包丁研ぎのチラシが入っていたのだけれど、結構高い。
7〜800円くらい取っている。
我が家の包丁は全部自分で研いでいる。
砥石は電動式の物も有るし、普通の砥石も荒砥、中砥、仕上げ砥と持っているが荒砥は刃が欠けた時と、中砥を平に修正する時に使うくらいだ。
仕上げ砥は殆ど使わない。
我が家の出刃と菜切り包丁は高い物ではないが職人が使う物で、初めて買った時にはその切れ味が怖いくらいだった。
その切れ味を保ちたいので、こまめに研いでいる。
我流ではあるが、いまだに怖いくらいに切れている。
裁縫用の裁ちばさみも研ぐ。
要を外して研ぐのだが、研ぐ角度は包丁とは全く違う。
純子が捨てようと思っていた鋏も復活した。
本当は鋏というのは平らな板ではなく、浅い樋みたいな板が擦れ合っているのだ。
だから素人は裏面を研いではいけないらしい。
研いじゃったけど。
包丁を研ぐよりも難しい。
http://www.resharp.co.jp/hasaminotogi2.htm
砥石については「王城五里を離れず」という諺があって、良い仕上げ砥石が産出する所には立派な建物が建ち都が出来るという意味だ。
しかし今の砥石は人工砥石であり、自然産出の砥石より品質が安定していて、自然産出の砥石の出る幕は無いと思う。
でも何故か我が家にはその砥石が一つある。
妹が亡くなった後始末をしている時に出てきた代物で、おそらく亡くなった旦那が使っていた物だと思う。
今、研ぎ方に思案しているのはチェーンソーの刃の研ぎ方で、これは工業製品であるからきちっと角度とか寸法とか手順が決まっている。
慣れた人はヤスリだけでやるようだが、素人なので色んな器具を試してみた。
でもどれも今いちで、刃の形が「こんな風になってはいけません」の見本の様になってしまう。
ドリルの刃とかチェーンソーの刃は難しい。
田中はプロに頼んでいると言っていたし、チェーン自体も馬鹿高い物ではないから買った方が良いのかもしれない。
でも我が家では建築の廃材を薪にするのに使っているので、注意していても隠れた釘を切ってしまう。
なんとか目立てをマスターしなければならない。
江戸時代、一般に流通する刀は試し切りという課程を踏まなければならず、その結果は刀の柄に隠れた茎に刻まれていた。
試し切りは処刑された死体を使って行われていたのだが、死体を重ねて何人切れたかで刀の切れ味を証明していた。
本来罪人の首を刎ねるのは新参者の同心の役目であり、刀の研ぎ賃として2分を下される。
その2分は同心の物となるのだが、同心は処刑執行を代々その役を行ってきた山田浅右衛門に委託する。
処刑が終わると山田は同心に代行させて貰ったお礼として金を渡す。
山田になんかメリットはあったんかいというと、副収入が凄かった。
試し切りをした経験を生かし刀剣の鑑定をしたり、死体から脳、胆嚢、肝臓、胆汁などを取り出し、丸薬を作って莫大な収入を得ていたらしい。
現在の中国も同じだが、死体は金になる。
現在では新鮮な死体がより金になり、中国は何時でも必要なだけの新鮮な死体を市場に供給できる。
裏だけどね。
でも山田家は罪人の供養には金を惜しみなく使ったらしい。
たかじん逝去
2014年01月08日16:26
雪の日は除雪、晴れた日は歩くのが運動の代わりだ。
以前は躊躇したような距離でも、徒歩で行けるようになった。
慣れの問題だ。
江戸の旅人は大体一日8里から10里を歩いたという。
32キロから40キロだから、直線距離でいうと手稲から余市くらいまでの距離だ。
当時は宿以外で宿泊することが禁じられていたから、日暮れには宿場に到着する必要がある。
途中で物見遊山したり食事も摂ったであろうから、余裕を持ってこの距離を歩いたのだとすると当時の人はかなりの健脚だ。
我々なんかついて行けないくらいの早足で歩いていたんだろう。
歩いているとだんだんペースが上がってきて心臓の鼓動も呼吸も速くなる。
景色を見たり、考え事をしながら歩いている。
今日はたかじんの事を考えていた。
たかじん64歳、大瀧詠一65歳、ちょうど年金生活を始める頃と云うのは人生の節目なのだろうか。
俺なんか「年金一銭も貰わずに死ねるか!」と繰り上げ受給をした。
此処を乗り越えるとまた、人それぞれの、だらだらした人生や、老後を楽しむ人生が始まる。
スーパーマーケットの壁に川柳同好会の人たちの川柳が貼ってあって
「金はある 趣味が無いけど 気力も無い」
というのがあった。
金だけでは駄目で、やりたいことと、それを実行出来る体力があってはじめて老後を楽しめる。
どれ一つ欠けてもいけないのだから、楽しめる期間って人生の長い航海のほんの一瞬だ。
行程のほとんどが暴風、荒波に翻弄される日々で、船体には穴が開き、マストは折れ、船底には貝が貼り付き、難破船の様相を呈しながら風と波に押されて何時か「彼岸」の波打ち際に打ち上げられる。
それでも航海の後半には波が収まる穏やかな日々があるかも知れない。
空は晴れ上がり風向きも上々、帆布は風を受けて膨らみ、船首が波を切って海面を疾走する。
運が良ければそんな日があるかも知れない。
デッキに寝そべって輝かしい空を眺める。
海風が心地よい。
「これは幸せってものだろうか」と感ずる一瞬があったのなら、辛くて長ったらしいばかりだった航海も報われるかもしれない。
しかし「たかじんのそこまで言って委員会」もご意見番の三宅さんが亡くなって、たかじんも病気で休んでから途端につまらなくなって見なくなってしまったが、これで番組自体も消滅するんだろうか。