雑文 2
世の中には「これはおふざけで作った物なんだろうか?」と思うような商品がある。
昔札幌の地下街にも出店していた「王様のアイディア」の様な店ならば、非実用的であってもユーモアとして笑えたが、これは一体本気なのか、それとも冗談なのか判別に頭を悩ます物もある。
普通寝袋というのは筒型とか、封筒型をしているのだが、人型をした寝袋という物がある。
Selk'bag(セルクバッグ)という商品名のこの寝袋はチリの世界的デザイナー、ロドリゴ・アロンソという人によって作られ、改良を繰り返され現在に至った物らしい。
http://item.rakuten.co.jp/2han/selkbag-4g/
「そんな人知らないなあ。本当に居るのか?宣伝のためでっち上げたんじゃないか?」
と思って調べたら実在しており、実用性はともかく、椅子もカップもデザインはすばらしい。
http://ralonso.com/?page_id=412
この人型寝袋以外は装飾品として飾っておきたいと思わせる。
しかし寝袋の善し悪しは命に関わる事もあるので、デザインが良ければ良いという物ではない。
このスリーピングバッグ、、、と言うより、綿の沢山入ったスキーウェア?或いはヘルメットなしの宇宙服?の様な形の代物が実用に耐えられるのか?というと、EN
13537というEUの寝袋の温度規格のテストを受けており、Comfort/9度C、Lower-Limt/4度C、(Extreme/-9度C)という結果らしい。
EN
13537というのはEUの、メーカー以外の認定された第三者機関が行う寝袋の耐温性の検査で、人形の5カ所に温度センサーをつけ寝袋に入れ、キャンプ用マットレスの上に寝かせ、次の4つの状態の温度を割り出す。
Upper Limit 標準男性がフードと、ジッパーを開け、腕を外に出した状態で汗をかかずに眠れることが出来る温度
Comfort 標準女性が楽な姿勢で快適に眠れる温度
Lower
Limit 標準男性が眼を覚ますことなく、8時間丸まって眠ることが出来る温度。
Extreme 標準女性が凍傷にはなるかも知れないが、低体温症で死に至らず6時間生きられる温度
ここで言う標準男性とは年齢25歳、身長173cm、体重73kg、標準女性とは年齢25歳、身長160cm、体重60kg。
そのような温度を寝袋に表示することになっている。
例えばモンベルのネットの実売価格で6万円位する寝袋はExtremeがマイナス40度、Comfortがマイナス23度で極地にも耐えられる。
そんな寝袋とは鼻から比べても無駄で、命に関わることのない暖かい時期のキャンプや車中泊に使える程度で、そのまま外に出て歩いたら周囲のキャンパー達の笑いと拍手喝采を得られてスターになれるという特徴があるかも知れない。
調べてみたら他にドッペルゲンガーなんて商品名の人型スリーピングバッグもあった。
確かに脱いでそのまま放置したら自分がもう一人いるみたいに見えるかも知れない。
どうせならパンダに見えるスリーピングバックを作ってくれないかなあ。
宴会にも使えるし。
作ってみたら意外とマイナス40度にも耐えられて、ヒマラヤの高所や、南極大陸犬ぞり横断で冒険家達がパンダの格好でVサインした写真を送ってくるかも知れない。
我が家はテレビもラジオもほとんど見ないし、新聞も見出ししか見ないから知らなかったが、北杜夫(本名 斉藤宗吉)が無くなっていたんだね。
最近あまり名前を聞かず、むしろ娘の由香さんが「週刊新潮」にエッセイを書いていて、やはり蛙の子だなあと思っていた。
北杜夫の親父はアララギ派の歌人の斎藤茂吉、年の離れた長男は精神医学者でエッセイも書いていた斉藤茂太、やはり文字書きの血筋なのだろう。
旧制松本高校(今の信州大学)の時に、昆虫小僧で文学には全く興味の無かった宗吉青年は自分の文学的素養の無さを思い、これではいかんと初めて手に取ったのが茂吉の歌集で、感動し、衝撃を受け、今までただのとてつもなくおっかない親父に過ぎなかった父親の「偉大な歌人」という一面を発見する。
大学進学の際どうしても親父の勧める医者ではなく博物学をやりたくて、かんしゃく持ちでおっかない親父に手紙を送ったら、こてんぱんにやっつけられ医学部に進まざるを得なかった。
結局東北大学の医学部に進み、慶応大学の医局に勤める。
そこには「なだいなだ」のペンネームを持つ堀内 秀も居た。
医局にいながら同人誌に作品を発表していたが、斎藤茂吉の息子であることはずっと隠していたらしい。
あんな偉大な親父と同じ分野で比較されるのはたまらないだろう。
又茂吉も息子が文学に興味を持つのを嫌がっていた。
茂吉の記憶力は医者としても優秀で、宗吉が医学生の時、体の何処かの神経叢を末枝まで言わせられ、途中で詰まってしまったら怒られ、教えようとして自分の忘れてしまっていることでさらに10倍怒られ、「どういう頭の構造をしているのか、その何とかプロフンドスという名前を思い出してしまった、、、」そうで、「引退した俺が覚えているのに、現役のお前が覚えていないとは、、、」とさらに100倍も怒られたという。
宗吉の母親は斉藤輝子で、モガの始まりの自由奔放な女で、茂吉との別居の理由も輝子の浮気だったらしい。
でもとっても魅力的なばあちゃんになり、茂吉の死後益々元気になり、茂吉の遺産を食いつぶしながら世界中を旅行していた。
茂吉の崇拝者からは悪妻と決めつけられていたが。
茂吉は斉藤家の養子である。
元々は山形の田舎で貧乏で進学できないから坊主になろうとしていたのを、同じ山形出身の輝子の父親の斉藤紀一に優秀さを認められて養子になり、勉強をさせて貰ったのだ。
「死に近き、母に添い寝のしんしんと、遠田のかわず天にきこゆる」
などという歌でも、田舎の体験が茂吉の底にあるというのがわかる。
「楡家の人々」の中では楡徹吉という凡庸な人物として描かれているが、実際の茂吉はかんしゃく持ちで、けんかっ早く、頑固で、偉大な歌人で、あふれかえるエネルギーを持つ爆弾みたいな人物で「こんなところに茂吉に出てきて貰ったらぶち壊し」になるため楡徹吉という凡庸な人物に作り替えたという。
北杜夫の死は益々死というものを身近に感じさせるなあ。
ご冥福をお祈りします。
明日香の結婚式に行ったら入り口でアンケート用紙を渡された。
お色直しのドレスはどれでしょう?と、ワインレッドと、ピンクと、黒とグレーのドレスの写真が3つあって、その中から選ぶらしい。
それで俺はワインレッドを選び純子はピンクを選んだ。
でも実際に着て現れたのは黒とグレーのウエディングドレスとしては地味な色。
ああ、そうだった。明日香は普段から灰色の服を着るネズミ女だったのだ。
服装は自己主張であり、明日香はあまり自己主張しない地味な性格なのだ。
旦那も同様で、だから結婚することになったのかも知れない。
菊池寛の小説に「形」というのがある。
さして長い話でも無いからそのまま貼り付ける。
摂津(大阪あたり)半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。
そのころ、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『槍中村』を知らぬ者は、おそらく一人もなかっただろう。それほど、新兵衛はそのしごき出す三間(5.4米)柄(え)の大身の鎗の鉾先で、さきがけ、しんがりの功名を重ねていた。そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水ぎわ立ったはなやかさを示していた。火のような猩々緋(しょうじょうひhttp://www.colordic.org/colorsample/2011.html)の服折(陣羽織)を着て、唐冠纓金(とうかむりえいきん)の兜をかぶった彼の姿は、敵味方の間に、輝くばかりのあざやかさをもっていた。
「ああ猩々緋よ唐冠よ」と敵の雑兵は、新兵衛の鎗先を避けた。味方がくずれ立ったとき、激浪の中に立つ巌のように敵勢をささえている猩々緋の姿は、どれほど味方にとってたのもしいものであったかわからなかった。また嵐のように敵陣に殺到するとき、その先頭に輝いている唐冠の兜は、敵にとってどれほどの脅威であるかわからなかった。
こうして鎗中村の猩々緋と唐冠の兜は、戦場の華であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的であった。
「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」
と元服してからまだ間もないらしい美男の侍は、新兵衛の前に手を突いた。
「なにごとじゃ、そなたとわれらの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよういうて見い」
と育ぐくむような慈顔をもって、新兵衛は相手を見た。
その若い侍は、新兵衛の主君松山新介の側腹の子であった。そして、幼少のころから、新兵衛が守り役として、わが子のようにいつくしみ育ててきたのであった。
「ほかのことでもおりない。明日はわれらの初陣じゃほどに、なんぞはなばなしい手柄をしてみたい。ついてはお身さまの猩々緋と唐冠の兜をか借してたもらぬか。あの服折と兜とを着て、敵の眼をおどろかしてみとうござる」
「ハハハハ念もないことじゃ」
新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れることができた。
「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂(きもたま)を持たいではかなわぬことぞ」
と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。
そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵と鎬(しのぎ)をけずった。戦いが始まる前いつものように猩々緋の武者が唐冠の兜を朝日に輝かしながら、敵勢を尻目にかけて、大きく輪乗りをしたかと思うと、こま駒の頭を立てなおして、一気に敵陣に乗り入った。
吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は鎗をつけたかと思うと、早くも三、四人の端武者を、突き伏せて、またゆうゆうと味方の陣へ引き返した。
その日に限って、黒皮おどし縅のよろい冑を着て、南蛮鉄の兜をかぶっていた中村新兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々緋の武者のはなばなしい武者ぶりをながめていた。そして自分の形だけすらこれほどの力をもっているということに、かなり大きい誇りを感じていた。
彼は二番鎗は、自分が合わそうと思ったので、駒を乗り出すと、一文字に敵陣に殺到した。
猩々緋の武者の前には、戦わずして浮き足立った敵陣が、中村新兵衛の前には、ビクともしなかった。そのうえに彼らは猩々緋の『鎗中村』に突きみだされたうらみを、この黒皮縅の武者の上に復讐せんとして、たけり立っていた。
新兵衛は、いつもとは、勝手が違っていることに気がついた。いつもは虎に向かっている羊のような怖気が、敵にあった。彼らは狼狽え血迷うところを突き伏せるのに、なんの雑作もなかった。今日は、彼らは戦いをする時のように、勇み立っていた。どの雑兵もどの雑兵も十二分の力を新兵衛に対し発揮した。二、三人突き伏せることさえ容易ではなかった。敵の鎗の鋒先が、ともすれば身をかすった。新兵衛は必死の力を振るった。平素の二倍もの力さえ振るった。が、彼はともすれば突き負けそうになった。手軽に兜や猩々緋をか借したことを、後悔するような感じが頭の中をかすめたときであった。敵の突き出した鎗が、縅の裏をかいて彼の脾腹を貫いていた。
服装や権威という物に人は思いこみを持っている。
だから詐欺師などはそれらしい服装をして人を騙す。
逆に服装が人を変えてゆくという事もある。
不良っぽい服装をすると真面目な子も不良になってゆく。
それは周囲がそういう風に見て、それなりの対応をするからだ。
明日香夫婦が遊びに来た。
先日の結婚式では華やかに見えたが、やっぱりねずみ色の服を着たネズミ女に戻っていた。
まだ若いんだからもっと派手な服を着れば良いのにと思う。
子供が生まれたら着れないよ。
普段着る服をもっと明るい色にしたら、性格ももっと派手になると思うんだけど。
一度ゆゅと交換してみたら面白いなあ。
二人とも嫌がると思うけど。
ああ、「形」の中で出てくる唐冠纓金(とうかむりえいきん)の兜という物がどういう物か調べてみても誰も言及していないんだな。武具の専門家なら分かるのかも知れないけど。
それで調べてみると唐冠とは
近世の兜(かぶと)の一。左右に纓(えい)を二本ずつ飾りつけたもの
纓とは冠の付属物であり、例えば聖徳太子の帽子の後ろの垂れ下がり輪になってる奴。
だから唐風の冠の左右に金色の纓が飛び出して居る兜ということで、こんなものをいうのかも知れない。
纓(えい)はとんぼの羽のようにもう一対あるのかな。
我が家のマーフィーの法則
「電気製品が壊れるときは、一つでは済まない。」
先日ビデオカメラのシャッター状の蓋が作動しなくなりヨドバシカメラに修理に出した。
でも5年の延長保証をつけていたので3万近い修理代はタダ。
5年の間に一度しか使えないが入っておいて良かった。
治って返ってきたと思ったら、今度はブルーレィデッキに新品のディスクを入れてもフォーマットできず
「このディスクは操作できませーん。」
とはき出してしまう。
「何を生意気な!」と再度入れても同じだ。
以前TDKのディスクではそういうことがあって相性があるのだろうと諦めたが、今回は同じSONY製のディスクだ。
それに、以前録画して何度も見ていたディスクも読み取らない。
他のディスクは読めるのだが。
しかしパソコンに入れてやると見ることが出来る。
これはレンズが汚れているのだと思い、ブルーレィ用のクリーニングディスクを買う。
店員に訊いて湿式のクリーナーを買う。
デッキに入れると作業の選択を求める画面が出てくる。
クリーニングを選択すると「クリーニングしています」と文字が出て30秒ほどで
「クリーニングが完了しました」と出る。
それでブランクディスクを入れて見ると一旦フォーマットを試みてるが
「やっぱり出来ましえーんでした。」
まだクリーニング仕切れてないかと思い、もう一度とディスクを入れると今度はそれもはき出してしまう。
オープニングの画面すら出ないから手の施しようも無い。
それでつながってる様々な配線を取り外し、3年間の埃を掃除機で吸い取り綺麗にしてヨドバシに持って行ったよ。
今回も延長保証は付いてるからタダだろう。
我が家はテレビは見ず、面白そうな番組だけ録画して後で見て居るので、デッキがないと俺はパソコン、純子はとりあえずくだらない番組でも見るしかない。
会話が無く、これは夫婦の危機にありがちな光景じゃない?
