウスの問題で我我が関知する問題でもないなと思っていたのですが、
あまりにも当方への苦情が多すぎるため市としてもこれをこのまま放置してゆくのもいかがなものかな
と言うことになり私、役所 守 が出席させていただいたわけでございます。
市のほうに先日次のような手紙が寄せられましたので読ませていただきます。
篠路の主婦 Bさんという方です。

拝啓

 わたくし篠路のBと申します。
普段は平凡な日々をすごしております主婦ですが、 
先日 「HEYブルースマン」のモデルになった」西浜さんが札幌にこられると言うので
漫画のファンだったものですから主人に話したら、「たまには息抜きもいいんじゃないか」と言ってくれまして
ライブを聴きに行ったんです。
それまでライブなんて聴いたこともなかったんでちょっと緊張して手稲駅までいったんです。
住所は書きとめておいたのですが、はじめての場所なものでさがすのによくわからなくて,
ラーメン屋さんがあったので聞いてみたら「うちの二階だよ」と言われ見上げてみると
「アジアンキッチン」なんていうあやしげな黄色い看板がかかっていて、店に上がる階段も乱雑にいろいろなものが置かれていて薄暗いし、
このまま上がっていったら拉致されて香港かどこかに売られてしまうんでは、と心臓がドキドキしてしまいました。
勇気をしぼりだしてドアをあけてみると「は~ぃ、いらっしゃい」とマスターの明るい声がして、
ああこれは香港に行かなくてすみそうだと安心したのでございます。
勧められるままに席について周りを見渡せばピアノやドラムが置かれていて、
ああライブハウスってこんなもんなんだと別の世界に来たような感じでわくわくしました。
マスターは貧乏になったジョン、レノンみたいな方でしたが話振りも明るいしちょっと気にいってしまいました。
「飲み物、なんにします?」と聞かれ、私普段はお酒なんか飲まないのにちょっと冒険してみようかしらと思って
「ワインあります?」って聞いたら「ごめん、ワインちょっと切らしちゃってるんだ。焼酎かビールかバーボンならあるよ」と言われ、
とりあえずビールをお願いしました。
ふと隣をみると西部劇に出てくるような帽子をかぶったこわもてのおじ様がいらして見覚えが....
あブルースマンだ!
西浜様は見かけとは違ってとても紳士的な方でまた一層ファンになってしまいました。
そのうちだんだん混みだして来てそれじゃあ始めましょうかと西浜様がおっしゃって、演奏が始まりました。
その後のことはとても口では表現できません。
音楽に酔いしれるというんでしょうか、体中の毛穴から音がしみこんでくるような感覚って言うんでしょうか。
平凡な主婦業の毎日とはかけはなれた世界に来たって感じで,私いつの間にかお酒をずいぶん飲んでしまって、
おまけに店の中も暑くて胸が苦しくなってきたので、誰にもきずかれないようにそっとブラジャーを脱いで
ちょっとすみっこの方においといたんです。
ライブが終わって余韻に浸りながら帰る列車の中で忘れ物に気がついたんです。
ちょっとお高い品物だったので翌日の昼間取りに伺ったら
カウンターのうえの棚から私のブラジャーがぶらさげられていて、忘れ物の紙が貼られていて、
私顔が真っ赤になってなにも言えずに逃げ帰ってきました。
人から聞いた話では一月ぐらい晒し者になっていたって。
私信じられません。
もう絶対いかないから

このように苦情が続々と持ち込まれています

スガ

成る程、あのブラジャー事件は私も覚えています。(店内の写真参照)
当時は「マスター、お客が帰った後なんかしたんじゃないの?」とかあのサイズは誰々さんだとか、
いろいろ噂が飛び交ったんですが、そういうことだったんですか。
それにしても一ヶ月も晒し者とはさぞかし傷つかれたことでしょうね。
お気持ち察します。

それでは次に店の従業員 R さんにお話を伺いたいと思います。

R さん

えっ、私なの?
急にふんないでよ。
そうねー、カズさんには随分と泣かされたよ。
だいたいさー、カズさんって血液A型のくせに大雑把じゃない。
せっかく新潟から産地直送の新米を送ってもらったのに外に置いといて水に濡らして駄目にするしさ。
スパイスの配合は人に任せられないって言いながら、作りに来なかったり。
妙に細かい所にこだわるわりには、大雑把だったりああいうのミュージッシャン気質って言うのかな
そうだ、私がりんごが好きだからって、スガちゃんがこんど持ってきてあげるって言ってたジャン
こないだ冷蔵庫見たらりんご6個入っていたから持ってきてくれたんだと思ってカズさんに聞いてみたら
俺にくれたんだって言うのさ。
後で聞いたらスガちゃんの奥さんが「マスターは独身だから2個でいいよね」ってカズさんに2個、私に4個くれたって
言うじゃない。もちろん持って帰ったよ。

スガ

あのリンゴは弘前で半分道楽でリンゴを作っている友達に送ってもらってるリンゴで特別に美味いですからね
マスターもリンゴが好物だったんではないでしょうか

R さん

それにしても独り占めしないでよね。子供じゃないんだからさ。
それで私が問い詰めると「そうだったかな、ベイビー」って、おまえは花輪君か!

Jさん

スガちゃん、ちょっと私にも言わせてよ

スガ

えー、みなさまごぞんじと思いますが家内の J でございます。
日頃夫婦ともどもマスターにはひとかたならぬご迷惑をこうむっておるものですから、今回の座談会にはどうしても
参加させろというので連れてまいりました。
おまえ、思う存分言うんだぞ。

J さん

あんた、任しといて。
マスターって音楽と料理と女には強いけど機械にはからっきしよわいんだわ
店の機械も骨董品みたいな物ばかりだから、しょっちゅう壊れてそのたんびにうちのダーリンが呼び出されるのよ
ガラクタの蓄音機、冷蔵庫、ギターの機材、ずいぶん呼ばれてまったく便利屋みたいだよ。
でもうちのダーリンは何でも直しちゃうんだから、う~ん もう ス 、テ 、キ!
さっきRちゃんも言ってたけどほんとマスターってやることがいい加減なんだから
ノートパソコンが欲しいって言うんでうちのダーリンが格別に安いのを探してきて、設定やらなんやらやってあげてやっと
インターネットにつなげるようにしてあげたのに、ライブのときに邪魔だって言うんでダンボールに入れて外に出しといたら
無くなっちゃったいうんでしょ。普通外に出さないよ。
だいたい、マスターなんかどうせパソコンあったって使わないよ
前、ダーリンがマスターのパソコンいじってて「メールたまってるよ」っていうとめんどくさそうに
「適当に返事書いといて、最後にイェィ、ベイビーって付けといてね」ってまるっきり人任せなんだから。
大体マスターは外見からして怪しげだよ。
インドで修行時代にスープカレー作ったんだって?インドにスープカレーなんてあったっけ。
おまけにうわさによるとフランス料理の修業もしてたらしいじゃない。
まったく大ぼら一代男だよ。
私の考えるにはマスターの料理の参考書は「ザ、シェフ」だと思うよ
だって店に転がってたもん
だまって持ってかえって今読んでるけど

スガ

お前、マスターのかたを持つわけではないけど、マスターの料理の腕はなかなかなもんだと思うよ。
スープカレーや鳥のから揚げも旨いけど、たまに出してくれるオムライスなんか
デミグラスソースが本当にまったりとしておいしいよ

Jさん

まったりってなんなのさ?
よくまったりした味とか言うけどどんな味なのさ?
納豆の味かい?

スガ

うーん、それは言葉で表現しにくい味覚を音感で直接感情に訴えかけようとする表現手段で......

Jさん

私しゃ、まったりした味とか料理番組で聞くと背筋がゾッとするよ。
料理漫画で広がった言葉なんだろうけど、どいつもこいつもまったり、まったりって、自分の言葉で言えよ!
ほかの人が言うんならまだ許せるけど、あんたが言うのは許せないね。
大体あんたは昔 天地真理 のファンだったって言うじゃない
「真理ちゃん~」ってペンライト振ってたんじゃないの?
あげる、、、、いつでもあんたのばあさんつけてあげる、、、天地真理の所に行きなさい
家は私の物ね
天地真理にファンレター送っとくから
「うちの主人は昔から真理ちゃんのファンなんです。どうしても私と離婚して真理ちゃんと結婚したいというんです」
すっ飛んでくるよ。それでもいいのかい?

スガ

ごめん、俺が悪かった。
それだけは勘弁してくれ

リンゴスッタ~  

マスターに一言申す(^o^)vなんでもかんでも「イエイ~・オッケ~・ベイべ~」この3種類の言葉だけで済まされると思ったら大間違いよ~ベイベ~!でも~そんなマスターが好き!(≧∇≦)キャー!

すが  

おお!初めての乱入者が現れました
この企画はお蔵入りかなとも思っていたのでうれしいです
どんどん書き込んで戴きたい
どうですか? 役所さん?

役所 守

そうですね、市への苦情件数から言ってこの程度では済まないと思います
マスターへの苦情は言いたいが言えなくて困っている方がまだまだいる筈なんです
先般行われた第一回の座談会でもわかるように、絶対誰なのかわからないのですからどんどん参加して頂きたいと思います。
マスターの件は市の最優先解決議題でございます

Jさん

そうだよ。マスターは言ってやんなきゃわかんないんだから。
都合が悪くなるとすぐ「イェイ、ベイビー」でごまかすんだからだまされちゃあだめだよ

あけもん  

 最近、カズさんの記憶が飛ぶみたいで?すが。 あれ?俺確かに酒屋に頼んだのになー
とか、肉やが来なかったか?来るはずだがなー?とか、そんな事言ったかなー
とか、記憶が飛ぶだよねーとか。人のいいセサミの皆様!そんなカズさんに
騙されてはいけません!
ヘイ ベイビーの代わりの新しい言葉を産出そうとしています。(^o^ )/

すが

なるほど とぼける という技を覚えたんですね

Rさん

カズさんの場合本当にアルツハイマーにかかってるかもしれないよ
一度渓仁会病院に行けばいいのに

すが

病院が嫌いなんですかね?

k さん

ちょっとよろしいでしょうか?

すが

あれまあ、看護婦さんじゃあないですか
どうぞどうぞ、乱入は大歓迎です

Kさん

じつは先日私の勤めている病院にマスターがいらしたんです。
何でも胃がたいそう痛むということでお腹を押さえて大層苦しがっていらっしゃいました。
問診で先生が「お酒はどのくらい飲みますか?」と訊かれるとマスターはかぼそい声で
「たしなむ程度です」とおっしゃっていました。
「なにかストレスはありませんか?」と訊かれると「俺はストレスが服を着て歩いている男です」となぜか胸を張っておっしゃられていました
「胃カメラを飲んだことがありますか?」と訊かれると急に笑顔になられて「先生、俺は胃カメラ大好きなんです、早速やりましょう」とおっしゃられ随分変わった患者さんだなあと思いました。
私が検査の準備をしている間マスターはベッドに寝ながら「おねーさん、可愛いね、今度Hしようね」などとおっしゃられて私顔が真っ赤になってしまいました

Jさん

マスターのHしようねは挨拶代わりだからね
おはよう程度に思っておけば間違いないよ

Kさん

それで準備が出来て先生がいらしてマウスピースをくわえさせようとすると「ちょっとまってくれ、もし癌だったらどうしよう、急に怖くなってきた。
看護婦さん俺の手を握っててくれ」と私の手を無理やり握るんです。
患者に苦痛や恐怖感を出来るだけ与えないようにするのが看護婦の使命だとおもって私も手をにぎらせてあげました。
内視鏡を挿入すると胃カメラが好きだと言っていたわりにはゲホゲホ咳き込んで
「キゃんごふしゃ~ん ゲフ きゅるしいゲフ」といいながら体を起こして私に抱きつこうとするものですから
先生が「これこれ!そんなに暴れたらファイバーが折れてしまう!」と無理やり押さえつけたんです。
検査の間ずっとそんな状態だったものですから先生も私も検査が終わったときには疲れ果ててしまって、床に座り込んでしまうような状態で、
でも本人は異常も見つからなかったといわれて胃の痛みも消えたらしく
すがすがしい顔をして帰って行ったんです。

Jさん

なるほどね
マスターは将来エロ呆け爺になるね
間違いない!

すが

そうですか
それは災難でしたね
また何かあればいらしてください

リンゴスッタ~

カズさんは ただの 若年性痴呆症でしょう(>_<)早い方では 40歳くらいから始まるらしい(^O^)  
そのうち勘定間違えるようになったらさ~激ヤバかも!

BEAUTY

まずはスガサン、ホンっトにホントにお疲れ様です★なんていい人っていうか、物好きっていうか…(T_T)
カズさんとうとう倒れたんだってね~その内にこんな時が来ると感じてましたぁ~!
ゲッソリしてる姿を想像すると何だか可哀想ですがっ…
だけどカズさん!ハッキリ言って今が人生の反省時だよ~っ!(以上雄叫び)
ブラジャー事件★私も巻き込まれましたよ~「ブラジャーありがとう!」なんて言われましたァ!
お陰で思わず私のシークレットポイント=バストサイズをばらしてしまいましたょ~!
りんご事件★私は現場に居あわせましたからね~(-.-;)ホントにもう~!
自分の物は自分の物、他人の人生を自分の物に…と言ってアルツハイマーのせいか、
何でもかんでも忘却しまくり…都合によっては自分の物も自分の物でなくなり…
自分はミスだらけの忘れっぱなしなのに他人のミスは塵ほども許さない…(-.-;)
嗚呼!セサミ王国民のみなさぁん!!あんなカズさんを受け入れ続けるとは
あなたがたはなんてなんて心優しい方々なんでしょ―!!(ToT)

すが

BEAUTYさん。
ずばり言い当ててますね。
全くお人よしばっかりが集まってますわ。

Mさん

どーも、Mでーす。

すが

やあ、Mちゃん。珍しいね、最近はとんと店に来ないよね。

Jさん

うちにはよく遊びに来るけどね。大体セサミを紹介したのはあんたなんだからね。おかげでどんなに酷い目にあったか。

Mさん

これはこれはJ子さん。相変わらずお美しい。
そんなこと言わないでよ。俺だってカズさんには随分酷い目にあってんだからさ。
昔Jちゃんが店やってたころJちゃんがセサミに来てくれたから、こんどはカズさんがJちゃんの店に行こうという話になったのさ。
それで俺が「今、金無いんだよねぇ」というとカズさんが「なに言ってんだ、俺がお前に金払わせる訳ないだろ」と言うんで
二人でJちゃんの店にいったのさ。
それでカズさんが「遠慮しないでどんどん飲め」って言うんで盛り上がってどんどんのんだのさ。

Jさん

あー、あった、あったそんなこと。
私も、これはラッキィと思ってどんどんお酒を勧めたもん。
私もガバガバのんだしね。

Mさん

いい加減酔っ払ってオアイソしてみたら12000円だったのさ。
そしたらカズさん一瞬顔が引きつって
「Mちゃん後は頼む」って1万円札カウンターに置いたかと思うと
「俺まだ店あるから帰るわ。あー忙し、忙し」ってそそくさと帰ってしまったんだわ。
おれ思わず「ぇえー!!!!!!!」って叫んじゃったよ。

Jさん

そうそう、あの時のあんたムンクの「叫び」になってたよ。

Mさん

1万円しか持って来てないのに「俺にまかせとけ」ってよく言うよなぁ。
あれからは誘われるのは「串鳥」になったなぁ

Jさん

あのときのあいつの逃げ足は早かったね。あれ以来あいつがあんなに早く動いてるの見たこと無いよ。


すが

なるほどね、昔から皆んな被害にあってたんだね。まあ偶にはMちゃんも飲みに行ったらいいんでないかい?