雨が降り始めた。
台風12号は自転車並みの速度で大雨の被害をもたらした。
なんてなめた台風だと思っていたら、台風15号はジョッギング並みの速度で、16号はとうに過ぎ去ってしまったというのに、長々と南の海上で余計な雨と風を沖縄辺りにまき散らしていた。
そのうち何を思ったか急に速度を上げ日本列島を縦断し、雨と風を伴って北海道を目指している。
従って台風12号を「ぽっぽ鳩山号」、15号を「スッカラ管号」と俺的に名付けることにした。
管も15号のように、やめる直前になって大急ぎで朝鮮学校の無償化を検討する様、指示出してたね。
奴のバックがどんな団体なのか、どんな国なのか分かるわ。
お隣のお家の長年買っていた黒猫が亡くなって、茶トラの子猫がやってきた。
小さな可愛らしい雄猫で「チャー」と言う。
家族みんなで可愛がっていて、朝仕事に出かける時には窓辺に座っているチャーに声をかけてゆく。
居なくなったら大変と紐をつけて散歩をさせている。
チャーはそうやって大事にされているから、殆どを家の中で窓の外を眺めて過ごしている。
秋になってようやく我が家の事を思い出したらしい惚け猫のチョコが、我が家でさんざん甘え尽くして満足して家の周囲をうろつき始めたら、お隣の居間の窓辺で外の景色を眺めているチャーを見つけた。
とたんに尻尾が狐の様に膨らみ、ちんぴらの様な歩き方で近づき、ガラス窓の向こうのチャーに大きな声で威嚇し始めた。
チャーは他の猫を見たことも無いらしく、訳が分からずきょとんとしている。
「あーら、、やっちゃった。」
チョコは人間には甘えてデレデレしているが、猫は基本的に毛嫌いしている。
初めて見る猫は敵と見なす。
ちょっと、、いや、かなり性格悪いのだ。
チャーの前にお隣で飼われていた黒猫とも仲が悪く、よく我が家の庭でとっくみあいの喧嘩をしていた。
そのくせ夏などお隣の開いている窓から侵入し、おばあちゃんに叱られて慌てて逃げ出して来る。
相手の縄張りにまで侵入して喧嘩を売りに行くのだから
「それはお前が悪いぞ。」
とかねてより思っていたのだ。
ちょうど出かけるところだったのだが、純子にご注進すると純子も出てきて隣の庭に行き
「チョコ、あんた何やってるの?相手は赤ちゃんなんだよ。」
と言ってるところにお隣の奥さんとお婆ちゃんも居間のガラス越しに顔を見せて
「あれー、菅沼さんのところの猫なのかい?」
と言うので
「いやー、家の猫じゃ無いんですけど良く来るん、、、、」
とむにゃむにゃとデクレッシェンドで言う。
チョコは人間が介入してきた所為か落ち着き、我が家の玄関の階段に戻り何事も無かった様にしている。
こいつ猫社会ではかなり問題児なのじゃないのか?
昨日の買ってきた野菜を並べて写した写真を見て、伊藤若仲の「果蔬涅槃図」を思い出す。
涅槃図というと釈迦の亡骸を囲んで弟子達が悲しんでいる様子を描いているが、家業が八百屋だった若仲はそれを全て野菜で描いた。
二股の大根が横たわっている周囲を茄子やら、カボチャやら、蕪の弟子達が取り囲んで悲しんでいる。
我が家の「果蔬涅槃図」で言えば、釈迦に当たるのは巨大な夕顔だろう。
まったく若仲さんときたら お・茶・目。
「象鯨図屏風」の象さんのプリティなこと。
優しく微笑んでいる、ふくよかなおっかさんみたいだ。
若仲って1716年に生まれ1800年に没している。
84歳まで生きたのだからずいぶんと長生きだ。
もっとも北斎も90歳まで生きたのだが。
元々若仲は京都の青物問屋の跡取りで、40歳で隠居して弟に家業を任せる。
それからは画一筋。
ゴッホと、画商をやっていた弟のテオの関係のように、若仲さんも弟に生活を見て貰いながら画を描き続ける。
始めは狩野派に学んだんだけど、守破離を経て独自の世界を作り出す。
北斎なんかもそうだけど、自由自在になって描くことを楽しんじゃってる。
弟が先に亡くなって最晩年は生活の為に画を描かなければならなかったらしいが、飄々と生きたみたい。
画を見て、こんな昔に生きた人に親しみを感じる。
肉体は消滅しても作品の中に作者の魂は生きているなあ。
名前の由来が気になることがある。
すると歯に小骨が挟まって取れないときのように気になって仕方なくなるから調べる。
例えば納豆。
豆を納めるとはこれ如何に。
神事で、発酵した豆を奉納する習慣でもあったのだろうか。
調べると納豆は精進料理で、納所(なっしょ)という寺の倉庫で製造した豆の発酵食品だから納豆と言い始めたらしい。
先日ホームセンターでレジ待ちをしていた。
ホームセンターのレジは大体パートのおばちゃんがやっていて遅い。
列になっている。
仕方なく辺りを見回すとレジ前の棚に「TOMBOW PENCIL」と書かれていて、筆記具が並べられていた。
それを見てTOMBOWとは何語なんだろう、英語だったらDORAGON FLYだし、、、と思って調べてみたらトンボは日本語だったんだね。
諸説あって「飛ぶ棒」が起源だとか、「飛ぶ羽」から来てるとか言われてるらしい。
トンボは奈良以前にはアキツと呼ばれていて、神武天皇は平定した国を眺め「秋津のとなめりせるがごとし」と言っている。
「となめり」とは尻を舐める、繁殖期にトンボがつがいになって互いの尻尾を加えて輪になっている状態ね。
その他にカゲロウ、エンバ、トンバウ、トバウとも呼ばれ、江戸時代にトンボという名称が定着したそうな。
四国の四万十川ではカゲロウの羽化の時期になると、大量のカゲロウが水中から一斉に飛び立つという。
水生昆虫である幼虫は石に生えた水苔などを食べる。
そしてその水苔は川の中の有機物を栄養にしている。
その有機物というのは魚や昆虫の死骸が腐敗したもの、人間の生活によって川に流れ出した物なのだろう。
そうした川の汚染物質が、かげろうの姿を借りて一気に消えてゆく。
その量は何十トンって、昔のドキュメンタリーで科学者が言っていたような気がする。
自然界の物は循環して居るなあ。
これは一年のサイクルの汚染と浄化だ。
例えば山崩れで土砂が川に流れ込んだとする。
生態系が崩れるが何年か後には元に戻る。
大きな環境変動があっても何時かは元通りになる。
その「何時か」が人間にとっては長すぎるのだが。
人間が環境を破壊したとて、結局自分たちが滅んでしまうわけで、地球は長い時間をかけて再生してゆくだろう。
セシウムで汚染された土地だっていずれは回復する。
人間にとっては長く思える時間なのだが。
放射能って本当に人間にとって良くないのだろうか。
俺等が子供の頃は大気中で水爆やら原爆やらの実験をやっていた。
その頃の方が被爆量は多かったのではないか?
雨が降ると「放射能だ!頭が禿げる!」と言って逃げ回っていた。
昔アメリカの原子炉の研究者が規制の厳しさに業を煮やし
「放射能なんて食ったってどうってこと無い。」
と言い、放射性物質を食い続けたというのがあったな。
あの人その後どうなったのだろう。
放射線がDNAに損傷を与えるのは確かなのだろうが、人の中に元々備わっている修復機能と云う物もあるわけで、一度に大量の放射線を浴びればチェルノブイリや東海村の事故のように死に至るが、少ない量を長年浴びてもどうって事無いような気がする。
実際チェルノブイリでは又戻ってきて暮らしてる年寄りもいたが、普通に生活していたな。
汚染地域で暮らしてどうなるか実験したいというのなら応募するよ。
お金もらえるなら。
白樺高校負けちゃったね。
智辯和歌山に上野山っていう苗字の選手が居るけど、和歌山には上野山っていう苗字多いのかな。
亡くなった妹が以前付き合ってた男も和歌山出身で上野山といった。
智辯の辯って花弁の弁だ。
辯って述べるという意味だから智を述べるという意味か。
豆板醤ってあるけど、豆辯醤とも書く。
醤(ひしお)っていうのは食品を麹と塩に漬けて発酵させた物で、中国ではジャンと呼ぶ。
肉醤、魚醤、草醤等があり、豆を使った物が醤油だ。
塩辛も味噌も元々は醤だ。
何故豆辯なのかと調べてみたら、豆辯醤は空豆が原料なのだが皮が固いので発芽させてから皮をむくらしい。
その発芽した状態を豆辯という。
味噌はさっき言った様に醤だ。
鎌倉時代に中国の寺で作られていた金山寺味噌の製法を法燈円明國師という僧が持ち帰り、紀州(和歌山)湯浅の村民に教えているときに仕込みを間違え、偶々出来たのがたまり醤油の始まりだとヤマサ醤油のHPには書かれている。
近畿と讃岐(今の香川県)あたりで作られていた。
江戸時代の初期、関東で使われる醤油は殆ど関西からの「下り物」であった。
関東でもわずかながら醤油は作られていたが、関西の醤油は高級品だということで価格が2倍位したらしい。
関東で初めて醤油を作ったのは銚子の豪商、第三代田中玄蕃だ。
1616年の事だ。
その田中家のヒゲタ印と濱口家のジガミサ印、そして深井家のカギダイ印の三蔵が合弁して銚子醤油合資会社を設立たのが大正3年(1914)、そして昭和51年(1976)にはヒゲタ醤油株式会社に社名を変更した。
このジガミサ印の濱口家の初代は濱口吉右衛門という。
その弟がヤマサ醤油の初代濱口儀兵衛だ。
ヒゲタとヤマサは親戚なのだ。
ヤマサ醤油の創業は1645年になる。
調べると今の12代目の当主というか社長は濱口道雄。
一方ヒゲタ醤油の社長は濱口敏行となっている。
幕末にインフレで物の価格が高騰したとき、幕府は強制的に物の価格を20から30パーセント下げさせた。
しかしコストを下げると味が落ちると訴え、銚子のヤマサ・ヒゲタ・ヤマジュウ・ジガミサ、 野田のキッコーマン・キハク・ジョウジュウの7つだけは最上醤油として値下げを免れた。
ヤマサ醤油やヒゲタ醤油の商標に小さな上の字が書かれて居るのは幕府から最上醤油とお墨付きを貰った印だ。
最上醤油の次が、次最上醤油、極上醤油と続く。
キッコーマン醤油は1917年(大正6年)創業であるから、最上醤油の名前を得た当時は別の名前だと思う。
キッコーマンの前身は野田の8つの蔵が集まって作った野田醤油会社であり、おそらく野田の高梨家か茂木家の醤油蔵の名前だったのだろう。
亀甲萬の商標は野田醤油会社を作ったときのものだ。
それを社名にするのを勧めたのは占い師の藤田 小女姫らしい。
確かに外人にも発音しやすく覚えやすい。
醤油は江戸時代にすでに東インド会社によってヨーロッパに輸出されている。フランスの宮廷でも使われていたという。
今アメリカの家庭の半分近い家庭に醤油が常備されているという。
醤油を海外に積極的に広めたのはキッコーマンで、「KIKKOMAN」は“Soy
Sauce”の代名詞となっているらしい。
スーパーマーケットで肉を醤油につけて焼き、試食して貰う。
家庭料理向けのレシピを作り、新聞や雑誌に紹介して貰うといった宣伝をして醤油を広めていった。
今は現地に工場があるという。
ヤマサ醤油の当主は代々濱口儀兵衛を名乗る。
ドラマ「JINー仁」に出てきたのは七代目濱口儀兵衛(後に梧陵と名乗る)だろう。
安政元年、1854年12月23日と24日に今回の東日本大震災のような大地震が続けざまに起こった。
安政東海地震と安政南海地震である。太平洋沿岸に大津波が押し寄せた。その時に梧陵は活躍する。
http://www.bo-sai.co.jp/hamagutigoryou.htm
他にも学校を作ったり、焼けた種痘所を再建するのだが、その種痘所が西洋医学所(東京大学医学部の基礎)となる。
なかなか立派な人だったのだ。
焼鳥屋で客の入りが悪いときには醤油を火に注ぐのだそうだ。
すると匂いにつられて、蛾が光に集まるように人が寄ってくる。
醤油の焦げる匂いは確かに食欲をそそる。
俺は魚醤も好きなんだけど。
タイのジャスミン米にナンプラー振りかけて炒めたチャーハンなんか旨いよー。
入植間もないアメリカでは金属が貴重で手に入らなかった。
それで時計なんかも、歯車やらみんな豊富にある木材で作った。
「大きなのっぽの古時計」はどうやら機械部分は金属製のようだが、これは製鉄工場が建ち、金属加工の出来る人間が入植してから作られた物だろう。
アメリカはコロンブスが発見したことになっているが、10世紀の末にすでにヴァイキングが発見しニューイングランドからニューヨーク一帯に移住したとサーガには書かれている。
しかし原住民とうまく行かず撤退を余儀なくされた。
そして15世紀末にコロンブスによって改めて発見される。
ドラクエVでは北アメリカと覚しき大陸の東海岸に、船に乗って独りの商人がやってくる。
世界中を冒険しながら、途中途中立ち寄ると少しずつ町が出来てゆく。
実際のアメリカの開拓の歴史もあんな風だったらしい。
イギリスで迫害を受けた清教徒が1620年にメイフラワー号に乗ってアメリカにやってきたが、半数は飢えと寒さで死んでいる。
北海道の開拓の様子にも似てるなあ。
野幌森林公園にある開拓記念館には、山野を切り開くのに使われた鋸やら、斧やら、馬そりなどが飾られている。
開拓記念館は当時の建物を再現しているから、馬そりを作る工場などもある。
材木を機械で無理矢理そらせて蒸気を当てて、そりのカーブを作る。
アメリカも北海道も開拓初期にはふんだんにある木材を利用したんだろう。
旭川もコネチカットも家具で有名だね。
家具作り職人が入植したんだろう。
ハイエースの寝台を作ってくれた大工のこーちゃんなんか、何でもモクで作っちゃうよ。
車の屋根に付けるキャリアも木製だし。
木は暖かくて良いね。
そうそう、我が家の傍に楽器を扱ってる店があってね、コントラバスやらの修理もしているらしい。
その会社で飼っていた犬が居て、犬小屋には「モクの家」と書かれていた。
きっと木の楽器なんか修理していたからそんな名前を付けたんだろうな。
もう老犬で、とある夏の暑い日、風の渡る土手の芝生に傘で日陰を作ってあげて涼ませていたが、それがモクを見た最後だった。
でも、可愛がられて居たんだから良かった。
http://shobukobo.com/Clock/allwoodclock.html
鳥取砂丘で人骨が出た。
江戸時代の物らしい。
死体という物は始末に困る物だ。
一人で運ぶには重たい。かさばる。
従ってバラバラ殺人事件などという事が起こる。
死体を誰にも気づかれずに処理するにはどうしたら良いかというのは、殺人者やミステリー作家の永遠のテーマだ。
身近な人間の死体でさえ始末に苦労する。
従って専門の業者が居り、任せておけばすべて処理してくれる。
金はかかるが大変助かる。
原始時代は食人の習慣があったから死体の処理には困らなかったろう。
しかし伝染病で死んだ死体を食べたりしては危険だし、やはり親しい者の死体は魂の抜け殻と解っては居ても、生前の姿形をしている以上感情的に食べたりはしずらい。
そういう理由があって食人の習慣は無くなってきたのではないだろうか。
遺骸を鳥に食べさせる鳥葬、水に流す水葬、土葬や火葬といったいろいろな葬り方がある。
どの方法を選択するかはコストと手間の問題だけだろう。
鳥葬などはパミール高原やヒマラヤで行われていたが、最近は遺骸を山の上に運ぶのが大変であまり行われていないらしい。
アメリカなどは土葬が多いのだが、ニューヨークなどでは火葬が増えている。
土葬だと遺体から血を抜き、痛まないようにするエンバートメントという作業があり、6000ドルもかかるが、火葬だと500ドルで済む。
死んでからも金がかかるものだ。
墓を作って弔うというのは、残された者の勝手な死者への想いに過ぎない。
支配者の墓なんてのは神代の昔からあるが、庶民等は土葬又は死体の捨て場に持って行って捨てるだけだったらしい。
従って死体を見る機会も当たり前にあり、死体がどのように土に帰って行くのかも理解していただろう。
仏教では不浄観といって、死体をじっと観察する修行がある。
いかなる美女であっても死ねば腐敗し、穴という穴から膿みや血が流れ出し、黒ずみ、蛆や鳥獣に食べられ最後は白骨になってしまう。
その九相の変化をじっと観察することにより、色欲や、野心が虚しい物だと達観する為の修行だ。
その様子を描いた絵もある。
まあ俺なんかは死がそのように醜いからこそ、生をできるだけ楽しもうと思うけど。
江戸というのは大火や地震に幾度もあっているから、その時に出た廃材を埋め立てに使った。享保元年(1716年)の疫病などでは死者が8万人を超え、沢山の死体を処理できず水葬にした。海に投げ込んだんだね。
だから東京の地下には骨が沢山埋まっている。
何せ100万都市だったから死体もその分多く出る。
おまけに幕府の城下町の整備の為に、寺が幾度も別の場所に移されている。
埋葬された骨はそのままだ。
従って工事のために土をほじくり返すと、大量の骨が出てきて大騒ぎになる。
妹のマンションを売る為に不動産屋に見積もって貰ったら、後になって、看取られて亡くなっていないから二束三文にしかならない、なんぞと言ってきた。
そんなこと言っていたら東京なんか住めないじゃないか。
看取られず亡くなってる人間なんか幾らでもいる。
あの不動産屋は駄目だなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=pWWoUBOQNyA&feature=feedwll&list=WL
「海猿」を見てたら海上に浮かぶ天然ガスプラントが火災になり係留された船に避難しようとするのだが、プラントが船諸共爆発する恐れがあるというので、海上保安官である主人公達がガスプラントの底にあるキングストン弁を開いてプラントを沈めようとする。
日露戦争でも敗走したロシアの軍艦が逃げ切れないと悟って、キングストン弁を開いて自沈し日本軍の手に軍艦が渡らないようにした。
いったいこのキングストン弁とは何の目的で付いているのだろう。
自沈させるためについて居るのだとしたらずいぶんと非生産的な目的だ。
調べると、蒸気船の時代になり、ボイラーの冷却水が必要な為海水を利用しようとした。
喫水線より下に船体を貫通するパイプを取り付ける訳だから、水漏れしない弁を使用しなければならない。
そういう安全性の高い弁がアメリカのキングストン社で作った物らしい。
軍艦では片側の船腹に被弾して船体が傾いた時に、反対側のキングストン弁を開いて海水を注入しバランスを取ったりするらしい。
大型船ではいろいろな目的でキングストン弁が備え付けられていて、その中には風呂桶の栓のような、ドックに上げた時のドレン抜きの役割の物もある。
神田山陽の講談に「地球の栓」というのがあって、俺はその話のさわりをちょっとだけ聞いたのであって中身は分からないのだが、何処かに「地球の栓」があってそれを大事に守って居るらしいという所まで聞いた。
きっとSFチックなおもしろ話が展開されてゆくのだと思うが、それ以上は知らない。
「地球の栓」というのはどんな形をしてるのだろう。
そして何処にあるのだろう。
大型船のキングストン弁の様に、いろいろな目的の栓が地球のあちこちに仕掛けられているのかも知れない。
何処かの社の床下とか、何処かの古い協会の地下とかいうところにビーチボールの空気吹き込み口を巨大化したみたいな物があって、あのベロみたいな奴を引っ張って栓を引っこ抜くと「ひゅー」っと空気が抜け、地球は公転軌道から逸脱して風船のように宇宙空間を飛んでゆくのかも知れない。
或いはバスタブにあるような鎖付きの大型ゴム栓があって、それを5人くらいで力を合わせて引っこ抜くと、ブラックホールのように地上の何もかもがみんな渦を巻いて穴に吸い込まれ、何処か別の宇宙にワープしてしまうなんて事になるかもしれない。
「地球の栓」って凄く想像力をかき立てる言葉だよ。
朝、純子が妹の部屋にあった揺り椅子に座って何事か考えている。
そのうち
「毎年今頃の時間に富美ちゃん電話くれてたね。」
とぽつりという。
今日は純子の誕生日で、誕生日の朝には必ず妹から電話が来て受話器の向こうで
「ハッピバースデー純ちゃん♪」
と延々歌って最後に
「純ちゃん、だーいすき。」
と祝ってくれたのだ。
それが、今年は無くなってしまった。
人は早かれ遅かれ死ぬ。
悲しいとか思うのは残された者達だけだ。
その感情も時の流れと共に薄らいでいって、思い出だけが残る。
明日は妹の旦那の命日だ。
今年は同じ墓に妹も収まった。
お盆はお寺が混むので毎年早めにお参りに行っている。
今年はかなり早いが明日行くことにした。
昨日はNo8君達が遊びに来ていて、大体においてはくだらない話をしているわけだが、ふとウンコの話になった。
人は一本の管で、片方の口から食物を取り入れ、管の周辺に付属している器官から出る液体によって分解され、もう片方の口からウンコとして排出する。
恋愛だとか苦悩だとかは、この管の機能を維持しようとするために発生する事象だと云うのが俺の考えで、以前書いたその事についてNo8君が触れたのだが、その時に分子生物学者の福岡伸一さんの本のトポロジー(位相幾何学)の話を思い出した。
ドーナツを作るために小麦粉に水を混ぜ、こねて粘土状にする。
それを丸めて真ん中に穴を開ける。
リング状の紛れもないドーナツだ。
そのドーナツの一部を伸ばして行くと、取っ手のついたコーヒーカップになる。
コーヒーカップの取っ手の穴は元はドーナツの穴で、器の部分はドーナツの腹の一部が袋状に伸ばされた物だ。
従ってドーナツとコーヒーカップはトポロジーでは同じものだ。
ではパンツはどうだろう。
ドーナツをどんなに伸ばしてもパンツにはならない。
何故かというとパンツには足を通す穴が二つあり、ドーナツには穴が一つしかない。
ドーナツからパンツを作るには穴をもう一つ穿つ必要があり、そうしてしまうとトポロジーでは同じ物と言えなくなってしまう。
竹輪はドーナツを伸ばして行けば良いので同じものだ。
人はどうかというと、消化管という突き抜けた穴があって、その周辺にある器官は皆袋状になっている。
一見管のように見える尿道も膣も、遡れば突き当たってしまう袋だ。
人の中にある唯一の向こうに突き抜けた穴は消化管だけなのだ。
従ってドーナツとコーヒーカップと竹輪と人はトポロジー的には同じなのだ。
食物を食べる。
体の中に入る。
でもトポロジーで言えば中では無いのだ。
それはドーナツの穴に存在しているわけで、ドーナツの外なのだ。
ドーナツの中になるためには食物が分解され、腸壁から体の中に吸収されなければならない。
人は何故食べるのかというと、福岡さんの言うことにはエントロピーの増大に抗う為だという。
エントロピーとは元々は熱や物質の拡散して行く度合いを表す尺度で、原子や分子レベルの用語だったらしい。
宇宙では乱雑さが増大して行く。
片付けられた部屋は乱雑になって行く。
水槽に垂らしたインクは拡散して行く。
秩序ある状態から乱雑になって行く。
それをエントロピーが増大するという。
人の体は常に整った状態から乱雑な状態になろうとしている。
エントロピーが増大して行く。
それを元の整った状態に戻すために人は食べる。
人の体を作っている細胞も、細胞の構成物も常に乱雑な状態になろうとする。
つまり壊れて用を成さなくなる。
それで壊れる前に壊してしまって新たな物に置き換える。
昨日の俺と今日の俺、見た目は変わらなく見えるが、細胞や分子のレベルでは少しずつ入れ替わっている。
福岡さんはこれを動的平衡と呼ぶ。
一本の管のおかげで我々は動的平衡を保っているわけだが、いずれはエントロピーの増大に耐えきれず、管あるいはドーナツは粉々になってしまう。
夫婦というのはバイオリズムなんかも似てくるのか、先日ハマナスの丘公園で転倒して以来右膝と右腰が痛くて座るのが辛いのだが、純子もその後すぐに右膝の軟骨すり減りでびっこを引いている。
俺が腰痛の時は純子も腰が痛く、純子が手が痛いと俺も不思議と手が痛くなる。しかも同じ方向の手や足なのだ。
純子は元々左膝が軟骨減少で痛かったのだが、今度は右足だ。
それで病院で膝にヒアルロン酸の注射を打ってもらっている。
すると半年とか一年痛まないのだが、今回は痛みが治まらないらしい。
今日又病院に行って看てもらうことにする。
「皇潤」を飲まなければいけないかも知れない。
それにしても「皇潤」のCMって嘘くさい。
階段を一段下りる毎に膝を押さえて痛がっていたはずの婆さんが、「皇潤」を飲むとあらまあ不思議、たちまちスタスタと歩き始める。
我が家の婆さんと同じ歳の93歳でスキーやってるじいさんや、七十数歳の加山雄三なんかが「皇潤」のおかげで云々とやってるが、この人達は元々頑丈に出来てる上に、常日頃身体を鍛えているために老化の進行が遅いのだと思う。
加山雄三なんか見てごらんよ、年下のバンドのメンバーよりずっと若々しく見えるんだから。
生まれつき頑丈にできてる人っているんで、以前テレビで80歳超えた婆さんが走り幅跳びやってたよ。
たとえば美容の為コラーゲン入りの食物やサプリメントって食ったり飲んだりして効き目あるのかね。
体内に入ったコラーゲンは最終的にアミノ酸に分解されるわけで、文章で言えばある意味を持った文字がアルファベットに迄バラバラにされるんで、そんなアルファベットは他の食物からも作られてる訳だから、あえてコラーゲンを摂取する意味は無いんじゃないかと思う。
体内でアミノ酸にまで分解されたコラーゲンをもう一度合成する物を含んでいるという宣伝をしている物もあるが、それなら最初からその薬だけ飲めば良いんじゃないの?