Mさん

そのうちにね

純子が魚のアラばかり買ってきた。
鯛のアラは味噌汁に、ブリのアラは大根と一緒に煮付けにした。
アラで作った料理というのはあまり食べたことが無かったが、鯛のアラで作った味噌汁はだしが出て本当に旨い。頭の周りの身も脂が乗っていて口の中でとろける。
ブリの煮付けもそれなりに旨かったが、そもそもブリという魚があまり好きではない。
刺身にしてもふにゃふにゃして脂っこすぎて厚化粧したオカマみたいだ。男ならきりりと褌締めて気合いを入れんかい、と思ってしまう。
従ってマグロのトロが食えなくなったってどうと言うことはない。
トロよりも旬の脂の乗った鯖の方がよほど旨い。
しかしアラなんてほとんど食べる人が居ないから価格も安いのにコストパフォーマンスの高い食べ物である。

褌の話が出たついでに、我々が子供の頃は銭湯で褌の親父をよく見かけた。
我々子供は白いデカパン(或いはサルマタとも云う)だったから褌を時代遅れの過去の遺物として蔑んでいたところがあった。何よりも語感が悪い。
昔イレブンPMという番組でふんどしのファッショナブルな名前を考えようということになり、「フンタロン」とか「フンデーション」等という名前が候補として挙がったが、フンというのは汚いと言うので結局「ジャパンツ」という簡潔でりりしい名前に決まった。

我々が中学生になった頃ブリーフというのを母親が買ってきて、今度からこれを穿きなさいという。穿いてみると今まで股間がスカスカして自由を謳歌していた玉とチンポコが押さえつけられ非常に違和感を感じた。しかし慣れるにつれ一物がぶらぶらしないのは安定感があり、なんとはない安心感がわき起こってくる。走ってもぶらぶらしない分早く走れそうな気がした。あれは我が少年時代のルネッサンス、パンツの夜明け、股間の産業革命だった。
さらばデカパン。お前もなかなか尽くしてくれたが、もう二度とお前の元に戻ることはあるまい、と黄色く変色したデカパンを総てゴミ箱に捨てて、ブリーフよお前と共に歩いてゆこうと青年時代に旅立った。デカパンは寂しい後ろ姿を見せて時代の闇の中に去っていったものの、ある日突然派手な柄を身にまとい名前もトランクス等という洋風の名前に変えて闇の中から華々しく復活し、あれよあれよという間に若者達に取り入って「ブリーフなんてダサイゼ。オヤジが穿くもんだろ?」等という風潮を作り出してしまった。

「トランクスなんて訳のわからん名前つけたって、お前はデカパンだろ?」と言っても

「デカパンって誰のことだい?俺は最近アメリカからやってきたんだぜ。」としらを切る。

栄枯盛衰は世の常とはいえブリーフ革命を体験してしまった私は、もう二度とあの、かーぜも無いのにぶ~らぶらの世界には戻れないであろう。
いっそのこと褌を締めてやりたいくらいだ。


地球

この季節外れの台風並みの低気圧というのはなんなのだろう。
世界的に気候がおかしくなっているのは誰もが感じていると思う。
まあ地球温暖化とかそういった問題なんだろうが、地球の持つキャパシティに限界が来ているとしか思えない。
地球は別に二酸化炭素を出し続ける人類に警告を与えようなどという意思はないのだろうが、滅びるようなことを続けるのなら人類は滅びるのだろう。
滅びた後、地球の再生の期間を経てかつて恐竜が哺乳類に取って代わられたように、別な生き物が人類に取って代わるだけの話だ。
恐竜は絶滅する頃にはすでに眼球が正面を向き立体視できるものが現れていた。
それにつれ脳も大きくなっていた。
そのまま滅びなければ我々はウロコと緑色の皮膚を持ってスーツを着て会社に通っていたのかもしれない。
天文学者で宇宙に異星人がこの瞬間に存在することを否定する人間はいない。
ただあまりにも宇宙は深淵で、地球の歴史を1年に見立てれば12月の31日の12時近くに人類は生まれしかも電波などの通信手段を使って異星人と通信できるようになったのは11時59分59秒よりもっと最近の話だろう。
そしてすぐ自らを滅ぼそうとしているのを思えば、異星人とのコンタクトの可能性は極めて薄いと思う。
何故なら相手も同じようなことをしてるだろうからね。
生命は何故生まれる必要があったのかとか、宇宙の意思とはなんなのだろうとか考えながら死んでゆくのが人類なんだろうな。

音楽葬

家の親は百歳まで生きそうな勢いだけれど、自分はどう考えても長生きは出来ないと思うので、こないだアイプランに入った。
それで辛気くさい葬式は嫌だから音楽葬と云うのを出来ないかと聞いたら、「そんな申し出は初めてなので検討してみます。」と明らかにズラの担当の人が言う。
自分の葬式くらいは生きている内に自分で演出しておきたい。
聞けばジャズなんていうのは奴隷として辛い人生を送っていた黒人が葬式の帰り道、やっと解放されたという歓喜の叫びを音楽で表現したものだと云うではないか。

以前つとめていた会社で新年の安全祈願を近くの寺でやってもらっていた。
真言宗の寺であったから坊主が護摩を焚きお経を唱えながら木魚やら太鼓やら叩くのだが、目をつむって静かにそのリズムに浸っていると、パーカッションをバックに打ち寄せる波の様なサウンドをボーカルの坊主が歌い上げ、気持ちよくていつの間にか眠ってしまう。

あれも悪くは無いが私の考えている自分の葬式とは違う。
私の葬式の場合は最初から最後まで飲んで騒いでどんちゃん騒ぎをして欲しいと純子には伝えてある。
まあ通夜の代わりにどんぐり村のお祭りを催していただきたい。

「あれだけ毎日浴びるように飲んでいたら死ぬのも当たり前だべさ。良く肝臓病で死ななかったものだと感心するわ。」

「主人の家系はガンの家系なんです。父親もおじさんもガンで亡くなっていますし、本人も昔大腸ガンにかかっていましたので、いずれ自分も、とは思っていたのでは無いでしょうか。」

「それにしてもスケベな人だったね。エロこそ人類を救うなんて訳の分からないことを言っていたよな。まあ、本人の遺言でもあることだし此処は一丁景気づけに『お祭り忍者』でもやるべいか。」

「あ~そ~れ、そ~れ、そ~れお祭りだ~♪」

という風にやってもらえれば素直に成仏出来るのでは無いかと考える今日この頃だ。


才色兼備

リサ・ランドールというアメリカの理論物理学者がテレビで取材を受けていた。
5次元世界の存在を数学で証明した人で、その数式があちらこちらの分野で革命を起こしている。
2次元の平面世界に住んでいる住人にとって、高さのある3次元世界がどういう世界なのかは解るのだが時間軸が加わった4次元世界がどのような世界なのかは決して解らない。
3次元世界の住人の我々にとって4次元世界がどういう世界なのか理解できるが、5次元世界は理解できない。
そういう世界が存在するだろうとは予想していても理論的に証明できなかった。
それが存在すると云うことを証明したのが彼女の数式なのである。
その数式を見ても何のことやらさっぱり解らないのだが、興味をそそられるのは彼女が43才の女性で、しかも美人だと云うことだ。
この人は恋人とかはいても絶対子供はいないであろうと思っていたら、やはり独身だった。
学問の世界で未来に残る自分の生きた証を残せれば、あえて子供などは必要ないだろう。
逆に子供がいたら5次元世界のことを考えるより子供のことを考える方が面白く思えてしまったかもしれず、偉大な研究は生み出されなかったかもしれない。

彼女は子供の頃から数学の才能を発揮し、全米の数学コンテストで優勝したこともあったそうだ。
彼女がこの革命的な理論を思いついたのは川の流れをぼーっと眺めていた時だという。
別に何を考えるでもなく我々と同じようにとりとめのないことを考えていたらしいが、5次元世界が存在したら面白いだろうな、それはどんな世界なんだろう?と思いつき、それが存在して欲しいと云う前提の元に研究を始めたらしい。
まあ、「ドラえもんの4次元ポケットがあったらいいな。4次元ポケットはどういう仕掛けになってるんだろう。」と云うようなのりでしょうか。
世のすべての事象は数式で証明できると彼女は考えているから、子供っぽい思いつきを数学を遊び道具に遊んでいる内に5次元の存在を証明する数式を生み出してしまった。
現在フランスにそれを実験で証明するための粒子加速器を建設中だという。

不思議な人

子供の頃隣に大家さんの家族が住んでおり、そこのお兄ちゃんが大好きでよく遊んでもらっていた。そのころお兄ちゃんは高校生だったと思うのだが、子供にとっては珍しい物をいっぱい持っていて色々見せてくれた。物静かで優しい人だった。
大家さんの家族は親が政治家だったこともあるくらいだから、どちらかといえば社交的で派手な家族だったのに、その人だけが違っていた。
彼の自作の勉強机の引き出しは子供にとっては魔法の引き出しだった。
アルファベットのそろったゴム印、水銀の入ったビン、様々な種類のレンズ。昆虫採集のセット。
どちらかといえば夢見がちな学者肌の人だったのだろう。
なんでも母親が占いに行ったときに占い師から、その人は本来生まれてこなかったはずの人なんですと言われたと言うことだ。
そのせいか子供心に不思議な人だと思っていた。
いまでもわからないのだが、遊びに行くと勉強の手を休めて紙を取り出し、マス目を描いて中に数字を書き、別の紙を渡してくれて何でも良いから書いておいでという。部屋の隅で適当に絵を描いてくしゃくしゃに丸めて持って行くと、そのマス目を書いた紙に転がさせ、止まった数字を記録しながら、此処にこんな模様が描かれているねと寸分違わず当てて行く。
あれは手品だったのか超能力だったのか未だに分からない。
大学卒業後日本光学に就職したという噂を聞いたが、レンズというのは占いに使う水晶玉みたいに神秘的なものだから、ぴったりの職業を選択した物だと思った。

肉体の重さ

長嶋さんが喋った。
脳梗塞の麻痺でおぼつかないがちゃんとした言葉だ。
でも、右手はまだ使えないようだ。
神経の損傷は怖い。
私もほんの数日脊椎神経が圧迫されていただけで、未だに下肢の痺れが残っており、小さな筋肉がうまく動かないから横方向からの力で転びやすい。
まあ、日常生活にも仕事にもさほど支障をきたさないし、回復する気力はあるからそのうち徐々にではあっても戻ってゆける自信はある。
改めて人間の身体は精妙なバランスの中で働いていると思う。
身体が自由に動くのが当たり前と健康な人は考えるが、歩くにしたって神経からの電気信号が筋肉に伝わって、様々な筋肉がそれぞれの役割をうまく果たして歩くことが出来る。
どこか一カ所でも破壊されれば機能はうまく働かない。
若い頃の肉体は軽いが、年を経るにつれ重くなってくる。
若い人は簡単に自殺するが、それは肉体が軽いから出来るんで、歳を取ってくると自殺するのもおっくうだ。
若者の自殺と云うのは生きたいと云うことの表現だと思う。
偶々思うように生きられないから死を選んでしまう。
そういう時期を過ぎれば面の皮も胃壁も厚くなって、多少のことでは傷つかなくなるんだけど。
死ぬなんてことはいつでも出来ることなんだから、とりあえずもうちょっと生きてみれば良いのにと、最近のニュースを見ては思う。

猫2

猫と言う奴は元々エジプトでペットとして飼われていたものだから、暖かいところが好きだ。家の中でも暖かい日差しが差し込むところを好み
、目を細めて座っている。
いつも我が家に遊びに来ていた近所の飼い猫のチョコもとんと来なくなってしまった。
緊急の仕事が入ったときなどは外に出すのが一苦労だが、来ないとなるとこれは又寂しい。
猫は躁鬱気質が激しいらしく、夏の間外で喧嘩をしたり家の階段を走り上がったりしていたのが、秋の気配が感じられる頃になると、遊びに来ても口数も少なく、おとなしく座っているだけだ。夏の間は構われるのが煩わしいらしく逃げるようにしていたのが、やたらとすり寄ってきて甘える。
もうすぐ出てこれなくなるのが分かっているのだろう。
それでも今年の一月二日は雪がそれほど積もっていなかったせいか、新年の挨拶に来た。
居間のガラスの外で入れてくれと鳴いている姿を見るといじらしくなる。

そもそもこの子が来はじめたのは4年ほど前からだ。
我が家の庭の向こうに隣の家のこくわの木があり、どうもその木が猫にとっては魅力があるようで、どの猫もその木の臭いをかいでから身体をすりつけてゆく。
その中にしまとらの小さな猫がいて、偶々目があったので酒の肴のするめを見せると寄ってきて食べていった。最初はびくびくしていて、ちょっと大きな音でも立てれば飛び跳ねるように逃げていったものだが、そのうち慣れてきて部屋の中を探検し、マーキングのおしっこをかけたりしていた。昼寝なんかもしていたのだが、首に鈴のついている飼い猫であるから、夜、帰さなければと思い外に出すと入れてくれと鳴いて訴える。
心を鬼にしてカーテンを閉めて知らんふりをしていても泣き続ける。
灯りがついているから帰らないんだと思い、灯りを消してじっとしていて、もう帰ったかと思い玄関に回ってそーっとドアを開けるとウサギの様に飛んでくる。土砂降りの雨の日などは可哀想だと思って泊めたこともある。何度かそういうことがあった後、ある日中学生くらいの女の子がやってきて、緊張した面持ちで「家の猫が来ていませんか?チョコって云うんですけど。」と聞く。
近所の人から、あそこの家で遊んでいるみたいだと聞いたのだろう。
「チョコが帰ってこないのでお母さんが車にひかれたんじゃないかと心配してるんです。」と言う。
「朝、遊びに来ていたけどさっき出て行ったよ。又来たら教えてあげる。」と言って、女の子が帰って行く時にチョコが何事もないかようにのんきにやってきた。
女の子に知らせると女の子は「チョコ!何処行ってたの!」と叱りつけ抱いて帰ろうとするのだけれど、この子は猫のくせに抱かれるのが大嫌いなのでギャーギャー叫んで腕から逃れようと必死だった。
まあ、最初の年はチョコも子供だったから、我が家の猫になりたかったのだろうが、つぎの年からは帰らないと駄々をこねることも無くなった。
それでも我が家は自分の縄張りだと思っているらしく、ある日はなちゃんが泊まっていったのだが、朝チョコがいつものようにやってきた。ご飯を食べて満足し、縄張りのチェックをしようと隣の寝室に入ろうとしたときに、はなちゃんが布団から起き上がった。
するとチョコは持ち上げた足が固まって、人に対して見せたことのない威嚇の表情と声で、はなちゃんを恫喝し始めた。
まるで「あんた、何様のつもりで私の部屋で寝てるのさ。」と言っているようだった。
はなちゃんは寝ぼけ眼で「なんだ?この変な猫。」と見ていたが、そのうちチョコは適わないと思ったのかベランダから出て行ってしまった。
はなちゃんは猫の仲間だと思われたのかもしれない。
それ以来はなちゃんがいると居間に入ってこようとしない。

この子はメス猫で去勢されているせいか雄猫に興味を示さない。
ところが雄猫の方はやれるなら何でも良いと思っているから、ちょっかいをかけてくる。
そうすると大喧嘩が始まるのだが、普段人間に対してはかわいらしい声で鳴くのに、こういうときはまるで、禍々しい悪魔の咆吼も斯くやという声を出す。
近所中の人が何事か?と飛び出してくる。
純子が「やめなさい!」と叫んで物を叩いたりしてやめさせるのだが、いつも家の玄関の辺りでうろうろしているから、知らない人は我が家の猫だと思っていると思う。
顔が赤くなる。
何故か喧嘩の相手はお隣の猫だ。
仕掛けるのはチョコの方だ。こいつは猫的には結構性格が悪いのかもしれない。
二匹が睨み合っている所を雄の黒猫がやってきてチョコのおしりの臭いをかいでいる。
全く男というのは油断も隙もない。隙あらば交尾しようと虎視眈々だ。
我が家の周辺にも雄の野良猫がいて毛並みから推定すると年寄りだったが、何時の頃からか姿を見かけなくなった。野良だったみたいだから死んでしまったのだろう。
雪国での野良猫生活は大変なことなのだろう。
近所にも野良が何匹かいるが、みんなどこかの家で餌をもらったり、寝る場所を与えてもらったりしているようだ。
近所に一匹不細工な猫がいるのだが、野良とも思えぬ太り方で、道の真ん中にごろんと寝ころんだりしている。ただ、こいつは愛嬌だけは人一倍で、人が近づくと喉を鳴らしながらすり寄ってくる。だから良く近所の人になでられて幸せそうに寝そべっている姿を見る。生き残る猫には何らかの生き残る特技があるものだ。


遊び

昨日祭りの準備も一段落してママと話していたら、ママのお姉さんはママよりもピアノがうまく音楽大学まで行ったのに、今は一切ピアノを弾こうとしないという。
楽しめば良いのにと言ったら「仕事としてしか思えないから苦痛なんでしょうね。」と言う。
せっかく技術を持ちながら勿体ないことである。
俺なんかひくのはリヤカーか、のこぎりぐらいしか無いから、楽器を弾ける人がうらやましい。
でも、気持ちは分からないことは無い。
俺も会社を辞めたときはもうこんな仕事は関わりたくないと思って色々な仕事をした。
でも結局まともに稼げるのは、今まで蓄積した技術しかないので又戻ってきた。
会社に勤めていた頃より負担は大きいが、それでも我慢できるのは、嫁と友達のおかげだ。
あの世まで財産を持ってゆける訳じゃないんだから、おれはキリギリスを目指すよ。
のたれ死にするんだったらそれも良いと思うしね。
死に方に不幸も幸せも無いと思うからね。
音楽ってその字の通り楽しむ為にあると思うのさ。

北朝鮮の拉致事件に関わって指名手配された女の弟が世界的なバイオリニストだったと言うことだけど、当時の審査員の話によると「確かに技術的にはうまいんだけどロボットが弾いているみたいだった。」と言ってたけど、この人も音楽を楽しむことは無かったんだろうな。
それは不幸なことだと思うんだよな。