どうも健康食品とか美容の為のサプリメントと云う物は怪しげな物が多い。
でもまあ「病は気から」とか「鰯の頭も信心から」とかいうから、「これを飲んだら治るんだ。」と思いこめば、体に備わった力が湧き出てきて膝にヒアルロン酸も溜まるかも知れない。
こんなのもあったよ。
http://www6.shizuokanet.ne.jp/usr/aukai/page024.html
近所の猫のチョコも多分今年で11歳くらいになるはずで、人間で言えば70歳くらいになるのだろうか。
昨年辺りからあまり我が家に来なくなり、今年は一度見かけただけだ。
すると我が家の庭の納屋の下に居着いているねずみが、ノコノコと畑に出てくるようになった。
先日土に鋤込んだ米糠を、両手に取って食べている。
世の中で一番嫌いな物がねずみだという純子は大騒ぎだ。
見ていると畑を横切り、ベランダのコンクリートの下に潜り込んだ。
外へ出て見ると、土の上に置かれた板の上に座っている。
近づいても逃げようとしない。
まるでひなたぼっこでもしているかのように、目を細めてじっとしている。
「なんだい?こいつは。」
と思い、俺もしゃがんで観察する。
よく見れば可愛い顔をしている。
ねずみはドブとか下水管とか不潔な所に生息しており、病原菌を持っていたりする。
だから毛嫌いされるが、ほ乳類であるから、は虫類よりは感情移入がしやすい。
それにしてもこいつはネズミにしてはずいぶんのろまだ。
俺が近づいても「仕方ねえなあ。」という趣で、のそのそ亀のように向きを変えて逃げてゆく。
およそネズミらしくない。
こいつはネズミ界の「目やに」かも知れない。
こいつの隣に「目やに」を連れてきたとしたら、こいつも「目やに」も一緒に寝そべってひなたぼっこをしているかも知れない。
そうこうしている内に米屋が、頼んでおいた糠を配達に来た。
2袋で30K、1200円也。
早速畑に行き土に鋤き込む。
天気が良いのであちこちで畑をいじっている。
もう苗を植えている人も居るが、我が家は6月になってから植えようと思っている。
それから妹のマンションの管理費を払いに厚別に行く。
管理組合から名義変更を勧められるが、後見人の認可が下りなければどうにもならない。
ずいぶんかかる物だ。
婆さんが惚けていなければ遺産放棄させて、兄弟で分けて終わりだったのだが。
その帰りに百合が原公園に行く。
雪解けの頃に行ったら温室が閉まっていて入れなかった。
それで入ってみたら、まあ、北大植物園の方が見所が沢山あるのだが「水琴窟」があるのを見つけたのが収穫だった。
仙台に住んでいた頃どこかに行って「水琴窟」を見たのだが、それが何という名前なのか忘れてしまって、ネットでも探しようが無かったのだ。
その時見た「水琴窟」は底に穴を開けた甕が地面に埋まっていて、穴に水を注ぐと、くぐもった不思議な音が響いた。
江戸から明治に流行ったもので、つくばいや手水鉢の水を使って音を鳴らしていたらしい。
http://www2.tokai.or.jp/hikaru/index01.html
風雅なものだねえ。
喉に刺さった棘が抜けないような気持ちが一つ解消された。
「パークポイント」にカレーを食べに行く。
いつものようにスープカレーを注文し漫画を読みながら食べていると、窓辺に座った人たちの会話が何気なく聞こえてくる。
ベースがどうしたとか、音楽の事を話しているようだ。
何気なく斜め向かいを見ると、ギターケースが壁に立て掛けてある。
「ああミュージッシャンなんだな。」と思い、顔を上げると痩せた横顔が見えた。
その横顔を見て「んん?」と思う。
さらに話を聞いている内に「たぶんそうじゃないか」と思い始める。
そのうちに話をしていた人が「ゆうさんね、、、」と話しかける。
それで間違いないと思い「もしかすると佐々木幸男さん?」と尋ねるとそうだと言う。
やっぱりと思い
「俺、中学、高校で一緒だった菅沼なんだけど、、」
というと、一瞬考えていたが
「ああ菅沼?」
ということになり、学生の頃の話で盛り上がる。
相手は歌手の佐々木幸男でもう40年も会っていなかった。
話を聞いてみると、中学生の頃、共通の友人のJ君の家で良く集まっていたらしい。
J君は当時ブレークし始めたビートルズのファンで、ビートルズのレコードを持っていてそれを一緒に聴いていたらしい。
もっとも俺はビートルズには興味が無く、J君と仲が良いから遊びに行っていただけなのだ。
佐々木は確か転校生だったと思うが、中学生の頃から今の声で
「カラスみたいな声だな。」
と早生まれで同級生とまるまる一歳違い、声変わりもしていない俺は思った。
高校でも同じクラスだったが、卒業後は全く会うこともなかった。
その後彼は歌の道に進み札幌を離れたが、札幌での生活の事は懐かしく思っていたらしく、いまだに同級生の名前をすべて言えるという。
クラスの名簿の順番は佐々木功一、佐々木裕典、佐々木幸男 そして俺だったと思う。
彼の話によれば、この中で佐々木功一は若くして鬼籍に入ってしまったという。
テレビ局に勤めたと風の噂で聞いたが、31歳という若さで亡くなったらしい。
その他にも出始めのホンダのナナハンで事故を起こし死んだ奴もいた。
それぞれ同級生と会っては居るんだが、佐々木幸男とは会う事が無かったなあ。
それで7月に新札幌のサンピアザでライブをやるというので行く約束をする。
パークのマスターが「どんぐり村」のことを話すものだから
「何の音楽やってるの?」
と聞かれたので、わっしょい祭りのチラシを渡す。
40年も疎遠だったのに、偶々「パークポイント」で会うなんて不思議だなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=DwpldCeAELw
郷ひろみの中の人は大変だと思う。
俺と五つくらいしか違わないから55歳くらいの筈だ。
それが異常に切れの良い踊りを、CMやらライブで披露するわけだ。
夜遅く仕事を終えて家に帰った時、ヒロミ・ゴーの着ぐるみを脱ぐと一気に疲れ果てて、だらしなく脱ぎ捨てられた服のようにソファーに横たわるのかも知れない。
たまには別れた女房の友里恵に電話で愚痴をこぼすことも有るやも知れない。
「俺もさ、ほらキレイキレイで売り出したじゃない。『君たち女の子♪僕たち男の子♪』なんてさ。若さと美貌が売りだったんだけど、人間50年も生きてりゃそらくたびれるよ。肉体的にも精神的にも。でもテレビ局は若々しくて綺麗なヒロミ・ゴーを求めている。
それは水泳やったり、ダンスの練習したりして老いる事に抵抗してはいるけれど、やっぱり無理が有るんじゃないかなあと最近思うんだよね。
肉体って重いもんだなあと感じ始めてるんだ。
加山雄三さんなんか若いよなあ。
ランチャーズの年下のメンバーよりずっと若く見えるもの。
力む事もなく若さを保てるってなんなんだろうね。
うらやましいよ。
やはり精神の若さなんだろうか。
加山さんって趣味が沢山あるものなあ。
ヨットに音楽にスキー。絵だって玄人はだしで画集も何冊も出してるし。
好奇心を持つって事が若さを保つ秘訣なのかも知れないなあ。
最近ファンの人に『ちょっと老けたんじゃない?』と言われてショックだったよ。
だって55なんだぜ。
還暦間近なんだぜ。
皺があったっておかしくないさ。
でもヒロミ・ゴーを演じなくなったら一気に老けるような気がする。
聖子さんは若いって?
彼女は整形してるんだろ?
デビューしたときは一重まぶただったのが、ある日突然二重まぶたになったもの。
皺延ばしやってるんだと思うよ。
歳を取ってからの整形というのは悪くないと思うな。
女の人は何時までも若く綺麗で居たいという欲求があるからね、それが元気の源になるんなら良いことだと思う。
男の場合歳を取って皺だらけになっても、高倉健さんや菅原文太さんみたいに渋みが出るんだけど、ヒロミ・ゴーの場合はそういうキャラじゃ無いしね、あぁ、もっと不細工に生まれればもっと楽に生きられたのに。」
などと贅沢な愚痴を言って、翌日またきらきらのヒロミ・ゴーの着ぐるみを着けて仕事に出かけているのかも知れない。
分子生物学者の福岡伸一さんって最近TVの学園ドラマにも出てない?
ちょっと予告編で似た人見かけたんだけど。
その福岡伸一さんの書いた「世界は分けてもわからない」という本の中で、眼球に入った光は網膜に届くのだが、透明な視細胞を貫通した光は網膜の後ろに貼られたシートに反射してもう一度視細胞を通過して光の情報を増幅していると書いてあった。
それで思ったのは俺の使ってるSONYのビデオカメラ。
こいつは撮像素子のCMOSの裏面照射という技を使って感度を上げているらしい。
それで暗い会場の多いライブの映像に適してると思って買ったのだが、確かに全然違うのだ。
こいつが眼球の構造を無意識に模してしまったのかと思っていたのだが、そうではないようで、眼球でいえば視細胞の前に神経回路が貼られていて受光の邪魔をしているのを、視細胞の後ろに持っていったということらしい。
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/0903/12/news113_2.html
しかしさらなる感度アップには生命が長年試行錯誤した結論に達し、似たような構造を取るのだと思う。
中学生の頃好きな女の子が居て、授業中にどうしてもその子の方に視線が行く。
「となりのトトロ」のカンタがサツキを盗み見る様な状態だ。
すると何回かに一度、その子もこちらの視線を辿って振り返る。
誰かの視線を感じる。
それが危険な物か、あるいは友好的な物であるのか、動物は見分けるんじゃないかな。
その情報というのは好きな、或いは獲物を見つけ凝視した捕食者の眼に捕らえられた画像が眼球の底に貼られた反射シートに反射し眼球から放射される。
その放射光を生き物は知覚してるんじゃないかと。
勝手な解釈かも知れないが、そんなこと福岡さんは言ってると思う。
自分の眼球から発せられた光が、視線の先の人を傷つけてしまうという恐怖感をずっと抱いていた。
ようやく最近になって、その視線は他人を傷つけるばかりじゃ無いんだと気づいた。
田中林檎園の田中はネィティブな津軽人だから訛りがきつい。
ある時純子が電話機を持ってきて
「田中さんだと思うんだけど良く分からないから代わって。」
と言う。
俺なんかは長い付き合いだから90パーセントくらいは解るが、初めての人だと難しいかも知れない。
そんな純子も半日会話をしていると理解できるようになった。
それどころか、帰ってきてもイントネーションが津軽弁っぽくなってしまった。
影響されやすい女だ。
津軽弁って平安時代の京言葉がかなり残っている。
雅な言葉なのだ。
フランス語にも聞こえるしね。
田中が最初に赴任した高校は、今は五所川原市の一部になってしまった市浦村の分校だ。
市浦村と言えばロマン溢れる偽書「東日流外三郡誌」をベースに編纂した「市浦村史」が有名だ。
何せ岩木山が出来る以前の事まで書いてある。
古代津軽にはアソベ族という部族が住んでいたが、大陸からやってきたツボケ族に追われて山奥に逃げた。
そのうちアソベガ森に噴火が始まり岩木山が出来てアソベ族は半ば死に絶え、ツボケ族と混血した。
その後神武天皇に追われた安日彦、長脛彦やら、晋からやってきた一族やら、果ては台湾の高砂族やら色んな種族が混ざってアラハバキ族となり、その子孫が安藤氏で、十三湖を拠点として国内は元より、インドやらロシアやらとも交易し繁栄したのだが、鎌倉時代に起こった津波によって一夜にして安藤水軍は滅亡した。
十三湖の湖底にはその時の遺跡があって、光の加減によっては石畳が見えることがあるといった、とってもロマンチックな話なのだが、すべては作り話らしい。
十三湊はー♪西風強くて〜♪
と歌われる。
元々はじゅうさんみなとではなく、とさみなとと読む。
トー・サム(湖のほとり)というアイヌ語が起源らしい。
サロマ湖のような砂嘴が作った海水と淡水の混じった浅い湖でシジミで有名だ。
昔はもっともっと湖面が広かった。
近年の調査ではっきりしてきたことは、鎌倉時代の津波の痕跡など無かったこと、十三湊の町は室町時代まで栄えていたということ。
安藤氏が水軍を率いていたというのも、十三湊があるからそうだったんじゃないかという推測らしい。
津軽の歴史というのは良く分かっていない。
神話的ではあるが勝者側には古事記や日本書紀という物が残っている。
でも敗者の歴史は口伝だけで、何時しかそれも忘れ去られてしまったのかも知れない。
鈴木ゆり子さんという人はただのおばちゃんで、家計の足しに仕事をしようとしたのだが高校中退、つまり中卒という扱いでハローワークに行っても仕事がない。
それで自分で仕事を始めようとしたが、騙されて中古のアパートを買ってしまう。
案内された部屋はそれなりだったのに、他の部屋はドアを開けると入り口に便器がごろんと転がっていたりと廃墟同然だ。
旦那と二人途方に暮れてしまった。
でもその後おばちゃんパワー全開し、自分でリフォームし、ハウスクリーニング会社で掃除のノウハウを学んだりして、不動産会社が敬遠するような物件を価値ある商品に蘇らせ、いくつものアパートを経営し年収1億円以上稼ぐようになった。
ゆり子さんが買う物件はぼろいアパートばかりだ。
安く買って自分で掃除をしペンキを塗り、旦那は壁紙を張り替える。
そして安い家賃で貸すから部屋は常に埋まっている。
人情長屋の大家のように、店子がだらしのない生活をしていると乗り込んでいって叱りつける。
でも面倒見が良い。
そのアパート経営の手腕を買われ、他人のアパートの大家も任されている。
この人、普通にパートの仕事があったのなら年収1億の主婦にはなっていなかった。
ただのパートをしている主婦で終わったろう。
近所でも良く道ばたで井戸端会議をしている「鈴木ゆり子」さんの様なおばさん体型の主婦を見かける。
しょっちゅう近所の奥さんたちと情報の交換をしているから町内の事は何でも知っている。
「奥様は魔女」に出てくる、サマンサの家を常にのぞき見しているグラディスみたいなものだ。
ゆり子さんもグラディス的おばさんも同じように情報は得るのだが、ゆり子さんの場合はアパート経営という目的があるから情報の取捨選択がなされる。
グラディスの場合も一応は選択はされるのだが野次馬的選択で、自分にとっては価値のある情報なのだが旦那にとっては無価値なので
「変なのはお前の頭だあ。」
と新聞から眼を離そうともせず呟かれるという事になる。
ゆり子さんの周りにはブレーンが沢山いる。
法律に詳しい者、アパート経営の先輩。
そういう人たちに支えられているわけだが、そういう人たちを周りに引きつけておくのも才能なのだろう。
アパート経営という目的のために情報と人を集め判断し行動する。
かんから菅と代わってもらえないかな。
ブラジルの首都って何処だか知ってる?