きっと、この人もたとえ子供の頃は強いられたとしても音楽の才能を認められるくらいだから、音楽を楽しんでいたと思うのさ。
でも国家の政策に振り回され、世界的な賞を取らなければと思うようになったんじゃないのかな。そうなったら単なる仕事だもんな。
せいぜいカラオケで音楽を楽しめる立場で良かったよ。

港町

今日も小樽での仕事だった。
昔から栄えた港町にはいくつかの共通点がある。
まず良い水があること。昔の船にとって水は飲用としても、蒸気機関用としても必要なものだった。
次に坂の街であること。これは陸から急激に海底まで坂が続いて居るということで、港の水深が深くなるから大きな船が入りやすい。
従って古くからある港町は小樽にしても神戸にしても坂が多い。
坂のある街の風景というのは、札幌のように平坦な土地に展開した街とは趣が違う。
特に港町というのは道路は海に収斂し、家の造りも海を見渡せられる様に作られ、街の作り自体が海を意識した作りになっている。
海から市街に続く道を歩き、街を通り過ぎ山に向かって歩く。
振り返れば平野に作られた街とは違って3次元の思いがけない風景が広がる。
その風景の向こうにはいつも海がある。

「急な♪坂道♪駆け登ったら~♪今も海が見えるでしょ~か♪」

あの歌詞は港町の情緒を良く表現してるなあ。


占い


人はどうしても自分で判断できないとき、占いを頼ることがある。
家の親父なんかも良く占い師の所に行っていた。
だから我が家には高嶋易断とか姓名判断の本が数多くあった。
私の名前は本当は字画数がものすごく多くて、活字にするとつぶれて見えなくなるし、自分でも「此処に一本、線が必要だっただろうか。」と書くときに悩むので、普段は略字で書いている。
何故そんな難しい漢字になってしまったかというと、私が生まれた頃親父が姓名判断に凝っていて、何とか画数の良い名前にしようと苦心惨憺してでっち上げたらしいのだが、後で画数を間違えていたとお袋に事も無げに言っていたらしい。
「あんた、いまさらそりゃ無いだろう。ちゃんと調べろよ。」と思ったが、そのせいかどうか、あまり幸福ではない時期が長かった。
まあ人生なんて皆そんなもんなのだろう。親父は事業のことについてよく占ってもらっていて、そこそこ成功していたが、母親の話によればこの年から運気が下がって商売もうまく行かなくなってゆくだろうと言われた時期に、商売も落ち込み健康も害していった。

純子は若い頃占い師に見てもらったことがあって、若い頃は苦労が多いが43才から幸せになれる、と言われたそうだ。43才と言えば丁度出会った頃だ。
でも当時はそんな先の話には興味もないし、一応メモした紙だけは取っていたが、引っ越ししてゆく内に無くしてしまったらしい。
そして私はというと、仕事のことで一応参考にしようと、良く当たるという占い師を知り合いに紹介してもらい、一度だけ占ってもらったことがある。それで教えられた所に行くと、丸々とした受付の女性が居た。そして部屋の隅にトレーニング用のバイクがある。暇な時には、やせるために漕いでいるものと思われた。薄暗い別室に案内され、ベールをかぶった怪しげな女でも現れるのかと思ったら、その受付の女性がTAROTカードを持ってきてテーブルに置き「どんなことを占って欲しいのですか?」と訊く。彼女が占い師だった。
それでテーブルに並べられたTAROTカードを選んでくださいというから、選んでいった。
結論を言うと、そのときの占いは大体当たっていた。
ただ、当時離婚したばかりで再婚するつもりなど毛頭無かったのだけれど最後に、「貴方と再婚する人がすぐ近くにいます。」と言う。
「その人はちょっとふくよかな、気っ風の良い姐御肌の人ですが、思い当たることはありませんか?」と言うが、全く思い当たらないので「わからない。」と答えると「まだ出会って居ないのかもしれません。」という。
それでお会計をして、又ご縁がありますようにと5円玉の入ったお守りをもらい帰ってきた。
「占い師といえば黒い服を着てベールに顔を隠してどこか神秘的なはずが、いくら何でもエアロバイクは無いだろう。」と思いながら帰ってきた。
その後純子と出会い、姐御肌の女というのはあっ
ているが小太りと云うのは外れだなと思っていたのだけれど、最近はやっぱり全部当たっていたと思うようになってきた。

妖怪

小樽に仕事に行ったついでに妖怪居酒屋がどうなったか見に行ったら、すっかり更地になって真新しい砂利が敷き詰められた駐車場に変わっていた。
ついに雪の重みで倒壊したかと思い、あれはあれで趣のある良い酒場だったなあと言いながら車に乗ろうとしたら、目の前の飲食ビルの看板にA亭の文字が。
ビルの1階に移っていた。
あの黒田征太郎の絵はどうなったのか、開店の時には又来たのか、ママは元気なのか知りたい。今度は夜に行ってみようと思う。
秋晴れで気持ちが良いし道もすいているので帰りは高速を使わなかった。
たまには別の道を走ってみたいと思い、銭函を通った。
線路を渡り、道なりに右折し海商への道を走っているときに思い出した。
昔、雨の日、真夜中にこの道を走っていると、やけに大きな黒いワンピースを着た女が道の真ん中を酔っぱらってふらつきながら歩いている。身長は180以上ありそうだ。気味が悪いなと思い、徐行しながらすれ違いざまに顔を見上げたら、青々とした髭のそり跡のおかまだった。
思わずざわっとして通り過ぎたが、何故あの時間に、あの人気のない田舎を、でかいおかまが酔っぱらって歩かなければならないのか。
真夜中の田舎道で出くわすおかまほど妖怪じみたものは無い。


山の手博物館

以前から気になっていた山の手博物館に行く。
博物館になる前このビルの地下に機械式駐車場があって、その保守点検の話もあったのだが結局ご破算になり、ビルの改築工事が始まり何が出来るのだろうと思っていたら「地図と鉱石の山の手博物館」という看板が上がった。
中にはいると、色々な石が並んでいる。
カウンターのお姉さんに一人200円の入館料を払い、ここは市かなんかでやっているのかい?と訊くと、個人でやっているという。館長がその方面の研究者だったらしい。
北大から借りてきている石もかなりあるらしい。
アンモナイトや三葉虫の化石もある。
ずーっと見てゆくとストロマトライトの現物があった。
ストロマトライトというのは藍藻類(シアノバクテリア)の死骸と泥が固まって出来た岩石で、海から陸上に進出した初めての生命だ。このシアノバクテリアが大気中に酸素を増やしていったためにオゾン層が出来、地上が紫外線にさらされなくなって動物が陸で生活できるようになった。ここにあるのは化石になったものだろうが、オーストラリアの海岸では未だに成長しているストロマトライトがある。
同じケースの中にチムニーがある。これは深海底で硫黄を含んだ熱水が湧き出し、中に含まれた鉱物が熱水口の周りに堆積し煙突のようなものを作る。
その周辺には硫黄を栄養とするバクテリアが集まり、そのバクテリアを食べる生物が居て、チムニーの周りに食物連鎖の成り立ったコロニーを作っている。原初の生命は深海底のこういう場所で発生したのでは無いかと云われている。
此処に飾られているチムニーは50センチほどの小さなもので、チンポコみたいな格好をしていて、チンポコの先から熱水を噴きだしていたのだろう。
生命の母なる海に射精し続ける父なる大地のチンポコの列、太古の昔から延々と続いてきた暗い海の底の秘め事、、、、ああ、ロマンだよなあ。
他にも深海の海底に転がっているマンガンの塊などがあるが、これらのものを採掘できたら海洋国家の日本は資源大国になるだろう。
地下に降りる階段の壁には伊能忠敬の作った地図が貼られている。
内陸はともかく海岸線は現在の地図と変わらず、幕末にペリーが日本の海岸線を測量している内に伊能忠敬の地図が正確であるとわかり中断してしまったと云う話だ。
地下に降りると床に北海道地図が描かれている。
お姉さんがやってきてこれをかけて見てください、と云うので左右に赤と青のフイルムが貼られた眼鏡でのぞいてみると北海道が立体になって、山が浮き上がってきた。
それで反対の稚内の方から見てみると山だったところがくぼんで、湖が持ち上がってくるところが可笑しい。
館内にはそのほかに美しい鉱物が並べられていて、名前は知っていても現物を見るのは初めてだった。宮沢賢治の何かの童話の中でラピスラズリという名を聞いたことがあったが、その原石もあった。瑠璃のことだったんだね。宝石に興味ないから知らなかったけど、何月かの誕生石になっているらしい。
興味のある人は行ってみたら良いんでないかい。

大林宣彦

朝のNHKの連続ドラマに岸部一徳が出ていて、良い味を出している。
昔ザ・タイガースにいた頃は全く興味を感じなかったが、ある時映画でみたときに、自然な演技をする良い俳優だなと思ったけれど、タイガースのサリーとは思わなかった。
レッドツェッペリンのベースが日本でテレビを見ていたら、たまたま彼がベースを弾いているバンドがツェッペリンの曲を弾いていて、彼のベースが自分よりうまいと感心してずっと会いたがっていたということだから、音楽の才能も相当なものだったのだろう。

この間衛星放送で「いつか読書する日」という映画に出ていたとき、坂のある街が舞台になっているし、大林宣彦の映画には良く出ているからてっきり大林宣彦の映画と思っていたら、緒方明という人が監督だった。

大林宣彦は好きな監督の一人だ。
「転校生」のラストシーンは主人公が別の街に車で引っ越してゆく。
見送る女友達の姿がだんだん小さくなっていって、白黒の画面に変わり、画面の縁にフイルムのパーコレーションが現れて、すべては傷だらけの白黒フイルムが象徴する過去の記憶だったんだということがわかる。あのシーンだけで大林宣彦が好きになった。
大林作品では「異人たちの夏」とか「あした」なんかも良かったなあ。
小樽で寿司を食べるときには寿司屋通りから遙かにはずれた、地元の人に教えてもらった安くてうまい所に行くのだけれど、そこの壁に大林宣彦が石田ひかりやスタッフと一緒に来たときの写真が飾られていたが、あれは小樽を舞台にした「遙かノスタルジー」の時の写真なのだろう。
観光客はまず行かないところだから、同じように地元の人に教えてもらったのだろうと思うと、ちょっと嬉しかった。
自分も昔8ミリを持っていて、そのときのフイルムは未だにあるのだけれど、映写機のゴムベルトが腐って粉々に切れてしまい捨ててしまったから見ることが出来ない。
今だったらバンドーと云うベルトを作っている会社で、適当な長さで切って両端をライターで溶かしてくっつけられるベルトがあるから、捨てる必要は無かった。
どこか古物商でものぞいて映写機を捜してみようか。


リンゴ

友人がリンゴを送ってくれた。
毎年、今時期になると贈ってくれる。
お返しにこちらは彼の好きな「新得そば」の乾麺を贈る。
人それぞれ好みはあるだろうが、私の場合はこの「新得そば」の乾麺がそば屋のそばよりうまいと思う。
友人は公務員の傍ら着々とリンゴの苗木を植え、定年後はリンゴ農家をやりたいらしい。
彼のリンゴ栽培の方法は少し変わっていて、殺虫剤は出来うる限り使わず、下草は全部は採らずクローバーだけを残しておく。こうするとクローバーが地面を覆い、他の背の高くなる雑草が生えない。
肥料は牡蠣の殻をすりつぶした粉を蒔くだけで、後は一切構わない。
ところがこんな横着な作り方で作ったリンゴが、何故か非常に美味しい。
彼の弟が東京にいて、知り合ったレストランにあげたところ、フランス人のシェフが「こんなおいしいリンゴは食べたことがない。」ということで、売って欲しいと言ってきたらしいが、商売で売るほどそのときは採れていなかったのでお断りして、年に数箱おくっていたらしい。すると招待状が来て、食事に誘われ大層なもてなしを受けたそうだ。
彼の住む青森の板柳町に遊びに行ったとき、町立のリンゴ博物館みたいな所に連れて行かれたのだが、元々日本にリンゴが入ってきたのはアメリカかららしい。
それを品種改良して日本のリンゴになった。
そしてリンゴの木というのはヒドラみたいな形をしていて、上の方の枝が空に向かって伸びていないが、自然のリンゴは普通の木のような形になるらしく、それでは上の方のリンゴが採りにくいので、収穫しやすいようにわざわざ背を低くしているらしい



チベット


インターネット上でしばらく前から話題になっている映像がある。
今年の9月30日ルーマニアの登山家セルゲイ氏がエベレストに近いチョオーユー峰のベースキャンプからたまたま目撃した映像だ。
映像には30人ほどのチベットの子供や尼僧を含んだ巡礼者が、雪原をインドに向かって亡命しようと列をなして歩いている。
それを見下ろして居る中国の国境警備兵が銃を構えて発砲する。先頭の尼僧が雪原に倒れ、
次に最後尾の少年が撃たれて倒れる。
警備兵はまるで狩猟を楽しんでいるかのように次々と発砲してゆく。
この映像がルーマニアのテレビ局で放映され、YOUTUBEでインターネットを通じて全世界に流れていった。
この事件の中国当局の発表は抵抗したので殺したと云うものだった。

中国人民解放軍は1959年3月~1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人を殺している。
その虐殺の方法は目を覆わんばかりだったという。その後中国人を大量に移動させている。
他国を侵略したのだ。
それを指揮したのが胡錦涛である。
21世紀のヒトラーだ。
訂正:胡錦涛は1959年には17才くらいだから、中国政府の政策に荷担できるわけがありませんでした。彼は1989年1月にチベット自治区の書記に任命され、6月に天安門事件が起こり、それ以前から民族独立運動の激しかったチベットを押さえ込むために、中央政府の政策を忠実に進めたことで、出世していったようです。しかしその間チベット人を弾圧し殺したことは間違いないことで、こんな人間や国の言うことを、まともに聞く耳は私は持ちません。)

こんな国がありもしなかった南京大逆殺を日本に対して指弾するなぞチャンチャラおかしい。どの口が言うのだと訊きたい。毛沢東は文化大革命で3000万人の人民を殺したと言われている。全く中国で一番安いのは人の命だ。

国際政治は全く力が物を言う世界だ。
アメリカも中国がまともな国ではないことを知りながら、アメリカの利益のために中国を利用している。

中国は必ず分裂する。
今、上海なんかは誰も住んでいないビルが乱立している。
中国の経済発展なんかは砂上の楼閣だ。
環境汚染、木材の伐採による国土の砂漠化、貧富の異常な格差による農民の反乱、国内の民族問題、共産党幹部の汚職。
いずれ世界最大の経済国家となって、アメリカをもしのぐなどと予想している人も居るが、絶対その前に中国共産党の崩壊が起こり、ソビエト連邦のようにいくつかに分裂する。
映像のリンクを貼っておくけれど、悲惨なので見たくない人は開かない方が良いかもしれない。

http://www.youtube.com/watch?v=hXC5RxhZUYw



教師

もうすでになんの授業だったのかも忘れたが、そのころ出始めのオープンリールのテープレコーダーを持ってきて教壇に置き、テープを回すと教室を出て行ってしまう教師がいた。
授業の間ずっと彼が録音した授業の内容が流れていて、授業時間が終わる頃に戻ってきてテープを止めて「何か質問はありませんか?」と聞くのだけれど、そんなテープは誰もきいてやしないから当然質問もなく教師は教室を去ってゆく。
いったいあの先生は何を考えてあんな授業を始めたのだろうか?
毎日毎日同じ事を喋るのなら、テープに喋らせといても同じ事じゃないかと思ったのかもしれない。当然教師の間では問題になっていたのだろうが、生徒には内情はわからないから「変な先生」ということで特別馬鹿にもされないが、相手にもされない存在だった。
だからその先生の名前も、何の授業を教えていたのかも記憶がない。
未だに中学校の同窓会があるのだが、我々の学校は生徒が教師を包丁を持って追いかけ回したという当時としては珍しい伝説のある、悪ガキが集まっていた学校で、休み時間に便所で喧嘩というのが恒例行事で、同窓会に集まる連中も自己防衛のために空手を習ったりして喧嘩していた奴らばかりだ。担任の教師は大変だったと思う。
それでも親身に彼らのことを心配してくれていたから、同窓会では未だに先生、先生と呼ばれて慕われている。まあこの年になると先生とも友達づきあいに近いけれど。

友人

昨夜はYAMAHAでCHI-BOH KING BAND のライブを聴く。
チーボーは相変わらず熱い。
まるでガキ大将がそのまま大人になったようだ。
男はいつまで経っても12才のままだというのが私の持論だが、こんなに開けっぴろげに子供の自分を見せている人も珍しい。
往々にして子供っぽさを表に出している男はいるが、大抵は打算的であったり、アウトロー的性格であったり、他人に対してわがままな行動をする人間が多い。
それを何を勘違いするのか、「カリスマだ。」等と云う人もいるが、そんなものは社会をなめ切って甘えているたわけ者と呼ぶのだ。

チーボーの場合は全く打算的な所がない。
ただ自分の心の赴くままにやりたいことをやっている。
その子供の様なところが魅力的で人が周りに集まってきている。
今回のライブのチケットの1200円と云うのは安すぎる。
この値段では会場の借り賃くらいしか出ないだろう。
様似から来たのでは持ち出しになるのは間違いない。
チーボーの、好きなことをやるのに金のことなんかどうでもいいじゃねえか、という姿勢が現れている。
でも、私はチーボーのそういうところが好きだ。
また家で一緒に飲みましょう。

2次会も盛り上がっていたが、ちえみちゃんと飲む約束があったので途中で帰らなければならなかった。初めて代行を利用したが、他のタクシー会社はどうなのかわからないが「団地タクシー」の料金体系はタクシー代+¥500だった。これならススキノも徘徊範囲に出来る。

「えくぼ」の引き戸を開けると、すでにちえみちゃんが良い案配にできあがっていた。
本当にこの子は明るくて、一緒に飲んでいるとこちらも元気になってくる。
私たち夫婦とは20才以上も離れているから、年の離れた末っ子の妹みたいにめんこい。
昔やんちゃしていたところも、らしくて微笑ましい。
インド風の美人だから、昔インドに行ったときはインドの男にもてもてだったそうな。
早速3人のテーマ曲「キューティハニー」を一緒に歌い盛り上がったが、例のごとく睡眠に入ってしまい、目覚めたらすでに3時だった。


アフリカの爆弾

筒井康隆の短篇に「アフリカの爆弾」という短編小説がある。
随分昔に読んだのでうろ覚えだけど、アフリカの部族同士の争いで核ミサイルを買ってそれを村までみんなで担いで帰る途中すっころんで爆発しそうになったり、ワニに飲み込まれたりするドタバタ喜劇で、北朝鮮の核が弱小国に売られるとこんな事が現実化するのだろう。
北朝鮮が云うアメリカの核から自分たちを守るために核武装するというのは、口実ではあれ間違っては居ない。大国が核を持っているのに自分たちが持って何故悪い?と言うのはその通りだ。しかし北朝鮮の核開発を認めれば「アフリカの爆弾」のように核を管理することの出来ない国すら核を持つことになるだろう。
全く世界政治の、力あるものが力なき者を力で押さえつけるという構図は昔から変わらない。それ故金正日はなんとしても核を手に入れたいのだろう。
北朝鮮等という国は端から見れば子供の王国で、金正日というのはあぶないおもちゃをちらつかせて駄々をこねている子供にしか見えないのだけれど、そんな子供でも世界に驚異を与えているのだから核のもの申す力はすごい。

安保理はどういう結論を出すのだろうか?経済封鎖をしたとしても、ハルノートを突きつけられた戦前の日本のように窮鼠猫を噛むということになり、結局戦争にしかならないような気がする。
一番理想的なシナリオは、金正日一族の亡命と生命の安全を保証する代わりに北朝鮮を明け渡してもらい、当面国連で統治するという事だろうか。

それにしても金大中、盧武鉉の太陽政策で北に物資を援助し続けた韓国の罪は重い。
そんなものは飢えた国民の手になんか渡るはずもなく、核ミサイルを作る資金になっただけだ。
1月に盧武鉉の元で親北朝鮮外交を続けてきた潘基文が国連事務総長になる予定だ。
こんなタイミングで事務総長になるというのも皮肉な話だ。
自らの口で北朝鮮に最後通牒を突きつけなければならないとは。

「アフリカの爆弾」の最後のシーンはミサイルを村の守護神として部族民が取り囲んで踊りまわり、たき火の灯りに照らされた弾頭は男根のようにテラテラと光っていたというものだったように覚えている。

Jazz

誰それの音楽がいいとか悪いとか、そんなに音楽が好きなわけではないのでさっぱり解らないんだけど、好き嫌いってのは自然とできてくるものだ。
私にとってどうもジャズってのはあえて聞こうとする音楽じゃない。
一度ジャズ酒場みたいなところに行ったんだけど、当然店にはジャズが流れてるんだけど、来る客がお互い同士話をするわけでもなく、それぞれ壁に向かってジャズ雑誌を読んでいて、店主も愛嬌を振りまくわけでなく、これはおたくの世界で俺みたいな素人が来るべきところじゃねえな、と思ったことがありました。
なんか昔からジャズ評論家なんてのがいて、親父だけどインテリで、おしゃれでかっこいいんだぜといった雰囲気を醸し出していたところも、私の反感の理由だと思う。
音楽なんて理屈じゃねえだろ。好きか嫌いかそれだけじゃねえの?とつい思ってしまう。
演歌だって歌謡曲だってクラシックだって好きな曲は好きだし、そうでないものはどんな権威ある人間が「これはたいした曲で」といったって何の興味もない。
ピカソだろうが、ダリだろうが、いくらこの絵は何億円ですって言ったって、その時の自分にとって心動かされるものが無ければ、自分にとっては1円の価値もない。
よく知らないけど、元々ジャズってのは酒場で楽しむ大衆のための音楽だったんでは無いのだろうか。
私が唯一聴いて楽しいと思ったのはジョニー黒田さんのデキシーランドジャズだった。
ジャズって本来小難しい顔をして聴くものではなく、みんなでわいわい楽しんで酔っぱらいを巻き込みながら場を作る掛け合い漫才みたいなもんなんじゃないかな、と思いました。
そんなことを昨日焼き肉食いながら、Jazzやってるあこちゃんと話していたら「ホントにさ。でも、そういう人がジャズの世界には多いんだよ。だからよく言い合いになるんだけど。でもジャズって奥が深いよ。」って言ってました。
音楽って言葉も喋れない子供でも、楽しければ体を揺らして踊っている。
技術的にうまくても何にも伝わってこない演奏もあれば、未熟でも心が伝わってくるものもある。

国家百年の大計

小泉首相の靖国参拝の話題がやたら取りざたされていて、またマスコミがヒステリックに騒いでいる。日本人が靖国問題を議論するのは構わないが、何で中国や韓国のスタジオ参加者を集めて意見を聞こうとするのであろうか?中国や韓国などという国は歴史認識を政府が好きなように作って国民を煽動している国だ。南京大虐殺がどうとか、従軍慰安婦がどうとか、相も変わらず日本は反省していないだとか難癖をつけているが、南京大虐殺の件だって当時人口が20万人しかいないところでどうして30万人の住民を殺せるというのか。朝鮮の従軍慰安婦の話にしたって、当時の自称従軍慰安婦の婆さん達の証言は二転三転して整合性が全くないし、当時の貧しい朝鮮の農村では売春婦になるものが多かった。
ところがこのように洗脳された若者の意見をたしなめるコメンテーターも居ない。時間進行の問題もあるだろうが金美齢さん辺りが一言「それは違うよ。」と言って欲しかった。
歴史を勉強していない日本の若者はそれを鵜呑みにして「日本は悪い国だったんだ。彼らから何を言われても、されても仕方がないんだ。」と思うだろう。

中国にしても共産党の一党独裁、韓国にしてもついこの間まで軍事独裁政権、日韓基本条約さえ昨年まで国民に知らせなかった国だ。歴史教科書は政府に都合の良い物に作り替えて、しかもそれ以外選べない洗脳教科書だ。
こんな国が我が国の内政問題に文句をつける資格もない。
はっきり言えば中国はやくざの組長、南北朝鮮は銀バッチを得意げにちらつかせているちんぴらだ。
日本は今までこういったやくざの言うことを黙って聞いて、金や技術を差し出してきた。
こんなに便利な叩けば金の出てくる打ち出の小槌はない。
しかし、やくざというのは搾り取れると思ったら何処までもつけあがる。
南京大虐殺、靖国問題が脅しのネタにならないと思ったら、今度は遺棄化学兵器をもちだして因縁をつけるだろう。
こういうたかり国家は相手にしないのが一番だ。そしてつきあいを徐々にやめてゆく。
今年の日本の対中投資は35パーセント減だそうだ。
異常なほど中国は軍事費拡張をしているが、これは対日本、対台湾、対アメリカのためだろう。手に負えない化け物にならないうちに中国を押さえ込む必要がある。円借款、ODAの即時停止をするべきで、その金をまともな国に回すべきだ。何せ中国や韓国にとって日本は悪の国らしいから、そんな国に援助をしてミサイルを撃ち込まれる筋合いはない。
経済界の人間は目先の金のことばかり考えて、中国と仲が悪くなったら市場が無くなって困るから靖国参拝反対を主張する。売れる物なら軍事用に転用できる物まで売ろうとする。
経済主導の外交は道を誤る。商売人は5年10年先のことを考えて居ればよいが、政治家は国家100年のことを考えて政治を行ってもらわないと、この国の子供達に負の遺産を押しつけるだけになってしまう。

話せばわかる親父

2年ほど前、飲み屋で70近い爺さんが靖国参拝の件で話していて、「中国、韓国が中止を求めているのに、何故あえて参拝する必要があるんだ。」と同意を求めてきたことがあった。
そのとき私は「靖国問題は日本国内の問題で、外国がとやかく言ってくるのは内政干渉で、日本ははっきりとそれを伝えるべきだ。」と言った。
すると親父は「日本はアジアに侵略をして悪いことをしてきたんだから。」
という。
そこで私は「中国に対しては確かに侵略だったかもしれない。しかし朝鮮の場合は併合であって、李氏朝鮮では両班という支配階級が国民を奴隷にしていた国家の体裁をしていない貧乏国で、いずれロシアの植民地になるしか無かったろう。ロシアの南下をおそれる日本は、ロシアとの間にだらしなく寝そべっている朝鮮を何とかしなければ国防上の危険があった。朝鮮自体も力を持たない弱小国だから事大する相手を捜していて、ロシアに色目を使ったりしていたが、最終的に日本に併合してくれと頼み込んできた。
日本は莫大な税金を使ってインフラを整備し、教育をし、道ばたでくそをしてはいけないと教え、近代化をしてやった。ダムを造り工場も造った。朝鮮戦争後北の方が豊かだったのはそのとき作った工場が北朝鮮にあったからだ。少なくとも日本は朝鮮に対して良いことこそしたが、悪いことはしていない。」

「しかし、従軍慰安婦と云うのはどうなんだ?強制連行は?」

「従軍慰安婦なんていないんだよ。みんな金で雇われた売春婦だよ。日本の朝日新聞が作った話に過ぎない。ついでに云うと靖国の問題だって朝日新聞が騒いでそれを中国が利用しているだけの話だよ。強制連行って云ったって当時は朝鮮人も日本国民だったわけだから徴用は当たり前じゃないの。創氏改名の件だって強制ではなく、連中も日本名の方が商売をやるのに都合が良かったから使わせて欲しいと云うので始めたことで、当時の軍幹部の中にも朝鮮名の儘の人間は沢山いたんだよ。今、南北朝鮮が言っていることなんか嘘ばっかりだよ。元々大国に征服されるたびに寝返ってきた民族だから、嘘を言わないと生き延びられなかったんだろうね。
あの民族は新しい支配者につくと必ず自分たちは被害者面をして、日本が悪いとか言い出す。中国大陸でもベトナムでも虎の威を借りて日本人やアメリカ人以上に残虐なことをやってきたくせに。
事大と裏切りはあの民族の血に染みついたものだと思った方が良い。
あんたみたいに、向こうの言うことを自分で調べないで、ごもっともってやってた我々の世代が国を悪くしてきたんだ。マスコミも学生時代に左翼運動やってた連中が多いしね、中国や韓国の言うことを垂れ流しにしてるしね。彼らの悪いところは決して言わない。
我々の世代は日教組の教師が多かったから「日本は悪いことをした」と教えられて育ってきて、嫌な過去として触れたがらなかった。敢えて自分で調べようともしなかった。
だから中国や南北朝鮮の言い分をあんたみたいに「悪いことをしたんだから。」と無条件に聞いてきて、しなくとも良い賠償や謝罪をしてきた。
しかし彼ら自身の責任を何故日本のマスコミは問おうとしない?

大体、朝鮮戦争が何故起きて南北に分断してると思う?時の大統領、李承晩が日本を攻めようとして軍を南下させた隙に乗じて、北が攻め込んできたんだよ。パチンコ屋が何故駅前の一等地にあるのか不思議に思ったことはないかい?戦後のどさくさに紛れてたばこ屋の婆さんを脅したり、殺したりして不法占拠しているんだよ。奴らは日本が戦争に負けたとたん手のひらを返して我々は戦勝国民であると云って無茶の限りを尽くしたのさ。それでGHQは彼らを戦勝国民でも敗戦国民でもない第三国人と呼んだのさ。」

「すがちゃんがそんなに右翼だとは思わなかったな。それは弱者に対する差別だよ。」

「俺は当たり前のことを言ってるだけだよ。在日朝鮮人は何かあるとすぐ差別だと叫ぶけど、金日成をあがめ奉る主体思想を教えられて育ってきた、国籍が朝鮮の人間をどうして不安に思わずいられるんだい?
朝日なんかは絶対朝鮮名を出さないが、確か日本の外国人犯罪の多さは中国人、ブラジル人、朝鮮人の順だぜ。敢えて名前は出さないが、ここ10年ほど見たって凶悪な犯罪で新聞を賑わした事件には随分と在日が関わっている。こんなもん差別じゃなくて区別だよ。それと言っておくけど街宣車で大声でがなり立ててる右翼の3割くらいは在日だぜ。
彼らは北方領土返還は歌っても、竹島返還は唱えない。」

「しかしご近所さんとは波風たてずに仲良くしないと。」

「あんたね、そんな信用できない連中が、飛び道具を持って日本を恫喝しているんだよ。
ミサイルが飛んできたらどうするんだい?黙って死ぬのかい?オーさんは年だから死んでも心残り無いかも知らんが、俺は嫌だよ。」

「なにいってんだい。俺だってまだまだ長生きするつもりさ。」

「だから敵のミサイルが燃料を注入した段階で攻撃しなけりゃ間に合わないんだよ。
憲法9条が日本の平和を守ってきたなんて、寝言だよ。日本を守ってきたのは日米安保条約さ。オーさんも新聞やテレビの意見を丸呑みにするだけでなく、自分で歴史をしらべてごらん。」

「新聞やテレビ以外にどうやって調べりゃ良いんだい?」

「今はインターネットの時代だよ。インターネットには様々な情報がある。ほとんどはくだらないものであるし、嘘や誤情報も多い。しかし新聞やテレビだって会社やら記者の思想が入っているからね。ネットの膨大な情報の中から本物と思える情報を選択してゆくと、見えてくるものがある。我々の世代より今のネットを使っている世代の方が本当の歴史を知っているよ。」

「私は、インターネットなんてさわったことないからなあ。」

「本、読みな。いろんな本が出てるからさ。頭使わないとぼけぼけ爺になるよ。
ママ、この蕗の煮付けうまいねえ。もうすこしちょうだい。」

まあ、こんな話をしていたわけだが現実にこういう事態になってしまった。
災害はある日突然起こる。阪神大震災の時もそうだったし、そんなことになるわけがないと思っていても、信じられないことがある日突然起こるのが戦争や災害だ。オウムの事件の時だって「まさかそんなことが」ということが起こったのだ。
迎撃ミサイルの件も、日本の航空自衛隊が対地攻撃力を持たないことも私は危惧していた。
ところがこの親父の様な話せばわかるんだから人間が多すぎて、まともな議論も成り立たなかったために、今日本は危機にさらされている。

テポドン発射

まさかポーズだけだと思っていたテポドンが発射されました。
やけくその自滅行為としか思えない。
もうこれで国連の安全保障委員会に付託されるだろうし、さすがの後見人の中国もかばいきれないことだろう。
これで平和ぼけして、話せばわかる等と唱えていた人たちも、話してわからない人種がいると云うことに気がつくだろう。
しかし韓国はこの間に日本のEEZにちゃっかりと進入してきた。
中国も尖閣諸島の海底調査を期を同じくして実施したところを見ると、この三国は裏で打ち合わせをしているのではないか。
韓国の盧武鉉大統領は韓国を共産主義国家にしようとしている。
元々市民運動家で弁護士上がりの盧武鉉は、日本で云えば全学連がそのまま大人になった386世代と呼ばれる閣僚達を率いて今の韓国の政治を行っている。
韓国の大統領は直接選挙で選ばれる。
元々保守派のハンナラ党の候補が強いと云われていたのだが、若者達は常に反体制を好む傾向があるから、インターネットで呼びかけてウリ党の盧武鉉を応援し逆転当選したのだ。
これを衆愚政治という。
その結果盧武鉉は日本からもアメリカからも相手にされていない。
アメリカの軍事機密は日本には連絡されても韓国には知らされていない。
先日の日本の海洋調査船の問題でも、国際法は守る必要は無いという民主主義国家とも弁護士とも思えない発言をしている。
盧武鉉の任期は後1年半残っている。
先日の選挙ではハンナラ党が圧勝して、韓国の世論調査でも盧武鉉の人気は14パーセントまで落ちており、ハンナラ党が政権を取れば現政権の閣僚は刑務所に行くことになるだろう。
そのために盧武鉉は人気回復の特効薬の反日を利用するだろうから、これからも日本を挑発することをやめないだろう。
今までの韓国の歴代政権は国内では人気取りのために反日を叫んで威勢の良いことを云っていたが、水面下ではパイプを持っていて実質的な利益を得ていた。
しかし、これからは韓国を自由主義国家と見なして外交をする事は日本の国益を損なうことになるだろう。