サンパウロでもなくリオデジャネイロでもない。
ブラジリアなんだよね。
元々西海岸のリオが首都だったんだけど、内陸との経済格差の解消のため1956年に大統領に当選したジュセリーノ・クビチェックが首都移転を宣言し1960年に首都にしちゃったんだよね。
内陸の高度1100メートルの土地に無理矢理都市を造ってしまった。
造ったは良いが河川も無いから物を運べない。
移動手段は車だけ。
人口200万人だから札幌くらいの規模の都市かな。
官庁の建物はブラジルの有名な建築家が設計した、とても未来的なデザインだ。
シンプルな直線と曲線を使った無機的空間だ。
高校生の頃に日本人の写真家が魚眼レンズで撮影したブラジリアの国会議事堂の写真を見た。
魚眼レンズで地べたから建物を俯瞰している。
魚眼レンズを使うと地面の水平線も建物の垂直線も湾曲する。
湾曲した地平から立ち上がっている湾曲した白亜の建物。
放物面鏡が一点に焦点を結ぶように、湾曲した景色は黒ずんで見えるくらいの蒼穹に焦点を結ぶ。
全ての方向線は空に向かっているのだ。
ある意味を表す角度というものがある。
銭湯で風呂から上がった時には腰に手を当てて、斜め30度の虚空を眺めるような姿勢でコーヒー牛乳を飲まなければならない。
何故ならその斜め30度の視線の先にある物は未来とか希望といった物なのだ。
これが90度だとどうだろう。
絶望の中で「神様、何故救ってくれなかったのですか?」と天頂を仰ぎ見るという表現になってくる。
0度の視線は現実を見つめる視線。
マイナス45度となると何か落ちていないか捜している貧乏ったらしい状況とか、鬱々と自分の内側に落ち込んでいる角度となる。
仰角30度というのは「俺の意志で未来を切り開いてゆくぞ!」という決意を表している角度なのだ。
だから自衛隊員の募集のポスターなんかは斜め30度の空をきりりと見つめている図柄になっている。
そんな訳でその写真の視線の指し示す明るい未来、若々しさの象徴である碧空に深い感動を覚えた俺はブラジルに憧れ、ブラジルに行きたいと思い、サンバやボサノバを聴く男になった。
しかしこの製図板の上で作られた人工的な街は暮らすのには不便で、美術館に飾られているモダーン彫刻の鋭いエッジの上で生活しているようで腰が落ち着かない。
自分自身も彫刻になってしまったような気がする。
俺の手元に昭和16年発行の満州の街「新京市」、今の吉林省「長春市」の地図がある。
この新京という街には18世紀からの旧市街地があり、日本が作った新しい市街もある。
その中間を結びつけるように中国人が作った市場街もあるのだが、日本が都市計画の一貫として幾何学的に作り上げた町並みと、中国人が生活してゆく上で自然にできあがった雑然とした町並みは、一つの路を挟んであからさまに変わっている。
西洋的近代化を成し遂げなければ生き残ることは出来ないと考えていた日本。
さして計画性も無く自然と出来上がった中国の雑然とした家々。
その間を胡同という道幅9.3米以下の細い路地がゆらゆらと走っている。
その路地では子供達が遊んでおり、物売りが家を訪ねて物を売っていたかも知れない。
地図上で見る、まるで押し寿司の様に並んだ日本の家々にしても、そこには生活感があり、近くの中国人の経営する市場に食料を買いに行ったり、たまにはおしゃれをして百貨店に一家そろって買い物に出かけたかも知れないと想像が出来るのだが、ブラジリアの写真にはそこが生活空間であることが感じられない。
SF映画の未来都市を何もない所に造ってしまったのだが、そのために国家財政を逼迫してしまった。
リオやサンパウロといった大都市からは離れていて、産業も無い。
内陸と海岸を結ぶ飛行機の中継基地ぐらいにしかならない。
確かに官庁の建物たちはモダーン彫刻の様に素敵だが、街としては駄目。
頭でっかちの人間の妄想が生み出した効率の悪い都市。
従って誰もブラジルの首都がブラジリアなんて知らない。
リオデジャネイロかサンパウロと思っている。
頭でっかち野郎の描く理想だとか未来なんてものは、そいつの頭の中だけで妄想していて欲しい。
特に政治家は現実的で無ければならない。
左翼運動家上がりの、頭でっかちの、非難する技術には長けてるが、創造する事が何も出来ない首相をこの未曾有の大災害時に持ってしまったのは不幸だった。
阪神大震災の時にも左翼の山羊みたいな爺が首相で、初動が遅れて被害を拡大させたし。
左翼なんてのは頭でっかちで、危機管理なんてこなせないよ。
所詮遊びで「革命だ!」なんて騒いでいたんだから。
ヤクザの頭の方がよっぽど危機管理出来るんじゃないかい?
外国で災害が起こった時に救援物資を奪いあっていたりする。
日本人の感覚からすると
「なんでこんな時に自分さえよけりゃなんて思うんだろう。」
と考える。
品性下劣だと思う。
今回の地震の時にも自分だって家を流されて避難民になっているのに、もっと困っている人たちがいる筈だからその人達を助けてあげてくださいと言っている人たちを沢山見た。
日本は島なのだ。
何処にも逃げられない。
良くも悪くも日本村なのだ。
今は飛行機や船に乗ってこの国を捨て外国に住むという選択肢もある。
でも俺はたとえ放射能が降ってこようが、地震や津波が来ようがこの国で死のうと思ってる。
映画「七人の侍」の中で野武士が村を襲ってくる。
自分さえよけりゃという百姓がいて勝手な行動を取ろうとする。
普段温厚で、いつも目がほほえんでいる島田 勘兵衛が血相を変え、刀を抜き百姓の前に立ちふさがる。
「己の事のみ思う奴は己をも滅ぼす。そんな奴は、、、。」
と言って後の句を継がない。
この日本という島国では互いに助け合わなければ生きて来れなかった。
台風、地震といった災害が常にやってくる。
そんな中でも逃げることが出来ない。
だから互いに助け合う。
他人の痛みを自分の痛みと思い助けてあげなければ、いずれ自分を滅ぼす。
これがアフリカとか中国といった、何か事があれば歩いて逃げてゆけば良い人たちなら、とりあえずてめーの生き延びる食料だけ確保して後は野となれ山となれと決め込むことが出来るが、日本という島国はどんな悲惨な事が起こってもこの国に生きる、みんなで生きやすいようにしてゆくしか無かったんだと思う。
それがこの国の精神の支柱を作った。
日本は品性の高い国だ。
その国を我々のご先祖様は守ろうとしてきた。
だから俺もそれを子供達に遺さなければならない。
放射性物質がそこいら辺に転がっていたって蹴飛ばして生きてゆく。
美善ちゃんが遊びに来た。
まだ納骨していないので我が家には妹の遺骨と位牌が飾ってある。
美善ちゃんは拝むと言って位牌の前に座った。
見ているとおりんを鳴らし始めた。
普通我々は一回かせいぜい二回だと思うが、美善ちゃんはドラマーであるからケチケチしない。
おりんを乱打し始めた。
思わず吹き出しそうになったが、こらえて見ていた。
すると今度は
なんまんだぶ なんまんだぶ
と拝み始めた。
拝み終わってから何かぶつぶつ喋っている。
純子が耳を凝らして聴いてみたら
給料が下がりませんようにとか、稚内に転勤になりませんように、とか言っていたらしい。
神社じゃないんだからさ、妹もそんなこと頼まれても困ると思うんだよな。
仕方ないなあ。
美善ちゃんの為に玄関に鳥居を立て、鈴をぶら下げ、賽銭箱を置いてあげよう。
地球の大気組成は78%が窒素、21%が酸素、残りをアルゴンやら二酸化炭素が占めている。
この地球上の酸素は太古の海でシアノバクテリアが作ったものだ。
今から2億5000万年前の古生代ペルム紀と、中生代三畳紀の間で生命の大絶滅が起こった。
殆どの生物が死に絶えた。
原因は超巨大大陸パンゲアの下から、外殻で暖められたスーパープリュームと呼ばれるマントルの巨大上昇流がわき上がってきて大陸を引き裂き、激しい火山活動を起こしたのではないかという説が有力だ。
それまでは大気の酸素は30パーセントあったのが10パーセント台にまで下がってしまった。
その時ほ乳類の先祖は横隔膜を作り、鳥の先祖である恐竜は気嚢を作って酸素濃度の低下に対応した。
横隔膜での呼吸は肺に入れた空気をはき出さなければ空気を吸うことが出来ない。
使い古しの空気と新しい空気が混じってしまい効率が悪い。
でも気嚢は息を吸った時に気嚢に空気を溜め込み、一部を肺に送り呼気を出口の気嚢に溜め込む。
息を吐くときには出口の使い古しの空気を吐き出し、新鮮な空気を溜め込んだ気嚢が収縮して肺に空気を送る。
鳥は息を吸うときにも吐くときにも肺に空気を送り込めるのだ。
肺は熱交換機みたいなもので、その周りにポンプが2つついてるようなものだ。
おっと2つではない。
気嚢はいくつもついている。
骨の中にさえ空気を溜め込んでいる。
気嚢を持つ利点は気嚢にためる空気によって体温を調節できる。
高度な運動能力を持てる。
体重を軽くすることが出来る。
恐竜ってのははじめから優れた機能を備えていたのだ。
実はほ乳類というのは恐竜が絶滅してから繁栄したのではない。
古生代石炭紀の頃からペルム紀の後期に繁栄していた、ほ乳類型は虫類というほ乳類の祖先が居て、最盛期の恐竜のような地位を占めていたのだ。
しかしペルム紀末の酸素不足に対応した方法が違っていたために恐竜が中生代の覇者となり、我々人類の祖先のほ乳類は森の中で巨大は虫類におびえて暮らす小さな生き物に成り下がってしまった。
活動できるのは夜で、周囲の状況を判断するために嗅覚が発達した。
脳幹の周りを取り囲むように大脳辺縁系が出来る。
5感の内嗅覚だけが直接大脳辺縁系に信号を送っている。
他の感覚は大脳皮質や視床を経由してから大脳辺縁系に送られるのだ。
ある臭いをかぐと昔の思い出がまざまざと浮かぶのは、脳によって変形された情報ではないからだろう。
大脳辺縁系は進化につれ「学習」と「記憶」の能力を発展させてゆく。
1億年前ほ乳類の脳は大脳新皮質を獲得する。
そして6500万年前の生命の大絶滅の後、ほ乳類はもう一度表舞台に登場する。
栄枯盛衰は人の世の常というが、生物界においても同じだなあ。
又一度滅びかかった生き物もこつこつと力を蓄え続けていれば再び覇者となることも可能なわけだ。
恐竜から気嚢を受け継いだ鳥は、12000メートルを飛ぶジェット旅客機のエンジンに吸い込まれた事もある。
たまたま環境の変化に適応した結果、空を飛ぶ能力を獲得したのだ。
サイエンス・アイ新書 金子隆一著 「大量絶滅がもたらす進化」
なんて本を読むと、生命は絶滅があったからこそ進化してきたという。
納屋を整理していたら昔の本が出て来た。
科学の入門書みたいな物だが発行が昭和62年、今から23年も前の本である。
恐竜を滅ぼしたのは隕石の落下だったらしいと書かれてはいるが、ユカタン半島のチクシュループクレーターについては記述されていない。
まだ何処に落ちたのか解っていなかったのだろう。
東大のTORON計画のことも期待を込めて書かれているが、その後、孫正義とビルゲイツとアメリカ政府によってつぶされる事になるとは思いもしなかったろう。
科学の本って古い物は役に立たない。
まあ雑学の本だから読み飛ばすには手頃だ。
科学に関する様々なエピソードが書かれている。
その中で面白かった物を一つ二つ紹介すると
アメリカの原子力技術者ガレン・ウィンザー氏はアメリカの原子力規制が厳しすぎて発電コストが上がってしまうのに業を煮やし
「ウランなんか食ったって大丈夫だ」
と言い、ウランの酸化物を食べ続けた。
そして
「定期的に健康診断を受けているが、ウランが自分の身体に悪影響を与えた形跡は全くない。」
と、豪語していたという。
それでネットでガレン・ウィンザー氏のその後はどうなったのか調べたが解らなかった。
放射線障害で亡くなってしまったのか、或いは23年も経っているので自然の摂理のまま地上から消え失せたのか、或いは未だにぴんぴんしていて
「ウランを食べるようになってから関節痛も無くなり、ほら、このとおり」
と階段を元気に上がり下りしているかは解らない。
トカゲ等の爬虫類には第三の目があるという。
第三の目は頭頂にあり太陽の熱を感知して体色を変えたり、日陰に隠れたりしている。
その第三の目の名残は鳥類やほ乳類にもあって、間脳上部にある松果体がそれだという。
第三の目=松果体説は知ってたけれど、元々はそういう役割の器官だったんだ。
こんなのもある。
インポの治療法で「シリコンつっかえ棒法」という治療法を西ドイツで開発した。
銅線の束を詰めたシリコン棒二本を海綿体の中に埋め込む。
普段は折り曲げておいて、いざという場合は真っ直ぐに伸ばして使用する。
150万回の折り曲げに耐えられるという。
まあ仮におしっこをする時にも直立させるとして、150万回も使うものかねえ。
日本の科学者も負けては居ない。
銅線の代わりに形状記憶合金を使う。
体外のバッテリーから電流を流し温度が摂氏45度まで上がると、あらかじめ記憶されていた角度に立ち上がるという。
しかし45度って高すぎないかい?