正義の人

ネットを見ていたら私は「正義の人」が嫌いだとあるブログに書かれていて、とてもこの言葉が気に入ってしまった。
私のようなテキトーに生きてきた人間は、正義の人が苦手で仕様がない。

正義の人は声がでかい。
正義の人は他人の話を黙って聞くのが嫌いだ。
正義の人は女の味方だ。
正義の人は平和を訴える。
正義の人の大好物は権利だ。
でも義務は大嫌いだ。

正義の人の住むマンションの隣にマンションが建つことになった。
正義の人は立ち上がり、住民達を説得し日照権を理由にマンション建設反対運動を始めた。
でも正義の人の住むマンションの隣の平屋は、正義の人のマンションの陰になって一日中陽が当たらない。

正義の人は捕鯨反対だ。
でも高価な毛皮が欲しくてたまらない。
焼き肉も大好きだ。

正義の人は死刑制度に反対だ。
正義の人は死刑のある国は後進国だけだという。
正義の人は犯罪者の人権を訴える。
正義の人は警察官は犯人に傷一つつけてはいけないという。
それで警察官が殺されたらどうするんだと聞かれると、正義の人は、だってそれが仕事でしょと言う。
殺された警察官や家族の人権は正義の人には取るに足らない物なのだ。

正義の人はいつも社会に怒っている。
正義の人が一番おそれているのは怒りを向ける対象が無くなることだ。
怒り続けていないと正義の人の存在価値が無くなってしまう様な気がする。
正義の人は今日も正義のために戦った充実感をかみしめながら夕焼け空を見上げる。
まだまだ正義の人が戦わなければならない社会の不条理が沢山あると思う。
正義の人は明日も、世のため人のため、正義のために戦おうと決意を新たにするのだ。


星空鑑賞

今日、借りたDVDを返しに前田のGEOにいったらリサイクルショップのジャンク品で屈折望遠鏡がおいてあり値段がなんと3150円消費税込みだった。見れば所々ネジはないし、メッキ部分に錆はあるけれど、付属品はきっちりそろっっていて、銘板はないものの、ビクセンの口径65ミリ焦点距離800ミリぐらいのものらしい。ちゃんとした赤道儀でハンドルを一つ回すだけで星を追っていける。今時では初心者向けの機械であるけれど、自分の子供の頃にはあこがれの性能だった。思わず衝動買いして家に持って帰って改めてみてみると、本当にしっかりと作られた機械であった。40年前とは雲泥の差で、あの頃はおもちゃに近いような作りで、アメリカの天文雑誌「SKY&TELESCOPE」なんかの広告を見るとアマチュアが平気で6インチくらいのカセグレン望遠鏡を使っていて、経済力の差を実感させられたものだった。
日本の光学技術が劣っていたのではなく、むしろ当時カメラは日本が世界を席巻していたぐらいで、望遠鏡の制作会社にも西村製作所とか関西光学といった大型望遠鏡を作る優秀なメーカーはあったのだが、アマチュア向けの市場がなかったために、ほとんど海外で販売していたのだ。
その後日本の経済力の上昇とともに、趣味にお金を使う余裕が出来てきて、高橋製作所というところでアマチュア向けの性能は良く価格は安いという製品を発売し、他のメーカーも機は熟したと思ったのかコストパフォーマンスの高い製品を売り出し始め、今では15万も出せばコンピューター制御、パルスモーターでの自動追尾の望遠鏡が買えるらしい。
このおそらく20年前くらいの天体望遠鏡の接眼レンズを見てみると、子供の頃には高級品だったオルソスコピックという、レンズを4,5枚貼り合わせた接眼鏡がついている。
日本は随分豊かになったんだと実感させられた。
今日は晴れていることだし、丁度8時頃には木星と土星が見えるはずだから近くの公園で星空鑑賞としゃれ込もうと思ってます。



恐ろしい話

私が昔、勤め人をしていた会社は出張が多い会社だったので、ホテルや旅館に泊まることが多かった。ただ寝るだけなので出来るだけ安い宿を探して泊まることが多かった。
その日も道東のある町で機械の故障が発生し急な出張になったため、仕事のめどがついた辺りで地元のサービスショップの人に宿の手配をお願いした。
当然出来るだけ安い宿をと付け加えた。
教えられた宿に着いてみると、一階が家族風呂になっていて二階が宿泊施設になっていた。
安宿であるから当然古く、壁なども薄汚れているが一階の風呂がいつでも入れるのがありがたかった。風呂に入って食事をして部屋に帰るとすでに布団が敷かれてあり、酒を飲みながらテレビを見て、いい加減眠くなってきたので歯を磨いて電気を消し布団に入った。
疲れていた上に酒の酔いも手伝って、うとうととし始めた頃、何か非常にいやな気分になってきた。夢うつつだったけれど身に迫る危険を感じて無理矢理意識を戻そうとした。
そのうち意識がはっきりしてくると、そのいやな気分の原因は汗の臭いだと云うことに気がついた。それも男臭い汗の臭いだ。何か,汗臭いむくつけき男に抱かれているような気分になって、思わず布団をはね上げて飛び起きた。
周りを見渡しても誰もいない。
それでこの臭いの原因となりそうなものは?と見回してみるとどうもこの布団が怪しい、と思って鼻を近づけてみるとまさに汗臭い男の臭いがするではないか。
真冬だったから始めのうちは布団も冷えていて臭気が目立たなかったが、自分の体温で布団が暖まってくるにつれて、内部に潜んでいたおぞましい臭いが立ち上ってきていたのだと判明した。
私は思わず布団を足で蹴飛ばしながら部屋の隅に丸めた。
押し入れを探してみると毛布が出てきたので、電気ストーブをつけたまま朝まで毛布に丸まっていたが、ろくろく眠れず翌朝は体の節々が痛かった。
似たような経験は他にもある。
東京出張の時遅くまで飲み過ぎて、ホテルの入館時間に間に合わずキャンセルされた事があった。
仕方なく宇都宮の知り合いに頼んでホテルを取ってもらった。
行ってみると下が焼き肉屋で二階がホテルになっていた。
夜中寝ていると、どうも何かの気配を感じる。
それもベッドの下に何かがいると感じてマットを引っぺがしてみると、そこには無数のゴキブリが、、、ということもありました。そのときは他に寝るところもないのでそのまま寝ましたけど。
そういう出来事も安宿探しの楽しみの一つでしたけどね。


予知


子供の頃、学校から帰る道を歩いていたら夕焼けがすばらしく綺麗だった。
夕焼けを見ながら歩いているうちに、急に不安な気持ちがわき起こってきて心臓がどきどきしてきた。突然ある数字が浮かんできて、この日に恐ろしいことが起こるんじゃないかと思った。毎日学校からの帰り道、空を見ていると益々それが確信に変わってきて、自分の中ではその日に世界は終わるとわかった。
そのうちにキューバ危機が起こり、ソ連とアメリカは一触即発の状態となり、とうとうその日の晩、明日の朝は無いのかと思いながら眠った。
次の日、フルシチョフはキューバの核ミサイルの撤去を宣言し危機は終結した。
あの時アメリカもソ連も核ミサイルを使うつもりでいたから、ソ連が引かなければ間違いなく第三次世界大戦になっていたはずだ。
子供の頃って本能的に危険を予知する能力を持っているみたいです。
そういう予知が働いたのはそのときだけですね。


チワワは犬にあらず!!

ネットサーフィンをしていたら驚くべき見出しがあった。
「チワワは犬に非ず」!
前々から変な犬だと思っていたが、やっぱりそうだったかと思って読んでみた。

【Watley Review 】この度、米シアトルにて、人間と犬に疾病を引き起こす共通の遺伝子を探るため、人気種85種を含む414匹の犬のDNA解析を行なったところ、犬の起源にまつわる驚くべき事実が明らかになったとのこと。

「今回の実験でいくつかの思いがけない発見がありました。例えばイビサハウンドやファラオハウンドは太古から存在する犬であると思われていましたが、実はそうした種ではなく、比較的近代にブリーダーによってかけあわされて作られた犬だったことが明らかになったんです。しかし、更に驚くべき事がありました。現代では犬とされている何種かに至っては実際のところ、もはや犬ですらなかったんです。」

実験に参加したフレッド・ハッチンソン・ガン研究所の遺伝子学者レオニード・クルグリヤ氏は語った。レオニード氏によれば、今回特に大きな発見は、現在人気を集めているチワワ種が元々は齧歯類(げっしるい、ネズミ、リスなど)の一種であり、それが何世紀にも及んで犬のように育てられた結果、現在の姿になったことであると話している。
また今回の発表を受けて、米チワワクラブ会長のペギー・ウィルソン氏は懸念を強めている。

「これはまずいですね。必ずチワワクラブ界隈からの反論があるでしょう。この結果は我々の信念を歪め、不信感を抱くものも現れるかもしれません。彼らは本当に、自分たちの"犬"を愛していますからね、、。」

今回の研究では、それぞれの犬の遺伝子内にある「マイクロサテライト」という部位を比較し、結果、凡そ99%の精度で犬の種類を明らかにすることに成功したという。また実験の結果から、異なる種間での類似点も明らかになり、それぞれの犬のルーツを古代犬、狩猟犬、牧羊犬、番犬という4種類に大別することに成功したと話している。

「こうしたグループはこれまでにも明らかにされていましたから、犬の種類を分けるのは簡単なことでした。正直なところ、これはちょっと直感的で、後付けなものですけどね。」

また実験ではチワワだけでなく、現在知られている数種類の犬が元々は違う動物を起源に持っていたことが明らかになった。ラサアプソはチベットの雪ウサギ、ペキニーズは中国の水生ネズミ(ドブネズミなど)、シーズーはヤマイタチ、ヨークシャーテリアはハトといった様子である。

「これらの種類は、実際に確かに犬の遺伝子も持っています。しかし、それは10パーセントにも満たないのです。」レオニード氏は語った。

また今回の発見を受けた米畜犬協会、また同協会の健康管理局からは、これらの発見が犬の疾病を回避し、健康増進に貢献するものであるとして賞賛の声が届いている。

「今回の発見は本当に驚くべきものです。これは今後のブリーダーの犬の育て方にとっても、犬の健康管理にとっても、非常に良い影響を与えると思います。しかし、今回の発見が我々に一考を促すことは確かかもしれません。チワワやヨークシャーテリアといった種を本物の犬として捉えるべきかどうか、それは今後の問題だと思います。」

また今後、科学者によってこうした犬の種が別種に再分類されるのかどうか、それは現在のところ未定である。しかし今回の研究結果がそうした分類に重大な影響を及ぼすことは十分に考えられることである。

どうですか?
最初は犬とネズミの子供なんてできるのかなと疑問に思いませんでしたか。
そのうち、?と思い、鳩との混血のあたりで???????となったでしょう。
まあ、東スポの「宇宙人の子供を妊娠した!」というのと同じのりのジョークということで。


子供の頃犬も飼ったし猫も飼っていたけれど、どちらかといえばどうも未だに猫が好きである。猫って気まぐれで、わがままで、こちらが抱こうとしても、自分の気が向かないときは近寄ろうともしない。それでいて寂しいときはすり寄ってきて、なでてほしいとおねだりをするし、遊びたいときは執拗に足に顔をなすりつけて甘えた声で誘ってくる。全く自分勝手だ。でも、人間の女と違って本能のままの天真爛漫さであるから、ついつい一緒に遊んでしまう。
というと、猫を飼っているんだろうと思うかもしれないが、実は嫁が動物が苦手なので居ないのである。嫁の家は動物好きの一家で、あらゆる生き物を飼っていたのに、嫁だけが苦手と云うのも不思議な話である。
でも数年前から近所の飼い猫が遊びに来はじめて、その猫のことは可愛くてしょうがないらしい。
子供も独立して我が家を離れ、夫婦二人だけの生活ともなると(婆さんも居るけどもうすでに宇宙人化してるからね。)、遊びに来てくれる猫は近所のしたってくれる子供のような存在で、来れば「かに吹雪」やら「ねこ缶」やら与えていたので秋にはまるまると太ってしまい、いくら何でもこんなになってしまっては飼い主から苦情がくるんじゃないかと思っていたが、雪が降って来られなくなり、春に又現れたときは元のスリムなメス猫に戻っていた。
猫って犬と比べて馬鹿だとか薄情だとか言われるけれど、プロレスラーの小林邦明が子供の頃に可愛がっていたタマちゃんと云う猫は、邦明少年がタマちゃんが病気の時に元気になるように必ずウナギを食べさせていたら、ある日彼が病気になったときに、タマちゃんが枕元にウナギをくわえて来て置いてくれたそうだ。
信州の山の中だからどこかの川で捕ってきたのだろう。
又、エッセイストの群ようこの家で半分野良猫状態で餌を与えていた子連れの猫はとても賢い猫で、子猫が悪さすると叱りつけて、餌をもらっている家に失礼のないようにしつけをしていたそうだ。
その猫が死ぬ時、しばらくぶりに現れて挨拶をして去っていったと云う話なんだけど、猫好きにとっては、「そう、そう、猫ってそんなに恩知らずじゃないよな。」と思える話でした。

入院生活

純子

やっと退院できたね。約4週間、長かったよね。それでも、ちょっと不自由はあっても回復できて良かったわ。

すが

うん、朝起きて布団の上に座ってみたら腹のほうにふにゃっとしたものがあってさ、これは背中に貼っていた湿布が取れてこんなところにまわってきたのかなと思って、触ってみたら自分のイチモツだったのさ。
下半身が麻痺してたんだね。
これはかなりまずいんじゃないかと思って病院に行ったら、別の病院を紹介してくれて、レントゲンをとって症状を見てもらったら、多分椎間板がつぶれて神経を圧迫しているだろうからMRIを撮ってみようということでベッドに縛り付けられて狭いトンネルに押し込められたのさ。
目の前5センチのところに天井があってさ、検査を受ける前に「狭いところが怖くありませんか?」なんてアンケートに書き込まなきゃならなかったんだけど、これのことかと思ったよ。
古いプリンターが動く時のような音をさせながら体の内部の写真を撮ってゆくんだけど、仰向けに寝てることが苦しくてうなってたら引っ張り出してくれてさ、膝の裏にあて物をしてくれて少し楽になってやっと撮れたのさ。
30分もじっとしてるのは耐えられなかったな。他の人も同じこと言ってたな。

純子

あんた5年前も腰痛で歩くのも大変になったけど、あの時も病院で骨には異常ありませんと言われて湿布と痛み止め貰ってたけど治らなくて、何軒も病院行ったり、針治療したり、挙句の果てはまじない師みたいな怪しげな治療まで受けたりしたけど、結局あきらめてたら3ヶ月くらいで治ったよね。きっと、あの時も椎間板ヘルニアだったんだよ。

すが

今回の事で思ったのは、常日頃からこの病気にはこの病院のこの医者、と云う情報を仕入れておくべきだということだね。
椎間板の軟骨がつぶれて神経を圧迫してるのはレントゲンには写らないからMRIのある病院でなきゃ勝負にならない。
こないだテレビで大間のマグロの一本釣り漁師の番組をやってたんだけどさ、最新のソナーを備えた船は海中の回遊するマグロの様子が見えるから先頭のマグロの鼻先に餌をピンポイントで垂らせるからマグロがどんどん釣れる。
それに対してソナーを買えない漁師は昔ながらに、海鳥の群れを見つけてこの辺りにマグロがいる筈だと感で釣るもんだからなかなか釣れない。
釣れないからソナーを買えないという悪循環に陥っている。
同じようなことが病院でも起こってるんじゃないかな。

純子

でもさ、今回は幸いすぐ手術してもらえたから良かったけど、担当のお医者さんの話では5年前に同じような患者が居たけど結局排便排尿の感覚がもどらなかったって言ってたじゃない。今回行ったレントゲンしかない病院では2件とも「たいしたこと無い」と言われたんだよ。一日遅れたら下半身不随だったかもしれなかったのに、何が「たいしたこと無い」なのさ。自分のところの設備では判断が付かないと思ったら別の病院を紹介してくれるのが親切というもんでないかい?