事が長い時間に及ぶと低温やけどしそうだ。
その後そんな物が市販されたという話も聞かないから、需要が無かったのかもしれない。
知り合った時から純子は料理が上手かった。
スナックなのに美味しい料理を出してくれた。
一番好きだったのはラーメンだなあ。
ラーメンなんてスナックで出すかい?
スナックのお通しっていうのは原価が安くなければならない。
これ、店側の言い分。
酒のつまみとして美味しい物でなければならない。
これ客の言い分。
安く、なおかつ美味しい物をさりげなく出せるって事、これがプロだ。
純子は自分も酒を飲むから、飲みに来た人間の気持ちも分かる。
だから酒飲みが喜ぶ料理が作れる。
店をやめて今、純子はお金も手間もかけて美味しい料理を作ってくれる。
料理作る事が好きだから、色んな所の味を覚えさせたいと思う。
金と手間をかければ美味しい料理は作れるよ。
でも純子の偉いところは、冷蔵庫の中のあり合わせの材料から美味しい物を作ることが出来る才能だ。
「こんな物冷蔵庫の何処にあったんだい?」
と、思うような物が素早く次々と食卓に並べられる。
昔タケシのコントで料理番組をやっていて、
「何処の家庭の冷蔵庫にも普通、眠っている食材ですが、、、」
と言いつつ、1メートル以上あるカチカチに凍った本マグロを抱えてまな板に載せていたが、こんなの築地に行かないと転がっていないよ。
あり合わせの材料で美味しい物を作れること、これは才能さ。
世のグルメ番組では世界中の様々な料理が紹介されていて、勿論美味いんだと思う。
でも俺が長期出張で何ヶ月もホテル住まいをしていたときには、大腸癌の後ゆえ繊維の多い食べ物を食べないと、と食堂を探したのだが、繊維分の多い家庭料理風の料理を出す店って無かったなあ。
「お袋の味」的食堂ってなかなか無いんだわ。
我が家の食費ってあんまりかかっていないんじゃないかなあ。
量も食わないし、山菜だとか、釣ってきた魚や肉を貰ったりする事も多いし。
この歳になると量より質、美味しかったという思い出が大切なのさ。
植村直己の遭難の謎
ブルーレィデッキが勝手に録画したアルプスのモンブランの映像を見る。
真っ白な雪を頂上に纏ったアルプスの山々の美しさに圧倒される。
この風景を見たら昇ってみたくなるのも仕方がない。
しかし山は危険だ。
沢山の登山家が遭難死している。
エベレストなんて1953年の初登頂から300人以上が死んでいる。
高度の高い場所にある死体は低温と乾燥のために腐らない。
そして遺体を回収するのに危険が伴うので放置されることも多いらしい。
だからエベレストなんて死骸だらけの所を登っているらしい。
富士の樹海並みの死体遭遇率かも。
日本の有名登山家も沢山、山で死んでいる。
新田次郎の「孤高の人」のモデルであった加藤文太郎。
加藤保男、長谷川恒夫、植村直己。
植村直己の遭難は謎めいている。
1984年2月1日マッキンリーの頂上を目指してベースキャンプを出発した植村は、2月6日の書き込みが最後の日記を4200メートルの所に掘った雪洞に残して行った。
そして2月13日午前11時に小型飛行機のパイロットとテレビカメラマンと無線で交信、強風のためとぎれがちな交信の中で、
2月12日午前6時50分にマッキンリーの頂上(6194M)に立った事が報告される。
その連絡を最後に消息を絶ってしまう。
悪天候で飛行機も飛べず、ようやく飛行機が飛んだのは2月15日だったが植村を発見できなかった。
パイロットはタルキートナ・エア・タクシーのダグ・ギーティング。
彼は植村と親交があり、今回の登頂をバックアップしていた。
この飛行も植村のことを心配して自発的に飛んでくれたのだ。
翌16日再度飛んだ彼は、4900メートルの雪洞から半身を出して手を振る植村を発見した。
植村との事前の打ち合わせで救助が要らない場合は手を振る、必要な場合は手を振った後座り込んで動かないということになっていた。
植村はセスナが上空を飛ぶ度に手を振ったので、彼は大丈夫だと判断し引き返した。
しかし植村は何時まで経っても現れない。
それで「植村直己第一次救援隊」が明治大学山岳部炉辺会により組織され、24日に成田を発った。
そして3月5日にアタックキャンプとして使ったであろう、5200Mに作られた雪洞を発見する。
そして彼らは植村が此のアタックキャンプに戻れなかったことを確信する。
何故ならそこにはほとんどの装備が雪を被った状態で残っていたからだ。
アタックに必要な最低限の装備を持ってここを出発した。
でもここには戻らなかった。
するとダグが見た植村の姿は何だったのだろう。
この雪洞を見付けられずに4900Mの雪洞まで降りてしまったのか。
(4900Mの雪洞にはカリブーの肉、ホワイトガソリンが1ガロン、ビスケット、インスタントコーヒーなどが残されていた。)
5200Mの雪洞から先の下山ルートはすぐ稜線で狭くなっているため、雪洞を見失うというのは考えられない。
するとここより上で遭難したとしか思えない。
そうなるとダグが見た手を振っていた植村の姿は見間違いなのか?
それとも幽霊だったのか。
山にまつわる幽霊話は沢山ある。
昔の「山と渓谷」なんかにもそんなコーナーがあった。
新田次郎の著作にも山の怪談話が沢山ある。
1960年9月19日谷川岳一の倉沢の衝立岩に、2人の登山家が宙づりになっているのが発見された。
双眼鏡で死亡は確認されたが当時この岩の登頂は一例しかなく、二次遭難の恐れがあり、最終的に自衛隊が機関銃でザイルを切断した。
使った弾丸は1300発だったという。
これはテレビのニュースで放送され、俺もその落下の衝撃的な映像を見た。
そしてうわさ話として、一の倉沢では夜機関銃のタタタタという発射音が聞こえるという。
山というのは野生の感覚を呼び起こす場所だと思う。
だから普段見えない物も見えるのかも知れない。
C・W・ニコルさんの「冒険家の食卓」という本によれば、ニコルさんと友人が地元で幽霊島と呼ばれている無人島にキャンプに行った。
この島には昔は人が住んでいて廃屋がある。
庭が果樹園になっていて、そこを通るとお爺さんの姿が見えた。
でもニコルさんはそんな事はあることだと思い、通り過ぎた。
後で聞くと他にもその廃屋で老人を見た人が沢山居たらしい。
でも、この島にはアサリ、ウニ、海草が沢山あって食い物には困らない。
冒険家は美味しい物を満喫して、キャンプを楽しんだらしいよ。
お前は本当にサイクロンなのか?!んっ?!
掃除機が壊れたので買いに行ったさ。
この壊れた掃除機は安かった。
今の白物家電なんて、ほとんど中国で生産している。
このH社の掃除機は間違いなく中国で生産された物だ。
安いだけが取り柄の掃除機と割り切っては居たが、毎日掃除機を使ってる俺としては、欠点が目に付いてきて、「早く壊れてくれねーかな」と思っていたので買い換える口実が出来た。
普段は「とりあえずは治してみよう」なんてするのだが、そんな気持ちも起こらずヨドバシカメラにまっしぐら。
ヨドバシには様々な掃除機が置いてあり、どれを選べば良いのか分からない。
D社のサイクロン式掃除機は出始めの頃から気にかけており、そのエイリアン風の形態も、空気の流れで渦を作りゴミを遠心力で振り落とすという原理も気にいっていた。
しかしなんといっても、このえげれす製の掃除機は価格が高い。
我が家はほとんどフロア貼りだ。
これが絨毯であれば、手足の鈎爪を繊維に引っかけ、掃除機の風に抗って飛ばされまいと踏ん張っているダニを無理矢理引っぺがし、遠心力で目を回させてゴミ格納部に放り込んでしまうD社の掃除機は威力を発揮するかも知れないが、フロアではそれほどの吸引力は必要としないであろう。
そうやって思案投げ首しているところにヨドバシの店員がすり寄ってきた。
「掃除機をお探しですか?こちらはサイクロン式の掃除機なんですが」
と指さす方を見ると、青いプラスチックカバーの奥にゴミ収納部が透けて見えるH社製の掃除機が置かれている。
値段も手頃だし何でもいいやと思いそれに決めた。
家に帰り組み立てている内に、何をもってこの掃除機はサイクロン式と謳っているのだろう、という疑問が沸々と湧き上がってくる。
そも、サイクロンというのはインド洋の台風で、アメリカではハリケーン、日本ではタイフーンということになる。
強烈な渦をイメージさせる。
俺は公害防止管理者の大気関係の第四種の資格を持っている。
遙か昔に取った物で、実際にそういう仕事に関わったことが無いからすっかり忘れてしまったが、燃やされ、煙突から排出される煙に含まれる粉塵の処理方法について勉強した。
その中でサイクロン式集塵機という物が出てくる。
形としては三角錐の下部側面に煙突を付け、それを逆さにしたものだ。
勢いよくサイクロンに侵入した煙は壁面に沿って渦を巻く。
その遠心力で煤などが落下してゆき、煙は三角錐の底の煙突から排出されてゆく。
D社のサイクロン式掃除機は当に此のサイクロン式集塵機を沢山束ねたような構造をしていて、透明なカバーの中に三角錐のサイクロンが見えている。
しかし、サイクロン式だとあくまでも言い張っている俺の掃除機はどうだ?
何処にも三角錐の構造物など見当たらない。
青い半透明のカバーを開けると、これ又半透明なゴミ収納部が格納されて居る。
それを引っ張り出してよく見れば、フィルターが付いている。
これはただのフィルター式掃除機だろう!
「お前は本当にサイクロンなのか?!今白状すれば情状酌量の余地はあるぞ!」
と机を叩いて詰問したくなる。
それとも何処かにサイクロン構造部が隠れているのだろうか?
D社のサイクロン式掃除機と似ているのは、強いて探せば中の構造が透けて見えてるくらいだ。
そういった疑問を払拭しきれずに、いつもの朝のように掃除をしていると純子が
「その掃除機なんで苦しそうに呻ってるの。」
と言う。
改めて耳を澄ましてみれば動かす度に「うーん、うーん」と苦しそうな声を出している。
ヘッドのブラシが回転する音なのかも知れない。
でも俺は、
「本当は僕はサイクロンじゃないんだよ。嘘ついててごめんよ。うーん。うーん。」
と、良心の呵責に耐えかねてつぶやいているような気がする。
我が家の近くの新川の土手から街の方を眺める。
中心街の高層ビルが望める。
我が家からあの辺りまで12キロ、6500万年前にユカタン半島に落下して恐竜を絶滅させたという隕石の直径だ。
ここから三越デパートまでの巨大な玉を想像する。
しかし地球の直径6350キロに比べると、サッカーボールに落ちた砂粒より小さいのかも知れない。
埃のような物だろう。
そんな地球史にとっては些細な出来事でも、生物にとっては一大事件になる。
地球は何度も生物の大絶滅を経験している。
最大の物は古生代のペルム紀末期(2億5000万年前)のものだ。
生物の90から95%が絶滅している。
原因はパンゲア大陸という超巨大大陸が出来、大陸の下に熱が溜まりマントルからスーパープルームが昇ってきて大陸を引き裂く火山活動が起こり、気温を上昇させ、深海のメタンハイドレードが気化し酸素濃度が低下したという説がある。
メタンガスは二酸化炭素の21倍も温室効果をもたらす。
悪循環に陥ってしまった訳だ。
大気中のメタンガスの16から25パーセントは牛のゲップから生じている。
CO2削減なんて、日本なんかはぎりぎりまでやってるんで限界だ。
25%の削減をすると言うなら、ポッポ鳩山は息をするなと言いたい。
自然の中で発生するメタンは防ぎようがない。
だとしたら全ての牛にメタンガス回収装置を背負わせる方が良いんじゃないの。
本当に地球が温暖化に向かっていて、それが人類の生きてきた行為の結果だとしたら。
ヒマラヤの氷が溶けると言うのも嘘だと分かったし、むしろ地球は寒冷化に向かってるという学者もいる。
誰も本当の事は分かってないんでないの?
だけどそういう噂を流して世論を操り商売にしようとする輩や、国家があるんじゃないのかな。
地球に優しいことをする気持ちがあるのなら、生物は死滅すべきなんだよ。
だけど仮に世界戦争が起きて、核爆弾が世界中の都市に落ちたとしても、1%くらいの人間は生き残るような気がする。
その後食料の不足で死に絶えたとしても、地殻の深くで生き残った生き物たちが海に、陸に上がり知的生命体に進化してゆくだろう。
地球君にとっては表面で悪さをしている虫けらなんて、滅びるんだったら勝手に滅びてくれて良いんで、替わりを作る時間はまだたっぷりあるんだと思う。
勝手に困ってるのは人類だけで、そんな物は地球君のシナリオの中で折り込み済みなんじゃないかな。
今日は一月に一度だけある夜業。
今週が一番忙しいかな。
黒澤明の「まあだだよ」の中で主人公の内田百間(うちだひゃっけん、門構えに日じゃなくて本当は月)の飼い猫が居なくなって、心配のあまり憔悴し果てているシーンがあって、そのエッセイを本屋で見付けて読んだ。
百間の隣の家の縁の下で野良猫が子猫を産んだ。
その猫が百間の納屋の屋根で遊んでいる。
そのうち百間の庭に降りてきて、奥さんが水を汲んでいる柄杓にからみついて遊びだした。
うるさくて仕方がないので柄杓を振って追い払おうとしたら、親に相手にされず退屈しきっていた子猫は遊んでくれるものと勘違いして、柄杓を追いかけ回した。
そのうちに水甕に落っこちて自力で這い上がってきたのだがずぶ濡れ、可哀想だからとご飯をあげたのが全ての始まり。
奥さんは猫なんか飼った経験がないし、百間もさほど関心も無かったのだが、毎日餌をあげているうちに情が湧き、子猫を飼うことにした。
そしてノラという名前を付けた。
いつの間にか老夫婦の家庭で、ノラは孫のような存在になっていったのだろう。
愛情を注いだノラが、ある土砂降りの雨の夜帰ってこなかった。
翌日は帰って来るだろうと思ったが、その次の日も帰らない。
百間は心配で堪らずご近所に訊ねて廻る。
一週間が過ぎ二週間が経ち、その間思うことはノラの事だけ。
心配で心配で、ノラはひもじい思いをしてるのではないか、何処かで死んでいるのじゃないかと、ノラの事を思うだけで涙が流れて来る。
ノラは風呂桶の蓋の上を寝場所にしていたのだが、風呂に入る気にもなれず20日が経って、流石に奥さんだけには風呂に入るように言う。
夫婦で心配していたのだろう。
百間は心配で心配で、あらゆる手を使ってノラを探す。
新聞広告に出す、週刊誌にまで広告を出そうとする。
もしかして外国人の家に住み着いたかも知れないと英文の広告まで出す。
どこそこでノラに似た猫が死んでいたので埋葬したと聞けば、行って土を掘り起こし、何処かで似たような猫を見たといえば訊ねてみるということが続いたが全て徒労に終わった。
仕事も手につかず、ノラとの思い出が蘇る度に涙が出て止まらない。
ノラは出前の寿司の卵焼きが大好きだったが、ノラのことを思い出してしまって悲しくなるので寿司の出前もやめた。
そうやって一月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎてゆく。
それでも百間は何時かノラが帰ってくるんではないかと期待し続ける。
百間の「ノラや」というのはそういう話なのだけれど、わかるなあ。
老年の夫婦が飼い猫が行方不明になって、突然愛情を注ぐ相手も、注いでくれる相手も居なくなる喪失感。
純子なんか子供の頃から動物が大の苦手で、「ネズミ殺しの純子」という異名を持っていて、旦那が飼っていたハムスターを窒息死させ完全犯罪を成し遂げた女だが、何故か近所の飼い猫のチョコだけは可愛くて、心配でならないらしい。
動物は大体人間より寿命が短い。
チョコも我々が生きてる間に死ぬだろう。
その時には純子はやっぱり泣くだろうな。
ブラジルで取材中のヘリが墜落する映像を見た。
本体が回転しながら落下してゆく。
こういう事故は良くある。
ヘリはホバリングしたり低速で降下する時に、回転翼の先端にボルテックスリングという空気の流れが出来るのだ。
通常、ヘリのローターは上から下に空気が流れてゆく。
ところがボルテックスリングが出来るとローターの周辺で回るだけの、小さな空気の流れが出来て揚力を得られなくなる。
それはテールローターも同じだ。
テールローターというのは、ローターの回転の反作用で本体が回るのを防ぐために反対方向の推力を発生させるプロペラで、ヘリの後尾で回っている小さな奴だ。
低空でボルテックスリングにはまると、エンジンの馬力に余裕がないと墜落する。
墜落を回避するには急降下すること。
しかし低空では出来ない。
エンジン推力に余裕があれば左ペダルを目一杯踏み、テールローターに推力を回し回転を止めることが出来る。
ボルテックスリング状態に入る前には兆候があるらしい。
ドッドッドッとローターの振動があるらしい。
その時に手当をすれば回復できる。
でも一旦ボルテックスに入ると低空だったら墜落するしかない。
風向きにもよるらしい。
ベテランになるとホバリング時には初めから風に向かって機首を立ててボルテックスを防ぐ。
フランスのヘリなんかはテールローターのボルテックスリングを防ぐために、プロペラじゃなくファンを使っているらしい。
ヘリってのはまだ完成された機械じゃ無いんだと思う。
最近気になっていることがある。
眼鏡をかけたショート・カットのおばさんの写真。
小学校から高校まで一緒だった同級生なんじゃないかと。
彼女は才色兼備、家が裕福でなかったから結局北大理学部に行ったが、東大も入れたと思う。
同じ様な成績の奴が東大に受かっていたから。
誰もが美人と認める容姿で、本人もそれは分かっていたらしく小さなおしゃれをしていた。
高校を卒業して疎遠になってしまったが、風の噂で学生結婚をしたと聞いた。
大学を卒業して三菱重工に入ったと聞いた。
最近になってちょっと昔の名前で検索したら、外務省の原子力の安全関係の仕事で同じ名前がヒットした。
IAEAの仕事でウィーンにも住んでたらしい。
北大や東北大で講演もしている。
でも、何故旧姓のままなんだ?同姓同名の別人かなと思っていたが、民間会社で長年原子炉設計をしていたという自己紹介も符合する。
「別人だよなあ。あの美少女がこんなおかっぱ頭のおばさんにならないよなあ。」
と思うのだが、よくよく見ると卵形の顔の輪郭、二重の大きな目、鼻筋、下唇が上唇より少し厚いところ、部分部分は彼女の特徴なのだ。
でも全体の雰囲気は、おしゃれっ気の無さそうなおばさん。
孫も居るらしい。
たまたま変な写真に撮れてしまったのかもしれない。
ま、思い出はそっとしておくに限る。
北海道にアイヌ語の地名が残っているのは当然だが、青森、岩手、秋田にも多い。
そこから南になるとぐっと少なくなってしまう。
しかしだからといってアイヌが居なかったわけではないと思う。
東京の地名にもアイヌ語らしき名前はある。
江戸−−イト(岬)
渋谷−−シンプイ・ヤ(泉の岸)
目黒−−「清く深い水の流れに住む衆」と言う意。
阿佐ヶ谷−− atui
samkaya 海へ下る岡の意。
山谷−− samkaya 下る岡。
浅草−− stukushi 海を越す。
日比谷−− pipiya 小石だらけの土地。
なんか無理矢理こじつけた様なのもあるな。
上野や日暮里なんかもアイヌ語から来ているという説もある。
ミトコンドリアDNAで調べると、日本人には7つの原集団(ハプログループ)があるという。
3万年から4万年前にハプログループBという集団が中国南部から渡ってきて縄文人のルーツになった。
さらにハプログループM7、ハプログループGもそれぞれ中国山東省、シベリアから朝鮮半島を経て日本にやってきた。
こういう人達が縄文人の祖先なのだろう。
3000年前より最近にハプログループA、とかDとかいう集団が朝鮮半島経由で渡来して、つまりこの人達が弥生人と呼ばれる人達なのだ。
残りはFとN9というグループでそれぞれ5%、7%を占めている。
日本人の37%を占めているのはDのグループで、つまり元は東アジアから朝鮮半島を経由してやって来た弥生人の末裔だ。
Dグループが37パーセントを占めているからといって、63人日本にいた所に、37人の弥生人が入ったということではない。
多分武力で優れていた為に、武力が弱かった原日本人が殺され、本当はもっとあった集団が滅び、現在は子孫が残っていないのでこういう割合になる。
強い物が子孫を残してゆくという、弱肉強食の法則に過ぎない。
琉球人とアイヌは元は原日本人だったものが12000年前に分岐したらしいと、ミトコンドリアDNAから分かっている。
日本に人が住み着いた4万年前というと、ネアンデルタール人がまだ居た頃だ。
北海道でいえば支笏火山が噴煙を上げている頃。
ちなみに32000年前に支笏火山が大爆発し今の支笏湖のカルデラを作っている。
この頃には縄文人の祖先である原日本人はすでに居たわけだ。
アイヌ民族は征服民族の弥生人が渡来するまで、日本中にいたのかも知れない。
それがだんだん北に追いやられ、住んでいた土地の名前も変わり、東北の一部と北海道に住むようになったのかも知れない。
岩手にアイヌ語の地名が沢山残っているのは藤原氏の影響があるのかも。
調べてみると面白いかもしれない。
「天空の城ラピュタ」では、海賊が飛行船を襲うときにオーニソプターが使用されている。
オーニソプターとは翼を羽ばたかせて飛ぶ乗り物で、空を飛ぶ事を夢見た時代に試作はされたが、実際に飛ぶことは出来なかった。
あれはアニメだから飛べるのだ。
羽根を羽ばたかせて空を飛べる重量は10キログラム程度で、それ以上重たい鳥はグライダーの様に滑空している。
だから飛行機はプロペラを用いて空を飛ぶようになる。
空飛ぶ乗り物でヘリコプターという物は燃料効率が悪い。
飛行機には翼という揚力を生み出す装置が付いているが、ヘリコプターは回転翼で揚力を生み出して居る。
だから垂直に飛び上がれる。
エンジンの作る力はほとんど浮く事に使われている。
浮くだけじゃ窓拭きにも使えないから、ローターを傾かせて前進させているわけだ。
そんな浮くのが基本目的のヘリでも、ジェットヘリなどは300キロ以上の速度を出しているのだから、飛んでるのが不思議だ。
飛行機には翼が付いていてプロペラやジェットエンジンで推力を生み出し、翼で浮き上がっている。
翼の断面は下が水平になっており、上部は前側がなだらかに盛り上がった形をしている。
この形状のため、翼の下面の空気はゆっくり流れ、翼の上面の空気は早く流れる。
すると翼の上面は空気の圧力が低くなり、翼は上に持ち上がる。
いわゆるベルヌーイの定理だ。
仮に地面と完全に真っ平らになるように150キログラムの鉄板を置いたとする。
そこに台風で風速50メートルの風が鉄板の表面を流れるとする。
するとその鉄板はベルヌーイの定理により持ち上げられ、吹っ飛んでしまう。
確かに飛行機のつばさはベルヌーイの定理で揚力を生み出して居るのだが、何故翼の上面を流れる空気の速度が速くなるのかは、空気力学や流体力学が発達し、コンピューターが発達し、やっと細かい計算が出来るようになってきたところらしい。
「飛行を理解する」という本を書いたデビッド・アンダーソンはベルヌーイの定理で翼の揚力を説明するのは誤って居ると言う。
ベルヌーイの定理で行くと宙返りをしたまま飛行すると、揚力は下向きに働き飛行機はいずれ地面に激突してしまうと言う。
言われてみれば「確かになあ。」とは思う。
でも現実に飛行機は空を飛んでいる。
さらにアンダーソンは、初期の二枚翼の翼は現在の翼の断面形状をしていないではないかと指摘している。
実際ケイリー卿にしても、リリエンタールにしても、ライト兄弟にしても、模型を使った実験で翼の形状を設計した。
風洞実験などもこの頃から行われた。
理論はどうでも良いから、浮き上がったらいいんだという事である。
普段気づいて居ないが、空気というのは結構重たいのである。
1メートル角の立方体の空気の重さは1キログラム。
1平方メートルの地面を押しつけている空気の重量は10トンある。
そんなに重量がかかってれば、我々なんかぺったんこになってるよね。
それがそうならないのは、空気を詰めた風船が軽くて空中を漂うように、我々の身体の中に空気が詰まっているからなのだ。
流れる水やオイルは粘性を持っている。
流れる空気も重さは水に比べ軽いが、やはり粘性を持っている。
空気が粘性を持っていない場合、翼に空気が貼り付いて流れない。
ところが実際は粘性を持っているために、翼の表面に空気が貼り付き、後端迄スムーズに流れて行く。
飛行機雲が出来るのは翼を凄いスピードで流れた空気の気圧が下がり、空気が断熱膨張して空気中の水分を凝結させるためだ。
翼の先端に当たる空気は翼に平行に当たるのではなく、翼の前方下側の空気が上がってきて翼の上を流れてゆき、翼の後端を真っ直ぐに勢いよく流れてゆく。
飛行機が左に滑走しているとすると、翼の上面を流れる右回りの大きな渦を作っている。翼の下面にも空気は流れるが上面に比べればなだらかに流れてゆく。
この渦が翼の上を流れる空気の速度を速くしているらしい。
翼の断面の形状より、翼の後端を鋭くして渦の流れがスムーズになるようにすることの方が重要らしい。
確かに翼の後端は包丁の刃の様にとがっている。
揚力を得るのに大切なのは、迎角を大きく取って渦を大きくして、翼の上面の流れを早くすることらしいんだよね。
だから飛行機は離陸の時に頭を上に向けるんだな。
凧と同じなんだろう。
だから二枚翼の飛行機も飛べるんだということか。