すが

きっと設備が高いんじゃないかな。保険を使っても14000円くらいかかるし、医者としても薦めづらいところがあるんじゃないのかな。
現状では患者のほうも利口になって病院を選んでいかなきゃならないだろうな。

純子

私、入院したこと無いから良くわからないんだけど、入院生活ってどう?

すが

体が良くなってきたら退屈極まりないね。テレビ見ようが本読もうが。
楽しみは食事とタバコくらいだったもんな。今の病院って年寄りが多いんだよね。
俺が思うにほれ、老人介護施設に入れるといっても7年待ちだって云うじゃないの。
7年後ぼけそうだと思ったら今から予約しとかなきゃならないだろ。
年寄りなんてどっかこっか悪いところあるだろうから、病気にかこつけて入院させているところもあるような気がするな。

もうぼけてるもんだから看護婦とかみさんの区別が付かず、夜中に「おーい!おーい!」と大声で連呼している爺さんは居るし、まったく山で遭難者を捜してるんじゃないんだから。
かと思うと、妄想の世界に陥っているのか、消灯後一人で大声でしゃべり続けて同室の患者に「うるさーい!静かにして!」と怒鳴られている婆さんは居るし、まあその怒鳴ってるカナキリ声のほうがずっとうるさくてはた迷惑なんだけどね。
便器の外に大便しちゃうボケ婆さんはいるし、阿鼻叫喚の地獄絵図だったなぁ。
まあ、中にはかわいい婆さんも居てね、いつもお人形さんを抱っこしててね、俺が廊下をとおると「おかあちゃん。おかあちゃん。」と呼ぶのさ。
骨折かなんかしてたのかなぁ、リハビリで歩行訓練をしてたんだけど辛かったらしくて、トレーナーのお兄ちゃんが私を苛めると廊下に転がって泣き喚くのさ。まるで2,3歳の子供に戻っちゃってるんだよな。
それでも、数日たつとトレーナーに「へえ、トヨちゃんって91歳だったの。若く見えるね。89歳位かと思ってたよ。」なんてお愛想言われて、ごきげんで歩行訓練してたけどさ。
団塊世代の我々がボケる頃には病院は養老院と化してるんじゃないのかな。

純子

こないだテレビでやってたけどさ、ボケ防止にはゲームだとか、料理だとか、編み物だとかやるといいんだとさ。
単純に指を動かすんじゃなくて、考える事をしたほうがいいらしいよ。

すが

でもなあ、ボケるってことは死に対する恐怖もなくなるって事だし、死ぬための準備として神様があらかじめプログラムを用意してくれているような気もするなぁ。周りは端迷惑なんだけどね。

純子

あんたは60過ぎるまでは死んじゃだめだよ。
今まで年金払ってきたんだからね。
少しでも取り戻しておかなかったら何のために今まで払ってきたのかわからないよ。
まあとりあえず今回はたいしたことにならずにすんで良かったわ。

北大植物園

仕事柄、遠くにいけないので近場で息抜きをと北大植物園に行ってきた。
子供の頃植物園の周辺に住んでいたので、植物園が遊び場だった。その頃は木の塀で囲われていたのだけれど、塀の下部は鉄条網が張られているだけだったので子供の身体なら潜り抜けることが出来た。今、植物園にある大木は子供の自分たちをも見ていたのだろう。
おととしだかの台風の被害は園のあちこちに見られた。あれだけの大樹に育つには何百年かの時間が必要だろうに、勿体無いことである。大木の多くはハル楡であるが、ハル楡というのは地中の水が豊富なところに生えるらしい。
丁度、JRの線路が豊平川扇状地の末端で地下水脈が露出するところなので、この辺りには泉が湧き出ていた。植物園の池も、道路を挟んで向かいにある「伊藤邸」の中の池も本来は泉の水だった。
しかし、札幌中心部の都市化に伴い地下水を汲み上げているため、地下水の水位が下がり泉は枯れてしまった。現在の植物園の池は近くのビルで汲み上げた地下水をまわしてもらっているらしい。水量が足りないので水が浸透してしまわないよう、池の底にはビニールが張ってある。ちょっと興ざめするが、都市の真ん中に森があるのは手軽な憩いの場としてありがたい。まだ葉も茂っておらず、花もほとんど見られないが十分に心が癒された。
植物園には面白いカラスが居て、2002年のワールドカップが札幌で行なわれた頃、園内で弁当を広げて食べていたら向かいに外人のカップルが居てその脇にカラスが一羽居た。
カップルが立ち上がってカラスに一言声をかけて去っていった。
我々も食事を終え、デザートにシュークリームを取り出したとたん、そのカラスが一直線に飛んで来て2メートルほど手前に着地しトン、トンと飛び跳ねながら目の前に来た。
動物が怖い純子が怒って叫んでいたのだが、カラスは意に介さず、シュークリームをうらやましそうに首をかしげながら見ていた。
そのうち、他の家族連れが通りかかるとそちらのほうにおねだりに飛んでゆき、女の子がカッパエビセンをカラスの頭上にかざすと、カラスはそれを手に入れようとばたばた羽ばたくのだけれど、鳥というのはそもそも垂直に飛ぶようには出来ていないので、ただひたすら上昇と墜落を繰り返すだけで、周りの人々は皆その様子を見て笑顔を浮かべていた。
以前、円山公園でもベンチに座っているおじいさんが、友達のカラスに餌をやっているのを見たことがあるけれど、カラスというのは鳥の中では利口らしい。考えてみれば九官鳥もカラスの仲間だしね。
鳥というのは重力に逆らって空を飛ぶためにいろいろなものを犠牲にしてきたと思うのだけれど、一番重い脳の犠牲が一番大きかったんだろうね。三歩歩くと忘れる人のことを鳥頭と言うしね。

テレビを見ていたら、芸能人の寿命を測る番組をやっていて、その中でレーザーラモンが余命幾ばくと、えらい短い数字を言われていて、その健康診断の結果を見ると、なんと俺とぴったり符合するじゃないの。スポーツ心臓による脈拍の低下、不整脈、めまい、、、ペースメーカーを使うべきですなんていわれていたさ。
まあ、昔は人生50年なんていわれてたんだから、俺の歳くらい生きられれば恩の字かなって、、、、。おい、おい。ちょっと待ってくれよ。冗談じゃあねえぜ。昔でも長生きする奴は70、80まで生きてたんで、医療が未発達で若死にする人間が多かったから平均するとそうなるんであってさ、可能な限りは生きたいよな。でもさ、こないだの入院でつくづく思ったんだけどさ、医療の発達で今は身体の病気は薬やなんかで治せるんだけどさ、脳細胞の死滅だけは現在の医学ではどうしようもないんだよな。
アメーバってさ、永遠に自分の複製を造り続けて今まで生き残ってきたんだとさ。でも、その代償として死ぬことが出来ない。ってことはさ、環境に合わせて自分を変えてゆく事が出来ない、つまり、進化することが出来ないらしいんだよね。
今生き残っているほとんどの生物は、種の環境の変化に対する生き残りを図るために、死ぬことを選んだ生命なんだよね。
多くの生命が自分を増殖させるよりも死ぬことを選んで、現在の生態系があるわけなんですね。我々個人の肉体は死とともに消滅してゆくけれども、個人の生きた記憶は種に引き継がれてゆく、いや、引き継がれてゆくに違いない、引き継がれていって欲しい、引き継がれてゆくんじゃないのかな、、、と最近思うのです。

人権弁護士

マスコミが言う、人権弁護士なるものを胡散臭い人間だと思うのは私だけだろうか?
母親と子供を強姦目的で殺した少年を弁護している、いわゆる人権弁護士の安田某がニュースで話題になっていた。この男は麻原の弁護士もしていて裁判を意図的に引き伸ばしている。死刑廃止論者らしいのだが、法律と云うものは国民の人権と財産と生命を守るために必然的に出来てきたものだということを、法律家でありながら勉強してこなかったのだろうかと腹立たしく思う。先日、金を奪う目的で駅員を殺害した犯人が1人しか殺していないという理由で死刑のところを無期懲役の判決が出た。これも判事が自分で死刑判決を出すのをためらったためらしい。こういう連中が又社会に出て来た時に同じことを繰り返す可能性は高い。社会の秩序を守るために法律は存在してるんじゃないの?自分の個人的な感情は押し殺しても、まず社会秩序を考えるのが法律家の役目じゃないのか?と言いたい。
無期懲役なんていっても恩赦で結局は10年くらいで出てこれると、常習犯罪者はプロなんだから考えている。ちょっと「反省しました。」と遺族に手紙を書けば、「被告には反省の情が見える。」と罪が軽くなってしまう。こういうことを考えると世の中の安全を守るためには終身刑というのも必要と思うのだけれども、これにも色々問題がある。まず金がかかりすぎるのだ。犯罪者というのは基本的に税金を払わない。刑務所に居る人間の数を考慮に入れるとアメリカの失業率の高さは非常に多いということだ。そしてそれは汗水流して働いている、まともな生活をしている市民の税金を食いつぶしているだけである。
人権弁護士なる人たちはそういう金の問題まで考えて発言しているのだろうか?
自分の言いたいことを言うことは自由であるし、行動することも自由であるけれど、それは社会秩序を、痛みを我慢しながらも守って行こうとする大人の態度ではないと無いと思うんだけどね。

盲目のカメラマン

さっきたけしのアンビリーバボーを見ていたら、かつての上司の伊藤 邦明さんが出ていた。その頃伊藤さんは新入社員の教育係をしておられて、私も札幌で入った社員を連れて湯河原の研修宿舎で教育をしていた。
温厚で快活な方だったが、その後関連会社に出向になりそこで転落事故を起こして生死の境をさまよった。社内の情報ではたぶんだめだろう、ということであったが、奇跡的に命はとりとめたが失明されたという噂だった。数年して社報に退職と記されていてその後の消息は不明であったが、10年ほど前葉書が来て札幌で写真展をやるということであった。
はて、カメラが好きだったのは知っていたが、失明されたのに写真展とは?といぶかしく思いながら伺ったら、ちゃんとした写真であった。全自動写真機で取ったものであるし、35ミリのフイルムであるからピントが甘いものもあるし、粒子も目立つけれど、異国の地の人や町並みや生活の様子を映し出していた。話を聞けば奥さんが目の前の状況を言葉で話し、その風景を頭に浮かべながらシャッターを切るというのだ。まったく人は連れ添う相手次第で幸せにもなるし、不幸にもなる。伊藤さんは今は目は見えなくとも決して不幸では無いと思う。

黄金井 脩さん

私たち夫婦は二人とも黄金井 脩さんのファンなので、札幌でライブがあるときには出来るだけ行っている。
黄金井さんのライブを聴いていると、この人にとって音楽と言うのは業なのでは無いかと良く思います。
仏教では、この世に生まれる理由は前世での色々なことを清算するためで、辛いことをこの世で味わうことにより魂が浄化されてより高い世界にゆく、そのための修行をしているということになっています。
黄金井さんのCDの題名には「ニルバーナ(涅槃)」とか「阿弥陀」という仏教用語が多く、演奏する会場も神社だったり、寺だったり、原爆記念ドームの前だったりというのが多いようです。
「白い骨」なんてのは戦争犠牲者に捧げる鎮魂歌と思えますし。

東京生まれのわりに何故か青森あたりの匂いがするのも不思議です。「白い骨」のカラオケはギターではなく津軽三味線だし、ギターで弾くときにも津軽三味線を髣髴させる音を出す。
何か土着の魂みたいな物が心の奥底にあって、それが音になって噴出しているみたいに感じるんですね。
彼の場合、絶対何かの力に導かれていると思うんですね。
運命心理学で云う家族的無意識かも知れないし、宗教で云う守護霊なのかもしれない。
無意識のうちに仏教的世界に向かっていて、本人にも抗いようが無い。

何時だったかのライブのとき黄金井さんが「今、そこに誰か居ましたよね。」と言って、みんなそちらを振り返ったのだけれど誰も居らず、笑い話で終わってしまったのだけれど、実はその前から自分もその辺りで声がしているような気がして、何度も振り返っていたんですね。原爆ドームの会場でのライブでも不思議なことがあったというし、あの時は霊が集まってきていたのでしょう。きっと黄金井さんの前世は僧侶だったのではないか、という気がしてなりません。
お経を唱える代わりに音楽活動をしているのではないでしょうか。
もっと歳を取ったら瀬戸内寂聴のように出家するかも。


江良郁郎さんからの手紙

江良 郁郎さんから、ラグタイムピアニスト、アレクセイ・ルミィヤンツェフさんが「JAPAN TIMES」で取り上げられた記事が、送られてきました。
アレクセイさんといえば、某ライブハウスでそこの店主が店に出られないときにライブがあり、代わりに夫婦二人で臨時の店主をしたことがありました。それが楽しく面白かったのでどんぐり村祭りが出来たという、私にとって思い出深いミュージッシャンでリンク集にも入っています。
それで私なりに訳して見ました。

記事

「ラグタイム」とはアフリカ系アメリカ人の音楽とヨーロッパの伝統音楽が融合した、最初の真の意味でのアメリカン・ミュージックである。
ラグタイムはジャズの誕生に影響を与えていると、アレクセイ・ルミィヤンツェフは言う。

「14歳の時、私の父親は旧チェコスロバキアで働いていました。
私の誕生日に父は、当時ソ連では手に入りにくかったデューク・エリントンがニューオーリンズに捧げた伝説的な「ニューオリンズ スイーツ」というアルバムを、チェコで買ってきました。
それが私の転機でした。私はジャズにあこがれました。」

アレクセイは36年前にセント・ペテルスブルグで生まれた。その頃はレニングラードと呼ばれていて「北のベニス」として有名だった。

「子供の頃私はおもちゃの代わりに楽器を与えられていました。」とアレクセイは言う。

彼はドラムを子供っぽい馬鹿騒ぎではなく、リズムと様式を持って叩いた。
彼の親は今でも彼がタンゴを弾いた小さなアコーディオンを保管している。
それで親が「OK、彼にピアノを習わせよう」と言って、ピアノを習い始めたのが6歳ごろだった。

両親共技術者だった関係で一家はチェレポベッツへ引っ越した。

「私はそこで、子供のためのミュージック・スクールですばらしい教育を受けました。」

それからセント・ペテルスブルグ芸術学校の予備学校で勉強するため、セント・ペテルスブルグに戻った。そして18歳の時モスクワの高校でジャズを専攻した。それから軍役に服さなければならなった。軍隊でアレクセイはソ連の南部に送られた。
軍隊でミュージッシャンとしての待遇を受けるまでは、ひどい寒さの中で訓練を受けなければならなかった。

「私はピアノのある個室を与えられ、軍楽隊の音楽の編曲をいくつかしました。それと同時に軍楽隊でアルト・フォーンを吹いていました。軍隊では吹奏楽のための編曲を覚えるという良い経験をしました。私はいつも物事を良いほうに考えるようにしているんです。」

2年間の軍役を経て、作曲を学ぶためにセント・ペテルスブルグに戻った

「ソ連が崩壊したとき、親しい友達は学び続けるためドイツへ行きました。私もドイツ語を9年間習っていたので、ためらうことなく留学試験を受け、ドイツに向かったのです。」

それから8年間コローン芸術学校でクラシックの作曲とジャズピアノを勉強した。

「私は両方ともマスターしたかった。」彼は言う。「私は自分がそれを両立できると思っていました。」

ドイツで横浜から来たHiromiに出会い彼は彼女を口説いた。
彼女は英語とドイツ語の通訳の勉強をしていて、非常に多様な才能を有していることがわかった。
Hiromiは5年前にアレクセイの妻となった。
チェレポベッツでピアニストや編曲家の仕事が見つかったので夫婦でドイツを離れた。
彼はロシア国立劇場やサーカス、ロシアフォークオーケストラ、ロシアンジャズ、デキシーランド、やロックバンドで演奏した。
それが彼のコンサート・ピアニストと作曲兼編曲者と云う二つの異なった経歴の始まりだった。
それは又、二つの異なった種類の音楽を結びつけるという彼の技術を際立せた。

アレクセイとHiromiは2003年に日本に来た。

「日本で演奏してみて、日本での活動も可能なような気がしたんです。」

熱狂的なラグタイムのファンのオオヤ ギイチとの邂逅がアレクセイに道を開いてくれた。

「彼は私に様々なものを与えてくれた。私は本格的にラグタイムにのめりこみました。」

彼は今求めに応じて、正確に自信を持って弾ける曲を140程持っている。
ティーチング・スケジュールと1年間びっしり詰まった、コンサート、お祭り、クラブでの仕事で身動きできない状態だ。

「無駄にできる時間は1秒も無いんですよ。」

「珍しくて、楽しいラグタイム」をHiromiに歌うように促し、励まし、二人はしばしば一緒に演奏する。
「シルク(絹)&ラグ(ボロきれ)」と言う題名でアレクセイは自分の好きな18曲の音楽が入ったCDを発売した。
どの曲も新鮮で、軽やかで、楽しくて、清らかだ。

「私は全ての音楽、クラシック、ジャズ、ラグタイム、それからそれらがごちゃ混ぜになったものも、全てが好きです。」

彼はいつか日本に、日本で最初のラグタイム・オーケストラを作ることを夢見ている。
それは我々を19世紀のアメリカにいざなうであろう。
彼は今クラシックとジャズの演奏者を探している。

「私と新しい世界を分かち合い創造するために。」と彼は言う。

「忘れ去られた音楽を演奏したり、聴いたりすることは面白い。私にとって、それを又聴衆に与えることも面白いことなんです。それが私の使命であり、運命なんです。」


写真

写真集をあげるにあたって、写真を選ぶ時に笑顔が写っている写真をどうしても選んでしまっている。
笑い顔というのは美しい。主に目と口の周りの筋肉の収縮で笑顔は作られるのだと思うのだけれど、単にそういった物理的なことだけではないような気がする。
笑っている人を見るとこちらもつい口元が緩んでしまう。
昔、私の町内で中学生が両親を鉈で殺し、妹に重症を負わせて逃亡した事件があった。
丁度その日、娘を病院に連れてゆく予定で休みを取っていた。朝早くサイレンの音が聞こえていたが、誰か年寄りでも倒れたのだろうと思っていた。娘を車に乗せ病院に行こうと家の角を回ったとき、パトカーやら救急車が並んでいた。
何があったのだろうと思ったけれどそのまま病院に向かった。
途中、ラジオの放送で事件のことが放送された。
場所の詳細は言わなかったが、ピンときた。
少年は逃走中だということであった。
その少年の心境を思うと悲しい気持ちになった。
とんでもないことをしてしまったと新川の土手で膝を抱えて後悔しているのではないだろうかと想像した。
実際は遠くの場所で逮捕されたのだが、逮捕されたときほっとした。
自殺などしないでくれたことが嬉しかった。
その後ずっとその事件のことを考えていた。
娘も似たような年頃だったけれど、娘が自分を殺そうとすることなど想像もつかない。
結局、思ったことは、やはりこの子は親の愛情を知らなかったのではないかということだ。
真実はどういうことだったのかはわからないのだけれど、愛情を持って育てられた子供が親を殺そうとするなんて考えられない。

よく、子供のことを天からの授かりものなどというけれど、子供は授かりものじゃなくて預かり物だと思うんですね。決して自分の所有物ではない。たまたま縁あって、この世で自分の子供として生まれてきただけで、まったく別の魂なのですから。
親は子供の本来伸びようとする方向性を見極め育んで行くべきだとは思うけれど、無理やり自分のこうあって欲しいという人生を歩ませようとするなんて、自分のエゴ以外の何物でも無いと思うのです。

親が子供に注ぐ愛情と云うものは、見返りを求めない無償の愛というものなのだけれど、以前、ある人にそういったら「何それ、無償の愛ってなんだい?」といわれたことがあって、ああ、親になっても無償の愛を知らない人種もいるんだと認識したことがありました。
あの子がそんな家庭環境だったのか、そんなことはわからないけれど、私はやっぱり愛情が変な形でしか注がれなかったのではないかと勝手に想像しています。

それでね、又笑顔の話に戻るんだけれども、多分この子は快活に笑うなんてことは出来なかったのではないかと思うんですね。
笑顔というのは周りの人たちをも幸せにしてくれる。
心に余裕がなければ他人に笑いかけることも出来ない。
これからも周りの人たちに笑ってもらうために、いろいろやっていきますぜぃ。

職人技

我が家は食料は安いところへ行って買いだめをする。野菜なら手稲の「キテネ」、魚なら西野の「マンボウ」と云うことでマンボウに行って来た。とにかくここは安いので、魚をさばける人であれば生協の半額ぐらいの出費で済む。
今回はアンコウがまるまる一匹1800円ぐらいで売っていた。今時期アンコウ鍋で日本酒を一杯なんてたまんねえな、とは思うのだけれど、流石に純子もアンコウはさばけない。
たしかこいつは鈎にぶら下げて皮をはぎ、切り分けて行くというさばき方だったが、家のどこに鈎をぶら下げたらよいのか見当も付かない。うらめしげに横目で見ながら他の魚を買いレジに並んだ。

そこでレジ打ちの鬼を見た。左手で籠の大根を取り上げた瞬間、右手の指が軽やかにキーを叩いている。ブラインド・タッチで1秒もかからない。キーの上で指が舞っている。次から次へと籠から籠に商品を移しながら流れるように処理してゆく。その間価格表に目をやったりすることも無い。
全ての商品の価格を暗記しているのだろうか?毎日値段も違うだろうに。
おまけにレジを打ち終わりそうになったら、後ろに誰も並んでいないので「レジ終わります。こちらへどうぞ。」と声をかけている。店の中全てが見えているのだろう。
周りを囲まれた剣豪が、半眼自然体で切り結ぶ敵の太刀をかわしながら次から次と切り殺してゆく様というのはこのようなものであろうか。
バーコードを読み取る機械もついているのだけれど、この速さなら機械よりも断然早い。
歳の頃なら30前後、ほっそりした美人でなんとも颯爽としている。
侍の時代であれば「おぬし、さぞや名のある武人とお見受けしたが、、」と声をかけるところだろう。

大体レジに並ぶときは列の長さ、持っている籠の中身などを一瞥して並ぶのだが、外れの店員に当たるといらいらすることこの上ない。
客が知り合いだったら手を休めて話し出すパートのおばちゃん、先祖はナマケモノとしか思えない動きのおばちゃん、一旦移し変えた籠の中身の並び方が本人の美意識にそぐわなかったのか、わざわざ又引っ張り出して並び替えるおばちゃん、いちいち隣のレジに「これいくらだったっけ?」と聞きまくっているおばちゃん、あんたら、このお姐さんの神業を一回見てみろってんだ。
「まず5千円お返しします。1枚。2枚。」なんて客の前で数えて見せる暇があったら、皿に金置いて早く次の客を処理しろよ。
客も札ぐらい数えられるからこうやって買い物に来てるんだろ。

マニュアルってのはずぶの素人に手っ取り早くそれなりの仕事をさせるのには良いのだろうけれど、プロは育たない。客の便宜を図るという本来の目的のためには、客に応じて臨機応変に行動しなければならないはずなのに、これじゃぁロボットをおいといても変わらないのではないだろうか。

パラノイア

今日が町内の排雪の最終日なのにまだ幹線道路の排雪さえ終わっていない。
毎年の光景なのだが雪が降ると我が家の向かいに万里の長城が出現する。はじめは斜め向かいの変わり者のおやじが庭の雪を道路に積み始めたのが最初で、高さもそれほどでもなかったのだが、年々エスカレートしてきて屋根の雪や裏の雪まで運んできて積み上げている。
土まで掘り起こしてくるのでそこの家だけ春が来ているようだ。偏執狂としか思えない。こういうのは伝染するのか、その家の並び2軒も負けじと奥から雪を出してきて積み上げているので、まるでヒマラヤ山脈が出現したかのようだ。雪祭りが小さな規模で始まったのが年々大規模になっていった歴史を見ているようだ。ただでさえ排雪が遅れているというのに、生活に何の支障も無い雪まで道に出す神経がわからない。
例年様子を見ていると、おやじは排雪にあわせてわざわざ休みを取っているようだ。そこまで彼を燃え立たせるものはなんなのだろう。
不思議な情熱だ。
大体毎年見ていると、おやじは除雪車が家の前を除雪し始めると門の前に仁王立ちになり、除雪車の運ちゃんにあれこれ指図して、我が家の敷地に一片の雪のかけらも残さないようにしている。最後は庭箒で掃いたりして、小さな雪の塊なんかがあると憎憎しげに足で道の真ん中に蹴飛ばしている。まったく鬼気迫るものがある。
昨年は排雪が遅れておやじも会社に行かなければならなかったのか、例年の陣頭指揮が見られなかった。さぞかし、あの蛾蛾たる山脈が崩壊し消え去る状況を見られないのは忸怩たる思いであろう、代わりに俺が見届けてやろうと思って見ていたら、はじめロータリー車がやってきたのだが、あまりに山脈の背が高すぎてロータリーの刃が届かない。それで運ちゃんが携帯で応援を要請すると、やってきましたねユンボが。思わずサンダーバード出撃のテーマを口ずさんでしまいました。それでユンボが山塊を切り崩し、その後をロータリーで吹き飛ばしダンプで運んで行く作業を繰り返し跡形も無くなってしまった風景を見ていると、「祭りが終わり風が吹く、胸にぽっかり穴が開く。」という心境でおやじは見ていたんだろうなと思ったりした。
まったくこのおやじを観察するのはおもしろい。

温泉

こんなに寒い日が続くと温泉にでも行ってゆっくりと身体を芯から暖めたくなる。
ところが仕事の都合で札幌を出ることも、携帯電話を身体から離すことも出来ない。
まったく因果な仕事だ。
昔、サラリーマンだった頃は人並みに温泉には行っていた。
その中で自分なりに印象に残っているところを上げると

1.八甲田山の酸ケ湯 http://www1.odn.ne.jp/~sukayu/

2.八甲田山の山麓の名も無い農民用温泉

3・北見のつるつる温泉 http://www.turuturu.jp/

ここら辺がベスト3になる。
泉質がどうとかいうのではなくその時の状況の記憶がまとわり付いているからだ。

まず、八甲田山の酸ケ湯は子供たちが小さい頃に行った。5月のゴールデンウイークで弘前城の桜を見たついでに寄った。大層古い建物で風呂は総ひば造り、浴槽が年月を経て黒くなっている。泉質は硫黄泉、風呂から上がってからも身体が冷えない。
部屋に戻ってくつろいでいると、軒先に岩すずめが巣を作っているらしく忙しそうに出入りしている。今は別れたかあちゃんが子供たちを連れて風呂に行った。そのうち風呂場のほうから子供の絶叫が聞こえた。きっとうちの子供の声に違いない、と思って後から聞くとやはり下の子が、湯が熱くて泣き喚いていたそうだ。その当時の宿泊料は1泊2食付で5から6千円の間だったと思う。
食事は大広間で行なわれ、大人二人分の食事しか頼まなかったので子供たちと分け合いながら食べた。5月ということで春山スキーを楽しむ客が多かった。旅館に来る途中の道も無理やりロータリー車で雪を飛ばしたらしく、両側が雪の壁になっていた。その後何年か、正月には年賀はがきの案内が来ていた。値段も安く、山のいで湯の雰囲気もありお勧め。

八甲田山麓の町民用の温泉には「本当に助かった。」という想い出がある。
当時学生だったのだけれどバイクに乗っていて、休みの日に旅をしたくなって友達を誘ってキャンピング用品と食料を積み、行き当たりばったりの旅に出た。途中山の中で前を走っていたダンプが曲がる道を見過ごしたらしく、急停止して、更にバックまでしてきてぶつかって転倒、危うく死ぬところだった。十和田湖の「子の口キャンプ場」でテントを張り適当な材料で豚汁を作った。このときたまたまサツマイモがあったので入れたら、これが大層うまくて、それ以来、我が家の豚汁には必ずサツマイモが入ることになった。
まったく計画もへったくれもなしに旅に出たので箸なんかも買わず、どっかに落ちているだろうと思っていたら案の定おっこっていた。
早朝、雨が降っていてあまりの寒さに目が覚め、とりあえず山を降りようということになり、雨の中八甲田の下界への長い道を寒さに凍えながらバイクを走らせた。気分は「八甲田山死の彷徨」だった。そのうちにドライブインが見えたので、天の助けと思って駆け込んだ。暖かい食事をとっても、まだ芯から冷え切ったからだの震えが止まらない。するとドライブインのかみさんが「向かいに農民用の温泉があるから、入ってあったまっていきなさい。」と言うではないか。この時はこの女将さんが菩薩に見えた。
早速行ってみると物置ほどの木造の小屋があり、1畳の脱衣所と2畳の風呂場があった。このときの風呂のことは忘れられない。どんな泉質だとかは覚えていないが、とにかく生き返った。今ではあの場所がどこだったのかもわからない。このとき一緒に行った友人はこの旅が強烈な印象だったらしく、免許を取って、今でも夫婦でバイクツーリングをしている。

最後に北見の、正確には留辺蕊町になるのかな、「つるつる温泉」
ここは昔家族で一度行った事がある。
小さな温泉でお湯がつるつるしていた事以外にあまり記憶は無かった。
その後大分経って、北見で工事があって何日間か泊まる事があった。真冬の仕事だった。
そのときこの「つるつる温泉」の事を思い出し、同僚と約1時間かけて泊まりに行った。
すると何年か前に来たときとはすっかり様子が変わって、大層大きな建物が建っていた。
でも料金は安く基本的には町民の慰労のための施設のようだった。
露天風呂も広く大きくなっていて、雪景色を見ながら仕事の疲れを回復した。
結局、北見に泊まったのは最初の日だけでその後は時間をかけても温泉から通勤した。
勿論同僚も異論は無かった。

皆さんもここの温泉はいいぞ、とかいう情報があったら教えてね。

第2回どんぐり村日本酒試飲会

純子

さーて、この催しも2回目になったね。
前回は はなちゃんが来てくれたけど今日は都合が悪くて、来れなくなったんだ。でも代わりにナベちゃんと三好ちゃんが来てくれたよ。
ちょっと一言挨拶しておくれよ。

なべちゃん

ど~も~、なべで~す、よろしく体臭。
今日は誘ってくれてありが父さん、かあさん、おねえちゃん。
これ差し入れ、俺の好きな酒 「吟醸 小樽港」

純子

なんも、手ぶらで来てくれればよかったのにさ、遠慮なく戴いとくよ。

三好ちゃん

こんにちは~、手ぶらで来た三好です。
こないだはお美しい奥様に会いたかったんだけど、どうしても仕事の都合がつかなくてね。
でも、大体の様子はホームページで見ていたよ。
前回はちょっと期待はずれみたいだったね。

やまちゃん

それでは姐さん、今月の酒をお披露目してくれませんか?

純子

まずは「越後の精華 樽酒」、それと「純金箔入 華雲水」
ほれ、見てごらん金箔が底に沈んでるだろ。

たけちゃん

金色のウンコが出てきそうだな。

純子

たけ爺、レディの前でお下品なこと言うんじゃないよ。
まずは「樽酒」いってみるかい?
前回のこともあるから、あんまり期待しないで飲んどくれ。ほれ、どうぞ。

たけちゃん

いただきま~す。
うん?あれぇ、これうまいな、ちょっと甘口だけどまろやかで、こくがあるわ。

やまちゃん

うん、これはいけるね。

純子

いい意味で期待を裏切ってくれたね、前回の樽酒の件もあるから、あんまり期待してなかったんだけど、うまいじゃない。

なべちゃん

いいよ、いいよ、よろしく体臭。

三好ちゃん

酒って食べてる料理によって味が変わるじゃない。これは、美しい奥様がつくったこの寄せ鍋にぴったりあってるんだな。

やまちゃん

これはヒットですね、いやー、この鍋もうまいなあ。じゅんちゃん、もう少しくれませんか?

純子

どんどん食べな。
さて、それじゃ次「純金箔入 華雲水」行ってみようか。みんな平等に金粉がはいらないといけないから、よく振るからね。
こんなもんでどうだい?

たけちゃん

おっ、おれの金粉が一番でかいな、どれ、味はどうかな?
あれ、これ先月飲んだ酒に似てるなあ。「樽酒」より甘さはないけど辛いんじゃなくて刺さるような感じだな。

やまちゃん

ちょっと、金粉で見栄張ってるようだね。味は「樽酒」のほうがずっとうまいわ。

なべちゃん

うん、そうだね、さっきのほうがずっとうまい南金玉すだれ。

純子

うーん、まあ、一本でも上手い酒があって良かったわ。この先11ヶ月どうなることかと思ったもん。

三好ちゃん

これは、刺身には合う酒だと思うよ。

なべちゃん

おいらの「吟醸 小樽港」も飲んでみてくれよ。

純子

私の「一の蔵 松頼」もあるけど、先ずは、なべちゃんの「小樽港」飲んでみようかね。

たけちゃん

どれどれ。
いやー、これは酒かい?焼酎みたいな味だなぁ。

三好ちゃん

これは味の好みの分かれるところだな、この焼酎みたいな匂いが好きな人も居るだろうけどね。

やまちゃん

たしかに個性の強い酒だね。

なべちゃん

俺もさ、始めは「何だ、これ」って思ったんだけど飲みなれたら好きになってきたのさ。

純子

私の「一の蔵 松頼」もいってみるかい?

やまちゃん

「一の蔵」は間違いなくうまいさ。

たけちゃん

うん、たしかにうまいんだけど、俺は「樽酒」を取るな。

純子

それじゃぁ、今月の二本では「越後の精華 樽酒」がうまいということでいいかな?