でもこの渦の流れの細かい部分は、スーパーコンピューターを使っても完全には分かっていないらしいよ。
でもまあ、実際に金属の固まりが飛んでるんだからね、われわれとしては不都合は無いんだけどさ。
生命の定義とは何かというと、自己複製と代謝が出来ることなのだ。
すなわち子孫を残せるという事と、食物を取り入れ分解しエネルギーやら、身体を作るタンパク質を作ることが出来ると言うことだ。
ところがウィルスという奴は自己複製をするためのDNA又はRNAは持っているが、代謝が出来ない。
従って他の生命の細胞に侵入し、そこにある機能や材料を使って自分を複製する。
言わばタンパク質製造工場を乗っ取ってしまうテロリストだ。
ウィルスが生命と呼べるのか、それとも物質なのかは学者の間でも未だに結論が出ていない。
大腸菌に感染するT4ファージなどというウイルスは、月着陸船にそっくりな形をしている。
生物というより機械に似て居る。
http://www.farisaka.bio.titech.ac.jp/nfver/nft4.html
こいつ等は細菌や真核生物が居なければ自己複製が出来ないわけだから、進化の歴史の中で発生は遅い方だったのだろう。
隙間産業みたいなもんだね。
「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書 福岡伸一著
という本を古本屋で見付け読んでみた。
昔読んだ本と同じ題名なので、同じ本かと思ったら違った。
昔読んだ同名の本はウィルスの事を書いており、ウィルスは結晶に近いと書かれていたことが印象に残っている。
この福岡さんは京大からハーバードへ行き分子生物学を研究していた。
この人の文章は美しい。
例えば生命についてこう表現する。
=以下引用=
第9章 動的平衡とは何か
砂上の楼閣
遠浅の海辺。砂浜が緩やかな弓形に広がる。海を渡ってくる風が強い。空が海に溶け、海が陸地に接する場所には、生命の謎を解く何らかの破片が散逸している気がする。
だから私たちの夢想もしばしばここからたゆたい、ここへ還る。
ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組みを摸した砂粒を奪い去る。吹き付ける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取ってゆく。
ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。
同じ形を保ったままじっとそこにある。
いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。
砂の城がその形を保っていることには理由がある。
目には見えない小さな海の精霊達が、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。
それだけではない。海の精霊達は、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行っている。
それゆえに、数時間後、砂の城は同じ形を保ったままそこにある。
おそらく何日かあとでもなお城はここに存在していることだろう。
しかし重要なことがある。
今、この城の内部には、数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まっていないという事実である。
かつてそこに積まれていた砂粒はすべて波と風が奪い去って海と地に戻し、現在、この城を形作っている砂粒は新たにここに盛られたものである。
つまり砂粒はすっかり入れ替わっている。そして砂粒の流れは今も動き続けている。
にもかかわらず楼閣は確かに存在している。
つまり、ここにあるのは実体としての城ではなく、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えているだけの動的な何かなのだ。
さらにいえば、砂の城を絶え間なく分解し同時に再構成している海の精霊たちでさえ、自らそのことに気づいていないにもかかわらず、彼らもまた砂粒から作られている。
そしてあらゆる瞬間に、何人かが元の砂粒に還り、何人かが砂粒から新たに生み出されている。精霊達は砂の番人ではなく、その一部なのだ。
むろんこれは比喩である。
しかし、砂粒を、自然界を大循環する水素、炭素、酸素、窒素などの主要元素と読みかえさえすれば、そして海の精霊を、生体反応をつかさどる酵素や基質に置き換えさえすれば、砂の城は生命というもののありようを正確に記述していることになる。
生命とは要素が集合して出来た構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。
=中略=
浜辺に打ち寄せるある波が、偶々その一回だけに限って、砂粒の代わりにコーラルピンクのサンゴの微粒子を運んできたとしよう。
海の精霊たちは砂粒とサンゴの粒を区別することなく、そのサンゴ粒を使って砂の城を補修する。
削れた壁、開いた穴、崩れた場所に、砂の代わりにサンゴを詰める。
するとそこには何が見えることになるだろうか。
砂の城はこのとき、ちょうどダルメシアン犬のように、砂地の各所にサンゴ色のスポットがちりばめられた斑点模様を呈するだろう。
しかしこのとき私たちが目を凝らして見るべきものは模様そのものではなく、模様が流れる様子とその速度なのだ。
サンゴの微粒子を運んできた波は、次の回からは普段どおり、普通のくすんだ砂を波打ち際に運ぶ。
海の精霊達は黙々と自分たちの作業を続ける。
削れた壁、開いた穴、崩れた場所に砂を盛る。
するとサンゴの粒でできたピンク色の斑点はしばらくの間、その場所に留まったものの、やがては後から来る砂粒にその場を譲ることになる。
つまりサンゴが浮かび上がらせた模様は城を通り抜けて流れていき、城の一部として固定されることがない。
そしてこのことはサンゴの粒だけに当てはまることではなく、すべての砂粒一つ一つにいえることでもある。
砂粒はある瞬間、城のいずれかの一部でありつつ、次の瞬間には城から流れ去り、後から来た砂粒がその場所を襲う。サンゴの粒はちょうど澄みすぎて流れが見えづらい渓流にインクを垂らしたかのように、その流れと速度を可視化したのである。
=以上引用=
ピンク色のサンゴの砂粒が何を意味しているのかというと、同位体の事をサンゴの砂粒にたとえている。
同位体(アイソトープ)とは化学的性質は何ら変わらないのだが、原子核の中の中性子の数が通常より多い物を指す。
通常よりすこーしだけ重たいので、タンパク質を構成するアミノ酸に必ず含まれている窒素を、窒素の同位体である重窒素に置き換え、こいつを実験用のネズミの餌に混ぜ、体内のどの部分に重窒素が分散されるのか調べる実験の事を、サンゴで斑になった城にたとえている。
しかしそれにしても詩的な表現だなあ。
実験の結果、サンゴの粒は城のありとあらゆる場所に現れた。
ラットに餌を与えたのは三日間。
尿や糞に排出された重窒素は投与されたアミノ酸の三分の一、
残りはすべて体内に残ったことになる。
ということはこの三日の間に体内のアミノ酸が入れ替わったことになる。
しかも体重が増えていないということは同じ量のアミノ酸が分解され、体外に排出されたということになる。
ネズミに限っていえば、タンパク質を構成するアミノ酸は三日ですべて入れ替わっていることになる。
タンパク質だけではない。
水素の同位体を使って調べてみると、脂肪も常に破壊され再生されていた。
一月前の腹に貯まっていた脂肪と、今の脂肪は、腹のふくらみは変わらずとも、中身は入れ替わっているのだ。
俺という物が今こうやってパソコンのキーボードを叩いたりしているわけだが、この身体の細胞は常に破壊され、分子にまでバラバラに分解され、そこから又再生を繰り返しており、分裂しない脳細胞でさえ、原子レベルでは入れ替わっている。
俺が俺だと思っている代物は砂浜に築かれた砂の城のように、通り過ぎる原子の流れが川の淀みの様にひととき停滞し、次の原子に場を譲って流れ去り、俺という形を成しているだけなのだ。
色々な事が起きた3日間だった。
まず、またもや財布を無くした。
何処で無くしたのか解らないが確かに無くなった。
現金は大して入って居なかったが、免許証、キャッシュカード、クレジットカード、おまけに健康保険証まで入っていた。
すぐに手配し止めて貰った。
おかげで昨日はあちこち走り回って大忙し。
そして夕方インターフォーンが鳴った。
出て見ると女性の声で
「Mですけど。」
と言う。
一瞬誰かと思ったがハッと気がつく。
もしかすると、と思いドアを開けると、ころっとした女の子が立っている。
「私純子の娘のYです。」
と言う。
そうか遂にこの日が来たかと思う。
純子には前の旦那との間に娘が居る。
娘が8歳の時に追われるように家を去ったのだ。
さぞや後ろ髪を引かれるような思いをしたと思う。
娘の事を話すと泣きべっちょになるので、触れないようにしてきた。
でも、何時か会える日が来るだろうとは思っていた。
もう、娘も大人なんだし。
すぐに買い物に出かけていた純子に電話をして、戻ってくるように言う。
純子を待っている間、娘は緊張の面持ちだった。
そして純子が戻ってきて座っている娘を見て
「Yちゃん?」
と聞くと、娘は純子の胸に顔を埋めて泣き出す。
純子も娘を抱きしめて、顔をくしゃくしゃにして泣く。
ついこちらももらい泣きしそうになる。
20年ぶりの再会だ。
いや、実は純子は一度娘を見かけたことが有る。
俺がヘルニアで入院している時に、待合室で姑を連れている娘を見かけた。
でも声をかけることが出来なかった。
聞いてみると娘も母親だと気付いていたらしい。
偶々昨日市役所に行くことがあり、ついでに住所を探して貰ったらしい。
純子と折り合いの悪かった旦那の両親も亡くなったらしい。
しかも娘には5歳の女の子と2歳の男の子が居る事も分かった。
ということは、俺も純子も突然じいちゃん、ばあちゃんになってしまったということだ。
写真を見れば女の子は純子にそっくりだ。
隔世遺伝なのだろう。
娘は色々複雑な問題を抱えているらしい。
とりあえずは飲むべ、ということで飲みに行く。
色々力になってやらなければならないだろう。
そして今日、何時まで経っても膿が退かない歯を一旦抜き、歯茎に貯まった膿を掻き出し、又歯を埋め戻す治療をやった。
もし抜いてみて歯にヒビが入っていたら戻しません、と言われたが幸いヒビは入っていなかった。
そんなこと本当に可能なのかと思っていたが、ちゃんと今元の位置に納まっている。
完全に固定されるまでは一月くらいかかるらしい。
江戸と云うのは港湾都市だからさ、家康が一番恐れたのは海から大きな船で攻められる事だったんだよね。
だから諸藩の500石以上の大船をすべて焼き払ってしまった。
そして船の改良も禁止させた。
だから船の製造技術はそれ以前より後退してしまった。
西洋の船が柱を持った家とすると、日本の船はお椀が大きくなったような物だ。
帆柱も一本という規制があったから嵐の中で帆を下ろしても、帆柱に当たる風が強すぎて帆柱を切らざるを得なくなり、転覆を免れても漂流してしまう。
江戸時代の船乗りは危ない仕事だったんだよ。
沈没したり漂流したり。
大黒屋光太夫なんかもそうやって漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に流れ着き、数奇な運命を経て最後はエカテリーナ二世に拝謁し日本に帰ってくる。
でも日本では軟禁状態で一生を終える。
どちらが幸せだったんだろうね。
どちらも不幸せだったのかも知れないね。
当時の船乗りなんてのは陸のあぶれものでさ、陸で暮らせないから海に行ったみたいな所があるみたいだからね。
海に居る時間だけが自由だったのかも知れないな。
同時代の高田屋嘉兵衛なんかも若い頃陸から追われて海に行った口だな。
北海道には松前藩と云うのがあったんだけど、松前藩が何か優秀な人材を生み出したとか、業績を残したって聞いたことある?
せいぜい幕末の争乱の舞台になった事くらいじゃない?
実際松前藩というのは藩とは言っても自治区みたいなものでさ、蝦夷の海産物を移出しては米を買って維持していたんだね。
北海道産の昆布は内地に持って行けば高値で売れたし、鰯やニシンも肥料として貴重な物だった。
だから松前藩は北海道の豊かな水産物にあぐらをかいて存在していたんだわ。
しかもその海産物を自分たちで拾い集める事はしない。
内地の商人に丸投げしたんだね。
内地の商人もこれ又、ごろつき達に丸投げしてアイヌを使って捕らせて、搾取したんだわ。
だからアイヌの反乱なんかが起こったんだね。
この構図どこかで見たなあ。
あっ、俺はアイヌだったのか。
と、言うのは言いすぎだな。
しかしロシアの南下の脅威から、幕府は蝦夷地の実態を調査し始める。
実際にアイヌの悲惨な状況を見て、彼らに和人並みの生活環境を与えて、和人としての意識を持って貰わなければ蝦夷はロシア領になってしまうだろうと思う。
それで松前藩から東蝦夷を取り上げ幕府の直轄領にする。
政治がいくらマニフェストを掲げても、実行部隊が居なければ絵に描いた餅に過ぎない。
蝦夷地を経済的に自立させ、さらには利益をもたらすようで無ければ結局つぶれてしまうだろう。
でも幕府は高田屋嘉兵衛という船乗りであり、商人であり、それ以上に情熱家である人物を巻き込むことが出来た。
函館には高田屋嘉兵衛記念館があるが、北海道にとって高田屋嘉兵衛の存在は大きい。
彼が居なければ今頃ナオンスキー・スガノビッチとかいう名前になっていたかも知れないな。