一同

意義なーし。

純子

この次の集まりではみんながそれぞれ「これがうまい」と思っている酒を四合瓶で持ち寄らないかい?

一同

そうすっかい。


師に会いては師を殺せ 

昔、会社に勤めていた頃、新入社員の教育をしていたことがあった。
人を教えるのはすごく簡単だった。
まず、その人間の能力を見定め、ちょっと努力すれば自分の力で解くことのできる課題を与え続けるだけだった。
与える課題が簡単すぎてもつまらないと感じるし、むつかし過ぎても初めからあきらめてしまうので、そのさじ加減にさえ気を配れば面白いように成長していった。
3年かかって一人前になるレベルに3ヶ月で到達させていた。
その頃、人を教える立場として思っていたのが「師に会いては師を殺せ」という言葉だった。
出典が何処なのか分らないけれど、武術を学ぶ、あるいは教える人間の心得を説いた言葉なのだろうと思う。
弟子に武術を教えることは戦では敵になる可能性もあるわけだから命がけである。
でも育てた弟子が自分が教えた武術を磨いて自分を殺したとしたら、それは教える立場としては本望であるということを言っているのではないかと勝手に解釈している。
弟子としては師に対して教えてもらったことに感謝をしながらも、戦にあってはためらわず師を切り殺す覚悟を持たなければならない。
それが教えてもらったことに対する恩返しなのだと思う。
私について言えば、そうやって育てていった新人が自分を越えて行くのは嬉しかったんだけれども、結局3年経てば皆同じレベルに達してしまうんだし、促成教育というものに疑問を持ってしまったんですけどね。
今彼らはどう思っているのかなぁ。

どんぐり村日本酒試飲会

先日、我が家で第一回「新潟の酒の試飲会」が催された。
嫁の純子が日本酒が好きで、通信販売で毎月新潟のコンクールで受賞した酒を2種類ずつ配達してくれるというのを見つけて注文し、
日本酒好きの友人たちを集めて行った。
そのときの様子を記しておきたいと思う。

純子

みんな、これが今月送られてきたお酒だよ。
「越の酔美人」まるで私のことみたいだね。酒蔵の人がどっかで見てたんかね?
いゃ~ん。もうリンダ困っちゃう。
それともう一本「越乃ゆきの精」名前がいいじゃないの。
越後の津々と降り積もる雪の下でじっと春を待ち続けた田んぼが生み出した酒だよ。
ほんとはここでこの酒を愛でる和歌を1首づつみんなに披露してもらいたいとこだけど、
そんな気の利いたやつは居そうもないから割愛して、まあ飲むとするかい?

やまちゃん

それでは姐さん、ひとつその姐さんをモチーフにしたという「越の酔美人」を所望したいのでございますが。

はなちゃん

おれは「越乃ゆきの精」がいいなぁ。
会社に虐げられても、いつか花咲く日が来ると夢見ながら日々を耐えている俺にぴったりじゃぁないの。

たけちゃん

すがちゃんはどうなんだい?

すが

俺、日本酒のめないからなあ。
飲むとすぐ眠くなって寝ちゃうから母ちゃんに飲むなって言われてるんだわ。

純子

あんた何ぐだぐだいってんのさ。
まずは「越の酔美人」だよ。まあ飲んでごらん。

たけちゃん

それでは戴きます。
いやー、あのさ、ちょっと待って。
これ酒じゃなくて焼酎だよ。

純子

うーん、なんといったらいいのかね。酒の味はしないね。

やまちゃん

口当たりがさらさらですね。
まずいとかうまいとか言う前にさらさらっていうかんじだね。


はなちゃん

辛口とか甘口とかいえないぐらい無色無臭だな。

純子

さあ次「越乃ゆきの精」いくよ。

たけちゃん

こりゃー、たる酒だな、この香りはヒノキかな?

やまちゃん

これは日本酒の初心者には受けそうな味だな。私のようなベテランにはちょっとインパクトに欠けますな。

純子

うーん。

はなちゃん

この香りはヒノキじゃないような気がするな。杉じゃないのかな。
「越の酔美人」を飲んだ後だからか、べたっとするような気がするな。
酒に香りをつけるというのはどうかな?
俺はあんまりすきじゃないが、、。

純子

こりゃ第一回で試飲会も終わってしまいそうだね。

やまちゃん

まあ、それなりのレベルではあると思いますがね、断然うまいと言えるものではないようだね。

たけちゃん

まあ、あと22本も来るんだし、そのうちにはうまい酒があるかもしれないよ。

純子

そうだね、次を期待することにして焼酎でも飲むかい?

一同

んだな、そうすべぇ

わたしは、ひそかにかれらの味覚に驚嘆した。
酒が届いた日の夜、「越の酔美人」と「越乃ゆきの精」を半分づつ飲んだ後、生協で105円で買った播州錦で水増ししていたのに気づくとは。

満州国 新京

昔、古本屋で新京市街地図というのを見つけた。
地図が好きなので変わった地図を見つけると集めていたので買い求めたのだが、新京というのが何処かわからなかった。康徳8年(昭和16年)新京 満州国国務院発行の地図を昭和57年に復刻版として出したもので、ちょうどパリのように街のところどころに円形状の広場があちこちにあり、そこから放射状に道路が広がり、大学らしき場所もあれば、競馬場、ホッケー場、野球場、動物園もあり、街中を流れる川の周辺は公園になっていて大きな池もあり、整然と都市計画をなされた町並みで、偶々地形に沿って町が作られたものではないことがはっきりしていた。この町並みを見る限り、欧州の町を満州に作ろうとしていたという意志が感じられた。でもこの新京と言う町が今の中国の何と言う町に当たるのかわからないでいた。手稲の前田にある「長城飯店」のおかみさんに一度聞いたことがあるのだけれど、それはなんとかじゃないかねと中国の発音で言われたので、よくわからずじまいで、その地図も本棚の上でずっと埃をかぶっていたのだけれど、偶々そうじをしたときに出てきたので、ネットで「新京 満州」で検索すると旧満州の地図が出てきて其処に描かれている新京の位置を「Google Earth」で調べてみると其処に長春という町があった。さらに拡大してみると、当時の町並みと寸分変わりがない。これだけの町を作り、電気、上下水道、等のインフラをつくるためにかかった費用というものは莫大なものだったと思う。この地図を見ていると当時の満州国政府が本気で近代的な町を作ろうとしていた情熱を感じる。
この地図の箱には次の言葉が書かれている。

憶い出はかくもたのしくかなしきものか。
ひたむきに生きぬいたわが青春に悔いなしという、大陸に生命をかけた人たちにおくる夢うつくしき望郷の

じじばばの真実

今日は朝早くから「海商」に行ってきました。
8:15についたのですがもうすでに70人ぐらい並んでいました。
それも年寄りばかり。
話を聞いてみると昨日は駐車場も満車で、買い物は30分で済んだのにレジで1時間かかったとのこと。
開店時間になって後ろを見るとざっと100人以上。
初めはこんな爺さん婆さんが相手ならすぐ目玉商品を手に入れられるだろうと考えていたのが大間違い。
爺さん婆さん走る走る。
「秋刀魚は何処?!」と目を血走らせながら叫び、さながら「吉良は何処じゃ!?」と叫ぶ赤穂浪士かと思いました。
秋刀魚に近付こうとすると、婆さんの尻でブロックされる、爺さんの背中の隙間から手を伸ばして鮭を取ろうとすると、どこかから手が出てきて奪われるという状態で、息も絶え絶えで何とか鮭2匹、秋刀魚一箱をゲットして家に帰ってくると、嫁さんが「なんか秋刀魚高いよ」というんで開けてみたら秋刀魚ではなくイカでした。
ショック


台風

大型台風が上陸しました
昔は北海道に来るころには温帯性低気圧になることが多かったのですがこのごろは地球規模で気候が変わってきているのか、北海道にも上陸することが多くなってきています。
昨年、北海道に上陸した台風には私も随分痛い思いをしました。
悪天候により呼び出される仕事をしているものですから、立っていられないような風速50米の風もじかに体験させていただきました。
しかしアメリカのハリケーンのニュースで不思議に思うのは、なぜ略奪などが起こるのでしょうか。
阪神大震災の時は暴動など起こらなかったし、当時の村山首相が政治的な抵抗感からか、自衛隊をすぐに災害出動させなかったため、死ななくても良い人たちが無駄に死んでいったという危機管理のお粗末さを露呈したとはいえ、市民はお互いに助け合ったし、やくざでさえも炊き出しのボランティア活動をしていました。当時私の勤めていた会社もボランティア活動のための休暇を認めましたし、茶髪の兄ちゃんたちも救助活動を手伝っていました。日本はいったん国家の危機となれば人助けをするために立ち上がれる国民だと思います
聞けば、今回のハリケーンぐらいの台風は日本では年に1度くらいはくるということ
もともと台風は当然来るものとしてインフラを整備してきた国との違いというものを感じさせます
日本は台風を楽しんでいるようなところもあるような気がします
でもまあ私みたいに仕事でどうしても出なければならない人以外は外に出ないのが無難でしょうね

人の営み

爺になると変な時間に眼が覚めたりします。
それでTVをつけるとNHKでバックに昔の音楽が流れ、昔のニュース映像が流れるだけの番組をやっていたりします。
ああ、この頃はこんな時代だったよなとか思ったりして、この細面のお兄ちゃんも今は立派な中年太りのおっさんになってるんだろうなとか、この子供も立派な大人になってるんだろうなとか、この爺さん婆さんはとっくに死んでるんだろうなと思ったりします。
でも爺さんたちが日向ぼっこをしている姿やその前を犬がたむろっている姿を見ると、日本は平和だったんだなぁと思います。
戦争状態の国のニュース映像での犬の姿の記憶がありません。
映ってはいるのかも知れませんが、記憶に留めてはいないんですかね。
学生時代古典が嫌いで赤点を取ったことがあるんですが、その後「蜻蛉日記」を読んだときに、
あれ、千年前の人間も現代の人間も心は変わりないじゃないかと感動したことがありました。
人の営みはずーっと変わらず物を食って、恋をしたりして、時には争ったりして、子孫を作ってゆく、その繰り返しなんでしょうね。

三島由紀夫

三島 由紀夫の「憂国」という映画のフイルムが見つかったそうです。
家族が焼却処分してくれと言って、なくなったはずなのに皮肉なことに三島家から見つかったそうです。三島が死んだとき真っ先に思ったのは太宰 治の事でした。
三島は太宰が嫌いで、本人にも面と向っていったことがあります。そのとき太宰は困惑しながら「それでも君は俺が好きなんだよ」といったそうです。
三島が太宰が嫌いだったのは自身の中に太宰的な弱さがあったからでは無いかと思いました。それを克服するために身体を鍛え筋肉をつけ、自分の弱さと対極にある武士道にあこがれていったのではないかと思います。日本文学研究家のドナルド・キーンだったか三島に「魅死魔幽鬼男」と当て字を作っていましたが、三島は夭逝にあこがれていたようですが当時三島はたしか46ぐらいで私は20ぐらいだったと思いますが、46なんて十分爺じゃないか、どこが美しい死なんだと思いましたが、いまや三島の死んだ歳をはるかに過ぎ、46というのは十分若いなぁと思います。15歳で「花盛りの森」を書いた三島は本当に天才だと思います。擲たれた小石は明るい樫の木を超えて海を見に行った、なんて言葉が何も考えず自然に生まれてくる15歳なんていません。感性がすごいんです。でも感受性というのは粘膜と同じで敏感で傷つきやすい。それを乾いた皮膚にすると今度は感受性が失われる。三島文学は彼がボディビルをやり始めてからつまらなくなったという人もいます。まったく両立しないはずのことを両立させようとすると自己矛盾に陥って結局ああいう形でしか終われなかったのかなぁと思います。
 それにしても美輪明宏と付き合った男たちはどうしてみんな早死にして行くのだろう。


飛行機についての話


御巣鷹山にジャンボが落ちて早20年が経ちました
日本航空のこのところの小さな事故の連続発生は気にかかります
大きな事故が一つ発生するまでに多くの小さなミスや故障が起こって、最終的に大事故が発生するようです。前勤めていた会社で原子炉を作っていた人がいて、原子炉の事故は起こらないと断言していましたが、そんなことは無いだろう、人間が絡むことにミスは付き物だろうと心の中で思いましたが、今でも思っています。
航空機事故の本などを読むと人間の勘違い、思い込み、などが事故の原因となったことが多いようです。
飛行機の中で一番安全なのはセスナだそうです。
これは昔から基本設計は変わらず、不具合な部分に改良を重ねてきた結果だそうです。
航空機産業といえはアメリカですが、世界で初めてJET旅客機が就航されたのはイギリスでした。コメットという飛行機です。ところがこのコメットがある時期に次々と墜落していきました。調べてみるとイギリスの飛行機の設計は飛行機を剛体として作っていたために弱い部分に応力が集中して金属疲労を起こし、ある時間が経過すると割れてしまっていたのです。このコメットの失敗でイギリスの航空機産業は大打撃を受け失墜して行きました。
一方アメリカでは飛行機を始めから弾性体として設計していました。
翼なども曲がろうが、ねじれようが外れないで翼としての役割を果たしていりゃいいという考えです。良く気流の激しいときに窓から翼を見ると上下にばたばたゆれていて、怖い思いをしますが、あれは逆に翼に弾性があるからもげないで済んでいるのです。
そしてアメリカの航空機産業の賢かった点は、全てのJET旅客機を始めは軍用として作ったことです。ボーイング707は始めは偵察機として作られました。ジャンボも空軍の輸送機として作られました。ジャンボの操縦席が二階にあるのは機首部分を上に上げて大きな荷物を積み込みやすくするためでした。しかしマクドーネル・ダグラスのギャラクシーが採用され仕方なく民間機になったのです。軍用機ならば設計不良などで墜落したとしても、人的被害は最小限に抑えられるし、悪い評判も立ちませんから。
そうやって不具合をつぶした後民間機に転用していったため、ほとんどトラブルも無く全世界に採用されていったのです。


ふぐのトラウマ

若い人たちは生まれたときからいろいろな食材や料理を食べているから,あまり食べ物について感動するなどということは少ないのではないかと思いますが、私たちが子供の頃はようやく外国の食い物が入ってきた頃だったし、あまり外食などをすることも無かったので、初めて口にする食べ物というのが多かったです。
オムライス、鍋焼き、餃子、ジンギスカンなんか初めて食べたときは感激したなあ。
今は物を食って感激したなんてことはとんと無くなってしまったけど、若いころは初めて食べるものに興味津々でした。
 昔ススキノのイトーヨーカドーの上にレストランがあったのですが、腹が減ってショーケースを覗くとふぐ刺しが飾られていたんです。
ふぐなんて北海道で食べられると知らなかったが、高級料理だと思っていたのに意外とそこそこの値段でこれは食うしかないと思って中に入り、席についてふぐ刺しを注文したんです。
本を読みながら待っているとしょうゆ入れの小皿が出てきましたが、一向にふぐが出てきません。
「やっぱりふぐは高級料理なんだし今頃生簀の中からふぐを取り出してるんだろう」と思いながら本を読みふけっていました。
そのうちアベックの若い客がやってきて料理を注文しました。やがて彼らの料理が運ばれてきましたが、私のふぐはさっぱり出てきません。
しかし私は忍耐と言うものを知っている男ですから
「ふぐには毒があるからな、肝臓や卵巣を傷つけたら大変なことになるから注意しながらさばいてるんだろうな」と思いながらビールを頼みました。
隣のアベックはとうの昔に食事を終えて歓談しています。「それにしても遅いな、しかしなんといっても高級料理のふぐだから」とひたすら念仏のように唱えながら待っていたんですが、ビールがやってきて本から目を離してふと見ると、しょうゆ入れの小皿に何かがくっついているではありませんか。
ふぐだったんですね。ふぐ刺しが薄く切って下の皿の模様が透けて見えるように盛るなんて全然知らなかったんです。おまけにさっき見た皿はもっと大きかったはずなのに、、、
きっと驚愕の表情をしていたんでしょう、隣のアベックがこちらを見る気配を感じました。
私はここでぐっと踏ん張り、あたかもやっと本を読み終わってさあ食事でも始めるかという風を装って、ふぐ刺しを食べましたが、いかんせん、心は動揺している、量は少ないで、どんな味だったかもわからないうちに食い終わり、平然と勘定を済まし店の戸を一歩出た時、背後にアベックの忍び笑う声を聞き、心にかすかな痛みを感じながら後ろ手に戸を閉めたのです。
改めてショーケースを見てみると、先ほど見た30センチほどの直径のふぐ刺しの皿の脇にさっき食った小皿が飾られていて、私の見た値札はこの小皿のほうだったんですね。
あれ以来ふぐ刺しは食べていません。
若いころはものを知らないから恥を掻くことが多いですわ。